神尾 達之 (カミオ タツユキ)

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所属

教育・総合科学学術院 教育学部

職名

教授

ホームページ

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兼担 【 表示 / 非表示

  • 附属機関・学校   グローバルエデュケーションセンター

  • 教育・総合科学学術院   大学院教育学研究科

学内研究所等 【 表示 / 非表示

  • 1989年
    -
     

    教育総合研究所   兼任研究員

学歴 【 表示 / 非表示

  •  
    -
    1982年

    早稲田大学   文学研究科   ドイツ文学  

  •  
    -
    1982年

    早稲田大学   文学研究科   ドイツ文学  

学位 【 表示 / 非表示

  • (BLANK)

  • 早稲田大学   修士(文学)

経歴 【 表示 / 非表示

  • 2003年
    -
    2005年

    東京大学文学部非常勤講師   Faculty of Letters

  • 1994年
    -
    2004年

    早稲田大学教育学部助教授(2004年,教授)   School of Education

  • 2000年
    -
    2002年

    立教大学文学部非常勤講師   College of Arts

  • 1996年
    -
    1999年

    立教大学文学部非常勤講師   College of Arts

  • 1996年
    -
    1997年

    慶応大学経済学部非常勤講師

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所属学協会 【 表示 / 非表示

  •  
     
     

    日本独文学会(ドイツ語教育部会)

  •  
     
     

    日本ドイツ語情報処理学会

 

研究キーワード 【 表示 / 非表示

  • 独語・独文学

論文 【 表示 / 非表示

  • ドイツ語初学者を対象とした単語リストの構想 ー早稲田大学教育学部におけるドイツ語教育のためにー

    神尾達之

    早稲田大学 教育・総合科学学術院 学術研究(人文科学・社会科学編)   ( 66 ) 243 - 251  2017年03月

  • 変態の変態 ―《ピュグマリオン的欲望》と《現実》の中での《疑似他者》

    神尾達之

    早稲田大学 教育・総合科学学術院 学術研究(人文科学・社会科学編)   ( 66 ) 217 - 242  2017年03月

  • つながりのつながり ―微生物、ともだち、ゾンビ―

    神尾達之

    早稲田大学 教育・総合科学学術院 学術研究(人文科学・社会科学編)   ( 64 ) 241 - 260  2016年03月

  • 象徴界の廃墟へようこそ

    神尾達之

    早稲田大学教育・総合科学学術院 学術研究62号 人文科学・社会科学編   ( 62 ) 253 - 269  2014年03月

  • 顔を見る/顔に見られる:観察主体の自立化と観察対象の脱他者化

    神尾達之

    早稲田大学教育・総合科学学術院 学術研究第60号 人文科学・社会科学編   ( 60 ) 285 - 304  2012年02月

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書籍等出版物 【 表示 / 非表示

  • 西兼志『〈顔〉のメディア論』(法政大学出版局、2017)書評

    神尾達之

    図書新聞 3308号  2017年

  • 科学研究費研究成果報告書:ドイツ文学研究とカルチュラル・スタディーズ

    神尾達之

    2008年03月

  • 纏う 表層の戯れの彼方に [「顔を纏う 死の顔面、顔面の死」を担当]

    神尾達之

    水声社  2007年07月

  • Schriftlichkeit und Bildlichkeit.["Schrift und Bild auf der Haut"を担当]

    Ryozo Maeda, Teruaki Takahashi u.Wilhelm Vosskamp, Hr

    Muenchen: Wilhelm Fink  2007年

  • ヴェール/ファロス −真理への欲望をめぐる物語

    神尾達之

    ブリュッケ  2005年12月

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受賞 【 表示 / 非表示

  • 日本ゲーテ協会会長賞

    1995年  

共同研究・競争的資金等の研究課題 【 表示 / 非表示

  • 《感染》という表象の感染拡大に関する研究

    研究期間:

    2011年04月
    -
    2016年03月
     

     概要を見る

    エイズは、①免疫不全を引き起こす点で、ヒトの身体レベルにおける自他の区別を無効にする病であり、かつ、②当初は性行為による感染がクローズアップされた点で、《他者》たちとの《つながり》の病であった。「エイズ」は単なる感染症の名称にとどまらず、《他者》による自己の侵犯をめぐる表象である。本研究はエイズから始まる《感染》の表象が、寄生、共生、インターネット、sns、微生物、絆、ともだち、ゾンビなどのイメージに転移することで、突然変異を繰り返し、変奏されるプロセスを考察する

  • 複合文化学の方法の構築

    研究期間:

    2010年04月
    -
    2014年03月
     

     概要を見る

    全体として複合文化学の方法論の基礎が確立された。福田は、当初の予定通り、フランス、パリ・ソルボンヌ大学地理学科の教授・研究者との連携によって、日仏におけるワインの文化的受容の研究を深め、2013年12月13日14日の日仏シンポジウム「ワインをめぐる人を風景」を開催した。これによってワインの受容が文化的社会的背景をもつことが明らかになった。神尾は、行為としてのコミュニケーションに基礎をおくルーマンの社会理論を、日本のネット社会に応用し、日本の若者に顕著な「つながりたい」欲望の在り方を分析した。この2人の具体的で日常的な文化現象の考察により、複合文化学の在り方やその方法論が明確になった

  • 暴動する反近代としての〈過剰な食〉―規範の逸脱をめぐる複合文化学研究

    基盤研究(B)

    研究期間:

    2004年
    -
    2007年
     

     概要を見る

    各人がそれぞれのフィールドにおいて近代の飲食行為を文化現象として考察した。
    福田は、おもにフランスと日本において、共に食べることに価値を見出す<共食の思想>の在り方を、歴史的な社会的背景をふくめ学際的に考察した。とくに、日仏の文学作品における共食の表象を研究し、それぞれの社会で、個人にとっての飲食の意味を重要視する<個食の快楽>が、<共食の思想>にあらがいながら形成されてきたことを明らかにした。ロアルド・ダール『チャーリーとチョコレート工場』(1964)は、2005年にティム・バートン監督によって映画化された。神尾は、子供向けのファンタジーとして読まれているダールの原作から表向きはいわば排除されていたチョコレートのセクシュアルな意味合いは、バートンの映画で回帰する。本研究では、この回帰のプロセスをチョコレートの表象の変化として考察した。桑野は、ロシア・アヴァンギャルドと社会主義リアリズムにおける飲食の表象を比較した結果、後者は豊かな飲食のイメージを捏造しているのに対し、前者では独特の日常生活観や革命観も関連して飲食の表象が乏しいことが改めて確認した。後藤は、ラテンアメリカの「喰人」表象が西欧とラテンアメリカの関係性において、今日のポストコロニアル的なものへと変化していったことを明らかにした。高橋は、わたしたちの社会の変容にとって重要なキー概念としての歓待の概念を研究した。歓待の概念は人類と生活世界(Lebenswelt)についての新たな視点の基礎となるものである。現在、高橋は歓待の哲学的な基礎について考察を行っている。原は、「お袋の味」言説を起点に、大量生産消費文化と家族制度イデオロギーという視点から20世紀米国の食をめぐる表象構造を批判的に分析した。
    以上の研究から、近代における飲食の問題性が学際的に浮き彫りになった。

