2024/04/19 更新

写真a

コバヤシ ノブユキ
小林 信之
所属
文学学術院 文化構想学部
職名
教授
学位
哲学博士 ( ヴッパタール大学(ドイツ) )

経歴

  • 2009年
    -
     

    早稲田大学文学学術院 文化構想学部 教授

  • 2008年
    -
    2009年

    早稲田大学文学学術院 文化構想学部 准教授

  • 1996年
    -
    2008年

    京都市立芸術大学美術学部 助教授

  • 1990年
    -
    1996年

    京都市立芸術大学美術学部 専任講師

所属学協会

  •  
     
     

    映像学会

  •  
     
     

    実存思想協会

  •  
     
     

    西田哲学会

  •  
     
     

    京都哲学会

  •  
     
     

    日本哲学会

  •  
     
     

    美学会

  •  
     
     

    早稲田大学哲学会

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研究分野

  • 哲学、倫理学 / 美学、芸術論

研究キーワード

  • 哲学(近現代)、美学

 

論文

  • 感覚の共有可能性と個別性(補遺)

    小林 信之

    フィロソフィア   ( 109 ) 1 - 21  2022年02月

    担当区分:最終著者, 責任著者

  • 感覚の共有可能性と個別性: カント『判断力批判』再考

    小林 信之

    美学   72 ( 2 ) 1 - 11  2021年12月  [査読有り]

    担当区分:最終著者, 責任著者

  • カントにおける目的なき合目的性について

    小林信之

    早稲田大学大学院 文学研究科紀要 第66輯   66   13 - 24  2021年03月  [査読有り]

    担当区分:最終著者, 責任著者

  • 美的なものの概念をめぐって : カントとメルロ=ポンティの思考から

    小林 信之

    現象学年報   36   85 - 93  2020年11月  [査読有り]

    担当区分:最終著者, 責任著者

  • 美的なものの普遍性をめぐって ―両義性と感覚の独我論(補遺)

    小林信之

    哲学世界   ( 42 ) 1 - 13  2020年02月

    担当区分:責任著者

  • エポケーと無関心性

    小林信之

    フィロソフィア   ( 106 ) 1 - 17  2019年02月

  • 感覚の復権 ―レヴィナスにおける表象批判、超越の享受、脱=内存在

    小林信之

    早稲田大学大学院文学研究科紀要   ( 63 ) 1332 - 1317  2018年03月  [査読有り]

  • 感覚の復権 ―レヴィナスにおける表象批判、超越の享受、脱=内存在(承前)

    小林信之

    哲学世界   ( 40 ) 1 - 35  2018年02月

  • ハイデガー芸術論の射程 ―『対をなすもの』の問題系から

    小林信之

    電子ジャーナル『ハイデガー・フォーラム』   ( 11 ) 71 - 87  2017年05月

  • アイステーシス再考

    小林信之

    フィロソフィア   ( 103 ) 1 - 17  2016年03月

  • 創造について―瞬間とポイエシス

    小林 信之

    西田哲学会年報   ( 13 ) 56 - 71  2016年

    担当区分:最終著者, 責任著者

  • ふれることについて—触覚の現象学

    小林信之

    早稲田大学大学院『文学研究科紀要』   第60輯 ( 第1分冊 ) 21 - 36  2015年03月

  • もっとも無気味なものへの問い ―『形而上学入門』と「芸術作品の根源」

    小林信之

    『ハイデガー読本』、法政大学出版局     135 - 145  2014年11月

    担当区分:最終著者

  • 美の非情性

    小林信之

    エステティーク   ( 1 ) 20 - 24  2014年06月

  • 棺一基四顧茫々と ―情態性/エポケー/詩

    小林信之

    電子ジャーナル『Heidegger Forum』 No.8、2014、p.15-p.31.(http://heideggerforum.main.jp/ej.htm)   ( 8 ) 15 - 31  2014年04月

  • 在るてふことの不思議—場所と像

    小林信之

    日本哲学史フォーラム編『日本の哲学』第14号(特集: 近代日本哲学と論理)   14   29 - 44  2013年12月

  • 秋来ぬと風の音にぞ ─アイステーシスと生活世界

    小林信之

    早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌   1 ( 1 ) 6 - 16  2013年10月  [査読有り]

    担当区分:最終著者

  • Zwei Betrachtungen über die Kunst und die Dichtung. Der Einklang zwischen Heidegger und Nishida.

    小林信之

    Heidegger-Jahrbuch 7. Heidegger und das ostasiatische Denken, Hrsg. Von Alfred Denker, Shunsuke Kadowaki, Ryôsuke Ôhashi, Georg Stenger, Holger Zaborowski.   7   402 - 418  2013年09月

  • 「秋来ぬと風の音にぞ : アイステーシス/生活世界/時間性(東部会平成二四年度第二回美学会例会,例会・研究発表会要旨)

    小林 信之

    美學   63 ( 2 ) 151 - 151  2012年12月

    CiNii

  • アイステーシス —感性論としての美学をめぐって

    小林信之

    東北大学大学院文学研究科 美学・西洋美術史研究室内・第62回美学会全国大会・実行委員会『たそがれフォーラム発表報告集』(電子版)     1 - 13  2012年03月

