2023/12/01 更新

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イワミ キヨヒロ
石見 清裕
所属
教育・総合科学学術院
職名
名誉教授
学位
博士(文学) ( 早稲田大学 )
Doctor(Literature)
文学修士 ( 早稲田大学 )
Master of Literature

経歴

  • 2002年
    -
    2003年

    早稲田大学教育学部 助教授

  • 1988年
    -
    2002年

    早稲田大学文学部 非常勤講師

学歴

  •  
    -
    1979年

    早稲田大学   第二文学部   東洋文化  

所属学協会

  •  
     
     

    日本中国学会

  •  
     
     

    中国史学会

  •  
     
     

    東方学会

  •  
     
     

    東洋史研究会

  •  
     
     

    史学会

  •  
     
     

    唐代史研究会

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研究分野

  • アジア史、アフリカ史

研究キーワード

  • 中国史, 唐時代

 

論文

  • ソグド人漢文墓誌訳注(2)固原出土「史訶耽夫妻墓誌」(唐・咸亨元年)

    ソグド人墓誌研究ゼミナール

    早稲田大学東洋史懇話会『史滴』   ( 27 ) 153 - 183  2005年12月

  • 代の地−内陸アジア境界地域社会の起源・発展および歴史的意義−

    シコット・ピアース, 早大

    早稲田大学東洋史懇話会『史滴』   ( 27 ) 18 - 46  2005年12月

  • 「唐代長安の外国人−国子監と留学生−」

    石見 清裕

    大和書房『東アジアの古代文化』   ( 123 ) 37 - 50  2005年05月

  • 唐の絹貿易と貢献制

    石見 清裕

    『九州大学東洋史論集』   ( 33 ) 61 - 92  2005年05月

    DOI CiNii

  • 沙陀研究史−日本・中国の学界における成果と課題−

    石見 清裕

    『早稲田大学モンゴル研究所紀要』   ( 2 ) 121 - 138  2005年03月

    CiNii

  • 「入唐日本人「井真成墓誌」の性格をめぐって--中国唐代史の立場から見ると」

    石見 清裕

    勉誠出版『アジア遊学』   ( 70 ) 22 - 31  2004年12月

  • ソグド人漢文墓誌訳注(1) 固原出土「史射勿墓誌」(隋・大業六年)

