2024/03/29 更新

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チバ キヨシ
千葉 清史
所属
社会科学総合学術院 社会科学部
職名
教授
学位
博士(哲学) ( ボン大学(ドイツ) )
プロフィール
1995 03. 京都大学文学部卒業 1999 03. 京都大学大学院文学研究科修士課程修了 2005 03. 京都大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得中退 2001 10. ボン大学(ドイツ)哲学部 修士課程 入学 2002 10. ボン大学(ドイツ)哲学部 博士課程 編入 2012 03. ボン大学(ドイツ)博士課程 修了(学位:哲学博士Doktor der Philosophie) 2012 10.~2016 03. 山形大学人文学部 准教授 2016 03.~2018 03. 早稲田大学社会科学総合学術院 准教授 2018 04.~ 早稲田大学社会科学総合学術院 教授

経歴

  •  
     
     

    京都大学 大学院文学研究科 思想文化学専攻

学歴

  • 2002年10月
    -
    2012年03月

    ボン大学(ドイツ)   哲学部   哲学科  

委員歴

  • 2022年04月
    -
    2024年04月

    日本カント協会  千葉 清史

所属学協会

  •  
     
     

    UK Kant-Society

  •  
     
     

    東北哲学会

  •  
     
     

    関西哲学会

  •  
     
     

    日本哲学会

  •  
     
     

    日本カント協会

研究分野

  • 哲学、倫理学

研究キーワード

  • カント哲学、形而上学、認識論、数学/論理学の哲学

受賞

  • 早稲田大学リサーチアワード(国際研究発信力)

    2017年01月   早稲田大学  

  • Kant Preis fuer das akademische Jahr 2009/2010

    2010年07月   ボン大学哲学部哲学科  

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    2009/2010年度にボン大学哲学部哲学科に提出された博士論文のうち、最も優秀なものに与えられる賞(賞金3000ユーロ)

 

論文

  • ア・プリオリな哲学的認識はいかにして可能であるか

    千葉 清史

    現代カント研究15:批判哲学がめざしたもの     61 - 80  2021年11月

    担当区分:筆頭著者

  • Ist der Raum aktual-unendlich?: Über den Raum als "eine unendliche gegebene Größe"

    Kiyoshi Chiba

    Natur und Freiheit: Akten des XII. Internationalen Kant-Kongresses     1461 - 1468  2018年11月  [査読有り]

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    In the “Antinomy of Pure Reason”, Kant rejects die actual infinity – the not only non-infinite, but also magnitude given as a whole – at least regarding the spatiotemporal world. However, there are some passages where Kant seems to affirm the actual infinity regarding something cognizable; the famous passage is the following from the “Transcendental Aesthetics”: “The space is represented as a infinite given magnitude” (B39); cf. also “Über Kästners Abhandlungen” (AA20, 419-422). There are, however, also passages which suggest that even the space can be merely potentially infinite; cf. e.g. Opus Postumum, AA22: 45.
    In this paper, I defend the claim that within Kantian framework, even the space be merely potentially infinite. In Section 1, I criticize the actual-infinity interpretation of space by showing that (1) it cannot be validate by an appeal to the “horizon” (e.g. by Charles Parsons) (2) it contradicts Kant’s arguments in the “Antinomy of Pure Reason. In Section 2, I construct my own potential-infinity interpretation.

  • 超越論的観念論と反応依存性:その反-懐疑論的帰結

    千葉清史

    思想   ( 1135号 ) 143 - 159  2018年11月

  • 「物自体」とア・プリオリ:冨田恭彦氏のカント批判によせて

    千葉 清史

    アルケー   ( 26 )  2018年06月

  • 野家氏のご批判に対する応答

    千葉 清史

    東北哲学会年報   ( 34 ) 65 - 67  2018年05月

  • アーサー・ダントの「歴史の物語論」と反実在論

    千葉 清史

    東北哲学会年報   ( 34 ) 49 - 61  2018年05月  [査読有り]

  • ドイツ語圏における現在のカント研究

    ハイナー・F・クレンメ(千葉清史 訳)

    新・カント読本(牧野英二(編),法政大学出版局,2018年2月)     85 - 88  2018年02月

  • Eine Verteidigung der klassischen Debatte zwischen der Zwei-Aspekte- und der Zwei-Welten-Interpretation

    Chiba, Kiyoshi

    日本カント研究   ( 17 ) 48 - 64  2016年07月

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    近年、いわゆる「二側面解釈」と「二世界解釈」の区別そのものに対する批判がなされるようになってきた。とりわけ重要なのは、二側面解釈と二世界解釈は実のところ両立可能であり、真の対立をなすものではない、という批判である。本論文で私はこの批判について考察し、これに対して二側面/二世界解釈の間の古典的論争を擁護する。
    件の批判の例として、本論文ではまずMichael Oberst 2015の考察を取りあげる。彼の批判は、適切な変更を加えれば、私自身が著書 Kants Ontologie der raumzeitlichen Wirklichkeit (Berlin, Walter de Gruyter 2012) で展開したカント自由論の二世界的解釈にも当てはまる。このことを確認した上で、解釈論争上の意義を引き続き持ち得るためには、二側面/二世界解釈間の区別はどのように変更されるべきであるかを明らかにする。

  • 超越論的論証の二種を区別する必要性

    千葉 清史

    東北哲学会年報   ( 32 ) 1 - 14  2016年05月  [査読有り]

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    「超越論的論証」には区別されるべき二種のものが存在する。本論考が示さんとするのはこのことである。両者が区別されることなく混在せしめられることにより、カント哲学理解のみならず、「超越論的論証」をめぐる考察自体が混乱させられる。まさにそれゆえにこそ、両者は明確に区別されなければならない。本論考は、超越論的論証の二種を、それぞれ、「ストローソン型」「カント型」と呼んで区別し、それらの内実ならびにその区別の必要性を明らかにする。
    第一節では、ストローソン型の超越論的論証の基本的性格が、以下の議論にとって必要な限りにおいて明らかにされる。第二節では、千葉2016(「カントによる帰謬法的証明の拒否における哲学方法論上の洞察」,『山形大学人文学部研究年報』第13号所収)の成果に依拠して、哲学的証明に関するカントの理念からはストローソン型の超越論的論法についての否定的評価が導かれる、ということが示される。しかしながら、このことによって、ストローソン型の超越論的論証の意義が全く失われる、ということになるわけではない。重要なことは、ストローソン型の超越論的論証だけでは十分ではなく、それはむしろ、哲学的証明に関するカント的理念に合致するような、まさに「カント的」と形容されるべきであるような、別種の超越論的論証が求められる、ということである。最後に第三節で、カント型超越論的論証の根本性格についての素描を提示する。

