2022/05/18 更新

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クボ ケンイチロウ
久保 健一郎
所属
文学学術院 文化構想学部
職名
教授

兼担

  • 文学学術院   大学院文学研究科

  • 附属機関・学校   グローバルエデュケーションセンター

学位

  • 早稲田大学   博士(文学)

所属学協会

  •  
     
     

    日本史研究会

  •  
     
     

    歴史学研究会

 

研究分野

  • 日本史

研究キーワード

  • 中世史

論文

  • 村井報告を聞いて

    日本史研究   ( 560 ) 28 - 31  2009年04月

  • 天下と公儀

    信長公記を読む     163 - 179  2009年02月

  • 公儀と地域権力

    早稲田大学大学院文学研究科紀要   54   3 - 16  2009年02月

  • 「境目」の領主・再論

    史観   ( 159 ) 1 - 17  2008年09月

  • 戦国時代の徳政と大名

    早稲田大学大学院文学研究科紀要   53   19 - 33  2008年02月

  • 大名領国の経済紛争

    早稲田大学大学院文学研究科紀要   52   3 - 16  2007年02月

  • 戦国時代の経済紛争

    早稲田大学大学院文学研究科紀要   51   3 - 16  2006年02月

  • 支城制と領国支配体制

    定本・北条氏康/高志書院     31 - 56  2004年11月

  • 兵粮からみた戦争・戦場

    戦争Ⅰ中世戦争論の現在/青木書店     189 - 206  2004年11月

  • 移行期公儀論の前提

    歴史評論   640  2003年08月

  • 戦国社会の戦争経済と支出

    早稲田大学大学院文学研究科紀要   48  2003年03月

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書籍等出版物

  • 戦国大名と公儀

    久保健一郎

    校倉書房  2001年02月

共同研究・競争的資金等の研究課題

  • 中世兵糧の基礎的研究

    研究期間:

    2011年04月
    -
    2014年03月
     

     概要を見る

    本研究では、日本中世の兵糧に関わる史料を収集して、存在形態、地域的特徴、時期的変遷等を多角的に検討した。その結果、ほぼ日本列島全域において、兵糧には、実際に食糧として消費される「モノとしての兵糧」の側面と、交換手段・利殖手段として用いられる「カネとしての兵糧」の側面があること、兵糧はこれらを示しながら、時代が下るにつれ、いよいよ戦争の中で重みを増していき、戦国社会においては、いわば戦争経済の中心となることを明らかにした。これらは戦争論・社会経済史の発展に寄与する成果と考える

  • 中世兵糧の基礎的研究

    科学研究費助成事業(早稲田大学)  科学研究費助成事業(基盤研究(C))

    研究期間:

    2011年
    -
    2013年
     

     概要を見る

    本研究では、日本中世の兵糧に関わる史料を収集して、存在形態、地域的特徴、時期的変遷等を多角的に検討した。その結果、ほぼ日本列島全域において、兵糧には、実際に食糧として消費される「モノとしての兵糧」の側面と、交換手段・利殖手段として用いられる「カネとしての兵糧」の側面があること、兵糧はこれらを示しながら、時代が下るにつれ、いよいよ戦争の中で重みを増していき、戦国社会においては、いわば戦争経済の中心となることを明らかにした。これらは戦争論・社会経済史の発展に寄与する成果と考える。

  • 備中国新見荘における総合的復原研究

    科学研究費助成事業(早稲田大学)  科学研究費助成事業(基盤研究(B))

    研究期間:

    2010年
    -
    2013年
     

     概要を見る

    備中国新見荘は岡山県新見市の高梁川上流域に存在した東寺領の荘園で、東寺百合文書等、豊富な中世史料が残存するため、中世荘園を研究する宝庫である。
    今回、広大な荘域全体にわたって、共同研究による総合的な復原研究を実現することができた。その過程で、荘園調査全般に役立つGISソフト「多層荘園記録システム」の開発を進め、これを基盤にして、『中世荘園の環境・構造と地域社会』(勉誠出版、2014年)などにその成果をまとめることができた。