  • かぎろひの立つ見えて —「いまここ」の知覚風景

    小林信之

    感性文化研究所(East-West Center for Research into Culture and Aesthetics)『紀要』   ( 7 ) 1 - 18  2012年03月

  • 痛みについて

    小林信之

    感性文化研究所(East-West Center for Research into Culture and Aesthetics)『紀要』   ( 6 ) 35 - 58  2010年03月

  • 美的仮象について

    小林信之

    京都市立芸術大学美術学部『研究紀要』   ( 52 )  2008年04月

  • 時と像

    小林信之

    理想   ( 680 ) 59 - 71  2008年02月

  • Die Kritik Heideggers an der Aesthetik und eine Andere Moeglichkeit des aesthetischen Denkens

    小林信之

    The Proceedings of the twenty-first World Congress of Philosophy vol.12 (Philosophical Trends in the XXth Century), Philosophical Society of Turkey, Ankara     15 - 22  2007年

  • デモンの系譜—シミュラークル論(3)

    小林信之

    京都市立芸術大学美術学部『研究紀要』   ( 50 ) 33 - 40  2006年04月

  • デモンの系譜—シミュラークル論(2)

    小林信之

    京都市立芸術大学美術学部『研究紀要』   ( 49 ) 57 - 64  2005年04月

    CiNii

  • 場所と像

    小林信之

    『四大の感性論—思想・アート・自然科学の関わりについての基盤研究』平成13-16年度科学研究費補助金(基盤研究A1)研究成果報告書     129 - 148  2005年03月

  • 西田哲学と美学的省察

    小林信之

    第33回三菱財団人文科学研究助成「比較思想的観点に基づく近代日本美学思想・芸術理論の基礎研究」研究成果報告書     1 - 77  2005年03月

  • イシスのヴェール—純粋性をめぐって」『』第2号、2005、p.60.-p.79.

    小林信之

    西田哲学会年報   ( 2 ) 60 - 79  2005年

  • The Veil of Isis –on purity

    小林信之

    Nishida Philosophy and Esthetic Reflection (第33回三菱財団人文科学研究助成「比較思想的観点に基づく近代日本美学思想・芸術理論の基礎研究」研究成果報告書)     60 - 76  2005年

  • デモンの系譜—シミュラークル論(1)

    小林信之

    京都市立芸術大学美術学部『研究紀要』   ( 48 ) 57 - 66  2004年04月

  • わたしは聖母マリアです—創造の論理

    小林信之

    美   ( 44 )  2004年

  • Welt als Spiegelbild −Zur „poietischen“ Besinnung Kitaro Nishidas

    小林信之

    Selected Papers of the 15th International Congress of Aesthetics, published by The Organizing Committee of the 15th International Congress of Aesthetics, Tokyo     160 - 167  2003年

  • 個・あいだ・場所—ハイデガー・和辻・西田の思索から

    小林信之

    京都市立芸術大学美術学部『研究紀要』   ( 46 ) 1 - 15  2002年04月

  • Kunst als Spiel -Zur Auseinandersetzung Hiedeggers mit Nietzsche

    小林信之

    Bulletin of Kyoto City University of Arts   ( Nr.45 ) 25 - 49  2001年04月

  • 芸術とテクノロジーをめぐる思索—ハイデガーの技術論から (Kunst und Technologie im Denken M.Heideggers)

    小林信之

    京都市立芸術大学美術学部『研究紀要』   ( 44 ) 43 - 52  2000年04月

  • 影像論

    小林信之

    京都市立芸術大学 美学文化理論研究会編『影像の美学』(「天門」002号)   ( 2 ) 66 - 77  2000年

  • ハイデガーのニーチェ解釈

    小林信之

    京都市立芸術大学美術学部『研究紀要』   ( 43 ) 53 - 78  1999年04月

    CiNii

  • ハイデガーと美への問い—無関心性をめぐって

    小林信之

    美学   ( 193 ) 1 - 12  1998年

  • Sprache und Dichtung - aus der japanischen Erfahrung

    小林 信之

    Bulletin of Kyoto City University of Arts   ( Nr.41 ) 41 - 60  1997年03月

    CiNii

  • イメージの解釈学への序論—ガダマーの視点から

    小林信之

    平成6-7年度科学研究補助金(総合研究A)研究成果報告書『想像力—その評価をめぐる比較美学的考察』     65 - 73  1996年03月

  • Die Kunstauffassung im Denken M.Heideggers

    小林信之

    Bulletin of Kyoto City University of Arts   ( Nr.40 ) 55 - 69  1996年03月

    CiNii

  • 空間と都市—シークエンスの概念を中心に

    小林信之

    京都市立芸術大学美術学部『研究紀要』   ( 39 ) 11 - 21  1995年04月

  • 感性の現在—ポストモダンの風景

    小林信之

    理想   ( 656 ) 106 - 115  1995年

  • Heideggers Begriff der "Stimmung"

    小林信之

    『〈感性的認識の学〉としての Aesthetik の可能性とその系譜』平成3-4年度科学研究補助金(総合研究A・研究代表者 岩城見一)研究成果報告書     19 - 29  1994年04月

  • ハイデガーの芸術論-その批判的考察

    小林信之

    京都市立芸術大学美術学部「研究紀要」 (大学・研究所等紀要 、1994 ) / 38 , 15-30   ( 38 ) 15 - 30  1994年

  • Das dichterische Wesen der Sprache im Denken M.Heideggers

    小林 信之

    Aesthetics (edited and published by the japanese society for aesthetics)   6 ( Nr.6 ) 87 - 98  1994年

    担当区分:最終著者, 責任著者

    CiNii

  • 詩作と言葉-M・ハイデガーに即して

    小林信之

    美学   42 ( 1 ) 36 - 47  1991年

  • 新しさの神話(承前)-或いはデュシャンの沈黙について

    小林信之

    京都市立芸術大学美術学部「研究紀要」   ( 36 ) 53 - 66  1991年

  • ハイデガーの真理論-真理と芸術

    小林信之

    京都大学文学部美学美術史学研究室「研究紀要」   ( 10 ) 91 - 128  1989年

  • 新しさの神話-現代芸術のために?