    ソグド人墓誌研究ゼミナール

    早稲田大学東洋史懇話会『史滴』   ( 26 ) 51 - 72  2004年12月

  • 《晋王李克用墓誌》録文与沙陀的譜系

    石見 清裕

    中国唐史学会第九届年会及唐宋社会変遷国際学術研討会(中国・雲南・昆明)    2004年07月

  • 唐・太宗期の韓半島三国と中国との外交交渉史料

    石見 清裕

    日本研究(韓国外国語大学校,Seoul)   ( 22 ) 5 - 23  2004年06月

  • 唐・太宗期の朝鮮三国と中国との外交交渉史料

    石見 清裕

    聖徳太子伝暦を巡る古典学国際学術大会(韓国外国語大学)    2003年12月

  • 唐末沙陀「李克用墓誌」訳注・考察

    石見 清裕, 森部 豊

    中央ユーラシア学研究会『内陸アジア言語の研究』   ( 18 ) 17 - 52  2003年08月

  • 唐の国際交易と渤海

    石見 清裕

    国際シンポジウム「古代東アジアの国家と異文化間交流」    2003年03月

  • 早稲田に残された徐松の直筆-早大図書館所蔵直筆校訂本『西域水道紀』-

    石見 清裕

    中国古典研究会『中国古典研究』   ( 47 ) 71 - 86  2002年12月

  • 2001年の歴史学界−内陸アジア1

    石見 清裕

    史学雑誌   111-5  2002年05月

  • 金子修一『隋唐の国際秩序と東アジア』

    石見 清裕

    歴史学研究   ( 762 )  2002年05月

  • 「唐の国際秩序と交易」

    石見 清裕

    勉誠社 『アジア遊学』   ( 26 ) 23 - 38  2001年

  • 「唐朝発給『国書』一覧」

    石見 清裕

    勉誠社   ( 3 ) 39 - 54  1999年

  • 「唐の国書授与儀礼について」

    石見 清裕

    東洋史研究会『東洋史研究』   57 ( 2 ) 37 - 70  1998年

  • 「大唐安西阿史夫人壁記の再読と歴史学的考察」

    石見 清裕, 森安 孝夫

    中央ユーラシア学研究会 『内陸アジア言語の研究』   ( 13 ) 93 - 110  1998年

  • 「唐代の国家と『異民族』」

    石見 清裕

    歴史学研究会 『歴史学研究』   ( 690 ) 35 - 42  1996年

  • 「『赤穂四十七士義志碑』訳注」

    石見 清裕

    中国古典研究会 『中国古典研究』   ( 37 ) 101 - 113  1992年

  • 「『阿史那眦伽特勤墓誌』訳試稿」

    石見 清裕

    神戸市外語大学『内陸アジア言語の研究』   ( 7 ) 55 - 94  1992年

  • 「唐代外国使の皇帝謁見儀式復元」

    石見 清裕

    早稲田大学東洋史懇話会『史滴』   ( 12 ) 5 - 33  1991年

  • 「唐の鴻臚寺と鴻臚客館」

    石見 清裕

    古代学協会『古代文化』   42 ( 8 ) 48 - 56  1990年

  • 「唐の迎賓館」

    石見 清裕

    燎原書店『燎原』   ( 32 ) 2 - 7  1988年

  • 「唐代の帰化と諸蕃」

    石見 清裕

    中国古典研究会『中国古典研究』   ( 33 ) 15 - 29  1988年

  • 「亀田鵬斎『桂山多紀先生墓碑銘』訳注」

    石見 清裕

    中国古典研究会 『中国古典研究』   ( 28 ) 32 - 44  1983年

  • 「突厥の楊正道擁立と第一帝国の解体」

    石見 清裕

    早稲田大学大学院文学研究科紀要   ( 10 ) 135 - 144  1983年

  • 「玄武門の変前夜のと突厥問題」

    石見 清裕

    早稲田大学史学会『史観』   ( 108 ) 35 - 46  1983年

  • 「唐の建国と匈奴の費也頭」

    石見 清裕

    史学会『史学雑誌』   91 ( 10 ) 74 - 97  1982年

  • 「亀田鵬斎の滝沢馬琴『座筆塚銘』訳注」

    石見 清裕

    中国古典研究会 『中国古典研究』   ( 25 ) 175 - 182  1980年

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書籍等出版物

  • 唐代凶礼の構造−『大唐開元礼』官僚喪葬儀礼を中心に−

    石見 清裕

    春秋社、『福井文雅博士古稀記念 アジア文化の思想と儀礼』  2005年06月

  • 「唐代『沙陀夫人阿史那氏墓誌』訳注・考察」

    石見 清裕

    汲古書院 村山吉廣教授古希記念中国古典学論集  2000年03月

  • 「ラティモアの辺境論と漢〜唐間の中国北辺」

    石見 清裕

    刀水書房 唐代史研究会編『東アジア史における国家と地域』  1999年

  • 『唐の北方問題と国際秩序』

    石見 清裕

    汲古書院  1998年02月

  • 「唐代外国貿易・在留外国人をめぐる諸問題」

    石見 清裕

