益田 朋幸 (マスダ トモユキ)

写真a

所属

文学学術院 文学部

職名

教授

ホームページ

http://db2.littera.waseda.ac.jp/byzantine2/index.html

兼担 【 表示 / 非表示

  • 文学学術院   大学院文学研究科

  • 附属機関・学校   グローバルエデュケーションセンター

学歴 【 表示 / 非表示

  •  
    -
    1991年

    早稲田大学   文学研究科   芸術学(美術史)  

  •  
    -
    1991年

    早稲田大学   文学研究科   芸術学(美術史)  

  •  
     
     

    早稲田大学   文学部   美術史専修  

学位 【 表示 / 非表示

  • Thessaloniki University, Greece   Ph.D

  • ギリシア国立テサロニキ大学   Ph.D

所属学協会 【 表示 / 非表示

  •  
     
     

    地中海学会

  •  
     
     

    美術史学会

  •  
     
     

    早稲田大学美術史学会

  •  
     
     

    日本オリエント学会

  •  
     
     

    美学会

 

研究分野 【 表示 / 非表示

  • 美学、芸術論

研究キーワード 【 表示 / 非表示

  • 美術史、ビザンティン美術、キリスト教図像学

論文 【 表示 / 非表示

  • 予型論の射程

    益田朋幸

    『聖堂の小宇宙』(ヨーロッパ中世美術論集4)竹林舎     23 - 38  2016年11月

  • 「見えない神」のレトリック

    益田朋幸

    Waseda RILAS Journal   ( 4 ) 263 - 269  2016年10月

  • ティモテスバニ修道院(グルジア/ジョージア)と聖堂装飾における復古の問題

    益田朋幸

    甚野尚志・益田朋幸編『ヨーロッパ文化の再生と革新』知泉書館     353 - 380  2016年03月

  • エル・グレコ作サント・ドミンゴ・エル・アンティーグオ修道院祭壇画とクレタの聖堂装飾

    益田朋幸

    美術史研究   53   47 - 68  2015年12月

  • ビザンティン聖堂装飾における「受胎告知」と「神殿奉献」—パレルモのカッペッラ・パラティーナとセルビアのストゥデニツァ修道院

    益田朋幸

    『Waseda Rilas Journal』   2   49 - 59  2014年10月

全件表示 >>

書籍等出版物 【 表示 / 非表示

  • 『聖堂の小宇宙』(ヨーロッパ中世美術論集4)

    益田朋幸編

    竹林舎  2016年11月 ISBN: 9784902084443

  • ヨーロッパ文化の再生と革新

    甚野尚志, 益田朋幸( 担当: 共編者(共編著者))

    知泉書館  2016年03月 ISBN: 4862852297

  • ビザンティン聖堂装飾プログラム論

    益田朋幸

    中央公論美術出版  2014年02月 ISBN: 9784805507162

  • ビザンティンの聖堂美術

    益田朋幸

    中央公論新社  2011年06月 ISBN: 9784120042485

  • 『ビザンティンへの船出』(編集)

    髙橋榮一

    早稲田大学美術史学会  2007年10月

全件表示 >>

受賞 【 表示 / 非表示

  • 早稲田大学大隈記念学術褒賞

    2014年10月  

  • 第2回 立教大学辻荘一・三浦アンナ記念学術奨励金

    1996年01月  

  • 早稲田大学美術史学会賞

    1992年06月  

共同研究・競争的資金等の研究課題 【 表示 / 非表示

  • ビザンティンと中世イタリアの聖堂装飾プログラム比較に基づく相互影響関係の分析

    研究期間:

    2018年04月
    -
    2022年03月
     

     概要を見る

    海外調査を積極的に行った。ローマ、南イタリア、サンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼路(スペイン)、ペロポネソス半島・キオス島・ナクソス島・カストリア・クレタ島・聖山アトス(ギリシア)等の聖堂装飾を調査した。とりわけて、2019年夏に行ったカッパドキア(トルコ)調査では、本課題に直結する多くの成果を得た。南イタリアとカッパドキアでは、ビザンティン本土に稀な「キリスト昇天」「変容」をアプシス図像として採用する場合が少なくない。首都コンスタンティノポリス中心のビザンティン美術史観を修正する必要があるだろう。聖山アトスの政庁カリエスに附属するプロタトン聖堂壁画の修復洗浄作業の結果、画家エウティキオスの署名が発見されたとのニュースを受け、2020年3月に緊急調査を行った。プロトエピスタティス(大統領に相当)の長老シメオン師の協力の下、プロタトン聖堂聖域の図像を検討した結果、二人組の画家ミハイルとエウティキオスの最初期の作であるパナギア・ペリブレプトス聖堂(オフリド、北マケドニア)の聖域装飾プログラムとの類似が認められた。またテサロニキの聖ディミトリオス聖堂に附属する聖エウティミオス礼拝堂聖域との共通性も明らかになり、ミハイルとエウティキオスという有力な画家の構想が、広くバルカン半島に拡散してゆく経過も追跡することができる。彼らはイタリアの図像の影響を受けている可能性があり、ここからビザンティンとイタリア・ゴシックの相互影響関係を立証することができるかも知れない。2019年度、研究代表者は大学よりサバティカルを得て、研究に専念することができた。ギリシアに在住し、そこを拠点に海外調査を頻繁に行うことができた。ギリシアの研究者から多くの最新情報を得て、またその人脈により、通常調査の困難な聖山アトスでの調査を敢行することもできた。2020年3月の聖山アトス調査を最後にして、新型コロナ肺炎拡大のため、ヨーロッパ各国の調査が困難になっている。2020年夏、もしくは2021年春に現地調査が可能かどうか、目下のところ見通せない。海外調査が不可能な場合には、これまでに撮影した写真資料を整理し、研究分担者とも共有した上で、聖堂装飾プログラムの議論を(場合によってはウェブ会議によって)行いたい

  • 日本における西洋宗教美術受容史再構築の試み―16世紀から19世紀まで

    研究期間:

    2018年04月
    -
    2022年03月
     

     概要を見る

    2018年9月に長崎県内で実施した合同調査をふまえ、各自が国内外で研究調査を進めた。特に、トレント公会議後のカトリック教会の指針を反映したキリシタン図像と日本のキリシタン独自の図像との分別に関する問題に焦点をあてた。キリシタン美術には、明らかに西欧起源の図像、西欧キリスト教の図像と日本在来の宗教図像との混合、そして、日本在来の宗教図像のキリスト教への転用など、さまざまな形態がみられ、また、明確に区分すべきではない例も数多く存在する。その背景となる各時代や地域の社会や文化、宗教の状況に関して、各自の専門分野から考察を行った。10月、11月には、ERC(European Research Council)設立のミュンヘン大学の研究グループSACRIMA(The Normativity of Sacred Images in Early Modern Europe/西欧近世における聖像の規範)とともに、共同セミナー/講演会を実施した。このプロジェクトのテーマは、(Early Modern Sacred Images in Japan and Europe: Contact, Comparison, Conflict/近世ヨーロッパと日本の聖なるイメージ)である。10月にはミュンヘン大学で、そして11月には早稲田大学で実施したが、日本からは研究分担者や国内外の研究協力者のほか、早稲田の学生も発表を行った。トレント公会議以降の西欧カトリックの聖像、そして日本のキリシタンの聖像における規範と禁忌について協議をした。早稲田で開催されたセミナーには数多くの聴衆が出席し、広く問題を共有する機会となったことも特筆すべきであろう。なお、これには、DAAD(ドイツ学術交流会)-早稲田大学パートナーシッププログラムの共催を得ている。本研究は、16世紀から19世紀にかけての日本における西洋宗教美術受容史の再構築を目指す新しい試みであると同時に、対象が広範にわたることも事実である。本研究期間内で全てを解明することは当然のことながら困難であるが、これまで全く研究されていなかった分野も含めて、最終的に大まかな見取り図を提示することを目指している。こうした見地にたって、2019年度は、以下3点を軸に調査を進めた:1)トレント公会議後のカトリック聖像における規範とテキスト;2)長崎を中心とした日本のキリシタンならびにかくれキリシタンの図像とトレント公会議以降のカトリック聖像の図像の比較;3)東アジア(特にマカオとマニラ)における宣教美術図像とトレント公会議以降のカトリック聖像の図像の比較。こうした各自の研究に加えて、2019年度からはミュンヘン大学の研究グループSACRIMAと共同プロジェクト「近世ヨーロッパと日本の聖なるイメージ」をすすめている。聖像における規範と禁忌という問題について、より多角的な視点から取り組む体制がととのったと言える。2020年度から研究期間の後半に入る。今後は、公開の研究会や研究メンバーの海外での学会発表を通して、これまでの研究の経過報告を進める予定である。同時に、各メンバーが個別に進めている研究をまとめていく。日本における西洋美術受容については従来、明治期の文明開化・欧化主義を基調にした政府主体の洋画導入を中心に議論されることが多い。そして、安土桃山時代から江戸初期における洋風画や江戸期の蘭画を対象とする研究は、いわば挿話のように個別事象として論じられる傾向にある。これに対し本研究は、16世紀から19世紀にかけての西洋宗教美術の受容とその変容という、もう一つの西洋美術受容の系譜を再構築することを試みるものである。ただ、「進捗状況」でも言及したように、研究対象が広範であるためにすべてを明らかにすることは難しい。本研究においては最終的に大まかな見取り図を提示することを目指している

