2024/07/02 更新

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タカハシ リュウザブロウ
高橋 龍三郎
所属
文学学術院
職名
名誉教授
学位
修士(文学) ( 早稲田大学 )
(BLANK)

経歴

  • 1999年
    -
    継続中

    早稲田大学教授

  • 1995年
    -
    1999年

    早稲田大学助教授

  • 1994年
    -
    1995年

    近畿大学助教授

  • 1990年
    -
    1994年

    近畿大学講師

  • 1986年
    -
    1990年

    早稲田大学非常勤講師

  • 1983年
    -
    1986年

    早稲田大学助手

▼全件表示

学歴

  •  
    -
    1986年03月

    早稲田大学   文学研究科博士後期課程 退学   考古学専攻  

所属学協会

  •  
     
     

    早稲田大学考古学会

  •  
     
     

    早稲田大学史学会

  •  
     
     

    日本考古学協会

研究分野

  • 考古学

研究キーワード

  • 先史考古学、考古学

 

論文

  • 第6次加曽利貝塚三次元測量・地中レーダー探査報告

    高橋龍三郎, 横山未来, 岡本樹, 関根有一朗, 山内将輝, 伊藤結華

    早稲田大学文学研究科紀要   68  2022年02月  [査読有り]

    担当区分:筆頭著者, 責任著者

  • 縄文中期から後期の社会大変動を考える

    高橋龍三郎

    「縄文中期から後期への社会大変動を考える」シンポジウム『縄文社会を科学する』予稿集    2022年01月  [招待有り]

    担当区分:筆頭著者, 責任著者

  • 土器装飾からどのようなストーリイを描くか ー社会史復元に向けての試みー」『曽利式土器とその周辺

    高橋龍三郎

    『曽利式土器とその周辺』山梨考古学協会2021年度研究集会資料集    2021年11月  [招待有り]

    担当区分:筆頭著者

  • 山内清男のサケ・マス論の成立過程」

    高橋龍三郎

    『山内清男コレクション受贈記念シンポジウム』資料集    2021年10月  [招待有り]

    担当区分:責任著者

  • 山内清男の考古学と早稲田

    高橋龍三郎

    山内清男の考古学―山内清男コレクション受贈記念―     8 - 11  2021年09月  [招待有り]

    担当区分:責任著者

  • 早稲田大学の考古学実習

    高橋龍三郎

    考古学ジャーナル    2021年07月

    担当区分:筆頭著者

  • 第5次加曽利貝塚三次元測量・地中レーダー探査報告

    高橋龍三郎, 山崎世理愛, 隈元道厚, 川部栞里, 岡本樹, 関根有一朗, 山内将輝, 田邊凌基

    早稲田大学文学研究科紀要   67  2021年02月  [査読有り]

    担当区分:筆頭著者, 責任著者

  • 第3・4次加曽利貝塚デジタル三次元測量・地中レーダー探査(GPR)調査概報

    高橋龍三郎, 山崎世理愛, 隈元道厚, 比留間絢香, 岡本 樹, 鈴木宏和, 川部栞里

    早稲田大学文学研究科紀要   66  2021年02月  [査読有り]

    担当区分:筆頭著者

  • 「縄文中期社会と諏訪野遺跡」『研究紀要』第34号 埼玉県埋蔵文化財調査事業団

    平成27年度ほるたま考古学セミナー特別講演録』     73 - 100  2020年03月  [招待有り]

     概要を見る

    平成27年度に実施した埼玉県教育委員会、埼玉県埋蔵文化財調査事業団主催の「ほるたま考古学セミナー」で特別講演した内容についてまとめたもの。関東地方における環状集落の位置づけと、終末期の様相について、それらが後期の単系出自社会の生成に向けた変革期であることを親族構造、出自体系、婚姻システムの変革と関係づけて述べた。

  • 「縄文時代の土器生産と権威の発生―氏族社会の民族誌から見た土器型式の成立と流通」

    『考古学研究』   第66巻 ( 第3号 ) 23 - 35  2019年12月  [査読有り]

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    縄文土器製作者の性格を論じるにあたり、パプアニューギニア、イーストケープの民族誌調査の成果から、それらの製作に関して女性製作者の間にヒエラルヒーやランクがあること、またそれらが土器を製作使用する際の儀礼的知識、魔女的性格の強弱によることをのべ、縄文時代の儀礼的容器でもある土器製作にも該当する可能性について論じた。

