2025/04/22 更新

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ナカムラ ミドリ
中村 みどり
所属
商学学術院 商学部
職名
教授
学位
博士(文学) ( 東京都立大学 )

学歴

  •  
     
     

    早稲田大学   教育学部   国語国文  

  •  
     
     

    東京都立大学   人文科学研究科   中国文学  

所属学協会

  •  
     
     

    早稲田大学中国文学会

  •  
     
     

    日本中国当代文学研究会

  •  
     
     

    中国文芸研究会

  •  
     
     

    日本現代中国学会

研究分野

  • 文学一般 / 中国文学

研究キーワード

  • 女性像

  • 日本観

  • 戦争

  • 留学生

  • 中国文学

  • the image of women

  • the image of Japan

  • war

  • foreign student

  • Chinese literature

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論文

  • 「内山完造と第三回大東亜文学者大会――「二本建」の処し方」

    中村みどり

    孫安石・柳澤和也編著『内山完造研究の新展開』(東方書店)     149 - 178  2024年03月

  • 「同時代小説としての中国文学と創作における日本語――『改造』「現代支那号」(一九二六年七月)について」

    中村みどり

    松本和也編『翻訳としての文学 流通・受容・領有』(水声社)     125 - 141  2024年03月

  • 「万太郎の戦時下上海への訪問と観劇――愛国劇『文天祥』をめぐって」

    中村みどり

    慶應義塾大学『久保田万太郎と現代』編集委員会編『久保田万太郎と現代 ノスタルジーを超えて』(平凡社)     386 - 405  2023年10月

  • 「中国留学生眼中的”日本”――郁達夫「帰航」与英国反日小説『和服』(Kimono)」

    中村翠(みどり)

