2024/12/21 更新

写真a

タカハシ トシオ
高橋 敏夫
所属
文学学術院
職名
名誉教授
学位
修士
ホームページ

学歴

  •  
     
     

    早稲田大学大学院   文学研究科   日本文学  

  •  
     
     

    早稲田大学   第一文学部   日本文学科  

所属学協会

  •  
     
     

    日本文学協会

  •  
     
     

    早稲田大学国文学会

  •  
     
     

    日本社会文学会

研究分野

  • 日本文学

研究キーワード

  • 国文学、日本近代文学・現代文学、文化研究

受賞

  • 尾崎秀樹記念・大衆文学研究賞(研究・評論部門)

    2002年12月  

 

論文

  • 松本清張、1980年代の日本に抗う―「海外もの」長篇小説の意義

    高橋敏夫

    松本清張研究第20号   ( 20 ) 19 - 20  2019年03月  [招待有り]

  • 取返しのつかぬことにこそ「橋」を架ける―山本周五郎『柳橋物語』の「戦争」

    高橋敏夫

    文藝別冊『山本周五郎』     52 - 57  2018年04月  [招待有り]

  • 藤沢周平没後20年・生誕90年 生きつづける作家

    高橋敏夫

    山形新聞    2017年12月  [招待有り]

  • 藤沢周平没後20年・生誕90年 時代小説ブームを先導

    高橋敏夫

    山形新聞    2017年12月  [招待有り]

  • 藤沢周平没後20年・生誕90年 しっくりしない思いに

    高橋敏夫

    山形新聞    2017年12月  [招待有り]

  • 西郷と大久保と久光

    高橋敏夫

    朝日文庫版・海音寺潮五郎『西郷と大久保と久光』解説     260 - 266  2017年12月  [招待有り]

  • 優しき「なかま」たち、十一人の饗宴

    高橋敏夫

    集英社文庫版・柴田錬三郎『真田十勇士(三)』解説     348 - 355  2016年08月  [招待有り]

  • ふたつの『蟬しぐれ』―本文の異同から創作意図を考える

    高橋敏夫

    国文学研究   ( 177 ) 98 - 109  2015年10月  [査読有り]

  • 時代小説作家の戦争

    高橋敏夫

    グラフィケーション   ( 200 ) 32 - 33  2015年07月  [招待有り]

  • 「変化」は点から線へ、そして面へ―飯嶋和一『狗賓童子の島』をめぐって

    高橋敏夫

    グラフィケーション   ( 198 ) 32 - 33  2015年05月  [招待有り]

  • 屈辱の歴史、ほとばしる怒り―安部龍太郎『冬を待つ城』をめぐって

    高橋敏夫

    グラフィケーション   ( 197号 ) 32 - 33  2015年03月

  • 少しずつ、グローバルな霧と闇へ/から ―『霧の会議』という企て

    高橋敏夫

    松本清張研究   ( 16 ) 90 - 101  2015年03月  [招待有り]

    CiNii

  • 日々のたたかいは次つぎに引き継がれる―帚木蓬生『天に星 地に花』をめぐって

    高橋敏夫

    グラフィケーション   ( 196 ) 32 - 33  2015年01月  [招待有り]

  • 貧困が回帰しはじめたー諸田玲子『王朝小遊記』をめぐって

    高橋敏夫

    グラフィケーション   ( 194 ) 32 - 33  2014年09月  [招待有り]

  • 『虹の岬の喫茶店』解説

    高橋敏夫

    森沢明夫『虹の岬の喫茶店』(幻冬舎文庫)     363 - 371  2013年11月

  • ともにたたかう「なかま」が共和国

    高橋敏夫

    佐々木譲『婢伝五稜郭』解説(朝日文庫)     382 - 389  2013年10月

  • この男、烈風のごとく駈ける

    高橋敏夫

    火坂雅志『業政駈ける』解説(角川文庫)     343 - 348  2013年10月

  • 伝奇ものと市井ものが交叉し、驚愕の世界にとどく

    高橋敏夫

    夢枕獏『天海の秘宝』解説(朝日文庫)     358 - 364  2013年06月

  • ゴジラ、フクシマ、新巨神兵——抹殺でも隠蔽でもなく人間変更の物語へ

    高橋敏夫

    図書新聞   3092  2013年01月

  • 『いかずち切り』解説

    高橋敏夫

    山本一力『いかずち切り』(文春文庫版)     542 - 547  2012年08月

  • 3・11以後のホラー国家

    高橋敏夫

    社会文学   36   69 - 78  2012年08月

  • 「オキナワ、終わらぬ戦争」をめぐって

    高橋敏夫

    沖縄タイムス    2012年06月

  • 戦争はつづき、抗いと闘いはつづく

    高橋敏夫

    『コレクション 戦争×文学 第20巻 オキナワ 終わらぬ戦争』解説(集英社)     688 - 704  2012年05月

  • 躍り出よ、戦争文学の怪物たち

    高橋敏夫

    青春と読書(集英社)     64 - 65  2012年05月

  • 海坂、または逆境のユートピア 藤沢周平の舞台

    高橋敏夫

    歴史読本(新人物往来社)     238 - 243  2012年03月

  • 今や「戦争のできる社会」 開戦70周年に思う

    高橋敏夫

    時事通信配信 京都新聞・河北新報・琉球新報他掲載    2011年12月

  • 雄弁から遠く沈黙に近い死者たちの招く

    高橋敏夫

    『コレクション 戦争×文学 第13巻 9・11 死者たちの語り』解説(集英社)     687 - 704  2011年11月

  • 戦争状態に抗う尖鋭なる文学の広場

    高橋敏夫

    『コレクション 戦争×文学 第4巻 9・11 変容する戦争』解説(集英社)   4   682 - 694  2011年08月

  • 「死」を言祝がぬ人々の方へ——藤沢周平、山本周五郎、井上ひさし、それぞれの戦争から

    高橋敏夫

    「道の手帖 作家と戦争特集」(河出書房新社)     31 - 37  2011年06月

  • 「日本人」を永く深くとらえる薄暗い領域へ—『ムサシ』、報復の鎖を断つ反暴力の物語

    高橋敏夫

    国文学 解釈と鑑賞   76 ( 2 ) 105 - 110  2011年02月

  • 時代小説の常識を破り「百姓たちの魂の叫び」をえがく 箒木蓬生『水神』と江馬修『山の民』のあいだ

    高橋敏夫

    グラフィケーション(富士ゼロックス)    2009年11月

  • 歴史・時代小説入門講座(全5回) 時代小説ブームとはなにか 〜 股旅小説の反時代性

    高橋敏夫

    日本経済新聞夕刊    2009年10月

  • 「生きるために常に謀叛しなければならぬ」 辻原登『許されざる者』ほかにふれながら

    高橋敏夫

    グラフィケーション(富士ゼロックス)    2009年09月

  • 恨みの鎖のひとつを愉しく確実に断つ試み 井上ひさし『ムサシ』をめぐって

    高橋敏夫

    グラフィケーション(富士ゼロックス)    2009年07月

  • わたしの好きな時代小説十撰

    高橋敏夫

    国文学    2009年05月

  • 「下剋上は一度きりのものではござりますまい」 半村良『歴史破壊小説 裏太平記』をめぐって

    高橋敏夫

    グラフィケーション(富士ゼロックス)    2009年05月

  • 「一緒になれば、ああに、やってやれねえことはねえて!」 三好十郎「斬られの仙太」をめぐって

    高橋敏夫

    グラフィケーション(富士ゼロックス)    2009年03月

  • 苦しみの共感から「仲間」の発見へ 山本周五郎の達成

    高橋敏夫

    グラフィケーション(富士ゼロックス)    2008年11月

  • 「これしかない」世界を変更するファンタジー

    高橋敏夫

    グラフィケーション(富士ゼロックス)    2008年08月

  • 「私の革命」(マヤコフスキイ)のゆくえ—伊東一郎他編『文化の透視法』にふれて

    高橋敏夫

    図書新聞    2008年07月

  • 生きられた絶望から、生きられる希望へ 『蟹工船』と『自動車絶望工場』

    高橋敏夫

    週刊金曜日    2008年07月

  • 藤沢周平の誕生 最初期作品にみる

    高橋敏夫

    小説トリッパー(朝日新聞社)    2008年06月

  • 「ホラー的なものの」は偏在から遍在へ—『時代小説に会う!』にふれて(インタビュー)