    汲古書院 『魏晋南北朝隋唐時代史の基本問題』  1997年06月

  • 「交雑の禁止-唐代朝貢使節の入京途上規定-」

    石見 清裕

    刀水書房 『アジア史における制度と社会-アジア史研究-』  1996年

  • 「唐の内附異民族対象規定をめぐって」

    石見 清裕

    汲古書院 堀敏一先生古希記念論集『中国古代の国家と民衆』  1995年03月

  • 「唐代朝貢使節の宴会儀礼について」

    石見 清裕

    真陽社 小田義久博士還暦記念東洋史論集  1995年

  • 「単于都護府と土城子遺跡」

    石見 清裕

    汲古書院 唐代史研究会編『中国の都市と農村』  1992年

  • 「関于唐朝的"蕃望"制度」

    石見 清裕

    中国・三秦出版社  1991年

  • 「『阿史那墓誌』訳釈」

    石見 清裕

    刀水書房 唐代史研究会編『東アジア古文書の史的研究』  1990年

  • 「唐の突厥遺民に対する措置をめぐって」

    石見 清裕

    中国書房 日野開三郎博士頌寿記念論集『中国社会・制度・文化史の諸問題』  1987年

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共同研究・競争的資金等の研究課題

  • 東アジアにおける礼・儀式・支配構造の比較史的研究~唐宋変革期の中国・朝鮮と日本~

    研究期間:

    2014年04月
    -
    2017年03月
     

     概要を見る

    古代日本においては、律令制の導入に続いて、8世紀になってから礼の本格的な導入が始まり、9世紀には儀式書の成立という形に結実する。その後9世紀から12世紀にかけての古代から中世の変革期において、中国の礼を受容して形成された儀式が支配構造との関係でどのように変容したかを、中国の賓礼や軍礼、凶礼などに該当する儀式を検討することによって明らかにした。また、同時期の中国や朝鮮半島諸国の礼や儀式の変化と比較することによって、日本の儀式の変化の特徴に迫った。その結果、中国において当該期に礼や儀礼が庶民化すること、皇帝権力の伸長により変化があることなどが確認された

  • 日本古代の仏教受容と東アジアの仏教交流

    研究期間:

    2012年04月
    -
    2015年03月
     

     概要を見る

    平成24年度は韓国の九山禅門を中心とする禅宗寺院の調査をおこない、金石文の調査・記録を実施するとともに、現地研究者との学術交流をおこなった。平成25・26年度は、中国山西省南部~陝西省西安市までを対象として、『入唐求法巡礼行記』にもとづく入唐僧円仁の行程調査を実施し、唐代における歴史的景観や交通路を復元した。最終年度末には、日本・中国・韓国3ヵ国の研究者による国際シンポジウムを開催し、最新の研究状況の確認や国内外の研究者との学術交流をおこなうとともに、平成24~26年度の研究成果を公表した。現在、シンポジウムの成果を広く公開するため、書籍として刊行するべく準備を進めている

  • 8~10世紀東アジア外交文書の基礎的研究

    研究期間:

    2011年04月
    -
    2014年03月
     

     概要を見る

    本研究の目的は、8世紀から10世紀を中心に、日本と渤海・新羅及び中国との間の外交文書について、諸写本を調査して校訂したテキストを作成すると同時に、古代東アジア諸国の対外関係史に関する新たな成果を提示することである。その成果として、平成26年1月26日には「古代東アジア・東ユーラシアの対外交通と文書」と題するシンポジウムを開き、また『訳註日本古代の外交文書』(八木書店、2014年2月)を刊行した

  • 8~10世紀東アジア外交文書の基礎的研究

    科学研究費助成事業(國學院大學)  科学研究費助成事業(基盤研究(C))

    研究期間:

    2011年
    -
    2013年
     

     概要を見る

    本研究の目的は、8世紀から10世紀を中心に、日本と渤海・新羅及び中国との間の外交文書について、諸写本を調査して校訂したテキストを作成すると同時に、古代東アジア諸国の対外関係史に関する新たな成果を提示することである。その成果として、平成26年1月26日には「古代東アジア・東ユーラシアの対外交通と文書」と題するシンポジウムを開き、また『訳註日本古代の外交文書』(八木書店、2014年2月)を刊行した。

  • 8~10世紀東アジア外交文書の基礎的研究

    科学研究費助成事業(國學院大學)  科学研究費助成事業(基盤研究(C))

    研究期間:

    2011年
    -
    2013年
     

     概要を見る

    本研究の目的は、8世紀から10世紀を中心に、日本と渤海・新羅及び中国との間の外交文書について、諸写本を調査して校訂したテキストを作成すると同時に、古代東アジア諸国の対外関係史に関する新たな成果を提示することである。その成果として、平成26年1月26日には「古代東アジア・東ユーラシアの対外交通と文書」と題するシンポジウムを開き、また『訳註日本古代の外交文書』(八木書店、2014年2月)を刊行した。

