2024/12/21 更新

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カミオ タツユキ
神尾 達之
所属
教育・総合科学学術院 教育学部
職名
教授
学位
修士(文学) ( 早稲田大学 )
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経歴

  • 2003年
    -
    2005年

    東京大学文学部非常勤講師

  • 1994年
    -
    2004年

    早稲田大学教育学部助教授(2004年,教授)

  • 2000年
    -
    2002年

    立教大学文学部非常勤講師

  • 1996年
    -
    1999年

    立教大学文学部非常勤講師

  • 1996年
    -
    1997年

    慶応大学経済学部非常勤講師

  • 1994年
    -
    1995年

    千葉大学教養学部非常勤講師

  • 1989年
    -
    1994年

    早稲田大学政治経済学部非常勤講師

  • 1982年
    -
    1994年

    茨城大学人文学部講師(1988年,助教授)

  • 1983年
    -
    1984年

    筑波大学外国語センター非常勤講師

  •  
     
     

    早稲田大学商学部非常勤講師

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学歴

  •  
    -
    1982年

    早稲田大学   文学研究科   ドイツ文学  

所属学協会

  •  
     
     

    日本独文学会(ドイツ語教育部会)

  •  
     
     

    日本ドイツ語情報処理学会

研究分野

  • 思想史

研究キーワード

  • 独語・独文学

受賞

  • 日本ゲーテ協会会長賞

    1995年  

 

論文

  • 特別寄稿:ダイバーシティを批判的に考える

    神尾達之

    人間生活工学   20 ( 1 ) 1 - 4  2019年03月  [査読有り]  [招待有り]

  • ドイツ語初学者を対象とした単語リストの構想 ー早稲田大学教育学部におけるドイツ語教育のためにー

    神尾達之

    早稲田大学 教育・総合科学学術院 学術研究(人文科学・社会科学編)   ( 66 ) 243 - 251  2017年03月

  • 変態の変態 ―《ピュグマリオン的欲望》と《現実》の中での《疑似他者》

    神尾達之

    早稲田大学 教育・総合科学学術院 学術研究(人文科学・社会科学編)   ( 66 ) 217 - 242  2017年03月

  • つながりのつながり ―微生物、ともだち、ゾンビ―

    神尾達之

    早稲田大学 教育・総合科学学術院 学術研究(人文科学・社会科学編)   ( 64 ) 241 - 260  2016年03月

    CiNii

  • 象徴界の廃墟へようこそ

    神尾達之

    早稲田大学教育・総合科学学術院 学術研究62号 人文科学・社会科学編   ( 62 ) 253 - 269  2014年03月

    CiNii

  • 顔を見る/顔に見られる:観察主体の自立化と観察対象の脱他者化

    神尾達之

    早稲田大学教育・総合科学学術院 学術研究第60号 人文科学・社会科学編   ( 60 ) 285 - 304  2012年02月

    CiNii

  • 学際的な分野のための《複合的》ゼミ運営法

    神尾達之, 福田育弘

    早稲田大学教育評論   24 ( 1 ) 189 - 203  2010年03月

    CiNii

  • 家族の甘ーい夢を見させてくれるビターチョコ — ティム・バートン監督『チャーリーとチョコレート工場』はくえない映画だ —

    神尾達之

    科学研究費補助金研究成果報告書『暴動する反近代としての〈過剰な食〉— 規範の逸脱をめぐる複合文化学研究」     6 - 31  2010年03月

  • 英語以外の外国語教育の情報化(2)[ドイツ語に関する報告を担当;173-175頁]

    村上公一, 神尾達之, 丸川誠二, 福田育弘, 後藤雄介

    早稲田教育評論   22 ( 1 ) 169 - 180  2008年02月

    CiNii

  • 観察者の退位をめぐる四都物語

    神尾達之

    Neue Beitraege zur Germanistik (ドイツ文学)   Band 5 / Heft 2 ( 130 ) 14 - 29  2006年10月