  • 「縄文土器工芸の発達を社会背景から考える」

    高橋龍三郎

    第37回特別展カタログ『縄文文化の頂点』 山梨県立考古博物館     72 - 73  2019年11月

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    山梨県立考古博物館開催の第37回特別展のカタログ『縄文文化の頂点』において、縄文中期土器の装飾の発達の背景に、集団の組織原理の変革があることを述べた。

  • 「未開社会における耳飾の民族誌」

    高橋龍三郎

    シンポジウム『桑野遺跡から見た縄文世界』     83 - 85  2019年10月

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    あわら市教育委員会および日本玉学会主催のシンポジウム『桑野遺跡から見た縄文世界』において、桑野遺跡出土の玦状耳飾りの社会的意義について、フィリピン、インドなどの事例をもとに社会構成員の成員資格などの事例を霊性を背景に論じた。

  • パプアニューギニアにおける民族考古学的研究(16)」

    高橋龍三郎

    『史観』   第182冊   134 - 159  2019年09月  [査読有り]

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    パプアニューギニアにおける民族考古学的研究

  • 「縄文時代の土器生産と権威の発生―氏族社会の民族誌から見た土器型式の成立と流通―」

    高橋龍三郎

    『権力とは何かー生産と流通から考えるー』岡山大学第65回総会・研究集会講演会     1 - 10  2019年04月  [査読有り]  [招待有り]

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    岡山大学第65回総会の研究集会において招待講演。パプアニューギニアの民族誌から、縄文土器が単なる煮炊きの容器としてだけ機能するのではなく、葬送儀礼をはじめとする儀礼的関係性に関わることから、それを製作する女性たちの間に霊性が宿ること、また霊性の高低が製作者のランクやイニシアティヴと関わることを述べた。

  • 「未開社会における耳飾りの民族誌」

    高橋龍三郎

    『桑野遺跡』あわら市埋蔵文化財調査報告第3集     212 - 218  2019年03月  [招待有り]

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    桑野遺跡発掘報告書において、桑野遺跡出土の玦状耳飾りの装飾的意義について、東南アジアの民族誌から論じた。単なる装飾というよりも資質や資格の表示装置として機能する事例を紹介し、桑野遺跡の耳飾りの意義について論じた。

  • 第1・2次加曽利貝塚三次元測量・地中レーダー探査調査概報

    高橋龍三郎

    早稲田大学文学研究科紀要   64  2019年02月  [査読有り]

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    2016年12月、2017年8月に実施した千葉市加曽利貝塚における3D測量と地風レーダー探査の報告

  • 近年の考古学が描き出す縄文社会像

    高橋龍三郎

    日本教育   2018年 ( 11月号 )  2018年11月  [招待有り]

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    最近の調査研究から明らかにされた縄文社会の実態と過去の学説について

  • 世界の民族誌を学ぶことで、縄文時代の何が見えてくるのか?」

    高橋龍三郎

    日本人の起源     78 - 81  2018年05月

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    縄文文化・社会を研究する上で、パプアニューギニア等の民族誌を研究することの意義について

  • パプアニューギニアにおける民族考古学的調査(15)

    高橋龍三郎

    史観   ( 178 ) 80 - 102  2018年03月  [査読有り]

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    2017年8月に実施したパプアニューギニア、ミルンベイ州、イーストケープにおける民族考古学調査の成果報告

  • 地中レーダー探査(GPR)は貝塚の実態をどこまで明らかにできるかー加曽利貝塚の探査を通じてー

    高橋龍三郎

    3D考古学への再挑戦     42 - 54  2017年11月

     概要を見る

    千葉市加曽利貝塚における地中レーダー探査(GRP)の報告

  • パプア・ニューギニアの土器作りと縄文土器

    高橋龍三郎

    進化する縄文土器 〜流れるもようと区画もよう〜長野県立歴史館発行    2017年10月  [招待有り]

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    中期縄文土器に見る動物形突起に関して、それがトーテミズムの表象的意味を持つことをパプアニューギニア民族誌から述べた。

  • 縄文時代の結社組織

    高橋龍三郎

    山本暉久先生古稀記念論文集    2017年05月

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    縄文時代後期の結社組織について、儀礼・祭祀の施設、呪物などから言及した。