  • 東アジア村落における水稲文化の儀礼と景観

    科学研究費助成事業(早稲田大学)  科学研究費助成事業(基盤研究(A))

    研究期間:

    2004年
    -
    2007年
     

     概要を見る

    本研究は東アジアにおける水田農耕と社会との歴史的・文化的な関係を明らかにするものである。とりわけ、東アジアにおける日本の位相を明確にすることを目的とし、分析を進めるにあたって、その視点を宗教的儀礼と村落景観に定め、具体的なフィールドを設定して研究の深化を図った。日本はインド文化の東限の地として知られるが、その位相を明確化するために東西の軸として中国と日本を設定し、水稲文化と仏教文化の伝播を中心に考察を行った。南北の軸としては、日本とインドネシア・バリ島を設定し、水田農耕や村落景観の究明を行った。前者については日本の東大寺を中心に据え、仏教文化と稲作との関係を考察し、東大寺境内での調査を実施して、2004年11月27日にはシンポジウム「古代・中世仏教寺院の水田開発と水稲文化」を実施した。また、2005年10月29日に実施したシンポジウム「ジャポニカの起源と伝播」においては、コメ作りのルートとして南方ルートを重視しつつ、日本の位相を考察し、古代から近世までの状況の一端を明らかにし得た。東西軸は、国家による仏教、国家による水利灌瀧が考察の対象となり、アンコールワットを中心とするカンボジアの調査がこれに大きく貢献した。
    南北軸については、インドネシア・バリ島での調査・研究を深めるとともに、愛媛県弓削島の調査を進めることができた。バリ島では、東部のバサンアラス村においてスバック・バサンアラスの報告書を入手することができ、水利に関する村の共同体として知られているスバックの現地報告書を日本で初めて全面的に翻訳し、「講座水稲文化研究II バリ島の水稲文化と儀礼-カランガスム県バサンアラス村を中心として-」に他の論文とともに掲載することができた。
    以上のことから東アジアの水田農耕社会の基盤部分が明らかになったといえよう。

  • 戦国大名後北条氏における公儀の構造と機能の研究

     概要を見る

    まず後北条氏関係文書約4500通の目録データベースを作成した。これには年月日・差出・充所等のほかにキーワードとして後北条氏における公儀を示す文言といわれる「大途」「公方」「公儀」を載せ、これらの使用者・使用対象・使用時期・使用方法等を検索できるようにした。「大途」文言の事例はおよそ120件、「公方」文言の事例はおよそ70件、「公儀」文言の事例はおよそ25件であった。これを基礎とした後北条氏関係文書の分析により、後北条氏における公儀の構造と機能を追究した。その結果、構造については当主ないし宗家のみが主体となる「大途」が支城主クラスの一族も主体となることができる「公方」「公儀」には見られない人格性・文書の発給主体・軍事的諸機能等の特徴を有していることを明らかにした。したがって「大途」は「公方」「公儀」に対して相対的に優位であり、「大途」を頂点とする公儀の構造を明らかにすることができた。特に「大途」の人格性は後北条氏における公儀の確立や維持に重要な規定を与えており、幕藩制国家における公儀に比して後北条氏の公儀の独自性を示していると考えた。この点は従来ほとんど追究されていないことであり、これを仮に公儀の人格的・イエ的構造と呼ぶことにした。機能については一般にいわれる訴訟→裁許や公共機能も再確認できたが、役賦課の正当性を示す機能や、上にも述べたように「大途」において見られる文書発給機能や軍事的諸機能をも見出すことができた。そしてこれらの必ずしも公共的でない機能が後北条氏の公儀においては重要な比重を占めていることを確認できた。なお毛利氏関係史料の調査・収集を行ったが、戦国期段階では公儀に類する文言はほとんど見出せなかった。後北条氏との大きな差異として留意し、今後追究したい

