2023/12/03 更新

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ミウラ レイヤ
三浦 領哉
所属
文学学術院 文化構想学部
職名
助手
学位
修士(文学) ( 早稲田大学 )

経歴

  • 2023年04月
    -
    継続中

    早稲田大学   文学学術院   助手

  • 2022年04月
    -
    継続中

    大東文化大学   法学部 法律学科   非常勤講師

  • 2015年04月
    -
    2017年03月

    日本学術振興会   特別研究員 (DC2)

学歴

  • 2014年04月
    -
    2023年03月

    早稲田大学   大学院文学研究科 博士後期課程   ロシア語ロシア文化コース  

  • 2011年04月
    -
    2014年03月

    早稲田大学   大学院文学研究科 修士課程   ロシア語ロシア文化コース  

  • 2003年04月
    -
    2011年03月

    早稲田大学   政治経済学部   政治学科  

  • 2006年09月
    -
    2007年06月

    ロシア連邦国立モスクワ大学   芸術学部  

  • 2006年09月
    -
    2007年06月

    ロシア連邦国立モスクワ音楽院   オペラ・管弦楽指揮科  

研究分野

  • 美学、芸術論 / ヨーロッパ文学 / 思想史 / 情報学基礎論 / 情報ネットワーク / 計算機システム

研究キーワード

  • ロシア音楽

  • ロシア音楽思想史

  • ロシア文学

  • 美学

  • 音楽哲学

  • 比較音楽史

  • 西洋美学史

  • 情報哲学

  • 情報理論

  • 情報技術史と芸術

  • 情報学

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論文

  • 比較「国民音楽」史におけるロシアの独自性 ──「 ユニヴァーサルな音楽」と「ナショナルな音楽」の思想をめぐって ──

    三浦 領哉

    早稲田大学大学院文学研究科紀要   ( 67 ) 353 - 368  2022年03月  [査読有り]

  • 人文・社会系学生への基礎的情報教育をめぐる諸課題 ― 中等数学教育と高等教育における情報の学術利用をめぐって

    三浦 領哉

    数理教育のロゴスとプラクシス 2021年11月号     71 - 76  2021年11月  [国内誌]

  • 連作小説『ロシアの夜』におけるV. F. オドーエフスキーの音楽論

    三浦 領哉

    文学と哲学 ― ロマン主義から20世紀へ V. F. オドーエフスキー没後150周年記念、「ロシア文学と哲学 ― その相互運動」シリーズ   3   194 - 204  2019年11月  [査読有り]  [国際誌]

  • 『ロシアの夜』における В. Ф. オドーエフスキーの音楽思想 ― 自然哲学と自然科学、新プラトン主義とドイツ観念論の狭間で ―

    三浦 領哉

    早稲田大学大学院文学研究科紀要   ( 64 ) 391 - 407  2019年03月  [査読有り]

  • V. F. オドーエフスキー公の著作における音楽思想の諸問題 ― その音楽哲学・音楽美学の源泉を求めて

    三浦 領哉

    ソロヴィヨフ研究   2 ( 54 ) 82 - 91  2017年  [査読有り]  [国際誌]

  • V. F. オドーエフスキーの活動初期における音楽思想 ー その評論と論文から

    三浦 領哉

    第66 回美学会全国大会 若手研究者フォーラム発表報告集     27 - 34  2016年03月  [査読有り]  [国内誌]

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書籍等出版物

  • キーワードで読む オペラ/音楽劇 研究ハンドブック

    丸本隆, 荻野静男, 佐藤英, 佐和田敬司, 添田里子, 長谷川悦朗, 東晴美, 森佳子( 担当: 分担執筆,  担当範囲: ロシア)

    アルテスパブリッシング  2017年03月 ISBN: 9784865591583

共同研究・競争的資金等の研究課題

  • ヨーロッパ周縁地域における「国民音楽」思想の地域横断的比較研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2023年08月
    -
    2025年03月
     

    三浦 領哉

  • 19世紀前半のロシアにおける音楽美学の展開 - V. オドーエフスキーを中心に

    日本学術振興会  科学研究費助成事業 特別研究員奨励費

    研究期間:

    2015年04月
    -
    2017年03月
     

    三浦 領哉

     概要を見る

    オドーエフスキーの音楽に関する著作においては、年代を下るに従って、マクロな議論からミクロな議論へと移行していく傾向が見られる。彼のキャリアの初に書かれた論文では、「音楽とは何か」という問いとともに議論が展開されているのに対し、1820年代後半からはむしろ「音楽の美とは何か、それはどのようにして達成されるのか」という音楽美学の問題へと移行している。さらに30年代前半には古今の有名な作曲家を題材とした「音楽小説」が書かれ、後半からは作曲家の作品とその作曲思想への評論を通じ「ロシアの芸術音楽とは何か」を論じている。哲学論文から音楽小説へ、そして音楽評論へと「メディア」が変化していったとすれば、その思想の対象と内容もそれぞれに適した規模のものへと変化したかもしれない。つまり、オドーエフスキー自身の音楽思想の対象が一般的な音楽哲学から個別的な音楽美学へと変化していったことは、このような表現手段の変化の表れであったのではないだろうか。
    そこで史料を参照してみると、それと前後してオドーエフスキーとグリンカの個人的関係が始まっていることがわかる。両者の手紙を仔細に検討すると、オドーエフスキーとグリンカを結びつけたのは、当時盛んにペテルブルクで演奏されたベートーヴェンの交響曲であり、ロシアの「ベートーヴェニアーナ」を通じて両者が「ロシア固有の芸術音楽」に向かっていったことが確認される。このことは、ロシア音楽におけるロマン主義が国民主義へと変化していく過程において、ドイツ・ロマン主義の思想が基礎となったことを明確に示している。これにより、19世紀前半のロシア音楽思想史の流れにおける根幹となる思想的潮流をあぶり出し、ロシア音楽思想史の通史的記述への道をある程度開くことができたと考えている。

 

担当経験のある科目(授業)

  • 情報処理B

    大東文化大学  

    2022年09月
    -
    継続中
     

  • 情報処理A

    大東文化大学  

    2022年04月
    -
    継続中