    小林信之

    京都市立芸術大学美術学部「研究紀要」   ( 35 ) 43 - 54  1989年

  • 芸術と空間-M・ハイデガーに即して

    小林信之

    美学   38 ( 4 ) 13 - 24  1988年

  • 作品と世界-M・ハイデガーに即して

    小林信之

    京都大学文学部美学美術史学研究室「研究紀要」 (大学・研究所等紀要 、1986 ) /   ( 7 ) 59 - 88  1986年

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書籍等出版物

  • ハイデガー読本

    小林信之

    法政大学出版局、2014  2014年11月 ISBN: 9784588150708

  • 国立新美術館編・野村仁—変化する相

    小林信之

    国立新美術館  2009年05月

  • Der Raum der Stadt –Raumtheorien zwischen Architektur, Soziologie, Kunst und Philosophie in Japan und im Westen.

    Nobuyuki Kobayashi

    Jonas Verlag  2008年05月 ISBN: 9783894453985

  • 京都学派の思想—種々の像と思想のポテンシャル

    小林信之

    人文書院  2004年 ISBN: 4409040634

  • Heidegger und die Kunst -im Zusammenhang mit dem Aesthetikverstaendnis in der japanischen Kultur

    Nobuyuki Kobayashi

    edition chora, Koeln  2003年05月 ISBN: 3934977073

  • Komparative Ethik

    Nobuyuki Kobayashi

    edition chora, Koeln  2002年

  • アイステーシス—21世紀の美学にむけて

    小林信之

    行路社  2001年 ISBN: 4875347227

  • Komparative Aesthetik. -Kuenste und aesthetische Erfahrung zwischen Asien und Europa

    Nobuyuki Kobayashi

    edition chora, Koeln  2000年 ISBN: 3934977030

  • Translation und Interpretation (Schriften der Academie du Midi Bd.V)

    Nobuyuki Kobayashi

    Wilhelm Fink Verlag Muenchen  1999年

  • 感性論

    小林信之

    晃洋書房  1997年 ISBN: 4771009198

  • 芸術学の射程

    小林信之

    勁草書房  1995年 ISBN: 4326848375

  • ハイデッガーを学ぶ人のために

    小林信之

    世界思想社  1994年 ISBN: 4790705285

  • 芸術の線分たち

    小林信之

    昭和堂  1988年

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講演・口頭発表等

  • 棺一基四顧茫々と—情態性/エポケー/詩

    ハイデガー・フォーラム第八回大会  

    発表年月: 2013年09月

  • 藤なみの影もうつらず —場所/像/死

    第24回日本哲学史フォーラム  

    発表年月: 2012年12月

  • 秋来ぬと風の音にぞ —アイステーシス/生活世界/時間性

    美学会東部会例会  

    発表年月: 2012年07月

  • 「場所」の思想と日本文化における空間造形—庭園芸術を例に

    ベルリン日独センター&チューリッヒ造形芸術大学主催シンポジウム テーマ: 都市の空間—日本と西欧の建築・社会学・芸術・哲学における空間理論から  

    発表年月: 2006年10月

  • さゞ波も奇しき—後期西田哲学におけるポイエシスと歴史

    第255回美学会西部会主催シンポジウム テーマ「芸術の場所」(大阪大学中ノ島センター)  

    発表年月: 2005年10月

  • イシスのヴェール—前期西田哲学と美的経験

    西田哲学会第2回年次大会シンポジウム テーマ「純粋経験」(上智大学)  

    発表年月: 2004年07月

  • 対話の可能性と不可能性--ハイデガー「ある日本人との対話」を出発点にして

    公開講演会 主催:京都大学大学院文学研究科21世紀COEプログラム、グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成、「新たな対話的探求の論理の構築」研究会(会場:京都大学文学部)  

    発表年月: 2003年12月

  • 美的仮象について

    第54回美学会全国大会(成城大学)  

    発表年月: 2003年10月

  • 死と影

    第14回国際シンポジウム(フランス、アレ・レ・バン) 、主催: アカデミー・デュ・ミディ  

    発表年月: 2002年05月

  • 倫理の間文化(インタカルチャー)的基礎としての「あいだ」について

    第13回国際シンポジウム(フランス、アレ・レ・バン) Ethik in Ost und West、主催: アカデミー・デュ・ミディ  

    発表年月: 2001年06月

  • 影像の美学

    シンポジウム「影像の美学」(京都市立芸術大学大学会館)美学文化理論研究会主催  

    発表年月: 1999年12月

  • 芸術とテクノロジー—M・ハイデガーの技術論をめぐって

    第50回美学会全国大会(金沢美術工芸大学)  