    高橋敏夫

    図書新聞    2008年03月

  • 世界文学としての「アジア」文学 村上春樹と梁石日

    高橋敏夫

    Asia    2007年09月

  • 格差の自己表象—現代演劇の二つの試みから

    高橋敏夫

    日本学術振興会「人文・社会科学振興プロジェクト」報告書『自己表象の生成と変容』    2007年03月

  • 解説 ふつうを輝かす達人 (豊島ミホ『檸檬のころ』)

    高橋敏夫

    幻冬舎文庫    2007年02月

  • ラジカル・ブックレビュー

    高橋敏夫

    月刊誌「MONEY」 角川SSブックコミュニケーションズ   毎月連載  2007年01月

  • 他者の苦しみ悲しみを感受する力

    高橋敏夫

    東海教育研究社 雑誌『望星』   37 ( 11 ) 27 - 33  2006年11月

  • 解説(梁石日『夢の回廊』)

    高橋敏夫

    幻冬舎文庫    2006年10月

  • いまこそ在日朝鮮人文学からうけとるべきもの

    高橋敏夫

    『韓流 サブカルチュアと女性』(至文堂)    2006年09月

  • 新たな戦争、新たな格差社会の『破戒』へ——『破戒』と『破戒』をめぐる論議を今、読みなおす意義

    高橋敏夫

    部落解放   ( 566 ) 8 - 16  2006年05月

  • やんちゃな創造的錯乱者—梁石日について

    高橋敏夫

    勉誠出版『在日文学全集』第七巻解説    2006年05月

  • 戦争の自己表象—映画と演劇にみる「戦争」の現在

    高橋敏夫

    日本学術振興会「人文・社会科学振興プロジェクト研究」報告書『自己表象の生成と変容』    2006年04月

  • 消えた「なかま」のゆくえ——松本清張『無宿人別帳』をめぐって

    高橋敏夫

    松本清張研究   ( 7 ) 72 - 83  2006年04月

  • 師匠をみいだしたら、もはや師匠殺しは免れない—正岡容『小説 円朝』論

    高橋敏夫

    グラフィケーション(フジゼロックス)    2006年01月

  • 解説(安部龍太郎『生きて候』)

    高橋敏夫

    集英社文庫    2006年01月

  • 戦争に抗う明るく残酷なファンタジー

    高橋敏夫

    週刊金曜日   ( 578 )  2005年12月

  • 活言剣皆伝 連載

    高橋敏夫

    サンデー毎日(毎日新聞社)    2005年08月

  • 「共感」と「共有」をめぐるノンフィクション——稲泉連『ぼくもいくさに征くのだけれど』を中心に

    高橋敏夫

    社会文学(不二出版)     48 - 57  2005年06月

  • 帝国の周縁

    高橋敏夫, 川村湊, 浦田義和と

    社会文学(不二出版)     2 - 18  2005年05月

  • 演劇評(観客席) 連載

    高橋敏夫

    週刊金曜日(株式会社金曜日)    2005年04月

  • 藤沢周平と山本周五郎 時代小説大論議

    高橋敏夫, 信と

    毎日新聞社    2004年12月

  • 演劇時評

    高橋敏夫, 睦と

    悲劇喜劇(早川書房)     85 - 130  2004年05月

  • 武田泰淳『富士』——めらめらと燃えあがる富士の裾野に

    国文学(学燈社)   第49巻2号  2004年01月

  • 連載・時代小説のなかの「現代」 第一回「リストラ」(以後毎月テーマを変えて連載)

    グラフィケーション(フジゼロックス)    2003年12月

  • この時代の「戦争」に抗う文学——スーザン・ソンタグの発言、そしてエドワード・A・サイードの死にふれつつ

    新日本文学    2003年11月

  • 周五郎流 激情が人を変える

    NHK出版・生活人新書    2003年11月

  • 方言小説—遠さが近さをもたらす時代のリアルとして

    国文学   第48巻第12号  2003年10月

  • オキナワの戦争、ヤマトの戦争—目取真俊と奥泉光の作品を中心に

    日本社会文学会・沖縄大会    2003年09月

  • 失われた十年を嘲笑う——沖縄文学とホラー小説と時代小説の豊穣をめぐって

    図書新聞   2633号  2003年06月

  • メディアの転換期において「新聞」を問い直す—『大衆新聞がつくる明治の日本』をめぐって

    「論座」(朝日新聞社)    2003年04月

  • 「読書日録」連載第一回目

    「すばる」集英社    2003年04月

  • 『沖縄文学選』

    勉誠出版    2003年04月

  • ホラー的なもののゆくえ—小野不由美と宮部みゆき

    「新日本文学」(新日本文学会)    2003年03月

  • 怪物/怪獣(幻想文学研究のキイワード)

    「幻想文学」   66号  2003年03月

  • 「鱧の皮」における権力的なもの—巡査と姓名判断と女主人の「街」で

    「国文学研究」   139号  2003年03月

  • 追想された「苦痛と哀しみ」の共同体—柳田国男「清光館哀史」とその改稿をめぐって

    『新しい作品論へ、新しい教材論へ』評論編第1巻(右文書院)    2003年03月

  • 「人」との再会

    「すばる」(集英社)    2003年02月

  • 読むことの戦争

    田中実編『『読むことの倫理』をめぐって—文学・教育・思想の新たな地平』(右文書院)    2003年02月

  • 「怪異」の鳴き声が聞こえる—『東郷隆 時代奇譚小説集』をめぐって 時代小説クロニクル第三回

    「図書新聞」(図書新聞社)    2003年02月

  • 世界を自壊させる「悪」の暗い輝き—富樫倫太郎・京極夏彦・半村良の作品にふれて 時代小説クロニクル第二回

    「図書新聞」(図書新聞社)    2002年12月

  • 第15回・尾崎秀樹記念大衆文学研究賞(伝記・評論部門)『藤沢周平——負を生きる物語』(集英社新書)

    大衆文学研究会(会長・石川弘義 選考委員・伊藤圭一 早乙女貢他)    2002年12月

  • 時代小説50選

    「国文学」(学燈社)    2002年11月

  • 「感動』と「人間」をめぐる争いの場としての時代小説—時代小説クロニクル第一回

    「図書新聞」(図書新聞社)    2002年10月

  • 「失われた10年」を「豊饒の10年」にかえて—東雅夫『ホラー小説時評』をめぐって

    「論座」(朝日新聞社)    2002年09月

  • 坂東眞砂子の作品世界—社会的惨劇の、いくつもの痕跡から

    図書新聞(図書新聞社)    2002年06月

  • 読者に分裂、選択、飛躍を迫る物語—目取真俊「魂込め」冒頭のラジオ体操の記述をめぐって・オキナワ文学ノート①

    『文学年誌』(文学年誌の会)    2002年06月

  • 透明な驚きの主宰者—1968年の稲垣足穂

    「季刊BOOKISH」    2002年04月

  • 小さな、弱い「異物」であることの確信から—稲泉連『僕らが働く理由、働かない理由、働けない理由』をめぐって

    「論座」(朝日新聞社)   2002年4月号  2002年03月

  • 藤沢周平がくれた、これでしばらく生きていける(自著紹介)

