2023/09/27 更新

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オカヤマ シゲル
岡山 茂
所属
政治経済学術院 政治経済学部
職名
教授
学位
パリ第四大学第三課程博士 ( パリ第四大学 )
diplome du 3e cycle de l' Universite de Paris-Sorbonne (Paris-4) ( l' Universite de Paris-Sorbonne(Paris-4) )
文学修士 ( 早稲田大学 )
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所属学協会

  •  
     
     

    アレゼール日本(高等教育と研究の現在を考える会)

  •  
     
     

    大学評価学会

  •  
     
     

    日仏教育学会

  •  
     
     

    日本フランス語フランス文学会

研究分野

  • ヨーロッパ文学   フランス文学

研究キーワード

  • 仏語・仏文学

 

論文

  • 大学蜂起論 リオタールとデリダによる

    岡山茂

    デュナミス 17号   no.17 / 131   113 - 130  2011年02月

  • 表象、ジャーナリズム、書物

    岡山茂

    早稲田政治経済学雑誌   ( 376 ) 4 - 6  2009年12月

  • ボローニャ・プロセスと『大学の歴史』 アレゼールからの批判と提言

    岡山茂

    現代思想   37-14 ( 14 ) 115 - 125  2009年11月

    CiNii

  • 翻訳 『大学の歴史』 (クセジュ文庫、白水社)

    ジャック・ヴェルジェ, クリストフ・シャルル

       2009年10月

  • フランスの大学論を読むということ

    岡山茂

    News Soken / 青山学院大学総合研究所   8 ( 2 ) 6 - 7  2009年03月

  • 大学改革の日仏比較と学長たちの惑星的思考

    岡山茂

    現代思想   36-12   143 - 153  2008年09月

  • De l'autre cote du miroir : la reforme universitaire au Japon

    ARESER Info   ( 14 )  2008年02月

  • Les universtes japonaises sont-elles mortes?

    shigeru okayama

    Les ravages de la "modernisation" universitaire en Europe (sous la direction de Christophe Charle et Charles Soulie), Paris, Sylleps     251 - 256  2008年01月

  • イマジネールな知の行方 マラルメとデリダによる大学論

    岡山茂

    デュナミス   ( 15 ) 110 - 123  2007年04月

  • 研究のための計画法、AERES、サルコジ大統領の下での大学改革について

    岡山茂

    日仏教育学会年報   ( 35 ) 123 - 128  2006年04月

  • 大学改革の日仏比較ーどうして日本の大学ではストが起きないか

    デュナミス/同人誌   ( 14 ) 68 - 82  2005年09月

  • フランスにおける大学評価 CNEの役割について

    岡山茂

    大学評価学会年報 現代社会と大学評価   ( 1 ) 95 - 119  2005年05月

  • フランスにおける大学評価の新たな展開

    岡山茂

    日仏教育学会年報   ( 34 ) 6 - 13  2005年04月

  • フランスにおける大学評価−CNE(全国大学評価委員会)の役割をめぐって

    大学評価学会年報『現代社会と大学評価』   創刊号 ( 1 ) 95 - 119  2005年03月

  • 日仏大学改革比較論、アレゼールの提言をめぐって

    岡山茂

    日仏教育学会年報   32 ( 10 ) 57 - 61  2003年04月

  • マラルメによる都市の戴冠−『ディヴァガシオン』のグローバルな読解へと向けて

    教養諸学研究   113;115‐142p  2002年12月

  • ブルデューとマラルメ

    情況/情況出版   204-206p  2002年06月

  • 「知識人」としてのフランシス・ヴィエレ=グリファン(上)

    教養諸学研究/早稲田大学政治経済学部   112;3-16p  2002年03月

  • 書評 Quelques diagnostics et remedes urgents pour une universite en peril

    ARESER

    日仏教育学会年報/日仏教育学会   29;7 169-170p  2001年03月

  • ノートルダムとエッフェル塔 あるいは都市の文学的想像力について

    デュナミス/同人誌   12 81-89p  2001年03月

  • 翻訳 「文化が危ない」

    ピエール・ブルデュー

    現代思想/青土社   29,2;36-52p  2001年02月

  • Le territoire europeen et l'Angleterre dans Divagations

    Journal of Liberal Arts 〈教養諸学研究)/早稲田大学政治経済学部   109;41-75p  2000年12月

  • マラルメとサンボリスムの詩人たち その1—ベルナール・ラザールとアドルフ・レテ—

    教養諸学研究/早稲田大学政治経済学部   108号 1-15ページ  2000年03月

  • Le territoire europeen et l'Angleterre dans Divagations

    Journal of Literal Arts   /109,41-75  2000年

  • Les deplacements des poetes parisiens dans Divagations de Mallarme;—essai sur le champ poetique de Paris a la fin du XIXe siecle—