  • シルクロード東部地域における貿易と文化交流の諸相

    科学研究費助成事業(大阪大学)  科学研究費助成事業(基盤研究(A))

    研究期間:

    2005年
    -
    2008年
     

     概要を見る

    近年の日本におけるシルクロード東部地域の歴史に関する研究で特に目立っているのは,5~10世紀頃のトルコ系・チベット系諸民族と東方に進出したソグド人の歴史,並びに13~14世紀のモンゴル時代史である.本研究班の主要メンバーは,そのうちの前者をリードしてきた者たちであるが,内モンゴル・山西・陝西・寧夏・甘粛北部・新疆ウイグル自治区東部における現地調査を踏まえて,さらにその動向を進展させる成果をあげることができた

  • シルクロード東部地域における貿易と文化交流の諸相

    科学研究費助成事業(大阪大学)  科学研究費助成事業(基盤研究(A))

    研究期間:

    2005年
    -
    2008年
     

     概要を見る

    近年の日本におけるシルクロード東部地域の歴史に関する研究で特に目立っているのは,5~10世紀頃のトルコ系・チベット系諸民族と東方に進出したソグド人の歴史,並びに13~14世紀のモンゴル時代史である.本研究班の主要メンバーは,そのうちの前者をリードしてきた者たちであるが,内モンゴル・山西・陝西・寧夏・甘粛北部・新疆ウイグル自治区東部における現地調査を踏まえて,さらにその動向を進展させる成果をあげることができた.

  • 中国史上における少数民族の研究

     概要を見る

    本年度は本研究の最終年度にあたるため, 各研究分担者が各自のテーマに沿って, 時代・地域を設定して問題点を抽出し, 中国の政治史・制度史・文化史において少数民族の果たした役割を分析し, それを研究代表者に報告した. その概要は以下の通りである.まず, 本研究においては当初より古代中国における楚民族・楚文化の分析が予定されていたテーマであるが, これについては古賀登が, 近時中国雲夢睡虎地出土の戦国秦代竹簡の中に見える「日書」の解読を通して, 同竹簡が古代楚の占い書であり, そこに古代楚地方にいた民族の民間習俗が反映されている旨を分析した.中国西方系の少数民族は, 北方系の民族と接触をくりかえし, 極めて複雑な歴史をたどったが, 今日では彼らは中国西北部に新彊ウイグル自治区を形成し, 13種の少数民族が5つの自治州と6つの自治県によって生活を営んでいる. これらの自治州・県と少数民族との関係, および民族変遷の歴史については, 長澤和俊が報告した.次に, 少数民族と中国政治史との関係に目を向けると, まず福井重雅が, 漢代の代表的少数民族夜郎を取り上げ, 夜郎が漢に帰属した年代を分析し, 同時に漢代政治史上最も重要な問題の一つである董仲舒の対策の上呈年代の範囲をそれによって限定しようとした. また, 唐代は多数の少数民族が漢民族と接触をもった時代であるが, これら外民族と唐王朝との関係は朝貢とい行為によって保たれていた. そこで石見清裕は, 唐代における様々の朝貢規定関係の史料の整理を行なった.研究成果報告書は, 以上の研究をもとに作成される