    CiNii

  • カントによる帰謬法証明の拒否における哲学方法論上の洞察

    千葉 清史

    山形大学人文学部研究年報   ( 13 ) 21 - 32  2016年03月  [査読有り]

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    『純粋理性批判』「超越論的方法論」における上の引用に始まる箇所でカントは、帰謬法的証明(すなわち背理法)は彼の超越論哲学において用いられてはならない、と論じている。現代の直観主義論理の支持者とは異なり、カントは排中律や二重否定除去則の論理的妥当性を疑っていないがゆえに、これは驚くべきことである。それどころか、彼自身が同書のアンチノミー論で超越論的観念論の間接的証明を提示している、という事情によって、帰謬法的証明のカントによる拒否はより問題的なものとなる。
    この一見した不整合に面して若干の解釈者は、カントによる帰謬法的証明一般の拒否あるいはアンチノミー論における間接的証明のいずれかを不適切なものとして退けることを提案している。私にはそうした判定は早急であるように思われる。本論考において私は、カントが帰謬法的証明を哲学において用いることを否定した際の論拠を検討し、その背後にある根本理念を擁護することを試みる。
    本論考は以下の順で進行する。帰謬法的証明の哲学における使用を拒否するカントの論拠には異なる二種のものが見いだされる。第一節ではそのうちの一つを扱うが、これは擁護不可能であることが容易にわかるものである。第二節で私はもう一つの、より尊重に値する論拠を検討する。しかしながら、その論拠がどれほど尊重に値するといえども、カントによる帰謬法的証明の拒否はいずれにせよ、彼自身がアンチノミー論で超越論的観念論の間接的証明を提示している、ということと斉合しない。第三節で私は、第二節の成果を用いつつ、カントによる帰謬法的証明の拒否はどのように弱められるべきかを示す。第四節では、特に、懐疑論の克服、という問題圏に関して、以上の考察から得られる教訓を引き出す。

  • カント自由論における自我の二面性テーゼと二世界解釈の融和

    千葉 清史

    山形大学紀要(人文科学)   18 ( 3 ) 15 - 29  2016年02月  [査読有り]

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    カントの「超越論的観念論」における現象と物自体の区別をめぐる解釈論争は、いわゆる「二世界解釈」と「二側面解釈」のいずれに与するか、という仕方で展開されることが今日では一般的である。どちらの陣営にも強みと弱みがあり、論争の決着は容易につけられるものではない。私自身は二世界解釈に与するが、本論考の目標は非常に限定的なものである。本論考は、二世界解釈にとって重大な困難を突きつける、カント自由論における自我の二面性テーゼ(《行為主観である自我は、一方では現象であるが、他方では物自体である》という主張)を取り上げ、これが二世界解釈に対する決定的な反例になるわけではない、ということを示す。
    本論考は次の順に進行する。第一節では、二世界解釈と二側面解釈それぞれの立場を素描する。第二節では、自我の二面性テーゼならびにそれに基づく自由と決定論の両立性についてのカントの議論を紹介し、なぜそれがとりわけ二世界解釈にとって問題であるのかを明らかにする。第三節では、そうした問題を解決し、二世界解釈の枠組みにおいて自我の二面性テーゼを理解する仕方を提案する。最後に第四節で、予想される若干の批判に対して私の提案を擁護する。

  • 「物自体は実在するか」という伝統的な問題の解決によせて

    千葉 清史

    山形大学大学院社会文化システム研究科紀要   ( 12 ) 15 - 26  2015年10月  [査読有り]

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    物自体の存在の問題に関しては、カント解釈史において長らく論じられてきたにもかかわらず、いまだ解釈者の間で十分な一致が見られているとは言い難い。こうした状況に面すれば、この問題はそもそも解決がつかないのではないか、と考えられても不思議ではない。こうした疑念に対して私は、議論状況の明瞭化が図られるならば、こうした伝統的な問題に関してすら我々は解釈において前進できる、ということを示したい。
    『純粋理性批判』の枠組みにおいては物自体の存在は認められねばならない。これが私が本論考で擁護するテーゼである。周知のごとく、この主張そのものにはいかなる新味もない。本論考の意義は、このテーゼを擁護する際に考慮されるべき諸論点の整理にある。
    本論考は次の順に進行する:まず第一節で、現象と物自体の区別に関する三つの異なる解釈枠組み、すなわち、二世界解釈、形而上学的二側面解釈ならびに方法論的二側面解釈を区別する。この枠組みのそれぞれにおいて、「物自体」ということが意味することが変わってくる。第二節では、物自体の存在を立証する有力な議論の候補として、「触発からの議論」を検討する。この議論には周知の困難がある。本節ではその問題点を明らかにすることが試みられる。第三節で私は、「触発からの議論」の改良版を提案する。この改良版は、前節で紹介される困難を含む多くの問題を回避するものであるが、物自体の存在主張ならびに物自体に対する少なくとも存在/現実性のカテゴリーの適用を避けることはできない。第四節において私は、物自体の不可知性ならびに物自体に対するカテゴリーの適用不可能性という論点は、物自体の存在主張をも否定するものではない、ということを示す議論の概略を提示する。最後に、本論考における考察を振り返り、物自体の存在の問題において前進するために考慮されるべき論点を総括する。

  • 二世界解釈と二側面解釈:そもそも何が問題だったのか?

