寺崎 秀一郎 (テラサキ シュウイチロウ)

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所属

文学学術院 文化構想学部

職名

教授

学内研究所等 【 表示 / 非表示

  • 2016年
    -
    2020年

    比較考古学研究所   プロジェクト研究所所長

学歴 【 表示 / 非表示

  •  
    -
    1999年

    早稲田大学   文学研究科   史学(考古学)  

  •  
    -
    1999年

    早稲田大学   文学研究科   史学(考古学)  

  •  
    -
    1992年

    早稲田大学   文学部   史学科考古学専攻  

学位 【 表示 / 非表示

  • 修士

経歴 【 表示 / 非表示

  • 2001年
     
     

    早稲田大学文学部専任講師

  • 2001年
    -
     

    早稲田大学文学部専任講師

  • 1999年
    -
    2001年

    早稲田大学文学部非常勤講師

  • 1998年
    -
    1999年

    早稲田大学會津八一記念博物館客員研究助手

  • 1996年
    -
    1998年

    早稲田大学文学部助手

所属学協会 【 表示 / 非表示

  •  
     
     

    Society for American-Archaeology

  •  
     
     

    古代アメリカ学会

  •  
     
     

    早稲田大学史学会

 

研究キーワード 【 表示 / 非表示

  • 考古学(含先史学)

論文 【 表示 / 非表示

  • Informe de las Investigaciones por GPR en el sitio Arqueológico Copán, Honduras

    Shuichiro TERASAKI

    Archivo del Instituto Hondureño de Antropología e Historia    2018年03月

  • 「世界遺産コパンのマヤ遺跡におけるデジタル三次元測量とGPR調査の成果と課題」

    寺崎秀一郎

    『3D考古学の再挑戦―遺跡・遺構の非破壊調査研究―』早稲田大学総合研究機構     29 - 36  2017年11月

  • 「パナマにおけるクナ族とエンベラ族の観光戦略と先住民文化の現在」

    寺崎秀一郎

    『21 世紀考古学の現在』六一書房     671 - 680  2017年05月

  • 「開発途上国における3D 技術の応用と展開―中米ホンジュラス共和国の事例から―」

    寺崎秀一郎

    『3D 考古学の挑戦―考古遺物・遺構の三次元計測における研究の現状と課題―』早稲田大学総合人文科学研究センター     65 - 69  2016年11月

  • Modern Ceramic Production of the Lencas in the Western Honduras.

    Shuichiro TERASAKI

    The Eighth World Archaeological Congress. WAC-8 Kyoto Program Committee     144  2016年08月

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書籍等出版物 【 表示 / 非表示

  • 『キッズペディア世界遺産』

    寺崎秀一郎( 担当: 監修)

    小学館  2015年11月

  • 「過去との共生―考古資源の保存と活用―」、『比較考古学の新地平』

    寺崎秀一郎( 担当: 分担執筆)

    同成社  2010年

  • 『NHK世界遺産100 第19巻 中米の先住民文化』

    寺崎秀一郎( 担当: 監修)

    小学館  2009年

  • 「ティカルとカラクムル」、『失われた文明インカ・マヤ・アステカ展』、

    寺崎秀一郎( 担当: 分担執筆)

    NHK・NHKプロモーション  2007年

  • 「新世界の都市と国家」『失われた文明インカ・マヤ・アステカ展』

    寺崎秀一郎( 担当: 分担執筆)

    NHK・NHK・NHKプロモーション  2007年

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共同研究・競争的資金等の研究課題 【 表示 / 非表示

  • マヤ文明の王権発展過程の研究

    研究期間:

    2014年04月
    -
    2018年03月
     

     概要を見る

    本研究は、古典期マヤ文明の王権の発展過程を文明の中心地であるグアテマラ・ティカル遺跡と、ティカルと同等の1次センターでありマヤ文明圏で最も南東に位置するホンジュラス・コパン遺跡の周縁地域に存在し、コパンの2次センターと考えられるエル・プエンテ遺跡の調査研究を通して追求するものである。両遺跡ともに、与えられた資金の範囲内で可能な発掘調査を実施し、王権成立後の文明の発展過程において中心から周縁センターへのエリート層の移民が重要であったことをを示すデータと同時に、エル・プエンテにおいては周縁センターの独自性を示すデータも得られ、両地域の相互関係の解明に大きな示唆を与え次期研究計画へつながった

  • 古代マヤ社会の形成・発展に関する基礎的研究

    研究期間:

    2011年04月
    -
    2014年03月
     

     概要を見る

    ホンジュラス共和国西部、コパン県所在のエル・プエンテ遺跡において発掘調査を実施した。エル・プエンテ遺跡は古典期において南東マヤ地域最大の都市遺跡コパンの影響下にあった2次センターである。同遺跡の支配者の居住用建造物の調査成果とコパン遺跡の研究成果を比較した結果、ローカルエリートとコパン政体エリートの居住施設には建築技術上の差異は認めらないことから、儀礼空間でもある「広場」構成の相同性を通じて、中心と周縁は結合していると考えられる。一方、政治的階層差は、「広場」構成要素における石彫や碑文の密度、質的差異に基づく

  • 近代における「考古学」の役割の比較研究―その本質的表象と政治的境界の関連を軸に

    基盤研究(B)

    研究期間:

    2003年
    -
    2005年
     

     概要を見る

    1.資料の収集と分析:(1)考古資料を用いて政治的「境界」の正統性・優位性を明らかにしようとする研究対象地域の出版物、考古学と国民国家形成・植民地経験の関係を論じた内外の研究文献を収集・整理し、リファレンス作成と個々の言説分析を行った。(2)西南諸島担当の研究協力者は、奄美と琉球の考古資料と関連言説の比較から、国家内の境界認識の問題点を明らかにした。(3)韓国担当の研究協力者は、韓国での調査・関連研究者との交流により、日韓史上の人的・技術的交流に対する両国の視点の差の抽出および分析を行った。(4)インドネシア担当者は、バリ島の考古遺産の資源化と観光利用の実態調査と、文化政策関連資料などの収集と分析を行った。(5)ラテンアメリカ担当者は、ホンジュラス・グアテマラ両国の現地調査を行い、先住民集団の歴史と構成,文化遺産の価値をめぐる議論とアイデンティティ・経済問題との関係を明らかにした。
    2.ワークショップの開催1研究代表者・分担者・協力者の参加による国内ワークショップを、東京・奄美大島・福岡で計10回開催した。テーマは、「野生の残像-過去をめぐるイデオロギーの磁場」「政治的資源としてのラテンアメリカ先住民文化遺産」「日本考古学批判の現状に関して」「近代日本の考古学と文化財をめぐって」「欧米の考古学における関連議論の射程」,「考古学の研究法と過去表象」「ホンジュラス人類学会・遺跡保存会議における文化遺産利用の問題点」「近代日本の考古学と文化財」「日琉同祖論と考古学」「戦後における縄文時代像の変遷」「奄美史・琉球史における歴史意識」等で、各研究者の調査地・テーマについての研究動向・関連資料を検討し,その問題点について討議を重ねた。フィリピンで開催したワークショップでは、現地考古学者の協力を得て、フィリピンにおける近代考古学が国民アイデンティティに果たした役割の変遷を整理した。

  • 古代社会の発展と都市化の比較考古学的研究

    基盤研究(B)

    研究期間:

    2002年
    -
    2005年
     

     概要を見る

    本研究では、古代社会における複雑化・階層化、また都市化の問題をとりあげ、研究代表者・分担者がこれまでも調査を実施してきた日本、韓国、中国、エジプト、西アジア、北米、メソアメリカ、南米などについてケース・スタディを行ったうえで、比較考古学の方法論を探りつつ、通文化的に検討した。
    とくに、2002年度には、研究代表者の菊池、分担者のうち岡内、高橋、近藤および寺崎が、メソアメリカの現地調査を行った。メソアメリカの神殿をともなう都市遺跡こそ、新大陸における古代社会の発展、都市化の問題を考える上で、不可欠の資料だからである。実際、各自がそれぞれのフィールドでの問題意識と比較しつつ調査を進めたことで、大きな成果をあげた。
    さらに、メソアメリカと並ぶ重点領域として、菊池、高橋らは、北米において、北西海岸(2003年度)、クイーン・シャーロット諸島(2004年度)、ミシシッピ文化の諸遺跡(2005年度)のフィールド・ワークを実施し、特に日本列島の縄文文化をはじめ、世界各地の先史社会を比較検討するうえで重要な知見を得た。その成果は一連の論文として公表された。
    こうした事例研究の成果をまとめるため、また研究組織内だけでは得がたい多角的な検討を行うため、2004年12月に、国際研究集会『考古学からみた社会の複雑化』を開催し、菊池、岡内、高橋、近藤、寺崎および小高を含む15名が研究成果を発表した。さらに、1月にも発表者が再度集い、比較考古学的視座から社会の複雑化に関する座談会を開催した。その成果は、研究の一応の総括として、『社会考古学の試み』(同成社)と題し、出版された。
    その後も各地の調査を継続し、研究の精緻化に努めたが、もとより、「古代社会の複雑化、都市化」という大きなテーマに対し、この短期間ですべての結論を出せるはずもない。今後もなお何らかの資金を得て、追究は継続したい。

  • 南東マヤ地域における都市の形成過程に関する考古学的研究

     概要を見る

    2003年度、2004年度にホンジュラス共和国コパン県に位置するロス・イゴス遣跡、エル・アブラ遺跡、エル・プエンテ遺跡の3遺跡において発掘調査をおこなった。本研究における発掘調査の目的は、古典期(AD250〜AD900)に南東マヤ地域最大のセンターであるコパン遺跡の周縁部において、地方センターがどのようなプロセスを経て形成されていくのかを明らかにすることである。上記3遺跡は、コパン遺跡北東約60kmに位置するラ・エントラーダ地域に分布する8箇所の地方センターの一部であるが、発掘調査の結果、少なくともフロリダ谷に位置するエル・アブラ遺跡とエル・プエンテ遺跡の起源はほぼ同時期と考えられる資料を得た。一方、ロス・イゴス遺跡は斜面を利用して構築されていることから層位学的に良好なサンプルを得ることができなかったが、二次堆積層から原古典期の年代を示す放射性炭素年代測定結果が得られている。本年度は、現地において、出土土器資料の予備分類を現地スタッフを中心に進めた。予備分類については、メソアメリカ地域の考古学研究で広く採用されているタイプ・ヴァラエティ・システムに準じておこなうが、適宜、周辺地域では唯一土器編年が整備されているレネ・ヴィエルによるコパン編年を参考にしている。また、図面も現地スタッフの協力の下、データ化を進行中である。これらの成果の一部は、2005年12月に開催された古代アメリカ学会第10回研究大会において報告した。本研究では、地方センターの起源に重点を置いた発掘方法を採用したが、より詳細な都市形成過程の解明には建造物のシークエンス研究が必要不可欠であり、そのための集中的な調査が望まれる。本年度はこうした視点も含め、ホンジュラス国立人類学歴史学研究所所長リカルド・アグルシア氏と本研究が対象とするラ・エントラーダ地域での今後の考古学調査研究の展開についても協議をおこなった

講演・口頭発表等 【 表示 / 非表示

  • 先住民文化の変容と継承―レンカ、エンベラ、クナの事例から―

    寺崎秀一郎  [招待有り]