  • 中国南北朝後期隋唐期の石刻文字資料の集成・データベース構築と地域社会文化の研究

     概要を見る

    本研究は6世紀から9世紀頃の中国南北朝後期隋唐期における石に刻まれた文字資料の「集成・データベース構築」とそれによる「地域社会文化」の研究を目的とした。今日、当該時代の墓碑や墓誌など石刻資料が第一次資料として注目される、しかし資料の系統的、網羅的な整理・把握とその情報の共有化の態勢が不十分である、その反省に立ち、資料の収集・整理・データベース化とその考察に努めた。以下のような具体的成果をあげることができた。(1)およそ7千点にのぼる唐代墓誌の所在を整理して『新版唐代墓誌所在総合目録』を刊行した。このことで内外の学界関係者から評価され、この時期の墓誌研究を前進させるために貢献できた。(2)唐代に先立つ時期の墓誌を初めて全面的に集約した「隋代墓誌所在総合目録」(483点)・「北朝墓誌所在総合目録」(779点)を刊行した。あわせて北朝から階代の関中(陝西省)の民族問題を石刻資料から論じた馬長寿著『碑銘所見前秦至隋初的関中部族』(全111頁)を、関連石刻も補って翻訳し、石刻による「地域社会」研究を進めた。(3)石刻関係資料の系統的入手と整理発信を長期的に可能にするため、東アジア石刻文物研究所(於明治大)を設署し、機関誌『東アジア石刻研究』創刊号を刊行した。並行して貴重石刻拓本の収集、新出・新報告資料の把握に努め、それら収集資料の一部は毎年、「解説」を付して展示公開とシンポの準備をした(次年度以降毎年開催)。(4)石刻資料研究では現地調査が必要で、三度にわたり院生・若手研究者を帯同して山東・河南・河北一帯の遺跡と文物所蔵機関を調査し、調査結果と情報を研究会で報告し、2本の報告論文にまとめた。(5)石刻をめぐる研究分担者の成果は「中国石刻史料をめぐる諸問題」と「石刻史料から探る北朝隋唐仏教の世界」の2セミナーで報告し、それを『中国石刻資料とその社会』論集に集約して、「地域文化」研究に繋げた

  • 中国・唐末五代期における沙陀族の動向についての研究

     概要を見る

    平成15年度は、サーズ流行の影響で中国開催の学会には参加できず、『新唐書』沙陀伝の訳注作成のための史料を収集するなど、基礎的な作業に重点をおいた。平成16年7月、中国雲南省昆明市にて開催の「中国唐史学会国際研討会」に出席し、沙陀族の「李克用墓誌」にもとづき、沙陀の系譜を再検討する報告を行い、出席者と意見交換を行った。本年度は、これらをうけて、従来の沙陀族に関する研究論文を収集し、その研究傾向を分析した。従来の沙陀族研究は、(1)沙陀の系譜を分析したもの、(2)山西地方に移住した後の沙陀勢力の構造を分析したもの、(3)沙陀とソグド人の関係を分析したもの、(4)沙陀の漢化を分析したもの、の大きく4傾向に分類できる。このうち、(1)については、「李克用墓誌」の出現により、従来の見解は改められるべきであることが判明した。現在、学界で最も注目されているのは、(3)の沙陀とソグド人の関係である。この点については、「沙陀」と称する場合、本来のテュルク系沙陀の中核勢力を指す場合と、ソグド人など他種族と融合したより大きな勢力を指す場合の、両方の使用例が存在することを念頭に置かねばならない。前者は狭義の沙陀、後者は広義の沙陀と解してよい。沙陀研究の基本史料となる『新唐書』沙陀伝も、この両義が混在している。広義の沙陀が形成されるのは、沙陀の山西地方移住後であることも解明されつつある。以上の成果により、『新唐書』沙陀伝訳注の作成作業を行った。したがって、本研究の報告書は、従来の研究動向の分析と、『新唐書』沙陀伝訳注とから作成する

  • 『入唐求法巡礼行記』に関する文献校訂及び古代東アジア諸国間交流の総合的研究

     概要を見る

    『入唐求法巡礼行記』を中心として古代の東アジア世界における交流・交通の諸相を研究することを目的として、第一に『入唐求法巡礼行記』自体の詳細かつ丹念な検討を進め、諸本の校訂を経て、データベースを作成した。また、『入唐求法巡礼行記』の記載と円仁の行程を追跡し、具体的な交通路を復原することを目的に現地調査を行った。それらの成果は研究会やシンポジウムで広く社会に公開し、その一端を『円仁とその時代』として一書にまとめ

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特定課題制度(学内資金)