講演・口頭発表等

  • 戦国時代の戦争経済と収取

    歴史学研究会日本中世史部会大会報告  

    発表年月: 2001年05月

特定課題研究

  • 戦国大名権力における意思決定過程の研究

    2021年  

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     2021年度は島津氏や北条氏を素材として、おもに裁判における戦国大名権力の意思決定過程を検討した。裁判での案件処理を見ると、主従制の根幹に関わる問題には当主たる義久は関与せざるをえないが、そうでない問題にはできるだけ関わりたくないという姿勢である。ここでは島津氏の権力は当主―老中の二重構成であり、主従制にかかわる案件には主君義久の意思が表だって反映され、そうでない案件には老中の合議決定による処理が多くなっていることを知りえた。これは、裁判権の内容は権力のあり方に規定されて複雑であることを示唆し、整備された裁判機構を実現したとの評価もある北条氏なども、こうした視点から捉え直される見通しを得た。

  • 戦国大名権力における意思決定過程の研究

    2020年  

     概要を見る

      2020年度はコロナ禍により大幅に研究計画を変更せざるをえなかった。これまでに戦国大名権力の意思決定過程解明の一端として、小田原北条氏における3代当主氏康隠居後と4代当主氏政との関係、氏政隠居後と5代当主氏直との関係を検討していたが、北条氏においてさらに検討を重ねた。 初代宗瑞から2代氏綱への代替わり時期は、通説に対して近年異説が示されたが、あらためて検討すると、なお通説は有力であり、そこには宗瑞と氏綱が隠居と当主によって大名権力の頂点である「当主権力」を構成するありさまが見られることを明らかにした。これが戦国大名権力の意思決定過程をどのように規定するかのさらなる解明が課題である。

  • 戦国大名権力における意思決定手続きの研究

    2018年  

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      本特定課題では、戦国大名権力の意思決定過程を明らかにする前提として、あらためて戦国大名北条氏使用以前の「大途」を検討しつつ、15世紀半ば以降の大名・領主のイエを捉えかえした。その結果、少なくとも管見の限りの史料では、「大途」=具体的な人格とはならないことを明らかにした。ただし、抽象的重要性・重大性を示すものが具体的人格とオーバーラップしていくことは十分ありえる点に留意し、堀越公方府において一定の軍事力を担っている人物が「大都」(「大途」としばしば混用される)と表現されていることも確認した。以上のことから、「大途」といわれるような大名・領主の権力における頂点が15世紀半ば以降しだいに形成されていく点をより明確にする成果を得た。

  • 戦国大名権力における意思決定過程の研究

    2018年  

     概要を見る

     本特定課題では、戦国大名権力の意思決定過程を明らかにする前提として、あらためて戦国大名北条氏使用以前の「大途」を検討しつつ、15世紀半ば以降の大名・領主のイエを捉えかえした。その結果、少なくとも管見の限りの史料では、「大途」=具体的な人格とはならないことを明らかにした。ただし、抽象的重要性・重大性を示すものが具体的人格とオーバーラップしていくことは十分ありえる点に留意し、堀越公方府において一定の軍事力を担っている人物が「大都」(「大途」としばしば混用される)と表現されていることも確認した。以上のことから、「大途」といわれるような大名・領主の権力における頂点が15世紀半ば以降しだいに形成されていく点をより明確にする成果を得た。

  • 戦国大名権力における意思決定手続きの研究

    2017年  

     概要を見る

     本研究では、戦国大名権力が訴訟・戦争・外交などにおいて、どのように意思決定していったかを追求する一環として、大名の隠居・当主の関係を検討した。  その結果、戦争・外交において、隠居はしばしば当主に相並び、あるいは当主よりも大きな権限を振るっていることなどが明らかになった。訴訟を含め、さまざまな場での隠居・当主の関係をみても隠居が優位であることが多いが、当主の存在もまた重要であることも示した。以上のような事態は、従来、隠居が権力を手放さないといったレベルで捉えられていたが、本研究では、当主権力を隠居・当主が分割・分担しているものと考えた。この点、大名権力の意思決定研究における成果といえる。

