2024/04/25 更新

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ナガサカ マスミ
長坂 真澄
所属
国際学術院 国際教養学部
職名
教授
学位
哲学博士 ( 2013年09月 フランス、トゥールーズ大学:ドイツ、ヴッパータール大学との二カ国共同指導契約による )
哲学修士 ( 2009年07月 フランス、トゥールーズ大学/ベルギー、ルーヴァン・カトリック大学/ドイツ、ヴッパータール大学:MASTER ERASMUS MUNDUS EuroPhilosophie )
文学修士 ( 2007年03月 京都大学 )

経歴

  • 2023年04月
    -
    継続中

    早稲田大学   国際学術院   教授

  • 2019年04月
    -
    2023年03月

    早稲田大学   国際学術院   准教授

  • 2016年04月
    -
    2019年03月

    群馬県立女子大学   文学部 総合教養学科   准教授

  • 2014年04月
    -
    2016年03月

    大阪大学   人間科学研究科   特別研究員PD(日本学術振興会)

  • 2013年10月
    -
    2015年09月

    トゥールーズ‐ジャン・ジョレス大学   ERRaPhiS (Équipe de recherche sur les rationalités philosophiques et les savoirs)   協力研究員

  • 2010年04月
    -
    2010年10月

    ヴッパータール大学   哲学科   リサーチ・アシスタント

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学歴

  • 2009年10月
    -
    2013年09月

    トゥールーズ大学博士課程   École Doctorale Allph@ (Arts, Lettres, Langues, Philosophie, Communication)   ERRAPHIS (Équipe de Recherche sur les Rationalités Philosophiques et les Savoirs)  

  • 2009年10月
    -
    2013年09月

    ヴッパータール大学博士課程   Kultur- und Geisteswissenschaften   / Philosophie  

  • 2007年04月
    -
    2013年03月

    京都大学大学院   文学研究科   思想文化学専攻 博士課程  

  • 2008年10月
    -
    2009年09月

    ヴッパータール大学   Kultur- und Geisteswissenschaften   / Master Philosophies française et allemande dans l'espace européen (ERASMUS MUNDUS)  

  • 2008年02月
    -
    2008年09月

    ルーヴァン・カトリック大学   Philosophie   / Master Philosophies française et allemande dans l'espace européen (ERASMUS MUNDUS)  

  • 2007年09月
    -
    2008年02月

    トゥールーズ大学   UFR de Lettres, Philosophie et Musique   / Master Philosophies française et allemande dans l'espace européen (ERASMUS MUNDUS)  

  • 2005年04月
    -
    2007年03月

    京都大学大学院   文学研究科   思想文化学専攻 修士課程  

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委員歴

  • 2023年07月
    -
    継続中

    日本哲学会  理事

  • 2023年03月
    -
    継続中

    宗教哲学会  理事

  • 2022年09月
    -
    継続中

    日仏哲学会  副会長

  • 2020年11月
    -
    継続中

    日本現象学会  国際交流委員

  • 2019年09月
    -
    継続中

    日仏哲学会  理事

  • 2019年
    -
    継続中

    日本哲学会  編集委員

  • 2019年09月
    -
    2022年08月

    日仏哲学会  編集委員

  • 2018年07月
    -
    2018年08月

    JFPS (Japanese Federation of Philosophical Societies)  Bid Committee of the Project of Hosting the 25th World Congress of Philosophy (WCP 2023) in Tokyo

  • 2018年07月
    -
    2018年08月

    日本哲学系諸学会連合(JFPS: Japanese Federation of Philosophical Societies)  世界哲学会議 (WCP: World Congress of Philosophy) 招致委員会委員

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所属学協会

  •  
     
     

    レヴィナス協会

  •  
     
     

    日本現象学会

  •  
     
     

    日本哲学会

  •  
     
     

    京都ユダヤ思想学会

  •  
     
     

    宗教哲学会

  •  
     
     

    日仏哲学会

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研究分野

  • 哲学、倫理学

研究キーワード

  • 宗教哲学

  • 現象学

受賞

  • 第4回宗教哲学会奨励賞

    2017年03月   宗教哲学会  

    受賞者: 長坂真澄

     概要を見る

    『宗教哲学研究』第29号掲載の論文「レヴィナスにおける主体の脱領域化―カントを背景に」による。

  • 研究奨励賞

    2014年11月   日本現象学会  

    受賞者: 長坂真澄

     概要を見る

    発表「アポリアの始まり――若きデリダのフッサール『算術の哲学』読解――」(『現象学年報』第30号に掲載)による。

 

論文

  • 不動の動者と作用因としての神 ―デリダ、シェリングを迂回するハイデガー技術論の読解―

    長坂真澄

    京都ユダヤ思想   ( 14 ) 29 - 51  2023年08月  [査読有り]

    担当区分:筆頭著者, 最終著者, 責任著者

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    アリストテレスが『自然学』及び『形而上学』で明示的に四原因説を展開しているにもかかわらず、なぜハイデガーは、作用因の概念は後世のラテン語翻訳の産物であると主張するのだろうか。本論考は、デリダが『理論と実践』にて提示するこの問いに、後期シェリングのアリストテレス読解を迂回することによって答えるものである。スコラ哲学において、アリストテレスの語る不動の動者が作用因へと変形したと主張する、シェリングとハイデガーの解釈の親和性を手がかりとして、本論考は、現代技術と形而上学の共犯関係を明らかにする。

  • tertium datur—排除されない第三項と汲み尽くしえない無限 ゲーデルを通過するデリダのフッサール読解を手がかりに

    長坂真澄

    『現代思想』2023 年 7 月号『特集=〈計算〉の世界』     235 - 246  2023年06月  [招待有り]

    担当区分:筆頭著者

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    本論考は、デリダがフッサール「幾何学の起源」に付した序文において、フッサールの思考の展開をゲーデルの不完全性定理へと関連付けている点に着目する。そのことにより明らかになるのは、ある公理体系から新たな公理体系への拡張はいかなる場合にゆるされるのかというフッサールの問題関心が、現象学の展開を牽引する一つの役割を果たしていたこと、さらに、「幾何学の起源」はその問題に答えを提示する試みとしても読解できるということである。本論考がこの解明にあたって導きの糸とするのは、汲み尽しうる無限というライプニッツの構想である。

  • 算術の論理学的基礎付けとその現象学的再解釈 ——リシールによるフレーゲ、デデキント読解——

    長坂真澄

    宗教学研究室紀要   ( 19 ) 3 - 33  2023年03月  [査読有り]

    担当区分:筆頭著者, 最終著者, 責任著者

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    本論考は、算術を論理的に基礎づけようとしたフレーゲとデデキントの試みを、現代の現象学者マルク・リシールがいかに現象学的に再解釈するか、またこの再解釈が、いかにカントの量の超越論的図式としての数概念に新たな光を当てるかを明らかにするものである。この目的のため、本論考は、リシールの「遺伝と数」及び『現象学的探究IV』の議論を辿り、彼がフレーゲの「遺伝」の概念、デデキントの「鎖」の概念を、超越論的時間化の運動、概念と現象の出会いの点滅として捉え直すことを提示する。

    DOI

  • レヴィナスと経験論

    長坂真澄

    レヴィナス研究   ( 3 ) 2 - 16  2021年08月  [招待有り]

    担当区分:筆頭著者, 最終著者, 責任著者

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    本提題は、レヴィナスの語る、他なるものの「経験」を、フッサールの経験論反駁と両立しうる「形而上学的経験」として提示することを試みるものである。この目的のため、本提題は、後期シェリングの形而上学的経験論が、いかなる意味において、カントの経験論反駁と両立するものであるかを示した上で、これと同型の論拠を、レヴィナスの「可傷性」概念が可能にすることを明らかにする。かくして、レヴィナスによる、反省の反省されるものに対する遅れについての言説を、経験論へと遡行することなく解釈する道が開かれる。

  • L'imagination, racine commune de la sensibilité et de l'entendement? Lecture croisée de Kant et le problème de la métaphysique et de la Critique de la faculté de juger

    Masumi Nagasaka

    L'Imagination. Actes du 37e Congrès de l'ASPLF (Rio de Janeiro, 26-31 mars 2018)     425 - 436  2020年08月  [査読有り]

    担当区分:筆頭著者, 最終著者, 責任著者

     概要を見る

    本論文は、『カントと形而上学の問題』におけるハイデガーのカント解釈、すなわち想像力が感性と悟性の隠れた共通根源であるとする解釈の妥当性と可能性を問うものである。そのために、本論では、この解釈を、ハイデガー自身が詳細には論じていないカントの『判断力批判』へと対峙させる。この観点において考察される想像力は、概念に基づく規定的な認識判断とは異なり、反省的な直感的判断、すなわち概念によらない判断に働くものである。ここでは、感性と悟性は重なり合い、これらの共通の根を語るハイデガーの分析が意味をなしてくることが確認できる。

  • 超越論的観念論を継承する現象学における事実性と偶然性:テンゲリを手引きとする非‐存在神学的な形而上学の輪郭化の試み

    長坂 真澄

    哲学   2020 ( 71 ) 69 - 79  2020年06月  [招待有り]

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    本論考は、現代フランス語圏における現象学を、主観性の知を超えた事実性を語りにもたらす哲学として提示することを目的とする。この見取り図の起点となるのは、『フランスにおける新しい現象学』(2011)、『世界と無限』(2014)で展開される、テンゲリの構図である。彼はこれらの著作で、ドイツ語圏とフランス語圏で展開された現象学の諸形態を追究し、それらを非‐存在神学的形而上学と位置付けている。本論考は、この構図を踏まえた上で、現象学を、知の彼方の何かを無批判に前提とする独断的形而上学とも、すべての現象を主観性の相関者に還元する相対主義とも区別される哲学として、提示する。

    DOI CiNii

  • Le schématisme transcendantal dans l’arithmétique : la lecture richirienne de Frege

    長坂真澄

    Meta: Research in Hermeneutics, Phenomenology, and Practical Philosophy   XI ( 2 ) 659 - 678  2019年12月  [査読有り]

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    本論考は、リシールによる算術の基礎についての考察の特徴を明らかにするものである。カントの算術をめぐる議論に対するフレーゲの批判にもかかわらず、リシールは、フレーゲによる算術の論理学的基礎付けの試みのうちに、カントのいう量の超越論的図式としての数概念を読み取ろうとする。本論考は、まず、背景となる議論として、カントとフッサールにおける数概念の違い、リシール現象学とフッサール現象学の違いを確認した上で、リシール「遺伝と数」におけるフレーゲ『算術の基礎』の読解の要点を浮かび上がらせる。

  • 想像力が向かう無限とその痕跡 ―カント『判断力批判』のデリダによる読解から― / Imagination that Envisages the Infinite and the Trace of the Infinite: From the Derridean Reading of Kantʼs Critique of Judgement

    長坂真澄

    京都ユダヤ思想   ( 10 ) 35 - 64  2019年06月  [査読有り]

    担当区分:筆頭著者, 最終著者, 責任著者

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    本論考は、独断的に超越を措定する形而上学でも、あらゆるものを主観に基づける構築主義でもない哲学を示す概念として、カント『判断力批判』の「痕跡」概念に着目する。痕跡は、主観が恣意的につくりだすものでも、独断的に措定される外部を指し示すものでもなくして、何らかの超越(実無限)を喚起する。デリダは『絵画における真理』所収の「パレルゴン」において、「痕跡」概念に言及しつつ、カント哲学を無限についての現象学として捉える可能性を示唆している。本論考は、この可能性をカント崇高論のうちに見出すことを試みる。

  • 構想力と無限――フランス語圏の現象学におけるカント哲学の現象学的再構築

    長坂真澄

    哲学論集   ( 47 ) 37 - 54  2018年10月  [招待有り]

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    本論考は、現代のフランス語圏の現象学におけるカント哲学の現象学的再構築を捉えるものである。その見取り図の起点は、カント『純粋理性批判』が持つ二つの大きな課題、すなわちヒュームの懐疑論の克服と、デカルト的存在神学の反駁にある。前者の課題は、ア・プリオリな能力としての構想力という問題系に、後者の課題は無限の問題系に対応する。フッサール、ハイデガーの現象学において大きな変革をこうむるこれらの主題を、フランス語圏の現象学は、カント『判断力批判』の再読解から新たに捉え直す。

  • 感性と悟性の共通の根――ハイデガー『カントと形而上学の問題』と カント『判断力批判』の交差点――

    長坂真澄

    Heidegger-Forum   12   78 - 94  2018年08月  [査読有り]

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    本論考の目的は、ハイデガーの『カントと形而上学の問題』が示した、超越論的構想力を感性と悟性の隠された共通の根とする読解を、『純粋理性批判』とではなく、むしろ『判断力批判』と対照させて再考察することによって、この解釈が持ちうる新たな可能性を探究することにある。この目的のため、本論考は、『判断力批判』におけるア・プリオリな綜合判断としての直感的反省的判断における構想力の働きと、それがなす「概念なき図式化」に着目する。

  • 超限と無限――カント及びカントールを経由するラズロ・テンゲリのフッサール論

    長坂真澄

    宗教哲学研究   ( 35 ) 90 - 103  2018年03月  [査読有り]

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    フッサールは無限の統一体の直観を語る。それは、超越論的理想の認識を標榜することではないのか。テンゲリはこの問いに、フッサールが馴れ親しんでいたと推測される、カントール超限集合論を経由することで応えようとする。カントールは従来の無限の議論を、規定可能な超限から考察する。テンゲリが示そうとするのは以下のことである。超限集合において各要素の網羅的規定を前提するカントールに対し、フッサールの「開かれた無限」の直観は、要素の網羅的規定を前提せず、それゆえ超越論的理想の措定を前提しない。

  • Le beau et le schématisme transcendantal – à partir de la lecture richirienne de la Critique de la faculté de juger

    長坂真澄

    Petru Bejan et Daniel Schulthess (éds.), Le Beau - Actes du XXXVIe Congrès de l'Association des Sociétés de Philosophie de Langue Française (A.S.P.L.F.)     185 - 190  2018年03月  [査読有り]

    担当区分:筆頭著者, 最終著者, 責任著者

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    本論考は、リシールによるカントの超越論的図式論の刷新を検討するものである。論考「思考の現象学的起源」(1980)において、リシールは、『判断力批判』における「図式化」に着目し、『純粋理性批判』の図式論では明らかではなかった思考の起源が示されていると考える。『純粋理性批判』において、図式は概念の感性化を可能にするが、『判断力批判』では、反省的直感的判断において「概念なき図式化」が起こる。そこでは、判断すなわち「思考」と、美を「感じること」との区別不可能性という形で、思考の起源が語られるのである。

  • Altérité anarchique – Réconciliation de Descartes et Kant dans la dernière pensée d’Emmanuel Levinas

    長坂真澄

    Interpretationes - Acta Universitatis Carolinae : Studia Philosophica Europeanea   ( 1-2/2016 ) 102 - 117  2017年08月  [査読有り]

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    本論考は、レヴィナスにおける無起源的他性という構想の形成について、批判哲学の背景から考察するものである。この目的のため、本論考はデカルトにおける神の実在証明、カントにおける超越論的理想の存在証明批判を辿った上で、レヴィナスのカント理解の変遷とともに、レヴィナスの中期から後期にいたる、他性をめぐる議論の深化を捉える。かくして本論考が示すことを試みるのは、デカルトによる神の実在証明とカントによるこの証明の批判を融合させるときにこそ、他性の無起源性が要請されるということである。

  • Derrida et la notion de l’"im-possible” – dans la continuité de Chestov et de Levinas

    長坂真澄

    Le possible et l'impossible - Actes du XXXVe Congrès International de l’Association des Sociétés de Philosophie de Langue Française (A.S.P.L.F.) Rabat, 26-30 Août 2014     333 - 340  2017年07月  [査読有り]