    「青春と読書」(集英社)    2002年02月

  • すでに戦争ははじまっていた—いま、ぜひ書きとめておきたい二三のこと

    社会文学    2002年01月

  • 問題の現在性と未来性—『小田切秀雄研究』をめぐって

    図書新聞(図書新聞社)    2002年01月

  • 藤沢周平—負を生きる物語

    集英社新書    2002年01月

  • ホラーと戦争のあいだに—岩井志麻子『夜啼きの森』をめぐって

    「論座」(朝日新聞社)    2001年12月

  • ゴジラと高度成長期—『ゴジラが来る夜』と時代

    「国文学」(学燈社)   46.13  2001年11月

  • オキナワではホラーも溶けていくのか—目取真俊『群蝶の木』をめぐって

    「論座」(朝日新聞社)    2001年07月

  • ホラーへの親和性—『模倣犯』『バトル・ロワイアル』『群蝶の木』をめぐって

    「情況」(情況出版社)    2001年07月

  • 突発的暴力からたちあらわれる「怪物」

    「国文学7月臨時増刊号 村上龍特集」(学燈社)    2001年07月

  • いま、わたしたちは、黒島伝治を必要としている—シベリア戦争をめぐる小説からの呼びかけに応答する

    『定本 黒島伝治全集 第一巻』(勉誠出版)    2001年07月

  • 『理由なき殺人の物語—「大菩薩峠」をめぐって』について

    「書標」(ジュンク堂)    2001年06月

  • 社会というテクスト—ミステリーがホラーに変わる社会環境について

    社会文学会2001年春季大会メイン企画    2001年06月

  • 学生運動と文学—若者たちはどこにいたのか

    「週刊朝日百科 世界の文学97」    2001年06月

  • いつかどこかで、こんな文句きいたやうだ—宮沢賢治「オツベルと象」論への序

    『文学の力×教材の力 1 』(教育出版)    2001年06月

  • 内破に出口はない—『バトル・ロワイアル』とホラー的なものをめぐって

    千年紀文学(千年紀文学の会)    2001年05月

  • 理由なき殺人の物語—『大菩薩峠』をめぐって

    廣済堂ライブラリー    2001年05月

  • 松本清張は「最高のホラー作家」か?—「解決不可能性」の時代がもたらしたもの

    『松本清張研究』(北九州市立松本清張記念館)    2001年03月

  • 突発的な暴力にふりそそぐ透明で残酷な感傷

    『スミス海感傷』(藤沢周 集英社文庫)    2001年03月

  • 「拾う」ことに魅せられた人々へ—反「捨てる」実践者たちの、暗い、きれぎれの輝き

    「情況」(情況出版社)    2001年02月

  • 奇矯さを生き抜いた明治の悪童—『「日本で初めてカーブを投げた男』をめぐって

    「サンデー毎日」(毎日新聞社)    2001年01月

  • みな踊る希望と、後ずさる怪物とのあいだに—2000年の文学的表象をめぐって

    「情況」(情況出版社)    2000年10月

  • 現代の「天涯」で

    『天涯の花』(宮尾登美子 集英社文庫)    2000年09月

  • 未知の生への血みどろの想像力(スプラッタ・イマジネーション)—1995年以後のホラーブームをめぐって

    「キネマ旬報」(キネマ旬報社)    2000年02月

  • 希望としての「庶民」—井上ひさし・昭和庶民伝三部作をめぐって

    「国文学解釈と鑑賞」別冊(至文堂)    1999年12月

  • 1990年代以後の音楽・声に—井上ひさし・池澤夏樹・目取真俊に触れながら

    国文学(学燈社)   44.13  1999年11月

  • ゴジラが来る夜に—「思考をせまる怪獣」の現代史

    集英社文庫    1999年11月

  • 「はじまり」へとむかう追憶の旅

    『冬の旅 下』(高橋治 集英社文庫)    1999年10月

  • 戦争の音から、音の戦争へ—池澤夏樹「倉庫のコンサート」をめぐって

    『新しい作品論へ、新しい教材論へ—文学研究と国語教育の交差』(右文書院)    1999年07月

  • 低い呟き声が聞こえてくる

    『浅草弾左衛門第四巻』(塩見鮮一郎 小学館文庫)    1999年05月

  • エイズをめぐる物語・国家・性

    国文学(学燈社)   44.1  1999年01月

  • もっとも不幸で特権的な存在、「主婦』の現在に行き着く物語=『OUT』を再読する

    論座(朝日新聞社)    1998年09月

  • ゴジラの謎—怪獣神話と日本人

    講談社    1998年08月

  • 危機の時代と文学—突発的暴力派の文学があらわすもの

    社会文学会1998年企画    1998年06月

  • それは危機からはじまった—『新世紀エヴァンゲリオン』『アンダーグラウンド』(村上春樹)『失楽園』にみる

    論創社    1998年01月

  • 事件と出来事を読む10冊の本

    「RONZA」(朝日新聞社)    1997年09月

  • 荒涼としたなつかしさ—藤沢周平の闇と微光

    「すばる」(集英社)    1997年08月

  • 鳥瞰する国民—司馬遼太郎批判

    「月刊フォーラム」    1997年07月

  • 絶滅以後—閉じられていくステージで

    論創社    1997年05月

  • 広津柳浪の怪物—『変目伝』における身体・戦争・衛生・下層

    国文学研究   第120集  1996年10月

  • 「大菩薩峠」と物語の身体

    早稲田文学/早稲田文学会   239  1996年03月

  • 島田雅彦「忘れられた帝国」

    図書新聞/図書新聞社    1995年12月

  • ビールと絶滅−「戦争」と「戦後」の再発見

    文学の五〇年/社会評論社    1995年12月

  • 「他者」としての状況−柄谷行人と現代批評

    国文学 解釈と鑑賞.別冊/至文堂    1995年12月

  • モノの零度へ−文学と「モノ」の五〇年

    SOLAR CAT/OM研究所   22  1995年10月

  • 大城立裕「かがやける荒野」他11本

    すばる/集英社    1995年04月

  • 嫌悪のレッスン−文学・ロック・身振り・ミステリー

    三一書房    1994年06月

  • 『文学のミクロポリテイクス—昭和・ポストモダン・闘争』

    れんが書房新社    1990年06月

  • 『文化としてのエイズ』

    亜紀書房    1987年12月

  • 『多様性の秩序—批評の現在』

    亜紀書房    1985年11月

▼全件表示

書籍等出版物

  • 抗う―時代小説と今ここにある「戦争」

    高橋敏夫

    駒草出版  2019年03月 ISBN: 9784909646187

  • 松本清張 「隠蔽と暴露」の作家

    高橋敏夫

    集英社新書  2018年01月

  • 文豪の素顔

    監修者

    エクスナレッジ  2015年07月

  • 高橋敏夫批評選集 戦争・ホラー・闘争

    高橋敏夫

    韓国クルヌルリム社  2014年10月 ISBN: 9788963272726

  • 文豪の風景

    監修者

    エクスナレッジ  2014年02月

  • 時代小説はゆく! 「なかま」の再発見

    高橋敏夫

    原書房  2013年12月

  • 文豪の家