    千葉 清史

    『近世哲学研究』   ( 18 ) 1 - 35  2014年12月  [査読有り]

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    カントの超越論的観念論についての解釈論争として現在代表的なものは、いわゆる「二世界解釈」と「二側面解釈」を巡るものである。前者は「現象」と「物自体」を二種類の異なる存在者とみなし、それに対して後者は「現象」と「物自体」を、一つの同じものについての二つの側面であると理解する。今日ではさらに、後者に関して「形而上学的」/「方法論的」ヴァリアントが区別される。また、これらのいずれにも属さないと自称する代案も提起されるに至り、論争はまさに混迷の様を呈している。
    本論文は、二世界/二側面解釈をめぐる今日の論争についての明瞭な見取り図を提示する。とはいえ本論文が目指すのは、今日の解釈諸学説の単なる紹介ではない。目指されるのはむしろ、錯綜した論争状況の根底にあるがと思われる対立点をクローズアップすることによって、論争そのものの理解ならびに決着に益するような、大胆な整理を行うことである。その対立点とは、私がKants Ontologie der raumzeitlichen Wirklichkeit (Berlin, Walter de Gruyter, 2012)で提起した「実在論的/観念論的(反実在論的)解釈」の区別である。
    初めの二節では、解釈論争における諸立場が生じてきた経緯を考慮しつつ、それらの内実を可能な限り明瞭化することを試みる。第三節では、「実在論的/観念論的解釈」の区別を用いて現在の解釈論争の状況を整理する。最後に、第四節で、このように整理された解釈論争がさらにどのように展開されるべきであるか、ということについての私の示唆を提示する。

    DOI CiNii

  • 直観主義数学の非時間的真理概念

    千葉 清史

    東北哲学会年報   ( 30 ) 1 - 14  2014年03月  [査読有り]

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    オランダの数学者L. E. J. ブラウアーを端緒とする直観主義数学がどのような真理概念を採るか(あるいは、とるべきか)、という論争は、現在に至るまで決着がついていない。特に意見が分かれるのは、直観主義数学の真理概念は時間依存的であるか、それとも非時間的であるか、という点である。前者のオプションは比較的容易に定式化できるが、理論的魅力に欠ける。それはとりわけ、数学上の直観主義において展開された考察や理論的道具立てを「反実在論」的思考の模範として一般化しようとするマイケル・ダメット以来の哲学的プログラムにとって重大である。後者のオプションが実現できれば望ましいが、しかしそれは容易ではない。最大の問題は、真理概念の非時間性の想定が、直観主義数学がコミットする反実在論そのものに反するように思われる、ということである。
    本論文は、さしあたり直観主義数学の枠内で、整合的な非時間的真理概念を構築することを試みる。第一節では、ダグ・プラヴィッツによる試みを検討し、その問題点を明らかにする。彼の試みは、数学的真理を非時間的意味における「証明可能性」に基づけた上で、これを、非時間的に存在する潜在的証明の存在として説明せんとするものであるが、この試みは、直観主義数学による(1)実無限総体ならびに(2)排中律の拒否に斉合しない、という困難を抱える。この確認のもとで、第二節では私自身の代案を提示する。その根本着想は、プラヴィッツとは異なり、非時間的意味での「証明可能性」を、時間において獲得される証明に言及しつつ規定することである。第三節では、私の代案が、プラヴィッツの案が陥る二つの困難を回避し、また、直観主義数学の反実在論的想定とも整合的であることを示す。

    CiNii

  • Reply to Henny Blomme

    Chiba, Kiyoshi

    Transcendental Philosophy Research,. Author Meets Critics Session (Online Publication)    2013年12月

  • Reply to Chris Onof

    Chiba, Kiyoshi

    Transcendental Philosophy Research, Author Meets Critics Session (Online Publication)    2013年12月

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    この応答においては、Chris Onofによって提起された拙著:Kants Ontologie der raumzeitlichen Wirklichkeit (Berlin, Walter de Gruyter, 2012)のに対する批判のうち、特に次の諸点について論じられる:(1) 認識独立性と認識超越性の区別、ならびにOnof自身が支持する「認識独立性+非認識超越性」の立場について。(2) 『純粋理性批判』におけるカントのアンチノミー解決に関する私の解釈に対するOnofの批判について。(3) reguress in infinitumとregress in indefinitumの区別について。(4) 私の解釈が、カントに主観的観念論を押し付けるものである、という危惧、ならびに『純粋理性批判』第1版「第四パラロギスムス」の解釈について。

  • Precis of Kants Ontologie der raumzeitlichen Wirklichkeit: Versuch einer anti-realistischen Interpretation der Kritik der reinen Vernunft

    Chiba, Kiyoshi

    Transcendental Philosophy Research, Author Meets Critics Session (Online Publication)    2013年12月

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    拙著:Kants Ontologie der raumzeitlichen Wirklichkeit (Berlin, Walter de Gruyter, 2012)の要約。

  • Dummettsche Formulierung des Realismus/Anti-Realismus

    千葉 清史

    PROLEGOMENA   ( 3 ) 1 - 11  2012年12月

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    本論考は、マイケル・ダメットの考察に範をとり、実在論論争に関わる哲学的古典の解釈一般に有意義となるような実在論/反実在論の区別の定式を仕上げることを目指す。
    第一節では、以下の諸点に関する先行的解明が行われる:(A) ダメットの考察において、以下の考察では注目されないこと、(B)「係争クラス」について、(C)「実在」と「真理」の関連、換言すれば、存在論的問題設定と真理概念に関わる問題設定の関連、(D) ダメット的定式の限界。この準備に基づき、第二節では、ダメットによる実在論/反実在論定式がより具体的に移設される。最後に第三節では、実在論/反実在論区別の核心概念である「検証依存性」が、関連する「概念依存性」ならびに「検証超越性」の概念との対比を通じて精密化される。

  • ヘンリー・アリソンの方法論的二側面解釈

    千葉 清史

    日本カント研究13:カントと形而上学     149 - 164  2012年10月  [査読有り]

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    いわゆる「方法論的二側面解釈(methodological two-aspect reading)」は、ヘンリー・アリソンの著作のおかげをもって、現在きわめて影響力のある解釈オプションとなるに至った。今日カントの超越論的観念論について論じようと思えば、この解釈オプションとの対決は不可欠である。しかしながら、その有名さならびに重要性にもかかわらず、それが実のところどのような見解をカントの超越論的観念論に帰せんとするものであるのかは決して明らかではない。
    本論考において私は、アリソンの方法論的二側面解釈がカント解釈として正しいか、ということとをさしあたり度外視して、まずはその内実を明らかにすることを試みる。私は次のように論じるであろう。アリソンの方法論的二側面解釈は内的不整合を含む。それが理解困難であり、また今までに多くの解釈者がその内実を十全に把握することに失敗した理由の一つは、彼らがこの内的不整合を突き止めるまでには至らなかったからである、と。
    本論考は次のように進む。第一節では方法論的二側面解釈に対する標準的説明が提示され、またそれがどのような点において不十分であるのかが論じられる。第二節では、形而上学的解釈一般に対するアリソンの反対議論の検討を通じて、アリソンの解釈の「方法論的」性格の内実が明らかにされる。第三節では、アリソンの解釈が、その「方法論的」性格と並んでさらに、時空的対象に関する実在論へのコミットメントをもその本質的要素として含む、ということが示される。第四節では、「方法論的」性格と実在論へのコミットメントは両立不可能である、ということが示される。しかしながら、この両者はどちらもアリソンの解釈における中心的な要素をなすがゆえに、アリソンの解釈は根本的に不整合であらざるを得ない、ということが帰結する。

