TSURUMI, Taro

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Affiliation

Faculty of Letters, Arts and Sciences, School of Humanities and Social Sciences

Job title

Professor

Concurrent Post 【 display / non-display

  • Affiliated organization   Global Education Center

Degree 【 display / non-display

  • 京都大学   博士(文学)

Professional Memberships 【 display / non-display

  •  
     
     

    柳田国男の会

  •  
     
     

    史学会

  •  
     
     

    日本史研究会

 

Research Areas 【 display / non-display

  • Japanese history

Research Interests 【 display / non-display

  • 民俗学、郷土、柳田国男

Papers 【 display / non-display

  • 思想環境としての郷土研究

    鶴見 太郎

    史林   92 ( 1 ) 161 - 194  2009.01

  • 昭和戦前期における郷土研究の組織化—橋浦泰雄の人脈構成に見る—

    早稲田大学大学院文学研究科紀要   50   3 - 16  2005.02

  • 戦時下の「モヤヒ」—「柳田国男先生古希記念事業」に見る—

    人文学報(京都大学人文科学研究所)   ( 91 ) 39 - 60  2004.12

  • “その場所”に託す—東筑摩郡と柳田国男—

    季刊 東北学   第二期 ( 1 ) 102 - 111  2004.10

  • 2003年の歴史学界-回顧と展望-(日本史近現代・思想/文化)

    史学会    2004.05

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Books and Other Publications 【 display / non-display

  • 柳田国男入門

    鶴見太郎

    角川書店  2008.09

  • 男性像を記録したひとびと阿部恒久・大日方純夫・天野正子編(『男性史Ⅰ 男たちの近代』 所収)

    鶴見太郎

    日本経済評論社  2006.12

  • 柳田民俗学の東アジア的展開(『岩波講座 「帝国」日本の学知』第6巻 所収)

    鶴見太郎

    岩波書店  2006.04

  • 「家」はいかにして戦争に対峙するか—渋沢敬三とその周辺—(『岩波講座 アジア・太平洋戦争』第3巻)

    岩波書店  2006.01

Research Projects 【 display / non-display

  • Basic study on organizational transformation of Yanakhita Kunio's folklore after the war

    Project Year :

    2020.04
    -
    2023.03
     

     View Summary

    1950年代前半の柳田国男の民俗学の組織化について、基礎資料の分析からその実像に迫りたい。“在野の学問”として戦前戦中と独自の領分を築いてきた柳田民俗学が、ここに到って学会として再編されたことは、それまで各地の郷土史家を担い手としてきたという経緯から、「アマチュア」と「学者」というふたつの異なる範疇が生まれたことで、組織内に或る葛藤を内包せざるを得なかった。本研究はその実態を明らかにしたい

  • 鶴見和子の内発的発展論を「受苦と共生の社会運動論」として現代に再考する実践的研究

    Project Year :