    早稲田大学考古学会公開講会   早稲田大学考古学会  

    発表年月: 2016年04月

  • ホンジュラス共和国エル・プエンテ遺跡における発掘調査と 3D スキャニング

    寺崎秀一郎

    古代アメリカ学会第19回研究大会   古代アメリカ学会  

    発表年月: 2014年12月

  • 中米ホンジュラスにおける日本の国際文化協力活動―世界遺産コパンをはじめとして―

    寺崎秀一郎  [招待有り]

    世界遺産シンポジウム 世界遺産の未来―文化遺産の保護と日本の国際協力―   文化庁、文化遺産国際協力コンソーシアム  

    発表年月: 2013年10月

  • 「先住民文化遺産/資源と応用考古学の可能性:南東マヤ地域での実践から」

    寺崎秀一郎

    早稲田大学考古学会   早稲田大学考古学会  

    発表年月: 2008年

  • 「コパン考古学プロジェクト調査速報2007-2008」

    寺崎秀一郎

    古代アメリカ学会第13回研究大会   古代アメリカ学会  

    発表年月: 2008年

特定課題研究 【 表示 / 非表示

  • 古典期マヤにおける地方センターの形成

    2001年  

     概要を見る

     本研究課題について、ホンジュラス共和国、コパン県ラ・ヒグア市所在のエル・プエンテ遺跡の調査を実施した(2001年8~9月)。今回の調査の目的は、古典期後期に栄えた同遺跡の成立時期の確定であった。 申請者らによって1992年以来、継続調査がおこなわれてきたエル・プエンテ遺跡の中心グループの起源は古典期中期末と考えられているが、自然流路起源の水成層と湧水のために古典期中期末の包含層下位の調査が今まで実施不可能であった。そのため、今年度は中心グループから東に離れた居住用マウンド群周辺に試掘坑を設定し、主に古典期中期末以前の居住の痕跡の確認、およびマウンド群の平面分布の把握を目的とした。 試掘調査の結果、今回調査対象とした居住用マウンド群(建造物73、74)も自然流路起源の水成層の上に構築されており、出土遺物から居住開始時期は古典期後期と考えられる。中心グループにおける居住開始時期との差異については、今回対象としたマウンド群がエル・プエンテ遺跡の発展、拡大に伴い構築されたためと考えられる。中心グループでも確認された水成層は、今回の発掘地点でも検出されたが、もっとも厚いところでは約2mに達し、土器をはじめとした人工遺物を包含しないことが確認できた。この水成層を詳細に検討した結果、従来、中心グループにおける調査では、現在の遺跡の北西部を流れるリオ・チナミート起源と考えられてきたが、大量の川原石を含んでおり、リオ・チナミートの上流部にはその供給源がないことから、別の自然流路に起源を持つものと考えられた。現在までの周辺地域の踏査結果、ならびに現地での情報収集により、この水成層は現在、エル・プエンテ遺跡北東部を流れるケブラーダ・サマルグアラを起源とすることが妥当と思われる。今回の調査に際しても、湧水は問題となったが、雨量が少なかったこともあり、水成層の下位レベルまでの掘削をおこなった。その結果、少量ではあるが、土器資料を検出した。詳細な分類は留保するが、現状では原古典期~先古典期の資料と考えられる。この結果、エル・プエンテ遺跡は、南東マヤ地域最大のセンターであるコパン遺跡の強い影響のもとに成立する以前に数百年間におよぶ居住の断絶があったことは明らかである。エル・プエンテ遺跡の所在するラ・エントラーダ地域では、原古典期以前の居住の痕跡がきわめて少ないことがわかっているが、今回の調査結果から、古い段階における居住が存在しなかったのではなく、いまだに未確認である可能性が強く示唆された。古典期中期以降、急激な発展を遂げるエル・プエンテ遺跡の成立の起源を考える上で、重要な知見が得られたと考えている。 一方、マウンド群の平面分布については、今回の調査地点では、明確なプラサを形成することが確認できなかった。しかし、当該地点は民有地に接しており、削平された、あるいは埋没したマウンド群がその民有地内に存在する可能性はきわめて高いと思われる。 また、本研究はホンジュラス国立人類学歴史学研究所の全面的な協力のもとにおこなわれたが、期間中、同研究所の依頼により、サンタ・バルバラ県のカサ・ケマーダ遺跡の現状調査も合わせておこなった。