    監修者

    エクスナレッジ  2013年04月

  • 『ホラー王国日本 壊れゆく社会と人へのスプラッタ・イマジネーション

    高橋敏夫

    韓国図書出版b  2012年05月

  • 藤沢周平と山本周五郎

    高橋敏夫, 佐高信

    光文社(知恵の森文庫)  2012年01月

  • 時代小説が来る! 広く、深く、にぎやかに

    高橋敏夫

    原書房  2010年11月

  • 井上ひさし 希望としての笑い

    高橋敏夫

    角川SSC新書  2010年09月

  • 高橋敏夫書評集 「いまとここ」が現出する

    高橋敏夫

    勉誠出版  2009年06月

  • 藤沢周平の言葉

    高橋敏夫

    角川SSC新書  2009年05月

  • 藤沢周平 生きる愉しみ

    高橋敏夫

    三笠書房知的生きかた文庫  2009年01月

  • 藤沢周平と江戸を歩く

    高橋敏夫

    光文社  2008年05月

  • 時代小説に会う! その愉しみ、その怖さ、そのきらめきへ

    高橋敏夫

    原書房  2007年12月

  • ホラー小説でめぐる「現代文学論」

    高橋敏夫

    宝島社新書  2007年10月

  • 藤沢周平という生き方(新書) 229ページ

    高橋敏夫

    PHP新書(PHP研究所)  2007年01月

  • この小説の輝き!(文庫) 255ページ

    高橋敏夫

    中経出版・中経の文庫  2006年11月

  • 藤沢周平と山本周五郎 時代小説大論議

    高橋敏夫, 信

    毎日新聞社  2004年12月

  • 人生のことは、小説が教えてくれた

    高橋敏夫

    中経出版  2004年07月

  • 周五郎流

    高橋敏夫

    NHK出版・生活人新書  2003年11月

  • 沖縄文学選

    高橋敏夫, 岡本恵徳

    勉誠出版  2003年04月

  • 藤沢周平 負を生きる物語

    高橋敏夫

    集英社新書  2002年01月

  • 理由なき殺人の物語—『大菩薩峠』をめぐって

    高橋敏夫

    廣済堂ライブラリー  2001年05月

  • ゴジラが来る夜に—「思考をせまる怪獣」の現代史

    高橋敏夫

    集英社文庫  1999年11月

  • それは危機からはじまった—『新世紀エヴァンゲリオン』『アンダーグラウンド』『失楽園』

    高橋敏夫

    論創社  1998年01月

  • 絶滅以後—閉じられていくステージで

    高橋敏夫

    論創社  1997年05月

  • 嫌悪のレッスン—文学・ロック・身振り・ミステリー

    高橋敏夫

    三一書房  1994年06月

  • 文学のミクロポリティクス—昭和・ポストモダン・闘争

    高橋敏夫

    れんが書房新社  1990年06月

  • 文化としてのエイズ

    高橋敏夫, 博

    亜紀書房  1987年12月

  • 多様性の秩序—批評の現在

    高橋敏夫

    亜紀書房  1985年11月

▼全件表示

講演・口頭発表等

  • 戦後日本文化とゴジラ

    高橋敏夫  [招待有り]

    高橋敏夫教授講演会   山東師範大学  

    発表年月: 2017年03月

  • 黒島伝治『武装せる市街』について

    高橋敏夫  [招待有り]

    中国山東省と近代日本文学   山東師範大学  

    発表年月: 2017年03月

  • 井上ひさしと『シャンハイ・ムーン』

    高橋敏夫  [招待有り]

    国際学術シンポジウム「文学・思想・日中関係」   (中国北京市)  日本学術会議+中国社会科学学術院共同主催  

    発表年月: 2016年07月

共同研究・競争的資金等の研究課題

  • 「歴史・時代小説ブーム」の戦後精神史(二大作家の比較研究による)

    研究期間:

    2013年04月
    -
    2018年03月
     

     概要を見る

    本研究は1960年代から現在にいたる計4回の「歴史・時代小説ブーム」の内容と意義をそれぞれのブームを中心で担った二人の作家の比較研究を通して明らかにした試みである。4回のブームとは、司馬遼太郎と吉村昭の「歴史小説」ブーム、池波正太郎と隆慶一郎の「悪党小説」ブーム、笹沢佐保と諸田玲子の「股旅小説」ブーム、山本周五郎と藤沢周平の「市井小説」ブームである。最も長いブームは1990年代初めから現在までほぼ25年間続く「市井小説」ブームである。庶民の日常を細やかに描く市井小説は、作者の側からみれば戦争への抵抗から始っており、読者の側からみれば「日常生活」崩壊への抵抗に拠っているのを本研究で明らかにした。現代文学において現代小説は研究、批評の対象になっているのに対し、歴史・時代小説は書評の対象になっても研究、批評の対象にはなっていない。ここには純文学優位、大衆文学劣位という序列が顕在化している。しかし純文学の何十倍もの読者がいる歴史・時代小説を無視すれば、現代文学の大きな領域が見えなくなる。本研究は1960年代から現在までの歴史・時代小説の4つのブームの内容と意義を、ブームを中心で担った二人の作家の比較研究を通して明らかにした。中でも最も長い「市井小説」ブームについて、作者と戦争との関わり、読者と日常生活との関わりの両面からアプローチできたのは歴史・時代小説の意義を考えるうえで重要だろう

  • 近代における「貧困」「悲惨」および「怪物」表現のメディア論的研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2002年
    -
    2005年
     

    高橋 敏夫

     概要を見る

    本研究は、日本近代・現代の「怪物」表象の特色・意義についての研究である。「怪物」とはなにか。「怪物」とは、怪物を嫌悪し恐怖する秩序によってうみだされる。「醜悪」「恐怖」「不快」「汚れ」「グロテスク」といった怪物の印象は、怪物がもたらすものだとしても、つねに「誰かにとって」の印象だということである。さまざまな秩序を統合する社会体制は、独特な認知の体系、価値体系、経済体系、政治体系、時間と空間の体系、身体体系等から成り立っており、それらの諸体系の複雑な組み合わせによって、「正体のわからない」「あやしい」「異なるもの」とされたとき、はじめて異能を有する怪物が誕生する。したがって、怪物表象の研究は、怪物が出現する体制秩序の認知から身体にいたる体系を明らかにするだろう。怪物表象の出現する場である文学・映画などは、そのときどきの体制秩序の体系をうっしだすとともに、他方でそうした体系を変形する装置でもある。いいかえれば、怪物を生み出す体系をあらわにすると同時に、怪物を生み出す体系を変更していく方向を示すものにもなっている。この両者を怪物表象をつうじて考えることを、わたしの怪物研究の目的としたい。本研究があつかう時代および対象は、文学における「怪物」表象が「貧困」や「悲惨」などの表象とともにあらわれた1895(明治28)前後にはじまり、それから100年の後、ホラー小説が大量に出現し、そのなかに「怪物」「悲惨」「残酷」などの表象があふれだす1995年前後までである

  • 二十世紀における日本文学・文化とメディアの相互連関を対象とする総合的研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2000年
    -
    2001年
     