    Journal of Literal Arts(教養諸学研究)/早稲田大学政治経済学部   107号 53-77ページ  1999年12月

  • 高等教育を受ける権利が危ない

    世界/岩波書店   10月臨時増刊号 138-139ページ  1999年10月

  • いまお台場にいる自由の女神

    デュナミス/同人誌   11号 72-79ページ  1999年04月

  • 1880年代のマラルメと戦前の日本におけるその受容について

    教養諸学研究/政治学部教養諸学研究会   106;p.1-27  1999年03月

  • 日本語メディアの民主化へと向けて

    デュナミス/同人誌   ;10号  1997年08月

  • 日本語メディアの異常な欠落

    世界/岩波書店   1997年6月号  1997年05月

  • "Mallarme et l' Affaire Dreyfus"

    Etudes de langue et litterature francaises   /70,111-122  1997年

  • "La reception de Mallarme dans le Japon d' avant-guerre"

    Okayama Shigeru

    Hitotsubashi Jaurnal of Arts and Sciences   38 ( 1 ) 67 - 74  1997年

     概要を見る

    Article Type||Articles

    DOI CiNii

  • "Deplacements et transpositions-Introduction a une lecture globale de Divagations"

    shigeru okayama

    Actes de la recherche en sciences sociales, Paris.   /111-112,85-91  1996年

  • <韻律法>の三つの舞台-『ディヴァガシオン』巻頭の四つの散文詩について

    一橋論叢   113/3,323-337  1995年

  • "Le deplacement de la foule parisienne dans Divagations de Mallarme"

    Bulletin d' etudes de langue et litterature francaises   /3,85-103  1995年

  • 『ディヴァガシオン』における移動-英仏海峡の横断について

    一橋論叢   111/3,554-570  1994年

  • Traversees de la Manche dans <Divagations> de Mallarme

    shiger okayama

    The Hitotsubashi Review   111/3,554-570  1994年

  • 『ディヴァガシオン』におけるヨーロッパ-ベックフォード,ランボー,マラルメ

    一橋論叢   109/3,404-419  1993年

  • Milosz et le mythe de Don Juan

    Cahiers de litterature et langue francaises   /11,167-178  1992年

  • Trois poetes du deplacement dans Divagations-L'Isle-Adam, Rimbaud, Mallarme

    Cahiers de litterature et langue francaises   /10,79-98  1991年

  • Mallarme selon Barthes

    shigeru okayama

    Cahiers de litterature et langue francaises   /7,109-114  1988年

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書籍等出版物

  • ハムレットの大学

    岡山茂

    新評論  2014年06月 ISBN: 9784794809643

  • 大学界改造要綱

    アレゼール日本編

    藤原書店  2003年04月

講演・口頭発表等

  • フクシマ以後の人文学

    フランス、日本、ブラジルの大学改革、批評的比較の試み  

    発表年月: 2013年12月

  • 国立大学法人化と日本における私立大学の現在

    国立大学法人化10年後の日本の大学  

    発表年月: 2013年12月

  • イマジネールな知の行方、マラルメとデリダによる大学の概念

    サンボリストの時代の諸芸術の「婚姻」  

    発表年月: 2013年04月

  • フクシマ以後の大学

    フクシマ以後の大学、日仏大学人の対話の試み  

    発表年月: 2012年02月

  • マラルメによる大学の理念と今日の日仏における大学一般教育

    「現代日本における教育、子供、社会」研究会  

    発表年月: 2010年03月

  • 「学士力」と日本における大学一般教育の危機

    日本における大学と研究の改革 ヨーロッパは何を学ぶか  

    発表年月: 2009年11月

  • 鏡の向こう側:日本における大学改革

    パリ・ルモンド・ディプロマティック友の会講演会  

    発表年月: 2008年02月

  • 日本の大学の「民営化」における公的なものと私的なもの

    カナダ日本学会  

    発表年月: 2006年10月

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共同研究・競争的資金等の研究課題

  • 高等教育改革と人文学-日仏比較研究ー

    研究期間:

    2019年04月
    -
    2022年03月
     

     概要を見る

    グローバル化の進む今日の高等教育においては、自国語で高等教育を行うことが可能であるがゆえに相対的に周縁的な位置に置かれているという点で、日本とフランスは共通の特性を有している。こうした共通点と、他方での日仏両国の高等教育の歴史から起因するそれぞれに固有の相違点とを明らかにしながら、日本とフランスの高等教育について比較研究を行い、それを通じて、とりわけ2000年代以降の一連の高等教育改革がどのような変化を日仏それぞれの高等教育システム、およびその中でもとりわけ人文諸学にもたらしているかを明らかにする。研究課題として設定している、2010年代後半の今日における日本とフランスの高等教育改革それ自体についての研究という第一の水準(具体的な論点として、①「大衆化」と「卓越化」との二律背反への対処、②大学と教養教育/職業教育、③高大接続の新たな展開、④「大学界」という視点、⑤全般的背景としての高等教育改革の歴史的展開過程、を設定している)、日仏両国における高等教育改革の、人文学に対する影響についての比較考察という第二の水準、さらに、より抽象的なレベルで「モデルの伝播」という概念を両国の高等教育改革から引き出し、人文学研究への普遍的な応用を考えるという第三の水準について、着実に研究を進めていった。特に、第一の水準の①、③、⑤については、具体的な形での研究成果として、論文、学会発表等として公表を行うことができた。なお、③高大接続の新たな展開について言及すれば、日本においては大学入試センター試験から大学入学共通テストへの移行が予定されており、またフランスにおいてもParcoursupのシステムの導入やバカロレア試験の改革が進められていて、その内容や意図、目的の相違の検討を含め、両国における大学入試制度の変更の時期の相同性という点からも、日仏比較研究の意義を見出すことができる。また、本科研のテーマについて、山東大学での招聘講義も行った。本科研費の研究代表者、研究分担者による研究会を開催し、研究で得られた知見や、研究を進めるなかで明らかとなった諸課題を共有しながら、研究を遂行することができた。フランスへの出張によって、フランス側の研究協力者との意見交換を直接現地にて行い、文献だけからでは得られないフランスでの状況の諸側面について知ることができた。そこで得られた知見も生かしながら研究を進めている。研究を通じて得られた成果を、論文や学会発表等として公表することができた。本科研費の研究代表者、研究分担者による研究会を開催し、研究で得られた知見や課題を共有しながら研究を進めている。フランスへの出張によってフランス側の研究協力者との意見交換を行い、それも生かしながら着実に研究を進めている。今後の研究推進においても引き続き、研究課題として設定している、2010年代後半の今日における日本とフランスの高等教育改革それ自体についての研究という第一の水準(具体的な論点として、①「大衆化」と「卓越化」との二律背反への対処、②大学と教養教育/職業教育、③高大接続の新たな展開、④「大学界」という視点、⑤全般的背景としての高等教育改革の歴史的展開過程、を設定している)、日仏両国における高等教育改革の、人文学に対する影響についての比較考察という第二の水準、さらに、より抽象的なレベルで「モデルの伝播」という概念を両国の高等教育改革から引き出し、人文学研究への普遍的な応用を考えるという第三の水準について、着実に研究を進めていく。フランス側の研究協力者との意見交換も、現今の状況のなかで、実際の行き来は容易でない面も考えられるが、メールやビデオ会議システムの利用等も通じて積極的に行うことを考えていきたい

  • 後期中等・高等教育における「無償教育の漸進的導入」の原理と具体策に係る総合的研究

    研究期間:

    2015年04月
    -
    2018年03月
     

     概要を見る

    国際人権A規約13条「教育への権利」は人権として認識されねばならず、エンパワーメントの権利であるとともに鍵となる権利でもある。日本政府は2012年に漸進的無償化原則に係る留保を撤回しており、憲法98条により誠実遵守の義務が生じている(2012年転換課題)。義務を遵守する「能力がない」ことと「意志がない」ことは区別されるべきであり、教育無償化の義務を履行させるべく国家をモニターする市民の活動が重要となっている。子育て教育を互恵的共同的に営む公費システムの拡充に向けた合意形成にむけて、国の政策、都道府県・市町村の施策、法人の経営、民間の事業を組み合わせた「漸進的無償化プログラム」案を試作した