  • 古典期マヤ社会における地方センターの成立と発展

    2006年  

     概要を見る

     本研究では、従来、調査を重点的におこなってきたホンジュラス共和国西部、ラ・エントラーダ地域との比較研究のため、同地域より南西に約50Km離れたコパン遺跡周辺部のでの調査に参加した。コパン遺跡は先スペイン期のマヤ文明を代表する考古遺跡の一つであり、ユネスコ世界遺産にも登録されている。19世紀末にピーボディー博物館による学術調査がおこなわれて以来、アメリカ人研究者を中心に調査研究がおこなわれ、現在でもマヤ考古学研究の拠点の一つとなっている。 近年は、中村誠一氏が10J-45、ヌニェス・チンチーヤグループなどコパン遺跡中心グループに隣接する地点における調査修復を精力的におこなっているが、本研究期間において、同氏を中心とするコパン考古学プロジェクトの協力の下、コパン・ルイナス村からオストゥマン部落へ至る途中に位置するヌエバ・エスペランサ地区で9H-1・2として登録されている居住グループの発掘調査がおこなわれた。当該遺跡は過去の調査でその存在は知られていたが、小規模な居住グループであり、また、個人所有地であるために、発掘調査がおこなわれたことはなかった。今回は、土地所有者の住宅建設に伴う記録保存のための緊急調査であった。調査の結果、古典期中期における2段階の居住シークエンスが確認された。建築用石材の選択や加工など、東南マヤ地域最大のセンターであったコパン政体の周縁部に位置するラ・エントラーダ地域とは著しく異なるが、埋葬から出土した副葬品に代表されるように物質的な豊かさという点において、周縁地域とは格差が確認され、コパン政体が東南マヤ地域で卓越していた様を再確認した結果となった。 また、現地滞在中には、ホンジュラス国内における考古学調査・研究を統括する国立人類学歴史学研究所所長ダリオ・エウラケ所長、人類学調査研究部門の責任者ヴィト・ベリス部長と面会し、今後の方針、箇所間協定の可能性について協議をおこなった。

  • 古代マヤ文明における王権システムの研究

    2009年  

     概要を見る

     調査研究の主要対象地域であった、ホンジュラス共和国において、2009年6月に現職大統領(当時)の追放があり、同国内の政治状況が不安定化した。そのため、調査研究を管轄する同国国立人類学歴史学研究所においても人事等の混乱があり、フィールドワークを実施することが困難となった。継続的に現地情報の収集をおこなった結果、同年11月に実施された大統領選挙の結果が国際的にも認知され、また、2010年1月に発足した新政権のもと、事態は収束に向かいつつあることも確認できたが、年度内に体制を整え、フィールドワークの実施には時間的な制約があり、断念せざるを得なかった。こうした事情により、本年度は、2010年3月5日~18日にわたり、メキシコ合衆国での資料調査、ならびに遺跡踏査をおこなった。 古代マヤ王権の比較研究のために、古典期マヤの中心地域の一つである、マヤ西部地域のパレンケ遺跡、ヤシュチラン遺跡を中心に近年の発掘調査の状況を確認した。同地域は遺跡の分布状況などの点で、本研究の主要対象地域である東南マヤ地域と共通する点も多く、両地域に挟まれるように位置する中央低地地域とは異なる様相を示しており、古代マヤ王権システム解明の上では、比較研究のために有効な地域と考えている。併せて、当該地域の中心都市であるサン・クリストバル・デ・ラス・カサスにおいて、マヤ・グループの一つである、ラカンドン・マヤの民族資料を豊富に所蔵するナ・ボロム博物館での資料調査をおこなった。 メキシコ・シティでは、メキシコ国立人類学博物館所蔵資料を中心に古典期マヤの遺物、マヤ系諸民族の民族資料等の観察をおこなった。なお、ホンジュラス共和国については、今後も現地機関との調整を継続していくことを確認した。