    2018.04
    -
    2021.03
     

     View Summary

    本年度の研究実績では以下の3項目が特筆される。① 京都文教大学鶴見和子文庫所蔵資料のデータベース化の進展:鶴見和子のフィールドノートや資料の劣化による破損が懸念されるガリ版刷りの共同研究会記録および水俣病公害闘争に関する資料のデータベース化をさらに進めた。また個人の蔵書や資料を所蔵している各地の資料館のデータベースの公開規約や閲覧申込書を参照して、来年度予定しているデータベースの一部公開に向けて、閲覧システムを具体的に検討した。② 水俣現地調査の実施:共同研究会のメンバーがそれぞれの研究テーマに基づいて水俣で現地調査を進めるとともに、2019年8月31日―9月1日に合同で水俣病問題関連地域を視察した後、合宿形式で共同研究会を実施した。共同研究会のメンバーが鶴見和子の内発的発展論の原点に立つ経験を共有できたことは、学際的研究を一つの方向性の下にまとめてゆく上で大きな意義があったと考える。③ 本研究の社会還元を目的として、2020年2月6日キャンパスプラザ京都において公開研究会「水俣のポリティクスとポエティクス―鶴見和子/内発的発展論の原点に立つ」を実施:ユージン・スミス氏とともに写真を通して水俣病問題の悲惨さを世界に伝えたアイリーン・美緒子・スミスさんの基調講演に続いて、共同研究メンバーの黒宮一太が「社会問題と学術研究はどう交わるべきか」をテーマに報告した。その後、フロアを交えて熱心な討議が行われ、本研究の社会的意義を再確認することができた。その他、鶴見の内発的発展論を社会運動論として捉えた実践的研究として、昨年度に引き続き、京都市南部向島ニュータウンにおける中国帰国者や外国人市民、障がい者の実態調査と彼らの地域参画の支援をした。また、新型コロナウィルスの流行により3月に予定していた共同研究会は実施できなかったが、研究成果の出版に向けた打ち合わせも進んだ。① 鶴見和子文庫のデータベース化や文庫の公開に向けたシステムと規約作りは、予定通り進んでいる。資料の劣化による破損が懸念されるガリ版刷りの共同研究会記録や水俣病公害闘争に関する資料のデータベース化はほぼ終わり、同様に破損が懸念される生活綴り方関連の資料のデータベース化もほぼ終わった。来年度のデータベース公開に向け、学内の手続き等を進める段階である。② 2019年度は、共同研究会での研究会メンバーの情報交換と、水俣での共同調査、水俣病問題に焦点を当てた公開研究会を実施し、共同研究はほぼ計画どおりに進んだ。ただし、新型コロナウィルスの流行によって、2月末以降の共同研究は停滞を余儀なくされている。③ 新型コロナウィルスの流行により、研究成果の社会還元のための公開研究会は規模を縮小して実施したが、内容は充実していた。④ 鶴見和子の内発的発展論を社会運動論として捉え再考する実践的な取り組みとしての、京都市南部向島ニュータウンにおけるまちづくり事業への共同研究メンバーの参画は継続的に実施され、地域の多文化多世代共生に寄与できている。2020年度は、以下の3項目を軸に共同研究を推進する。① データベース構築作業の継続とデータベース資料の一部公開:今年度に引き続き鶴見和子文庫の収蔵資料のデータベース化を進めるとともに、来年度は、鶴見が長年関わってきた生活綴り方運動や水俣病公害問題に関する所蔵資料のデータベースを一部公開する予定である。② 本科研研究の成果に基づいて、シンポジウム「鶴見和子の『受苦と共生』の内発的発展論から、新型コロナウィルス禍後のグローバル社会を考える」(仮題)を実施する予定:新型コロナウィルスの流行は、近代化のもとで破壊された自然と人間の関係、グローバル化と国家統合の軋み、経済至上主義の下での社会的格差と貧困層の拡大という現代社会の諸問題を顕在化させた。これらはいずれも鶴見和子がすでに近代化批判のなかで指摘してきたことであった。本シンポジウムでは、水俣病という公害問題を原点として、「受苦の共感」と地域を基盤とした「創造的な共生(ともいき)社会」の構築を論じる鶴見の内発的発展論を、新型コロナウィルス禍後の社会の再構築の方向性を提示する社会運動論として学際的に論ずることにより、研究成果の社会還元を目指す。③ 共同研究の成果出版に向けた補足調査と共同研究会の実施:共同研究メンバーはそれぞれ必要な補足調査を実施する。また、共同研究会を開催してメンバーの研究報告と情報交換をするとともに、編集コアメンバーが集まり成果出版に向けた編集作業を進める

  • A Basic Study on the Systematic Reorganization of Yanaghita Kunio's Folklore in the Postwar Period 1945-1949

    Project Year :