  • 日本およびフランスの高等教育改革に関する比較研究

    研究期間:

    2014年04月
    -
    2017年03月
     

     概要を見る

    研究課題として設定した、①「大衆化」と「卓越化」との二律背反の相克、②高等教育の「自由化」政策と大学のガバナンス、③大学評価の諸相、④教養教育とキャリア教育、⑤それらの全般的背景としての高等教育改革の歴史的展開過程、という5つのテーマを軸に、日仏両国の比較研究を進めた。とりわけ、中央集権的とされる日仏両国での高等教育のあり方の共通点と相違点や、19世紀末、第二次世界大戦後、1960年代末、そして中心的課題である現代といった、大学界が大きな変化を見た時期における、日本およびフランスの高等教育改革のあり方の共通点と相違点等に、研究成果を得ることができた

  • 日本およびフランスの高等教育改革に関する学際的比較研究

    科学研究費助成事業(神戸大学)  科学研究費助成事業(基盤研究(C))

    研究期間:

    2011年
    -
    2013年
     

     概要を見る

    研究課題として設定した、①「大衆化」と「卓越化」との二律背反の相克、②高等教育の「自由化」政策の影響、③リベラル・アーツと教養教育、という3つのテーマを軸に日仏両国の比較研究を進めた。日本およびフランスのいずれの国においても、さまざまな「改革」の動きの一方で、ともすれば見過ごされているようにも見受けられるのは、「改革」を通じてどのような高等教育を目指すのか、あるいはまた、その新たな高等教育を通じてどのような社会を目指すのか、といった本質的、理念的な問いである。研究代表者および研究分担者は、こうした根本的な問いを共有しながら、それぞれの具体的な研究テーマに取り組んで研究を進めた。

 

現在担当している科目

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特別研究期間制度(学内資金)

  • 「大学/文学」論 人文学の脱構築

    2020年09月
    -
    2021年09月

    フランス   パリ第8大学

  • サンボリスムの政治的変容、EU統合のなかでのフランスの高等教育政策

    2006年04月
    -
    2008年04月

    フランス   パリ第一大学

他学部・他研究科等兼任情報

  • 附属機関・学校   グローバルエデュケーションセンター

特定課題制度(学内資金)

  • 大学と文学を結ぶもの 人文学における「イマジネールな知」の行方

    2019年  

     概要を見る

    大学と文学をともに考えるにあたり、「人文学」やマラルメのいう「書物」の概念を検討した。それは2020年度における政経学部の講義科目「外国文学02」やゼミにおいて、フランスの象徴主義文学を論じるための準備となった。「イマジネールな知」とは何か。それは「知」として認知しうるものかどうかについて考えているが、ボードレールやフロベール以来の文学のなかには、科学的な知と宗教的な知のあいだの対立を調停しうるような知が見いだされる。そしてその知の行方はゾラやマラルメを介してプルーストやペギーにまで追いかけられる、というアイデアをえた。

  • イマジネールな知の行方 サンボリストとフランスの大学

    2017年  

     概要を見る

    サンボリスムにかかわる日仏の政治と文学、そしてサンボリストの大学との関係について調べ、次のような仮説を立てた。マラルメの「文学基金」は、韻律法の崩壊のなかにいる詩人を救うための「イマジネールな大学」であった。同じころ総合大学設置法によって再生する大学も、クリストフ・シャルルによれば「不可能な大学」であった。ベルナール・ラザール、フェリックス・フェネオン、マルセル・プルーストらはドレフュス派として、危機にあった「社会契約」を救うのに貢献する。彼らはマラルメがイギリスに見出した中世の大学と、カントがドイツで思い描いた近代の大学(デリダがいう「条件なき大学」)の、フランスにおける潜在的な「学生」であったのではないか。

  • マラルメとサンボリストたち、イマジネールな知の行方

    2016年  

     概要を見る

    今年度はマラルメがイギリスへの講演旅行の思い出について語った「禁域」のテーマを発展させ、19世紀末のフランスにおける「大学の不在」について調べた。サンボリストたちの挫折と栄光は「大学の不在」と関係している。マラルメの「文学基金」Fonds litteraire というアイデアは当時のフランスでは受け入れられなかった。またクリストフ・シャルルによれば、ドイツへの留学生たちが持ち帰ったカントの近代の大学の理念も19世紀末のフランスには根づかなかった。サンボリストたちを惑わせ、迷走させ、あるいは勇気づけ、さらにはドレフュス事件のおりに「知識人」として活躍させたのは、この「大学の不在」である。それがデリダの「条件なき大学」にもつながるという主張を行った。