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    本論考では、デリダの「不‐可能なもの」の概念を、シェストフ、レヴィナスの思想を経由することで明確化することを試みる。その際、「不可能なものの可能化」の二つのあり方を、水平的運動と垂直的運動と区別した上で、さらに後者を、懐疑論的言説あるいは相対的自己批判が行う「emboîtement」型の運動と、絶対的自己批判が行う「déboîtement」型との運動とに区別し、両者の重なりを論じる。

  • 無限の理念――存在と存在者の彼方で:レヴィナスによる『カントと形而上学の問題』読解より

    長坂真澄

    フランス哲学・思想研究   ( 21 ) 218 - 229  2016年09月  [査読有り]

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    無限の理念を称揚するレヴィナスの哲学は、有限性を軸とするハイデガーの思考と対照をなす。本論考の目的は、無限についてのレヴィナスの言説を、ハイデガーが有限性を論じる書、カント書(『カントと形而上学の問題』)のレヴィナスによる読解から、再検討することにある。なぜレヴィナスは、ハイデガーの有限性の思考の意義を理解しながら、無限の理念を自らの哲学の旗印にとることができたのか。この問題を考察するために、我々は、カント書において言及される、無限の理念としての超越論的理想の概念に着目する。

  • 「存在」の語 を抹消する交差線―差延: デリダの『ハイデガー』講義(1964-1965)より (La croix – ou la différance – qui biffe le mot « être » : À partir du cours de Derrida sur Heidegger (1964-1965))

    長坂真澄

    宗教学研究室紀要   12 ( 12 ) 62 - 79  2015年12月  [査読有り]

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    本論考は、デリダの1964-65年講義原稿『ハイデガー:存在の問いと歴史(学)/物語』に依拠し、以下のことを示す。デリダがハイデガーの『存在と時間』を、ハイデガー後期著作から遡行的に読解することで、形而上学の解体、つまり、脱‐物語、脱‐隠喩という延期の運動として捉えていたということである。それを示した上で、本稿は、この延期の運動が、デリダの「差延」概念へとつながることを提示する。

    DOI CiNii

  • Con-tangence et archi-facticité – Jacques Derrida et Didier Franck autour d’Edmund Husserl

    長坂真澄

    Interpretationes - Acta Universitatis Carolinae : Studia Philosophica Europeanea   4 ( 1 ) 167 - 185  2015年11月  [査読有り]

     概要を見る

    本論考は、D・フランクの処女作『身体と物体』、及び、デリダの『触覚――ジャン=リュック・ナンシーに触れる』所収の二章を突き合わせることで、フランクとデリダのフッサール読解の交差と差異を辿る。特に焦点となるのは、『イデーンⅡ』第二部の読解である。その中で浮かび上がるのは、フッサール現象学のアポリアに対する二つの相反する態度である。それは我々に、現象学の外部への向かい合い方に対する問いを投げかける。

  • La citoyenneté comme calcul de l'incalculable

    長坂真澄

    Jean-Michel Counet (dir.), La Citoyenneté. Actes du XXXIVème Congrès de l'Association des Sociétés de Philosophie de langue française (ASPLF). Louvain-la-Neuve / Bruxelles 21-25 août 2012, la Société Philosophique de Louvain (Bibliothèque Philosophique de     483 - 495  2015年10月  [査読有り]

     概要を見る

    本論考は、デリダのレヴィナス読解を軸に、市民性という概念を、「計算不可能なものの計算」の構造を持つものとして考察する。後期レヴィナスの「市民」概念には、二重性が確認される。一方で、「市民」は、計算不可能なものとしての「倫理的自我」に対置される、計算可能なものである。他方で、「第三者」が介入することの必要性から、この計算可能性は、「計算不可能なものの計算」として考察される。

  • Verwandlung des Verhältnisses von Möglichkeit und Wirklichkeit: László Tengelyis These über die Grundtendenz der Neuen Phänomenologie in Frankreich

    長坂真澄

    Horizon-Studies in Phenomenology   3 ( 2 ) 21 - 34  2015年04月  [査読有り]

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    L・テンゲィは、現代フランス現象学の特徴を、可能性と現実性の関係の転倒のうちに見る。その顕著な例として彼が挙げるのが、M・リシールの現象学である。リシールは、カントの超越論的理想批判を継承するが、テンゲィはこの批判のうちに、可能性と現実性の関係の転倒を見出す。本稿は、テンゲィとは独立に、リシールのフッサール、ハイデガー読解を辿ることで、テンゲィのテーゼを確証することを試みる。

  • マルク・リシールはなぜ現象学の鋳直しを唱えるのか――カントの超越論的理想批判を導きの糸とするフッサール、ハイデガー読解

    長坂真澄

    表象   9 ( 9 ) 182 - 196  2015年03月  [査読有り]

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    本論考は、マルク・リシールが、これまでの現象学の何を問題とするのかを考察するものである。リシールは、フッサール、ハイデガーの現象学において、存在神学的形而上学の残滓、つまり超越論的理想の措定があるとする。本稿は、まず、カントによる超越論的理想の批判を簡潔に辿った後、リシールがこの批判をいかにフッサール、ハイデガーに対して差し向けるかを観察する。

    CiNii

  • 知の不可能性において語る声――ジャ ッ ク ・ デリダ 『声と現象』 再読

    長坂真澄

    宗教哲学研究   ( 32 ) 109 - 122  2015年03月  [査読有り]

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    本論考は、デリダの『声と現象』を、信をめぐる考察として提示するものである。そのために本稿は、『声と現象』の骨格をなす三つの還元――指標、言語、直観の還元――を抽出し、それらの還元が、認識、思念、表現の不一致を浮かび上がらせることを示す。この不一致からこそ、信の問題系が現れることになる。というのも、信とは認識なき思念に対応するからであり、認識なき思念の表現とは、信の発露にほかならないからである。

    CiNii

  • デリダと存在神学――カント、ハイデガー、レヴィナスの交錯する場所へ

    長坂真澄

    現代思想   43 ( 2 ) 308 - 321  2015年01月  [招待有り]

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    デリダ哲学において、形而上学はしばしば存在‐神学と形容され、超克の対象とされてきた。本論考は、そもそも「存在神学」批判の創始者であるカント、それを独特な形で継承するハイデガー、また、存在神学批判をめぐって展開されるレヴィナスとデリダの議論を経由することで、デリダの存在‐神学批判とは何であるのか、それはいかなる形をとるのか、その先に見えてくるものは何なのかを明らかにしようとするものである。

  • 詩作と思索を差異化するもの―デリダのハイデガー読解より

    長坂真澄

    京都大学宗教学研究室紀要   11 ( 11 ) 3 - 21  2014年12月  [査読有り]

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    『精神について』(1987)においてデリダは、ハイデガーの思索を支える礎の部分に、約束(Zusage)という形のもとで、信への開けがあると論じる。本稿は、後期デリダによるハイデガー「語りの本質」読解を、彼の「隠喩の退き」(1978)における同講演の読解の延長線上に置くことで、信への開けの言説が、彼の長きにわたるハイデガー読解を通して形成されるにいたったことを示すことを試みるものである。

    DOI CiNii

  • アポリアの始まり――若きデリダのフッサール『算術の哲学』読解――

    長坂真澄

    現象学年報   ( 30 ) 133 - 140  2014年11月  [査読有り]

     概要を見る

    本論考は、『フッサール哲学における発生の問題』等における、初期デリダによるフッサール『算術の哲学』読解を辿ることにより、以下のことを示すものである。第一に、デリダがフッサールの面したアポリアを、その哲学的考察の出発点としていること、第二に、彼がそのアポリアを、カント由来の「いかにしてア・プリオリな綜合判断は可能か」という問いの継承として捉えていること、第三に、彼がこの問いを、フレーゲのフッサール批判から発展させていることである。

    CiNii

  • Vivre une mort – La question de la genèse de l’idéalité chez Derrida à partir de sa réflexion sur la notion husserlienne de « monde de la vie »

    長坂真澄

    Interpretationes - Acta Universitatis Carolinae : Studia Philosophica Europeanea   2 ( 1 ) 53 - 69  2013年06月  [査読有り]

     概要を見る

    本論考の目的は、デリダの『フッサール哲学における発生の問題』における、フッサールの「生活世界」概念をめぐる考察を出発点にとり、デリダ哲学の発端にあるアポリアを示すことにある。デリダは、超時間的な理念性が、時間的な実在性からいかに発生するかという問題の枠の中で、「生活世界」の概念について考察する。彼が着目するのは、この概念が持つ両義性である。それは、一方では感性的、実在的でありながら、他方では非実在的な可能性であるとされるからである。

  • Über den Beweis des transzendentalen Idealismus bei Husserl – aus den Texten Nr. 5 - Nr. 7 in Husserliana XXXVI –

    長坂真澄

    Horizon-Studies in Phenomenology   1 ( 2 ) pp. 64 - 83  2012年12月  [査読有り]

     概要を見る

    本論考は、フッサールの1913年から1915年の講義録に現れる「超越論的観念論の証明」に依拠し、フッサールがカントから借用しつつ独自に展開する統整的理念の概念、「カント的意味における理念」と、無矛盾律との相互依存関係を示すことを目的とする。その際、我々の考察の手がかりとなるのは、「現実性」から完全に自由な「単に理念的な可能性」と、「現実性」にある程度拘束された「実在的可能性」の、フッサールによる区別である。

  • 不可能性の可能性――デリダのフッサール読解から浮かび上がる信の概念――

    長坂真澄

    フランス哲学・思想研究   ( N° 17 ) pp. 161 - 169  2012年09月  [査読有り]

     概要を見る

    本論考は、デリダ後期哲学において浮上する「信」の概念の形成過程を、デリダ初期のフッサール現象学読解にすでに潜在している「信」の主題の鉱脈を浮き彫りにすることにより、明るみにもたらすことを目的とするものである。デリダはフッサール哲学の最初期から最後期までの諸著作を、いかにして実在性の只中から理念性が発生するかという問題を軸として読解する。この発生はアポリアとして捉えられ、アポリアにおける信が要請されることになる。

  • Die Unmöglichkeit, die in der Möglichkeit wohnt – in den Grenzen des „Verendens“, des „Ablebens“ und des „Sterbens“ : Lektüre der Derrida’schen Lektüre Heideggers

    長坂真澄

    Interpretationes - Acta Universitatis Carolinae : Studia Philosophica Europeanea   Vol. 1 ( No. 2 ) pp. 57 - 70  2012年05月  [査読有り]

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    「不可能なものが可能なもののただ中に宿っているのでなければならない」――本論考は、著作『アポリア』におけるデリダのこうした構想を、彼のハイデガー再読を通して明らかにするものである。本再読でデリダは、ハイデガーが「不可能性の可能性」と形容する「死への存在」を再考察する。この定式は、差し当たり「実存的不可能性の実存論的可能性」として理解できるが、デリダはこれを「不可能性としての可能性」と再解釈し、このアポリアをめぐる考察を展開する。

  • デリダによる超越論的病理論――カント、フッサールを導きの糸とする「来るべきデモクラシー」考

    長坂真澄

    表象   Vol. 6 ( 6 ) pp. 125 - 139  2012年03月  [査読有り]

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    本論考は、デリダの『ならず者たち』後半に収録された論考に依拠し、デリダの「デモクラシー」をめぐる問いを、カント、フッサールにおける超越論的仮象の問題から、考察しようとするものである。カントは理性に内的な病としての超越論的仮象と戦い、フッサールは自然主義、客観主義という仮象と戦った。それに対し、我々が示すことを試みるのは、デリダが論じる「来るべきデモクラシー」が、ただ単に超越論的仮象に対置させられるのではなく、むしろ「あたかも超越論的錯覚であるようなもの」であるということである。

    CiNii

  • レヴィナスにおける主体の脱領域化――カントを背景に

    長坂真澄

    宗教哲学研究   Vol. 29 ( 29 ) pp. 70 - 83  2012年03月  [査読有り]

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    本論考は、レヴィナスの「メシア的テクスト」に着目し、カント由来の、理性的努力と無条件の恩寵との両立不可能性というパラドックスを通して、知の信をめぐる二つの運動を明らかにするものである。レヴィナスにおいては、一方で、宗教が理性の成熟とされるのに対し、まさに宗教をあらゆる神秘化から隔離する必要性から、他方で、宗教は主体性のあらゆる可能な知の彼方に位置づけられる。本稿は、これを知の二重化と捉えるのではなく、知の二つの運動――水平的、及び、垂直的運動と捉える。

    CiNii

  • レヴィナスの思想と懐疑論――哲学における真理基準遡行の足跡

    長坂真澄

    現代思想   Vol. 40-3   pp. 190 - 207  2012年02月  [招待有り]

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    本論考は、レヴィナスの思想発展の各段階にあらわれる懐疑論の概念を追うことで、レヴィナス哲学における真理基準遡行の足跡を辿るものである。フッサール現象学における直観に基づく真理概念、また、ハイデガーの実存論的分析論における存在の開示としての真理概念を、レヴィナスは、懐疑論を克服しえない真理概念と捉える。対して彼は、自己の絶対的外部であるような他者への応答としての、存在の彼方を証言する言語のうちに、真理概念を打ち立てる。

  • Le « surplus » - de la corporéité au langage de l’éthique dans l’héritage lévinassien de la phénoménologie

    長坂真澄

    Interpretationes - Acta Universitatis Carolinae : Studia Philosophica Europeanea   Vol. 1 ( No. 1 ) pp. 113 - 123  2011年02月  [査読有り]

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    本論考は、レヴィナスがいかに倫理的言語を身体から出発して捉えるかを辿るものである。レヴィナスは、現象学における全面的反省の不可能性の問題を、身体という反省の「剰余」として捉える。さらに、他者の身体は、他者の「飢え」を表現し、言語による道徳的審問と結び付けられることから、身体の問題は、倫理的言語の問題へと発展させられる。ここで、関係不可能な絶対的他者となおも関係するというパラドックスを遂行する言語は、「証言」として捉え直される。

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書籍等出版物

  • デリダのハイデガー講義を読む

    亀井大輔, 長坂真澄, 峰尾公也, 加藤恵介, 齋藤元紀, 須藤訓任( 担当: 共編者(共編著者),  担当範囲: 第5章「想像力と事実──歴史概念の新たな相貌」)

    白水社  2023年10月 ISBN: 9784560093634

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    本書は、デリダの1964-65年の講義録『ハイデガー──存在の問いと歴史』をめぐって、本書の訳者3名とハイデガー研究者3名が発表した論考を収録したものである。担当箇所(第5章「想像力と事実──歴史概念の新たな相貌」)においては、歴史とは何か、いかにして構築されるかという問題を、デリダとともに、カント、ヘーゲル、ニーチェ、フッサールの「歴史」概念を経由し、それらを背景としてハイデガーの「本来的歴史性」の概念を論じることで、考究した。そこで導きの糸となるのは、想像力と理性の関係の逆転である。

  • Levinas et Merleau-Ponty - Le corps et le monde

    Corine Pelluchon, Yotetsu Tunaki( 担当: 共著,  担当範囲: pp. 43-55 : Levinas et sa transformation du concept de l'expérience : l'inversion de la conscience comme dérangement anarchique)

    Hermann  2023年09月 ISBN: 9791037022882

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    本書は、2022年7月にフランス、Cerisy-la-Salle で行われた国際学会Levinas et Merleau-Ponty : Le corps et le monde の記録である。担当箇所(第1部第3章、「レヴィナスと経験概念の変貌:無起源の攪乱としての意識の反転」)においては、デリダ『ハイデガー』講義におけるレヴィナスの「痕跡」概念への言及を手がかりに、ヘーゲルが『精神現象学』序文で語る「意識の反転」が、ハイデガー、レヴィナスにおいていかに捉え直されるかを辿った。

  • レヴィナス読本

    ( 担当: 共編者(共編著者),  担当範囲: 第Ⅱ部 基本概念・基本事項 「神」 第Ⅲ部 著作解題 「他性と超越」 第Ⅳ部 開かれるレヴィナス 2 レヴィナスと哲学史 ②(近代))