  • 戦国大名領国における訴訟と裁判の研究

    2017年  

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     本研究では、戦国大名領国における訴訟・裁判において大名権力がどのように意思決定をしていくか、という問題に重点を置き、大名の隠居・当主の関係を検討した。  その結果、隠居は当主の決定を最優先とし、みずからは隠遁の身であるとの自覚もあるが、当主に道理に合わない点があれば、「意見」を加えることを辞さないことが明らかとなった。こうした大名裁判の安定化や信頼性に影響を及ぼす事態について、従来は隠居が権力を手放さないことから生ずるといったレベルで捉えられていたが、本研究では当主権力を隠居・当主が分割・分担しているものと考えた。この点、大名権力の裁判、意思決定研究における成果といえる。

  • 戦国大名領国における訴訟と裁判の研究

    2016年  

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     本研究は、戦国大名領国における訴訟と裁判について、大内氏・毛利氏の領国を対象として、(1)訴訟当事者の階層はいかなるものか、(2)どのような紛争が訴訟に及んでいるか、(3)訴訟手続きはどのように行われているか、(4)訴訟の論点や裁決における決め手は何かといった点に注目して検討した。その結果、(2)に関して、流通や経済の問題の深刻化がみてとれ、(3)(4)に関して、正規の訴訟・裁判制度が整備される一方、人格的関係もまた訴訟・裁判のなかに確固とした位置づけが与えられていることが明らかになった。これらの点は、戦国大名領国における訴訟・裁判の具体化、さらには裁判を通じて強化されるという従来の戦国大名像の相対化につながる大きな成果と考える。

  • 戦国大名領国における訴訟と裁判の研究

    2016年  

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     本研究は、戦国大名領国における訴訟と裁判について、島津氏の領国等を対象として、(1)訴訟当事者の階層はいかなるものか、(2)どのような紛争が訴訟に及んでいるか、(3)訴訟手続きはどのように行われているか、(4)訴訟の論点や裁決における決め手は何かといった点に注目して検討した。その結果、(3)に関して、重臣集団である老中が談合結果を当主のもとへ持ち込んだのに対し、当主が最終決定を忌避するという事例を見出し、(4)に関して、一族の訴訟・裁判への介入から人格的関係の問題を考えた。これらの点は、戦国大名領国における訴訟・裁判の具体化、さらには裁判を通じて強化されるという従来の戦国大名像の相対化につながる大きな成果と考える。

  • 戦国時代における戦争経済と兵糧の研究

    2015年  

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      本研究では、戦国時代の兵粮について、戦争経済との関わりを追究した。検討した史料は、日記・年代記が中心だったが、九州の戦国大名島津氏の重臣上井覚兼が天正年間に記した『上井覚兼日記』から、兵粮と情報との関連が重要な論点になることを知りえた。搬送路・周辺地域の自然条件(地形・天候等)や人為条件(敵や在地の人びとの動向)の情報を迅速・確実に入手すること、それと裏返しの意味で、兵粮に関わる情報を「操作」することは、戦争を遂行する大名はもちろん、兵粮の売買に当たる商人にとっても重要だったと考えられ、兵粮の価格に与える影響なども視野に入れれば、戦争経済を追究するうえでも重要で、発展させられるべき論点であり、大きな成果を得たと考える。

  • 戦国時代における兵糧と戦争経済の研究

    2014年  

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     本特定課題では、軍記物の検討から、近世には兵糧についての認識が定型化され、これが兵糧についてのイメージを固定させることに大きく関連していることを知りえた。また、これまで検討していた北条・今川・武田等の東国大名に加え、西国の代表的戦国大名である毛利における兵糧を検討した。その結果、兵糧を重要な柱として、戦争に規定され、また戦争をも規定する経済体制=戦争経済が、戦国時代に重要な役割を果たしていたことを、あらためて明らかにした。また、この戦争経済をもたらす戦国社会の経済状況は、あらゆる階層にわたる困窮の影響とともに、戦時における活況などもあることを明らかにした。

