KUBO, Kennichiro

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Affiliation

Faculty of Letters, Arts and Sciences, School of Culture, Media and Society

Job title

Professor

Concurrent Post 【 display / non-display

  • Affiliated organization   Global Education Center

Degree 【 display / non-display

  • 早稲田大学   博士(文学)

Professional Memberships 【 display / non-display

  •  
     
     

    歴史学研究会

  •  
     
     

    日本史研究会

 

Research Areas 【 display / non-display

  • Japanese history

Research Interests 【 display / non-display

  • 中世史

Papers 【 display / non-display

  • 村井報告を聞いて

    日本史研究   ( 560 ) 28 - 31  2009.04

  • 天下と公儀

    信長公記を読む     163 - 179  2009.02

  • 公儀と地域権力

    早稲田大学大学院文学研究科紀要   54   3 - 16  2009.02

  • 「境目」の領主・再論

    史観   ( 159 ) 1 - 17  2008.09

  • 戦国時代の徳政と大名

    早稲田大学大学院文学研究科紀要   53   19 - 33  2008.02

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Books and Other Publications 【 display / non-display

  • 戦国大名と公儀

    久保健一郎

    校倉書房  2001.02

Research Projects 【 display / non-display

  • A Fundamental Research on Military Provisions (hyoro) in Medieval Japan

    Project Year :

    2011.04
    -
    2014.03
     

     View Summary

    This research collected the sources on military provisions (hyoro) in Medieval Japan, and explored from various perspectives, their existence forms, regional features and their transformations in each period. As a conclusion, this research clarified that military provisions, in almost all areas of Japan, had two aspects; one is "provisions as objects," which were consumed as food itself, and another is "provisions as money," which were used as methods of exchange and accumulation. Because of these two aspects, in more recent ages, military provisions became more significance during the wartime. In the warring states period, at last, military provisions became even the center of the war economy. The result of this research will be able to contribute progress of historical studies on wars and social economy in Medieval Japan

  • A Fundamental Research on Military Provisions (hyoro) in Medieval Japan

    基盤研究(C)

    Project Year :

    2011
    -
    2013
     

     View Summary

    This research collected the sources on military provisions (hyoro) in Medieval Japan, and explored from various perspectives, their existence forms, regional features and their transformations in each period. As a conclusion, this research clarified that military provisions, in almost all areas of Japan, had two aspects; one is "provisions as objects," which were consumed as food itself, and another is "provisions as money," which were used as methods of exchange and accumulation. Because of these two aspects, in more recent ages, military provisions became more significance during the wartime. In the warring states period, at last, military provisions became even the center of the war economy. The result of this research will be able to contribute progress of historical studies on wars and social economy in Medieval Japan.

  • Comprehensive Restoration Research on Bicchuno Kuni Niiminosho

    基盤研究(B)

    Project Year :

    2010
    -
    2013
     

     View Summary

    Bicchuno Kuni Niiminosho is a Toji domain manor that existed in the Takahashi River basin in Niimi city Okayama prefecture.Containing a plethora of extant medieval documents, (such as the Toji hyakugo monjo), it is a veritable treasure house for the study of medieval manors. For this research, we were able to engage in a collaborative and comprehensive restoration study on the whole of this vast manor area. In the process of doing so, we progressed in the development of the GIS software "Multi-Layered Manor Record System", which is useful for manor surveys overall. We also presented our results in, for example, "Chusei syoen no kankyo, kozo to chiiki syakai" (Bensei Syuppan, 2014).

  • Landscapes and Rituals of Wet Rice Culture in East Asian Villages

    基盤研究(A)

    Project Year :

    2004
    -
    2007
     

     View Summary

    The aim of this research was to demonstrate the historical and cultural relationships between wet-rice culture and societies in East Asia. In particular, it was intended to elucidate the cultural position of Japan in East Asia, with its focus on religious rites and village landscapes, through identifying specific fields of study. Japan is known as the easternmost edge of Indian culture. In order to clarify the cultural position of Japan, China and Japan are set as an east-west axis, with its focus on the study of the diffusion of wet-rice culture and Buddhism. Japan and Bali(Indonesia) were set as a north-south axis. Todai-ji temple in Japan, where research on the relationship between Buddhist culture and rice agriculture had already been carried out, was selected as the chief site. The study was conducted in the temple compound, and subsequently a symposium entitled Rice Field Development and the Wet-Rice Culture of Ancient and Medieval Buddhist Temples was organized on November 27, 2004. Another symposium, The Origin and Diffusion of Japonica Rice , organized on October 29, 2005, considered the Japanese cultural position, centering on the southern route which rice production took, and situations from the ancient period to the modern one were explained in part. In the east-west axis, the research paid main attention to state-led Buddhism and water irrigation, to which the research in Cambodia centering on Angkor Wat made a major contribution. In the north-south axis, the research in Bali was deepened, while the study of Yugeshima Island, in Ehime Prefecture, also advanced. In Bali, a report on Subak Basang Alas, in the east of the island, was produced. Subak is known as a village water-irrigation cooperative, and its report was written by the cooperative. This report was then translated into Japanese -a first. It was included, among other papers, in Lecture Series II-the Study of Wet-Rice Culture : Balinese Wet-Rice Culture and Rituals-Centering on Basang Alas Village of Karangasem Regency.
    In sum, it can be said that the foundations of the societies of wet-rice agriculture in East Asia have been clarified.