    徐志民他著『団体与日常―近代中国留日学生的生活史』(北京:社会科学文献出版社)     211 - 236  2022年08月

  • 「大東亜文学者大会をめぐる交渉の力学――内山完造の関わりと二本立論」

    中村みどり

    『人文学研究所報』   ( 67 ) 271 - 282  2022年03月

  • 「《蝴蝶夫人》:従好莱塢電影到施蟄存与穆時英的小説」

    中村翠(みどり

    王晴編『日本漢学中的上海文学研究』(上海遠東出版社)     180 - 200  2021年10月

  • 「青島興亡をめぐる民族意識と父の記憶──洪深の映画脚本『劫後桃花』を中心に」

    中村みどり

    『夜の華――中国モダニズム研究会論集』(中国文庫)     148 - 173  2021年03月

  • 「洪深のアメリカ留学体験――自伝における人種差別・恋愛、そして演じること」

    中村みどり

    熊谷謙介編著『男性性を可視化する 〈男らしさ〉の表象分析』     93 - 127  2020年02月

  • 「日本占領下上海における陶晶孫の言説―─大東亜文学者大会と「老作家」・「狗」」

    中村みどり

    『野草』   ( 102 ) 60 - 84  2019年03月

  • 「中国人留学生が語る「日本」――郁達夫「帰航」とイギリス排日小説「キモノ」(Kimono)」

    中村みどり

    孫安石・大里浩秋編著『中国人留学生と「国家」・「愛国」・「近代」』(東方書店)     159 - 186  2019年03月

  • 「大学オーケストラから左翼演劇へ――芸術劇社における陶晶孫の音楽活動――」

    中村みどり

    『人文研究』   ( 191 ) 89 - 119  2017年03月

  • 「淪陥上海的叙述与故事――陶晶孫的文学陣地」

    中村翠(みどり

    『史料与闡釈』第4期     305 - 307  2016年09月

  • 「《蝴蝶夫人》――従好莱塢電影到施蟄存与穆時英的小説」

    中村翠(みどり

    『現代中文学刊』(双月刊)第44期     70 - 77  2016年05月

  • 「陶晶孫の日本留学と医学への道――陶烈、佐藤みさをとの交流から」

    大里浩秋・孫安石編著『近現代中国人日本留学の諸相――「管理」と「交流」を中心に』(御茶の水書房)     327 - 356  2015年03月

  • 「《留東外史》與日本」

    中村翠(みどり

    曾平原・何林福主編『平江不肖生研究専輯』     94 - 101  2013年01月

  • 「“一・二八事変”之後的日本幻想」

    中村みどり

    王中忱・林少陽主編『重審現代主義――東亜視角或漢字圏的提問』( 北京: 清華大学出版社)     259 - 284  2013年01月

  • 1930年代上海におけるハリウッド映画『マダム バタフライ』の受容

    中村みどり

    『文化論集』第41・42合併号   vol.41&42 ( 41 ) 135 - 148  2013年

    CiNii

  • 「対支文化事業」と陶晶孫――特選留学生としての軌跡

    中村みどり

    『中国研究月報』   vol.67 ( No.5 ) 1 - 18  2013年

  • 上海现代派改写的日本主义小说:以《蝴蝶夫人》为中心

    中村翠

    『「都市新媒体与近代上海」国際学術研討会論文集』     60 - 64  2012年

  • 七理重恵と中国歌謡(続)

    中村みどり

    『中国民話の会通信』   vol.99   2 - 8  2011年

  • 陶晶孫のプロレタリア文学作品の翻訳(続) ―人形座、築地小劇場との関わり―

    中村みどり

    『中国文学研究』   vol.35   63 - 77  2009年

    CiNii

  • 「陶晶孫のプロレタリア文学作品の翻訳 ―『楽群』を中心として―」

    中村みどり

    『中国文学研究』第33期     1 - 16  2007年12月

  • 「七理重惠と中国歌謡―『同仁』を中心として―」

    中村みどり

    『中国民話の会通信』   ( 89 ) 2 - 10  2007年09月

  • 「都市上海の中の「東洋」幻想 ――穆時英「PIERROT」論 」

    中村みどり

    『Waseda Global Forum』     59 - 70  2007年03月

  • 「放蕩留学生と日本女性――『留東外史』及び『留東外史補』『留東新史』について」

    中村みどり

    『野草』   77   18 - 35  2006年02月

  • 「浪漫空間「日本」 ―陶晶孫「独歩」と「水葬」を読む―」

    中村みどり

    『言語文化論叢』   ( 11 ) 89 - 98  2002年12月

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書籍等出版物

  • 「新文学と商業メディアの交錯――『良友』画報と鄭伯奇および現代派の作家たち」

    中村みどり

    2018年03月

  • 中国モダニズム研究会編『中華生活文化誌』

    中村みどり( 担当範囲: 「第12章 旅する 東西南北の風土、心の地図を開く」)

    関西学院大学出版会  2016年10月

  • 中国モダニズム研究会編『ドラゴン解剖学 中国現代文化14講 登竜門の巻』、、2014年10月、86-96頁、213-214頁

    中村みどり( 担当範囲: 「第9章 美術 水墨画からアバンギャルドまで」、「あとがき」)

    関西学院大学出版会  2014年10月

  • 中国モダニズム研究会編『ドラゴン解剖学 中国現代文化14講 登竜門の巻』

    中村みどり( 担当範囲: 「第12章 旅する 東西南北の風土、心の地図を開く」)

    関西学院出版会  2014年10月

講演・口頭発表等

  • 留日作家陶晶孫的“東京—上海文学地図”

    発表年月: 2013年

  • The Traces of Tao Jingsun’s Migration in Tokyo and Shanghai

    The Ist Asian Urban Forum  

    発表年月: 2013年

  • 上海現代派改写的日本主義小説――以《蝴蝶夫人》中心

    「都市新媒体与近代上海」国際学術研討会  

    発表年月: 2012年

  • 東方文化事業と陶晶孫

    留学生史研究会  

    発表年月: 2011年

  • 日中におけるジャポニズム小説の受容

    環日本海地域研究公開シンポジウム「中華圏におけるモダニズム」  

    発表年月: 2011年

  • 東方文化事業と陶晶孫ーー「特選留学生」から上海自然科学研究所へ

    早稲田大学中国文学会第三十六回秋季大会  

    発表年月: 2011年

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共同研究・競争的資金等の研究課題

  • 戦時下の北京・上海及び周辺都市における日本語出版物と文芸文化ネットワークの研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2021年10月
    -
    2026年03月
     