  • 『純粋理性批判』第二版「観念論論駁」の論証上の特性

    千葉 清史

    『哲学論叢』   ( 39 ) 75 - 85  2012年06月  [査読有り]

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    本論考は、『純粋理性批判』第二版「観念論論駁」における外的認識についての懐疑論を退ける議論の論証構造の特性を、特に第一版「第四パラロギスムス」におけるそれとの比較において明らかにすることを試みる。両者の相違はしばしば次のように説明される:後者では空間的事物についての観念論――すなわち、空間的事物は我々の認識に依存して存在する、という見解――の導入によって懐疑論を退けることが試みられるが、「観念論論駁」は、空間的事物についての実在論――空間的事物は我々の認識から独立に存在する、という見解――を論証せんとするものである、と。こうした説明に対して本論考は、「観念論論駁」の議論は上述の意味での実在論/観念論の対立に関してむしろ中立である、ということを示す。また、この考察を通じて、「観念論論駁」(それはいわゆる「超越論的論証」の代表例とされる)の論証上の特性が明らかになり、さらに、第一版「第四パラロギスムス」のようなタイプの懐疑論批判の議論のカント理論哲学における位置づけにも新たな光が投げかけられることになる。
    本論考は次の順で進行する:まず第一節で、第一版「第四パラロギスムス」における懐疑論批判が概観される。それは実際、《空間的対象は我々の表象に依存して存在する》といった観念論的見解を導入することによって懐疑論を退けるタイプの議論である。次に第二節で、「論駁」の議論が概観され、その実在論/観念論の対立に関する中立性が示される。さらに第三節では、「論駁」の議論の論証上の特性が論じられる。それは実在論/観念論の対立のみならず、超越論的実在論/観念論の全論点に関して中立であり、こうした論点を主題化することをむしろ回避しつつ懐疑主義的立場の自己矛盾性を直截に示さんとするところにその特色がある。こうした論証的倹約性は懐疑論を退けるという目的に関しては理にかなったものであるが、外的認識の可能性の積極的な説明を与えない点において不十分なものであり、例えば第一版「第四パラロギスムス」のような、こうした説明を与える議論によって補われなければならない。

    CiNii

  • Kants Ontologie der raumzeitlichen Wirklichkeit: Versuch einer anti-realistischen Interpretation der Kritik der reinen Vernunft

    Chiba, Kiyoshi

    ボン大学哲学部(博士論文)    2012年03月

  • 『純粋理性批判』諸アンチノミー導出の統一的構造

    千葉 清史

    『日本カント研究9:カントと悪の問題』     141 - 156  2008年09月  [査読有り]

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    カントは、『純粋理性批判』のアンチノミー論第7節前半部で、超越論的実在論が諸アンチノミーに陥らざるを得なくなる事情を、諸アンチノミー間の相違に関わらない統一的な仕方で説明している。そのような説明がそもそも可能であるためには、個々のアンチノミーの導出、すなわち、アンチノミー論第2節における各定立・反定立の証明は、そのような統一的診断を容れるだけの統一的構造をもつのでなければならないはずである。そうした統一構造についてカント自身が与えている「矛盾対当」「弁証論的対当」による説明はしかし、個々のアンチノミー導出のために彼が実際に提示している議論に合致しない。本論文の目的は、求められる統一的構造を、特に、アンチノミー論第二節における諸アンチノミー導出の議論の検討を通じて析出することである。析出される構造は、カント自身の説明には合致しないものの、諸アンチノミーの統一的診断・解決という、カントの根本的意図によりよく斉合するものであることが示される。

  • 『純粋理性批判』の反実在論的解釈:その内実と意義

    千葉 清史

    『近世哲学研究』   ( 11 ) 76 - 94  2005年04月  [査読有り]

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    カントの「超越論的観念論」は、マイケル・ダメットが彼の反実在論を定式化した真理論的道具立てによって、より明快かつ意義深い仕方で解釈される。この基本路線に従って『純粋理性批判』全体を再解釈する、というプログラムを私は『純粋理性批判』の「反実在論的解釈」と呼ぶ。本論文で目指されることは、『純粋理性批判』の反実在論的解釈の基本的枠組みと、その解釈枠組みのカント研究に対する意義を明瞭ならしめることである。
    第一節では、実在論/反実在論のダメットによる定式の内実ならびにその定式を導く理論上の動機が概観される。第二節では、『純粋理性批判』の反実在論的解釈の枠組みが示される。最後に、第三節で、反実在論的解釈のカント研究における意義が論じられる。ダメット的道具立ては、カントの諸主張を明瞭ならしめるのみならず、さらに、カントの綜合/超越論的主観の理論に関する新たな問題圏を拓くという点でも有意義なものであることが示される。

  • 『純粋理性批判』第一版第四パラロギスムス論における検証主義的真理概念

    千葉 清史

    日本カント協会(編),『日本カント研究5:カントと責任論』     61 - 75  2004年07月  [査読有り]

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    超越論的観念論に与えられる内実は、その文脈によって多様である。本論文の目的は、特に『純粋理性批判』第一版第四パラロギスムス論において超越論的観念論に帰せられる要素を明らかにすることである。考察の対象となるのはそこにおけるカントの次の主張である:《超越論的実在論は不可避的に懐疑論に陥るが超越論的観念論はそれを回避する》。
    第一節では、当該箇所においてカントが明示的に与えている議論が概観され、それは解決不能なジレンマに陥るがゆえに維持不可能である、ということが示される。第二節では、同様の結論を持つ、第一版第四パラロギスムス論の直後で論じられる「批判的抗議」の方法論に依拠する議論を再構成することが試みられる。その結果、第一版第四パラロギスムス論において超越論的観念論に帰せられる本質的要素は、(超越論的実在論の認識超越的真理概念に対する)検証主義的真理概念であることが明らかにされる。