  • 戦国大名後北条氏における公儀の構造と機能の研究

     View Summary

    まず後北条氏関係文書約4500通の目録データベースを作成した。これには年月日・差出・充所等のほかにキーワードとして後北条氏における公儀を示す文言といわれる「大途」「公方」「公儀」を載せ、これらの使用者・使用対象・使用時期・使用方法等を検索できるようにした。「大途」文言の事例はおよそ120件、「公方」文言の事例はおよそ70件、「公儀」文言の事例はおよそ25件であった。これを基礎とした後北条氏関係文書の分析により、後北条氏における公儀の構造と機能を追究した。その結果、構造については当主ないし宗家のみが主体となる「大途」が支城主クラスの一族も主体となることができる「公方」「公儀」には見られない人格性・文書の発給主体・軍事的諸機能等の特徴を有していることを明らかにした。したがって「大途」は「公方」「公儀」に対して相対的に優位であり、「大途」を頂点とする公儀の構造を明らかにすることができた。特に「大途」の人格性は後北条氏における公儀の確立や維持に重要な規定を与えており、幕藩制国家における公儀に比して後北条氏の公儀の独自性を示していると考えた。この点は従来ほとんど追究されていないことであり、これを仮に公儀の人格的・イエ的構造と呼ぶことにした。機能については一般にいわれる訴訟→裁許や公共機能も再確認できたが、役賦課の正当性を示す機能や、上にも述べたように「大途」において見られる文書発給機能や軍事的諸機能をも見出すことができた。そしてこれらの必ずしも公共的でない機能が後北条氏の公儀においては重要な比重を占めていることを確認できた。なお毛利氏関係史料の調査・収集を行ったが、戦国期段階では公儀に類する文言はほとんど見出せなかった。後北条氏との大きな差異として留意し、今後追究したい

Presentations 【 display / non-display

  • 戦国時代の戦争経済と収取

    歴史学研究会日本中世史部会大会報告 

    Presentation date: 2001.05

Specific Research 【 display / non-display

  • 東国の戦国大名領国における訴訟・裁判の研究

    2013  

     View Summary

     本特定課題では、東国の戦国大名領国における訴訟・裁判史料の収集・分析を行った。まず、史料の残存状況としては、北条氏が今川・武田氏と比較してかなり多いということがいえる。しかし、たとえば今川氏についてみるならば、「訴訟条目」と呼ばれる訴訟・裁判手続きの集成があり、残存史料があまり多くないからといって、訴訟・裁判そのものも少なかったとはいえないと考えられる。以下、本特定課題の研究目的に掲げた点に沿って、検討結果を述べていく。 (1)訴訟当事者の階層はいかなるものか。これは、特に北条氏の場合、武士・寺社・百姓・職人・芸能民とたいへん広い身分・階層にわたっている。この点、戦国大名の法廷が民衆に開かれていたことの画期性を高く評価する見解もあるが、私見はやや異なる。これについては後述する。 (2)どのような紛争が訴訟に及んでいるか。これも多岐にわたるが、貸借をめぐる問題がかなり多い点が注目される。今川氏の場合などはこれに関わって「困窮」という文言が頻出し、紛争の底流にある問題を示唆している。 (3)訴訟手続きはどのように行われているか。今川氏の場合、前述した「訴訟条目」があり、基本的な手続きがわかるものの、具体的事例においてどのように適用されたかが明らかでない。北条氏では、従来知られている「目安」提出から評定開催、裁許朱印状による裁決という手続きがある。この「目安」が小田原本城や各地の支城の門前に設置された目安箱に投函されるようになっていたところから、(1)で見たような「民衆に開かれていた」との評価がされることになる。しかしながら、戦国大名の裁判はそうしたものばかりではない。明らかに有力者などとの人的つながりを利用した場合も多く見られる。したがって、一方的に「民衆に開かれていた」ところを高く評価するのではなく、「開かれていた」ところと、人的つながりに依存する、いわば「閉じられていた」ところの両方を併せ考える必要がある。 (4)訴訟の論点や裁決における決め手は何か。これについては、一見バラバラで詰め切れていない。中世においてよくいわれるのは、「先例」や「道理」であるが、これにまったく則っているのか、乗り越えている、あるいは逸脱している点があるのかは、課題として残る。 (5)(1)~(4)の問題に、地域差や大名による個性はあるか。前述したように、今川・武田氏は北条氏に比べて事例が少ないので、単純に比較できない点もあるが、今のところ、際だって異なる点は見出せない。東国の戦国大名領国における訴訟・裁判のあり方として類型化できる可能性は高い。 以上であり、(4)については課題を残したが、東国の戦国大名領国における訴訟・裁判について理解の進展をみた。また、(2)で言及した貸借問題や「困窮」文言などからは、戦国社会の抱える経済問題を見通すことができる。このことや(3)で触れた訴訟・裁判の二様のあり方(「開かれていた」「閉じられていた」)の意味するところを掘り下げることなどを通じて、さらなる研究の展開がなしうると考える。

