2023/09/26 更新

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イシイ マサユキ
石井 昌幸
所属
スポーツ科学学術院 スポーツ科学部
職名
教授
学位
修士

学歴

  •  
     
     

    京都大学   人間・環境学研究科  

  •  
     
     

    京都大学   人間・環境学研究科  

  •  
     
     

    京都大学   人間・環境学研究科  

  •  
     
     

    京都大学   人間・環境学研究科  

  •  
     
     

    早稲田大学   教育学部  

所属学協会

  •  
     
     

    日本スポーツ人類学会

  •  
     
     

    スポーツ史学会

研究キーワード

  • スポーツ史;国際スポーツ文化論

 

論文

  • イギリスのインド支配と身体

    石井昌幸

    植民地教育史年報「17 植民地教育と身体」   ( 17 ) 31 - 50  2015年03月  [査読有り]  [招待有り]

  • 19世紀イギリスにおける「スポーツマンシップ」の語義:1800年から1892年までを中心として

    石井昌幸

    スポーツ社会学研究   21 ( 2 ) 31 - 50  2013年09月  [査読有り]  [招待有り]

  • スポーツとモラルの帝国:シンポジウム「現代スポーツの苦悩を探る」に参加して

    石井昌幸

    『現代スポーツの苦悩を探る』(スポーツ史学会第26回大会シンポジウム報告書)     38 - 41  2013年06月

  • 現代ヨーガの誕生:身体文化におけるグローバルとローカル

    石井昌幸, 永嶋弥生

    『体育の科学』(杏林書院)   62巻5月号  2012年05月

  • 日英サッカー報道にみる「スポーツの言語化」とは

    石井昌幸

    Journalism(朝日新聞社)   256号   4 - 15  2011年09月

  • スポーツから世界をみる

    石井昌幸

    季刊民族学(国立民族学博物館協力)   130号   4 - 5  2009年10月

  • ラグビーでみるイギリス社会史

    石井昌幸

    季刊民族学(国立民族学博物館協力)   130号   8 - 17  2009年10月

  • 農村の民衆娯楽から都市のスポーツへ:メリルボーン・クリケット・クラブ前史

    石井昌幸

    体育の科学 (杏林書院)   57巻 ( 9 ) 681 - 684  2007年09月

  • カルカッタ、裸足の進撃

    石井昌幸

    現代スポーツ評論   ( 10 ) 99 - 103  2004年05月

  • 民族スポーツの歴史:ハイランド・ゲームの場合

    石井昌幸

    文明のクロスロード museum Kyushu   ( 74 )  2003年

  • わが名はランジ:K・S・ランジットシンとイギリス帝国

    石井昌幸

    現代スポーツ評論   ( 4 ) 32 - 43  2001年

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書籍等出版物

  • 一七世紀のオリンピック:ドーヴァーズ・ゲームと『アンナーリア・ドゥブレンシア』

    石井昌幸( 担当: 共著)

    共和国  2016年04月

  • 19世紀イギリスのパブリックスクールにおける身体

    石井昌幸

    大修館書店、『21世紀スポーツ大事典』、276〜278頁所収  2015年01月 ISBN: 9784469062359

  • 宣教師とスポーツ

    石井昌幸

    大修館書店、『21世紀スポーツ大事典』、451〜453頁所収  2015年01月 ISBN: 9784469062359

  • イギリス・スポーツ史

    石井昌幸

    大修館書店、『21世紀スポーツ大事典』、568〜581頁所収  2015年01月 ISBN: 9784469062359

  • スポーツと覇権主義

    石井昌幸

    大修館書店、『21世紀スポーツ大事典』、647〜648頁所収  2015年01月 ISBN: 9784469062359

  • 勝利追求(適者生存)の正当性の確立

    石井昌幸

    大修館書店、『21世紀スポーツ大事典』、725〜729頁所収  2015年01月 ISBN: 9784469062359

  • グローバル・スポーツの比較伝播史

    石井昌幸

    早稲田大学スポーツナレッジ研究会(編)『グローバル・スポーツの課題と展望』  2014年02月 ISBN: 9784864130462

  • 刊行にあたって

    石井昌幸

    早稲田大学スポーツナレッジ研究会(編)『グローバル・スポーツの課題と展望』  2014年02月 ISBN: 9784864130462

  • レジャー史・スポーツ史とスポーツ・ナレッジ

    石井昌幸

    早稲田大学スポーツナレッジ研究会(編)『スポーツマネジメント教育の課題と展望』創文企画  2013年02月 ISBN: 9784864130332

  • FIFAマスターについて:歴史・文化モジュールを中心に

    石井昌幸

    早稲田大学スポーツナレッジ研究会(編)『スポーツマネジメント教育の課題と展望』創文企画  2013年02月 ISBN: 9784864130332

  • 植民地主義とスポーツ文化の拡大

    石井昌幸

    宇佐美隆憲編『スポーツ人類学』  2004年

  • フィールドのオリエンタリズム:K・S・ランジットシンとわれわれの帝国

    石井昌幸

    有賀郁敏編『近代ヨーロッパの探求・スポーツ』(ミネルヴァ書房)  2002年

  • 神とアスレティシズム:チャールズ・キングズレーにおける聖・性・生

    石井昌幸

    松本芳明他編『近代スポーツの超克』(叢文社)  2001年

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講演・口頭発表等

  • 体罰なきスポーツ界を目指して:日韓仏の現状と対策

    アーロン・ミラー, 羅永一, エイリック・プレラ

    シンポジウム:体罰なきスポーツ界を目指して:日韓仏の現状と対策   (早稲田大学1号館301教室)  体罰の比較文化史研究会  

    発表年月: 2016年03月

  • イギリスのインド支配と身体

    植民地教育史研究会  

    発表年月: 2014年03月

  • 体罰の世界史を考える

    越境する歴史学(京都大学人文科学研究所プロジェクト)  