  • パプアニューギニアにおける民族考古学的調査(14)

    高橋龍三郎, 大網信良, 平原信崇, 山崎太郎

    史観   176   77 - 102  2017年03月  [査読有り]

     概要を見る

    2016年8月に実施したパプアニューギニアの民族誌調査の成果報告

  • パプアニューギニアにおける民族考古学的調査(13)

    高橋龍三郎, 根岸洋, 平原信崇

    史観   175冊   99 - 115  2016年09月  [査読有り]

     概要を見る

    2015年3月に実施したパプアニューギニアの民族誌調査の成果報告。

    CiNii

  • 個人間の争いから集団間の争いへ

    高橋龍三郎

    新鐘     14 - 15  2016年03月  [招待有り]

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    人間の戦争行為について、その起源を歴史的に遡ると旧石器時代に達する。従来は生産経済が出現して余剰生産物が生まれると、その余剰生産物をめぐって戦争が生まれたと説かれたが、未開社会の民族誌を見ると、魔術や呪術などが原因になっていることが多い。

  • 縄文後・晩期社会におけるトーテミズムの可能性について

    高橋龍三郎

    古代   138   75 - 141  2016年03月  [査読有り]

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    東日本を中心とした縄文時代の後期、晩期におけるトーテミズムの可能性について、動物形土製品、供犠、埋葬状況などから論じ、氏族性社会への以降について論じた。

  • パプアニューギニアにおける民族考古学的調査(12)

    高橋龍三郎, 大網信良, 平原信崇, 山崎太郎

    史観   第174冊   98 - 119  2016年03月  [査読有り]

     概要を見る

    2015年8月に実施したパプアニューギニアにおける家庭的土器生産Ⅱ関する民族誌調査報告。

    CiNii

  • 縄文中期社会と諏訪野遺跡

    高橋龍三郎

    『縄文中期の大環状集落を探る』     13 - 20  2016年01月  [招待有り]

     概要を見る

    埼玉県埋蔵文化財センターが発掘した諏訪野遺跡の環状集落について、成立と衰退の変遷過程に注目し、それが関東地方全域でほぼ同時に惹起したことから、婚姻システムと親族構造の変化であると措定し、後期の単系出自社会に向けた大きな変動であることを、後期のトーテミ制氏族社会の成立から解明した。

  • 「パプアニューギニアにおける民族考古学的調査(11)」

    高橋龍三郎, 中門亮太, 平原信崇

    『史観』 早稲田大学史学会   第172冊   82 - 103  2015年03月

  • 「パプアニューギニアにおける民族考古学的調査(10)」

    高橋龍三郎, 中門亮太, 平原信崇

    『史観』 早稲田大学史学会   第170冊   98 - 121  2014年03月

  • 「パプアニューギニアの土器製作と社会的意味」

    高橋龍三郎

    佐々木幹夫・斎藤正憲編 『アジアの土と炎—民族誌と実験考古学の最前線』     55 - 61  2014年03月

  • 縄文身体装飾の社会的意味

    高橋龍三郎

    公開シンポジウム「縄文時代装身具の考古学」予稿集     59 - 67  2013年11月

  • セピク川中流域の儀礼と霊(spirits)

    高橋龍三郎

    天理参考館報   26   7 - 20  2013年10月

  • パプアニューギニアにおける民族考古学的調査(九)

    高橋龍三郎, 中門亮太, 平原伸崇

    史観   168   103 - 120  2013年02月

  • 亀ヶ岡式三足土器の新たな事例

    高橋龍三郎

    技術と交流の考古学     145 - 157  2013年02月

  • 考古調査士資格と今後の見通し

    高橋龍三郎

    考古学ジャーナル   N0.633   36 - 37  2012年10月

  • パプアニューギニアにおける民族考古学的調査(八)