    大橋 毅彦, 石川 巧, 中村 みどり, 木田 隆文, 多田 蔵人

     概要を見る

    日中戦争下の北京・上海及びその周辺地域で出版された文芸文化に関わる日中両国語の出版物を調査して、未見の資料の発掘と紹介を行うことと、それらの分析を通してその当時人や書物をめぐってどのようなネットワークが形成されていたのかを明らかにすることを目指す。日本側研究者5名、中国側研究者4名によるオンラインでの研究会を当該年度にあって3回実施し、次のような研究実績を残した。
    まず、第1回目の研究会で、石川巧作成『中国国家図書館所蔵日本語雑誌リスト』(1938~1945)を活用して、資料収集・データの蓄積を図ることを当面の基本方針として決定、第2回目の研究会で調査対象の絞り込みを行った。その結果、日本国内では閲覧することの難しい雑誌8点が浮上してきた。具体的には、『大東亜』『江南春秋』『華北評論』『黄土』『オール上海』『上海カラー』『山東文化』『崑崙』である。
    北京にある中国国家図書館に直接赴くことのできる中国側研究者に、これらの雑誌の予備調査を依頼、第3回目研究集会はその成果報告会の形をとった。中には『華北評論』のように現在公開されていないという情報ももたらされたが、これまでその実態がほとんど知られてこなかった各雑誌の興味深い内容が次々と報告され、また、「北京・上海及びその周辺」以外に、山東省青島という地域も、戦時下の日中文学交渉を考えるにあたっての新しいスポットになるのではないかという展望も生じてきた。

  • 教育都市・青島をめぐる文化往来――1920~30年代中国のアイデンティティ構築

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2021年04月
    -
    2024年03月
     

    中村 みどり, 高橋 俊, 中野 徹, 杉村 安幾子, 齊藤 大紀, 中野 知洋

     概要を見る

    新型コロナウイルス感染拡大のもと、日本国内で可能な研究をメンバー6名各自が進め、年2回の研究例会をオンラインに切り替えて、研究報告と質疑応答、研究に関する情報交換を行った。またそのうち1回は中国民俗学研究者をゲストスピーカーとして招聘して中国関連のオンライン講演会を開き、メンバー各自の知見を深めることを試みた。具体的な内容は以下の通りである。
    〇2021年9月7日(火)第1回研究例会オンライン開催/報告:高橋俊「中国人にとって『成長』とはなにか」、杉村安幾子「方令孺研究」、中野知洋「孫陵と1940年代『自由』中国」、中野徹「沈従文『八駿図』と聞一多」、齊藤大紀「『上海帰りのリル』と忠魂碑の扱い」、中村みどり「創造社のモダニズムと黄瀛」
    〇2022年3月29日(火)第2回研究例会オンライン開催/報告:高橋俊「新セン文学について」、杉村安幾子「方令孺研究(続)」、中野知洋「孫陵と1940年代『自由』中国(続)」、中野徹「作家自伝の編集について」、齊藤大紀「『上海帰りのリル』と津村謙」、中村みどり「創造社のモダニズムと黄瀛(続)」/ゲストスピーカーによる講演:川野明正(明治大学法学部教授)「艾蕪の歩いた道─四川=雲南=ビルマ」
    メンバーの研究報告は、中国現代文学における教養小説のあり方や地域文学の構築、青島とゆかりのある作家たちの教育・文芸活動、日本人の中国体験の記憶の伝承、中国モダニズムと青島との関わりなど多岐にわたる内容となった。講演会は、川野氏が撮影した四川・雲南の写真と艾蕪の『南行記』テキストをもとに艾蕪の足跡を丁寧にたどった。講演を通して、1920~1930年代にかけての中国では、知識人が国内外の各都市を移動しながら教育・文化事業に携わっており、現在認識されているような国境や地域間の境界について当時の視点から考えなおす必要があることを再認識させられた。