  • 中世ロシア聖堂壁画に見るバルカン半島の影響

    研究期間:

    2014年04月
    -
    2018年03月
     

     概要を見る

    ロシア、ジョージアの中世壁画をもつ聖堂の現地調査を行い、聖堂装飾プログラムの分析を試みた。過去の調査で蓄積のあるバルカン半島(ギリシア、マケドニア、セルビア、コソヴォ、アルバニア)の諸聖堂のデータを比較し、バルカン半島が中世ロシア文化圏に与えた影響を具体的に分析した。その結果、ロシアの装飾プログラムの特異性がいくつか浮かび上がり、またロシアがバルカンに与えたと想定できる事象も明らかになった。バルカンの図像はテオファニス(フェオファン・グレク)やマヌイル・エウゲニコス経由で、ルブリョーフらによってロシアの地に定着し、ディオニーシの装飾プログラムにまで継承されてゆく

  • 古代・中世地中海世界における宗教空間と社会変動-トロス遺跡聖堂遺構の発掘調査

    研究期間:

    2012年04月
    -
    2017年03月
     

     概要を見る

    古代から中世にかけての地中海世界における聖域空間と社会の関係の変動を具体的に調査するため、リキア地方(トルコ南西部)のトロス遺跡の司教座聖堂に焦点を定め、発掘調査を行った。この聖堂は、古代の都市の主聖域に建造されており、それ以前の神殿や聖域との関係で重要な知見を得られることが期待されたが、キリスト教の国教化から50年ほど経った五世紀の半ばには完成し、その後、11世紀に至るまで、隣接する旧都市の主神殿クロノス神殿までの空間に教会付属の工房区域が形成され、都市の手工業の中心となったことが明らかにされた

  • バルカン半島中部における文化的多様性の歴史的研究

    研究期間:

    2010年04月
    -
    2013年03月
     

     概要を見る

    セルビア南部、コソヴォ、マケドニア、アルバニアのフィールドワークを行ない、初期キリスト教遺跡、ビザンティン聖堂(とくに壁画)、初期オスマン・モスクの調査を実施した。古代末期から中世、中世末期から近世への文化移行期の様相を、建築と絵画から具体的に考え、現代当該地の文化的多様性の起源を検討した。とくに14 世紀のビザンティン聖堂装飾プログラムについて、新たな知見を多数得ることができた