  • sollenからwollenへ

    神尾達之

    日本独文学会春季研究発表会シンポジウム「ゲルマニスト以外の学生に1年で何をどう教えるか? 教養教育でのドイツ語授業の意義と方法を考える」    2006年06月

  • 終焉の記号、記号の終焉

    神尾達之

    マンガ研究   9   125 - 138  2006年04月

  • 終焉の記号・記号の終焉

    神尾達之

    国際シンポジウム「スイスコミックと日本のマンガ」(主催:川崎市市民ミュージアム、スイス・プロ・ヘルヴェティア文化財団、日本マンガ学会)    2005年12月

  • 顔を纏う

    神尾達之

    日本独文学会2005年度春季研究発表会 シンポジウム(纏う、あるいは〈本質〉から遠く離れて)    2005年05月

  • 〈産業〉の付かない〈文化〉としてのコミック?

    神尾達之

    東北ドイツ文学研究:『ハロー、ドゥルーズ!』を読む   ( 48 ) 179 - 180  2005年03月

  • 主体と死体 −マイスターをめぐる身体性−

    神尾達之

    ゲーテ年鑑   46   195 - 216  2004年10月

  • Das Ich als Medium fuer drahtlose Uebertragung, oder Menschen ohne Firewall

    神尾達之

    Uebertragungssysteme: Literaturen - Medien - Wissen(Zentrum fuer Literaturforschung, Berlin)    2004年07月

  • 感染の表象・表象の感染 −1990年代の日本のサブカルチャーにおけるポスト生物学的な身体イメージ−

    神尾達之

    早稲田大学教育学部学術研究—外国語・外国文学編—   52   77 - 95  2004年03月

  • Bild und Schrift auf der Haut

    神尾達之

    Schrift und Bild - Visuelle Kulturen in Europa und Japan(立教大学文学部 国際会議)    2003年07月

  • 日本の視点からゲルマニスティクの新しいパラダイムを探る(文化学の観点から)

    神尾達之

    日本独文学会2003年度春季研究発表会    2003年05月

  • ゲーテ時代の身体: 切断されていた親指P、あるいはマイスターを迂回する身体

    神尾達之

    日本ゲーテ協会シンポジウム    2003年05月

  • 『拾い子』を読む/『拾い子』に読まれる(承前)

    神尾達之

    早稲田大学教育学部 学術研究-外国語・外国文学編-   51   65 - 80  2003年02月

  • 刺され抉られ殺害される女の身体と男の身体(『ルル二部作』と『流刑地にて』)

    平野嘉彦

    文学表現と〈身体〉−ドイツ文学の場合』(平成11年度〜平成14年度科学研究費補助金・基盤研究A・1研究成果報告書)     75 - 84  2003年

  • 河本英夫:『システムの思想』

    神尾達之

    モルフォロギア(ゲーテと自然科学)/ナカニシヤ出版   第24号   141 - 142  2002年11月

  • Neun Thesen zur Moeglichkeit einer kulturwissenschaftlich orientierten Literaturwissenschaft im Kontext der gegenwaertigen japanischen Germanistik

    神尾達之

    日本独文学会蓼科シンポジウム    2002年03月

  • 『拾い子』を読む/『拾い子』に読まれる

    神尾達之

    早稲田大学教育学部 学術研究-外国語・外国文学編-   50号 ( 51 ) 1 - 14  2002年

    CiNii

  • 隠蔽される世界の根源-イシスとラカンによる演出について-

    神尾達之

    早稲田大学教育学部学術研究-外国語・外国文学編-   49 ( 49 ) 1 - 15  2001年

    CiNii

  • 目の〈前の〉メディア

    神尾達之

    日本独文学会秋季大会    2000年10月

  • 離陸のためのドイツ文法

    神尾達之, 林真帆

    三修社    2000年

  • 聖刻文字と解読不能な他者(解読後篇)

    神尾達之

    Waseda Blaetter   6   57 - 73  1999年

  • 聖刻文字と解読不能な他者(解読前篇)