    2017.04
    -
    2020.03
     

     View Summary

    組織として見た時、戦後の柳田民俗学は、早い段階で再開している、一九四五年九月九日には、中断していた談話会「木曜会」の例会が復活し、弟子たちと民俗談義が交わされている。さらに一九四七年には六人社より、『日本民俗学のために』(全一〇巻)が刊行され、以後四年をかけて全巻が完成する。この論文集は柳田の古稀を祝う目的で一九四三年の段階で執筆陣の選定が行われており、各人から発表題目、枚数の概算など、細かな計画がなされていたものだったが、はからずも思想環境として柳田の民俗学の不易性を裏付けることになった。戦後の数年間とは、民俗学がひとつの学問領域として周知された時期でもある。一九四九年四月、「民間伝承の会」が日本民俗学会へと発展解消したことは、民俗学が専門的な学者集団の組織となったことを意味した。柳田は初代会長に就任したが、名称を変えるにあたって、それまで「民間伝承の会」が多く各地の郷土史家によって支えられてきた経緯を重視し、学会となることによって、そうしたかつての支持層を失うかもしれないとして、これに躊躇したことが紹介されている。1930年代、『木綿以前の事』に収められた論考の中で柳田は、民俗学の視点から俳諧の持つ教授機能を高く評価した。この主張には、民俗学もまたそこで生活する側の感覚を大切にすることを強調する側面があった。この文脈に沿うならば、民俗資料の扱いとは、本来、採集だけに止まらず、分析もまた各地で感覚を共有する郷土研究会に比重が置かれることを当然とした。戦後、「民間伝承の会」の学会化は、これら既存の郷土研究会の活動の自在性を減じさせるとともに、柳田民俗学そのものを縛ることとなった

  • Organization of Yanaghita Kunio's Folklore Studies in 1920s'

    Project Year :

    2011.04
    -
    2014.03
     

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    From its very beginnings, Minzoku has followed two policies in tandem, typified bay two different scholars who were editors of the journal. Yanaghita Kunio soliceted fieldwork reports on localities bay local history experts, while his successor, Oka masao, introduced the findings of Western cultural anthropologists. Yanaghita feared that the detailed findings of local historians would be seen as cultural antropology and result in the field of folkloristics being encroached upon and eroded. This issue first arose at the end of Taisho era and was revived following the Secound World War upon Ishida Eiichiro's proposal to breathe new life into folklorists by making it a part of cultural anthropology

  • Organization of Yanaghita Kunio's Folklore Studies in 1920s'

    基盤研究(C)

    Project Year :

    2011
    -
    2013
     

     View Summary

    From its very beginnings, Minzoku has followed two policies in tandem, typified bay two different scholars who were editors of the journal. Yanaghita Kunio soliceted fieldwork reports on localities bay local history experts, while his successor, Oka masao, introduced the findings of Western cultural anthropologists. Yanaghita feared that the detailed findings of local historians would be seen as cultural antropology and result in the field of folkloristics being encroached upon and eroded. This issue first arose at the end of Taisho era and was revived following the Secound World War upon Ishida Eiichiro's proposal to breathe new life into folklorists by making it a part of cultural anthropology.

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Specific Research 【 display / non-display

  • 良質な座談の形成に関する基礎的研究―1920,30年代の大衆誌を中心に―

    2018  

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     近代日本で「座談」が果たした役割について、特に大正から昭和初期の総合雑誌を中心に分析をすすめた。形式として雑誌に「座談」を持ち込んだ人物が菊池寛の『文藝春秋』が主たる検討対象となった。その際、菊池が持ち込んだ判断基準として、「この人物が加われば、座談が面白くなる、深みがでる」という事項を重視した。「座談」の企画を組んだ段階からすでにその目算が菊池の中にあり、細やかな意見の相違を含みながら、それが流れを構成していることに気を配った形跡がある。また、敢えて結論を出さず、それに近い着地点を示唆するに止めて座談会を終えるという事例も散見され、意識的に菊池が取り入れた「座談」の技法であると推測される。

  • 柳田民俗学の組織化に関する通史的研究

    2016  

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    柳田国男が津田左右吉の歴史学をどのように捉えたのか、大正期を中心に文献上の検証を行った。成城大学にある柳田旧蔵の津田の著作をすべて当たり、傍線の引き方、余白への書入れなどを記録し、そこに見られる傾向を考察した。結果、古代中国における神仙思想について、柳田は並々ならぬ関心を持っており、役小角の事跡を重ね合わせながら、同種の思想が日本に伝来して民間に根付いた過程を検証する際、津田の業績を援用しようと跡があることが分かった。以上の点は今年(2016年)1月の国際シンポジウムで発表を行った。 これ以外に、戦後の日本語の在り方について、柳田は政策面から有識者として積極的に関わり、生活の理法に従った論理的な日本語を標榜した点を著作から抽出し、同時代の思潮と対応させた。戦中における時局用語の氾濫は、日本人の言語生活から論理的な思考を奪ったと考える柳田にとって、これは戦後における切実な課題であること検証した。 