    法政大学出版局  2022年09月 ISBN: 9784588151286

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    本書は、第二次世界大戦以降の思想界に大きな衝撃と転換をもたらしたレヴィナス哲学の入門書である。基本概念や主要著作の概説とともに、レヴィナス哲学のさまざまな思想潮流との交差、また、この哲学が哲学を超える分野にもたらした変革を描く、多数の論文を収録する。担当箇所「レヴィナスと哲学史②(近代)」においては、デカルト、スピノザ、ライプニッツの存在神学と、ヒューム、カント、シェリングによる存在神学批判という哲学史上の変遷を背景に、レヴィナス哲学が近代の哲学史の歩みをどう受け止めたか、また、そのことがレヴィナス哲学のいかなる革新性へとつながったかを提示した。

  • 個と普遍 レヴィナス哲学の新たな広がり

    ( 担当: 共編者(共編著者),  担当範囲: レヴィナスと「記憶不可能な過去」――カントおよびシェリングを経由して)

    法政大学出版局  2022年01月 ISBN: 9784588151224

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    本論考は、レヴィナスの哲学を、あらゆる可能性に先立つ現実を記述する、非存在神学的な形而上学であるような現象学として、位置づけることを目的とする。そのために本論考は、レヴィナスが語る「記憶不可能なほどに古い過去」という概念に着目し、シェリングの語る「超越論的過去」との、近さと遠さとを見定める。というのも、シェリングこそ、神という概念に先行する「思考以前の存在」、あらゆる可能性に先立つ現実を記述し、存在神学批判をしつつも神を語った哲学者だからである。この課題のため、我々は、カントによる存在神学批判を第一に採り上げた後、第二に、シェリングがこの批判をいかに発展させたかを確認する。第三に、我々は、レヴィナスにおける神の実在証明をめぐる議論に着目し、いかなる意味で彼が存在神学を克服しているかを確認する。

  • ハイデガー事典

    ハイデガー・フォーラム( 担当: 分担執筆,  担当範囲: 現象学の神学的転回と存在-神-学)

    昭和堂  2021年06月 ISBN: 9784812220078

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    本項目は、ジャニコーの『フランス現象学の神学的転回』に端を発する、現代のフランス現象学に対して提起された問題、すなわち、現象学は存在‐神‐学を克服すると僭称しつつ秘密裡に存在‐神‐学を再導入しているのではないかという疑義に対して、現代の現象学がいかなる回答を試みているかを概説するものである。そのために本項目では、まず、ハイデガーにおいて存在‐神‐学とは何であったか、またそれはカントが克服しようとした存在神学といかなる形で重なりあうものであるのかを確認した上で、現代の現象学が、シェリングにおける存在神学批判のあり方を継承しつつ、シェリング的転回とも形容できる形而上学的転回を行っているとのテンゲリの見方を紹介する。

  • ハイデガー : 存在の問いと歴史

    亀井, 大輔, 加藤, 恵介, 長坂, 真澄( 担当: 共訳,  担当範囲: 第7回、第8回、第9回)

    白水社  2020年05月 ISBN: 9784560098042

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    本書は、デリダが高等師範学校ユルム校で1964年から1965年に行なった、全9回の連続講義の原稿の日本語訳である。本講義において、デリダは、ハイデガーの『存在と時間』を原文から翻訳しつつ、読解する。彼は、『存在と時間』第一部第三篇以降が未刊となった背景を、歴史の発生という現象の捉え難さのうちに見据える。歴史の生起を記述しようとするまさにそのときに、ハイデガーは「息切れ」にいたるとデリダは分析する。その「息切れ」の箇所、第一部第二編第五章・第六章で、ハイデガーが提起する歴史と時間性をめぐる問いを、デリダは、ハイデガーの同時代の著作や後期著作の問いと呼応させつつ、浮き彫りにする。

  • マルク・リシール現象学入門 : サシャ・カールソンとの対話から

    澤田, 哲生( 担当: 共訳,  担当範囲: 第I部III、第II部II)

    ナカニシヤ出版  2020年02月 ISBN: 9784779514272

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    本書は、2015年に逝去した現代のフランス語圏の現象学の巨人、マルク・リシールが最晩年に行った、彼の弟子サシャ・カールソンとの対話の日本語訳である。その独自の概念群や晦渋さが、しばしば読解を困難にしている彼の著作の一つ一つについて、彼の著作に慣れ親しんできた読者カールソンがさまざまな疑問をぶつけ、その問いかけに答える形で、リシール自身が口頭でわかりやすく解説を行っている。リシールのごく初期から成熟期にいたる思索の歩みが、若き日のデリダからの影響、ハイデガーへの関心、その後のフィヒテへの傾倒、カントへの回帰とフッサールの再発見といった過程を経つつ見渡せる内容となっている。数学、物理学、神話学、芸術をも巻き込んだ壮大な現象学の全容が、それについて語る対話を通して、読者へと開かれる。

  • 宗教事象事典 / Dictionnaire des faits religieux

    長坂真澄( 担当: 共訳,  担当範囲: 多元主義 (Pluralisme))

    みすず書房  2019年05月 ISBN: 9784622087984

     概要を見る

    R・アズリア、D・エルヴュー=レジェ編
    増田一夫 伊達聖伸 鶴岡賀雄 杉村靖彦 長井伸仁 編訳

    本事典は、さまざまな宗教現象を、単に事実として観察し記述するだけではなく、その歴史的背景の分析や解決すべき課題の考察を含め論究する、論述的性格をもつ諸項目が集約されたものなっている。項目「多元主義」においては、哲学的、神学的な文脈に発する理論的観点のみならず、社会的、政治的な事象を巻き込む実践的側面から、様々な国家や地域における多元主義の可能性が、歴史的な諸々の実例を踏まえて総観され、論じられている。インドにおけるヒンドゥ教とイスラム教の共存、ユダヤ教からその排他的性格をとりはらうキリスト教の誕生、ローマ・カトリック教会の覇権と東方キリスト教会との分離を経る欧州における変遷とフランスにおいて確立される政教分離、英国からの独立をかちとるアメリカにおける信教の自由の保障など、様々な事例の分析を経て、多元主義の確立のためには国家を超えた国際的な取り組みが必要であることが提唱される。

  • ベルクソン ジャンケレヴィッチ レヴィナス / Bergson Jankélévitch Levinas

    Flora Bastiani( 担当: 共著,  担当範囲: 垂直性――ベルクソンとレヴィナスにおける二種の多様性 / Verticalité – Deux espèces de multiplicité chez Bergson et Levinas)

    Éditions Manucius  2017年01月

     概要を見る

    担当部分:「垂直性――ベルクソンとレヴィナスにおける二種の多様性」
    本論考は、ベルクソンとレヴィナスにおける量的多様性と質的多様性について探究するものである。ベルクソンにおいては、質的多様性は「持続」の連続的多様性において見いだされるのに対し、レヴィナスにおいては、それは「隔時性」という非連続的多様性において見いだされる。さらに、レヴィナスの「隔時性」概念は、ベルクソンの「持続」に対して、断絶を含む継承を示している。本論考はそれを、ベルクソンにおいて偽概念とされる虚無、可能なもの、秩序に対するレヴィナスの論究を辿りつつ明らかにする。本論考はさらに、両者が用いる「痕跡」概念に着目する。 ベルクソンにおいて、「痕跡」の概念は、空間においては互いに不可侵入的な記憶と現在とを、不可逆性を保ちながらも互いに侵食させ、共存させる。レヴィナスにおいて、「痕跡」の概念は、相矛盾する開示と隠蔽とを、より高次の次元において共存させる。このような次元の高次化を、我々は垂直なものの到来として提示する。

  • 終わりなきデリダ――ハイデガー、サルトル、レヴィナスとの対話

    齋藤元紀, 澤田直, 渡名喜庸哲, 西山雄二編( 担当: 分担執筆,  担当範囲: 「デリダとハイデガー、サルトル、レヴィナス」に関する文献案内)

    法政大学出版局  2016年11月 ISBN: 9784588150814

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    本書は、いまだ汲み尽されることのない豊穣なデリダ思想の多面的な可能性を、ハイデガー、サルトル、レヴィナスとの関わりを切り口に論じる論文集である。担当部分においては、レヴィナス哲学を論じるデリダの六つの論考を採り上げ、これらを読解するための手引きとして、それぞれの論考における着目すべき論点を概説した。デリダの重要なレヴィナス論、「今まさにこのときこの作品において我ここに」、『アデュー――エマニュエル・レヴィナスへ』、『触覚、ジャン=リュック・ナンシーに触れる』第4章、「触れえないもの、あるいは禁欲の誓い」、「隠喩の退引」の解題を含む。

  • リクール読本

    鹿島徹, 越門勝彦, 川口茂雄編( 担当: 共著,  担当範囲: 第II部第11章(113-121) リクールとフッサール──独断的形而上学の超克をめぐって)

    法政大学出版局  2016年07月

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    本章は、『現象学に学ぶ』に収録された、主として1950年代前半の諸論文をもとに、リクールとフッサール現象学との関係を考察するものである。まず第一節にて、フッサールがカントによる独断的形而上学批判を徹底化することを課題としたことを解説する。次に、第二節にて、リクール自身は、カントではなくむしろフッサールこそが独断的形而上学に陥っていると考えることを明らかにする。最後に第三節にて、リクールが、フッサールのうちにも、カントに比されうる独断的形而上学超克の兆候を見出すことを確認する。

  • Rencontrer l'imprévisible - À la croisée des phénoménologies contemporaines

    Flora Bastiani, e, Svetlana Sholokhova( 担当: 共著,  担当範囲: « Il » de l’Illéité / « il » de l’il y a : La philosophie de Levinas et le scepticisme)

    Le Cercle herméneutique  2013年04月

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    本書は、フランスの現象学を形成した哲学者たち、とりわけ、E・レヴィナス、M・アンリ、H・マルディネの思考を起点に、予測不可能なものとの出会いについて考察するものである。J=C・ゴダール、J=F・レイ、J=M・サランスキをはじめとする、フランス、チェコ、ルクセンブルク、グルジア、ルーマニア、ロシア、中国、日本出身の14人の現象学研究者が、他者との出会い、意味の生成、他性をめぐる体験と試練について思考をめぐらす。分担部分 第2部第5章

  • 人文学と制度

    西山雄二編( 担当: 分担執筆,  担当範囲: エラスムス・ムンドゥス)

    未来社  2013年03月

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講演・口頭発表等

  • フランスにおける『純粋理性批判』第二版に依拠するカント自己触発論解釈

    長坂真澄

    日仏哲学会  

    発表年月: 2024年03月

    開催年月:
    2024年03月
     
     

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    カントの自己触発論のフランスでの受容には、一方で、ナベールの「カントにおける内的経験」(1924)を発端とするもの、他方で、ハイデガーの『カントと形而上学の問題』(1929)を出発点とするものがある。前者が『純粋理性批判』第二版(1787)での加筆や変更を重視するのに対し、後者は、第一版(1781)の議論を重視する。本提題は、前者を後者から区別する特徴を究明する。そのため、ナベールの解釈を振り返った後、リクールの『時間と物語』III(1985)とブノワの『カントと綜合の限界』(1996)における自己触発論を辿る。

  • ブノワによるカントの自己触発論ーーレヴィナスのハイデガー批判を理解するための指標として

    長坂真澄

    ジョスラン・ブノワ氏特別セミナー/講演会   (立教大学 / ZOOM)  レヴィナス協会  

    発表年月: 2024年03月

    開催年月:
    2024年03月
     
     

     概要を見る

    本発表は、ブノワが『カントと綜合の限界―感性的主体』において展開する、ハイデガーのカント解釈に対する反論を辿ることにより、レヴィナスのハイデガー批判を理解するための指標をその議論から引き出そうとするものである。ブノワは、本書において、時間性の問題を特権視するハイデガーのカント読解に距離をとりつつ、時間と空間の相互的な入れ子構造を明らかにする。このことは、自己触発が、空間において位置づけられる、あるいは形象化される、客体(存在者)への関係の中での時間化であるという解釈の可能性を開く。

  • Approaching Derrida via a Detour through Tengelyi and Richir/テンゲリとリシールを経由することによってデリダに接近する

    長坂真澄  [招待有り]

    脱構築研究会10周年ミーティング   (早稲田大学)  脱構築研究会  

    発表年月: 2024年02月

    開催年月:
    2024年02月
     
     

     概要を見る

    本発表では、発表者のこれまでのデリダ研究の要点と、現在の研究状況を報告した。発表者は、2009年提出の修士論文、2013年提出の博士論文で、直観なき思考というカントの超越論的仮象の問題が、デリダのフッサール読解において中心的役割を果たしていることを明らかにした。その後、テンゲリやリシールが論じる、カントの超越論的理想と汎通的規定の原理の問題系を経由することにより、デリダの脱構築を、存在神学とその批判という古代中世近現代を貫く形而上学の歴史の中に位置づける研究を行っている。

  • 無への問い 丸山文隆著『ハイデッガーの超越論的な思索の研究――『存在と時間』から無の形而上学へ』に寄せて

    長坂真澄  [招待有り]

    【ハイデガー研究会特別企画】 丸山文隆著『ハイデッガーの超越論的な思索の研究――『存在と時間』から無の形而上学へ』合評会   (立正大学)  ハイデガー研究会  

    発表年月: 2023年12月

    開催年月:
    2023年12月
     
     
  • Uncaused Being: Reading Duns Scouts with Zimmermann and Boulnois

    Masumi Nagasaka

    Workshop: Phenomenology and Medieval Philosophy  

    発表年月: 2023年12月

    開催年月:
    2023年12月
     
     
  • シェリングからリシールへ――積極哲学の弁証法的運動

     [招待有り]

    シンポジウム:マルク・リシールの現象学 『マルク・リシール現象学入門 サシャ・カールソンとの対話』をめぐって   (東北大学)  東北大学教育学研究科人間形成史・人間形成論分野、科研(基盤 C, 19K00029)、東北現象学サー クル  

    発表年月: 2023年11月

    開催年月:
    2023年11月
     
     

     概要を見る

    本発表では、リシール『思考することの経験』(1996)において展開される、後期シェリング『啓示の哲学』(1841-42)附論「積極哲学の諸原理の別の演繹」の読解を辿ることにより、リシールがいかに後期シェリングの積極哲学の発想を彼の現象学の中で再解釈し、事実性の現象学の可能性を見出してゆくかを確認した。この目的のため、シェリングの演繹の第一の道、第二の道の特徴を概説した上で、いかなる意味でリシールがシェリングのこの困難な試みを、留保をつけながらも評価しているのかを論じた。

  • Reality preceding all possibilities – Comments on Mark Losoncz’s reflection on the heightened reality –

    Masumi Nagasaka  [招待有り]

    EAA Workshop “Contributions to the Phenomenology of Reality”   (Tokyo)  EAA - East Asian Academy for New Liberal Arts, the University of Tokyo  

    発表年月: 2023年10月

    開催年月:
    2023年10月
     
     
  • De l’être sans fondement – Transformation du « moteur non mû » aristotélicien en « cause efficiente » scotiste

    Masumi Nagasaka

    ASPLF  

    発表年月: 2023年08月

    開催年月:
    2023年08月
     
     

     概要を見る

    形而上学の根本=根拠の問い――なぜ何ものかがあり、何もないのではないのか――は、いかにして、第一原因自身に向けられるようになるのか。本発表は、アリストテレスの「不動の動者」がスコトゥスの「作用因」へと変容していく過程を追うことで、この問いに答えようとするものである。そのため、1)アリストテレスにおける不動の動者と作用因の区別、2)イブン・スィーナー、トマス・アクィナスにおける創造神としての作用因の導入、3)スコトゥスにおける動因の作用因への吸収と、存在の一義性の概念を確認する。