    高橋 龍三郎, 中門 亮太, 平原 信崇, 岩井 聖吾, 服部 智至

    史觀   166 ( 166 ) 83 - 99  2012年03月

    CiNii

  • 縄文時代における熊谷周辺とその社会

    高橋龍三郎

    発掘出土品展記念講座講義録     1 - 20  2012年03月

  • 千葉県印西市(旧印旛郡印旛村)戸ノ内貝塚第7次発掘調査概報

    高橋龍三郎, 中門亮太, 平原信崇, 岩井聖吾, 服部智至

    早稲田大学大学院文学研究科紀要   第57輯   57 - 82  2012年02月

  • パプアニューギニアの土器製作民族誌から学ぶ

    高橋龍三郎

    パプアニューギニア民族誌から探る縄文社会 三大学合同シンポジウム要旨集     1 - 6  2012年02月

  • 戸ノ内貝塚発掘調査報告

    高橋龍三郎, 中門亮太, 平原信崇, 岩井聖吾

    印西市の歴史   第6号   33 - 43  2012年02月

  • パプアニューギニアにおける民族考古学的調査(七)

    高橋 龍三郎, 中門 亮太

    史觀   164 ( 164 ) 104 - 116  2011年03月

    CiNii

  • 千葉県印旛郡印旛村戸ノ内貝塚第5次発掘調査概報」

    高橋龍三郎他

    『早稲田大学大学院文学研究科紀要』   第55輯   65 - 82  2010年02月

  • 「パプア・ニューギニアにおける民族考古学調査(6)」

    高橋龍三郎, 井出浩正, 中門亮太

    『史観』   第162冊   79 - 100  2010年02月

  • 「M.ゴドリエのグレートマン理論」

    高橋龍三郎, 菊池徹夫編

    『比較考古学の新地平』 同成社     937 - 948  2010年02月

  • 「今月の言葉 大学教育と埋蔵文化財」

    高橋龍三郎

    『考古学ジャーナル』   593号  2009年10月

  • Symbiotic Relations between Paddy-Field Rice Cultivators and Hunter-Gatherer-Fishers in Japanese Prehistory:Archaeological Considerations of the Trasition from the Jomon Age to the Yayoi Age

    Ryuzaburou Takahashi

    Senri Ethnological Studies 73, Interactions between Hunter-Gatherers and Farmers: from Prehistory to Present   ( 73 ) 71 - 97  2009年04月

  • パプア・ニューギニアにおける民族考古学調査(5)

    高橋龍三郎, 井出浩正, 根岸洋, 中門亮太, 根兵皇平

    史観   160   72 - 89  2009年03月

    CiNii

  • 千葉県印旛郡印旛村戸ノ内貝塚第4次発掘調査概報

    高橋龍三郎, 井出浩正, 中門亮太, 大網信良, 新海達也, 根兵皇平, 高橋想, 斎藤直幸

    早稲田大学大学院文学研究科紀要   54 ( 4 ) 109 - 135  2009年02月

    CiNii

  • 書評 縄文土器総覧 (小林達雄編)

