2024/12/21 更新

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マツシマ タケシ
松島 毅
所属
附属機関・学校 高等学院
職名
教諭
学位
修士(文学) ( 早稲田大学 )

学歴

  • 1995年04月
    -
    2000年03月

    早稲田大学   大学院教育学研究科  

研究分野

  • 日本文学   中古文学
 

論文

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特定課題制度(学内資金)

  • 伊勢物語の章段構成方法に関する研究―歌と語りの齟齬から―

    2023年  

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     本研究は、伊勢物語の〈語り〉を切り口として、現行伊勢物語を成立論にとらわれず、統一体と見做し、その構造を明らかにするところから新たな作品読解の可能性を提示することを目標とする。今年度の作業として取り組んだのは、〈語り〉を切り口とした第二段の新たな把握、さらにその切り口から初段と第二段の関係を捉えなおすことであった。これは、最終的な目標である、伊勢物語全体の構造解析の足掛かりとなることを期待してのものである。 第二段の把握に関しては、従来からもその解釈に議論のあった、主人公に対する「まめ男」との評価について、語り手による皮肉との読みが可能である。そこから、やはり古今和歌集との関係について議論のある、「起きもせず」歌を、いわば主人公のひとりよがりを露呈する歌として読み直す、ひいては章段自体を把握しなおすことができるのではないかとの目論見を抱いていたのだが、この点については、ある程度説得力のある議論を展開できる見通しがつき、次年度において論文にまとめたいと考えている。さらに初段と二段の関係についても、従来とは違った形でのセットの関係として説明することができそうであり、さらには第三段以降へつながる筋も見えてきた。これらは今後の課題として構想していきたい。また、本研究と直接的な関係はないが、本研究の延長上で行っていた第六十段の検討の成果を織り込む形で学会発表を行うことができた。論文化したものが学会誌に掲載も決定し、現在入稿準備中であるが、その過程で、第六十段と似て非なる展開を持つ第六十二段の両者の関係について改めて考えるべきとの問題意識も得ることができた。

  • 『和泉式部日記』における二つの「殺す」記事の検討─漢籍引用の可能性を中心に─

    2017年  

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    『和泉式部日記』における「殺す」表現を持つ二つの記事について、既に指摘もあるが、漢籍を中心に引用の可能性を探った。典拠の確認・確定を当座の目標としたが、確定には至らなかった。確定にあたっては、単に文言の類似性だけを考えるのではなく、典拠となる作品が平安朝の日本においてどの程度流布し評価されていたかも検討する必要があろう。それは漢詩文を愛好したとされる敦道親王周辺の文学的環境を明らかにすることにもつながり、『和泉式部日記』の総合的な理解に結びつく課題となるのではないか。

  • 『和泉式部日記』における二つの「殺す」贈答記事の位置づけに関する研究

    2016年  

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     両記事の「殺す」表現は、平安期の文学作品にはきわめて用例も少なく、用語としても場面性としてもやや奇異なものであり、プレテクストの存在が想定される。五月(あるいは六月)の記事に関しては漢籍からの引用を指摘する説もあり、検討を続けているが、当時の漢籍受容の実態も踏まえた考察が必要と考えている。

  • 和泉式部日記における同時代引用の検討及び花山院による成立への関与についての研究

    2010年  

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     8月からの研究開始ということで、研究計画の実施に様々な点で制約が生じたことは否めない。そこで引用表現を新規に追求するにあたって当然求められる本文の再解読を今年度の研究出発点に置いた。今後の研究進展に資するであろうヒント・着想も様々に得られたところであるが、今年度の成果としては、提出した課題に直接即したものではなく、副産物的な面で得られたものが多々あった。一例を記せば、作品中ほどに「手習文」「五首贈答」として知られる記事があるが、従来は「宮」の初句揃えの返歌は工夫に乏しいものとされ、場合によっては「贈答の挫折」との評も呼び起こしていた。本研究を進める過程では副次的なものであるが、「宮」の五首は、実は各々が対応する「女」の歌に対する返歌であると同時に、相互が文脈的に絡み合って表現されたものであることがほぼ証明できると思う。近々、本研究の成果の一端として、何らかの形で発表したいと考えている。

