所属学協会
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日本フランス語フランス文学会
2025/03/15 更新
2025/03/15 更新
日本フランス語フランス文学会
美学(含芸術諸学)、哲学、仏語・仏文学
型・枠・仕切り−小林秀雄『近代絵画』の一断面
日文研叢書 国際日本文化研究センター 36 2005年09月
旅に出て、外国の公園を走れば
月刊百科 平凡社 511 2005年05月
型・枠・仕切り−小林秀雄『近代絵画』後半四章について
教養諸学研究 118 2005年04月
ジャンケレヴィッチを読む(十)
教養諸学研究 117 2004年12月
歩くこと、考えること
なんのき / 日立製作所グループ経営企画室 4 2004年04月
文庫、新書の海を泳ぐ 小田光雄著 編書房(2002年11月)
教養諸学研究 115 2003年12月
ジャンケレヴィッチを読む (九)
教養諸学研究 115 2003年12月
いのちの声のいのち 「空の歌」とは何か
国文学 学燈社 48巻13号 2003年11月
ジャンケレヴィッチを読む(八)
教養諸学研究 114 2003年03月
ジャンケレヴィッチを読む(七)
教養諸学研究 113 2002年12月
レンブラント フォルムの素描家
彩流社 2002年11月
からだの言葉・宇宙の言葉
体育科教育 大修館書店 50号7巻 2002年05月
イタリア絵画史 中世
白水社 2002年04月
ジャンケレヴィッチを読む(六)
教養諸学研究 112 2002年03月
図書館逍遥 小田光雄著 編書房 (2001年7月)
教養諸学研究 111 2001年12月
屈服しないこと
リキエスタの会 2001年12月
ジャンケレヴィッチを読む(五)
教養諸学研究 111号 2001年12月
ラファエッロ 幸福の絵画
平凡社 2001年10月
映画の中の映画
インターコミュニケーション / NTT出版 37 2001年07月
IT時代の回り道
インターコミュニケーション / NTT出版 36 2001年04月
自伝と近代
日文研叢書 22, pp. 139-155 2001年03月
時代小説の愉しみ
平凡社 2001年03月
ジャンケレヴィッチを読む(四)
教養諸学研究 110, pp. 1-35 2001年03月
ジャンケレヴィッチを読む(三)
教養諸学研究 109, pp. 1-30 2000年12月
歌の二番はなぜあるか?
大航海 35, pp.89-90 2000年08月
スポーツの私性に行き着く10冊
インターコミュニケーション 33, pp. 140-141 2000年07月
ハエ・マウス・ヒト
みすず書房 2000年04月
中村三郎先生の思想と行動
教養諸学研究/政治経済学部 108; 2000年03月
聖なる小さなもの
月刊百科/平凡社 449;54-56 2000年03月
河原理子著 犯罪被害者
教養諸学研究/政治経済学部 108;255-258 2000年03月
ハイルブラン 女の書く自伝
国文学/学燈社 653;72-73 2000年03月
クリステヴァ 外国人
国文学/学燈社 653;16-17 2000年03月
なんだかわからないものと無を読む(二)
教養諸学研究/政治経済学部 108;17-39 2000年03月
ただ走る哲学者
平凡社 2000年02月
なんだかわからないものと無を読む
教養諸学研究/政治経済学部 107;37-64 1999年12月
生まれる—生の美学序説
教養諸学研究/政治経済学部 106 1999年03月
モンレアルの不安とよろこび
ふらんす/白水社 74;3 1999年03月
モンレアルのインディアン
ふらんす/白水社 74;2 1999年02月
ケベックのフランス語?
ふらんす/白水社 7;1 1999年01月
ケベックの先住民
みすず/みすず書房 453 1998年12月
多文化主義の落とし穴
みすず/みすず書房 452 1998年11月
モンレアルの映画館
ふらんす/白水社 73;11 1998年11月
言葉と政治
みすず/みすず書房 451 1998年10月
モンレアルのレストラン
ふらんす/白水社 73;10 1998年10月
モンレアルの夏
ふらんす/白水社 73;9 1998年09月
ハバナの子供たち
月刊百科/平凡社 431 1998年09月
野菜カゴの中で
みすず/みすず書房 449 1998年08月
広さの功罪
ふらんす/白水社 73;8 1998年08月
モンレアルの木
ふらんす/白水社 73;7 1998年07月
セントキャサリン街
みすず/みすず書房 448 1998年07月
診察室のビラ
みすず/みすず書房 447 1998年06月
モンレアルに住む理由—ケベック便り
ふらんす/白水社 73;6 1998年06月
動物的ないのちの悲哀
国文学/学燈社 43;6 1998年05月
到着—二つの言葉の町から
みすず/みすず書房 446 1998年05月
ピエロ・デッラ・フランチェスカについて
みすず/みすず書房 445 1998年04月
ソクラテス嫌い
月刊百科/平凡社 426 1998年04月
生活美学とベイトソン思想−「朝7時に起き、歯をみがかないで(なぜなら魚もみがかないから)朝ごはんを食べた」について考える
教養諸学研究/政治経済学部 101 1997年01月
ピエロ・デッラ・フランチェスカ
白水社 1997年01月
司馬遼太郎のほんとうのよさ−移動の楽しみ
大航海/新書館 13 1996年12月
はじめにシミュラークルありき−ニーチェ・ベルクソン・ドゥルーズ、そしてクロソウスキー
大航海/新書館 12 1996年10月
死せる第三世界のためのパヴァーヌ−屈服しないこと 5
みすず/みすず書房 423 1996年06月
知識人はなんの役に立つか?−屈服しないこと 4
みすず/みすず書房 422 1996年05月
近代の映像−イマージュを読む
青弓社 1996年05月
国家は頼みの綱か冷酷な怪物か−屈服しないこと 3
みすず/みすず書房 421 1996年04月
たんぽぽの種子−杉田秀太郎の愛のかたち