    神尾達之

    早稲田大学教育学部学術研究-外国語・外国文学編-   47   31 - 42  1999年

  • 自己克服から生まれた哲学 —等身大のシラーへのアプローチ

    F.ローディ

    モルフォロギア(ゲーテと自然科学)/ナカニシヤ出版   21   2 - 16  1999年

  • 変転なき持続と〈作者〉の再生産 —ゲーテのためのメディアたち—

    神尾達之

    早稲田大学大学院文学研究科紀要   第43輯;第2分冊 ( 43 ) 87 - 101  1998年02月

    CiNii

  • 聖刻文字と解読不能な他者

    神尾達之

    早稲田大学ドイツ語学・文学会   ( 47 ) 31 - 42  1998年

    CiNii

  • Vermittlung und Vereinigung —Goethe und Werther zwischen Rousseau und Linne

    神尾達之

    ゲーテ年鑑   40   57 - 68  1998年

  • ドラキュラの遺産 —ソフトウェアなど存在しない

    Fr.キットラー

    産業図書    1998年

  • インターネット —郵便システム/流出/都市

    Fr.キットラー

    10+1(特集:メディア都市の地政学)/INAX   13 ( 13 ) 88 - 93  1998年

    CiNii

  • Der Wille zur Entschleierung oder die Begierde nach Wahrheit -zum Mythos von Isis

    神尾達之

    日本独文学会蓼科シンポジウム    1997年03月

  • Auslands-und Inlandsgermanistik.Wie weit reicht ihre Differenzierung noch?

    Fujii Akihiko, Kamio Tatsuyuki, Sadji Amadou Booker, Eberhard Scheiffele

    Waseda Blaetter/早稲田大学ドイツ語学・文学会   4   89 - 112  1997年03月

    CiNii

  • 『若きヴェルテルの悩み』における書字と逃走(承前)

    神尾達之

    学術研究・外国語外国文学編/早稲田大学教育学部   45   1 - 8  1997年02月

  • 真理の教えに抗って−啓蒙主義以降のヴェールの象徴について

    神尾達之

    Waseda Blaetter   3   24 - 44  1996年03月

  • 『若きヴェルテルの悩み』における書字と逃走

    神尾達之

    ゲーテ年鑑   38   97 - 127  1996年

  • 抱かれる子供の死と詩 −詩論としての『魔王』−

    神尾達之

    早稲田大学教育学部学術研究—外国語・外国文学編—   43 ( 43 ) 39 - 42  1995年

    CiNii

  • 原克:書物の図像学

    神尾達之

    Waseda Blaetter   2   81 - 85  1995年

  • シラーの詩的言語観と牧歌の不可能性 −ゲーテの牧歌と悲歌から放たれる光りに導かれつつ−

    神尾達之

    ゲーテ年鑑   37   53 - 73  1995年

  • Hiroglyphen des Koerpers: Lenz/Buechner lesen

    神尾達之

    早稲田大学ドイツ語学・文学会    1995年

  • Hieroglyphen des Koerpers - Zu den "Maschinen" in Buechners "Lenz"

    神尾達之

    日本独文学会蓼科シンポジウム    1995年

  • 親鍵とアナグラム −『拾い子』を読む/に読まれる

    神尾達之

    早稲田大学ドイツ語学・文学会    1994年

  • Naoji Kimura. Doitsu Seishin no Tankyu. Goethe Kenkyu no Seishinshiteki Bunmyaku

    神尾達之

    Arbitrium: Niemeyer   3   334 - 337  1994年

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書籍等出版物

  • ピュグマリオン・ラブ —他者なき世界における他者への愛

    神尾達之( 担当: 単著)

    論創社  2024年12月

  • つながりのつながりのつながり

    論創社  2022年08月

  • 科学研究費研究成果報告書:ドイツ文学研究とカルチュラル・スタディーズ

    神尾達之

    2008年03月

  • 纏う 表層の戯れの彼方に [「顔を纏う 死の顔面、顔面の死」を担当]

    神尾達之

    水声社  2007年07月

  • Schriftlichkeit und Bildlichkeit.["Schrift und Bild auf der Haut"を担当]

    Ryozo Maeda, Teruaki Takahashi u.Wilhelm Vosskamp, Hr

    Muenchen: Wilhelm Fink  2007年

  • ヴェール/ファロス −真理への欲望をめぐる物語

    神尾達之

    ブリュッケ  2005年12月

  • 初期オペラの研究 [「つまずくザラストロ、息切れするパパゲーノ −モダンへの閾としてのゲーテ『魔笛第二部』断片」を担当]