    高橋龍三郎

    季刊 考古学   106   105 - 106  2009年01月

  • Palaeolithic Culture and Society in Nile River Valley,

    Ryuzaburou Takahashi

    Orient Vol.XLⅢ   XLIII   3 - 32  2008年05月

  • 縄文社会の変化と階層化

    高橋龍三郎, 谷口康浩, 安斎正人

    『季刊 東北学』   15   6 - 24  2008年05月

  • 総論 縄文時代の社会組織

    高橋龍三郎

    縄文時代の考古学10 人と社会 同成社     17 - 26  2008年04月

  • パプア・ニューギニアにおける民族考古学的調査報告4

    高橋龍三郎, 細谷葵, 井出浩正, 根岸洋, 中門亮太

    史観   158   74 - 99  2008年03月

    CiNii

  • 千葉県印旛郡印旛村戸ノ内貝塚第3次発掘調査概報

    高橋龍三郎, 菊地有希子, 森下壽典, 井出浩正, 中門亮太, 根兵皇平, 大網信良, 新海達也

    早稲田大学大学院文学研究科紀要   53   61 - 85  2008年03月

    CiNii

  • 縄文社会理解のための民族誌と理論

    高橋龍三郎

    縄紋社会を巡るシンポジウムⅤ 『縄紋社会の変動を読み解く』 縄文社会研究会     79 - 93  2007年10月

  • 「パプア・ニューギニアにおける民族考古学調査(三)」

    高橋龍三郎, 細谷葵, 井出浩正, 根岸洋と共

    『史 観』   ( 156冊 )  2007年03月

  • 「千葉県印旛郡印旛村戸ノ内貝塚第2次発掘調査概報」

    高橋龍三郎, 井出浩正, 菅原広史らと

    『早稲田大学大学院文学研究科紀要』   ( 第52輯 )  2007年03月

  • 縄文社会の変革と堅果類利用」

    高橋龍三郎

    『民俗文化』 近畿大学民俗学研究所   ( 第19号 )  2007年03月

  • 編著「総 論」

    高橋龍三郎

    『季刊考古学』 雄山閣   ( 98 )  2007年01月

  • 編著「総 論」

    高橋龍三郎

    『アジア地域文化学の発展—21世紀COEプログラム研究集成』雄山閣   2巻  2006年11月

  • 「研究成果の総括と“アジア地域文化論”」

    高橋龍三郎

    『国際シンポジウム アジア地域文化学の構築Ⅳ資料集』     49 - 52  2006年11月

  • 「書評-『千葉県の歴史 資料編考古4」

    高橋龍三郎

    『千葉県史研究』 第14号 千葉県史料研究財団    2006年03月

  • 「弥生社会の発展と東アジア世界 」

    高橋龍三郎

    」『21世紀COE叢書』21世紀アジア地域エンハンシング研究センター 雄山閣    2006年03月

  • 「北米ミシシッピー文化の比較考古学的基礎研究」

    高橋龍三郎, 菊池徹夫, 佐藤宏之と

    『史観』 早稲田大学史学会   155冊 ( 第155冊 )  2006年03月

  • 「千葉県印旛村戸ノ内貝塚第一次発掘調査報告」

    高橋龍三郎他

    『早稲田大学大学院文学研究科紀要』 第51輯 早稲田大学文学研究科    2006年03月

  • “How symbiosis between hunters-gatherer and farmer began in Japanese prehistory” in World

    Ryuzaburo TAKAHASHI

    Archaeological Congress Inter-Congress:Osaka, WAC Osaka Executive Committee     40  2006年01月

  • 「民族誌からみた縄文土器型式の意味」

    高橋龍三郎

    『縄文社会をめぐるシンポジウムⅢ』 早稲田大学先史考古学研究所    2005年11月

  • クイーン・シャーロット諸島における民族考古学的研究

    高橋龍三郎, 菊池徹夫, 佐藤宏之, 熊林佑允と

    史観 早稲田大学史学会   第153冊   97 - 120  2005年09月

  • 2003年度の考古学界ー埋蔵文化財保護活動の動向ー

    高橋龍三郎

    日本考古学年報   56   12 - 23  2005年05月

  • 第4章 調査研究組織と諸問題

    高橋龍三郎

    日本考古学協会編 第3次埋蔵文化財白書     202 - 204  2005年05月

  • パプアニューギニアにおける民族・考古学的研究(二)

    高橋龍三郎, 細谷葵, 井出浩正と

    史観 早稲田大学史学会   152   87 - 113  2005年03月

  • 「千葉県印旛村戸ノ内貝塚測量調査報告」 2005年3月

    高橋龍三郎他

    『早稲田大学大学院文学研究科紀要』第50輯 早稲田大学文学研究科    2005年03月

  • 早稲田大学収蔵の北上市牡丹畑遺跡出土の縄文土器について

    高橋龍三郎

    會津八一記念博物館研究紀要   ( 6 ) 99 - 112  2005年02月

  • 北米北西海岸部の比較考古・民族学的研究ー縄文文化社会の複雑化過程解明のためにー

    高橋龍三郎, 菊地徹夫, 熊林佑允と

    史観 早稲田大学史学会   150  2004年03月

  • パプア・ニューギニアの民族考古学的調査

    高橋龍三郎, 細谷葵, 井出浩正と

    史観 早稲田大学史学会   147  2003年09月

  • 埋蔵文化財保護活動の動向

    高橋龍三郎

    日本考古学年報 日本考古学協会   54  2003年05月

  • 縄文後期社会の特質

    高橋龍三郎

    縄文社会を探る 学生社    2003年05月

  • 縄文後・晩期社会の複合化と階層化過程をどう捉えるか

    高橋龍三郎

    早稲田大学大学院文学研究科紀要   第47輯  2002年03月

  • Nut exploitation in Jomon Society

    Ryuzaburo Takahashi, Aoi Hosoya

    Hunter and Gatherer Archaeology, (eds.)Maison,S.L.R.and J.G.Hather,Institute of Archaeology,University of College London    2002年03月