    宗像 和重, 金井 景子, 高橋 世織, 高橋 敏夫, 十重田 裕一

     概要を見る

    本研究は、二十世紀の日本の文学・文化とメディアの問題を、多角的・総合的に検証することを目標とし、二年間にわたる共同研究として企画された。その結果、(1)近代の文学は、これまで、書物や雑誌・新聞といった活版印刷によって流通し、読まれることを前提としてきたが、たとえば雑誌の販売部数や売り上げ高、新聞の配達経路など、その実態をより具体的に検証することの重要性が明らかになったこと、(2)その活版印刷が必ずしも普遍的なものではなく、過渡的なメディアの一形態であり、今日のいわゆる文学の衰退が、活字媒体の衰退と通底していることが確認できたこと、(3)一方、映像表現や朗読など、視覚や聴覚に関わって、活字媒体では切り捨てられてきた言葉の身体性に目を向けることの必要性が認識されたこと、(4)いわゆる大衆文学や怪獣映画など、従来は傍流とされていた分野に、現代の文化現象を把握するためのきわめて大きな手がかりが見いだされたこと、(5)メディアの問題を検証するためにも、研究者自身の差別やジェンダーに関わる意識が問われなければならないことが自覚されたこと、--などがこのたびの大きな収穫であったと考える。しかし、いうまでもなく、このテーマはきわめて大きく、限られた期間の研究で全てを尽くせるものではない。また当初は、大別して初年度を個別研究、二年目を共同研究という位置づけであったが、テーマの大きさと重要性に鑑みて(それはわれわれのよって立つ研究基盤そのものを問うことであるから)、中途半端な「結論」を導き出すよりも、それぞれの研究テーマをさらに深めることが重要である、という認識で一致し、結果としては今年度も、それぞれの分野で個別の研究を深めることになった点をおことわりしたい

 

特定課題制度(学内資金)

  • 「歴史・時代小説ブーム」の戦後精神史(二大作家の比較研究による)

    2019年  

     概要を見る

    本研究は、 日本近代における「歴史小説・時代小説」の生成と展開の研究により、従来の「歴史小説・時代小説」観を、その内部の諸問題(1913年誕生問題、「刀狩り」以来のチャンバラ願望説、歴史小説・時代小説の差異と協同問題、「時代小説と転向」問題)を浮かび上がらせつつ再検討し、新たな「歴史小説・時代小説」観を提示し、永らく「純文学」(圧倒的優位)と「大衆文学」(圧倒的劣位)とに分けて語られてきた「日本近代文学史」を総合的に再構築するための道筋を明らかにする試みである。本年度は特に、1913年誕生問題を中心に、従来顕在化しなかった「歴史時代小説という問い」について、歴史的に形成されてきた常識の転倒という視点から捉え直す作業をおこなった。

  • 日本近代における「歴史小説・時代小説」の生成と展開の研究

    2018年  

     概要を見る

     本研究は、 日本近代における「歴史小説・時代小説」の生成と展開の研究により、従来の「歴史小説・時代小説」観を、その内部の諸問題(1913年誕生問題、「刀狩り」以来のチャンバラ願望説、歴史小説・時代小説の差異と協同問題、「時代小説と転向」問題)を浮かび上がらせつつ再検討し、新たな「歴史小説・時代小説」観を提示し、永らく「純文学」(圧倒的優位)と「大衆文学」(圧倒的劣位)とに分けて語られてきた「日本近代文学史」を総合的に再構築するための道筋を明らかにする試みである。本年度は特に、歴史小説の起源の一つとされてきた1913年の森鷗外の作品「佐橋甚五郎」について、2018年に刊行された飯嶋和一の『星夜航行』と比較することで、歴史小説と戦争との関係を考えた。

  • 「歴史・時代小説ブーム」の戦後精神史(二大作家の比較研究による)

    2017年  

     概要を見る

     本研究は、戦後日本における「歴史・時代小説ブーム」の内実と意義を、とりわけ1960年代に顕著となる歴史小説ブームから1990年代から現在に至る市井小説ブームまでの五回のブームについて、それぞれのブームを中心で担った二人の作家の比較研究を軸に明らかにしようとする試み(科研費・基盤研究C)を補完する研究である。本年度は、1970年代から90年代末まで活躍し、現在にいたる時代小説ブームを主導する藤沢周平と、藤沢周平が先達として意識していた山本周五郎の比較だった。以上の研究をより意義のあるものとするために、本研究は歴史・時代小説の「今」を毎月多数刊行される作品、雑誌掲載作品によって考察した。

  • 「歴史・時代小説ブーム」の戦後精神史(二大作家の比較研究による)

    2016年  

     概要を見る

    本研究は、戦後における「歴史・時代小説ブーム」の内実と意義を、とりわけ1960年代に顕著となる歴史小説ブームから1990年代から現在に至る市井小説ブームまでの五回のブームについて、ブームを中心で担った二人の作家の比較研究を軸に明らかにしようとする試み(科研費・基盤研究C)を補完する研究である。本年度は主に股旅もの長篇シリーズ『木枯し紋次郎』を書いた笹沢佐保と、笹沢の後をつぎ、独特な次郎長ものを書いた諸田玲子のの比較だった。以上の研究をより意義のあるものとするために、本研究は歴史・時代小説の「今」を毎月多数刊行される作品、雑誌掲載作品をによって考察。一部は、雑誌、新聞等に発表した。これまでの成果を一冊にまとめる作業を開始した。

  • 「歴史・時代小説ブーム」の戦後精神史(二大作家の比較研究による)

    2015年  

     概要を見る

     本研究は、戦後日本における「歴史・時代小説ブーム」の内実と意義を、とりわけ1960年代に顕著となる歴史小説ブームから1990年代から現在に至る市井小説ブームまでの五回のブームについて、それぞれのブームを中心で担った二人の作家の比較研究を軸に明らかにしようとする試み(科研費・基盤研究C)を補完する研究である。本年度は主として1970年代~80年代に独特な悪党ものをえがいた「池波正太郎と隆慶一郎」の比較だった。以上の研究をより意義のあるものとするために、本研究は歴史・時代小説の「今」を毎月多数刊行される作品、雑誌掲載作品をによって考察。研究成果の一部は、連載を続ける雑誌に、発表した。機会を得たので、5年目に主として扱う藤沢周平についても論じた。

  • 「歴史・時代小説ブーム」の戦後精神史(二大作家の比較研究による)

    2014年  

     概要を見る

    本研究は、戦後日本における「歴史・時代小説ブーム」の内実と意義を、とりわけ1960年代に顕著となる歴史小説ブームから1990年代から現在に至る市井小説ブームまでの五回のブームについて、それぞれのブームを中心で担った二人の作家の比較研究を軸に明らかにしようとする試み(科研費・基盤研究C)を補完する研究である。本年度は主として1960年代~70年代に歴史小説ブームを担った「司馬遼太郎と吉村昭」の比較だったが、以上の研究をより意義のあるものとするために、本研究は、「歴史小説」が現在どのような様相を呈しているかを、毎月多数刊行される作品、雑誌掲載作品をによって考察。研究成果の一部は、連載を続ける雑誌に、歴史小説のなかの「現代」として発表した。

