2024/11/08 更新

写真a

イシハマ ユミコ
石濱 裕美子
所属
教育・総合科学学術院 教育学部
職名
教授
学位
博士(文学) ( 早稲田大学 )

所属学協会

  •  
     
     

    内陸アジア史学会

  •  
     
     

    モンゴル学会

  •  
     
     

    チベット学会

研究分野

  • アジア史、アフリカ史

研究キーワード

  • チベット・モンゴル・満州・中国関係史

 

論文

▼全件表示

書籍等出版物

  • 『チベット伝統医学の薬材研究』

    石濱裕美子, 西脇正人, 福田洋一, 谷田伸治

    藝華書院  2015年03月 ISBN: 9784904706107

  • 『チベットの歴史と宗教』

    石濱裕美子, 福田洋一

    明石書店  2012年04月

  • 清朝とチベット仏教

    早稲田大学出版部  2011年09月

  • 『世界を魅了するチベット仏教 少年キムからリチャードギアまで』

    石濱裕美子

    三和書籍  2010年04月

  • 『須弥山の仏教世界 新アジア仏教史09チベット』「後伝仏教の諸相」pp.50-98、「ダライ・ラマ十四世」

    編者沖本克己

    佼成出版社  2010年04月

  • 『朝倉世界地理講座 第二巻東北アジア』第六章一節.「チベット仏教世界から見た満洲王朝・清」

    編者 境田清隆, 佐々木史郎, 岡洋樹

    朝倉書店  2009年

  • チベットを知るための50章

    石濱裕美子

    明石書店  2004年05月

  • The Conceptual Framework of the dGa'-ldan's war based on the beye dailame wargi amargi babe necihiyame toktobuha bodogon i bithe.-Buddhist Government in the Tibet-Mongol and Manchu relationship.

    Ishihama Yumiko

    Tibet and Her Neighbours A History. Ed. by Alex McKay, Edition Hansjorg Mayer, London.  2003年

  • Buddhism

    Ishihama Yumiko

    History of Civilizations of Central Asia, Vol.5 Development in contrast: from the sixteenth to the mid-nineteenth century  2003年

  • チベット仏教世界の歴史的研究

    石濱裕美子

    東方書店  2001年02月

  • チベット歴史紀行

    石濱裕美子

    河出書房新社  1999年09月

  • チベット密教史

    石濱裕美子

    チベット密教(シリーズ密教2)/春秋社  1999年08月

▼全件表示

共同研究・競争的資金等の研究課題

  • ロシア統治下チベット仏教徒のチベット・モンゴルとの交流の研究

    研究期間:

    2017年04月
    -
    2020年03月
     

  • 国家形成期におけるチベット・モンゴルの歴史・社会の総合的研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2014年04月
    -
    2017年03月
     

    石濱 裕美子, 小林 亮介, 橘 誠

     概要を見る

    1905年にモンゴルに亡命したダライラマ13世の下に多くの巡礼が越境してつめかけるのを目撃したことにより、ハルハの王公とハルハの転生僧ジェブツンダンパ8世は転生僧の威力をしり、1911年にジェブツンダンパ8世を首班とするボグド・ハーン政権を誕生させるにいたった。ジェブツンダンパ8世は即位式、王権をダライラマ13世を模倣していた。1913年のモンゴル・チベット条約は後世の条約に引用されなかったことから無効であるかのように言われてきたが、橘誠は小林亮介とともに同条約はチベット人の関係した紛争の調停に適用されていたことを示した

  • 国家形成期におけるチベット・モンゴルの歴史・社会の総合的研究

    科学研究費助成事業(早稲田大学)  科学研究費助成事業(基盤研究(C))

    研究期間:

    2014年
    -
    2016年
     

  • チベット中世教会史の解明-聖ツォンカパ伝の研究-

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2004年
    -
    2005年
     

    石濱 裕美子, 福田 洋一

     概要を見る

    本研究はチベット仏教の大成者ツォンカパ・ロサンタクペーペル(1357-1419)の最古層の伝記の研究を通じて、ゲルク派の歴史・教会史を明らかにすることを目的とした。現在入手可能なツォンカパの最も古い伝記には、『自伝』、直弟子のケドゥプジェ(1385-1438)の一般的な伝記『信仰入門』と神秘体験を綴ったンカ『秘密の伝記』、それに対する補遺として書かれたジャンペルギャムツォ(1356-1428)の『ツォンカパ伝補遺』他2篇がある。本研究課題では、これらの伝記の和訳研究を通じて、文献学、歴史学、仏教学の視点からツォンカパの思想形成や当時の教団の具体的な姿などを明らかにした。これらの伝記の成立順も確定することができた。まず最初に『自伝』が書かれて、ツォンカパの学習過程が修学期間、思想形成期間、講説期間という三つの期間に分けるパターンが確立した。ケドゥプジェの『信仰入門』が書かれ、次に同じく『秘密の伝記』が書かれ、それらを踏まえて『ツォンカパ伝補遺』が書かれた。その大部分はツォンカパ在世時に書かれたが、ツォンカパの死後『信仰入門』の最後にその様子が付け加えられたと推定される。また、ツォンカパの著作の全てのコロフォンを整理した。そこには、著作年次はほとんど見られないが、著作場所が記されていることが多く、また『信仰入門』にはツォンカパの場所の移動が細かく記されているので、それらを対照することで、多くの著作の著作年次または著作順序を明らかにすることができた。本研究課題の成果として、報告書において『自伝』、『秘密の伝記』、『補遺』の訳注と『信仰入門』の梗概を収録した。『信仰入門』全体の訳注は後日、その他の資料も含めて刊行予定である

  • ハラホト出土文書(モンゴル文)の研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2002年
    -
    2005年
     

    吉田 順一, 梅村 坦, 宇野 伸浩, 石濱 裕美子, 井上 治, 舩田 善之, 永井 匠

     概要を見る

    モンゴル文書の全容は不明な点があるが一応99点、そしてウイグル文書7点、アラビア文字文書11点、チベット文書2点(1点は表裏)、シリア文書11点を研究対象とし、原則ローマ字転写、和訳、注釈を行い、文書全体の概要を相当に明らかにできた。モンゴル文書(ウイグル文字のものとパクパ文字のもの)は69点を解読した。内容は様々だが、比較的多いのは、穀物・家畜の貸借等に関する契約文書、エチナ路総管府の官人たちに下された命令書、特に酒や丸ゆでの羊の分け前に関する所謂分例文書である。その他仏典の一部と思われるもの、道教経典の一部と思われるもの、ある種の服・靴の作成を命じた文書、役人の名前・官職を羅列した文書、安寧を問う内容の書簡と思われるもの等がある。チベット文書は、表裏から成る1点を解読した。チベット仏教の聴聞録(gsanyig)であると思われる。ウイグル文書は、3点はハラホトからエチナ河を遡る甘州、粛州との人・物の動きを知るのに役立つ。他に経済文書1点、仏典2点、音韻表のようなもの1点がある。アラビア文字文書は、アラビア語4点、ペルシア語3点、トルコ語3点、ペルシア語・トルコ語・漢文1点の文書から成り、スーフィズム関係の書物の一部、ペルシア語叙事詩『フスラウとシーリーン』の一部、漢文行政文書の末尾の添え書き等が含まれることがわかった。シリア語文書は、最も長文の1点は標準的なシリア語の文章で聖書関連の内容であり、他の10点はまとまりのある文章群のようで、全体としてシリア語を含み、キリスト教関連の内容である。ハラホトでこれだけの数のモンゴル文書、アラビア文字文書、シリア文書がみつかり研究対象とされたのは始めてであり、以上の多様な文書(漢語、西夏語文書もある)が使われていたことから、ハラホトが多言語・多民族社会を抱えたモンゴル帝国・元朝の縮図ともいえる様相を呈していたことが明らかとなった