  • マラルメとサンボリストたち、イマジネールな知の行方

    2015年  

     概要を見る

     それぞれのサンボリストについての伝記的事実を確認した。伝記を調べ、作品リストを作り、新聞や雑誌に彼らへの言及や彼ら自身の発言を探した。対象としたサンボリストは、フランス国立図書館が1936年に企画した展覧会『サンボリスト50年祭』のカタログに記載されている「第1世代」のサンボリストの一部である(ジュール・ラフォルグ、ギュスターヴ・カーン、ジョルジュ・ロダンバック、エミール・ヴェルファーレン、ジャン・モレアス、エフライム・ミカエル、エルネスト・レイノー、エクトール・シェネー)。またドレフュス事件のおりのサンボリストの対応を確認するため、クリストフ・シャルルの『「知識人」の誕生』を読み返した。フランス国立図書館で新聞・雑誌資料に当たり、クリストフ・シャルル氏にじかに質問をする機会をもった。

  • 高等教育改革のアレゼールによる日仏比較研究

    2010年  

     概要を見る

    この研究はフランスの大学教員がつくる「アレゼール」というアソシアシオン(自主団体)と連携しながら、高等教育と研究に関する諸問題を日仏比較を通して考察するものである。日本側の「アレゼール日本」は岡山茂が代表となり、他に8名の研究メンバーがいる。今年度は研究会を二度、早稲田大学で一般公開のかたちで開催した。一回目(2010年7月24日)は、岡山が「日仏の学士課程改革とリベラルアーツの未来」と題して発表した。2回目(2011年2月5日)は、岡山のほか、隠岐さや香(広島大学)、中村征樹(大阪大学)、大前敦巳(上越教育大学)が、それぞれの研究の進展状況について報告している。また岡山は、2011年2月7日から18日にかけてフランスに赴き、パリでアレゼールのクリストフ・シャルル(パリ第1大学)、トゥールーズでクリスチャン・ガラン(トゥールーズ・ル・ミラーユ大学)に会い、今後のわれわれの日仏共同研究について意見を交換している。2012年度科研費申請のための議論は、おもにインターネットで行った。今回の特定課題研究費の大部分は、2回の研究会のためのメンバーの旅費および滞在費、そして代表者のフランスへの旅費および滞在費に費やされている。パリで若干書籍も購入した。この成果をもとにさらに共同研究を発展させるつもりである。

  • アレゼールによる日仏の大学改革比較研究

    2009年   藤本一勇

     概要を見る

    この研究は私と他の8名のメンバーによる共同研究である(連携研究者1名、研究協力者7名)。2009年度の成果としてはまず、パリ第10大学で行われた日本研究センター(Inalco)主催のシンポジウム(「日本における大学改革と研究、ヨーロッパへの教訓?」)にメンバー3名(岡山、白石、隠岐)が参加し、発表を行ったことが挙げられる。つぎに、日本においても2回の公開研究会を開催した。2009年12月6日に早稲田大学で、①パリ第10大学でのシンポジウムでの発表報告、②大学教員組合の現在、③『現代思想』11月号大学特集を読む、というテーマの発表が行われ、2010年2月11日には神戸大学で、「大学とは何か、大学の敗北?」というタイトルのもと、2人のメンバーと外部からの2人の発表者(村澤真保呂氏、榎木英介氏)による発表と討議が行われた。海外出張と研究会のための旅費および外部の発表者への謝礼に、研究費は使われている。私個人としては、2010年3月にトゥールーズ第2大学の招聘教授として修士課程の学生に日本の大学に関して講義を行う機会をえた(一ヶ月間)。