  • 井上ひさしにおける「戦争」「戦後」「新たな戦中」表象の通時的研究

    2013年  

     概要を見る

    井上ひさしは「笑い」を小説に芝居に、エッセイや軽妙な講演にたえまなく実現した、近代・現代文学ではまことに稀有な文学者であった。と同時に、井上ひさしは「戦争」を、戦争の暗黒をえがきつづけた、これまた稀有な文学者である。井上ひさしの作品では、「笑い」が「戦争」に刺しこまれ、逆に、「戦争」が「笑い」のただなかに姿をあらわす。独特な笑いの文学であり、また独特な戦争文学である。 本研究《井上ひさしにおける「戦争」「戦後」「新たな戦中」表象の通時的研究》(以下「井上ひさしの戦争」)は、「戦争」という視点で井上ひさしの仕事を読み直す試みである。 研究の概要をいかにまとめる。 連作がつよく意識された1980年代~2010年まで約30年間の戯曲を対象とする。1980年代、文化全体が「戦争」を遠ざけようとしたとき、庶民のインターナショナリズムまでふくむ「庶民の戦争」に焦点をあわせた『きらめく星座』、『闇に咲く花』、『花よりタンゴ』他の作品を発表。1990年代には、『マンザナ、わが町』、『父と暮らせば』、『連鎖街のひとびと』等でいっそうひろく、ふかく戦争をとらえた。2000年代にはいってからは、戦争に加担した林芙美子の自己処罰と再生をみすえる『太鼓たたいて笛ふいて』、戦後落語界の双璧のポストコロニアルかつポスト戦争的性格をほりおこし、難局にむきあう「ことばの力」をみごとに洗いだす『円生と志ん生』、東京裁判三部作の『夢の裂け目』、『夢の泪』をつぎつぎに書き上げる。三部作の最終作『夢の痂』のラストでは、「この人たちの/これから先が/しあわせかどうか(中略)/自分が主語か 主語が自分か/それがすべて」、「自分が主語か 主語が自分か/それがすべて」と、劇に登場する俳優みなの「粘って繰り返す」歌により、わたしたちに「戦争」をめぐって過去から現在、そして未来にわたり執拗に選択を迫った。そして、死の前年2009年には『ムサシ』を書き、復讐の連鎖、暴力の連鎖のばかばかしさを「笑い」を刺しこんで告発した。 これらの試みはかつての「戦争」と同時に、「戦後」および再びやってきた「新たな戦中」(グローバルな戦争時代)をつよく意識したものであった。

  • 戦後日本における「歴史・時代小説ブーム」のジャンル別比較作家論的研究

    2012年  

     概要を見る

    本研究は、戦後日本において数次のブームが認められる「歴史・時代小説ブーム」の内実と意義を、1960年代に顕著となる歴史小説ブームから1990年代から現在に至る市井小説ブームまで、それぞれのブームを担った二人の作家の比較研究を軸に明らかにしようとする試みである。 歴史・時代小説を含む大衆小説の歴史は読者の関心の歴史であり広範な時代精神の歴史である。「歴史・時代小説ブーム」の研究は、従って、戦後時代精神史の一端を照らしだす研究ともなる。 小説の一大ジャンルとして多くの書き手と膨大な読者を有する歴史・時代小説は、1990年代以降、従来にない規模のブームをひきおこしている。これは、1950年代後半の「剣豪小説」ブーム、1960年前後の「忍者・忍法小説」ブーム、そして1960年代にはじまる「歴史小説」ブームなどに比べてもいっそう大きなブームである。しかし、このようなブームを巻き起こしてきた歴史・時代小説については、学術的かつ総合的な研究はほとんどなされてこなかった。 従来、歴史・時代小説研究は、故尾崎秀樹を中心とした大衆文学研究会にあつまる在野の研究者と評論家の手にゆだねられてきた。そこで積み重ねられてきた成果を参照しつつ、時代小説の持続的で包括的な研究をはじめる必要がある。その研究対象としては個々の作家作品研究とともに、歴史・時代小説の意義が凝縮されるブームの研究が重要である。今回の研究には三本の柱がある。一は、戦後の歴史・時代小説ブームの概観。とくに1990年代に始まり現在に至る「市井もの」の意義をたしかめる。本研究の全体像の提示となる。二は、ここ6年にわたって続けている最新刊の時代小説の批評である。雑誌「グラフィケーション」(富士ゼロックス発行)を主に、多くの雑誌・週刊誌・新聞で展開中である。三は、わたしの「時代小説の現在」三部作、『時代小説に会う!』『時代小説が来た!』につづく『時代小説は行く!』(原書房刊)を、本研究成果の一部を収めて、まとめる。

  • 日本近代における「歴史小説・時代小説」の成立と展開の総合的研究

    2011年  

     概要を見る

    小説の一大ジャンルとして多くの書き手と膨大な読者を有する歴史・時代小説は、1990年代以降、従来にない規模のブームをひきおこしている。これは、1950年代後半の「剣豪小説」ブーム、1960年前後の「忍者・忍法小説」ブーム、そして1960年代にはじまる「歴史小説」ブームなどに比べてもいっそう大きなブームである。 しかし、このようなブームを巻き起こしてきた歴史・時代小説については、学術的かつ総合的な研究はほとんどなされてこず、その結果、ブームについてはもとより時代小説について持続的に考察しうる場および組織(例えば「歴史・時代小説」学会)が形成されなかった。時代小説作家と「時代小説」論を研究課題にする研究者はきわめて少数で、これは対象を「大衆文学(現在では「エンタテインメント」とよばれる)」にひろげても変わらない。 従来、歴史・時代小説研究は、故尾崎秀樹を中心とした大衆文学研究会にあつまる在野の研究者と評論家の手にゆだねられてきた。「大衆文学」を掲げるがその大半は歴史・時代小説の歴史と理論の提示である尾崎秀樹の『大衆文学』(1964)や『大衆文学の歴史 上・下』(1989)は、依然として研究に欠かせない。大衆文学研究会による調査・評論、またフランスの研究者セシル・サカイによる概論『日本の大衆文学』(1997)や評論家縄田一男の『武蔵』(2002)、さらには歴史学者成田龍一の『大菩薩峠論』(2006)などを参照しつつ、時代小説の持続的で包括的な研究をはじめる必要がある。その研究対象としては個々の作家作品研究とともに、歴史・時代小説の意義が凝縮されるブームの研究が重要である。これなくしては、純文学偏重の続く日本現代文学研究および文学史研究は、大きな欠落を放置せざるをえないだろう。 今回の研究には三本の柱がある。 一は、戦後の歴史・時代小説ブームの概観。とくに1990年代に始まる「市井もの」の意義をたしかめる。 二は、勉誠出版での企画『座談会 歴史・時代小説――成立から現在まで』の準備作業。 三は、ここ6年にわたって続けている最新刊の時代小説の批評である。雑誌「グラフィケーション」(富士ゼロックス発行)を主 に、多くの雑誌・週刊誌・新聞で展開中である。