  • 『翻訳名義大集』における梵・蔵・蒙・漢語仏教語彙の基礎的研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2000年
    -
    2001年
     

    福田 洋一, 石濱 裕美子

     概要を見る

    本研究課題「『翻訳名義大集』における梵・蔵・蒙・漢語仏教語彙の基礎的研究」は、9世紀初頭に古代チベット王国において編纂された梵蔵対照語彙集Mahavyutpatti、および後代に付加されたモンゴル語、中国語の対照語彙集の校訂テキストを作成し、広く仏教学研究者および、梵・蔵・蒙語の研究者に基礎的資料を提供することを目標としている。研究代表者および研究分担者は既に1989年に、当時入手可能な版本・写本などを元に『新訂翻訳名義大集』(東洋文庫、1989)を刊行したが、その後に、新たなチベット語大蔵経(『金写大蔵経』)が刊行され、また単独のチベット語版本を入手できた。それらの新資料を追加して再校訂を行うこととした。前書の問題点として、サンスクリット語部分の校訂が不十分であったこと、中国語訳が含まれていなかったこと、索引が付されていなかったことなどが挙げられる。本研究課題では、新出資料の追加とサンスクリット語に重点を置いた校訂、電子テキスト版の作成、モンゴル語チベット語の対照索引の作成を中心に基礎的な研究を行った。具体的な作業としては、可能な限りのサンスクリット語のチベット文字転写を入力し、対照データベースを作成して、校訂作業を行うための基礎資料を整えた。チベット語については新出の二種のテキストを入力し、従来のテキストに追加した。モンゴル語に関しては、チベット語との対応がつきやすく、word to wordの対照語彙集を作成し、研究報告として公開した。今後は本研究課題で収集した素材をもとに最終的な校訂テキストを作成する予定である

  • Erdeni tunumal neretu sudur orusibaの研究

     概要を見る

    平成5年度に“Erdeni tunumal neretu sudur orusiba"(通称『アルタン=ハーン伝』)の本文テキストの校訂とラテン文字転写(ローマナイズ)、および和訳の一部の作成を行い、平成6年度には和訳文の検討と難解語句の解釈を重点的に行ったことを受けて、平成7年度は和訳および注の草稿をほぼ完成した。この間に、研究成果を学術図書として刊行する方針が固まったので、平成8年度に至って科学研究費補助金(研究成果公開促進費)を別途申請すると共に、引き続きラテン文字転写・和訳・注の全面的な再検討を行い、年度末までに原稿をほぼ完成した。次いで平成9年度には研究成果公開促進費(申請番号91052)の交付を受けて、序文・索引・年表・参考文献一覧表等の作成、原稿の校正等の作業を行い、平成10年3月に『『アルタン=ハーン伝』訳注』として風間書房から刊行した。なお、検討の過程で、『アルタン=ハーン伝』の本来の題名は“Erdeni tunumal neretu sudur orusiba"ではなく、“Altan quγan u tuγuji"と見るべきであるとの結論に達したので、英文タイトルではそのように表記した。本研究を通じて、『アルタン=ハーン伝』のテキスト校訂および難解語句(特に仏教関連語句)の解釈については、従来の研究水準を抜くことができたと信ずる。同時に、17世紀以降の多くのモンゴル文史書とは異なって伝説的要素をあまり含まず、前半では対外遠征を中心とするアルタン=ハーンの事績を、後半ではダライ=ラマの招請による仏教導入の経緯を、事実に即して記述していくという同書の特徴を、より明確にすることができた。このことはまた、16世紀におけるモンゴル-明関係の推移や、チベット仏教のモンゴルにおける普及の過程といったモンゴル史上の重要な諸問題に対しても、新たな光を投ずるものである