  • 戦火とモダン―日中戦争時期重慶の文化芸術における表現様式の研究―

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2020年04月
    -
    2023年03月
     

    中野 知洋, 中村 みどり, 高橋 俊, 杉村 安幾子, 城山 拓也, 奥野 行伸

     概要を見る

    コロナ3年目に入り、現地調査を実施できない状況が続くが、2021年度は青島科研21K00333 ・湘西科研20K00363 と合同で、9月7日に第1回研究例会を、また3月29日に第2回研究例会をオンラインで開催することができた。第1回研究例会は、もっぱら各メンバーが個別研究の研究成果を報告するものであった。第2回研究例会は、2部に分け、前半が打ち合わせと研究報告で、各メンバーの今年度の総括と来年度の研究計画を報告した。後半はゲストスピーカーによる講演である。川野明正氏(明治大学)による講演「艾蕪の歩いた道―四川・雲南・ビルマ」を聴講した。1930年代、作家の艾蕪が旅した四川・雲南・ビルマの道程を発表者が撮影した写真を中心にたどったもので、作品に関わる非漢民族(いわゆる「少数民族」)や雲南漢人・ビルマ雲南華人について、漢人旅行者の現地民族との関係性や民俗・民間信仰(一例として漢人旅行者の現地民族女性に対する婚姻忌避の観念と民族間呪術の問題)・事物(塩業・旅店・雲南関係各種施設)などのトピックを取り上げて概観・報告されたものである。中国内陸部の重慶研究にとっても大きな収穫があった。
    共同研究者の研究成果としては、城山の日中戦争初期における葉浅予の抗日漫画研究、杉村の徐Xu「幻覚」を無名氏作品との関わりで見た研究、中村による洪深の映画脚本「劫後桃花」に関する研究発表と、大東亜文学者大会をめぐる内山完造の関わりに関する研究、中野の孫陵『辺声』に見る日中戦争時期の共産主義との接近に関する研究等がある。

  • 日中戦争期の湘西における知識人・高等教育機関の移動と文化的変容の研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2020年04月
    -
    2023年03月
     

    齊藤 大紀, 今泉 秀人, 中野 徹, 中村 みどり, 杉村 安幾子

     概要を見る

    本研究は、日中戦争時期の知識人の湖南省西部(以下湘西と略称)への移住とそれによる湘西の社会的、文化的な変容を解明することを目的とするものである。具体的には以下の目的を有する。①湘西という一地方の日中戦争期という一時代に視点をすえて、中国における知識人の大移動の新たな一側面を明らかにすること。②湘西社会の近代化の独自性の解明。③知識人と湘西の地域社会の接触のもとで発生した文化活動、特にさまざまな文学テキストの読解。
    以上の目的を達成するために、本研究では、現地での資料調査が必須であるが、2020年1月以降、新型コロナウィルスが猖獗を極め、今年度も昨年度と同様に海外での資料調査が極めて難しい状況であった。そのような状況にあって、オンラインによる研究例会を2021年9月7日と2022年3月29日の2回にわたって開催した。第1回の研究例会では、資料収集などの活動予定を再確認するとともに、各自の研究テーマについて報告を行った。第2回の研究例会では、各自の研究の進捗状況を報告するとともに、雲南省および東南アジアをフィールドとする民俗学研究者を招聘して研究報告を行った。
    研究代表者は、昨年度に引き続き『湘西苗疆珍稀民族史料集成』の調査を進め、収録された抗日戦争期の資料について初歩的な把握に努めた。また沈従文および鳳凰県についての概説の執筆を進めて一部を公表した。分担者は、各自の研究テーマにしたがって、西南聯合大学時代の沈従文の『教授作家」としての活動、湘西滞在期の銭基博・銭鍾書父子の活動、西南聯合大学におけるアメリカ留学生の活動などについて研究を進めた。新たな資料の収集については、西南聯合大学で発行された『国文月刊』の影印本、昨年度に刊行された『沈従文全集補遺巻』をはじめとして、沈従文、湘西、西南聯合大学関連の書籍を収集した。
    また研究代表者は、中国の沈従文研究者とメールで情報交換を行った。