    丸本隆

    彩流社  2005年04月

  • 日本独文学会研究叢書『日本の視点からゲルマニスティクの新しいパラダイムを探る』[「真理ではない星座の構築に向けて」を担当]

    松田和夫

    日本独文学会  2004年05月

  • Auslassungen. Leerstellen als Movens der Kulturwissenschaft.["Subject Subjekt"を担当]

    Natascha Adamowsky, Peter Matussek, H

    Wuerzburg: Koenigshausen & Neumann  2004年

  • 日本独文学会研究叢書『メディア技術と言語表現』[「目の<前>のメディア」を担当]

    土屋勝彦

    日本独文学会  2001年

  • Kritische Revisionen. Gender und Mythos im literarischen Diskurs [Wille zur Entschleierung oder Begierde nach Wahrheit - zum Mythos von Isis -を担当]

    Japanische Gesellschaft fuer Germanistik (Hrs

    Muenchen: Iudicium  1998年

  • Literatur und Hermeneutik [Hieroglyphen des Koerpers -zu den Maschinen in Buechners Lenzを担当]

    Japanische Gesellschaft fuer Germanistik (Hrs

    Muenchen: Iudicium  1996年

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講演・口頭発表等

  • BBSを使った集合知への寄与と個人への還元システム

    私立大学情報教育協会 平成23年度 ICT利用による教育改善研究発表会  

    発表年月: 2011年08月

共同研究・競争的資金等の研究課題

  • 《感染》という表象の感染拡大に関する研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2011年04月
    -
    2016年03月
     

    神尾 達之

     概要を見る

    エイズは、①免疫不全を引き起こす点で、ヒトの身体レベルにおける自他の区別を無効にする病であり、かつ、②当初は性行為による感染がクローズアップされた点で、《他者》たちとの《つながり》の病であった。「エイズ」は単なる感染症の名称にとどまらず、《他者》による自己の侵犯をめぐる表象である。本研究はエイズから始まる《感染》の表象が、寄生、共生、インターネット、sns、微生物、絆、ともだち、ゾンビなどのイメージに転移することで、突然変異を繰り返し、変奏されるプロセスを考察する

  • 複合文化学の方法の構築

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2010年04月
    -
    2014年03月
     

    福田 育弘, 神尾 達之

     概要を見る

    全体として複合文化学の方法論の基礎が確立された。福田は、当初の予定通り、フランス、パリ・ソルボンヌ大学地理学科の教授・研究者との連携によって、日仏におけるワインの文化的受容の研究を深め、2013年12月13日14日の日仏シンポジウム「ワインをめぐる人を風景」を開催した。これによってワインの受容が文化的社会的背景をもつことが明らかになった。神尾は、行為としてのコミュニケーションに基礎をおくルーマンの社会理論を、日本のネット社会に応用し、日本の若者に顕著な「つながりたい」欲望の在り方を分析した。この2人の具体的で日常的な文化現象の考察により、複合文化学の在り方やその方法論が明確になった

  • ラーヴァーター以降の観相学に関するメディア論的研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2007年
    -
    2010年
     

    神尾 達之

     概要を見る

    ラーヴァーターは学問の手前に位置していた観相学を学問に格上げしようとした。ラーヴァーターの観相学とその受容史を追うことで、次の二点を確認することができた。(1)学問がその条件として内包している客観的な観察という方法と、観察主体の透明性という前提は、近代の発明である。(2)観察主体が自覚しないままに自己特権化し、それを可能にするテクノロジーが開発されることによって、レヴィナスのいう「他者」の顔は隠蔽され続ける

  • 暴動する反近代としての〈過剰な食〉―規範の逸脱をめぐる複合文化学研究

    科学研究費助成事業(早稲田大学)  科学研究費助成事業(基盤研究(B))

    研究期間:

    2004年
    -
    2007年
     

    福田 育弘, 神尾 達之, 桑野 隆, 後藤 雄介, 高橋 順一, 原 克

     概要を見る

    各人がそれぞれのフィールドにおいて近代の飲食行為を文化現象として考察した。
    福田は、おもにフランスと日本において、共に食べることに価値を見出す<共食の思想>の在り方を、歴史的な社会的背景をふくめ学際的に考察した。とくに、日仏の文学作品における共食の表象を研究し、それぞれの社会で、個人にとっての飲食の意味を重要視する<個食の快楽>が、<共食の思想>にあらがいながら形成されてきたことを明らかにした。ロアルド・ダール『チャーリーとチョコレート工場』(1964)は、2005年にティム・バートン監督によって映画化された。神尾は、子供向けのファンタジーとして読まれているダールの原作から表向きはいわば排除されていたチョコレートのセクシュアルな意味合いは、バートンの映画で回帰する。本研究では、この回帰のプロセスをチョコレートの表象の変化として考察した。桑野は、ロシア・アヴァンギャルドと社会主義リアリズムにおける飲食の表象を比較した結果、後者は豊かな飲食のイメージを捏造しているのに対し、前者では独特の日常生活観や革命観も関連して飲食の表象が乏しいことが改めて確認した。後藤は、ラテンアメリカの「喰人」表象が西欧とラテンアメリカの関係性において、今日のポストコロニアル的なものへと変化していったことを明らかにした。高橋は、わたしたちの社会の変容にとって重要なキー概念としての歓待の概念を研究した。歓待の概念は人類と生活世界(Lebenswelt)についての新たな視点の基礎となるものである。現在、高橋は歓待の哲学的な基礎について考察を行っている。原は、「お袋の味」言説を起点に、大量生産消費文化と家族制度イデオロギーという視点から20世紀米国の食をめぐる表象構造を批判的に分析した。
    以上の研究から、近代における飲食の問題性が学際的に浮き彫りになった。

  • ドイツ文学研究とカルチュラル・スタディーズ

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2002年
    -
    2005年
     

    神尾 達之

     概要を見る

    1.本研究は、ドイツにおける「文化」概念の特殊性を、18世紀啓蒙主義から第一次世界大戦終了直後あたりまでを射程として、時系列にそって整理した上で、「文化」がドイツでは、19世紀から20世紀の世紀転換期をのぞいて、「教養(Bildung)」や「文明(Zivilisation)」と差異化したり協働したりしながら、一貫してイデオロギー化していたことを明らかにした。2.イギリス産のカルチュラル・スタディーズからドイツ産の「文化学」が作り上げられる過程を、20世紀初頭の文化哲学から20世紀末の「文化学」の誕生までを射程として、時系列にそってたどった。その結果、ドイツの「文化学」がカルチュラル・スタディーズから継承したのは、(1)「文化」概念の拡張、(2)大文字の「文化」の相対化、(3)テクスト主義、(4)反本質主義、(5)理論のブリコラージュ、(6)対象の複数性であり、継承しなかったのは、(1)労働者階級の文化的所産の評価、(2)政治性、(3)実践への通路、(4)社会からの規定、(5)テクスト主義批判、(6)主体としての人間という表象であるということがわかった。3.これらをふまえた上で最終的に、ドイツの「文化学」およびメディア論から、日本における外国文学研究が何を学びとることができるかを考察し、日本版の「文化学」を構築するための前提を、以下の六点にまとめた。(1)対象は事後的に構築される。(2)「文化」はテクストとして読むことができる。(3)歴史モデルは脱線条化され空間化される。(4)記憶と記録からハイパーテクストをつくる。(5)メディアが経験をフォーマットする。(6)「文化」とは星座を見いだすことである

 

現在担当している科目

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他学部・他研究科等兼任情報

  • 附属機関・学校   グローバルエデュケーションセンター

学内研究所・附属機関兼任歴

  • 1989年
    -
     

    教育総合研究所   兼任研究員

特定課題制度(学内資金)