ちくま/筑摩書房 300 1996年03月
「風の果て」論
教養諸学研究/政治経済学部 100 1996年03月
《類似》の哲学
筑摩書房 1996年03月
マルクス主義の何を救うか(ドゥブレ/ジーグラー)
みすず/みすず書房 419 1996年02月
「ながい坂」論
教養諸学研究/政治経済学部 99 1996年01月
かくもグローバルでない地球(ドゥブレ/ジーグラー)
みすず/みすず書房 417 1995年12月
ジャン・コクトー−思い出の肖像
アテネ・フランセ文化センターニュース/アテネ・フランセ 1995年10月
谷崎流反プラトニズム−千葉俊二著「谷崎潤一郎」を読む
国文学研究/早大国文学会 116 1995年06月
死とはなにか(ジャンケレヴィッチ)
青弓社 1995年06月
二つの言葉の町モントリオール
2003年
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「V.ジャンケレヴィッチと小林秀雄の比較思想史的研究」を進めるにあたって、まず、ジャンケレヴィッチの主著でありながら、これまでほとんど紹介すらじゅうぶんにされておらず、題名のみが喧伝されている『なんだかわからないこととほとんど無』の読解から手をつけた。同書は単に大部(全3巻で計四四七ページ)であるばかりでなく、題名が暗示するように、またジャンケレヴィッチのほとんど切れ目のない数ページにわたって続く独特の文章で書かれているために、ほとんど翻訳不可能(すくなくとも商業ベースにおいては)ということもあり、できるだけ忠実に、解釈を避けて、読んでゆくことをこころがけた。ジャンケレヴィッチの哲学的教養の背景は独特であるので(父親はロシア出のユダヤ人医師であり、またヘーゲルとフロイトのフランスへの翻訳紹介者でもあり、本人ジャンケレヴィッチはその影響を受けつつ、さらに若年時より教父哲学を好んで読んでいた)、この忠実な読みというのが、思いのほかむずかしかった。二〇〇三年度個人特定課題研究助成費を受ける以前から進めていたこの作業は、それでも全三巻のうちの二巻の途中まで、すでにすこしずつではあるが進行していたため、今回はそれをかなり推進することができ、第二巻の終わりまで到達することができた。その結果の一部は、二〇〇三年十二月発行の『教養諸学研究』第百十五号(早稲田大学政治経済学部)に掲載することができた。詳細はそこへ譲るほかはないが、研究の最終目標である小林秀雄との類縁性が、記述スタイルの明白な差にもかかわらず、次第に見えてきたと思われる。
2000年
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ジャンケレヴッチの主著の一つ『なんだかわからないものとほとんど無』を読み解くことに終始した。全3巻のうち、第2巻のはじめまで終了した。今後もこれを続け、しかるのちにベルクソンとの関連に移る予定である。
1999年
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ベルクソンからジャンケレヴィッチへの流れ・系譜を追究するためにも、ベルクソン自体、ジャンケレヴィッチ自体の著作の再検討が必要となる。ベルクソンについては、かねてから読み続けていること、全著作がほとんど翻訳されていること、内外の研究書の豊富なこともあって、手掛かりはじゅうぶんだが、ジャンケレヴィッチについては難しい点が多い。なにより、主要著作が翻訳されていない。また、それについての論及も少ない。そもそもジャンケレヴィッチの著作自体が、単に大部であるだけでなく、非常に特異な文体と構成をもっており、一般的な言い方でいえば読みにくい。したがって、今年度はジャンケレヴィッチの代表作のひとつ『なんだかわからないこととほとんど無』を、まずなにより読解することを目標とした。全3巻の構成であるので、第1巻の内容要約を自分なりにつくるかたちで行った。 現在のところ、成果と呼べるようなものであるかどうかは不安だが、『教養諸学研究』(早稲田大学政治経済学部)に順次発表しつつある。それにより、これまで了解していたつもりのジャンケレヴィッチ哲学のあらたな側面が見えてきたように思う。ごく簡単にいえば、自ら「作家ではなく、語る人である」といっていたジャンケレヴィッチにおける言語意識の鋭敏さ、哲学を言語表現の単なる対象とは見ない屈折した感情と、彼自身の思考のあり方との内的関連性である。今後は、ジャンケレヴィッチの原文の息づかいに即した読解を第3巻までおこなうとともに、そこから見えてくるジャンケレヴィッチ像を、ベルクソン哲学と突き合わせて、研究課題である「生の哲学の再考」を目指していきたい。
1996年
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実際の内容は研究成果を見てもらうしかないが、研究の課程中に課題は拡大ないし深化しベルクソンとジャンケレヴィッチとの関連における小林秀雄研究から、生の哲学の枠内での美の問題、美と倫理の問題へと移行し、現在も継続中であり、近々著書としてまとめる予定である。小林秀雄研究という限定したものは、そうした広いパースペクティヴでの成果が得られたのちに、個別研究・モノグラフィーとして、いずれ数年後にまとめてみたいと考えている。
1995年
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今年度は,これまで研究して得た成果のまとめに終始した。二重性についてこれまで発表してきたものを,新たな資料とつき合わせ,考え直し,書き直し,それを『《類似》の哲学』(第1部:オリジナルとコピー,第2部:類似と二重性。筑摩書房,1996年3月20日刊)としてまとめた。著者の専門である美学領域での二重性の研究は,ほぼこれで尽したと思うが,それを更に貨幣と言語の関連性においても考えようとする計画は,上述の書を参照していただけば分かるように,足固めは出来たと信ずるものの,更に今後の検討に委ねられる。
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