  • 中華民国期における高等教育と中国知識人の文化活動――青島、済南、周辺都市を中心に

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2018年04月
    -
    2021年03月
     

    中村 みどり, 高橋 俊, 中野 徹, 杉村 安幾子, 齊藤 大紀, 中野 知洋

     概要を見る

    上海図書館や大連図書館などでの調査を踏まえて、『夜の華──中国モダニズム研究会論集』(中国文庫、2021年)を刊行した。本研究メンバーの論文のタイトルは以下の通りである。中村みどり「青島興亡をめぐる民族意識と父の記憶──洪深の映画脚本「劫後桃花」を中心に」、中野徹「「学匪」を駆逐せよ──国立青島大学の学生運動と聞一多」、齊藤大紀「隣はナニをする人ぞ──胡也頻「昨夜──一段供状」と民国期のオナニー論」、杉村安幾子「無名氏『塔裡的女人』論――逆照射される男性性失墜の物語」、高橋俊「パパ、中国現代文学研究は何の役に立つの?」、中野知洋「重慶時期王平陵の民族主義小説――「女優之死」を中心に」。

  • 日中戦争時期重慶における民族主義文壇と国民党系知識人の内陸都市間連携

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2017年04月
    -
    2021年03月
     

    中野 知洋, 高橋 俊, 中野 徹, 中村 みどり, 杉村 安幾子, 齊藤 大紀

     概要を見る

    研究者計6名が共同で、日中戦争時期中国の臨時首都である重慶における、国民政府主導の民族主義文芸政策と国民党系知識人の文化活動を総合的に研究した。日中戦争期の民族主義文壇の形成と成熟の過程を可視化することを目指し、首都重慶を補完する存在としての周辺の地方都市の役割に注目し、周辺都市との連携と情報伝達を視野に入れた、国民党系知識人の文化活動の動態について調査・研究を進めた。

  • 文化都市・青島における知識人ネットワークと都市表象の研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2015年04月
    -
    2018年03月
     

    齊藤 大紀, 高橋 俊, 中野 徹, 中村 みどり, 杉村 安幾子, 中野 知洋

     概要を見る

    この研究では、中国の山東半島に位置する青島における文化活動の解明が行われた。特に1930年代、国立青島大学が設置されたのにともない、楊振声校長のもと、梁実秋・聞一多・沈従文らの文学者が教師として赴任し、旺盛な文学活動が行われた。このほかにも、劇作家の洪深や作家の老舎なども、国立青島大学で教鞭を執った。また山東省出身の著名作家・王統照も、同時期に青島で活躍した。本研究では、これらの文学者の作品が分析され、彼らの間のネットワークを解明した。

  • 日韓における中国近現代文学受容の比較研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2014年04月
    -
    2017年03月
     

    小川 利康, 三木 直大, 池上 貞子, 山口 守, 長堀 祐造, 飯塚 容, 中村 みどり

     概要を見る

    本研究は中国近現代文学が日韓において、どのように受容されてきたかを探る研究である。時期ごとに異なる文学作品受容の諸相を明らかにするため、韓国の研究機関と提携し、国際的共同研究を行った。
    2014年度は12月19,20日に早稲田大学でシンポジウムを開催し、日韓それぞれ20名の研究者が討議に参加した。2016年度は12月27日、28日に韓国梨花女子大でシンポジウムが開催され、日韓双方20名の研究者が討議に参加した。次回は2018年度に東京大学(駒場)でシンポジウムを開催することを目標に共同研究を継続する。