  • ドイツ文学研究とカルチュラル・スタディーズ

     概要を見る

    1.本研究は、ドイツにおける「文化」概念の特殊性を、18世紀啓蒙主義から第一次世界大戦終了直後あたりまでを射程として、時系列にそって整理した上で、「文化」がドイツでは、19世紀から20世紀の世紀転換期をのぞいて、「教養(Bildung)」や「文明(Zivilisation)」と差異化したり協働したりしながら、一貫してイデオロギー化していたことを明らかにした。2.イギリス産のカルチュラル・スタディーズからドイツ産の「文化学」が作り上げられる過程を、20世紀初頭の文化哲学から20世紀末の「文化学」の誕生までを射程として、時系列にそってたどった。その結果、ドイツの「文化学」がカルチュラル・スタディーズから継承したのは、(1)「文化」概念の拡張、(2)大文字の「文化」の相対化、(3)テクスト主義、(4)反本質主義、(5)理論のブリコラージュ、(6)対象の複数性であり、継承しなかったのは、(1)労働者階級の文化的所産の評価、(2)政治性、(3)実践への通路、(4)社会からの規定、(5)テクスト主義批判、(6)主体としての人間という表象であるということがわかった。3.これらをふまえた上で最終的に、ドイツの「文化学」およびメディア論から、日本における外国文学研究が何を学びとることができるかを考察し、日本版の「文化学」を構築するための前提を、以下の六点にまとめた。(1)対象は事後的に構築される。(2)「文化」はテクストとして読むことができる。(3)歴史モデルは脱線条化され空間化される。(4)記憶と記録からハイパーテクストをつくる。(5)メディアが経験をフォーマットする。(6)「文化」とは星座を見いだすことである

  • ラーヴァーター以降の観相学に関するメディア論的研究

     概要を見る

    ラーヴァーターは学問の手前に位置していた観相学を学問に格上げしようとした。ラーヴァーターの観相学とその受容史を追うことで、次の二点を確認することができた。(1)学問がその条件として内包している客観的な観察という方法と、観察主体の透明性という前提は、近代の発明である。(2)観察主体が自覚しないままに自己特権化し、それを可能にするテクノロジーが開発されることによって、レヴィナスのいう「他者」の顔は隠蔽され続ける

講演・口頭発表等 【 表示 / 非表示

  • BBSを使った集合知への寄与と個人への還元システム

    私立大学情報教育協会 平成23年度 ICT利用による教育改善研究発表会  

    発表年月: 2011年08月

特定課題研究 【 表示 / 非表示

  • ピュグマリオン的欲望の研究

    2018年  

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    前年度の研究では、20世紀から21世紀への転換期において、欲望する主体が他者と構築する個別の現実が絶対化され、現実が複数化しているという表象がしだいに強くなっていることを確認した。ピュグマリオン的欲望の充足を可能にするメディアとして映画が重要な役割を果たしていた。この時期、現実と夢/虚構/妄想との二項対立の自明性に疑問符を付けるような映画が登場してきた。映画は内容と形式の両面において、享受主体の個別的な現実と結びつくようになっている。映画の歴史において、観客たちは暗い空間内で席に固定され同時に同じ動画を享受した。映画は20世紀前半にはこの形態によって、人々を共同体へと束ねることができた。しかしながら、テレビやPCでも映画を鑑賞することが可能となり、さらにはタブレットPCやスマートフォンで任意の時間と場所で映画を観ることができるようになると、映画は鑑賞する主体の個別的な現実と直接結びつくようになる。内容の点でも、夢やドラッグやゲームやヴァーチャルリアリティや特定のフィクションをモティーフにした映画は、現実が主体の個別的な表象であるかのように描き出す。

  • ピュグマリオン的欲望の研究

    2017年  

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    ピュグマリオン的欲望の発現形態は五つのフェーズに区分できる(1.脱神話化、2.女性の教育、3.メディア・テクノロジー、4.デジタル・テクノロジー、5.現実の世界へ)。欲望する主体はこれまで、フィクションの中でピュグマリオン的欲望が代行的に充足されるのを目撃していただけだったが、今や主体は自らのピュグマリオン的欲望を直接満たそうとする。虚構(女性像)から現実(生身の女性)への転化を描いたピュグマリオン神話そのものが、神話という虚構から行為という現実に転化している。欲望する主体が他者と構築する個別の現実が絶対化され、メタレベルから見れば、現実が複数の現実になっているという表象がしだいに強くなっている。