  • 日本近代における「歴史小説・時代小説」の成立と展開の総合的研究

    2010年  

     概要を見る

    時代小説ブームが永く、静かにつづいている。このブームがいつはじまったか、はっきりしない。しかし、わたしの印象では、一九九〇年代初期、兆しはすでにあった。「失われた十年」へ時代が滑落しだす頃である。五味康祐と柴田錬三郎の剣豪小説ブーム(一九五〇年代後半)、山田風太郎らの忍法小説ブーム(六〇年前後)。そして、井上靖や司馬遼太郎らの歴史小説ブーム(六〇年代初め~七〇年代初め)に連なるこの戦後最長のブームには、いくつかの特徴がみてとれる。まず巨匠たちの次々の死を発条にした逆説的なありようである。訃報は隆慶一郎の一九八九年にはじまり、九〇年の池波正太郎、九二年の松本清張へ。九六年には結城昌治、司馬遼太郎、翌年に藤沢周平と連続し、二〇〇一年の山田風太郎、〇二年の笹沢佐保。さらに〇六年は吉村昭、〇七年には城山三郎が亡くなる。巨匠たちの死は他方で読者に、大方が戦後生まれの中堅たちをあらためて注目させた。さらに、それまでの重石がとれるように、さまざまなメディア、ジャンルとの交叉もさかんになり、そこから新しい才能がとびだしてくる。ミステリーから宮部みゆき、ホラーからは京極夏彦が、現代小説から騒動屋の町田康、児童文学からはあさのあつこが、また、畠中恵や和田竜も登場した。そしてブームのなかで、森鴎外のエッセイ「歴史其儘と歴史離れ」(一九一五)に倣っていえば、創成期から対立関係にあった「歴史其儘」の歴史小説と「歴史離れ」の時代小説は、「時代小説」と総称されるようになった。ここには、戦後に方向を与えていた「歴史」が停滞し、動かなくなる一九九〇年代以降の時代が深く関っていよう。これまでの「歴史」に寄りかからず、新たな道筋を驚異の創意と大胆な構想で示すこと。こんな試みの一端に、ファンタジーまで呼びこむ自由自在な時代小説が参加しているのではないか。 今回の研究には三本の柱がある。一は、戦後の歴史・時代小説ブームの概観。二は、勉誠出版での企画『座談会 歴史・時代小説――成立から現在まで』の準備作業。三は、早稲田大学国際日本文学・文化研究所主催の国際シンポジウム「越境する歴史×時代小説 ジャンルの混交、研究のグローバル化」にむけての準備(2010年11月13日に開催され、総合司会を務めた)四は、ここ5年にわたって続けている最新刊の時代小説の批評である。雑誌「グラフィケーション」(富士ゼロックス発行)を主に、多くの雑誌・週刊誌・新聞で展開中である。

  • 日本近代文学史再構築のための「時代小説」論の総合的研究

    2009年  

     概要を見る

    小説の一大ジャンルとして多くの書き手と膨大な読者を有する「時代小説」(歴史小説含む)は、1990年代以降、従来にない規模のブームをひきおこしている。1970年前後の司馬遼太郎を主たる担い手とした歴史小説ブームや、1950年代後半の剣豪小説ブームなどに比べてもいっそう大きなブームである。 しかし、このようなブームを巻き起こしてきた「時代小説」については、学術的かつ総合的な研究はほとんどなされてこず、その結果、ブームについてはもとより時代小説について持続的に考察しうる場および組織(例えば「時代小説・歴史小説」学会)が形成されなかった。時代小説作家と「時代小説」論を研究課題にする研究者はきわめて少数で、これは対象を「大衆文学(現在では「エンタテインメント」とよばれる)」にひろげても変わらない。 これまでわたしは中里介山の『大菩薩峠』をはじめとして、山本周五郎や藤沢周平、また司馬遼太郎や池波正太郎の作品分析を通してこのような状況を打破し、「時代小説」「歴史小説」の意義を明らかにしようと試みてきた。今後は、成立から現在のブームに至るまでの主要作品を考究することで、時代小説の学術的かつ総合的な研究の基礎をつくりたい。 今回の研究には三本の柱がある。一は、戦後の歴史・時代小説ブームの概観。この一端はは、たまたま依頼のあった「日本経済新聞」に「歴史・時代小説入門講座」(10月の5週連載)として発表した。二は、勉誠出版での企画『座談会 歴史・時代小説――成立から現在まで』の準備作業。わたしと歴史学者の成田龍一の共同編集で、扱う作家・作品およびテーマなどを決定した。三は、ここ5年にわたって続けている最新刊の時代小説の批評である。雑誌「グラフィケーション」(富士ゼロックス発行)を主に、多くの雑誌・週刊誌・新聞で展開中である。

  • 日本近代における「歴史小説・時代小説」の系譜学的・メディア論的研究

    2007年  

     概要を見る

    一九九〇年代半ばからブームが続き、現代文学のなかでも際立って多くの書き手と膨大な読者を有する「時代小説」と「歴史小説」。「読んで面白い、爽快、感動もの、癒される」といった読者の感想が語られ、それを補強する印象批評がなされている。「現代小説」にくらべはるかに自明の存在といってよい。しかし、「時代小説」「歴史小説」とはなにかと、読者に問うても明瞭な答えは返ってこない。書評家や評論家にあっても事情はさほど変わらない。広辞苑第六版には「時代小説 古い時代の事件や人物に題材をとった通俗小説」「歴史小説 過去の時代を舞台にとり、もっぱらその時代の様相を描こうとする小説」とあるが、一般にもこの程度の了解と、個々の小説がもたらす楽しみがあるだけだろう。 これまで私は中里介山の『大菩薩峠』をはじめとして、山本周五郎や藤沢周平、また司馬遼太郎や池波正太郎の作品分析を通してこのような状況を打破し、「時代小説」「歴史小説」の意義を明らかにしようと試みてきた。 今回の研究は昨年の研究と同じく、特に最近書かれた作品を介しての試みとなった。それぞれの作品とテーマは以下のとおりである。①諸田玲子『青嵐』から、「長谷川伸に発する股旅小説の意義」を考える。②城山三郎『辛酸』から、「『敗北』から出発する歴史の書き換え」をたしかめる。③直木賞受賞作、松井今朝子『吉原手引草』から、「隆慶一郎以後の吉原もの――解放空間から血塗られた空間へ」を跡付ける。④あさのあつこ『弥勒の月』『夜叉桜』から、「時代小説で可能になる物語的振幅とはなにか」を考察する。⑤北重人『月芝居』から、「時代小説における『悪人』および『悪党』」を前景化する。以上の試みを通して、従来の小説で提起されたいくつかの問題の現代的様相を確認できた。

  • 日本近代における「時代小説・歴史小説」の系譜学的およびメディア論的研究

    2006年  

     概要を見る

    現在、小説の一大ジャンルとして多くの書き手と膨大な読者を有する「時代小説」と「歴史小説」。「読んで面白い、爽快、感動もの、癒される」といった読者の感想が語られ、それを補強する印象批評がなされている。「現代小説」にくらべはるかに自明の存在といってよい。しかし、「時代小説」「歴史小説」とはなにかと、読者に問うても明瞭な答えは返ってこない。書評家や評論家にあっても事情はさほど変わらない。広辞苑第五版には「時代小説 古い時代の事件や人物に題材をとった通俗小説」「歴史小説 過去の時代を舞台にとり、もっぱらその時代の様相を描こうとする小説」とあるが、一般にもこの程度の了解と、個々の小説がもたらす楽しみがあるだけだろう。 これまで私は中里介山の『大菩薩峠』をはじめとして、山本周五郎や藤沢周平、また司馬遼太郎や池波正太郎の作品分析を通してこのような状況を打破し、「時代小説」「歴史小説」の意義を明らかにしようと試みてきた。 今回の研究は、特に最近書かれた作品を介しての試みとなった。それぞれの作品とテーマは以下のとおりである。①江宮隆之『沙也可 義に生きた降倭の将』から「歴史小説におけるポストコロニアル問題」を考える、②藤木久志『刀狩り―武器を封印した民衆』から「チャンバラ小説と刀狩り以後の民衆的想像力」を再考する、③野火迅『鬼喰う鬼』から「歴史小説と新しい歴史研究との交響」をたしかめる、④小嵐九八郎『悪たれの華』から「時代小説におけるアンチ・ヒーローの系譜」をたどる、⑤津本陽『明治撃剣会』再読から「時代小説と戦争との関係」をあぶりだす、⑥東郷隆『大江戸打壊し 御用盗銀次郎』から「ルカーチと大岡昇平の歴史小説論は現在の歴史小説のなにを照らしだすか」を考察する。 以上の試みをとおして、従来「歴史小説」「時代小説」で語られてきた問題が、現在どのようにあらわれ、どんな意義をあらたに獲得しているかを、かなりの部分鮮明にできたと思う。この成果を生かして、さらに試みを持続したい。