  • ピュグマリオン的欲望の研究

    2018年  

     概要を見る

    前年度の研究では、20世紀から21世紀への転換期において、欲望する主体が他者と構築する個別の現実が絶対化され、現実が複数化しているという表象がしだいに強くなっていることを確認した。ピュグマリオン的欲望の充足を可能にするメディアとして映画が重要な役割を果たしていた。この時期、現実と夢/虚構/妄想との二項対立の自明性に疑問符を付けるような映画が登場してきた。映画は内容と形式の両面において、享受主体の個別的な現実と結びつくようになっている。映画の歴史において、観客たちは暗い空間内で席に固定され同時に同じ動画を享受した。映画は20世紀前半にはこの形態によって、人々を共同体へと束ねることができた。しかしながら、テレビやPCでも映画を鑑賞することが可能となり、さらにはタブレットPCやスマートフォンで任意の時間と場所で映画を観ることができるようになると、映画は鑑賞する主体の個別的な現実と直接結びつくようになる。内容の点でも、夢やドラッグやゲームやヴァーチャルリアリティや特定のフィクションをモティーフにした映画は、現実が主体の個別的な表象であるかのように描き出す。

  • ピュグマリオン的欲望の研究

    2017年  

     概要を見る

    ピュグマリオン的欲望の発現形態は五つのフェーズに区分できる(1.脱神話化、2.女性の教育、3.メディア・テクノロジー、4.デジタル・テクノロジー、5.現実の世界へ)。欲望する主体はこれまで、フィクションの中でピュグマリオン的欲望が代行的に充足されるのを目撃していただけだったが、今や主体は自らのピュグマリオン的欲望を直接満たそうとする。虚構(女性像)から現実(生身の女性)への転化を描いたピュグマリオン神話そのものが、神話という虚構から行為という現実に転化している。欲望する主体が他者と構築する個別の現実が絶対化され、メタレベルから見れば、現実が複数の現実になっているという表象がしだいに強くなっている。

  • ピュグマリオン的欲望の研究

    2016年  

     概要を見る

    「ピュグマリオン的欲望」とは、現実の他者との接触を忌避し、想像の中で他者を創造し、その疑似的な他者との間で現実的な関係を結ぼうとする欲望である。ピュグマリオン的欲望はじょじょに脱神話化され、今や種々のテクノロジーによって現実に充足されるようになっている。ラブドールやアダルトビデオといったテクノロジーが直接的にピュグマリオン的欲望を満たすのに対し、たとえば映画のなかでは、ピュグマリオン的欲望が充足されるプロセスが外側からの眼差しで描かれ、ピュグマリオン的欲望に共感する主体が、ピュグマリオン的欲望の実現形態をメタレベルからながめおろすという構図を観察することができる。

  • 18世紀から19世紀への転換期における〈人間〉の発明に関する身体表象論的考察

    2006年  

     概要を見る

     本研究は、ヒトが〈人間〉(フーコー風に言えば〈人間〉という「図柄」)として表象されるに至るプロセスでとられた二つの操作とその結果を明らかにすることを目的としている。全体の問題構成は下記のようになる。0.〈人間〉概念の内部の充実と〈人間〉概念に属さないものの外部への排除の歴史的共在1.〈人間〉概念の内部の充実1.1.〈人間〉の定義の変移1.2.人間機械論の言説化と具象化1.3.〈人間〉によるヒトの創造1.4.鳥瞰的な視線1.5.観相学1.6.Bildung(教養)の概念化と文学化2.〈人間〉概念に属さないものの外部への排除2.1.野生児の出現と消滅2.2.ドッペルゲンガー2.3.不気味な歩行者本研究は本来、四年計画で実行する予定であったが、特定課題研究は単年度の申請となっているので、本年は「1.5.観相学」と「2.3.不気味な歩行者」に考察領域を限定した。この二つの考察領域は、18世紀末、それまでのスタティックな観相学が都市化の波に影響を受けてダイナミックな観相学へと変わっていったこと、および、観察主体自身が特権的な客観性を保持することができなくなり、自らも移動をよぎなくされたこと、この二点で深く関係している。観察主体は世界を鳥瞰的に見下ろす客観性を喪失し、地上において自らも観察されるようになる。19世紀初頭にはやくも〈人間〉という「図柄」の輪郭線があいまいになってくる。