    発表年月: 1999年10月

  • 影像に関する美学的考察—日本文化のパースペクティヴから(Eine ästhetische Besinnung über den „Schatten“ aus japanischer Perspektive)

    第11回国際シンポジウム(フランス、アレ・レ・バン)「東西の美学」、主催: アカデミー・デュ・ミディ  

    発表年月: 1999年05月

  • 影像に関する美学的考察—日本文化のパースペクティヴから(Eine ästhetische Besinnung über den „Schatten“ aus japanischer Perspektive)

    第11回国際シンポジウム(フランス、アレ・レ・バン)「東西の美学」、主催: アカデミー・デュ・ミディ  

    発表年月: 1999年05月

  • 文化の相互理解可能性としての「対話」(Das Gespräch als Möglichkeit für interkulturelles Verständnis)

    第9回国際シンポジウム(ポルトガル、コビリャン)「解釈と翻訳」、主催アカデミー・デュ・ミディ  

    発表年月: 1997年05月

  • 意志と放下—ハイデガーのニーチェ解釈をめぐって

    第212回美学会西部会(京都造形芸術大学)  

    発表年月: 1997年02月

  • 詩作と言葉—M・ハイデガーに即して

    第41回美学会全国大会(広島国際会議場)  

    発表年月: 1990年10月

  • 芸術と空間—M・ハイデガーに即して

    第166回美学会西部会(京都市立芸術大学)  

    発表年月: 1988年12月

  • 現代における思索と芸術

    実存思想協会・ドイツ観念論研究会共催 ハイデッガー・シンポジウム(早稲田大学)  

  • 空間と都市—シークエンスの概念を中心に

    日本建築学会近畿支部主催シンポジウム「都市空間のシークエンスによる演出」(大阪大学工業会館)  

  • 芸術とテクノロジー

    第8回日本学術会議哲学系公開シンポジウム(東京)「転換期における人間」、主催: 日本学術会議哲学研究連絡委員会  

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共同研究・競争的資金等の研究課題

  • 近代日本思想におけるポイエーシスとプラクシスの相克と協働をめぐる総合的研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業 基盤研究(B)

    研究期間:

    2023年04月
    -
    2028年03月
     

    小林 信之

  • アイステーシスの経験と公共性―倫理的なものと美学との相関性をめぐる基礎研究

    研究期間:

    2017年04月
    -
    2020年03月
     

     概要を見る

    本年度は、昨年までの研究を継続し、アイステーシスと美的なものの概念にかんする現象学的テーマを展開した。とくに着目したのは、現象学におけるエポケーの概念と美学的な無関心性概念との連関である。フッサールの現象学的エポケーは、古代の懐疑論やデカルトの方法的懐疑とおなじライン上に、だがそれらを包括する批判的・学的観点をふくむものであった。しかしより広い意味において、世界をまえにした驚きにはじまる経験としてエポケーを考えるとすれば、そこには受動的で先意志的な次元にかかわるテーマがひそんでいるといえよう。エポケーとはいわば、「否応なく」おしせまってくる明証なのである。こうした広義のエポケーの延長において、本研究でとくに着目したのは、知覚経験の純化としてのアイステーシスの経験(美的・感性的経験)である。すなわちカントの無関心性の概念、詩的なものの経験、あるいはベルグソンのいうような、有用性と社会性の原理にからめとられた知覚を遮断し距離をおく態度(デタッシュマン)等々をその例としてあげることができる。受動的な不意打ちによって意志の停止がもたらされると同時に、美的な態度とアイステーシスの経験のただなかで、あらたに世界に目がむけられる。驚きとともに、住み慣れた日常の事物への気づきが生じ、だが同時に、人間的意味の被覆をとりさられた無意味性の世界が垣間みえる。そして日々の生活世界が脱文脈化され、世界における物と、世界内で生起する出来事とが、ことさらにわたしたちにおしせまってくるのである。わたしたちが美的なものを注視し、そのものに耳をすませるのも、そのようなエポケーの経験にうながされたからであろう。以上のように、これまであまり関連づけて論じられることのなかったふたつの概念の連関をことさらに主題化することで、美学上の新たな問題領域をうかびあがらせることにもなったと考えられる。その理由としては以下の点があげられる。前年度にエマニュエル・レヴィナスの哲学を研究対象にしたことにつづき、本年度はさらに包括的な視点から、現象学的思考と美学的反省との連関を問うことで、アイステーシスとその倫理性をめぐる主題をいっそう深化させることができた。そのことによって、本研究課題の大きな根幹部分がおおむね達成されたと判断している。具体的研究成果の公表も順調に推移しており、研究経費の有効な使用状況とともに、とくに大きな問題は見いだせない。以上から、完全とは言えないにしても、本研究はほぼ順調に進展していると評価できるであろう。本研究は、一応今年度で完結する予定であり、すでに公表した諸論考をはじめ、部分的に提示された思考を有機的に統合する作業がのこされている。具体的には、本研究に関連する全論考をまとめあげ、ひとまとまりの報告書に研究成果を統合することである。また当該学会において、本研究成果を発表し、公の場において批判的な議論に曝すことも当然必要になる。今年度は、美学会および日本現象学会における研究発表を予定している