  • オキナワ現代文学研究-大城立裕から目取真俊まで

    2004年  

     概要を見る

    本年度のオキナワ現代文学研究は、資料収集と考察とを同時にすすめた。これまでに半ば以上集めていた、大城立裕、長堂英吉、東峰夫、知念正真、崎山多美、又吉栄喜、目取真俊、池上永一らの作品の初出および単行本(初版)はほぼ揃えおえた。考察では特に、9・11およびイラク戦争によって再び関心が高まりつつある「戦争」を中心的なテーマにすえた。 オキナワ現代文学では、ヤマトの「戦後」とは異なるオキナワの「戦後=戦中」を掘り下げる。それは大城の「カクテル・パーティー」から、目取真俊の「水滴」「魂込め」などにいたる作品に顕著といえよう。戦争体験のない世代の作家目取真俊の作品では、沖縄戦が過去のものではなく「いまとここ」に出現する出来事として描かれる。現在のオキナワ(戦後)と、沖縄戦真っ只中のオキナワ(戦中)とが同時に、まったく同等にあらわれる物語空間。そこで出現する沖縄戦は、沖縄戦であるとともに戦後のアメリカ軍が展開する戦争でもある。(以上のような「ふたつの現実」が同時かつ同等にえがかれた物語空間は、文学的方法としては「マジック・リアリズム」を採用している。日本の現代文学において、ラテンアメリカ文学産まれのマジック・リアリズムをとりいれた作家は、差別にきりこんだ中上健次、在日という存在をみすえる梁石日がいる。これに目取真俊を加えるなら、三人の作家はともに、多数派の形成するリアルへ、少数者が強いられるリアルをつきつけたことがはっきりするだろう)。 現在進行中の「新しい戦争」のありかたを考えるうえで重要なのは、戦争との取り組みを放棄して久しいヤマトの現代文学ではなく、「戦後=戦中」という視点をもちつづけてきたオキナワ現代文学である――本研究は以上を中心に考察し、その成果を講義や講演、あるいは座談会での発言に活かした。

  • 日本近代文学における「悲惨」及び「怪物」の誕生-広津柳浪を中心に

    2001年  

     概要を見る

    「日本近代文学における「悲惨」及び「怪物」の誕生-広津柳浪を中心に」という大きなテーマのもとで、以下の三つの柱をたてて研究をすすめた。① 「1890年前後の文学概観」。泉鏡花「夜行巡査」「外科室」、川上眉山「書記官」「うらおもて」、そして、広津柳浪の「変目伝」「黒蜥蜴」「亀さん」など、いわゆる「観念小説」「悲惨小説」とよばれる作品群の再評価。② 下層社会の「暗黒」表象の研究。同時代のさまざまな探訪記とくに松原岩五郎「最暗黒之東京」における「暗黒」表象の検討。ルポルタージュ誕生の意義。二葉亭四迷と松原とのかかわり。「暗黒」と「身体」との関係――などの研究。③ 広津柳浪の作品の個別研究。今年度の研究として特に力を入れたのは、②である

  • 広津柳浪論―日本近代文学における「悲惨」の誕生

    2000年  

     概要を見る

     本年度は、『広津柳浪の怪物――日本近代文学における「悲惨」の誕生』(論創社刊予定)の書き下ろしのための基礎作業に、ほぼ費やされた。基礎作業は以下の三点にかかわる。① 広津柳浪のテクストは日清戦争前後の社会状況と切り離せない。歴史学における日清戦争論を幅広く参照するとともに、現在の「戦争」および「国民国家の暴力」言説とのつきあわせをおこなった。② 身体(欠損)論の掘り下げ。亀井秀雄『身体・この不思議なるものの文学』、P・ストリブラスとA・ホワイト『境界侵犯・・その詩学と政治学』、三橋修は『差別論ノート』、岡庭昇『身体と差別』、寺山修司『畸形のシンボリズム』などから、平均的身体をたちあげた日本的近代にあって、異形はそれにたいする異議申し立てのシンボルであることを確認した。③ 下層社会の「暗黒」表象の研究。同時代のさまざまな探訪記とくに松原岩五郎「最暗黒之東京」における「暗黒」表象の検討である。これはそのままルポルタージュ誕生の意義の確認ともなる。以上の三点をさらに深めるとともに、広津柳浪のテクストがそれらにどのように交叉するかが、つぎの作業となる。ひとつひとつのテクストを個別に論じていく予定であったが、「怪物」「悲惨」というテーマから離れず全体として論じるほうがよいと考え、個別の論考発表は断念した。書き下ろしの作業を継続し、2002年夏には出版したい。また、いくつかの執筆機会を利用して、「怪物」論についての理論的な考察をし、また、「悲惨」言説の系譜を考え、さらに現在注目を集めているホラー小説における「異形なもの」をめぐる評論を書いた。これらはすべて、広津柳浪の怪物論とモチーフをおなじくするとともに、『広津柳浪の怪物――日本近代文学における「悲惨」の誕生』書き下ろしの過程で組み込まれていくものである。

  • 1900年前後における日本近代文学にあらわれた「高さ(眺望)」および「高さ(眺望)」崩しの研究

    1996年  

     概要を見る

     日本近代文学は、1900年前後において、「高さ(眺望)」をめぐる闘争のステージとなった。すなわち、「高さ」を確保し、いっそうの「高さ」をもとめる力と、「高さ」を忌避し、さらには、「高さ」を積極的に崩そうとする力とが、あい争う場になったのである。    「高さ」とはなにか。近代の進行とともに、人々が関係する領域の拡張がすすむ。そこに、日常的な生活空間の範囲を確認したいという大衆的な「国見(眺望)」の欲望があらわれるが、それは領土の拡張をもとめる国家の「国見(眺望)」の欲望とほぼかさなっていた、といってよいだろう。「国見」的な「高さ」の顕著なあらわれが、日清戦争中に出版されベストセラーとなった志賀重昂の『日本風景論』であったことは、その意味で注目されてよい。 すでにわたしは、田山花袋・国木田独歩・泉鏡花等の同時期のテクストを「高さ」をあぶりだしながら検討してきた。本年度は、広津柳浪の「変目伝」(1895)を選び考察した。「広津柳浪の怪物-『変目伝』における身体・戦争・衛生・下層」(「国文学研究」第120集、96年10月)がそれである。 日清戦争の「戦中文学」とも「戦後文学」ともみなされるこの物語空間には、同時代の戦争の熱狂はまったく流入していない。物語がまなざしをむけるのは、「身材いと低くして、且つ肢体を小さく生まれ付きたり。ゆくは六寸五分、丈は三尺一寸」の身体をもち、しかも、顔面に湯傷の後がのこる伝吉という男である。「衛生」の権力によって「身体」が標準化されるとともに、「兵士の身体」を理想型として、「国家」に奉仕する身体と奉仕しない身体とに「身体」が分割されていく最中、伝吉は標準以下で国家に奉仕しない身体、いわば「反兵士の身体、反国民の身体」の所有者として登場する。伝吉の身体は、「高さ」への欲望を身体のレベルで相対化するものとしてある。物語は、伝吉の身体をとおして、「眺望」を拒まれた者の視線が「眺望」じたいの差別性、権力性をあばきだす瞬間をもたらす。わたしは、そこに「怪物」の可能性をみる。 怪物的身体をめぐる同様の考察は、「一筋の血を流しつづける裂けた身体-『大菩薩峠』と物語の身体」(「早稲田文学」96年4月)でもおこなった。

▼全件表示