全件表示 >>

講演・口頭発表等 【 表示 / 非表示

  • 聖エカテリニ修道院の美術とイスラーム世界

    早稲田大学イスラーム地域研究機構 拠点強化事業『「モノ」の世界から見たイスラーム』「神と人が出会う地 シナイ半島の歴史と文化」  

    発表年月: 2011年12月

  • ビザンティン聖堂装飾のイコンとナラティヴ

    美学会東部会例会  

    発表年月: 2011年12月

  • ビザンツ帝国と地中海世界—東地中海における美術の変容

    地中海学会春期連続講演会  

    発表年月: 2011年05月

  • 「キリストと十二使徒」図像の含意—写本装飾と聖堂装飾の間

    早稲田大学美術史学会2010年度総会  

    発表年月: 2010年06月

  • 初期キリスト教美術

    第72期 一橋フォーラム  

    発表年月: 2010年01月

全件表示 >>

特定課題研究 【 表示 / 非表示

  • 中世イタリア南部におけるビザンティン文化の浸透

    2013年  

     概要を見る

    南イタリア一帯をサーヴェイし、ビザンティンの影響下に成立したフレスコ・モザイクの調査を行なった。 特にTursi郊外のSanta Maria di Anglona聖堂のフレスコ装飾が重要であると考えるので、ここに記す。アプシス及び身廊北壁面にフレスコは現存しないが、身廊南壁面と同西壁面には比較的保存状態のよい、創世記の諸場面を描いた12世紀のフレスコが残っている。これはほぼ同時代のシチリア島パレルモ、カッペッラ・パラティーナとモンレアーレ大聖堂の身廊を飾る創世記モザイクと比較可能である。あるいは近年修復の終了したローマ、サン・ジョヴァンニ・ア・ポルタ・ラティナ聖堂身廊のフレスコとも比較すべきかも知れない。 サンタ・マリア・ディ・アングローナのフレスコに関しては現在も研究を継続中であるが、カッペッラ・パラティーナとモンレアーレの創世記プログラムについては、おおよその新解釈を提出することができる。天地創造に始まり、ノアの物語、アブラハム、イサク、ヤコブの物語へと続く場面選択の意味は、サイクルが「天使と格闘するヤコブ」で終わっていることから説明可能である。 ヤコブは天使(テキスト上は神)と格闘して、神からの祝福を得、イスラエルとの名をもらう。その後ヤコブ=イスラエルは12人の男子をもうけ、それぞれがイスラエル十二部族の始祖となる。これはアウグスティヌス他の教父たちによって、十二使徒の予型とされる。つまり創世記サイクルは、十二使徒の予型で終わり、それは側廊等で展開するペテロ・パウロ伝に接続する。 つまり旧約創世記は新約のキリスト伝に続くのはむろんのことであるが、さらにそれはキリスト昇天後の使徒たちの活躍にも自然に続くことになる。モザイクの複雑な図像群は、一貫したキリスト教的世界観、歴史観を語っているのである。 上記以外に、南イタリア、プーリア地方ののいくつかの聖堂では、9世紀という早い時期に、聖堂西壁面に「キリスト昇天」を描く作例を確認した。ビザンティン側で失われた時代のプログラムを想像させる点で興味深い作例である。

  • 後期ビザンティン時代におけるギリシア十字式聖堂の装飾プログラム研究

    2013年  

     概要を見る

    シチリア島パレルモのカッペッラ・パラティーナ(宮廷礼拝堂)及びラ・マルトラーナ(サンタ・マリア・デッラッミラーリオ)聖堂の調査を行ない、モザイクの装飾プログラムについて研究を行なった。両聖堂では、ドーム下部の東西に「受胎告知」と「キリスト神殿奉献」が対面して配されている。カッペッラ・パラティーナは図像学的に完備したモティーフを有し、ラ・マルトラーナはその省略形であるが、12世紀中葉の時点においてこのイコノグラフィーは確立しているので、いずれが先行したかは定めがたい。 「受胎告知」と「神殿奉献」をプログラムの柱とする装飾は、セルビアのストゥデニツァ修道院主聖堂(13世紀初頭)と同修道院「王の聖堂」(14世紀初頭)にも見られる。こちらはアプシスを囲む東壁面に、両図像を上下に配している。対面と上下、どちらが本来の(首都コンスタンティノポリス由来の)プログラムであるかは、10世紀初頭のカッパドキア、トカル・キリセ旧聖堂を見なければならない。 トカル・キリセでは、アプシス(新聖堂掘削のために現在は存在しない)を挟む壁面に、「神殿奉献」を分割して配している。この配置によって、現実の聖堂祭壇を図像に採りこむことが可能となる。すなわち神への犠牲として捧げられるキリストが、まさに聖堂祭壇上をよぎることになる。このプログラムによって、受難の予告としての「神殿奉献」図像の意義が十全に生かされる。したがって、「神殿奉献」は本来アプシス左右に配されるべきであり、ストゥデニツァの上下配置が当初のプログラムであることが推察される。シチリアのレイアウトは、本来の東壁面における上下配置を、聖堂建築の形状に従って対面に配し直したものであろう。 カッペッラ・パラティーナ北側廊東壁面には、金地に聖母子立像、その上方に洗礼者ヨハネの単独像を描いている。これまでこの組合わせの意味を論じた研究者はいないが、上述の議論及びパナギア・トゥ・アラカ聖堂(ラグデラ、キプロス)、「キコティッサ」イコン(シナイ山聖エカテリニ修道院)のプログラムとの関連から、「神殿奉献」のイコン化された図像であることが明らかになった。

