主にドイツ語圏を中心に、文化政策(制度、思想、歴史)を研究しています。
これまで、憲法起草過程における「芸術」振興の条文の議論の過程(ヴァイマル憲法)や、ドイツのミュージアムの社会的機能、インバウンド観光の目玉のように思われてきたミュージアム・メガイベントによる財源形成の仕組み(都市単位での文化政策のための基金として積立て、90年代以降に租税依存を脱却)、対外文化政策、劇場の統廃合、振付著作権などを扱ってきました。
現在は、文化政策の中でも、「芸術を理解する者(国家)の方が、経済活動のみに関心を持つ者(国家)より”高尚”だ」というイデオロギーを国家理念(文化国家論)にまで(無理矢理)高めていった第一次大戦期のドイツをはじめとし、「ヨーロッパ近代」や「国民国家」形成の問題と、その装置として誕生した(欧州発祥の近代型の)文化施設や文化政策の系譜に、興味を持ち、授業をし、分析しています。
教養市民層だけのための「高尚な文化」や「芸術のための芸術」といった姿勢を否定し、文化概念を「対話のメディア(触媒)」へと更新し、民主社会全体の基盤(言語表現の苦手な人たちも含めて、広く人間の「表現」に、社会的な対話の機能を期待する考え。そのために「表現の自由」「芸術の自由」が重要とされる)と位置づけることで、第二次世界大戦以前の文化政策の「落とし穴」を克服しようとした現代ドイツの文化政策の政策理念を先に研究し、目下、再び「落とし穴」に向かう前の時代の、宮廷貴族時代(王と芸術)から、近代国民国家形成と文化政策の結合する過程(文化国家)に興味を持っています。
芸術文化を無批判に所与の「価値のあるもの」と見なして文化政策を語るのではなく、「価値」の生成過程も含めて批判的に捉え直し、その上で、文化政策はどうあることができるのか、を日本の中世時代以降の思想も参照することで、探りたいと思っています。
「良かれ」と思った意欲的な政策が、ことごとく裏目に出たのが、ドイツ近代の文化政策だったように思います。この時期の思想的影響は、日本も近代化の過程で極めて大きく受けており、ドイツの文化政策史の野望・理想とその顛末・克服は、現代において、文化政策の「落とし穴」を避けたギリギリのラインで文化政策のバランスをとるためにも、慎重に、何が問題だったのかを見極め、各国が参照する意義のある事例です。
個人的には、毎年、100人程度の世界各国の留学生を、4人の日本人で受け入れていた大学の国際交流の寮で、事務的手続き等も手伝いながら、留学生たちと生活を共にし、交流イベントを行ってきた学生時代&ドイツ・英語圏(英国、カナダ、米国)での研究修行時代の経験から、主な研究対象の欧米以外にも、あまり日本では日常的には話題に上らない(?)国々(トルコ、イーラン、スロヴェニア、キプロス、ウズベキスタン、スーダン等)にも、今も親しくしている20年来の友人がおり、多文化・異文化、外から見た日本像などの議論も、結構好きです(しかしこの分野は、個人的経験のみで、専門的知識・見識は、十分にはありませんが)。
人間の身体表現(バレエ、オペラ等のパフォーミング・アーツ&サッカー)と、各国観光名所(お城、役所、神社)の付近にいるぶさかわ度(?)が結構高いのにすまして鎮座している真面目で由緒正しそうな動物像の写真撮影が、非常に好きです。そのコミュニティで古くから大事に、誇りに思われてきたのかなと、勝手にほほえましい歴史を想像してしまいます。
(で、研究者の好奇心を発揮し、その街の史料館の人に尋ねると、「もともとは王の霊廟の飾りの予定が、資金がなくなり、ライオンだけ余りまして・・・・・・」とか、「数十体、同じものが世界にあります」など、意外な由来が返ってくるので飽きません。霊廟制作中に権力者が資金難、あるいは、計画を変えてしまうって問題は、ミケランジェロとユリウス2世以外にも、当時はよくあった話なのでしょうかね、、、)。