  • 東国の戦国大名領国における訴訟・裁判の研究

    2013年  

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     本特定課題では、東国の戦国大名領国における訴訟・裁判史料の収集・分析を行った。まず、史料の残存状況としては、北条氏が今川・武田氏と比較してかなり多いということがいえる。しかし、たとえば今川氏についてみるならば、「訴訟条目」と呼ばれる訴訟・裁判手続きの集成があり、残存史料があまり多くないからといって、訴訟・裁判そのものも少なかったとはいえないと考えられる。以下、本特定課題の研究目的に掲げた点に沿って、検討結果を述べていく。 (1)訴訟当事者の階層はいかなるものか。これは、特に北条氏の場合、武士・寺社・百姓・職人・芸能民とたいへん広い身分・階層にわたっている。この点、戦国大名の法廷が民衆に開かれていたことの画期性を高く評価する見解もあるが、私見はやや異なる。これについては後述する。 (2)どのような紛争が訴訟に及んでいるか。これも多岐にわたるが、貸借をめぐる問題がかなり多い点が注目される。今川氏の場合などはこれに関わって「困窮」という文言が頻出し、紛争の底流にある問題を示唆している。 (3)訴訟手続きはどのように行われているか。今川氏の場合、前述した「訴訟条目」があり、基本的な手続きがわかるものの、具体的事例においてどのように適用されたかが明らかでない。北条氏では、従来知られている「目安」提出から評定開催、裁許朱印状による裁決という手続きがある。この「目安」が小田原本城や各地の支城の門前に設置された目安箱に投函されるようになっていたところから、(1)で見たような「民衆に開かれていた」との評価がされることになる。しかしながら、戦国大名の裁判はそうしたものばかりではない。明らかに有力者などとの人的つながりを利用した場合も多く見られる。したがって、一方的に「民衆に開かれていた」ところを高く評価するのではなく、「開かれていた」ところと、人的つながりに依存する、いわば「閉じられていた」ところの両方を併せ考える必要がある。 (4)訴訟の論点や裁決における決め手は何か。これについては、一見バラバラで詰め切れていない。中世においてよくいわれるのは、「先例」や「道理」であるが、これにまったく則っているのか、乗り越えている、あるいは逸脱している点があるのかは、課題として残る。 (5)(1)~(4)の問題に、地域差や大名による個性はあるか。前述したように、今川・武田氏は北条氏に比べて事例が少ないので、単純に比較できない点もあるが、今のところ、際だって異なる点は見出せない。東国の戦国大名領国における訴訟・裁判のあり方として類型化できる可能性は高い。 以上であり、(4)については課題を残したが、東国の戦国大名領国における訴訟・裁判について理解の進展をみた。また、(2)で言及した貸借問題や「困窮」文言などからは、戦国社会の抱える経済問題を見通すことができる。このことや(3)で触れた訴訟・裁判の二様のあり方(「開かれていた」「閉じられていた」)の意味するところを掘り下げることなどを通じて、さらなる研究の展開がなしうると考える。