  • 近代日本の美学芸術理論の総合研究―間文化性の視点から

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2014年04月
    -
    2017年03月
     

    小林 信之

     概要を見る

    本研究は、近代日本の思想および芸術活動において蓄積された文化哲学的・美学的理論を再検討すると同時に、比較思想および間文化性の観点から、それを他の諸文化圏の美学のなかに位置づけようという試みであった。いいかえるとそれは、アジアの近代化・西欧化という歴史的文脈において日本近代の思想形成を相対化し、同時にその埋もれた可能性に光を当てることでもあった。今回の研究は、西田幾多郎の芸術論など、忘れ去られつつある業績を含め、それらを再評価することで、従来にない切口を探ろうと努めた。主要な個別的研究テーマとして集中的にとりくんだのは、創造作用としてのポイエシス、詩作と歴史、美的なものの時間性等の主題である

  • アジア的美意識とは何か

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2006年
    -
    2009年
     

    神林 恒道, 大橋 良介, 上倉 庸敬, 藤田 治彦, 並木 誠士, 三木 順子, 青木 孝夫, 萱 のり子, 中川 真, 米谷 優, 岡林 洋, 仲間 裕子, 上田 高弘, 大久保 恭子, 吉田 寛, 小林 信之

     概要を見る

    ポストモダン、あるいはポストコロニアルと称される現状において、かつてのヨーロッパ的なもの、あるいは近代的なものと相対峙するアジア的美意識を貫通するもの、そしてそこから生み出された固有な芸術的創造性、すなわち「アジアの美学」の可能性を探求した。研究期間中、インドネシア、日本、台湾、中国で国際研究大会(アジア芸術学会・会長神林恒道)を開催し、アジア諸国の芸術学研究者との相互理解を深めることが出来た。2008年からは機関誌The Journal of Asian Arts & Aestheticsを刊行し、その成果を発表している。また韓国近現代美術史、中国美学史を翻訳、アジア諸国の国際研究交流に大きな貢献をなした

  • 平成18-21年度(2006-9年度)科学研究費補助金(基盤研究B)に基づく共同研究 研究課題「アジア的美意識とは何か」(研究代表者 神林恒道・立命館大学教授)

    研究期間:

    2006年
    -
    2009年
     

  • 平成17-19年度(2005-7年度)科学研究費補助金(基盤研究A)に基づく共同研究 研究課題「醜と排除の感性論」(研究代表者 宇佐美文理・京都大学教授)

    研究期間:

    2005年
    -
    2007年
     

  • 日本文化における空間概念をテーマとする芸術企画プロジェクト〈 city_space_transitions 〉(2004年度から2006年度まで、チューリッヒ芸術大学の芸術理論研究所における共同研究。スイス政府より助成)

    研究期間:

    2004年
    -
    2006年
     

  • 平成15-17年度(2003-2005年度)独立行政法人科学技術振興機構(特定非営利活動法人エコデザインネットワーク)の共同研究 研究課題「既存都市・近郊自然の循環型再生大阪モデル」(研究代表者 池上俊郎京都市立芸術大学教授)

    研究期間:

    2003年
    -
    2005年
     

  • 平成16年度三菱財団による研究助成(総額2000千円)テーマは「比較思想的観点に基づく近代日本美学思想・芸術理論の基礎研究」(研究代表者 小林信之)

    研究期間:

    2004年
     
     
     

  • 平成13-16年度(2001-4年度)科学研究補助金(基盤研究A)に基づく共同研究 研究課題「四大(地・水・火・風)の感性論−思想・アート・自然科学のかかわりについての基盤研究−」(研究代表者 岩城見一)

    研究期間:

    2001年
    -
    2004年
     

  • 美的・感性的経験の真理性の問題-ニーチェ、ハイデガーおよび現代解釈学の視点から

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    1998年
    -
    2001年
     

    小林 信之

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    (1)M・ハイデガーは、さまざまなかたちで芸術や美学的問題にとりくんできたが、その最もよく知られた結実が「芸術作品の根源」(1935年、Holzwege所収)であった。この論文で示されたようなハイデガーの思想的立場を明解に解釈するために、わたしは彼の思想を特有な存在論的パースペクティヴのなかに位置づけて理解しようと努めた。とりわけその場合、重要なのは、真理の問題を考慮に入れて彼の独自な芸術理論を考えることであると思われる。しかもそのように芸術概念と深く関連する彼の真理概念(アレーテイア、隠れなさ)とは、古代ギリシア哲学にまでさかのぼって獲得されたものであった。こうした根源的真理と芸術との独特な関係性を明らかにしたことが、本研究の第一の成果である。(2)次に第二のテーマとして、ハイデガーのニーチェ講義、とくに「芸術としての力への意志」がとりあげられた。ハイデガーはそのなかで、カントやショーペンハウアーなど伝統的な美学思想との対決を行うが、その過程で見えてきた、中後期ハイデガーの基本概念(Gelasseuheit放下としての芸術)の重要性が考察され、またニーチェの遊戯(Spiel)との比較も試みられた。以上の研究は、最終的にドイツ語論文のかたちでまとめられた。(タイトルは「ハイデガーと芸術の問題」。研究成果報告書を参照のこと)

  • 平成6,7年度(1994-5年度)科学研究補助金(総合研究A)に基づく共同研究 研究課題「想像力---その評価をめぐる比較美学的考察」(研究代表者 岩城見一)