  • 『純粋理性批判』における現象概念について:“経験的実在論を可能ならしめる対象概念”という観点からの考察

    千葉 清史

    『哲学論叢』   ( 27 ) 14 - 15  2000年09月  [査読有り]

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    『純粋理性批判』における有名なテーゼ「経験の対象は物自体ではなく現象である」とは実のところどのようなことを意味しているのか。この問いに答えるために、本論文は次の論点に注目する:経験の対象を物自体と見なす限り、経験的認識を総じて疑わしいものと見なす「経験的観念論」が帰結せざるを得ない。経験の対象を物自体ではなく現象と見なす対象概念の転換は、そもそも経験が可能であるためには対象概念はどのようなものでなければならないか、という問題に対するカントの回答として理解できる。本論文は、特にこの問題設定に関わる限りにおける現象概念の内実を明らかにすることを目指す。まず、経験の対象を物自体と見なす「超越論的実在論」が「経験的観念論」に陥らざるを得ないとカントが考えた理由が考察され、次に、その困難を免れるために導入される「超越論的観念論」の内実が経験的認識に関する表象依存的真理概念として確定される。

    CiNii

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書籍等出版物

  • 現代カント研究15:批判哲学がめざしたもの

    千葉 清史, 山根 雄一郎( 担当: 共編者(共編著者))

    晃洋書房  2021年11月 ISBN: 4771035245

    ASIN

  • Kants Ontologie der raumzeitlichen Wirklichkeit: Versuch einer anti-realistischen Interpretation der Kritik der reinen Vernunft (Kantstudien-Ergaenzungshefte, Band 168)

    Chiba, Kiyoshi( 担当: 単著)

    Walter de Gruyter  2012年02月 ISBN: 9783110280807

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    本書の中心的問いは次のものである:イマヌエル・カントの『純粋理性批判』における「超越論的観念論」はいわゆる実在論であるのか、それとも観念論であるのか? この問題は、カント哲学を古来から現代にまで至る「実在論論争」に位置づけるにあたって、極めて重要である。
    「超越論的観念論」と呼ばれる以上、それが一種の観念論であることは自明であるように思われよう。しかしながら、現代哲学に通底する「観念論」一般に対する否定的評価のために、今日では、カントの超越論的観念論を一種の実在論として解釈する試みが優勢である。こうした傾向に抗して、本書は、超越論的観念論の観念論的解釈を擁護し、さらに、カント的観念論の具体的内実ならびにその現代的意義を明らかにする。具体的には以下の考察が行われる:
    第I部:従来のカント解釈においては、「実在論/観念論」の対立についての十分に正確な規定が欠けていた。本書は、現代分析哲学における「実在論論争」に注目し、とりわけ、マイケル・ダメットによって整備された「実在論/反実在論」の区別に依拠することによって、まずは、論争の中心となる実在論的/観念論的(反実在論的)解釈の相違の本質点を明らかにする。
    第II部:以上の概念的整備のもとで、『純粋理性批判』の内在的検討に基づき、超越論的観念論の観念論的(=反実在論的)解釈を擁護する。具体的には次のことが論証される:《超越論的観念論は実在論である》という想定とは両立し得ず、観念論的にしか適切には理解され得ないようなカントの議論が存在する(「純粋理性のアンチノミー」ならびに第一版「第四誤謬推理論」)。一方で、観念論的解釈は、一見すると実在論的解釈を示唆するテクスト箇所(「超越論的感性論」、第二版「観念論論駁」ならびにカントの自由論)は観念論的解釈と両立する。この証示を通じて、まずは、実在論的解釈に対する観念論的解釈の釈義的優位性が立証される。
    第III部:以上の考察の結論は、超越論的観念論は何らかの意味での観念論(=反実在論)である、ということにとどまる。今や、カント的観念論の具体的内実を画定し、それが今なお考慮に値する立場であることが示されるべきである。とりわけ以下の二点が考察される:
    (1)《対象は、我々がそれが我々によって知覚されている限りにおいてのみ存在する》といった極端に主観主義的な観念論をカントが採っていないことは確かである。しかしながら、それではカントの立場はどのようなものなのか? 従来の観念論的解釈はこの問題に十分な解決を与えられ得なかったが、それは、この問題を精密に扱うための理論的道具立てが欠けていたことによる。本書は、とりわけ現代の直観主義数学・論理学の成果ならびにクリスピン・ライトの「超-主張可能性(superassertibility)」に依拠しつつこれらをさらに洗練させたものを分析道具として用い、時空的現実についてのカントの観念論的存在論を擁護可能な立場へと再構成する。
    (2) カントは時空的現実(「現象」)のみならず、その基礎にある「物自体」もまた認めている。現象と物自体の関係はカント解釈における難問の一つであるが、以上の考察の成果を用いれば、それについての整合的で見通しの良い理解が得られる。《現象の基礎には物自体がある》いうカントの主張の根拠を検討し、この主張の観点から、時空的現実についての観念論的存在論がどのような制約を受けることになるかを解明する。さらに、どのような観念論/反実在論的立場においても「物自体」のようなものの想定は必須である、という一般的結論が得られる。

講演・口頭発表等

  • Secondary Quality Analogy and Response-Dependence: How Realistic can Transcendental Idealism be?

    Chiba, Kiyoshi

    UK Kant Society Annual Conference 2019: Problems of Kant's Philosophy   (ブリストル大学)  UK Kant Society  

    発表年月: 2019年08月

     概要を見る

    The so called “metaphysical two-aspect interpretation” of Transcendental Idealism by Lucy Allais and Tobias Rosefeldt has, as Rosefeldt recently expressed, a remarkable congruity with the contemporary “response-dependence” theories. They both appeal to an analogy with secondary qualities such as color, and aim at securing a form of realism while acknowledging some mind-dependent aspects of properties in question. I show in my presentation that such interpretations of Transcendental Idealism are committed to one of two types of response-dependence theories, which are respectively represented by Mark Johnston and Philip Pettit, and are thereby confronted with following dilemma: Either they ascribe to Kant the Johnston-type response-dependence theory and as a result fails to validate realism they purports; or they ascribe to Kant the Pettit-type theory and as a result is committed to the problematic assumption of isomorphism between appearance and things in themselves.