  • 和泉式部日記における引用の諸相-本文論及び読解のための-

    2008年  

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     『和泉式部日記』(以下『日記』)における引用の諸相を課題としてこの1年間研究を行った。特に注意したのは、引用を典拠指摘にとどまるのではなく、文脈の中でどのような効果を期待して引用がなされているかということである。本研究によって得られた成果は多いが、そのいくつかを具体的に述べておくと、例えば、5月の記事に、「宮」の訪問時に「女」宅の門が開けられず、「宮」が仕方なく帰宅する羽目となる事件がある。その折に「真木の戸口」をキーワードとした贈答が展開するが、この場面は状況として不自然な面が見られ、多分に構成的な性格がうかがい得る。注目されるのは、先行する日記文学作品である『蜻蛉日記』にも類似の場面が存在していることであり、近年の研究によってこちらでもその場面の構成的な性格が指摘されているが、そうだとすれば、「男の来訪に対して門を開けない」という状況に対して、『蜻蛉日記』・『日記』がそれぞれの主題性に即した場面構成を行っている可能性が高いといえる。これは、直接的ではないが、『蜻蛉日記』から『日記』への文学史的関係を考える上で示唆的である。 また、5月と10月記事に「山の端の月」をめぐる贈答場面があるが、場面を精査すると、両場面には仏教的文脈が存在することが示唆されており、そう考えるとき、従来は不自然であるとして見逃されがちであったが、これらの記事・贈答は和泉式部の「暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月」を何らかの形で踏まえていることが想定される。 文献調査としては、2回の予定で申請したが諸般の事情により1回しか行うことができないため、当初目的としていた京大本ではなく、その系列に連なる大阪府立大蔵本に対象を変更して実施した。現在知られている京大本との関係など今後も検討を継続し、京大本についてはしかるべき時を得て、別に実施したい。

  • 『和泉式部日記』の贈答歌における〈山の端の月〉の表現性に関する研究

    2000年  

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     『和泉式部日記』には、〈月〉を詠み込んだ歌が数多くある。その中に、〈山の端の月〉を詠み込んだ歌は、2首含まれているが、なぜかどちらも詠者は敦道親王=「宮」であり、和泉式部=「女」は、〈山の端の月〉を歌うことがない。和泉式部には、「暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月」の歌があり、和泉式部の代表歌といえるほど広く知られており、その点で〈山の端の月〉は和泉式部にとって特別な意味を持つ歌語であった可能性がある。にもかかわらず、和泉式部=「女」は、「宮」によって詠みかけられた〈山の端の月〉の歌について応えていない。それはなぜなのか、という疑問が本研究の出発点であった。研究の過程で、〈山の端の月〉がむしろ和泉式部以後の時代において歌語として定着したこと、また、和泉式部の上記の歌を出発点として仏教的色彩を濃厚に帯びていくこと、またそれは、〈山越阿弥陀図〉のような仏教美術の方面からも裏付けられるものであることがわかってきた。一方で、『和泉式部日記』においても、仏教は「女」と「宮」の関係性に大きく関わるものであることが知られており、その点で作品中における〈山の端の月〉も、そうした仏教的色彩をもつ歌語と推測されるのであるが、文脈上の整合性という点でいまだ問題を残しており、志半ばにして研究期間を終えざるを得なかった、というのが現状である。さらに考察を深め、近いうちに発表し得る成果を得たいと考えている。

  • 『蜻蛉日記』・『和泉式部日記』を中心とする日記文学の史的研究

    1997年  

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    本研究の目標は、女流日記文学最初期の作品である『蜻蛉日記』・『和泉式部日記』を主な対象として、そのジャンルとしての発生、あるいは『蜻蛉日記』から『和泉式部日記』へと受けつがれていく女流日記文学の展開の様相を把握しようとすることにあった。研究を進めていく中で次第に明らかとなっていったのは、両作品の関係を明らかにするにあたっては、女流日記文学としての両作品のみならず、両作品の背後に横たわる物語文学との関わりを検討することの重要性であった。 そこで、研究の次の段階として、『蜻蛉日記』・『和泉式部日記』各々と物語との関わりについての検討を行った。その一連の作業を通して、『蜻蛉日記』と、『和泉式部日記』の女流日記文学における位相の違いが明らかになってきた。両者は、片や藤原兼家と道綱母、片や敦道親王と和泉式部という、それぞれ一組の男女の関係を、女性の側に視点を据えて叙述される点で共通しているが、物語を「そらごと」として排しながら、その文体を確立するい至るまで物語の文体に頼らざるを得なかった『蜻蛉日記』に対し、『和泉式部日記』は、むしろ、積極的に物語化を図っている形跡が認められるこのことは、『和泉式部日記』の成立を考える上で重要であり、今後も考究を要する問題である。研究成果の発表1998年5月 『和泉式部日記』成立論―その叙述形態との関連から―(中古文学会春季大会における口頭発表)

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