    発表年月: 2014年03月

共同研究・競争的資金等の研究課題

  • 体罰の比較文化史研究―暴力なきスポーツ界の思想的基盤構築に向けて―

    研究期間:

    2014年04月
    -
    2017年03月
     

     概要を見る

    スポーツ界の体罰根絶を目指し、その思想的基盤構築に向け、内外の体罰の歴史と現状に関する比較文化研究を行った。子供の「規律化」をめぐる通時的な変化および日本と諸外国との共通点と相違点が明らかとなった。また、国際シンポジウムを開催し、日本の体罰構造、韓国における体罰の実態と根絶活動、フランス教育思想における体罰否定の思想的根拠などを明らかにした。さらに、体罰なきスポーツ指導のためのワークショップを実施し、言語コミュニケーションを最重視したチーム・ビルディング実習と参加者によるディスカッションを行った。これらの成果を踏まえて、研究論文集と研究書の翻訳を近日中に発行する

  • 体罰の比較文化史研究―暴力なきスポーツ界の思想的基盤構築に向けて―

    科学研究費助成事業(早稲田大学)  科学研究費助成事業(基盤研究(B))

    研究期間:

    2014年
    -
    2016年
     

  • 東アジアにおける民族スポーツの観光化変容

    科学研究費助成事業(早稲田大学)  科学研究費助成事業(基盤研究(B))

    研究期間:

    2004年
    -
    2007年
     

     概要を見る

    全4年度研究の最終年度に当たる本年度は、東アジアにおける民族スポーツの観光化変容補充調査及び、本研究の目的である"民族スポーツに観光化変容をもたらした要因の分析"及び、本研究活動を報告書にまとめる作業にあてられた。補充調査は、日本にあっては、北海道最大規模の観光イベントであるよさこいソーラン祭り、また沖縄県最大規模の観光イベントである那覇祭りの民族スポーツ(大綱引き、エイサー)、韓国においては忠清北道忠州市の忠州世界武術祭と慶尚南道の晋州闘牛、中国においては新彊ウイグル自治区ウルムチの少数民族民族スポーツ、また広東省広州市で2007年11月に催された第8回中国少数民族伝統体育運動会、それに北京市及び河南省温県陳家溝の武術について実施された。民族スポーツの観光化変容については、当該地域の経済活性化が最大要因として指摘されるが、担い手が少数民族である場合、経済要因に加え、民族の存在主張・文化主張の動機が無視し得ない。また、観光化に当たっては当該地の行政が大きく関与する事も全体的に認められる。特に中国の場合、1990年代の改革開放政策後に民族スポーツの観光化変容が開始するのが、その良い例である。それまで中国の民族スポーツは当該民族の伝統文化保存と健康という目的に存在根拠が求められていたが、改革開放後は「文化とスポーツが舞台を築き、その上で経済が踊る」のスローガンのもと、全国的規模で民族スポーツの観光化が進行して現在に至っている。観光化する民族スポーツの種目は多岐にわたるが、今回の調査で、これまではもっぱら修行や教育の枠内で展開し、経済や観光とは無縁であった武術に観光化の熱いまなざしが注がれていることが大いに注目される。

  • 体罰の比較文化史研究−暴力なきスポーツ界の思想的基盤構築に向けて(科研費)

 

現在担当している科目

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特別研究期間制度(学内資金)

  • 近代イギリスにおけるスポーツ文化の生成と展開

    2009年10月
    -
    2010年09月

    イギリス   ド・モンフォート大学

他学部・他研究科等兼任情報

  • スポーツ科学学術院   大学院スポーツ科学研究科

  • 文学学術院   文化構想学部

  • 附属機関・学校   グローバルエデュケーションセンター

特定課題制度(学内資金)

  • スポーツ・レガシー創出に向けた博物館資料の活用に関する国際的研究

    2017年  

     概要を見る

    「スポーツ・ミュージアム研究会」を発足、開催した。「秩父宮記念スポーツ博物館の現状と課題」、「スポーツ・ミュージアム(内外約10館)の視察結果」、「国際博物館会議(ICOM)とスポーツ博物館の課題」、「スポーツに関わるモノ資料の特性と分類体系化」ほかの報告がなされた。秩父宮記念スポーツ博物館(現在閉館中)の収蔵品を視察した。スイスのIOCミュージアム、FIFAミュージアムおよびオーストラリアのアデレード・クリケット場内にあるクリケット・ミュージアムを視察した。スポーツ・ミュージアムに詳しい英国のスポーツ社会学者と意見交換をし、共同研究を行うことを取り決めた。