    研究期間:

    1994年
    -
    1995年
     

  • 平成3,4年度(1991-92年度)科学研究補助金(総合研究A)に基づく共同研究 研究課題「感性的認識の学としての Aesthetik の可能性とその系譜」(研究代表者 岩城見一)

    研究期間:

    1991年
    -
    1992年
     

  • M.ハイデガ-の芸術論

     概要を見る

    M.ハイデガ-の芸術論を本年度、集中的に研究した成果は、二本の論文(「研究発表」の項参照 一本は投稿準備中)にまとめられたが、その内容を要約すると、以下のようになる。1.『存在と時間』(1927年)から論文「芸術作品の根源」(1930年代)へのハイデガ-自身の思想的展開の問題の究明。その際、とくに「作品」概念の重要性が強調され、「作品」が真理の場所として、「芸術作品の根源」において記述されることを示した。2.ハイデガ-芸術論の持つ問題点。ハイデガ-は芸術の本質を詩作に求め、民族の言葉に根ざしたものと考える。このように、芸術の根底にある種の土着性Bodenstandigkeitを見出すような考え方が、はたして現代の芸術にもあてはまるのかどうかが問われた。その外、芸術における「本来性」とは何か、という問題など、ハイデガ-の解釈を通じて、徹底的な対決が企てられた

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現在担当している科目

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他学部・他研究科等兼任情報

  • 附属機関・学校   グローバルエデュケーションセンター

特定課題制度(学内資金)

  • 西田哲学と芸術

    2023年  

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    「西田哲学と芸術」の問題を主題化するにあたって、とりわけ西田幾多郎独自の概念である行為的直観という観点から芸術の問題を考えることに注力した。行為的直観とは、わたしたちの実践そのものに、それを映すまなざしがどこまでも一体化していることである。そして西田幾多郎の哲学においては、行為と直観の両者による相互作用こそが歴史形成を導くものと見なされている。ところでこの行為的直観は、ポイエシスの原理として技術と深くむすびついているが、西田はその際、卓抜な技術としての「芸術」の働きに注目している。あるいはむしろ、歴史を制作的・ポイエシス的なものととらえ、相反する作用の統一である行為的直観のうちに歴史形成の論理をみる視点は、技術一般の純粋化された形態である詩や芸術の創造活動においてはじめて見てとられたのではないかとさえ思われる。たとえば彼は「弁証法的一般者としての世界」のなかで、「芸術的創作作用においては、われわれは概念的に物を構成するのではない、また単に受動的に物を模倣するのでもない。物がわれを唆すのである、われわれを動かすのである」と述べている。この意味で芸術の創造作用は、歴史における実践を、制作からとらえる視点を提供したと解することができよう。じっさい西田が「歴史的形成作用としての芸術的創作」といった論文を記したのも、まさにこうした観点に基づくものと考えられる。この論文で西田は、ハリソンやリーグルやフィードラーといった芸術学者の諸説を敷延しつつ、わたしたちの意識作用がその成立の根源から表現的であり、形成的であり、つまりはポイエシスであることを論じているのである。

  • 感覚の共有可能性と個別性 ―カント『判断力批判』の現象学的研究

    2022年  

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    『判断力批判』の美の分析論においてわたしたちが起点とするのは、あくまで美しいものにたいする個別的・一回的・偶然的判断である。しかし同時にその判断は、アプリオリな超越論的原理に基礎づけられ、普遍性と必然性を要求する権限を付与されている。ここには、なにかパラドクシカルで両義的な性格をみいださざるをえないが、そのような性格こそ、反省的な趣味判断の本質的特徴をなすものである。本研究は、こうした個別性と共有可能性の問題を、できるかぎりカント批判哲学内の論理に即して掘りさげることを課題とした。とくに趣味判断において統制的に機能しつつわたしたちをみちびく理念としての共通感官と演繹にかんする議論が考察された。

  • カントによる「美の分析論」の現象学的解釈

    2021年  

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    カントの『判断力批判』の中核をなすと考えられる「美しいものの分析論」の諸契機をひとつひとつ丹念に解釈し、従来の所説を再検討することが本研究の課題であった。しかもそれを現象学の立場から吟味することが試みられた。フッサールにはじまる現象学的観点の特徴は、あくまで一人称的視点(現象的特性)を保持しながら、なんらかのかたちで(たとえば超越論的主観性によって)普遍的な哲学的議論の場を基礎づけようとするものである。このような立場は、カントが切りひらいた感性的なものの固有性の問題に接続するものと解釈することができる。本研究はこの点に着眼して、従来のカント解釈の問題点を洗い出そうと試みた。

  • アイステーシスの経験と公共性―倫理的なものと美学との相関性をめぐる基礎研究

    2020年  

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    アイステーシス(感覚)と公共性の問題を考察するにあたり、本研究はとくにカントの『判断力批判』の研究に注力した。そのなかでも共通感官(sensus communis, Gemeinsinn)の概念の分析を中心におこなった。というのも共通感覚は、一方で「感情」を意味し、しかもそれは、感情一般ではなく、観照における反省的な快であるとみなされている。つまり美しいものの判断にむすびついた特権的な感覚経験が名ざされているのである。しかし他方で共通感官は、一種の理想的規範として、公共的合意を要求することができる。この点では共通感官は、道徳法則としての定言命令に類比的であり、倫理的な含意を有している。本研究は共通感官に内在するこうした両義性を主題化した。

