Updated on 2025/05/05

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KUNIOSHI, Mizuho
 
Affiliation
Faculty of Human Sciences, School of Human Sciences
Job title
Research Associate
 

Internal Special Research Projects

  • 岩手県における海外移住者輩出地域―戦前と戦後の比較分析

    2024  

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    本研究では、岩手県からの海外移住者データベースを作成した。データベースは、1898(明治31)年から1941(昭和16)年の44年間(以降、戦前期)および1952(昭和27)年から1969(昭和44)年の18年間(以降、戦後期)を網羅している。戦前期・戦後期を合わせて海外移住者数は約3,700名(戦前期:約2,900名、戦後期:約800名)である。旅券発行県、旅券下付年、氏名、年齢、渡航時の出身市町村名(2024年時点の市町村名を併記)、渡航先国、渡航目的等の項目をデータベースの構成要素とした。戦前期と戦後期の海外移住先を比較した。戦前期では、最も多くの県民が移住した国はブラジル(約2,200名)であり、アメリカ合衆国(約300名)、ハワイ(約100名)、東南アジア諸国(約90名)と続く。戦後期の移住先は南米に集中しており、パラグアイへの移住が約110家族570名と最も多く、ブラジルは約30家族180名と単身者約100名、アルゼンチンは20名に満たない。戦前期の海外移住者輩出地域を見ると、北米移住者に関しては盛岡市、一関市、遠野市、花巻町、水沢町などに集中している。ブラジル移住者について、金ケ崎町を筆頭に二戸郡田山村、江刺郡藤里村、愛宕村、稲瀬村、盛岡市、稗貫郡太田村が多く輩出している。戦後期は和賀郡和賀町と二戸郡一戸町からパラグアイへの集団移住が行われているが、盛岡市、花巻市、滝沢市、岩手郡西根町、岩手郡玉山村からもそれぞれ7~10家族が海外に移住している。戦前期・戦後期とも県の海外移住行政は国の政策のもと進められた。特に戦前期のブラジル移住は国の政策がそのまま県の政策に反映された。戦後期の海外移住は県内の農漁家振興計画の一環として位置づけられた。また、集団で移住者を送り出すことを前提としており、当時の農林省から県内三市町村(江刺市、和賀町、滝沢村)が集団移住地域に指定されたほか、県独自でも集団移民促進指定市町村を設けられたことが、史料調査によって明らかになった。

  • 岩手県内における移住宣伝活動とブラジル移民の出身地との関連性−地図を活用した分析

    2023  

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    本研究では、1899(明治32)年~1940(昭和15)年の海外旅券下付表、「移民取扱人ヲ経由セル海外渡航者名簿」と「伯剌西爾渡航者名簿」をもとに岩手県からのブラジル移住者の数、移住者の年齢、出身地、家族構成を整理してデータベースを構築した。岩手県からのブラジルへの移住者数は約2,200名であり、この数は岩手県の海外移住者総数の8割を占めている。記録の上では岩手県のブラジル移住は1918(大正7)年に始まっている。最盛期は1930(昭和5)年~1934(昭和9)年であり、この5年間だけで286家族1,855名、単身移住者22名を輩出している。これらの数字を、1940年当時の岩手県地図に反映させ、分布図を作成した。移住者輩出地域に着目すると、突出しているのは盛岡市(13家族)、金ケ崎町(12家族)、花巻町(現花巻市)11家族、愛宕村(現奥州市)12家族であり、県南地域に集中している。県北地域では田山村(現八幡平市)7家族、金田一村(現二戸市)5家族、沿岸地域では宮古町(現宮古市)7家族、釜石市6家族とまとまった数のブラジル移住者が出ているが、それ以外は1~3家族にとどまっている。岩手県内の宣伝活動(海外移住奨励活動)は、1913(大正2)年~1940(昭和15)年までの岩手日報新聞記事、拓務省発行の拓務時報を元に主催、内容、聴講者数などを時系列的に整理した。宣伝活動は県内全域に行われ、内容は映画会、講演会(ブラジル成功者、拓務省関係者等)、移住相談会であった。岩手県海外移住組合が1930(昭和4)年に設立されて以降、記録が確認できたものの中で最も頻度が多かったのは1833(昭和8)年~1934(昭和9)年であった。上記に上げた以外の県内ほぼ全域から1~2家族のブラジル移住者が出ていることを鑑みると、宣伝は一定程度、岩手県人のブラジル移住決断に影響を及ぼしたと考えられる。しかしもっとも大きい影響を及ぼしたのは、当時時局匡救事業の一環として1932(昭和7)年9月に開始されたブラジル移住者への船賃、支度金支援制度であった。