  • Transcendental Idealism and Its Criticism of Species Relativism

    Masumi Nagasaka  [招待有り]

    Qualia Structure Grant MTG  

    発表年月: 2023年06月

    開催年月:
    2023年06月
     
     
  • Beyond the Principle of Thoroughgoing Determination —Kant, Frege and Gabriel—

    Masumi Nagasaka

    マルクス・ガブリエル氏を囲むシンポジウム: Kantian Philosophy, Nature and New Realism   (早稲田大学) 

    発表年月: 2023年05月

    開催年月:
    2023年05月
     
     
  • レヴィナスの語りにおけるアリストテレス哲学 ―マイモニデスを背景に

    長坂真澄

    宗教哲学会 第 15 回学術大会   (京都大学)  宗教哲学会  

    発表年月: 2023年03月

    開催年月:
    2023年03月
     
     

     概要を見る

    レヴィナスは『神・死・時間』において、存在神学の始点をアリストテレスの「不動の動者」の概念のうちに捉え、さらに「驚き」(タウマゼイン)の概念を偶像崇拝へと関連づける。本発表は、レヴィナスのアリストテレス哲学に対するこの特異な評価について、それはどのような根拠を持つのか、またこの見方が持つ意義は何であるのかを考察する。ここで手がかりとなるのは、若き日のレヴィナスがマイモニデスの『迷える者たちのための手引き』におけるアリストテレス批判を高く評価していたことである。

  • Three constellations of metaphysics - Protology, Katholou-Protology and Katholou-Tinology: From the analyses of Boulnois and Tengelyi

    Masumi Nagasaka  [招待有り]

    Workshop: Alternative Approaches to Phenomenology and Metaphysics   (Waseda University, Tokyo) 

    発表年月: 2023年02月

    開催年月:
    2023年02月
     
     

     概要を見る

    本発表は、現象学的形而上学を提唱するテンゲリの遺作『世界と無限』第一部において論じられる形而上学の転回について、ブルノワの中世哲学史研究を手がかりに、この転回がいかなる理由で起きたのかを明らかにするものである。ブルノワは、アリストテレスを受容する中世の様々な形而上学を、プロトロジー、カトルー・プロトロジー、カトルー・ティノロジーに分類する。本発表では、カトルー・プロトロジーからカトルー・ティノロジーへの転回を、非‐存在神学的な形而上学から存在神学的な形而上学への転回として提示した。

  • 運動と身体:人工物に我々が主体性を見出す時

    長坂真澄  [招待有り]

    科学基礎論学会  

    発表年月: 2022年11月

    開催年月:
    2022年11月
     
     
  • Levinas et sa transformation du concept de l'expérience

    Masumi Nagasaka  [招待有り]

    Levinas et Merleau-Ponty : Le corps et le monde  

    発表年月: 2022年07月

    開催年月:
    2022年07月
     
     
  • 不動の動者と作用因としての神 ハイデガーの技術論のデリダによる読解から

    長坂真澄

    京都ユダヤ思想学会  

    発表年月: 2022年06月

    開催年月:
    2022年06月
     
     
  • Que peut faire la pensée ? – à partir de la lecture derridienne de Heidegger dans son cours "Théorie et pratique" conduit en 1975-1976

    Masumi Nagasaka

    Derrida Today  

    発表年月: 2022年06月

  • Le retournement de la conscience - Hegel et Heidegger lus par Derrida en 1965

    Masumi Nagasaka  [招待有り]

    発表年月: 2022年05月

  • 想像力と事実 ――歴史概念の新たな相貌――

    長坂真澄  [招待有り]

    ワークショップ「デリダのハイデガー講義を読む」  

    発表年月: 2021年08月

    開催年月:
    2021年08月
     
     

     概要を見る

    本発表は、デリダの講義原稿『ハイデガー:存在の問いと歴史』を手がかりに、ハイデガー『存在と時間』において展開される歴史の概念を、カント、へーゲル、ニーチェ、フッサールにおける歴史概念の変遷を背景に、明らかにしようとするものである。ハイデガーは歴史性を時間性に根ざすものとして捉えることを要請するが、この要請は、超越論哲学が構想した歴史概念を背景にしてこそ理解できるものとなる。〈理念としての歴史〉から〈想像される歴史〉への転換は、超越論的想像力に依拠することにより、本来的な歴史性への道を確保する。

  • 普遍的歴史の理念とアペイロン(無限定的なもの)としての個 ――数学的命題の発生を導きの糸とするフッサールの歴史論――

    長坂真澄  [招待有り]

    早稲田超域哲学研究会  

    発表年月: 2021年08月

    開催年月:
    2021年08月
     
     

     概要を見る

    本発表は、フッサール「幾何学の起源」において展開される「普遍的な歴史」の理念がいかなるものであるかを提示した上で、歴史に普遍的なア・プリオリを求めることに、いかなる妥当性があるのかを、論じるものである。この目的のため、本発表は、この歴史の理念を、普遍的に妥当する数学的命題の発生の歴史の可能的構造として、明らかにする。その上で、歴史という綜合の働きに先んずるアペイロンが、それ自体としては理解不可能であること、終極の設定(Endstiftung)によってこそ、歴史が可能になることを論じる。

  • En-deçà de l’idée platonicienne de "participation" : L’empirisme du dernier Schelling à partir de sa lecture d’Aristote

    Masumi Nagasaka

    La Participation : de l'ontologie aux réseaux sociaux, Congrès ASPLF (Association des sociétés de philosophie de langue française), en ligne  

    発表年月: 2021年05月

    開催年月:
    2021年04月
    -
    2021年06月

     概要を見る

    本発表は、シェリング『啓示の哲学』序論におけるアリストテレス読解を提示した上で、そこからいかにシェリングの形而上学的経験論が構想されるにいたるかを提示するものである。シェリングは、プラトンのメテクシス(分有)概念に対するアリストテレスの批判を評価する。シェリングは、アリストテレスの「純粋形相」としての「不動の動者」は目的因であるとし、ここに、存在神学に陥らない形而上学を見いだす。同時に、シェリングは、目的因としての神には満足せず、規定可能なものの経験に先行する、盲目的存在の経験を語ろうとする。

  • レヴィナスと経験論

    長坂真澄

    レヴィナス協会  

    発表年月: 2020年09月

     概要を見る

    本提題は、レヴィナスの語る、他なるものの「経験」を、フッサールの経験論反駁と両立しうる「形而上学的経験」として提示することを試みるものである。この目的のため、本提題は、後期シェリングの形而上学的経験論が、いかなる意味において、カントの経験論反駁と両立するものであるかを示した上で、これと同型の議論を、レヴィナスの「可傷性」概念が可能にすることを明らかにする。かくして、レヴィナスによる、反省の反省されるものに対する遅れについての言説を、経験論へと遡行することなく解釈する道が開かれる。

  • 宮﨑裕助『ジャック・デリダ 死後の生を与える』合評会

    長坂真澄  [招待有り]

    脱構築研究会  

    発表年月: 2020年06月

  • Levinas et le « passé immémorial » – Une étude par le biais de Kant et du dernier Schelling –

    長坂真澄

    Colloque international: Le singulier et l’universel. Levinas et la pensée de l’Extrême-Orient   (京都大学) 

    発表年月: 2019年12月

     概要を見る

    フランスにおける現代現象学は、概念という可能性から実在する物という現実性を導入するのではなく、むしろそれを反転させていると考えられる。実際、リシール現象学においては、カントにおけるあらゆる可能性に先行する現実性という構想、シェリングにおける「思考以前の(記憶不可能なほど古い)存在」という概念が採り入れられている。本発表は、こうした背景から、レヴィナスにおいても、あらゆる可能性に先行する現実性が記述されていると考えられるということを、「記憶不可能な過去」における触発の概念から示す。

  • 超越論的観念論を継承する現象学における事実性と偶然性――テンゲリを手引きとする非‐存在神学的な形而上学の輪郭化の試み――

    長坂真澄

    日本哲学会  

    発表年月: 2019年05月

     概要を見る

    本提題は、現代の現象学においてカントおよびシェリングの思想が果たした役割を明らかにすることにより、あらゆる可能性に対して先行する現実性について、独断的形而上学とは異なる仕方で語ろうとする、現象学の輪郭を浮かび上がらせることを目的とする。この目的のため、本提題はまず、カントにおける、あらゆる可能性に先行する現実性をめぐる議論を確認し、次に、シェリングがこれをいかに継承しているかを観察する。最後に、この議論がリシールにおいて、形相に先行する偶然的事実の現象学へと展開されることを確認する。

  • 非‐存在神学的現象学のための素描 ――神学的転回とは異なる仕方でフランス語圏の現象学を考える――

    長坂真澄

    宗教哲学会   (龍谷大学) 

    発表年月: 2019年03月

     概要を見る

    フランス現象学が神学に転回しているとのジャニコーの指摘を受け、テンゲリは、フランスにおける新しい現象学を、非‐存在神学的な現象学として提示する。本発表はこの議論を踏まえ、以下を提示する。まず、存在神学とは何かを、ハイデガーからカントに立ち返って論じた後、シェリングの議論に基づき、現代のフランス哲学における存在神学の境界画定に対する説明を試みる。次に、テンゲリがシェリングの議論と共通する論法を用いることにより、フランスにおける現象学を、非‐存在神学的な現象学として提示していることを論じる。

  • 想像力と理性―カントとフッサールを突き合わせるデリダ

    長坂真澄  [招待有り]

    (同志社大学) 

    発表年月: 2019年03月

     概要を見る

    現象学に、デリダは何をもたらしたか――本発表はこの問いに対し、可能な答えの一つを提示するものである。デリダは、フッサール現象学をカント哲学と突き合せつつ吟味する。ここに、想像力と理性についての考察が姿を現すことになる。この突き合せにより、ア・プリオリな総合を、直観において与えられているものと考えることが可能になる。ここで、理性理念も直観の対象としてよいのかという問題が生まれる。デリダはしかし、カント『判断力批判』の美と崇高の分析論のうちに、認識論ではない現象学を読み取る可能性を示唆する。

  • 算術の論理学的基礎付けに対する現象学からの考察

    長坂真澄

    科学基礎論学会  

    発表年月: 2018年11月

     概要を見る

    本発表は、マルク・リシールの「遺伝と数」及び『現象学的研究』第IV研究に着目し、算術を論理学的に基礎付けるかつてのフレーゲ、デデキントの試みのうちに、カントの言う意味での量の超越論的図式を見出すリシールの考察を論じるものである。リシールによれば、フレーゲ、デデキントの両者は、第一に、無限集合における要素の網羅的規定の可能性、第二に、無限集合の実在を前提としている。他方で彼は、両者の「遺伝」や「鎖」といった概念のうちに、超越論的図式機能の運動それ自体を見出す。

  • 信と知を媒介するもの――類推の図式論をめぐる考察

    長坂真澄  [招待有り]

    土井道子記念京都哲学基金シンポジウム  

    発表年月: 2018年09月

     概要を見る

    本発表は、今日における信と知のかかわりから惹起されうる暴力について、デリダのカント読解およびフッサール読解を足掛かりに、考察するものである。この考察において本発表が導きの糸とするのは、カントの「類推の図式論」という概念である。本発表は、次の行程を辿る。まず第1節にて、類推の図式論が知を信へと媒介していることを論じる。次に第2節において、現代科学における超越論的仮象とは何かを考察する。最後に第3節において、現代科学の理念化と結託した宗教が持ちうる「根元悪」について考察する。

  • 串田純一著『ハイデガーと生き物の問題』への問い

    長坂真澄  [招待有り]

    表象文化論学会  

    発表年月: 2018年07月

  • Témoignage de l’infini et jugement sur le sublime – approche de Levinas à la lumière de Descartes et de Kant

    長坂真澄

    De Dieu qui vient à l’idée : de l’altérité à l’illéité A la mémoire de Thomas « Choplair » Gutleben  

    発表年月: 2018年07月

  • 構想される無限とその痕跡――カント『判断力批判』のデリダによる読解から

    長坂真澄

    京都ユダヤ思想学会  

    発表年月: 2018年06月

     概要を見る

    過去の口頭発表 "La trace, au croisement de l’imagination et l’infini – Derrida, lecteur de la Critique de la faculté de juger de Kant" を下敷きに、日本語にて考察したもの。

  • La trace, au croisement de l’imagination et l’infini – Derrida, lecteur de la Critique de la faculté de juger de Kant

    長坂真澄

    6th Derrida Today Conference  

    発表年月: 2018年05月

     概要を見る

    本発表は、『絵画における真理』に展開される、カント『判断力批判』のデリダによる読解を足掛かりに、現前なき触発としての現象についての現象学の可能性を模索するものである。その際、我々が着目するのは、カントの美の分析論における直感的反省的判断を、デリダが自己触発かつ異他触発と捉えていること、また、同分析論の「痕跡」概念を、デリダが崇高の分析論へと接続していること、さらに、デリダがこの崇高論を、アンセルムスにおける神の存在証明における議論と比較していることである。

  • Imagination – est-elle la racine commune de la sensibilité et de l’entendement ? Une lecture croisée de Kant et le problème de la métaphysique et de la Critique de la faculté de juger

    長坂真澄

    XXXVII ème Congrès de l’ASPLF (Association des Sociétés de Philosophie de Langue Française)   (Rio de Janeiro) 

    発表年月: 2018年03月

     概要を見る

    過去の口頭発表「感性と悟性の共通の根――ハイデガー『カントと形而上学の問題』とカント『判断力批判』の交差点」を下敷きに、フランス語にて考察したもの。

  • 構想力と無限――フランス語圏の現象学におけるカント哲学の現象学的再構築

    長坂真澄  [招待有り]

    上智大学哲学会 第87回大会  

    発表年月: 2017年10月

     概要を見る

    本提題は、現代のフランス語圏の現象学を、カント哲学の現象学的再構築として捉えるものである。その見取り図の起点は、カント『純粋理性批判』が持つ二つの大きな課題、すなわちヒュームの懐疑論の克服と、デカルト的存在神学の反駁にある。前者の課題は、ア・プリオリな能力としての構想力という問題系に、後者の課題は無限の問題系に対応する。フッサール、ハイデガーの現象学において大きな変革をこうむるこれらの主題を、フランス語圏の現象学は、カント『判断力批判』の再読解から新たに捉え直す。

  • 感性と悟性の共通の根――ハイデガー『カントと形而上学の問題』とカント『判断力批判』の交差点

    長坂真澄

    (京都大学)  Heidegger-Forum in Japan  

    発表年月: 2017年09月

     概要を見る

    本発表の目的は、ハイデガーの『カントと形而上学の問題』が示した、超越論的構想力を感性と悟性の隠された共通の根とする読解を、『純粋理性批判』とではなく、むしろ『判断力批判』と対照させて再考察することによって、この解釈が持ちうる新たな可能性を探究することにある。この目的のため、本発表は、『判断力批判』におけるア・プリオリな綜合判断としての直感的反省的判断における構想力の働きと、それがなす「概念なき図式化」に着目する。

  • 『信と知』

    長坂真澄  [招待有り]

    シンポジウム「デリダと宗教的なもの」   (慶応義塾大学)  脱構築研究会  

    発表年月: 2017年07月

     概要を見る

    本発表は、デリダ「信と知――たんなる理性の限界における「宗教」の二源泉」の日本語訳発刊を機縁に、この書をカント『単なる理性の限界内における宗教』を背景に、紹介したものである。発表者はカントが語る「根元悪」と「類推の図式論」であるキリストの形象に着目し、それがいかに宗教と遠隔-科学技術的理性を結託させる自己-免疫性という、デリダの語る「根元悪」へと発展するかを考察、提示することを試みた。

  • Le beau et le schématisme transcendantal – à partir de la lecture richirienne de la Critique de la faculté de juger

    長坂真澄

    XXXVI ème Congrès de l’ASPLF (Association des Sociétés de Philosophie de Langue Française)   (Iași) 