▼全件表示

Misc

 

現在担当している科目

▼全件表示

 

他学部・他研究科等兼任情報

  • 教育・総合科学学術院   大学院教育学研究科

特定課題制度(学内資金)

  • スリランカ発の仏跡復興運動とチベット仏教世界の交流についての研究

    2021年   井上岳彦

     概要を見る

     本研究は神智学協会とMaha Bodhi Societyの機関誌や、ロシア語文書資料などを用いてロシア・インド双方の視点から仏跡復興運動は東南アジア・東アジアの仏教徒の他に、従来注目されていなかったシベリアの仏教徒にまで及んでいたのではないかという仮説を、とくに1900年に行われたイロルトゥエフ(ブリヤート仏教界の長)のインド行に着目して探求したものである。 諸資料を考察した結果、イロルトゥエフは伝統的なチベット仏教世界を通じてではなく、ニコライ二世の側近の一人ウフトンスキー公やシルバン・レヴィなどのヨーロッパのオリエンタリストが形成したイメージを通じて、インド巡礼やダライ・ラマとの対面をのぞむようになったことが明らかになった。 とくにウフトンスキー公の役割は重要であり、公は異教を管理する役所につとめていたことから初期よりシベリアのチベット仏教たちとフィールドで接しており、1890年にニコライ皇太子が世界旅行をした際には記録係として随行し、その過程でインドの仏跡復興運動に接し、神智学協会の創立者であるオルコット大佐とも面識を得ていた。 つまりウフトンスキーが、ペテルスブルグのオリエンタリスト、シベリアの仏教徒、ヨーロッパのオリエンタリスト、インドの仏跡復興運動、シャムの舎利分骨などをつなぐキーパーソンであった。このほかにもイロルトゥエフのインド巡礼はブリヤート民族のナショナリズムの萌芽と認識できうる行動があったことが判明した。

  • チベット・モンゴル・満州の歴史と社会の総合的研究

    2013年  

     概要を見る

    (1) 1911年のジェブツンダンパ8世の即位の儀式をダライラマ13世の1895年の即位式と比較・検討した結果、この儀式の内容は従来言われているような近代的な国民国家の元首の戴冠式などというものではなく、ダライラマ13世の王権と同じく政教一致の政治体制トップへの就任であった。(2) ダライラマ13世の著作より、ダライラマの自称表現を抜き出して整理したところ、1911年、清朝がダライラマ13世に屈辱的な称号を授けた直後、ダライラマは自らの称号の権威の源泉を清朝皇帝から、インドの仏へと改める。これは明らかに清朝がチベットに対して帝国主義的な政策をとったことに対する明示的な拒絶であった。(3) ダライラマ13世の著作より、チベットと中国の政体に言及する際の表現を抜き出して整理したところ、1913年の独立宣言以前は、中国とチベットの政体を並列してその繁栄を祈願していたものが、以後はチベットの政体のみを祝い中国に関する記述は消える。これはダライラマは清朝との間に確立していた関係が、中華民国との間には存在していないと認識していたことを示している。4) 近代以前の世界において水銀は特別こ高貴な存在であるとされてきた。水銀は猛毒で、定まらない色や形を持ちながらも精錬した後には甘露となると考えられたため、これは煩悩に満ちあふれながらも修行の後には仏の意識を得る人の心に通じたからである。チベットにおいても、水銀の精錬作業は薬をつくるというだけでなく精神的な修練の意味も付せられていたものの、チベットの水銀精錬テクストが和訳されたことはなかった。それに対して18世紀無宗派運動を代表する学僧ミパンによる、浄化水銀の精錬過程を記したテクストを和訳・注解して発表した。(4) 2013年7月23日にモンゴルのウランバートルにあるモンゴル国立大学(National University of Mongolia)で開催された、十三回国際チベット学会(13th Seminar of the International Association for Tibetan Studies)において、The Dalai Lama as the Cakravartin Raja manifeted by Avalokteshvara." という演題で発表した。