  • ビザンティン聖堂装飾におけるカッパドキアとグルジア

    2015年  

     概要を見る

    グルジア(ジョージア)のティモテスバニ修道院壁画プログラムに関する論文を執筆するに至った。同修道院は13世紀初頭のフレスコ装飾をもち、同時代のトレビゾンド帝国(ビザンティン帝国の亡命政権)の影響を深く受けていると推測される。特徴的なのは、ドーム、ヴォールト頂部等各所に十字架装飾を施す点である。天井の十字架装飾は、初期キリスト時代には広く行われたプログラムであるが、中期ビザンティン世界では採用されなくなった。しかしカッパドキア地域には、天井の十字架装飾が遅い時期まで見られるものである。他にもアプシスにおけるデイシス図像の採用等、グルジアとカッパドキアの共通点は少なくない。ティモテスバニ修道院は、ひとつのモデルケースに過ぎず、今後、グルジア(特に高地コーカサス地方)とカッパドキアの比較は、体系的に行われなければならない。

  • カッパドキアの聖堂装飾-首都コンスタンティノポリスの初期図像の残存か?

    2016年  

     概要を見る

     カッパドキアの4聖堂において、「キリスト昇天」と「キリストと十二使徒」を結合させた壁画が認められる。これは正教典礼における「昇天の木曜日」のオルトロスとリトゥルギアの図像に対応する。したがってカッパドキアの作例は、典礼暦に読まれる福音書の章句を編纂したレクショナリー写本に基づいて制作された、首都コンスタンティノポリスの壁画を写したものと推測される。同じくギョレメ地区のトカル・キリセ旧聖堂には、アプシスを囲む東壁に「キリスト神殿奉献」の断片が残っている。アプシス左右に「神殿奉献」を分割して描くのは、聖堂の祭壇を絵画の中に採り入れる試みである。以上2つの論文を英語で執筆し、現在出版を準備中である。 

  • ビザンティン様式の形成における首都と周縁

    2017年  

     概要を見る

     今年度はコンスタンティノポリスとの関連性において、ロシアとジョージアを考察した。両地には11世紀以降多くのビザンティン画家が渡り、仕事をし、弟子を育成した。14世紀には、ジョージアにマヌイル・エウゲニコス、ロシアにテオファニス(フェオファン・グレク)が渡り、当地にビザンティン最新の様式を伝えた。しかし両地にはビザンティン受容の明らかな差が存在する。ビザンティンでは11世紀以降、「受難の聖母」をめぐって悲哀の表現が新たな展開を見たが、ジョージアはこれを受け入れず、ロシアは熱狂的に受け入れた。ロシアの国民感情ともいえるトスカ toskaと結びついて、ビザンティンの悲哀はロシアで独自の発展を見るのである。

全件表示 >>

海外研究活動 【 表示 / 非表示

  • ビザンティン・レクショナリー写本の挿絵と聖者暦

    2009年04月
    -
    2010年03月

    ギリシア   総主教座附属教父学研究所

 

現在担当している科目 【 表示 / 非表示

全件表示 >>