    発表年月: 2016年08月

     概要を見る

    本発表は、リシールによるカントの超越論的図式論の刷新を検討するものである。論考「思考の現象学的起源」(1980)において、リシールは、『判断力批判』における「図式化」に着目し、『純粋理性批判』の図式論では明らかではなかった思考の起源が示されていると考える。『純粋理性批判』において、図式は概念の感性化を可能にするが、『判断力批判』では、反省的直感的判断において「概念なき図式化」が起こる。そこでは、判断すなわち「思考」と、美を「感じること」との区別不可能性という形で、思考の起源が語られるのである。

  • 無限のアンティノミー:リシールのカントール読解を考察する

    長坂真澄

    日仏哲学会   (京都)  日仏哲学会  

    発表年月: 2016年03月

     概要を見る

    本発表は、リシールの論考「カントール集合論における超越論的錯覚」(1986)での錯綜した議論を論証づけることを目的とする。そのため、第一に、この論考を理解する上で重要となる、カントールの対角線論法と、これを応用するリシャールのパラドクスを概説する。第二に、リシールのカントール批判を、リシャールの議論の応用として提示する。第三に、リシールのゲーデル不完全性定理への言及を手がかりに、カントに立脚するリシールのカントール批判が、現代に持ちうる意味を考察する。

  • Penser avec Levinas une forme possible de critique du pouvoir politique

    長坂真澄

    Journée d’études « Mises en pratique de la pensée d’Emmanuel Levinas »  

    発表年月: 2015年12月

     概要を見る

    本発表は、レヴィナスのタルムード読解におけるデモクラシーについての言及に着目し、権力に別の権力を対峙させるのではない形で、権力を批判することはいかに可能かを考察するものである。この目的のため、本発表は、ドストエフスキー『罪と罰』におけるラスコーリニコフとソーニャを、それぞれ、権力に対して別の権力を対峙させて立ち向かおうとする者と、権力に対していかなる力をも捨てることで立ち向かう者として分析した。

  • 超限と無限:カントールを経由するテンゲィのフッサール論

    長坂真澄

    日本現象学会  

    発表年月: 2015年11月

     概要を見る

    フッサールは無限の統一体の直観を語る。それは、超越論的理想の認識を標榜することではないのか。テンゲィはこの問いに、フッサールが馴れ親しんでいたと推測される、カントール超限集合論を経由することで応えようとする。カントールは従来の無限の議論を、規定可能な超限から考察する。テンゲィが示そうとするのは以下のことである。超限集合において各要素の網羅的規定を前提するカントールに対し、フッサールの「開かれた無限」の直観は、要素の網羅的規定を前提せず、それゆえ超越論的理想の措定を前提しない。

  • Primat donné à la dialectique transcendantale sur l’esthétique transcendantale – Emmanuel Levinas contre Kant et le problème de la métaphysique

    長坂真澄

    Colloque international de Philosophie : Représentation et Altérité - Esthétique et Epistémologie à partir d’Emmanuel Levinas  

    発表年月: 2015年07月

     概要を見る

    本発表では、ハイデガー『カントと形而上学の問題』のレヴィナスによる読解を辿ることで、以下のことを明らかにした。ハイデガーはこの書において、純粋直観と純粋概念の綜合をおこなう超越論的構想力の役割を肥大化させる。超越論的感性論は超越論的構想力を根源として書き換えられ、さらにその超越論的感性論に、超越論的弁証論が扱う問題さえもが還元される。レヴィナスはそれに対して、超越論的弁証論の重要性を強調する。

  • 存在と存在者の彼方――デリダのハイデガー『カントと形而上学の問題』読解より――

    長坂真澄

    日仏哲学会  

    発表年月: 2015年03月

     概要を見る

    本発表では、「ウーシアとグラメー」等に散在する、デリダのハイデガー『カントと形而上学の問題』(カント書)読解を検討することで、カント書が、デリダの差延概念に何をもたらしたのかを考察した。一方で、デリダはカント書の「自己触発」概念から、差延概念を展開させる。他方で、カント書のカント哲学自体からの乖離は、デリダ自身のハイデガーに対する距離、つまり、デリダの差延概念の独自性につながっていると考えられる。

  • Worin unterscheidet sich die phänomenologische Metaphysik von der ontotheologischen Metaphysik? -- László Tengelyis Entwurf auf den Spuren Marc Richirs

    長坂真澄

    Journées d‘hommage à László Tengelyi – Tagung László Tengelyi zu Ehren   (Charles University in Prague)  Charles University in Prague, Faculty of Humanities – Erasmus Master Mundus EuroPhilosophie  

    発表年月: 2015年02月

     概要を見る

    L・テンゲィは、現実を可能性からの移行として捉える存在神学的形而上学に対し、いかなる可能性にも先行されない現実を語る、現象学的形而上学を対置する。この主張を考察するために、本発表では、M・リシールのフッサール読解とテンゲィのフッサール読解を対置した。リシールはフッサール『間主観性の現象学』のうちに存在神学的形而上学を見るが、テンゲィは同じテクストのうちに、現象学的形而上学を捉える。

  • なぜ「存在」の語に抹消線は引かれなければならなかったのか ――哲学の哲学による自己批判としてハイデガーの思索を読む:デリダの『ハイデガー』講義(1964-65年)より

    長坂真澄

    日本現象学会  

    発表年月: 2014年11月

     概要を見る

    本発表では、デリダの1964-65年講義原稿『ハイデガー:存在の問いと歴史(学)/物語』に依拠し、デリダがハイデガーの『存在と時間』を、ハイデガー後期著作から遡行的に読解することで、形而上学の解体、つまり、脱‐物語、脱‐隠喩という差延の運動として捉えていたことを示した。その上で、この運動が、デリダの「差延」概念へとつながると考えられることを提示した。

  • デリダと存在神学

    長坂真澄

    (早稲田大学)  脱構築研究会  

    発表年月: 2014年11月

     概要を見る

    デリダ哲学において、形而上学はしばしば存在‐神学と形容され、超克の対象とされてきた。本発表では、そもそも「存在神学」批判の創始者であるカント、それを独特な形で継承するハイデガー、また、存在神学批判をめぐって展開されるレヴィナスとデリダの議論を経由することで、デリダの存在‐神学批判とは何であるのか、それはいかなる形をとるのか、その先に見えてくるものは何なのかを明らかにすることを試みた。

  • Face à l’ontothéologie – Kant, Heidegger et Levinas

    長坂真澄

    Journées d'études - LIRE HEIDEGGER Réflexions sur les lectures de Heidegger dans la philosophie française contemporaine   (Toulouse) 

    発表年月: 2014年10月

     概要を見る

    本発表では、存在神学の超克をめぐる哲学の歩みを、カント、ハイデガー、レヴィナスに依拠して浮き彫りにすることを試みた。カントは『純粋理性批判』超越論的弁証論において、存在神学の誤謬をつく。ハイデガーは、独自の立場から、カントの存在神学批判を継承するが、そのあり方はカントから大きく乖離する。レヴィナスは、ハイデガーの存在神学批判が、かえってカントのいう意味での存在神学へと陥る危険を持つと指摘する。

  • Derrida et la notion de l’« im-possible » – dans la continuité de Chestov et de Levinas

    長坂真澄

    Le XXXVe Congrès de l'ASPLF   (ラバト)  ASPLF (Association des Sociétés philosophiques de langue française)  

    発表年月: 2014年08月

     概要を見る

    本発表では、デリダの「不‐可能なもの」の概念を、シェストフ、レヴィナスを経由することで明確化することを試みた。その際、「不可能なものの可能化」の二つのあり方を、水平的運動と垂直的運動と区別した上で、さらに後者を、懐疑論的言説あるいは相対的自己批判が行う「箱入れ(emboîtement)」型の運動と、絶対的自己批判が行う「箱出し(déboîtement)」型との運動とに区別し、両者の重なりを論じた。

  • Verwandlung des Verhältnisses zwischen der Möglichkeit und der Wirklichkeit - Tengelyis Skizze der Grundtendenz der neuen Phänomenologie in Frankreich

    長坂真澄  [招待有り]

    Unterwegs zu einer phänomenologischen Metaphysik – Festtagung für László Tengelyi zum 60. Geburtstag   (ヴッパータール大学) 

    発表年月: 2014年07月

     概要を見る

    L・テンゲィは、現代フランス現象学の特徴を、可能性と現実性の関係の転倒のうちに見る。彼はその代表的な例が、M・リシールの現象学であるとする。リシールは、カントの超越論的理想批判を継承するが、テンゲィはこの批判のうちに、可能性と現実性の関係の転倒を見出す。本発表では、リシールをテンゲイとは独立に読解することで、テンゲィのテーゼを論証することを試みた。

  • L’impossibilité double - ontologique et méta-ontologique - comme condition de la réalité effective : Mariage de Descartes et Kant dans Autrement qu’être ou au-delà de l’essence

    長坂真澄

    SIREL (Société Internationale de Recherche Emmanuel Levinas)  

    発表年月: 2014年07月

     概要を見る

    レヴィナスにおいて、「自己批判」は「不可能なもの」を露わにするが、その「不可能性」こそが「現実」の条件となる。この「自己批判」概念は、『全体性と無限』から『存在するとは別の仕方で、あるいは存在の彼方』にいたる行程において、一方では連続性を、他方では非連続性を持って発展する。本発表では、この連続性と非連続性を、レヴィナスにおける、デカルトとカントの宥和の試みの道のりとして提示した。

  • Derrida et la problématique de la négation

    長坂真澄

    Journées de recherches en phénoménologies   (Louvain-la-Neuve)  Fonds Michel Henry  

    発表年月: 2014年03月

     概要を見る

    本発表では、デリダのフッサール読解を通して、デリダのフッサールからの分岐点となる「否定」の問題を採り上げた。発表者は、デリダの『フッサール哲学における発生の問題』等のテクストに依拠しつつ、以下の三つの問題を考察した。第一に、何らかの存在者の不在として捉えられるゼロの問題、第二に、具体的な知覚の不可能性において捉えられる無限の問題、第三に、否定判断の前‐述定的根源としての知覚経験をめぐる問題である。

  • アポリアの始まり――若きデリダのフッサール『算術の哲学』読解

    長坂真澄

    日本現象学会   (名古屋大学) 

    発表年月: 2013年11月

     概要を見る

    本発表では、デリダ『フッサール哲学における発生の問題』における、フッサール『算術の哲学』の読解を辿ることにより、以下の三点を示した。第一に、デリダ哲学の出発点に、発生のアポリアの問題があること、第二に、デリダがフッサールをカントの批判的継承者として捉えること、第三に、発生のアポリアを、デリダがフレーゲから受け継いで発展させることである。それは、直観の不可能性というアポリアとして主題化される。

  • La différance entre le "Denken" et le "Dichten" - A partir de la lecture derridienne de Heidegger

    長坂真澄

    Journée doctorale - Présentation des sujets de thèse  

    発表年月: 2013年04月

     概要を見る

    過去の口頭発表「思索と詩作の間―デリダのハイデガー読解より」を下敷きに、フランス語にて考察したもの。

  • 知の不可能性において語ること―ジャック・デリダ『声と現象』 再読

    長坂真澄

    日仏哲学会  

    発表年月: 2013年03月

     概要を見る

    過去の口頭発表“Relire Derrida, La voix et le phénomène – sous le fil conducteur de l’« Idée au sens kantien » (Wiederlektüre von Derridas Die Stimme und das Phänomen – unter dem Leitmotiv der “Idee im Kantischen Sinne”)” を下敷きに、日本語にて考察したもの。

  • 思索と詩作の間 ―デリダのハイデガー読解より

    長坂真澄

    宗教哲学会   (京都大学) 

    発表年月: 2013年03月

     概要を見る

    本発表では、デリダのハイデガー読解の構図を、「隠喩のルトレ」等のテクストから浮かび上がらせることを試みた。そこで問題として扱われるのは、存在と存在者の区別、またそれに依拠する、思索の語りと形而上学的言語との区別である。デリダは、「存在の家」といった、外見上は隠喩的に見えるが隠喩ではないとされるハイデガーの言い回しに着目する。そこから露わになるのは、区別が保証されえず信を要請する地点である。

  • Le rêve dans le rêve – le réveil dans l’éveil : Chestov, Levinas et Derrida autour de l’évidence apodictique husserlienne

    長坂真澄

    Le stage intensif de printemps Erasmus Mundus Europhilosophie   (Paris)  Amical (EuroPhilosophie)  

    発表年月: 2013年02月

     概要を見る

    本発表では、シェストフからレヴィナス、デリダへと至る思索の系譜を、フッサールの必当然的明証性の概念に対する彼らそれぞれの異議申し立てを軸に辿った。シェストフは、<夢の中の夢>という「入れ子構造」における明証性について考察する。レヴィナスは、この形象の逆転である、<目覚めの中における目覚め>を、明証性の絶え間ない批判として考察する。さらにデリダは、明証性の批判と自らの脱構築の試みを重ね合わせる。

  • Levinas et la possibilité du discours sceptique – dans le sillage de la critique chestovienne de Husserl

    長坂真澄  [招待有り]

    Lectures lévinassiennes : Une autre voie phénoménologique   (Paris)  Les Archives Husserl/ENS, Le département de philosophie de l’Ecole Normale Supérieure de Paris et le Collège des études juives et de philosophie contemporaine de l’Université Paris IV Sorbonne/Centre Emmanuel Levinas  

    発表年月: 2012年12月

     概要を見る

    本発表では、L・シェストフが「メメント・モリ」、「真理とは何か」において展開する懐疑論をめぐる議論を背景に、レヴィナスにおいて懐疑論的言説の可能性と連動して捉えられる、存在の彼方についての言説の可能性を考察した。『フッサール現象学における直観の理論』、『全体性と無限』、『存在するとは別の仕方で、あるいは存在の彼方へ』等で現れる懐疑論の概念は、シェストフを背景にすることで、より明確に理解される。

  • Au-delà de l'ontologie dans l'ontologie

    長坂真澄

    Autrement qu’être ou au-delà de l’essence d’Emmanuel Levinas   (Paris)  Les Archives Husserl/ENS de Paris, Le Département de philosophie de l’Ecole Normale Supérieure de Paris, le Collège des études juives – Centre Emmanuel Levinas de l’Université Paris-Sorbonne  

    発表年月: 2012年12月

     概要を見る

    本発表では、『存在とは別の仕方で、あるいは存在の彼方へ』を、「存在論の中の存在論の彼方」を示す書として、つまり、「Aの中でのAの彼方」という構造を提示する書として理解することを試みた。そのために、我々は、「身代わり」概念に存する「存在論の彼方」という構造、及び、「第三者」概念に存する「存在論の中」という構造の両者を抱合する、「デモクラシー」の概念に着目した。

  • ディディエ・フランクとジャック・デリダ――両者のフッサール読解をめぐる交差と亀裂から浮かび上がる問い――

    長坂真澄

    日本現象学会   (仙台)  日本現象学会  

    発表年月: 2012年11月

     概要を見る

    過去の口頭発表“Con-tangence et archi-facticité – Jacques Derrida et Didier Franck autour d’Edmund Husserl” を下敷きに、日本語にて考察したもの。

  • Relire Derrida, La voix et le phénomène – sous le fil conducteur de l’« Idée au sens kantien » (Wiederlektüre von Derridas Die Stimme und das Phänomen – unter dem Leitmotiv der “Idee im Kantischen Sinne”)

    長坂真澄

    École d’été UFA (Université Franco-allemande) / DFH (Deutsch-Französische Hochschule)  

    発表年月: 2012年09月

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    本発表では、現前の形而上学の批判として読解されてきた、デリダ『声と現象』の新たな解釈を提示した。我々は本書を、デリダがフッサール哲学のうちに見出す三つの「還元」を軸に読み解いた。それは、指標の還元、言語の還元、直観の還元である。この三つの還元が露わにするのは、認識、思念、表現の不一致である。そこから浮かび上がるのは、認識、すなわち知の不可能性においてこそ、思念、すなわち信が表現されることである。