  • チベット中世教会史の解明-聖ツォンカパ伝の研究-

    2004年  

     概要を見る

     チベット仏教を代表する宗派ゲルク派の宗祖ツォンカパ(1357-1419)はあらゆる宗派の哲学を中観帰謬論証派の観点から統合した宗教的天才として知られる。彼の初期の伝記のうちでももっとも成立が古い伝記は、その弟子ケドゥプによって著された『信仰入門』である。本研究はこの伝記の校訂・和訳・研究などの作業を通じて、チベット中世のチベット仏教の具体的な様相を明らかにすることを目標とし、その成果として、同書の訳注を作成することを目指している。ツォンカパの初期の伝記には、『信仰入門』の他にも、ツォンカパ自身の短い自伝、三大弟子の一人ケドゥプ=ゲレーペルサンポ(1385-1438)による二つの伝記、そしてツォンカパとほぼ同年代の弟子ジャムペーギャツォによる伝記の補遺という四つの史料があるため、本年度は、これらの伝記を参照しつつ、中心となる『信仰入門』について、和訳を検討し、校訂テキストを作成した。既に作成してある下訳を元に、他三つの伝記を参照しつつ、不明箇所や難解な箇所を検討し、あるいはツォンカパの仏教思想に関する箇所の資料探索を行い、また訳語の適・不適の検討などを行った。また、特に難読な箇所については、チベット人学僧テンパ・ゲルツェン師に教示をお願いした。文献資料などについて、確認の取れるものについては、出来る限り出典を調べて注記を挙げるようにした。テキスト校訂については、和訳を確認する過程で、ある程度の進展を見ることができた。 ツォンカパ自身の思想的な展開についても、伝記資料から読み取れることについて抽出する作業を進めている。

  • 清代初期のチベット・モンゴル・満州関係史

    2000年  

     概要を見る

     (1)「ガルダン・ハルハ・清朝・チベットが共通に名分としていた「仏教政治」思想」『東洋史研究』pp.35-62(2)『チベット仏教世界の歴史的研究』東方書店 チベット・モンゴル・満洲の三国は、チベット仏教を紐帯として一つの文化圏を構成する。このチベット仏教世界と中国の歴史的関係について語る研究は数多いが、原史料を用いてなされたものは少ない。原資料にあたって記された数少ない良心的な研究も、その場合の原史料は漢語史料であるため、それらの研究は自ずと中国側から見た歴史観のみを反映したものとなっている。中国とチベット・モンゴル・満洲関係を明らかにしようとした場合、一方の中国側の事情を述べる文献ばかりを用いていて正確な歴史像は描ききれない。そこで、私はチベット・モンゴル・満洲語で書かれた資料を用い、両者の関係の本質を追求してきた。業績の(1)は、従来漢文版ばかりが用いられてきた『親征平定朔漠方略』(17世紀後半のモンゴル・チベット・中国関係を語る一級の史料)を、原版である満洲版を検討することによって、翻訳である漢文版においてはその存在が抹消されていた「仏教政治」という概念を抽出し、この概念が三国関係の外交の基本と捉えられていたことを明らかにしたものである。 業績の(2)は、一七世紀から一八世紀にかけてのチベット、モンゴル、満洲三者関係について筆者が学会誌や紀要等に発表してきた論文に対して、その全てに手直しを加え、また新出史料に基づく知見を書き加える等して一冊の本にまとめ発表したものである。五章、七章、八章を除く部分は一九九七年一月に『チベット仏教世界の歴史的研究――菩薩王としてのチベット、モンゴル、満洲王侯の事績について――』と題して早稲田大学文学部に学位論文として提出し、同年七月に審査を経て学位を取得した。 さらに、2000年3月には中国チベット自治区の区都ラサに滞在してポタラ宮の実地調査を行った。