  • 狩猟スポーツからみた近代イギリス・スポーツ史の研究

    2008年  

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     これまでのイギリス・スポーツ史研究においては、19世紀半ばに同国の上層中流階級が中心となって、それまでの狩猟=スポーツに変わって、競技=スポーツをスポーツ概念の中心にすえるような転換が起きたとするのが通説となってきた。本研究の結果、この理解には修正が必要であることが明らかとなった。19世紀末に至るも、狩猟=スポーツという概念は依然として強固であり、それは上層中流階級をも巻き込んで、拡大していたのである。

  • 多民族共生社会における身体文化の貢献に関する研究

    2004年  

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     表題のテーマに関して、サッカーを中心にイングランドとインドの状況についての基礎的な調査(文献による研究と聞き取り調査)をおこなった。まず、イングランドについてであるが、2大マイノリティーたるカリブ系移民およびその子孫と、南アジア系移民およびその子孫とを対比した場合、カリブ系はイングランドのプロ・サッカー・リーグであるプレミア・リーグに数多くの選手を輩出し、またアマチュア・レベルにおいてもサッカーへの参加が盛んであるのに対して、南アジア系においては、現在のところプレミア・リーグへの選手としての進出は見られず、アマチュア・レベルにおいても、積極的な参加が見られないことが明らかとなった。また、サッカー・スタジアムにおける観戦者についても、こうした差異は見られた。このような状況は、ホスト社会(イングランドの白人社会)への同化状況とも基本的には符合している。原因としては、カリブ系がもともとキリスト教徒で英語を話すのに対して、インド系は宗教と言語の両面において、また親族関係においても、本国との絆を非常に強く残していること(そのために通婚率も非常に低い)などが想定できた。また、インド系においては、教育を媒介としての社会的上昇に対する親の関心が非常に高く、これに比してスポーツに対する関心が相対的に低いという状況も見られた。 次に、それではインド本国において、サッカーはどのような発展状況にあるのかを調査した。まず、インドにおけるサッカー文化は非常に局地的なものであって、カルカッタとゴアがその2大拠点であり、特にカルカッタは歴史的に見てもインド・サッカーの中心地であることが判った。カルカッタにはいくつかの強豪サッカー・クラブがあり、そのうちの主要なクラブの歴史は19世紀末から20世紀初頭にさかのぼる。モハン・バガン、モハメダン・スポーティング、カルカッタ・クラブ、イースト・ベンガルなどがそれであるが、これらのクラブは、カルカッタ市内にあるモイダーン公園内にすべてが所在している。モイダーン公園は、カルカッタのフーグリ河河畔にある広大な公園で、かつてはイギリス軍の演習場であった。ここに、国内を代表し、インド代表選手を輩出するクラブのほとんどが、隣接してクラブ・ハウスとホーム・グラウンドを持っているのである。そこで、ここにおいてクラブの成立史に関わる調査と、クラブ役員へのインタヴューを行った。こうしたクラブを取り巻く人びとのなかでは、サッカーに対する関心は非常に高く、またその強化への熱意も強い。さらにインドへのサッカーの受容はアジアで最も古いのであるが、しかしインドにおけるサッカー文化は、カルカッタのモイダーン公園という非常に限られた場所に限定されたものであることが判った。

  • The Sporting Magazine(1792~1870)に関する研究

    2003年  

     概要を見る

    従来のイギリス・スポーツ史が描く「近代スポーツ成立史」は、次のようなものであった。すなわち、それまでジェントルマンによって担われていた狩猟を中心とする地主的スポーツが、19世紀において産業革命の担い手となったブルジョワジーによって、競技的な「ブルジョワ・スポーツ」へと変えられていったというものである。本研究は、こうした「近代スポーツ成立史」を再検討する研究の一部を成すものである。さしあたり、特に19世紀はじめの状況を中心に、この歴史像を検証した。史料として使用したThe Sporting Magazineにおいては、少なくとも19世紀前半までには、スポーツ界におけるブルジョワのヘゲモニー奪取の痕跡はほとんど見られないし、「ブルジョワ・スポーツ」成立の萌芽もほとんど看守できない。むしろ、当初(18世紀末)は宮廷ゴシップや演劇などに関する記事がほとんどであったThe Sporting Magazineは、19世紀に入って、狩猟スポーツたる狐狩りのレポートを売り物にするように転換するのである。その際、「ニムロッド」を筆名とするジェイムズ・アパリの狩猟リポートが、その後の雑誌の方向性を規定していくわけであるが、そこに登場するブルジョワの姿は、自ら「ブルジョワ・スポーツ」という新たな階級文化を創造していく主体というよりは、狐狩りというジェントルマン文化を懸命に模倣しようとする、頼りなげな「擬似ジェントルマン」である。本研究の結果は、少なくとも、19世紀前半のイギリス・スポーツにおいては、依然としてジェントルマン文化の強固なヘゲモニーは揺らいではいなかったのではないか、との歴史像を示唆するものであった。