  • 戦時上海のメディア『新申報』と『大陸新報』ーー陶晶孫の言語選択

    科学研究費補助金

    研究期間:

    2013年
    -
    2015年
     

  • The Comparison between "Xinshenbao"and"Tailikusinpou": Language and Identity of TaoJingsun under the Japan-China War

    Grant-in-Aid for Scientific Research

    研究期間:

    2013年
    -
    2015年
     

  • 中国人留学生の言語応用能力と社会適応に関する実証的研究

    共同研究

    研究期間:

    2008年
    -
    2010年
     

  • The Chinese student's adaptability to Japanese language and society

    Cooperative Research

    研究期間:

    2008年
    -
    2010年
     

  • 東方文化事業と中国人留学生に関する研究――陶晶孫を中心として

    科学研究費補助金

    研究期間:

    2007年
    -
    2009年
     

  • The Japanese Cultural Policy toward China and Chinese students:The Case of TaoJingsun

    Grant-in-Aid for Scientific Research

    研究期間:

    2007年
    -
    2009年
     

  • 日中双方の留学生における異文化適応に関する通時的研究

    共同研究

    研究期間:

    2005年
    -
    2007年
     

  • The adaptability to an alien culture: The case of Japanese students in China and Chinese students in Japan

    Cooperative Research

    研究期間:

    2005年
    -
    2007年
     

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現在担当している科目

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学内研究所・附属機関兼任歴

  • 2018年
    -
     

    産業経営研究所   兼任研究所員

特定課題制度(学内資金)

  • 中華民国による台湾接収と留日知識人――台湾大学における陶晶孫

    2018年  

     概要を見る

      知日派の医学者・文学者として知られ、日本占領下の上海に留まった陶晶孫が戦後国民政府により台湾に派遣され、旧台北帝国大学、接収後の台湾大学の医学部教授に就任した歴史的背景を考察するため、台湾・台北にて資料収集を行った。 陶晶孫が台湾に在住した時期は二・二八事件をはさみ、台湾大学でも本省人と外省人の対立、さらに残留を依頼された日本人が加わり、複雑な権力・文化的な構造が形成されていた。 現在台湾では、当時の歴史を多層的に再考する研究がすすんでいる。報告者は、中央研究院の林美莉研究員および孫慧敏研究員のアドバイスのもと、同研究所にて関連資料の調査を行った。成果を踏まえて、研究論文の準備に取りかかりたい。

  • 中国近代文学の中の日本-ベストセラー作家張資平が描いた日本女性について

    2013年  

     概要を見る

    2014年3月15日から21日にかけて中国上海の上海図書館を訪問し、研究対象である日本留学出身者で創造社の作家張資平が上海で活躍した1930年代の作品、および流行作家であった彼に対する周囲の評価を記した記事・文章の収集を行った。まとまった同時代の張資平評である『張資平評伝』(1932年)のほか、図書館の近代文献データベースを活用し、日本では閲覧不可能である中国全土で刊行された小新聞から文芸雑誌、大学の学内誌に至るまでの張資平関連の記事を閲覧し、かつ必要箇所をコピーすることが出来た。 現在、資料の整理を進めつつあるが、今日中国文学史研究において低い評価が与えられている張資平は、1920年代に大衆的な恋愛小説で青年読者を中心に一世を風靡した後、1930年代に日本の侵略が進み、亡国意識の高まる中で新聞連載中の彼の通俗小説は読者に見放されたがゆえ中断されたというのが定説であったが、実際にはその裏側には編集者との確執があり、必ずしも彼の通俗的な小説が読者を失った訳ではないという手掛かりを得ることができた。日中戦争前夜に発表した日本の帝国主義と天皇制に言及し、日本女性を主人公としたメロドラマ風の長編小説は版を重ねて出版されており、1930年代もなお熱心な読者を擁していたことが確認できた。そのほか、量的には少ないが、日中戦争時期・戦後の張資平に関する資料も入手し、詳細が不明であった戦時下における南京の親日傀儡政権の役職に就いた張資平の動向、また戦後「漢奸」裁判で告訴されなかったものの、世間では「漢奸」として批判されていた実態を知ることができ、日本占領地区に留まった日本留学出身者としての張資平の姿を捉えることが可能となった。  今後、1920年代から1930年代にかけての張資平の作風の変化、彼を取り巻く評価の変遷を捉えた上で、日本と強いつながりを持ち日本を題材とした作品を多数残した張資平が中国の文壇で果たした役割、および読者に対する影響、また読者が作家に求めたものを分析し、今日の張資平評価に新たな視点を加えたい。