  • Citoyenneté comme calcul de l’incalculable

    長坂真澄

    Le XXXIVe Congrès de l'ASPLF   (Louvain-la-Neuve)  ASPLF (Association des Sociétés philosophiques de langue française)  

    発表年月: 2012年08月

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    本発表では、デリダのレヴィナス読解を軸に、市民性という概念を、「計算不可能なものの計算」の構造を持つものとして考察した。後期レヴィナスの「市民」概念には、二重性が確認される。一方で、「市民」は、計算不可能なものとしての「倫理的自我」に対置される、計算可能なものである。他方で、「第三者」が介入することの必要性から、この計算可能性は、「計算不可能なものの計算」として考察される。

  • Verticalité – Deux espèces de multiplicité chez Bergson et chez Levinas

    長坂真澄

    Colloque international : Métaphysique, Morale et Temps / Bergson, Jankélévitch, Levinas   (Toulouse)  SIREL (Société Internationale de Recherche Emmanuel Levinas)  

    発表年月: 2012年07月

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    本発表では、ベルクソンとレヴィナスがそれぞれ展開する、二種の多様性概念の区別を軸に、レヴィナス哲学をベルクソン哲学の批判的継承として提示した。両者の違いは、第一に、レヴィナスによる、ハイデガーの存在論的差異の導入、第二に、レヴィナスによる、存在の彼方の位相差として捉えられる時間性概念の発展にある。とはいえ、ベルクソンの「持続」概念とレヴィナスの「隔時性」概念は、共通のひらめきによって貫かれている。

  • Con-tangence et archi-facticité – Jacques Derrida et Didier Franck autour d’Edmund Husserl

    長坂真澄

    Die Kontingenz und die Faktizität in der Phänomenologie   (Wuppertal)  Amical (EuroPhilosophie)  

    発表年月: 2012年05月

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    本発表では、D・フランクの処女作『身体と物体』、及び、デリダの『触覚――ジャン=リュック・ナンシーに触れる』所収の二章を突き合わせることで、フランクとデリダのフッサール読解の交差と亀裂を辿った。その中で浮かび上がるのは、フッサール現象学のアポリアに対する二つの相反する態度である。それは我々に、現象学の外部への向かい合い方に対する問いを投げかける。

  • Die Post-Phänomenologie der Bezeugung und des Versprechens: Derrida’sche Lektüre Heideggers

    長坂真澄

    Doktorandenkolloquium / Institut für phänomenologische Forschung  

    発表年月: 2012年01月

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    本発表では、デリダの60年代から90年代の様々なテクストにおいて展開されるハイデガー読解の中から、「証し」、「約束」、「痕跡」、「ある神」という概念をめぐるデリダの考察を辿った。信と思索とを常に区別するハイデガーに対して、デリダは、ハイデガーの思索のうちに、現前と非現前の彼方、存在の彼方の痕跡を見出し、それが、いかなる知による保証も持たないという意味で、信を証示すると考える。

  • 「不可能性の可能性」―デリダのフッサール読解から浮かび上がる信の概念

    長坂真澄

    日仏哲学会  

    発表年月: 2011年09月

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    本発表では、デリダ後期哲学において浮上する「信」の概念の形成過程を、デリダ初期のフッサール現象学読解に潜在している「信」の主題の鉱脈を浮き彫りにすることにより、明るみにもたらすことを試みた。デリダはフッサール哲学の最初期から最後期までの諸著作を、いかにして実在性の只中から理念性が発生するかという問題を軸として読解する。この発生はアポリアとして捉えられ、アポリアにおける信が要請されることになる。

  • 二重印象--上層と下層の混交--デリダと起源の問い

    長坂真澄

    京都ユダヤ思想学会 夏季合宿  

    発表年月: 2011年09月

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    本発表では、デリダのフッサール読解における、自己に固有なものと、それに対して外部とされるものとの、絡み合いの問題を考察した。最初期『フッサール哲学における発生の問題』から、晩年の『ならず者たち』にいたる彼のフッサール読解を貫いているのは、この上層と下層の混交の問題である。そこでは、外部性と内部性の絡み合いにおける区別は、決断や約束という形で思考、志向される。

  • Intentionality without Intuition – Husserl’s notion of “Idea in the Kantian sense”

    長坂真澄

    Summer School in Phenomenology and Philosophy of Mind  

    発表年月: 2011年08月

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    本発表では、フッサール現象学における直観と志向性のずれを考察した。まず、フッサールがカントから借用する統整的理念の概念、「カント的意味における理念」を、「直観なき志向性」として位置づけた。次に、志向性と直観の差異から生じる問題として、超越論的仮象の問題を検討した。最後に、この問題は否定的に捉えられるべきではなく、この問題こそがフッサール現象学に豊かさを与えることを示した。

  • « Il » de l'Illéité / « il » de l'il y a : Levinas et la question de l'antilangage

    長坂真澄

    „Retrouver un sens nouveau : rencontrer l'imprévisible“, EuroPhilosophie   (Toulouse)  SIREL  

    発表年月: 2011年07月

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    本発表では、レヴィナスの懐疑論概念を、デリダによる読解から考察した。レヴィナスは、他者への応答としての言語、存在の彼方を証言する言語のうちに、真理概念を打ち立てる。しかし、デリダが指摘するように、存在の彼方なるものを存在の言説で論証することは、レヴィナス自身の言説を自己転覆的な懐疑論とのアナロジーへと陥れる。レヴィナスはこのアナロジーを逆に活用することで、問題の克服をはかる。

  • デリダによる超越論的病理論──カント、フッサールを導きの糸とするデモクラシー再考

    長坂真澄

    表象文化論学会  

    発表年月: 2011年07月

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    過去の口頭発表“Autoimmunität der Institution der Philosophie: Die Derridasche transzendentale Pathologie” を下敷きに、日本語にて考察したもの。

  • Autoimmunität der Institution der Philosophie: Die Derrida’sche transzendentale Pathologie

    長坂真澄

    „Die Institution der Philosophie“   (Wuppertal)  Amical (EuroPhilosophie)  

    発表年月: 2011年05月

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    本発表では、デリダ『ならず者たち』後半に収録された論考等に依拠し、「制度」が持つ自己免疫性をめぐる問いを、カント、フッサールにおける超越論的仮象の問題の系譜の中で考察した。カントは理性に内的な病としての超越論的仮象と戦い、フッサールは自然主義、客観主義という仮象と戦った。それに対し、デリダが模索する制度は、むしろ「あたかも超越論的錯覚であるようなもの」である。

  • An Intrusion of Skepticism: The Genealogy of Truth in Levinasian Thought

    長坂真澄

    Totality and Infinity at 50   (Texas)  NALS (North American Levinas Society)  

    発表年月: 2011年05月

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    本発表では、レヴィナスの思想発展の各段階にあらわれる懐疑論の概念を追うことで、レヴィナス哲学における真理基準遡行の足跡を辿った。フッサール現象学における直観に基づく真理概念、また、ハイデガー実存論的分析論における存在の開示としての真理概念を、レヴィナスは、懐疑論を克服しえないものとする。対して彼は、他者への応答として、存在の彼方を証言する言語のうちに、真理概念を打ち立てる。

  • レヴィナスにおける主体の脱領域化――カントを背景に

    長坂真澄

    宗教哲学会  

    発表年月: 2011年03月

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    過去の口頭発表“La complicité de la foi et du savoir chez Levinas – en la confrontant avec celle de Kant -” を下敷きに、日本語にて考察したもの。

  • (Un)zeitlichkeit — Derrida’sche Lektüre Husserls

    長坂真澄

    „Zeitphänomene“   (Wuppertal)  Amical (EuroPhilosophie)  

    発表年月: 2011年02月

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    本発表では、デリダがいかにフッサール現象学における時間性と非時間性の問いに取り組むかを考察した。デリダのフッサール読解においては、発生と構造、時間性と非時間性(超時間性、汎時間性)の対立が常に現れる。デリダにおいて、フッサールの哲学的運動は、この両極の一方のみに陥ることを防ぐためになされるジグザグ運動として捉えられる。

  • Vivre comme un mort - la question de l’idéalité chez Derrida

    長坂真澄

    „Le monde de la vie“   (Toulouse)  Amical (EuroPhilosophie)  

    発表年月: 2011年01月

     概要を見る

    本発表では、デリダ『フッサール哲学における発生の問題』における、フッサールの「生活世界」概念をめぐる議論を出発点に、デリダ哲学の発端にあるアポリアを考察した。デリダは、超時間的な理念性が、時間的な実在性からいかに発生するかという問題の枠の中で「生活世界」の概念について考察する。彼はその際、この概念が、一方では感性的、実在的でありながら、他方では非実在的な可能性であるとされることに着目する。

  • Faith as the Possibility of Impossibility in Derrida’s Thought: Beyond the Husserlian Notion of “the Idea in the Kantian sense”

    長坂真澄

    The 2nd DERRIDA TODAY International Conference   (London) 

    発表年月: 2010年07月

  • La complicité de la foi et du savoir chez Levinas – en la confrontant avec celle de Kant

    長坂真澄

    International Conference: Readings of Difficult Freedom   (Toulouse)  SIREL (Société Internationale de Recherche Emmanuel Levinas), NALS (North American Levinas Society)  

    発表年月: 2010年07月

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    本発表では、レヴィナスの「メシア的テクスト」に着目し、カント由来の、理性的努力と無条件の恩寵との両立不可能性というパラドックスを通して、知の信をめぐる二つの運動を明らかにすることを試みた。レヴィナスは宗教を、一方で、理性の成熟と捉えるが、他方で、知の彼方に位置づける。発表者は、これを知の二重化と捉えるのではなく、知の二つの運動――水平的、及び、垂直的運動と捉えた。

  • Reconnaissance d’un non-reconnaissable – Proust, Rohmer, Ricœur

    長坂真澄

    „Genetische Phänomenologie“   (Wuppertal)  Amical (EuroPhilosophie)  

    発表年月: 2009年12月

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    本発表では、M・プルースト『再び見出された時間』、E・ロメール『冬の話』を題材とし、リクールの『時間と物語』、『承認の行程』での議論を手がかりに、再認/承認/感謝(reconnaissance)という現象が持つ、不可能性の可能性という構造を明らかにすることを試みた。同定や自己措定としての再認/承認はすでに、他者との相互承認(感謝)という剰余を内包する。この剰余は喜びとして体験される。

  • Décision - Promesse de la ligne dans la crise de folie - un essai de lecture de la philosophie derridienne

    長坂真澄

    Présentation des mémoires de la Promotion 1  

    発表年月: 2009年07月

     概要を見る

    上掲の修士論文(同題目)の概要を発表。

  • Über den Aufschub in der „Idee im Kant’schen Sinne“ und den Satz vom Widerspruch bei Husserl

    長坂真澄

    „Grundprobleme der phänomenologischen Erfahrung“, Amical (EuroPhilosophie)  

    発表年月: 2009年07月

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    本発表では、フッサールの1913年から1915年の講義録に現れる「超越論的観念論の証明」に依拠し、フッサールがカントから借用しつつ独自に展開する統整的理念の概念「カント的意味における理念」と、無矛盾律との関係を考察した。その際、フッサールの区別、「現実性」から完全に自由な「単に理念的な可能性」と、「現実性」にある程度拘束された「実在的可能性」の区別を考察の手がかりとした。

  • Décision de Foucault, décision de Heidegger – une recherche de l’héritage à travers la lecture de deux articles derridiens

    長坂真澄

    „Atelier international sur le rapport Heidegger-Foucault“, Amical (EuroPhilosophie)  

    発表年月: 2009年01月

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    本発表では、デリダがフーコーとハイデガーの哲学的営為のうちに、いかに「決定」を読み取り、自らの「決定」概念を発展させてゆくかを考察した。フーコーは、デカルトによる理性と狂気の区別を暴力的決定であるとする。対して、デリダは「コギトと狂気の歴史」において、フーコー自身のこの記述に暴力的決定を認める。さらにこの「決定」概念は、30年後の「アポリア」において、ハイデガーの「決意性」概念と結びつけられる。

  • Le « surplus » - de la corporéité au langage de l’éthique dans l’héritage lévinassien de la phénoménologie

    長坂真澄

    „Corporeity and Affectivity, Fifth Central and Eastern European Conference on Phenomenology“   (プラハ大学) 

    発表年月: 2008年10月

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    本発表では、レヴィナスがいかに倫理的言語を身体から出発して捉えるかを考察した。レヴィナスは、現象学における全面的反省の不可能性の問題を、身体という反省の「剰余」として捉える。さらに、他者の身体は、他者の「飢え」を表現し、言語による道徳的審問と結び付けられる。ここで、関係不可能な絶対的他者となおも関係するというパラドックスを遂行する言語は、「証言」として捉え直される。

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共同研究・競争的資金等の研究課題

  • 現代独仏現象学における形而上学的転回とその哲学史的意義の研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業 基盤研究(C)

    研究期間:

    2023年04月
    -
    2027年03月
     

    長坂 真澄

  • 哲学史的連関におけるレヴィナス哲学とその現代的意義の研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業 基盤研究(C)

    研究期間:

    2022年04月
    -
    2026年03月
     

    村上 暁子, 平石 晃樹, 平岡 紘, 馬場 智一, 服部 敬弘, 小手川 正二郎, 渡名喜 庸哲, 長坂 真澄, 藤岡 俊博, 佐藤 香織

  • 20世紀フランス思想におけるハイデガーとベンヤミンの受容史の解明

    日本学術振興会  科学研究費助成事業 基盤研究(B)

    研究期間:

    2021年04月
    -
    2026年03月
     

    亀井 大輔, 松田 智裕, 伊藤 潤一郎, 西山 雄二, 長澤 麻子, 辻 敦子, 横田 祐美子, 宮崎 裕助, 長坂 真澄, 柿木 伸之, 日暮 雅夫, 加國 尚志, 青柳 雅文, 郷原 佳以

  • 形而上学の哲学史における現代独仏現象学の位置づけの研究

    早稲田大学  特定課題研究

    研究期間:

    2023年04月
    -
    2024年03月
     

     概要を見る

    本研究では、現代の独仏現象学における形而上学的転回が、西洋古典中世哲学における存在神学とその批判をいかに継承しているかを明らかにすることを試み、このことを通して、この新たな転回を、変遷する形而上学の歴史の中に位置づけて捉え直すことを模索した。この目的のため、本研究は、テンゲリ(『世界と無限』)による独仏現象学の西洋哲学史の中における位置づけを参考とした上で、独自に以下の三つの観点から、現象学における古典中世哲学の継承を探究した。
    ① マイモニデスのアリストテレス批判のレヴィナスによる継承(「マイモニデスの現代性」、『神・死・時間』)
    ② ハイデガーによる中世アリストテレス解釈批判に関するデリダの問題提起(『理論と実践』)
    ③ 中世におけるアリストテレス哲学の継承を背景とする、後期シェリングの「永遠」/「創造」概念のリシールによる吟味(『思考することの経験』)
    以上の三つの観点から、現代の現象学の存在神学的ではない形而上学への転回の背景を、古代中世哲学のうちに見てとることができた。①の研究においては、レヴィナスがアリストテレス哲学を存在神学の始端に位置づけ批判する背景を、マイモニデスのアリストテレス反駁のうちに見出すことができた。②の研究においては、中世のラテン語哲学がアリストテレスの原因概念を歪曲したというハイデガーの主張にデリダとともに着目し、この主張をブルノワによる13世紀の形而上学の三分類と突き合わせた上で、両者を整合的に捉えることを試みた。③の研究においては、シェリングの「積極哲学の諸原理の別の演繹」を、リシールの『思考することの経験』での本テクストの精読と突き合わせ、「永遠」と「創造」を対立させるのではなくむしろ「創造」から「永遠」を説明するシェリングの積極哲学が、存在神学への回帰ではなく、存在神学からの断絶こそを刻印しているとリシールが解釈することを確認した。