  • ピュグマリオン的欲望の研究

    2016年  

     概要を見る

    「ピュグマリオン的欲望」とは、現実の他者との接触を忌避し、想像の中で他者を創造し、その疑似的な他者との間で現実的な関係を結ぼうとする欲望である。ピュグマリオン的欲望はじょじょに脱神話化され、今や種々のテクノロジーによって現実に充足されるようになっている。ラブドールやアダルトビデオといったテクノロジーが直接的にピュグマリオン的欲望を満たすのに対し、たとえば映画のなかでは、ピュグマリオン的欲望が充足されるプロセスが外側からの眼差しで描かれ、ピュグマリオン的欲望に共感する主体が、ピュグマリオン的欲望の実現形態をメタレベルからながめおろすという構図を観察することができる。

  • 18世紀から19世紀への転換期における〈人間〉の発明に関する身体表象論的考察

    2006年  

     概要を見る

     本研究は、ヒトが〈人間〉(フーコー風に言えば〈人間〉という「図柄」)として表象されるに至るプロセスでとられた二つの操作とその結果を明らかにすることを目的としている。全体の問題構成は下記のようになる。0.〈人間〉概念の内部の充実と〈人間〉概念に属さないものの外部への排除の歴史的共在1.〈人間〉概念の内部の充実1.1.〈人間〉の定義の変移1.2.人間機械論の言説化と具象化1.3.〈人間〉によるヒトの創造1.4.鳥瞰的な視線1.5.観相学1.6.Bildung(教養)の概念化と文学化2.〈人間〉概念に属さないものの外部への排除2.1.野生児の出現と消滅2.2.ドッペルゲンガー2.3.不気味な歩行者本研究は本来、四年計画で実行する予定であったが、特定課題研究は単年度の申請となっているので、本年は「1.5.観相学」と「2.3.不気味な歩行者」に考察領域を限定した。この二つの考察領域は、18世紀末、それまでのスタティックな観相学が都市化の波に影響を受けてダイナミックな観相学へと変わっていったこと、および、観察主体自身が特権的な客観性を保持することができなくなり、自らも移動をよぎなくされたこと、この二点で深く関係している。観察主体は世界を鳥瞰的に見下ろす客観性を喪失し、地上において自らも観察されるようになる。19世紀初頭にはやくも〈人間〉という「図柄」の輪郭線があいまいになってくる。

  • ドイツ・ロマン主義における象形文字の言説分析

    1996年  

     概要を見る

     18世紀後半から19世紀前半にかけて、文学作品(アイヒェンドルフ、ティーク、ノヴァーリス、ホフマンら)と理論的著作(Fr.シュレーゲル、シューベルト、ルンゲら)のなかに、象形文字のイメージが頻繁にあらわれるようになる(暗号文字もその一つの変種である)。これは、1790年に生まれたシャンポリオンが、1822年に象形文字の解読に成功し、はやくも1832年に死んだという事実と呼応している。ヘルダーによれば自然は神によって書かれた象形文字のテクストであるが、神をAutor=Autoritatとする言説の解読コードを見つけてしまった者が四十代半ばで死んでしまったということは、同時代の作家や思想家たちにとっては、一旦は手にした、超越論的シニフィエへの解釈学的なアプローチの可能性が決定的に失われてしまったことを示唆した。それでもなお、文学テクストのなかで象形文字がイメージとして散種されつづけたとすれば、それは、アルファベット文字の導入が方向づけた「進歩」への反動であると考えることができる。なぜならばアルファベット文字は、フーコーが言うように、「表象と文字記号との正確な平行関係を破ることで」「文字表記の進歩と思考の進歩を並行させることができる」(これは、コンピュータ言語の発達史を参照すれば、一目瞭然だ)からである。かくして象形文字は、ただ単に自然のコードとして捉えられるのではなく、夢や不気味なるものを表象するようになってゆく。このことが集約的にあらわれたテクストがビューヒナーの『レンツ』である。そこでは象形文字は、アルファベット文字に媒介されない原初的な痕跡を意味している。

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現在担当している科目 【 表示 / 非表示

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