  • ドレフュス事件と詩人たち-サンボリズムの政治的変容について

    2005年  

     概要を見る

    「ドレフュス事件とサンボリスムの詩人たち」というテーマは、マラルメ以降のサンボリストたちの「政治的変容」を追いかけるという大きなテーマのうちの一つを構成している。その大きなテーマのなかでは、一人一人のサンボリストの生まれた環境(どこで生まれどこで死んだか、どのような家庭に生まれたか、父親の職業は何か)、どのような教育を受けたか(中等教育、高等教育)を調べ、さらに1898年のドレフュス事件、1905年の政教分離、1914年からの第1次世界大戦のときの彼らの言動を知ることが目的となっている。つまり、それらの作業が済んで初めてサンボリストたちの「政治的変容」における共通した特徴も見えてくるし、それについて語ることもできるようになるわけである。今年度の特定課題による研究においては、パリに2週間滞在してフランス国立図書館で資料を収集したが、ベルギー出身のサンボリストたちとコンドルセ中学の同窓のサンボリストについてとりわけ多くの情報を集めることができた。また研究のテーマとの直接の関係はないが、この滞在のあいだにアレゼール(研究と高等教育の現在を考える会)のコロックが高等師範学校で開催された。これはアレゼールとしては第2回目のコロックであり、ヨーロッパ各国からの参加者によってEU統合のなかでのそれぞれの国の大学事情が語られていた。私はトゥールーズ大学の日本文学研究者クリスチャン・ガラン氏と意見を交わし、コロックの報告書に文章を書くことになった。またアレゼールの会長であるクリストフ・シャルル氏からは私の研究テーマに関しての助言もうることができた。とりわけ『パリのツアラトストラ』という、サンボリストへのニーチェの影響を語っている研究の存在を教えてもらったことは貴重であった。2006年4月からの在外研究においては、パリ第1大学でのシャルル氏のゼミに出席しながらサンボリスト研究を続けるつもりである。

  • ドレフュス事件とサンボリスムの詩人たち-『ディヴァガシオン』の外部を読む

    2004年  

     概要を見る

    サンボリストに関しては、70名ほどの有名無名のサンボリストたちをリストアップし、彼らの群像と一人ずつの肖像を描いてみようという試みを始めると、私は科学研究費の申請のさいには記している。特定課題研究費の枠組みでも、その試みの一環としての作業を行なっている。具体的には、サンボリストのそれぞれについて、彼らが受けた中等教育、高等教育、彼らに見られる宗教的傾向、彼らによる政治的主張(とりわけドレフュス事件、政教分離、第1次世界大戦のときの主張)を調べ、そこにどのような相関があるかを見極めたいと考えている。今年度は、ドレフュス事件のときの彼らの言動を調べることがおもな目的であった。すでに研究のあるサンボリストの場合はそれらをチェックし、ほとんど知られていないサンボリストについては、どのように調べるかを考察するところから始めた。フランス国立図書館で探索をおこない、資料の収集を行なった。得られたデータの分析は、全体がある程度まで見えてきてからでないとできないため、システマティックにすべてを調べ上げる作業をこれからも継続したい。それには数年かかる見通しである。他方、フランスの大学改革におけるアレゼールの運動についても、私はこの特定課題の枠組みで調べている。アレゼールへの私の大学人としての関心を、サンボリストたちについての私の研究と安易に結びつけることはできないけれども、19世紀末にフランスにおいて復活した「大学」がサンボリストにも深い影響を与えている点、そしてその頃に生まれる「知識人」にサンボリストが多く含まれていた点、最後に、知識人の伝統への省察がアレゼールの大学人の運動につながっている点において、無関係ではないと私は考えている。これらの点についてもこれから明らかにしてゆくつもりである。

  • 『ディヴァガシオン』における政治と文学

    2003年  

     概要を見る

      マラルメの『ディヴァガシオン』についてはまだ論文が書けていないが、2003年4月にはアレゼール日本(高等教育と研究の現在を考える会)の設立に関わったメンバーと共著で『大学界改造要綱』(藤原書店)を出版した。アレゼールとは歴史学者クリストフ・シャルルが社会学者ピエール・ブルデューとともに1992年に創設したフランスの大学人たちの研究会である。私はかつてクリストフ・シャルルの『知識人の誕生1880-1900』を通してサンボリストのドレフュス事件の折の活動を知ったこともあって、アレゼールの活動にも興味をもっていた。そしてこのアレゼールとの関わりもこれまでのマラルメ研究の延長であると考えている。つまり19世紀末以降の知識人の「アンガジュマン」を批判的に検討すること、そしてマラルメが生きていた時代の政治的・文学的言説を研究することは、いまの大学に関する言説を反省するためのよすがとなり、19世紀末に復活したフランスの大学の今日における変貌を考えるための手がかりにもなるということを、私はアレゼールとのかかわりを通して知ったのである。2002年2月に特定課題研究費でパリに滞在したときにもシャルル氏にインタビューをしたし(これは『大学会改造要綱』に翻訳して収めてある)、2004年1月に同じように特定課題研究費でパリに滞在したおりにも、シャルル氏と日仏の「大学改革」について意見を交わした。マラルメやサンボリストに関する論文のほかに、これからは日仏の高等教育の歴史や現状を比較した論文も発表していくつもりであるが、いずれそれらは19世紀末から20世紀初頭にかけてのサンボリスト(知識人)論として一つにすべきものと考えている。