  • ドイツ・ロマン主義における象形文字の言説分析

    1996年  

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     18世紀後半から19世紀前半にかけて、文学作品(アイヒェンドルフ、ティーク、ノヴァーリス、ホフマンら)と理論的著作(Fr.シュレーゲル、シューベルト、ルンゲら)のなかに、象形文字のイメージが頻繁にあらわれるようになる(暗号文字もその一つの変種である)。これは、1790年に生まれたシャンポリオンが、1822年に象形文字の解読に成功し、はやくも1832年に死んだという事実と呼応している。ヘルダーによれば自然は神によって書かれた象形文字のテクストであるが、神をAutor=Autoritatとする言説の解読コードを見つけてしまった者が四十代半ばで死んでしまったということは、同時代の作家や思想家たちにとっては、一旦は手にした、超越論的シニフィエへの解釈学的なアプローチの可能性が決定的に失われてしまったことを示唆した。それでもなお、文学テクストのなかで象形文字がイメージとして散種されつづけたとすれば、それは、アルファベット文字の導入が方向づけた「進歩」への反動であると考えることができる。なぜならばアルファベット文字は、フーコーが言うように、「表象と文字記号との正確な平行関係を破ることで」「文字表記の進歩と思考の進歩を並行させることができる」(これは、コンピュータ言語の発達史を参照すれば、一目瞭然だ)からである。かくして象形文字は、ただ単に自然のコードとして捉えられるのではなく、夢や不気味なるものを表象するようになってゆく。このことが集約的にあらわれたテクストがビューヒナーの『レンツ』である。そこでは象形文字は、アルファベット文字に媒介されない原初的な痕跡を意味している。

  • H.v.クライストの『拾い子』における解釈行為のアレゴリーと自己参照性の構造に関する研究

    1995年  

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    アメリカとドイツでは特にド・マンの論文がきっかけとなって,クライストのテクストの脱構築がインフレーションを起こしている。その一方で,日本におけるクライスト研究は,ポスト構造主義の成果を批判的に摂取することが殆どなかった。前者の方法に歴史的反省という契機が欠けているとすれば,後者は実証主義や作品内在解釈の呪縛から十分に自由になっていない。本研究は作業仮説として暫定的に,テクストの内部(例えば作品内在解釈が対象とするような次元)とテクストの外部(例えば受容理論や精神史や実証主義が対象とするような次元)とを区別した。この前提に立って,H.v.クライストの『拾い子』を分析すると,テクストの内部と外部の両方で解釈行為が問題化していることが判明する。まずテクストの内部では主人公ニコロが,自らの出自と継母エルヴィーレの愛の対象をめぐる出来事や情報を解釈する。ニコロは,偶然に生じたとも思われる個々の事象を,彼の欲望を充足させるように整序し,一つの愛と憎しみの物語を作り上げてしまう。彼の解釈行為は多義的な事象を一義化する。それと同様に,このテクストの外部からテクストの内部を見おろす研究者=観察主体=解釈者たちもまた,『拾い子』というテクストをめぐる多義的な事象(例えば主人公の性格づけや,この小説の成立時期)を一義化し,テクストから一つの物語を作り上げる。その際,彼らはテクストを一定の意味概念(例えば運命や不条理)に還元させようとする。このような読みの象嵌構造は,さらに親鍵・アナグラム・鏡という三つの形象を分析してみると,テクストの外部と内部における自己参照性を示唆していることが明らかになる。端的にいえば,テクスト外部の解釈行為がテクスト内部のそれによって先取りされたわけである。テクストの外部は,ここにはない。『拾い子』のこのような構造は,多少なりともクライストの他のテクストに観察できるが,その限りにおいてクライストのテクスト群は,カフカのテクストやメタ・フィクションに通じるような現代性を示している。このテーゼを補強するために,そして以上の考察が個別的なテクストの単なる脱構築にとどまることを避けるために,本研究はテクスト解釈といういわば共時的な作業に,通時的な作業をクロスさせた。真理と称される超越論的シニフィエを「意味」し,解読を待つテクストは,古来,真理の像の前にかかるヴェールとして表象されてきた。レッシング,モーツァルト,ゲーテ,シラー,カント,ノヴァーリス,ホフマン,ニーチェ,ツェラーンのテクストにおけるこの表象の変奏のプロセスの中に『拾い子』を置くと,クライストのテクストでは,真理の到達不可能性の確信が,解釈行為による真理の簒奪という形をとっていることが判明する。

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