  • 4~10世紀のモンゴリア南部・中国北部地帯における民族・文化融合の研究

    2012年  

     概要を見る

     2012年度の本研究課題に係る活動は、主として墓誌史料の解読とその史料的位置づけ作業に力を注いだ。というのも、中国南北朝・隋・唐・五代期(4~10世紀)の編纂史料(紀伝体・編年体の歴史書)については、私はほぼ把握しており、それらだけでは窺い知れない世界を認識の表面に浮かび上がらせたいからである。中国の墓誌とは、正方形の石に個人の生涯・業績を漢文で刻し、墓室に納めるものである。当然ながら、故人の生前の姿を表彰する記述が多いが、生前に関わった出来事などは客観的視点で記されるものであり、歴史研究では一級史料なのである。しかも、未だ読解されず、史料として使用されていない墓誌が多い。したがって、研究経費の多くは、墓誌の拓本集や録文集およびその研究書の購入に当てざるを得なかった。 本年度、分析したのは、次の墓誌である。① ソグド人「安伽墓誌」(北周期・6世紀)、② 柔然人「閭夫人墓誌」(北斉期・6世紀)、③ 突厥人「史善応墓誌」(唐代・7世紀)、④ 鉄勒人「僕固乙突墓誌」(唐代・7世紀)、⑤ 高句麗人「泉献誠墓誌」(唐代・7世紀)、⑥ 高句麗人「高足酉墓誌」(唐代・7世紀)、⑦ 波斯人「阿羅撼墓誌」(唐代・8世紀)。 これらは、いずれも非漢族に属する出身者で、中国に移住して死亡し、中国で埋葬された者たちである。したがって、民族の移動の実例がここから浮かび上がってくるのである。このうち、③は現在のところ未公開史料であり、私は中国の研究者の厚意によって個人的に拓本写真を入手できた。その他の墓誌についても、中国の研究機関に赴いて実見するつもりであったが(実際にはコネでそれは可能であったが)、折からの反日デモによって個人的に日本人に便宜を計るには時期的に不適当との返答であったため、断念した経緯がある。 上記墓誌史料の分析は、今後学界に発表するつもりである(①に関してはすでに『史滴』第34号〈早稲田大学東洋史懇話会、2012年12月〉に発表したが、「特定課題研究助成費を受けた旨」などの記入を失念した)。 なお、墓誌史料とトゥルファン新出土文書とを照らし合わせると、5~6世紀のユーラシア東半部の交通の様相が認識でき、それらは「梁職貢図」とも関係することが判明した。それについては、下記に投稿中である。

  • 唐末沙陀突厥史の基礎的研究

    2002年  

     概要を見る

     沙陀族はテュルク系民族といわれ、唐代に中国山西省に移動し、唐末に首領の李克用が現れてから強大となり、この勢力から五代5王朝のうちの後晋・後唐・後周の3王朝が形成された。これほど、中国史・東アジア史に重要な役割を演じた沙陀族であるが、これまで研究は大きく遅れている。その理由の1つは、唐末・五代の社会状況が反映されて、史料が混乱している点にある。そこで、本研究では、『新唐書』沙陀伝を中心に、各史書に散見される沙陀関係史料を整理した。この基礎的作業は、現在も一部続けている。 それと同時に、1989年に中国では先述李克用の「墓誌」が発見されたので、それを学界で史料として活用できるよう、テキスト化作業を行った。同墓誌は、すでに拓本写真が公表されてはいるが、その写真はあまりに縮小され、不鮮明なため、それから釈文を行うことは不可能である。そこで、2002年8月12日~19日の期間、山西省を調査したところ、代県の文廟(山西省博物館を兼ねる)に同墓誌の原石・原拓本ともに保管されていることがわかり、幸いにしてそれらを実見・調査することができた。 墓誌は、縦横それぞれ93cm、全39行、1行42字の大作で、書体は基本的には楷書体であるが、異体字がしばしば用いられ、そのために釈文は困難を極めたが、原石の調査もできたので、テキスト化に成功した。帰国後は、その解読と、編纂史料との比較・校訂を行った。なお、山西省では、李克用の墓と、周囲の地理も視察・調査ができ、大変有意義であった。 李克用墓誌の調査は、森部豊氏(筑波大学)と共同で行った。現在、すでにその訳注研究は完成し、森部氏と共著で、下記のとおり発表の予定である。