  • 〈場所〉の現象学的美学に関する基盤研究

    2013年  

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    「場所」概念を現象学的に掘り下げるにあたり、本年度はとりわけ西田幾多郎の哲学とハイデガーの「情態性」に関する議論を中心に考察した。そこからさらに、場所論を美学上の問題として展開する論考も公表した。まとめると、研究成果は下記の項目に集約される。1.アイステーシス(美的・感性的働き)がわたしたちの日常的生活世界という「場所」において、どのように作動し、どのような意味をもちうるか、について。フッサールにはじまるエポケーの概念を再考すると同時に、それをよりラディカルに継承したハイデガーの「不安」概念を検討した。わたしたちの知覚経験は、たとえば風の音という「もの」のたち現れを聴き取る「気づき」の経験である。しかも、ものの現れは単独の孤立した現象ではなく、相互に連関しあったさまざまな意味の網目を構成し、わたしたちの生きる日常世界を指示している。世界は、わたしたちとものの出会いに先立って、意味の地平としてすでに開示されていなければならない。そしてそこからさらに、この世界を世界として可能にしている時間性が、たとえば「秋」という季節のおとづれの内に気づかれる(驚かれる)のである。 本論は、このように現象学的探求のなかで得られた世界概念とその構造への問いを遡及的に問い、そこから場所論へと展開する可能性を探求した。その際導きの糸となったのは、風の音に「驚く」というアイステーシスの経験であり、したがって本研究は広い意味での美学研究に位置づけることができる。研究成果は、早稲田大学総合人文科学研究センター『WASEDA RILAS JOURNAL』 NO. 1に公表した。2.西田幾多郎の場所論の考察。西田の場所概念と、その美学的展開可能性について検討した。その際、西欧において歴史的に形成された美学理論を相対化すると同時に、東アジア的世界に目をむける必然性に留意した。研究成果は、『日本の哲学』第14号に公表した。3.ハイデガーの情態性論を、とくにエポケー概念との連関において考察した。研究成果は、2013年9月におこなわれた学会(ハイデガー・フォーラム、於関西大学)にて公表した。

  • 公共性に対する美学的ないし感性論的諸問題の考究

    2012年  

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    本年度はとくに、感情や気分の問題に焦点を合わせた研究をおこなった。その枠組みのなかで、感情や気分の言語性・公共性と私秘性(つまり言語化不可能性、語りえぬもの)というテーマ、さらに語りえないものの表現としての美的ないし詩的表現の可能性について考察した。その際とくに、現象学におけるエポケー概念やハイデガーの情態性に関する分析を取りあげて解釈を加えた。 感情、情動、気分等々とわたしたちが通常名づけている事柄は、ハイデガーによって存在論的に「情態性」と規定されている。この本質規定の意味をいま一度問い直すことを起点に、それをエポケー概念との連関において検討しようと試みた。そこからさらに、「詩的言語」の問題にも議論を展開させたが、それは、詩的な語りの固有の目標が、情態性のさまざまな「実存論的可能性」を伝達すること(『存在と時間』SZ162)だからである。 一般に日常世界における気分や感情(たとえば「こわい」という感情)は、間主観的な共同世界における出来事として、公共的な言説によって分節化され理由づけられうるものと見なされる(「恐ろしい犬に出くわしたので、こわかった」等々)。つまり気分的・感情的に開示された世界は、すでに共同的・相互主観的世界であり、いわば「理由の空間」を前提している。したがってさまざまな気分や感情は、日常的なレベルでさまざまに名づけられ、共同的・間主観的な自己理解を伴いつつ言語的に分節化されているわけである。 だが、こうした日常的レベルでの気分・感情の分析に対してハイデガーは、「不安」や「退屈」の分析を対置し、それがある種公共的な自己理解を絶した、卓抜な開示性であることを明らかにする。つまりそれは、単独化された自己性の開示であり、公共的言語による分節化ではなく、固有で私秘的な自己存在の顕在化である。そしてそのような開示性から、詩や美的経験の可能性も開かれると考えられたのである。

  • 感性的経験と公共性について―他者性をめぐる美学的・倫理的考察

    2010年  

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     感性的経験、とくに身体感覚と公共性をテーマとするに当たって、本年度は、「痛み」の問題に焦点を合わせて研究をおこなった。 痛みの問題は、哲学の議論においてもっとも私秘的なものの事例として頻繁にあつかわれてきた。たとえばウィトゲンシュタインも、『哲学探究』の私的言語批判の文脈において執拗に痛みの例をとりあげている。そうした議論において主張されるのは、痛みの概念が、言語的公共世界のなかで習得され理解されるようになってはじめてわたしたちは、たとえば歯痛を歯痛として感じることができるようになる、ということである。公共的・言語的に意味づけられ分節化された歯痛はいわば「文化的歯痛」であり、わたしたちの歴史の文脈においてさまざまに語られうるようになる。 しかしながら痛みを、わたしの一回的個別経験として眺めた場合、言語化された意味を越えてずれと差異をおびてたち現れてくる。このときわたしの痛みは、他者にとって、けっして共有されえず、たえず無根拠な暗がりにむけて解釈の錘鉛をたらさねばならないような何かである。いや、他者にとってばかりではなく、すでに一時間前のわたし自身の痛みでさえ、いまここのわたしには疎遠でありうる。いまここで耐えがたく感じられている歯痛は、一回的な経験であるといわざるをえないのである。 このように、痛みという感覚経験の事例において、公共性と私性、倫理社会的観点と美的観点、等を鋭く対比的に考察することができる。さらにまた両者の対照は、いっそう具体化していくと、痛みの感覚実質の共約不可能性と表現可能性、言語に媒介された公共性と言語化しえない感覚の剰余、それら相反する両項の逆説的な関係を問うことへと展開せざるをえない。そうした課題に関して、理論的・哲学的議論にとどまらず、具体的な「痛みのイメージ」をめぐって、いくつかの事例を検討した(グリューネヴァルトのイーゼンハイム祭壇画、ラオコーン像、フリーダ・カーロ、石内都の写真作品等)。 なお研究成果としては、『感性文化研究所紀要』no.6 に論文として掲載する予定である。