  • 独仏現象学におけるドイツ観念論の継承の研究

    早稲田大学  特定課題研究

    研究期間:

    2022年04月
    -
    2023年03月
     

     概要を見る

    本研究では、①後期シェリングにおけるアリストテレス読解を解釈した上で、②シェリングがアリストテレスの経験論を踏まえた上で独自の形而上学的経験論という立場を展開することを確認し、③さらに、この形而上学的経験論という考え方が、シェリング哲学を継承するフランスの現象学の特徴を語る上で重要な鍵となることを明らかにした。
    この目的のため、本研究は、以下の行程をたどった。
    まず、上記①について、プラトン『法律』第10巻における神の存在証明と、アリストテレス『形而上学』第12巻における神の存在証明とを突き合わせ、なぜアリストテレスがプラトンを批判し、彼とは異なる証明を展開するのかを探究した。その上で、この議論を、シェリング『啓示の哲学』におけるアリストテレス読解と照らし合わせた。
    次に、上記②について、アリストテレス的な目的因としての神に満足せず、あくまで創造者(起源)としての神を語ろうとするシェリングが、アリストテレスの語る「そのウーシアがエネルゲイアであるような原理」を、「思考以前の存在」として捉え直すことを明らかにした。
    以上の研究の過程において、プラトンのイデア論における「分有」の概念、及び、アリストテレスによる当概念の批判が、ライプニッツ、ヴォルフ、バウムガルテンを通して練り上げられた網羅的(完足的/汎通的)規定の原理に基づく神の存在証明、及び、カントによるその批判と、平行的に捉えられることが明らかとなった。
    以上の議論を背景に、本研究は最後に、上記③について、フッサールが『イデーンI』において、網羅的規定の原理を用いて個物の存在を論じているのに対し、とりわけレヴィナスに代表されるフランス現象学が、無限の観念と、個体の存在の必然的要件と切り離して論じること、その意味で、カントの批判哲学、さらにシェリングの形而上学的経験論を継承する哲学であることを明らかにした。

  • 現代の独仏現象学におけるカント及びシェリングの継承とその意義の研究

    早稲田大学  特定課題研究

    研究期間:

    2022年04月
    -
    2023年03月
     

     概要を見る

    本研究では、独仏現象学において、カント及びシェリングの存在神学批判がいかに継承されているかを、以下の三つの側面から探究した。
    ①中世哲学をめぐるシェリングとハイデガーの見方の比較
    ②デリダによるハイデガーとアリストテレスとの突き合わせの吟味
    ③形而上学の三つの形態と、カントが批判する存在神学との照らし合わせ
    まず、①の研究のため、シェリングの『啓示の哲学』序論講義(1841-1842)において言及される、中世哲学におけるアリストテレス哲学の受容についての彼の理解を確認した。その上で、この解釈を、ハイデガー(『形而上学の根本諸概念―世界、有限性、孤独』(1929-1930))の中世哲学理解と対峙させ、両者の見方の共通項を明らかにした。それによれば、アリストテレスの「不動の動者」は、中世哲学(とりわけトマス・アクィナスの哲学)において作用因へと歪曲されたと解釈される。
    次に、②の研究において、デリダ(講義『理論と実践』(1975-76))が上のハイデガーによるアリストテレス読解をどのように論じているのかを確認した。彼によれば、アリストテレス自身は『自然学』、『形而上学』で作用因について言及しており、ハイデガーが、アリストテレスの「アイティオン」(原因)概念に「作用因」の含意はないと主張するのは奇妙であるとされる。本研究は、この指摘を受けて、ハイデガーの主張の意図を、シェリングの共通する理解を迂回することにより明確にした。
    最後に、③の研究によって、上記の様々な形而上学が、カント『純粋理性批判』にて批判される存在神学と重なり合うか否かを検討した。その際、ブルノワ(『存在と表象』(1999))やテンゲリ(『世界と無限』(2014))が提示する形而上学の分類に依拠して照らし合わせを行った。それにより、アリストテレス、トマス・アクィナスの形而上学は存在神学的ではないとされる理由が明確になり、現象学を、存在神学的でない形而上学として位置づけるテンゲリの哲学史叙述の骨格が明瞭になった。

  • フランス現象学における超越論的哲学の継承とその形而上学的転回の研究

    早稲田大学  特定課題

    研究期間:

    2021年04月
    -
    2022年03月
     

     概要を見る

    本研究では、①後期シェリングにおけるアリストテレス読解を解釈した上で、②シェリングがアリストテレスの経験論を踏まえた上で独自の形而上学的経験論という立場を展開することを確認し、③さらに、この形而上学的経験論という考え方が、シェリング哲学を継承するフランスの現象学の特徴を語る上で重要な鍵となることを明らかにした。
    この目的のため、本研究は、以下の行程をたどった。
    まず、上記①について、プラトン『法律』第10巻における神の存在証明と、アリストテレス『形而上学』第12巻における神の存在証明とを突き合わせ、なぜアリストテレスがプラトンを批判し、彼とは異なる証明を展開するのかを探究した。その上で、この議論を、シェリング『啓示の哲学』におけるアリストテレス読解と照らし合わせた。
    次に、上記②について、アリストテレス的な目的因としての神に満足せず、あくまで創造者(起源)としての神を語ろうとするシェリングが、アリストテレスの語る「そのウーシアがエネルゲイアであるような原理」を、「思考以前の存在」として捉え直すことを明らかにした。
    以上の研究の過程において、プラトンのイデア論における「分有」の概念、及び、アリストテレスによる当概念の批判が、ライプニッツ、ヴォルフ、バウムガルテンを通して練り上げられた網羅的(完足的/汎通的)規定の原理に基づく神の存在証明、及び、カントによるその批判と、平行的に捉えられることが明らかとなった。
    以上の議論を背景に、本研究は最後に、上記③について、フッサールが『イデーンI』において、網羅的規定の原理を用いて個物の存在を論じているのに対し、とりわけレヴィナスに代表されるフランス現象学が、無限の観念と、個体の存在の必然的要件と切り離して論じること、その意味で、カントの批判哲学、さらにシェリングの形而上学的経験論を継承する哲学であることを明らかにした。

  • レヴィナス哲学の総合的再検討と国際的研究基盤の構築

    日本学術振興会  科学研究費助成事業 基盤研究(C)

    研究期間:

    2019年04月
    -
    2022年03月
     

    村上 暁子, 平石 晃樹, 平岡 紘, 馬場 智一, 服部 敬弘, 小手川 正二郎, 渡名喜 庸哲, 長坂 真澄, 藤岡 俊博

     概要を見る

    本研究は、フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナスの哲学を新資料の調査や分析を通じて総合的に再検討するとともに、その知見を広く世界に発信していくための国際的な研究基盤の構築を目的としたものである。研究成果については、2019年に東京および京都で開催した国際シンポジウム「個と普遍 エマニュエル・レヴィナスと極東の思考」や、レヴィナス協会主催の年次大会を通じて公表した。3年間の事業期間を通して、哲学や倫理学のみならず、隣接する諸分野の研究にも貢献しうる研究成果を達成することができた。

  • 想像力と無限――フランス現代思想におけるカント哲学の現象学的再構築

    独立行政法人日本学術振興会(JSPS)  科学研究費助成事業(KAKEN) 若手研究

    研究期間:

    2018年04月
    -
    2022年03月
     

    長坂真澄

  • 現代フランス現象学におけるシェリングの哲学史解釈の継承の究明

    早稲田大学  特定課題研究

    研究期間:

    2020年04月
    -
    2021年03月
     

     概要を見る

    本研究では、シェリング『啓示の哲学』序論にて展開されているアリストテレス解釈を出発点とし、そこで「経験論」として語られるものが、レヴィナス哲学などのフランス現象学と、いかなる関わりを持つのか、またそれが、これら現象学のいかなる革新性につながっているのかを明らかにした。
    この目的のため、本研究は、以下の行程をたどった。
    シェリングが着目するのは、アリストテレスにおける、プラトン「分有(メテクシス)」概念に対する批判である。それゆえ本研究では、第一に、プラトンの「分有」概念を、『パイドン』、『国家』、『ティマイオス』等に基づき整理した。第二に、シェリングの読解に従い、以下の点を明らかにした。(i)アリストテレス『形而上学』Α巻等における「分有」概念批判が、カントの存在神学批判と共通する構造を持つものであるということ、(ii)『形而上学』Λ巻においてエンテレケイアとして提示される「不動の動者」が目的因であることにより、アリストテレスは、自らプラトン的な「分有」の着想に陥ることを防ぐということである。第三に、シェリングの「形而上学的経験論」を、アリストテレス的「経験論」のさらに手前、経験以前かつ思考以前のものに遡るものとして明らかにした。第四に、レヴィナス哲学などの現代のフランス現象学もまた、形相に先立つ意味を記述すること、またそれにより、形相学としてのフッサール現象学とも異なる一方で、イギリス経験論にも逆行しないという革新性を持つことを示した。
    なお、本研究の成果は、2020年8月パリで開催予定であった国際学会、ASPLF(フランス語哲学会連合)にて発表を計画していたが、COVID-19感染症拡大により、学会が延期となった。しかし、予定していた計画を遂行し、国内での学会発表を行ったほか、2021年オンラインにて開催される上記国際学会の発表用原稿も、提出済みである。

  • 独仏近現代哲学における理論と実践の不可分性についての研究

    早稲田大学  特定課題研究

    研究期間:

    2020年04月
    -
    2021年03月
     

     概要を見る

    本研究では、デリダの講義原稿『理論と実践』を手がかりに、理論と実践の対立の手前にある両者の共通の根が何であるのかを究明した。
    その目的のため、本研究は、以下の行程をたどった。第一に、上記原稿において参照される、アリストテレスの議論を整理した。すなわち、(i)『形而上学』、『自然学』における四原因論、(ii)『ニコマコス倫理学』における、真理にかかわることとされるテクネーをめぐる議論である。第二に、ハイデガー「技術への問い」及び「科学と省察」において、四原因論がいかに読解されるか、また他方で、その読解が、理論と実践の手前のテクネーという発想へといかに接続されるかを究明した。第三に、上記のハイデガーによる読解が、デリダによっていかに解釈され、さらにそれが、デリダのカント解釈と、いかに有機的に結合されうるかを明らかにした。すなわち、カントにおける(i)理論理性に対する実践理性の優位、(ii)実践理性に対する理論理性の批判的役割をめぐる分析との結合である。第四に、カント『判断力批判』において、直感的反省的判断こそが、理論理性と実践理性を架橋をするものとして論じられることを踏まえ、理論と実践の共通の根について『判断力批判』から考察することを試みた。第五に、ギリシャ語「テクネー」が持つ両義性(「芸術」と「技術」)をめぐるハイデガーの議論を踏まえ、理論と実践を架橋する判断が、ハイデガーの論じる感性と悟性の共通の根といかに関わりあうのかを明らかにした。
    なお、本研究の成果は、2020年6月マルセイユで開催予定であった国際学会、Derrida Today Conferenceにて発表することを予定していたが、COVID-19感染症拡大により、学会の開催は見合わされるにいたった。しかし、今後開催されるであろう学会に向けて、発表用原稿を準備し、予定していた研究を遂行することができた。

  • 現代の独仏現象学におけるカントおよびシェリング哲学の受容についての研究

    早稲田大学  2019年度特定課題研究助成費

    研究期間:

    2019年06月
    -
    2020年03月
     

    長坂真澄

     概要を見る

    本研究は、20世紀前半のドイツの現象学を批判的に吸収し発展した現代のフランス現象学、さらにそれを逆輸入する近年のドイツ現象学を対象とする。現代の現象学は、自らが古典的な形而上学ではないことを主張するが、その論拠として、カントおよび後期シェリングによる存在神学批判の議論を採り入れている。本研究は、カント、シェリングの哲学を、現代の現象学者がいかに学び、それを通していかに自らの現象学を存在神学的ではないものとして提示しているかを探究することを目的とする。

  • 現代フランス現象学におけるカント批判哲学の継承についての研究――「図式」をめぐって

    群馬県立女子大学  特定教育・研究費 科学研究費助成事業申請研究

    研究期間:

    2017年04月
    -
    2018年03月
     

    長坂真澄

  • 超越論的仮象としての無限とその射程 ――マルク・リシールによるカント哲学の現象学的再構築の探究

    群馬県立女子大学  特定教育・研究費 萌芽的研究

    研究期間:

    2016年10月
    -
    2017年03月
     

    長坂真澄

  • « Le beau et le schématisme transcendantal – à partir de la lecture richirienne de la Critique de la faculté de juger »

    群馬県立女子大学  特定教育・研究費 海外渡航

    研究期間:

    2016年08月
     
     
     

    長坂真澄

     概要を見る

    ASPLF第36回大会学会発表渡航費用

  • デリダ哲学の現代フランス現象学における位置づけの研究--出来事の概念を指標として

    日本学術振興会  科学研究費補助金 特別研究員奨励費

    研究期間:

    2014年04月
    -
    2016年03月
     

    長坂真澄

     概要を見る

    本研究は、デリダ哲学を、デリダの一世代後の現代のフランス現象学者、D・フランク、J=L・マリオン、M・リシールの思想に照らし合わせることにより、現代フランス現象学の中で位置づけることを試みるものである。その際、本研究が指標とするのは、いかなる可能性にも先行されない現実としての出来事の概念である。

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Misc

  • 無への問い 丸山文隆著『ハイデッガーの超越論的な思索の研究――『存在と時間』から無の形而上学へ』に寄せて

    長坂真澄

    Zuspiel   ( 7 )  2024年03月  [招待有り]

    担当区分:筆頭著者, 最終著者, 責任著者

    書評論文,書評,文献紹介等  

  • 超越の不在と弁証法:松田智裕『弁証法、戦争、解読:前期デリダ思想の展開史』書評

    長坂真澄

    表象   ( 15 ) 206 - 210  2021年05月  [招待有り]

    担当区分:筆頭著者

    書評論文,書評,文献紹介等  

  • 宮﨑裕助著『ジャック・デリダ 死後の生を与える』書評

    長坂真澄

    図書新聞   ( 3480 )  2021年01月  [招待有り]

    担当区分:筆頭著者

    書評論文,書評,文献紹介等  

  • 自然・言語・歴史 : 『存在と時間』の限界と彼方――峰尾公也著『ハイデガーと時間性の哲学 : 根源・派生・媒介』に寄せて

    長坂真澄

    現象学年報   ( 36 ) 139 - 143  2020年11月  [招待有り]

    担当区分:筆頭著者, 最終著者, 責任著者

    書評論文,書評,文献紹介等  

  • 亀井大輔著『デリダ 歴史の思考』書評

    長坂真澄

    図書新聞   35号 ( 3405 ) 199 - 201  2019年06月  [招待有り]

    書評論文,書評,文献紹介等  

  • ジャック・デリダ著/湯浅博雄、大西雅一郎訳『信と知―たんなる理性の限界における「宗教」の二源泉』書評

    長坂真澄

    週刊読書人   ( 3174 ) 4  2017年01月  [招待有り]

    書評論文,書評,文献紹介等  

  • ワークショップ 現象学の新たな展開 現象学的形而上学 : ラスロ・テンゲィの遺作『世界と無限』をめぐって

    景山 洋平, 池田 裕輔, 長坂 真澄, 田口 茂

    現象学年報 = Jahrbuch der Japanischen Gesellschaft für Phänomenologie = Annual review of the Phenomenological Association of Japan = Annuaire de l'Association Japonaise des Pnénoménologues   ( 32 ) 51 - 57  2016年

    研究発表ペーパー・要旨(全国大会,その他学術会議)  

    CiNii

  • 小手川正二郎著『甦るレヴィナス―『全体性と無限』読解』書評

    長坂真澄

    週刊読書人   ( 3087 ) 4  2015年04月  [招待有り]