  • 古代マヤ社会の考古学的研究

    2010年  

     概要を見る

     調査対象国であるホンジュラス共和国において、2009年6月に発生した「クーデター」、ならびに、その後、2010年1月に発足した新政権への移行のため、諸般の事情が混乱していたが、2011年現在、事態は沈静化し、考古学人類学調査関係も平常化したことが確認されたため、2011年3月9日~24日の期間、現地での調査を実施した。 今回の調査の目的は以下の三点である。(1)コパン考古学プロジェクトの進捗状況の確認(2)リオ・アマリーヨ遺跡修復保存プロジェクトの終了状況の確認(3)ホンジュラス国立人類学歴史学研究所との協定延長についての調整それぞれの概要は以下の通りである。 (1)コパン考古学プロジェクトでは、コパン遺跡の中心グループの北、約150mに位置する9L-22・23グループが調査、および、修復対象地域になっているが、この居住グループは、古典期後期コパン政体エリートのものであり、南東マヤ地域最大の都市遺跡であるコパン王朝を支えていたエリート層の実態解明に貢献しうる調査地域であり、数年来、調査・修復がおこなわれてきた。現在は、主要建造物の修復保存は終了し、2011年中に予定している一般公開のためのCentro de Interpritaciónの建設準備が進められている。野外調査については、修復が必要な一部を除いて、ほぼ終了しており、出土資料の分析や調査時のデータ整理をおこなっている。(2)リオ・アマリーヨ遺跡修復保存プロジェクトは、コパン遺跡の2次センターであるリオ・アマリーヨ遺跡の一部を一般公開のために修復保存をおこなってきた。現在の調査フェーズに関しては、終了し、簡易成果報告もできている。今回、出土資料について観察をおこなったが、かつて、ウィリアム・サトゥルノ氏の調査で発見されたウィッツ・モザイクと対称をなすと思われる資料が確認できた。出土遺物については、現地の調査担当者と黒曜石の原産地等について、エル・チャヤル産黒曜石のサンプルと比較検討し、意見交換をおこなった。(3)ホンジュラス国立人類学歴史学研究所との協定が2011年3月末で期限を迎えるため、その延長が必要であった。同研究所と本学との協定は、本研究課題を含むホンジュラスでの調査研究のために必要不可欠であり、同研究所西部地位責任者のサルバドール・バレラ氏と諸点について調整をおこなった。協定書のドラフトについては、総合研究機構を通じて、国際部で検討の上、現在、協定延長のための手続きを進めており、早ければ5月、遅くとも7月には本学においても承認される見通しである。

  • 古代マヤ政体の再構築に関する考古学的研究

    2014年  

     概要を見る

     ホンジュラス共和国、コパン県ラ・ヒグア市に所在するエル・プエンテ遺跡は1990年代におこなわれた調査によって、南東マヤ地域最大の都市遺跡であるコパン遺跡の2次センターとして古典期中期~古典期後期に栄えたことが明らかになった。2000年代に入ってからも調査を継続してきたが、個々の調査時に作成された図面はあるものの、遺跡全体図に関しては、1990年代に測量されたものしかなかった。当該地域における近年の動向としてもより精度の高い測量図が求められており、本研究では、トータルステーションを用いた再測量を実施した。調査期間等の制約のため、現状では遺跡全体をカバーするには至っていないが、調査・修復がおこなわれた建造物についての測量はほぼ終了した。

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現在担当している科目 【 表示 / 非表示

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