  • 『ディヴァガシオン』の外部―ドレフュス事件とサンボリストたち

    2002年  

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    この研究は、マラルメの周辺にいたサンボリストたちを彼らのドレフュス事件への対応を通して文学史のなかに再配置することを目的としている。そのようにすることによって、マラルメの『ディヴァガシオン』に封じ込められている文学的・歴史的真実を、社会科学の領域にまで解放することができるのではないかと私は考えている。たとえば文学史をピエール・ブルデュー、クリストフ・シャルル、ジゼル・サピロなどが開拓した「知識人論」という領域につなげること。ブルデューが亡くなったいま、ドレフュス事件のときの「アンテレクチュエル」のような「集団的知識人」が注目されている。クリストフ・シャルルを中心とした「アレゼール(高等教育と研究の現在を考える会)」という大学教員の団体は、マラルメの「文学」をあらたな社会科学的な知によって読み替えているように私には思われた。というのも、マラルメはオックスフォード大学やケンブリッジ大学について語っているけれども、そのことと1896年になってようやくフランスに大学が復活することとは無関係ではないからである。2004年にはなんとか論文をまとめたいと考えている。

  • ドレフュス事件以後のサンボリストたち-『ディヴァガシオン』の外部を読む-

    2001年  

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    1998年以来、私はマラルメの『ディヴァガシオン』をパリのジャーナリスティックな喧噪に繋いでみて、それをいわば外側から読むという作業を継続している。この書物が出版された当時、パリではドレフュス事件が静かに進行中であったけれども、このころのサンボリストの言動を追いかけることで、これまで私自身が行ってきたテマティックなレクチュールの限界を乗り越えたいのである。すでにアドルフ・レテ、ベルナール・ラザール、フランシス・ヴィレレ=グリファンを見た。彼らのマラルメについての発言は多様であり、それが彼らのドレフュス事件におけるそれぞれの「アンガジュマン」を反映するものであることを、私はある程度まで証明できたと思っている。2001年度は、そのような蓄積を踏まえながら、ロラン・タイラード、シャルル・モリス、レミ・ド・グールモン、デカダン派などの書物を求め、またアンドレ・ジッドやシャルル・ペギーなどの雑誌への投稿をコピーした。また、「詩人」の解体と「知識人」の成立はパラレルであることから、歴史学者クリストフ・シャルルの知識人論および大学論を読み、直接彼へのインタヴューも行った。新たに出版されるマラルメに関する研究は随時購入している。サンボリスムの文学史をマラルメとドレフュス事件をキーにして読み直すという作業は、それぞれのサンボリストの「アンガジュマン」を批判的に検討することであり、それはとりもなおさず、大学人としての私の在り方へも跳ね返ってくるものであることを、ARESERという研究会を主宰しているシャルル氏との会話から学んだ。

