石見 清裕 (イワミ キヨヒロ)

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所属

教育・総合科学学術院 教育学部

職名

教授

兼担 【 表示 / 非表示

  • 教育・総合科学学術院   大学院教育学研究科

  • 文学学術院   大学院文学研究科

  • 文学学術院   文学部

  • 附属機関・学校   グローバルエデュケーションセンター

学内研究所等 【 表示 / 非表示

  • 1989年
    -
     

    教育総合研究所   兼任研究員

学歴 【 表示 / 非表示

  •  
    -
    1979年

    早稲田大学   第二文学部   東洋文化  

学位 【 表示 / 非表示

  • Master of Literature

  • 早稲田大学   文学修士

  • Doctor(Literature)

  • 早稲田大学   博士(文学)

経歴 【 表示 / 非表示

  • 2002年
    -
    2003年

    早稲田大学教育学部 助教授

  • 1988年
    -
    2002年

    早稲田大学文学部 非常勤講師

所属学協会 【 表示 / 非表示

  •  
     
     

    日本中国学会

  •  
     
     

    中国史学会

  •  
     
     

    東方学会

  •  
     
     

    東洋史研究会

  •  
     
     

    史学会

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研究分野 【 表示 / 非表示

  • アジア史、アフリカ史

研究キーワード 【 表示 / 非表示

  • 中国史, 唐時代

論文 【 表示 / 非表示

  • ソグド人漢文墓誌訳注(2)固原出土「史訶耽夫妻墓誌」(唐・咸亨元年)

    ソグド人墓誌研究ゼミナール

    早稲田大学東洋史懇話会『史滴』   ( 27 ) 153 - 183  2005年12月

  • 代の地−内陸アジア境界地域社会の起源・発展および歴史的意義−

    シコット・ピアース, 早大

    早稲田大学東洋史懇話会『史滴』   ( 27 ) 18 - 46  2005年12月

  • 「唐代長安の外国人−国子監と留学生−」

    石見 清裕

    大和書房『東アジアの古代文化』   ( 123 ) 37 - 50  2005年05月

  • 唐の絹貿易と貢献制

    石見 清裕

    『九州大学東洋史論集』   ( 33 ) 61 - 92  2005年05月

  • 沙陀研究史−日本・中国の学界における成果と課題−

    石見 清裕

    『早稲田大学モンゴル研究所紀要』   ( 2 ) 121 - 138  2005年03月

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書籍等出版物 【 表示 / 非表示

  • 唐代凶礼の構造−『大唐開元礼』官僚喪葬儀礼を中心に−

    石見 清裕

    春秋社、『福井文雅博士古稀記念 アジア文化の思想と儀礼』  2005年06月

  • 「唐代『沙陀夫人阿史那氏墓誌』訳注・考察」

    石見 清裕

    汲古書院 村山吉廣教授古希記念中国古典学論集  2000年03月

  • 「ラティモアの辺境論と漢〜唐間の中国北辺」

    石見 清裕

    刀水書房 唐代史研究会編『東アジア史における国家と地域』  1999年

  • 『唐の北方問題と国際秩序』

    石見 清裕

    汲古書院  1998年02月

  • 「唐代外国貿易・在留外国人をめぐる諸問題」

    石見 清裕

    汲古書院 『魏晋南北朝隋唐時代史の基本問題』  1997年06月

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共同研究・競争的資金等の研究課題 【 表示 / 非表示

  • 東アジアにおける礼・儀式・支配構造の比較史的研究~唐宋変革期の中国・朝鮮と日本~

    研究期間:

    2014年04月
    -
    2017年03月
     

     概要を見る

    古代日本においては、律令制の導入に続いて、8世紀になってから礼の本格的な導入が始まり、9世紀には儀式書の成立という形に結実する。その後9世紀から12世紀にかけての古代から中世の変革期において、中国の礼を受容して形成された儀式が支配構造との関係でどのように変容したかを、中国の賓礼や軍礼、凶礼などに該当する儀式を検討することによって明らかにした。また、同時期の中国や朝鮮半島諸国の礼や儀式の変化と比較することによって、日本の儀式の変化の特徴に迫った。その結果、中国において当該期に礼や儀礼が庶民化すること、皇帝権力の伸長により変化があることなどが確認された

  • 日本古代の仏教受容と東アジアの仏教交流

    研究期間:

    2012年04月
    -
    2015年03月
     

     概要を見る

    平成24年度は韓国の九山禅門を中心とする禅宗寺院の調査をおこない、金石文の調査・記録を実施するとともに、現地研究者との学術交流をおこなった。平成25・26年度は、中国山西省南部~陝西省西安市までを対象として、『入唐求法巡礼行記』にもとづく入唐僧円仁の行程調査を実施し、唐代における歴史的景観や交通路を復元した。最終年度末には、日本・中国・韓国3ヵ国の研究者による国際シンポジウムを開催し、最新の研究状況の確認や国内外の研究者との学術交流をおこなうとともに、平成24~26年度の研究成果を公表した。現在、シンポジウムの成果を広く公開するため、書籍として刊行するべく準備を進めている

  • 8~10世紀東アジア外交文書の基礎的研究

    研究期間:

    2011年04月
    -
    2014年03月
     

     概要を見る

    本研究の目的は、8世紀から10世紀を中心に、日本と渤海・新羅及び中国との間の外交文書について、諸写本を調査して校訂したテキストを作成すると同時に、古代東アジア諸国の対外関係史に関する新たな成果を提示することである。その成果として、平成26年1月26日には「古代東アジア・東ユーラシアの対外交通と文書」と題するシンポジウムを開き、また『訳註日本古代の外交文書』(八木書店、2014年2月)を刊行した