  • 戦国時代における兵糧と戦争経済の研究

    2014  

     View Summary

     本特定課題では、軍記物の検討から、近世には兵糧についての認識が定型化され、これが兵糧についてのイメージを固定させることに大きく関連していることを知りえた。また、これまで検討していた北条・今川・武田等の東国大名に加え、西国の代表的戦国大名である毛利における兵糧を検討した。その結果、兵糧を重要な柱として、戦争に規定され、また戦争をも規定する経済体制=戦争経済が、戦国時代に重要な役割を果たしていたことを、あらためて明らかにした。また、この戦争経済をもたらす戦国社会の経済状況は、あらゆる階層にわたる困窮の影響とともに、戦時における活況などもあることを明らかにした。

  • 戦国時代における戦争経済と兵糧の研究

    2015  

     View Summary

      本研究では、戦国時代の兵粮について、戦争経済との関わりを追究した。検討した史料は、日記・年代記が中心だったが、九州の戦国大名島津氏の重臣上井覚兼が天正年間に記した『上井覚兼日記』から、兵粮と情報との関連が重要な論点になることを知りえた。搬送路・周辺地域の自然条件(地形・天候等)や人為条件(敵や在地の人びとの動向)の情報を迅速・確実に入手すること、それと裏返しの意味で、兵粮に関わる情報を「操作」することは、戦争を遂行する大名はもちろん、兵粮の売買に当たる商人にとっても重要だったと考えられ、兵粮の価格に与える影響なども視野に入れれば、戦争経済を追究するうえでも重要で、発展させられるべき論点であり、大きな成果を得たと考える。

  • 戦国大名領国における訴訟と裁判の研究

    2016  

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     本研究は、戦国大名領国における訴訟と裁判について、大内氏・毛利氏の領国を対象として、(1)訴訟当事者の階層はいかなるものか、(2)どのような紛争が訴訟に及んでいるか、(3)訴訟手続きはどのように行われているか、(4)訴訟の論点や裁決における決め手は何かといった点に注目して検討した。その結果、(2)に関して、流通や経済の問題の深刻化がみてとれ、(3)(4)に関して、正規の訴訟・裁判制度が整備される一方、人格的関係もまた訴訟・裁判のなかに確固とした位置づけが与えられていることが明らかになった。これらの点は、戦国大名領国における訴訟・裁判の具体化、さらには裁判を通じて強化されるという従来の戦国大名像の相対化につながる大きな成果と考える。

  • 戦国大名権力における意思決定手続きの研究

    2017  

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     本研究では、戦国大名権力が訴訟・戦争・外交などにおいて、どのように意思決定していったかを追求する一環として、大名の隠居・当主の関係を検討した。  その結果、戦争・外交において、隠居はしばしば当主に相並び、あるいは当主よりも大きな権限を振るっていることなどが明らかになった。訴訟を含め、さまざまな場での隠居・当主の関係をみても隠居が優位であることが多いが、当主の存在もまた重要であることも示した。以上のような事態は、従来、隠居が権力を手放さないといったレベルで捉えられていたが、本研究では、当主権力を隠居・当主が分割・分担しているものと考えた。この点、大名権力の意思決定研究における成果といえる。

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