  • 『ディヴァガシオン』の政治空間-サンボリスムの詩人たちとドレフュス事件

    2000年  

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     マラルメの散文集『ディヴァガシオン』を一つの完結した表象空間とみなし、その構造を探るために登場人物たちの空間移動をテーマティックに追いかけると、彼らがどうしても入り込めない処女なる三つのトポス(「地平線」、「舞台」、「白い紙」)が見えてくる。それらのトポスは、古典主義時代の表象空間においては、詩人のイマジネーションによって結ばれており、19世紀半ばに成立した「ジャーナリズム」空間においては、それぞれ独立してその空間の外にあり、マラルメの構想する未来の「書物」においては、互いに重なり合って濃密な場を形成している。2000年度の研究では、そのように描かれる『ディヴァガシオン』の表象空間を、ドレフュス事件による社会的・政治的・世代的葛藤が渦巻く19世紀末のパリに置き直して、その自律性を外側から確認してみる作業を始めた。サンボリストたちのドレフュス事件(1894-1906)のときのアンガジュマンが、『ディヴァガシオン』(1897)のなかにどのような影を落としているか、そしてこのマラルメの散文集が、サンボリストたちのドレフュス事件以後の未来をどれくらい正確に見通しているかを、自分の目で確かめてみたいと思ったのである。そのためには、各々のサンボリストについてのモノグラフィーや、その書誌に挙げられている資料に当たり、さらに当時の新聞や雑誌を読んでみなければならない。とりわけ彼らがドレフュス派であったか反ドレフュス派であったか(そのいずれであることも拒む場合は反ドレフュスということになる)は基本的な情報となるので、慎重に調べねばならない。フランス国立図書館でそれらのカタログを作り、当座読むべき資料をコピーし、また古書店をめぐって当時の書物を探し、さらに当時を扱う歴史文献学や歴史社会学の文献を求めた。これはサンボリスムの文学史をマラルメとドレフュス事件をキーにして読み直すというプロジェクトであり、2000年度はその端緒についたというぐらいのところにすぎない。しかし2002年の春までにはその全体のプランを序論というかたちで書き上げたいと考えている。

  • マラルメ周辺の詩人たちとドレフュス事件

    1999年  

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     『ディヴァガシオン』などで語られるマラルメの文学の理念と、ドレフュス事件で増幅されるさまざまな政治的イデオロギー(アナルコ・サンディカリスム、ソシアリスム、コスモポリタリスム、コロニアリスム、ナショナリスムなど)の関係を考え直すために、サンボリストたちのドレフュス事件以降の(マラルメについての)言説をいくつか調べてみた。そこで見出したひとつのイデーは、ベルトラン・マルシャルのいう「マラルメの宗教」が共和制を支える非宗教的(ライック)な宗教としての文学を指すとしたら、マラルメはライックな国家としてのフランスの成立(1905年の「政教分離」)を前に「殉教」した詩人ではないかということである。最晩年に彼は『エロディヤードの婚姻』でカトリシスムの秘跡を脱構築して見せたが、そこに現れる聖ヨハネの首は、この作品を着想してから三十五年後に完成させようと試みていたマラルメ自身でもあった。ジッド、ヴァレリー、プルースト、クローデルらは、そのマラルメの「使徒」として、ドレフュス事件以後のフランスで「文学」を実践してみせる。しかし彼らの文学の二十世紀初頭における「宗教」としての機能ぶりを確かめるためには、むしろシオニスムに傾いたベルナール・ラザールや、カトリシスムに回帰するアドルフ・レテあるいはロラン・タイラードなどの証言を追いかけてみることが必要であると思うようになった。もうひとつのイデーは、サンボリストたちを「知識人」として見る歴史・社会学的な視点が『ディヴァガシオン』再読においても有効であるということ。マラルメの最後のメッセージは、現代社会の中での文学(研究)者の役割を考えることへと我々を導く。とすれば、『ディヴァガシオン』に関するこれまでの研究や発言のすべてをその視点から吟味する作業を、レクチュールとともに実践しなければならない。それはとりもなおさず、この散文集に関するしっかりしたモノグラフィーを書くということなのである。今回の論文もその一部となる。

  • ディヴァガシオン論

    1998年  

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    マラルメの散文集『ディヴァガシオン』のなかには、地平線、舞台、白いページなどの文学のトポスと、それらの間に広がるジャーナリスムの空間をさまよう人物たちの「彷徨」が描かれている。しかしひとたびこの作品の外に出ると、そこにはドレフュス事件によって露出するさまざまな政治的、世代的、社会的葛藤が渦巻いている。このふたつの世界をつなぐことが今の私の課題なのだが、そのための糸口として、まずマラルメとその周辺にいるサンボリスムの詩人たちのドレフュス事件のおりの反応を調べてみた。テオドール・ド・ヴィゼワ、アンリ・ド・レニエ、ポール・ヴァレリーなどの反ドレフュス派、フェネオン、ジェフロワ、アダンなどのドレフュス派が交錯するなかで、マラルメは自らの文学の理念に基づいてドレフュス派でありえた稀な50歳代の詩人であった。次に『ディヴァガシオン』で語られるその理念と、事件を通して増幅されたさまざまなイデオロギー(アナルコ・サンディカリスム、ソシアリスム、コスモポリタニスム、コロニアリスムなど)の関係を調べてみたが、マラルメがそれらのイデオロギーとどのように戦っていたかはまだしっかりと私自身把握していない。

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