  • 8~10世紀東アジア外交文書の基礎的研究

    基盤研究(C)

    研究期間:

    2011年
    -
    2013年
     

     概要を見る

    本研究の目的は、8世紀から10世紀を中心に、日本と渤海・新羅及び中国との間の外交文書について、諸写本を調査して校訂したテキストを作成すると同時に、古代東アジア諸国の対外関係史に関する新たな成果を提示することである。その成果として、平成26年1月26日には「古代東アジア・東ユーラシアの対外交通と文書」と題するシンポジウムを開き、また『訳註日本古代の外交文書』(八木書店、2014年2月)を刊行した。

  • 8~10世紀東アジア外交文書の基礎的研究

    基盤研究(C)

    研究期間:

    2011年
    -
    2013年
     

     概要を見る

    本研究の目的は、8世紀から10世紀を中心に、日本と渤海・新羅及び中国との間の外交文書について、諸写本を調査して校訂したテキストを作成すると同時に、古代東アジア諸国の対外関係史に関する新たな成果を提示することである。その成果として、平成26年1月26日には「古代東アジア・東ユーラシアの対外交通と文書」と題するシンポジウムを開き、また『訳註日本古代の外交文書』(八木書店、2014年2月)を刊行した。

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特定課題研究 【 表示 / 非表示

  • 4~10世紀のモンゴリア南部・中国北部地帯における民族・文化融合の研究

    2012年  

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     2012年度の本研究課題に係る活動は、主として墓誌史料の解読とその史料的位置づけ作業に力を注いだ。というのも、中国南北朝・隋・唐・五代期(4~10世紀)の編纂史料(紀伝体・編年体の歴史書)については、私はほぼ把握しており、それらだけでは窺い知れない世界を認識の表面に浮かび上がらせたいからである。中国の墓誌とは、正方形の石に個人の生涯・業績を漢文で刻し、墓室に納めるものである。当然ながら、故人の生前の姿を表彰する記述が多いが、生前に関わった出来事などは客観的視点で記されるものであり、歴史研究では一級史料なのである。しかも、未だ読解されず、史料として使用されていない墓誌が多い。したがって、研究経費の多くは、墓誌の拓本集や録文集およびその研究書の購入に当てざるを得なかった。 本年度、分析したのは、次の墓誌である。① ソグド人「安伽墓誌」(北周期・6世紀)、② 柔然人「閭夫人墓誌」(北斉期・6世紀)、③ 突厥人「史善応墓誌」(唐代・7世紀)、④ 鉄勒人「僕固乙突墓誌」(唐代・7世紀)、⑤ 高句麗人「泉献誠墓誌」(唐代・7世紀)、⑥ 高句麗人「高足酉墓誌」(唐代・7世紀)、⑦ 波斯人「阿羅撼墓誌」(唐代・8世紀)。 これらは、いずれも非漢族に属する出身者で、中国に移住して死亡し、中国で埋葬された者たちである。したがって、民族の移動の実例がここから浮かび上がってくるのである。このうち、③は現在のところ未公開史料であり、私は中国の研究者の厚意によって個人的に拓本写真を入手できた。その他の墓誌についても、中国の研究機関に赴いて実見するつもりであったが(実際にはコネでそれは可能であったが)、折からの反日デモによって個人的に日本人に便宜を計るには時期的に不適当との返答であったため、断念した経緯がある。 上記墓誌史料の分析は、今後学界に発表するつもりである(①に関してはすでに『史滴』第34号〈早稲田大学東洋史懇話会、2012年12月〉に発表したが、「特定課題研究助成費を受けた旨」などの記入を失念した)。 なお、墓誌史料とトゥルファン新出土文書とを照らし合わせると、5~6世紀のユーラシア東半部の交通の様相が認識でき、それらは「梁職貢図」とも関係することが判明した。それについては、下記に投稿中である。

  • 唐末沙陀突厥史の基礎的研究

    2002年  

     概要を見る

     沙陀族はテュルク系民族といわれ、唐代に中国山西省に移動し、唐末に首領の李克用が現れてから強大となり、この勢力から五代5王朝のうちの後晋・後唐・後周の3王朝が形成された。これほど、中国史・東アジア史に重要な役割を演じた沙陀族であるが、これまで研究は大きく遅れている。その理由の1つは、唐末・五代の社会状況が反映されて、史料が混乱している点にある。そこで、本研究では、『新唐書』沙陀伝を中心に、各史書に散見される沙陀関係史料を整理した。この基礎的作業は、現在も一部続けている。 それと同時に、1989年に中国では先述李克用の「墓誌」が発見されたので、それを学界で史料として活用できるよう、テキスト化作業を行った。同墓誌は、すでに拓本写真が公表されてはいるが、その写真はあまりに縮小され、不鮮明なため、それから釈文を行うことは不可能である。そこで、2002年8月12日~19日の期間、山西省を調査したところ、代県の文廟(山西省博物館を兼ねる)に同墓誌の原石・原拓本ともに保管されていることがわかり、幸いにしてそれらを実見・調査することができた。 墓誌は、縦横それぞれ93cm、全39行、1行42字の大作で、書体は基本的には楷書体であるが、異体字がしばしば用いられ、そのために釈文は困難を極めたが、原石の調査もできたので、テキスト化に成功した。帰国後は、その解読と、編纂史料との比較・校訂を行った。なお、山西省では、李克用の墓と、周囲の地理も視察・調査ができ、大変有意義であった。 李克用墓誌の調査は、森部豊氏(筑波大学)と共同で行った。現在、すでにその訳注研究は完成し、森部氏と共著で、下記のとおり発表の予定である。

 

現在担当している科目 【 表示 / 非表示

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