  • 『留東外史』に関する研究

    2011年  

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     中華民国初期の通俗小説のベストセラー『留東外史』シリーズでは、日本を舞台とし、中国人男性に憧れる「奔放な」日本女性が複数登場するが、これらの描写は日中関係の悪化する1920年代中国において読者の好評を博した。小説の題材、および読者の受容の社会的背景を幅広く考察するため、上海の代表的な新聞『申報』のデータベース(早稲田大学図書館の学術情報検索)、上海図書館の民国期の雑誌新聞のデータベースなどを用いて、1910-1930年代の中国における日本女性に関わる言説を調査した。 調査の結果、ハリウッド映画『マダム バタフライ』(1932年)が1933年に上海で上映され、1930年当時の中国の観客の間では、同映画の「アメリカ人男性に棄てられる」日本人女性像を通して、一つは中国人の観客がアメリカ人男性に自己を重ね、「中国を圧迫する」日本を見返すという視点、もう一つは中国人観客が「憐れな」日本女性に同情を抱き、日本に対して親近感を覚えるという視点から娯楽映画として歓迎を受け、ロングランを記録していたことが指摘できる。一方、同映画が日本ではどのように受容されていたかを読売新聞のデータベース(早稲田大学図書館の学術情報検索)、映画雑誌などを用いて調べた。大正期の日本では、オペラとして入ってきた『マダム バタフライ』は、むしろ列強の欧米の視界に日本が入り、かつ日本のプリマドンナの欧米への進出の足掛かりとなった物語として受け止められていたが、日本の対中国侵攻がすすみ、欧米の日本への圧迫が増す1930年代になると、『マダム バタフライ』のオペラ、そしてハリウッド映画を「国辱」と捉え、日本人の手で作成し直す計画が提唱されていたことがわかった。 さらに香港電影資料館で、1950年代の香港映画、上記の『マダムバタフライ』の香港版『蝴蝶夫人』、やはり中国人男性に憧れ、別れを余儀なくされる日本人女性の姿を描いた『桜都艶跡』などの映像資料に目を通した。中国語圏では、文字のみならず映像の世界でも、日中関係を描く際に「日本女性像」という記号を多用していることを知るに至った。近代以降の日中関係において、いずれも「強国」であるヨーロッパ、あるいはアメリカを介在させ、自己の位置を高めようとする文芸作品が生産されてきたことは、今日にもつながる問題であり、今後も多様な方面から考察をすすめたい。