    書評論文,書評,文献紹介等  

  • 思索と詩作の間―デリダのハイデガー読解より

    長坂真澄

    宗教哲学研究   ( 31 ) 137 - 138  2014年03月

    研究発表ペーパー・要旨(全国大会,その他学術会議)  

  • The notion of faith in a Derridian reading of Heidegger: departure from Heidegger’s notion of ‘trace’

    長坂真澄

    京都エラスムス計画 成果論文  

     概要を見る

    「信は思索のうちにはいかなる場所も持たない」というハイデガーに反し、デリダは、ハイデガーの「証言」概念に、信の場所を見いだす。本成果報告は、デリダのテクスト「差延」や「ウーシアとグラメー」を典拠とし、ハイデガーの「痕跡」概念をめぐるデリダによる読解を辿ることで、その意味を探ろうとするものである。その際、同時期のデリダによるレヴィナスの「痕跡」概念読解を考慮に入れる。<br />
    http://www.econ.kyoto-u.ac.jp/daikokai/thesis/index.html

  • Faith as the Possibility of Impossibility in Derrida’s Thought: Beyond the Husserlian Notion of “the Idea in the Kantian sense”

    長坂真澄

    京都エラスムス計画 成果論文  

     概要を見る

    本成果報告は、信の概念を、「決定不可能性のただ中における決定」と同根源的であるような、「不可能性の可能性」として提示するものである。この目的のため、本報告は、デリダの前期と後期における「信」の概念の変化の要点を、フッサールについての議論を交えて俯瞰する。この変化は、前期には「暴力」と捉えられ、後期には「私のうちの他者の決定」と位置づけられる、「決定」概念の変貌とパラレルをなす。<br />
    http://www.econ.kyoto-u.ac.jp/daikokai/thesis/index.html

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現在担当している科目

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担当経験のある科目(授業)

  • History of Metaphysics and of its Critique

    Waseda University  

  • Considering Theory and Practice

    Waseda University  

  • Philosophical Questioning in Everyday Life

    Waseda University  

  • History of Metaphysics and of its Critique

    Waseda University  

  • Considering Theory and Practice

    Waseda University  

  • Philosophical Questioning in Everyday Life

    Waseda University  

  • 基礎ゼミ

    群馬県立女子大学  

  • 現象学とその周辺

    群馬県立女子大学  

  • Fieldwork (Basic, Advanced, Individual)

    Gunma Prefectural Women's University  

  • Thought and Language 1, 2 (Graduate School)

    Gunma Prefectural Women's University  

  • Introduction to the Academic Reading 1c

    Gunma Prefectural Women's University  

  • Thought and Knowledge

    Gunma Prefectural Women's University  

  • Philosophy Seminar 3, 4

    Gunma Prefectural Women's University  

  • Western Philosophy 1, 2, 3, 4, 5

    Gunma Prefectural Women's University  

  • Genealogy of Critical Philosophy

    Gunma Prefectural Women's University  

  • Philosophy A

    Gunma Prefectural Women's University  

  • フィールドワーク基礎・演習・個別

    群馬県立女子大学  

  • リベラルアーツ入門1・2

    群馬県立女子大学  

  • 読書の楽しみ1・2

    群馬県立女子大学  

  • 思考と言語研究(院)

    群馬県立女子大学大学院  

  • 思考と言語演習1・2(院)

    群馬県立女子大学大学院  

  • 表現・思想系演習3・4

    群馬県立女子大学  

  • 西洋思想1~5

    群馬県立女子大学  

  • 思考と認識

    群馬県立女子大学  

  • 批判哲学の系譜

    群馬県立女子大学  

  • 哲学A

    群馬県立女子大学  

  • Philosophical Inquiry in Everyday Life

    Waseda University  

  • Phenomenology in the Context of the History of Critical Philosophy

    Waseda University  

  • Thought, Knowledge and Feeling

    Waseda University  

  • Genealogy of Critical Philosophy

    Waseda University  

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社会貢献活動

  • What is beauty? What does it mean that I find something beautiful?

    早稲田大学  オープンキャンパス模擬講義 

    2019年08月
     
     

  • 事実と客観性をめぐる哲学的考察

    前橋商工会議所  まちなかキャンパス 

    2018年06月
     
     

     概要を見る

    事実とは、個人の想像による創作物ではなく、他者と共有される客観性を持つものである――そのように私たちは考える。しかし、客観的な事実とは何だろうか。本講座では、事実と客観性をめぐって哲学的に考察する。

  • 事実とは何か。 それはいかにして獲得されるか。

    群馬県立女子大学  オープンキャンパス模擬授業(高校生対象) 

    2017年07月
     
     

     概要を見る

    人は言う――「これこれの事実があった」、「それは事実を歪曲している」、 「事実はこうである」等々。あたかも唯一の真なる事実が存在するかのように。 そのような事実を私たちは前提せずにはいられない。さもなくば、あらゆるものが 相対的となってしまう。とはいえ、純粋な事実はそもそも存在するか。 それは誰によって、いかにして捉えられ、記述されうるというのか。 本講義では、フッサール『幾何学の起源』(1936)を手がかりとして、 事実と呼ばれるものについて考察する。

  • 人間は有限な存在か

    群馬県立女子大学  公開講座  (群馬県立女子大学) 

    2016年10月
     
     

     概要を見る

    日々、私たちは様々な限界に囲まれつつ生きています。物理的、知的能力の限界、病、老い、そして死。カントは、人間を有限なものとして規定しました。ハイデガーは、人間が死にうる存在であることのうちに、有限性の本質を捉えました。他方、フッサールのように、人間が世代を通じて無限の課題を引き継ぎ、担いうると考えた哲学者もいます。この講座では、人間は有限な存在なのか、あらためて考えてみたいと思います。

学術貢献活動

  • Philosophy in Japan: Beyond the Limits of Translation

    Bid Committee of the Project of Hosting the 25th World Congress of Philosophy (WCP 2023) in Tokyo, JFPS (Japanese Federation of Philosophical Societies)  

    2018年08月
     
     

他学部・他研究科等兼任情報

  • 文学学術院   文化構想学部

特定課題制度(学内資金)

  • 形而上学の哲学史における現代独仏現象学の位置づけの研究

    2023年  

     概要を見る

    &nbsp; This research is an attempt to clarify how the metaphysical turn in contemporary German and French phenomenology inherits the critique of ontotheology in ancient and mediaeval Western philosophy. Thereby, this study redefines this new turn by situating it within the history of metaphysics. To this end, the research not only references Tengelyi's perspective, which situates German and French phenomenology within the history of Western philosophy (The World and the Infinite), but also independently explores its inheritance of ancient and mediaeval metaphysics from the following three perspectives:(i) Levinas's inheritance of Maimonides's critique of Aristotle ('The Actuality of Maimonides', God, Death and Time).(ii) Derrida's questioning of Heidegger's critique of mediaeval interpretations of Aristotle (Theory and Practice).(iii) Richir's examination of late Schelling's concepts of eternity and creation against the backdrop of Aristotle's philosophy as inherited by the Middle Ages (Experience of Thinking). With these three perspectives, this study unveils the background – in ancient and mediaeval philosophy – for the turn of modern phenomenology towards a non-ontotheological metaphysics. The findings of this research include the discovery that the background of Levinas's criticism of Aristotle's philosophy – as the emergence of ontotheology – lies in Maimonides's refutation of Aristotle. The research focuses on Heidegger's claim, together with Derrida, that mediaeval Latin philosophy distorted Aristotle's concept of cause, and an attempt to reconcile this claim with Boulnois's three categories of 13th century metaphysics to consider these divergent interpretations in a consistent manner. Finally, Schelling's 'Other deduction of the principles of positive philosophy' – with its close reading by Richir in Experience of Thinking – is challenged. From this, it is deciphered that Schelling's positive philosophy, which explains eternity from creation rather than placing eternity and creation in opposition to each other, does not mark a return to ontotheology but is precisely a break from ontotheology.

  • 現代の独仏現象学におけるカント及びシェリングの継承とその意義の研究

    2022年  

     概要を見る

    This research investigated how German and French phenomenologies inherit the Kantian and Schellingian criticism of ontotheology by taking three steps: 1) a comparison between Schelling’s and Heidegger’s view on medieval reception of Aristotle’s philosophy, 2) an examination of Derrida’s confrontation between Heidegger’s reading of Aristotle and Aristotle’s own texts and 3) a comparison between the three constellations of metaphysics and the ontotheology criticised by Kant. Step 1 compared Shelling’s understanding of Aristotle’s philosophy and of its reception in medieval philosophy, presented in the Introduction to Philosophy of Revelation (1841–42), to the homolog of Heidegger, which was briefly sketched in The Fundamental Concepts of Metaphysics (1929–30). For step 2, following Derrida’s analysis expanded in his lecture Theory and Practice (1975-76), Heidegger’s exegesis of Aristotle in The Question Concerning Technology (1953) was compared with Aristotle’s explanation in Physics and Metaphysics. Step 3 determined whether the above-mentioned different types of metaphysics could be superposed with ontotheology criticised by Kant in the Critique of Pure Reason (1781/87). Through these three steps, the research clarified the range and the background of Tengelyi’s claim, according to which phenomenology should be characterised as a criticism of ontotheology.

  • 独仏現象学におけるドイツ観念論の継承の研究

    2022年  

     概要を見る

    This research investigated how German and French phenomenologies inherit German idealism and how the former attempt to critically overcome the latter. Therefore, the research shed light on three reference points: 1) Heidegger’s critical reading of Hegel, 2) Levinas’s confrontation with Hegel and 3) Derrida’s interpretation of Heidegger’s reading of Hegel. For research reference point 1, Heidegger’s idea of ‘Hegel’s concept of experience’ (1942–43) was examined alongside Hegel’s Introduction to Phenomenology of Sprit (1807). Levinas’s texts ‘Substitution’ (1968) and Otherwise Than Being or Beyond Being (1974), in which Levinas evokes his interpretation of Hegel’s Introduction to Phenomenology of Sprit, were revisited in point 2. Point 3 analyses Derrida’s comments on Heidegger’s ‘Hegel’s concept of experience’, briefly sketched in his lecture Heidegger: Question of Being and History (1964–65). Through these steps, the research clarified how Hegel’s concept of the ‘inversion (Umkehrung) of consciousness’ was critically reinvestigated. Heidegger interprets this concept as an inversion from the ontic to the ontological. Levinas opposes Hegel’s notion with his own idea of ‘inversion from the same to the Other’. Derrida situates Levinas’s thoughts in the continuity of Heidegger’s destruction of the philosophy of presence, culminating in Hegel’s concept of absolute knowledge.

  • フランス現象学における超越論的哲学の継承とその形而上学的転回の研究

    2021年  

     概要を見る

    &nbsp; &nbsp; This research elucidated 1) Schelling’s reading of Aristotle in his later period, 2) Schelling’s “metaphysical empiricism” based on, but different from, Aristotle’s empiricism and 3) an aspect of French phenomenology that inherits Schelling’s metaphysical empiricism.&nbsp; &nbsp; To achieve the aim stated above, the research process unfolded as follows: 1) investigation of the proofs of the existence of God in Plato’s Laws, vol. 10 and Aristotle’s Metaphysics, vol. 12, and a comparison between the two, 2) investigation of Schelling’s reading of Aristotle in his Philosophy of Revelation and his “metaphysical empiricism” as a critical heritage of Aristotle’s empiricism, as well as the latter’s notion of “the unmoved mover”, 3) elucidation of Plato’s notion of “participation” and Aristotle’s criticism of this notion, on the one hand, and the parallels with Kant’s criticism of the principle of thoroughgoing determination, and arguments pertaining to this, as elaborated through Leibniz, Wolff and Baumgarten, on the other hand, 4) clarification of Schelling’s metaphysical empiricism that describes a necessary being as “the unprethinkable being” based on the abovementioned background and 5) investigation of French phenomenology (especially that of Levinas), which distinguishes between the idea of the infinite and the necessary condition of being, and through this shares the structure of Schelling’s metaphysical empiricism.&nbsp;

  • 現代フランス現象学におけるシェリングの哲学史解釈の継承の究明

    2020年  

     概要を見る

    &nbsp; &nbsp; This research clarified how Schelling's reading of Aristotle is related to the contemporary French phenomenology of, among others, Levinas. More precisely, by employing Schelling’s interpretation of Aristotle in the introduction to Philosophy of Revelation, in which Schelling develops his own notion of “empiricism”, the research showed how this concept of empiricism is related to Levinas’s phenomenology and how this relationship makes this a novel rendering of French phenomenology.&nbsp;&nbsp; &nbsp; To this aim, the investigation took the following steps: First, it began by clarifying Plato’s basic thoughts on “participation” (methexis), that of ideas shared by sensible things, based on Plato's texts, including the Meno, Phædo, Republic, Phaedrus and Timaeus. Second, by following Schelling's interpretation of Aristotle’s Metaphysics, this study elucidated Aristotle’s critique of Plato’s concept of “participation” as having an analogous structure to Kant's critique of ontotheology. Next, it demonstrated how Schelling's “metaphysical empiricism” differs from what he calls the “empiricism” of Aristotle. Finally, by illuminating how Levinas's phenomenology shares the structure of “metaphysical empiricism”, this research showed that contemporary French phenomenology, while differing from Husserlian phenomenology qua eidetics, also avoids returning to English empiricism.&nbsp;

  • 独仏近現代哲学における理論と実践の不可分性についての研究

    2020年  

     概要を見る

    &nbsp; &nbsp; This research clarified what lays in the common root of theory and practice on the hither side of the opposition of the two by taking as a guide Derrida's lecture manuscript Theory and Practice.&nbsp; &nbsp; To this aim, the research took the following steps: First, it began by clarifying Aristotle's discussions concerning four causes, developed in Physics and Metaphysics, and his discussion regarding the question of techne (art) as one of five approaches to the truth, explained in Nicomachean Ethics. Second, the investigation elucidated, by explicating Heidegger’s Question Concerning Technique and Science and Meditation, how Heidegger interprets Aristotle’s teachings to answer the question of techne situated on the hither side of the theory/practice opposition. Third, it explained how Derrida examines Heidegger's interpretation to uncover its potential unity with Derrida’s reading of Kant, developed around the opposition of theoretical and practical reason. Next, the question of the common root of theory and practice was clarified by focusing on aesthetic reflective judgements, based on Kant's Critique of Judgement. From the above, fifth and finally, it established how this common root is related to techne.

  • 現代の独仏現象学におけるカントおよびシェリング哲学の受容についての研究

    2019年  

     概要を見る

    &nbsp; &nbsp; This research clarified how contemporary phenomenologists have inherited the Kantian and Schellingian critique of ontotheology and how, in doing so, they present their phenomenology as non-ontotheological. This process was guided by the readings of Kant and Schelling as deployed by Courtine, Richir and Tengelyi and examined whether or not one can recognize the Kantian and Schellingian heritage in the work of Derrida and Levinas, philosophers of the preceding generation of these authors. The research concluded four points.&nbsp; &nbsp; First, the research clarified, through a Derridian reading of Kant’s Critique of Judgement, the possibility of interpreting Kantian philosophy as a phenomenology thinking about the actual infinite beyond our cognition. Second, by studying Richir’s reading of Frege’s critique of Kant’s transcendental schematism, the research clarified in what form Richir inherits this Kantian idea. Third, this research showed how Richir adopts the Kantian conception of ‘actuality preceding all possibilities’ and the Schellingian idea of ‘unprethinkable being’, and in doing so, inherits their critique of ontotheology. Finally, this research returned to work by Levinas and explored whether the seed of Richir’s conception can be recognized in Levinas. The result confirmed that the late Levinas concept of affection ‘in immemorial past’ describes an actuality that precedes all possibilities and, therefore, implies a non-ontotheological phenomenology.

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