  • 柳田民俗学の組織化に関する通史的研究

    2015  

     View Summary

    柳田国男の民俗学が、「民俗」「郷土」を鍵言葉とし、戦時下急速に組織化されていった背景には、徹底した物証・経験主義に基づく柳田の方法意識に対する賛同が地方の郷土史家たちの間にあったことが大きい。その動向は、柳田によって1930年代に著されたいくつかの「国語」論に明快に表されている。柳田はこの中で、日本語を考える上で、漢字の多用がもたらした意思疎通をめぐる混乱を指摘し、明晰さと旨とする言葉遣いを標榜した。時局用語という形で漢字が氾濫する中にあって、こうした柳田の姿勢に賛同する傾向が、広く地方の郷土史家にあったことが、柳田の民俗学を背後から支えた。

  • 柳田民俗学の組織化に関する通史的研究

    2014  

     View Summary

     大正期、自身の民俗学の組織化に乗り出した柳田国男の仕事は、各地の郷土史家と連絡を取り合い、民俗事象・語彙の収集、登録に重点が置かれるようになる。その基盤が整うにつれて、柳田の関心は、それらの背後にある論理、それも生活の中から紡ぎ出される論理に比重が置かれ始める。この思想は、戦時下に氾濫した時局用語によって思考の統一をはかろうとする動静とは明確に異なるものであり、組織化の際にも重要な了解事項のひとつとなった。戦時中の柳田民俗学が組織と研究の両面にわたって、堅実な手法を維持できた理由として、その両者が緊密に結び付いていたことが挙げられる。During the Taisho period, the work of Kunio Yanagida who had embarked on his organization of folklore, kept in touch with the local historians of various regions, collected folk events and vocabulary, the process which led him to place his emphasis on the register. As the foundation was being completed, Yanagida's interest led him to place the relative importance on the logic behind the folklore he had collected, the logic that had been spun by life itself. Being clearly different from the movements that had tried to unify the thinking by the terms of the current affairs that inundated the war years, this idea became one of the important items of understanding for organizing folklore. During the war years, Yanagida folklore maintained its solid techniques for both organization and research. It is the intimate bond between his organization and research that has been cited as the reason why such techniques came to be maintained.

  • 日本民俗学の組織化に関する基礎的研究―「橋浦泰雄関係文書」を中心に―

    2003  

     View Summary

     一九三〇年代中葉にはじまり、敗戦直後まで続く柳田国男の民俗学の組織化は、後の時代からしばしば、「一将功成万骨枯」(岡正雄)と評されてきた。 しかしこの言葉が一人歩きした結果、当該時期における丹念な資料考証がなされることなく、この位置付けが定着した観がある。本研究は、戦時下の「民間伝承の会」事務局を担った橋浦泰雄(1888~1979)が遺した資料を仔細に検討することによって、こうした位置付けに対して下記に列挙した修正を迫るものである。 (1)一九三五年八月の「民間伝承の会」設立時にあって、その組織方針については各郷土に既に自生していた郷土研究会を尊重し、それらを横から緩やかに繋ぐという案が採用された。そして一部に合った地方支部を設置して、中央からの強い指導下に置こういう案は排された。戦時下における各地の郷土研究者から「民間伝承の会」に宛てられた採集報告を含む夥しい書簡は、そうした信頼関係に基づくものである。 (2)この方法に基づく組織は、戦時下の言論・思想統制下にあって事実と経験を基調とする柳田民俗学の学風を守る、という点で政治的な立場を超えた稀有のネットワークを保つこととなる。一九四四年に計画された柳田の「古希記念事業」は、そこに集った人員の多彩さにおいて、その集大成ともいうべき位置を占める。 (3)しかしながら、こうした人的ネットワークは敗戦にともなう思想統制の消失という事態によって、単に柳田の学風と方法を守るという部分のみが突出していくこととなった結果、半ば個人崇拝ともいうべき現象が生まれる。したがって先行研究が強調する柳田民俗学の「悪しき」体制化は、むしろ戦後にある。

Overseas Activities 【 display / non-display

  • 大正期郷土研究の形成過程に関する研究

    2013.04
    -
    2014.04

    イギリス  

 

Syllabus 【 display / non-display

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