  • 民国期中国通俗文学に描かれた日本女性像に関する考察

    2008年  

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     上海市図書館の蔵書である、清朝末期に上海で刊行された曼陀編著『女学生旅行記』(前編・後編、1907、1909)を取り上げた。同小説に描かれた滑稽かつ好色な日本女性像が、民国初期の国民的ベストセラーであり、今日も読み続けられている中国人の日本留学を題材とした通俗小説『留東外史』に引き継がれていることを考察した。 曼陀編著『女学生旅行記』の序に拠れば、同小説は明治期の著名な通俗小説家五峰仙史の『滑稽女学生旅行』(正編・続編、1906、1907)の翻案である。そのほかやはり当時名の知れていた通俗小説家池田錦水の『女学生気質』(1902)なども下敷きとしている。下敷きとなった小説はいずれも明治期の女学生の増加、女学生文化の流行などを反映し、女学生の奔放で品行不正な姿を興味本位に描いている。だが、原作と読み比べてみると(『滑稽女学生旅行』はハワイ大学図書館と日本の国会図書館の蔵書のコピーを利用した)、翻訳、書き換えの過程で女学生の不道徳は日本人、とりわけ日本女性全般の不道徳として強調されていることがわかる。 『女学生旅行記』は旅行を通した日本名所案内の趣も有しており、日清戦争後中国人の日本への興味が増す中で、日本文化と日本人気質を紹介した通俗小説として刊行されたであろうことが想定できる。このように日本案内とセットになった、読者が見下げるに値する好色な日本女性像は、不肖生著『留東外史』にもつながるものであり、その底には中国よりいち早く近代化を遂げた隣国日本への作者及び読者の興味、好奇心、焦燥、反感などが入り混じっているように思われる。ただ、作者の曼陀と不肖生はともに日本滞在経験を有しているが、後者は恵まれない「三等」政治亡命者の身分で日本に滞在し、その鬱屈はより小説の中で爆発し、さらに時代背景も加わり、彼の小説をベストセラーの位置に押し上げたように思われる。 明治期の小説が大量に中国語に翻訳され、中国の近代小説の形成に影響を与えたことはすでに指摘されているが、研究対象は著名な日本の小説を原作とする、あるいは著名な中国人文学者の手を経て翻訳されたものに集中しがちである。だが、軽薄な内容の通俗小説の中にこそ、当時の読者の興味や期待が表れているのではないだろうか。曼陀編著『女学生旅行記』を通してこそ、『留東外史』がベストセラーになるまでの水脈を見ることができる。引き続き日本女性を描いた晩清から民国にかけての小説を取り上げてゆきたい。

  • 日中プロレタリア文芸・演劇界の交流―陶晶孫と村山知義―

    2006年  

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     本研究の課題は、従来の陶晶孫研究における30年代のプロレタリア文芸活動の評価、そして20年代のモダニズム文芸作品に対する評価を踏まえた上で、特にモダニズムからプロレタリア文芸へ向かう過渡期を、日本の作家・演劇家村山知義との交流から捉えようと試みたものである。 陶の全集は出版されていないため、上海図書館(2006年8月調査出張)で陶が帰国後直後に作品を集中的に掲載した文芸誌『楽群』を調べ、また従来知られていない陶の第二の作品集(1930)を目にすることが出来た。また日本国内では、陶が29年から30年に編集したプロレタリア文芸誌『大衆文芸』のリプリント版に目を通し、そのほか、同時期の村山の作品を集めた。 このように29年から1年間を調査対象とし、上記二人の作品の変遷を考察し、これらの資料をもとに、主に従来正面から論じられていない過渡期の作品を取り上げた。考察を経て、陶が大正期から昭和初期の文芸思潮を受けつつも、モダニズムから完全に脱却せず、モダニズムを交錯させたモダニズム文芸作品の執筆に意欲的に臨んでいたことを明らかにした。また陶が『大衆文芸』で、村山知義を高く評価し、また29年から30年に村山の作品を集中的に翻訳し、同誌に発表していることを踏まえ、同様にモダニズムから出発し、プロレタリア演劇の旗手となった村山の作品における思想、文体と構成の変遷が陶に少なくない影響を与えていることを指摘した。 これらの考察結果により、従来の陶晶孫研究に欠けていた新たな視点を付与することができた。また中国文学史においては、中国の初期プロレタリア文学がいかに形成されたかという問題を提出し、日中関係史においては、大正から昭和にかけての中国人留学生と日本知識人との交流の一面を具体的に明らかにできると思われる。引き続き、日中戦争期では日本資本で建てられた上海の研究機関に残った陶が、戦後すぐ国民党から日本統治下にあった台湾大学摂取に派遣された背景を調べ、日本留学出身者である中国知識人の戦中戦後のあり方について考察してゆきたい。