  • 近代日本の思想形成と美学―比較思想的視点に基づく相対化の試み

    2009年  

     概要を見る

    本年度は日本文化における美意識や感受性の問題に関して、とりわけ現象学における知覚論を参考に研究をすすめた。 (1) メルロ=ポンティの知覚論・身体論と西田哲学とを批判的に対照し、たとえば「色彩」をめぐる問題について主題化した。 (2) 上記の現象学的研究をふまえつつ、とくに詩的経験をテーマとする論文を執筆した。この論考は、2010年3月に西田幾多郎記念哲学館において開催された日独哲学交流シンポジウム「形象の言葉/形象を見る―東と西West-oestliche(s) Bildsprache/Bildsehen 」で公表され、論文として出版される予定である。(タイトルは「かぎろひの立つ見えて ―〈いまここ〉の知覚風景」)。 目で見ること、耳を澄ますことで、わたしたちの前に直接知覚の風景が立ち現れ、この知覚の働きが、あらゆる認識の源泉として、たえずそこへと立ち返るべきところであると見なされてきた。しかしながら、たとえば空の虹を考えてみると、虹は言語的・文化的に規定されているから(とくに日本語の世界においては)七色に見えるのか、それとも言語的・意味的分節化に先立って、何か一般的な知覚経験が成立しているのか、容易に答えることのできない問いがここで生じてくる。知覚と言葉をめぐるこうした問いに関して、日本語の詩の言葉に注目することで考察は展開された。 詩的経験とは、生活世界における日常性をエポケーへともたらし、それを新たなまなざしのもとに見つめることを可能にするが、そこで露わとなるのは、わたしたちの知覚の働きの(1)非人称性と(2)身体性である。この二点に関して、メルロ=ポンティの『知覚の現象学』、ハイデガーの言語論、西田幾多郎の場所論、三木清の「構想力論」を参照しつつ議論をすすめた。 結論的に総括すれば、わたしという主体の基底には、歴史的・言語的に媒介された非人称的な「身」の次元があり、それは、「あらゆる特殊な定位可能性を一般的な企投のうちにふくみこんだ、匿名の〈諸機能〉のシステム」(『知覚の現象学』)であるということ、このことが明らかとなった。

  • イメージと〈場所〉-芸術の時空間をめぐる美学的基礎研究

    2008年  

     概要を見る

    「イメージと〈場所〉」というテーマに関して、本年度はとくに「場所」としての環境と、「イメージ」としての生態学的デザインとの関係という観点に絞って美学的研究をおこなった。 従来の狭義のデザイン概念は、物の設計や建造物の設計など、物象化された客体的側面のデザインに限定されてきた。しかしながら場所的環境はさまざまな次元で複合的に分節化されており、それぞれの次元に呼応した細やかな企図が求められると同時に、たえず全体的な「場所」の布置が視野に収められねばならない。この意味で空間的・場所的企画(デザイン)という大きな構造をまず設定し、そのうえで個別的な設計がなされる必要がある。これは同時に、現在までの個別科学的な学問分野にもとづく蛸壺的な近代的構想とディスクールでは不可能なデザイン概念であり、認識論ないし存在論におけるラディカルな発想転換を要求すると同時に、学際的・横断的設計を前提とするものである。 さらに、以上のように規定されるデザインを社会内におけるあり方として見た場合、デザインとは、「作られるもの」と「そのものにかかわる側(使用者・消費者)」との間に介在し、構成していくひとつの感性的技術である、と定義できるのではなかろうか。そこにはすでに作られたものが既成の場所環境として規制的に働くと同時に、ユーザーや消費者の側も、個別の利用状況に応じて固有の仕方で既存のものを作り変えていく。このようにデザインとはそれ自体、モノとヒトとのあいだの文化的〈場所〉として成立しており、けっして固定的な形成作業に限定されるものではない。 こうした観点から従来のデザイン(製品・企図・環境構築)を見直してみるとき、デザインの生態学的・環境指向的方向において、感性レベルでの新たなデザインの創出を考えることができよう。それはつまり場所的感性に依拠したデザイン論であり、製品など客体的・物理的レベルでのデザインにとどまらず、いわば象徴的・表象的レベルにおいて、場所構築の一領域としてデザインを考えていくということである。本年度の研究では、その具体的なあり方までふくめ、研究を進展させることができた。

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