  • Laurence Bonjours Kritik an Kants Theorie der apriorischen Erkenntnis: Was für einen Beitrag leistet die analytische Epistemologie für die kantische Philosophie, und umgekehrt?

    Chiba, Kiyoshi  [招待有り]

    Workshop: Professor Dr. Kiyoshi Chiba   (ボン大学)  Internationales Zentrum fuer Philosophie NRW  

    発表年月: 2019年05月

  • アーサー・ダントの「歴史の物語論」と反実在論

    千葉 清史

    東北哲学会 第67回大会   東北哲学会  

    発表年月: 2018年10月

  • 歴史記述における相対主義/実在論:特にアーサー・ダントの物語論に則して

    千葉 清史

    「古代アメリカの比較文明論」A03・A04班合同研究会   (専修大学)  科研「古代アメリカの比較文明論 A03班・A04班  

    発表年月: 2018年07月

  • カント的「観念論」の擁護

    千葉 清史

    関西哲学会学会 第70回大会   (大阪体育大学)  関西哲学会  

    発表年月: 2017年10月

  • 遺跡保存を擁護する根拠:非現在主義的アプローチ

    千葉 清史

    科学研究費(新学術領域研究/研究領域提案型)「古代アメリカの比較文明論」2016年度研究者全体集会   (キャンパス・イノベーションセンター東京)  青山 和夫  

    発表年月: 2016年06月

  • Eine Verteidigung der klassischen Debatte zwischen der Zwei-Aspekte- und der Zwei-Welten-Interpretation

    千葉 清史

    日本カント協会学会   (東京)  日本カント協会  

    発表年月: 2015年11月

  • 超越論的論証:その本質と問題点

    千葉清史

    東北哲学会第65回学会   (福島)  東北哲学会  

    発表年月: 2015年10月

  • Ist der Raum aktual-unendlich?: Ueber den Raum als "eine unendliche gegebene Groesse"

    千葉 清史

    第11回国際カント学会(ウィーン)   (ウィーン)  カント協会  

    発表年月: 2015年09月

  • An Idea of Philosophy of Archaeology

    千葉 清史

    Nasca Roundtable Conference 2015   (山形) 

    発表年月: 2015年03月

  • Kants Ablehnung des apagogischen Beweises in der "Transzendentalen Methodenlehre"

    千葉 清史

    XXIII. Kongress der Deutschen Gesellschaft fuer Philosophie   (ミュンスター)  Deutsche Gesellschaft fuer Philosophie  

    発表年月: 2014年09月

  • 「物自体は存在するか」という伝統的な問題の解決に寄せて

    千葉 清史

    日本カント協会第38回学会   (東京)  日本カント協会  

    発表年月: 2013年11月

  • 直観主義数学の非時間的真理概念

    千葉 清史

    東北哲学会第63回大会   (盛岡)  東北哲学会  

    発表年月: 2013年10月

  • A Kantian Argument against Transcendental Arguments

    Chiba, Kiyoshi

    Bonn/Goettingen/St Andrews Kolloquium   (ボン大学)  Brecher, Martin (ボン大学, ドイツ)  

    発表年月: 2012年03月

  • Die metaphysische Zwei-Aspekte-Interpretation scheitert an der Antinomienlehre

    Chiba, Kiyoshi

    Kant-Studienwoche Goettingen   (ゲッティンゲン大学哲学部哲学科)  Ludwig, Bernd/Westphal, Kenneth (ゲッティンゲン大学, ドイツ)  

    発表年月: 2011年03月

  • 『純粋理性批判』諸アンチノミー導出の統一的構造

    千葉 清史

    日本カント協会第32回学会   (筑波大学)  日本カント協会  

    発表年月: 2007年11月

  • 第一般第四パラロギスムス論の反実在論的解釈

    千葉 清史

    日本カント協会第28回学会   (お茶の水女子大学(東京))  日本カント協会  

    発表年月: 2003年11月

  • 『純粋理性批判』の時間論における「反実在論」的性格

    千葉 清史

    日本カント協会第25回学会   (山形大学)  日本カント協会  

    発表年月: 2000年10月

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共同研究・競争的資金等の研究課題

  • 反応依存性理論を用いたカント的実在論の展開

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2020年04月
    -
    2023年03月
     

    千葉 清史

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    L. アライスとT. ローゼフェルトは、カントの「超越論的観念論」を、色をはじめとする二次性質とのアナロジーを用いることで実在論的に解釈することを提案した。彼らの解釈はカント解釈としては非常に説得的ではあるものの、いまだ「カント解釈としての正しさ」を追求する段階にとどまっている。本研究は、彼らの解釈を着手点としつつも、狭義の「カント解釈」を超えて、そのような解釈方針のもとでカントに帰されるような「カント的実在論」を、現在においても理論的魅力を持ち得るような哲学的立場として彫琢することを目指す。そのために本研究は、今日の分析形而上学・価値論等において提起されている「反応依存性」理論を援用する

  • 地球温暖化問題におけるシェリングのパラドクスと世代間利他主義の特質に関する研究

    研究期間:

    2019年06月
    -
    2022年03月
     

     概要を見る

    地球温暖化対策は、将来世代のための世代間利他主義に基づく行為である。そこで、本研究では、脳科学、哲学における自然主義的利他主義理解、徳倫理学における実践に基づく道徳形成といった諸研究を踏まえて、世代間利他主義の特質、世代内利他主義との異同を明らかにする。そのうえで、超長期の問題を扱うことのできる新たな選好や効用関数を検討する。本研究は、利他主義を一貫して実証的に考察し、将来世代の選好や効用関数を、現在世代によるパターナリスティックなものと見なす立場に立つ

  • 〈経験的改訂を容れる「ア・プリオリ」概念〉を用いたカント的超越論哲学の組み換え

    日本学術振興会  科学研究費

    研究期間:

    2018年04月
    -
    2021年03月
     

  • 《経験的改訂を容れる「ア・プリオリ」概念》を用いたカント的超越論哲学の組み換え

    研究期間:

    2017年04月
    -
    2020年03月
     

     概要を見る

    [千葉] 2018年度までの研究成果を総括し、L. BonJourによる分析認識論における「ア・プリオリ」研究がカントの超越論哲学のプログラムにどのように寄与しうるか、ということを論じる講演を2019年5月にドイツのボン大学で行なった(招聘講演)。8月には、カントの超越論哲学を反応依存性理論として理解する可能性についての研究発表をUK Kant Societyの2019年度大会で行なった。それと並行して、カント的超越論哲学の方法論的基礎の問題に取り組んだ。その成果の一端は2019年11月に開催された日本カント協会大会で発表された。また、さらなる考察の成果を、2021年公刊予定の『現代カント研究』第15巻に投稿する予定である。[田原]「ア・プリオリ」概念の特徴である普遍性と必然性とが、倫理学においてどのように説明・正当化されうるかという問題設定、ならびに、R. Forstが超越論的論証によって人権の普遍性を擁護しているという研究成果を昨年度から引き継ぎ、さらにそれを以下のように展開した。Forstが人権を正当化する論証とCh. Korsgaardが道徳的規範を正当化する論証には、両者とも部分的に超越論的論証が含まれることを指摘し、この論証が現代カント主義的倫理学において特徴的方法となっていることを明らかにした。この研究ではとくに、この両者の超越論的論証による普遍性の正当化に焦点を当て、その正当化においては、カント倫理学における道徳法則の普遍性の正当化とは異なり、経験からの独立が要求されないという点を重点的に検討した。また、今までの研究成果を公開し、意見交換を行うべく、2020年2月1日には鵜沢和彦氏、辻麻衣子氏、中野裕考氏を招聘した公開講演会「超越論的演繹」を、同2月28日には蝶名林亮氏を招聘した公開講演会「倫理におけるア・プリオリ」を開催した。認識のア・プリオリな構造を探求するカント的超越論哲学に歴史性の契機を取り入れる道を模索することが、当初考えていた本研究の目標の一つであり、分析認識論における「経験的改訂を容れるア・プリオリ」はそのための着手点を与えるはずのものであった。しかし、これまでの千葉の研究の結果、「経験的改訂を容れるア・プリオリ」は当初の目標には完全には適合しないことがわかってきた。とはいえ、それが歴史性に関わる含意を全く持たないというわけではない。「経験的改訂を容れるア・プリオリ」は、我々がア・プリオリに知られることがらがそのものが歴史的である、という帰結を持つものではないにせよ、それについての我々の認識が歴史的に変転しうる、という可能性を拓く。そこで、当初の計画を若干変更して、こうした限定的な意味での歴史性を受け入れるものとして、カント的超越論哲学を組み替える、という目標に変更することにした。千葉は、この目標のために(C.S. Jenkinsに代表される)今日の自然主義的「ア・プリオリ」論が有意義となるのではないか、との着想を得、その考察に着手した。(この研究は2020年度も継続する。)田原は、2018年度の成果によってア・プリオリと超越論的論証とを関連付けるという着想を得たゆえに、2019年度の研究においてForstとKorsgaardの議論をまとめて論じることが可能になった。この着想に基づき研究をスムースに進展させるため、当初の予定を若干変更し、2019年度にこの両者をまとめて論じる際の観点を2018年度から変更・拡張せずに、普遍性に限定した。その結果として、当初の予定では2019年度に集中的に研究する予定であったア・プリオリのもう一つの特徴である必然性について、継続的研究が必要となった。千葉・田原による分析認識論・実践哲学における「ア・プリオリ」概念研究の成果を総合し、本研究の最終目標:(ア・プリオリに知られることがらについての我々の認識は歴史的に変転しうる、という意味での)歴史性を取り入れることができるようなカント的超越論哲学の枠組みの構築を試みる。千葉は、『純粋理性批判』におけるカントの哲学的考察の方法論的基礎についての研究を継続しつつ、今日の自然主義者らによる「ア・プリオリ」研究を検討していく。諸個別科学による経験的探究の成果を超越論哲学的考察に取り込むこと(そしてそれによって超越論哲学そのものを否定するのではないこと)はいかにして可能であるのか、ということを解明することが最も重要な課題となることであろう。田原は、ForstとKorsgaardの研究を引き続き行う。2020年度には、「目的によって正当化されない当為(Sollen, ought)」というカント的意味での必然性の説明・正当化を、この両者がどのように継承しているのかを明らかにすることを目指す。その後、この必然性についての研究を、前年度までの普遍性についての研究と統合し、それをカント的「ア・プリオリな道徳法則」の現代的継承のひとつの展開としてまとめる。このまとめの際には、この両者による普遍性、必然性の説明・正当化を「経験からの独立性/経験への依存性」という観点から検討することが重要な課題となるはずである。また、本年度には、2019年度に予定されていたが2020年4月に延期され、また新型コロナ感染リスク回避のためにさらに延期となった、Martin Sticker氏(ブリストル大学)ならびにNicholas Stang氏(トロント)大学を招聘した公開シンポジウムを開催し、また、国内研究者を招聘しての研究会も数回開催する予定である

  • アンデス比較文明論

    研究期間:

    2014年06月
    -
    2019年03月
     

     概要を見る

    本研究では、世界遺産ナスカの地上絵が描かれているペルー南海岸ナスカ台地で現地調査を実施した。その結果、新たな動物の地上絵を約90点発見するとともに、約1000点の地上絵の分布および利用年代を明らかにした。さらに、動物の地上絵は移動ルート上の道標であったが、後に儀礼場としての役割を担ったことを学際的な研究によって明らかにした。また地上絵を保護・保存するために、オリジナルの地上絵を残した状態で、可視性の高い地上絵を実現する方法を確立した。本研究成果の学術的意義は、ナスカの地上絵の分布と時期を把握するだけでなく、それぞれの地上絵の利用目的を解明することができた点である。また地上絵を支えた社会の展開を1500年以上にわたって解明するとともに、それを先史アンデス社会の展開のなかに位置づけることができた点を挙げることができる。本研究の社会的意義は、ナスカの地上絵の保護活動に寄与できた点である。ペルー文化省と地上絵の保護に関する特別協定を締結した上で、本研究で発見した42点の動物の地上絵を保護するために、現地に遺跡公園を設立・公開した

  • 超越論的論証:その本質と発展可能性

    日本学術振興会  科学研究費

    研究期間:

    2014年04月
    -
    2017年03月
     

     概要を見る

    「超越論的論証」は、カント哲学の現代的発展可能性の有力候補として1960年代以来活発に論じられてきた。本研究は、「超越論的」と言われる論証形式・考察方法に特徴的な点は何であるのか、ということを、「超越論的論証」を異なる哲学的背景のもとで扱った英語圏とドイツ語圏の研究をともに視野に入れつつ解明・精緻化し、さらに両伝統の成果を突き合わせて総合することで、超越論的論証の新たな展開可能性を提示せんとするものである。

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現在担当している科目

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他学部・他研究科等兼任情報

  • 社会科学総合学術院   大学院社会科学研究科

特定課題制度(学内資金)

  • 「合理性の哲学」のための基礎研究:デレク・パーフィット『理由と人格』を中心として

    2023年  

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      本研究では、「合理性」概念の総合的解明を目指す社会科学諸分野にまたがる学際的共同研究の基礎固めとして、デレク・パーフィット『理由と人格』(Reasons and Persons, 1984)において展開された合理性理論の批判的検討を主として行った。  まずは、そのための準備として、哲学における「合理性」概念の多様性を概観し、その全体像を把握することに努めた。主たる論点の一つは、合理性についてのいわゆる「ヒューム主義的」理解(あるいは道具主義的合理性/経済学的合理性の観念)であり、それに対するさまざまな反論(例えばカント主義的、あるいは徳倫理学的な)があることが確認された。「ヒューム主義」は理論的に倹約で、それゆえに強力な立場であり、それに対してそもそもどのような問題提起が説得的になされうるのかが重大な問題となる。  続いて、パーフィットの特に『理由と人格』における合理性理論の考察へと進んだ。今年度の研究ではとくにその第I部・第II部を検討した。そこでは、ヒューム主義的な「自己利益」概念に対する批判的議論が展開されており、とりわけ未来における「自己」利益、という考えに疑いが投げかけられる。その議論のいくつかは、問題的であると思われた。とりわけ、「自己」に関するパーフィットの「破壊的」な議論は、特に(申請者が主な研究対象とする)カント的議論(例えば『純粋理性批判』「超越論的演繹」)によって退けられる、あるいは少なくとも弱められる、ように思われる。  本研究を通じて、パーフィットの議論に対する批判的諸研究、ならびに、パーフィット自身の考察のさらなる展開(『重要なことについて』On What Matters)等を参考にしつつ、パーフィットの「合理性」理論に対する批判をさらに進展させる、という研究目標を得た。

  • 『純粋理性批判』の反実在論的解釈の展開:「超越論的感性論」の再検討

    2022年  

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    本研究は、イマヌエル・カント『純粋理性批判』の「超越論的感性論」取り上げ、そこにおけるカントの議論を反実在論的に解釈する可能性を模索する、という継続したテーマの一部分をなす。本年度は特に、近年10年ほどの国際的カント研究における「超越論的感性論」解釈のフォローを行なった。とりわけ注目に値する二つの潮流として、L. Allaisによる解釈提案と、「カントの数学の哲学」の分野における研究(例えばCh. Onof, C. Posy, L. Shabelらによる)が私の「反実在論的解釈」の展開のために重要であることが確認された。本研究は、今後も継続的に取り組んでいく予定である。

  • 心的内容についての外在主義を用いたカント批判期認識論の再解釈

    2021年  

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    本研究は、イマヌエル・カント『純粋理性批判』における「超越論的観念論」を、いわゆる「心的内容についての外在主義」として解釈しようとする最近の試みを検討し、さらに、この解釈路線を展開することを通じて、外在主義をめぐる今日の議論において提起されている認識論的問題のカント的解決の可能性を模索することを目指した。しかしながら、R. Stern, K. Westphal, L.Allaisらによる、こうした路線での外在主義的解釈を検討した結果、そうした試みがうまくいきそうにない、という否定的結論が得られた。それらが共通に持つ難点として、カントのデカルト的懐疑に対する批判を十分に説明できない、ということが挙げられる。

  • 批判期カント理論哲学のア・プリオリ性を擁護する試み

    2021年  

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    本研究は、イマヌエル・カント『純粋理性批判』の哲学的認識のア・プリオリ性を擁護することを試みたものである。その際とりわけ問題となるのは、認識能力についてのカントの主張についてである。哲学的証明のあり方についてカント自身が与えている説明によっては、これらの認識の正当化は得られないことがまず確認された。これらの認識の正当化のためには、カント自身は明示的に触れなかったような特殊な認識能力を要請する必要がある。そのための手掛かりとして、本研究はLaurence BonJourによる「合理的洞察」に注目し、それがカント理論哲学に援用可能であろうとの見通しを得た。

  • 「表象が対象に関わるのはいかなる根拠に基づくか」とはどのような問いであるか

    2019年  

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    本研究は、「表象が対象に関わるのはいかなる根拠に基づくのか」というイマヌエル・カントの問いは何を意味するのか、ということを、現代の分析哲学の諸議論の対比において明らかにすることを試みた。とりわけ集中的に取り組んだのは、カント哲学におけるデカルト的懐疑の重要性を否定する最近の解釈者(L. Allais, J. Forster, T. Rosefeldt等)に抗し、デカルト的懐疑の克服という認識論的問題設定が件の問いの重要な背景的想定をなす、ということを示すことである。その成果の一端は、2020年1月26日に法政大学で開催されたカント研究会第331回例会で発表された。

  • 新たな超越論哲学の基礎としての、経験的改訂を容れる「ア・プリオリ」概念の彫琢

    2016年  

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    In this research, I have examined the ideas of “empirically defeasible a priori” in the current analytical epistemology, especially those developed by Laurence BonJour’s In Defense of Pure Reason (1998) and Albert Casullo’s A Priori Justification (2003). The main outcomes are: (1) The primary content of the “a priori” is the independence of experience. According to this, the concept of “empirically defeasible a priori” seems to be inconsistent. Against such an appearance, it can be shown that the “empirically defeasible a priori” can be coherent, even respectable for traditional apriorists (such as Kantians). (2) The central apprehension of opponents to the a priori in general, that a priori justifications cannot be reconciled with naturalism, has not yet been wiped out sufficiently, even by the detailed arguments by BonJour and Casullo; some further defense of the reality of a priori justifications are necessary. (3) BonJour’s idea that a priori justifications are based on “rational insights” deserves further development, thought it still has some insufficiencies and unclarities many critics have pointed out. My hypothesis is that this idea can be enriched in combination with the Kantian so called “transcendental” strategy.

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