  • 中世兵糧の基礎的研究

    2010年  

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    本研究では、昨年度の特定課題研究Bを引き継いで、日本中世における「兵糧」文言(「兵粮」も含む)を有する史料(以下、「兵糧」史料とする)を収集して兵糧の存在形態、地理的特徴、時期的変遷を追究し、戦争論・社会経済史の発展に寄与することを目的とする研究の一環として、中世後期東国の刊本史料から「兵糧」史料の収集、分析を行った。具体的には、昨年度収集しなかった地域をカバーする『茨城県史料』、『群馬県史』、『埼玉県史』、『神奈川県史』、『山梨県史』、『北区史』、『千葉県の歴史』からの収集となった。旧国名でいえば、常陸・上野・武蔵・相模・甲斐・下総・上総・安房にほぼ相当する。さらに、西国に残存する東国関係史料を求めて、山口県文書館で調査を行った。結果、140例に及ぶ「兵糧」史料を得、昨年度収集分との重複を除くと今年度新たに得た史料は70例余で、昨年度と合わせて210例に及ぶ「兵粮」史料を得たことになる。 今年度分の地理的特徴は比較的分散傾向にあるということで、最も多い相模でも20例余に過ぎない。また、常陸・甲斐・下総・安房はそれぞれ5例に満たない程度で、かなり少ない。時期的変遷からいうと、南北朝期と戦国期に多いのは、昨年度同様である。ついで、存在形態であるが、これも昨年度同様、南北朝期には「兵粮料所」「兵粮料」として見える事例が顕著である。 以上のところから昨年度と合わせて東国の「兵粮」について総合的に考えると、昨年度見通した、戦国期には戦争の規模拡大などから実際の食糧としての需要がより大きくなるという点、流通・交通と兵糧との関係が少なくとも中世後期を通じて密接であり続ける点が裏づけられたとともに、中世前期にほとんど「兵粮」史料がないことは、戦費の問題も含め、戦争のあり方が中世前期と後期とでは大きく転換したことを示唆する。東国の中での地域的偏差は依然として課題であるが、東国の「兵粮」のあり方を総合的に捉えることができたのは、大きな成果であると考える。

  • 中世兵糧の基礎的研究

    2009年  

     概要を見る

    本研究では、日本中世における「兵糧」文言(「兵粮」も含む)を有する史料(以下、「兵糧」史料とする)を収集して兵糧の存在形態、地理的特徴、時期的変遷を追究し、戦争論・社会経済史の発展に寄与することを目的とする研究の一環として、中世後期東国の刊本史料から「兵糧」史料の収集、分析を行った。具体的には、東国の中でも研究者自身の収集作業がこれまで進んでいなかったところを中心とするため、『静岡県史』、『新潟県史』、『栃木県史』の各史・資料編、および『千葉県史料』からの収集となった。旧国名でいえば、駿河・遠江・伊豆・越後・佐渡・下野にほぼ相当する。結果、150例に及ぶ「兵糧」史料を得た。 存在形態は後述することとして、地理的特徴からいうと、越後・佐渡は合わせて20例ほどに過ぎず、少なさが顕著である。また、時期的変遷からいうと、南北朝期と戦国期に多く、当然ながら戦争の頻発する時期に多いことが示されている。特に、越後・佐渡では前述した少ない事例が、しかも戦国末期といえる16世紀後半に集中している観がある。 ついで、存在形態である。南北朝期には「兵粮料所」として見える事例が顕著であるが、これは小林一岳氏の研究で示された「戦費」としての兵糧にあてはまるものと思われる(小林『日本中世の一揆と戦争』、校倉書房、2001年)。すなわち、兵糧が交換手段ないし富として把握されているといえる(高橋典幸『鎌倉幕府軍制と御家人制』、吉川弘文館、2008年、も参照)。一方、戦国期には戦争において、兵糧が食糧として輸送・消費され、それをめぐる紛争も行われるとともに、交換手段・富としても把握・利用されている。 以上のところからさらに考えられるのは、南北朝期と戦国期は同じ戦争の頻発する時期といっても、戦争の規模拡大などから実際の食糧としての需要がより大きくなるという点である。その一方で、兵糧がいずれの時期も交換手段ないし富としての機能を果たしているということは、流通・交通と兵糧との関係が少なくとも中世後期を通じて密接であり続けることを示唆する。これらは、研究者がこれまで収集・分析した相模・武蔵・上野等の事例とも共通するところが多い。地理的偏りをどのように位置づけるかは課題であるが、こうした成果は、冒頭に掲げた研究の一環として、今後に資するところ大であると考える。

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現在担当している科目

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