  • 総論

    高橋龍三郎

    現代の考古学6 村落と社会の考古学 朝倉書店    2001年10月

  • 総論

    高橋龍三郎

    現代の考古学6 村落と社会の考古学 朝倉書店    2001年10月

  • アフリカ東北部の牧畜社会

    高橋龍三郎

    現代の考古学6 村落と社会の考古学 朝倉書店    2001年10月

  • 原始農耕と栽培農耕

    高橋龍三郎

    歴史が動く時 歴史学協議会 青木書店    2001年10月

  • 集落と墓制、祭祀から見た縄文社会

    高橋龍三郎

    縄文社会を探る 第2回大学合同シンポジウム実行委員会    2001年10月

  • 旧本丸西貝塚出土の遺物

    高橋龍三郎

    『江戸城の考古学』 千代田区教育委員会    2001年03月

  • 丘陵頂部における旧石器の調査

    高橋龍三郎

    アブ・シール南(1) 早稲田大学エジプト学研究所    2001年02月

  • 旧石器時代の遺跡と環境

    高橋龍三郎

    『エジプトを掘る』第14回「大学と科学」公開シンポジウム組織委員会 クバプロ    2000年10月

  • 岩手県大船渡市長谷堂貝塚の研究(2)(このうち、土器を担当PP82−86、PP94−100)

    高橋龍三郎

    早稲田大学院文学研究科紀要   第45号  2000年02月

  • 総論、土器型式編年研究(1) 東北地方 晩期(亀ヶ岡式)

    高橋龍三郎

    『縄文時代文化研究の100年』 縄文時代   第10号  1999年12月

  • 東日本—関東地方における縄文後期前半の墓制

    高橋龍三郎

    『季刊 考古学』 雄山閣   第69号  1999年11月

  • 縄文時代の貝塚と環境

    高橋龍三郎

    會津八一記念博物館 企画展    1999年09月

  • 東部サハラにおける牧畜の起源

    高橋龍三郎

    史観   第141冊  1999年09月

  • 考古学から見たセミ・ドメスティケーション

    高橋龍三郎

    史観   第140冊  1999年03月

  • 岩手県大船渡市長谷堂貝塚の研究(1)(このうち、土器を担当PP59−69)

    高橋龍三郎

    早稲田大学大学院文学研究科紀要   第44楫  1999年02月

  • 考古資料ー関東・東北地方の考古遺物を中心にー

       1998年05月

  • 考古資料ーよみがえる古代文化ー

    高橋龍三郎

    早稲田大学会津八一記念博物館 開館記念名品図録(岡内三眞氏と共筆)    1998年05月

  • Archaeological Studies of Japan:Current Studies of Jomon Archaeology. ACTA ASIATICA. Bulletin of the Institute of Eastern Culture 63 1997 Jun

    Ryuzaburo Takahashi, Yasusi Kojo, Takeji Toizumi

    「日本考古学」第5号に再録    1998年05月

  • 塚本山古墳群測量調査報告3

    早稲田大学文学研究科紀要   43号/P41-42  1998年03月

  • 縄文時代の千代田区域

    高橋龍三郎

    新編 千代田区史 通史編 行政出版   P42-54  1998年03月

  • 2 原始

    高橋龍三郎

    新編 千代田区史 通史資料編 行政出版   P17-27  1998年03月

  • 青森県虚空蔵遺跡出土土器の共同研究

    高橋龍三郎, 菊池徹夫, 岡内三眞と

    文学研究科紀要/文学研究科   42  1997年03月

  • 塚本山古墳群測量調査報告II

    文学研究科紀要/文学研究科   42  1997年03月

  • 「紙上考古学講座 いま考古学がおもしろい」

    高橋龍三郎

    公明新聞日曜版連載(合計20回)    1997年01月

  • 早稲田中学校記録に見る武者金吉、山内素行

    高橋龍三郎

    画龍点晴−山内清男先生没後25年記念論集    1996年09月

  • 青森県虚空蔵遺跡出土の土器について

    高橋龍三郎

    日本考古学協会第62回総会発表要旨/日本考古学協会    1996年05月

  • 1995年の縄文時代学界動向 土器型式編年論晩期(西日本)

    高橋龍三郎

    縄文時代/縄文時代文化研究会   7  1996年05月

  • 縄文時代の遺構と遺物

    高橋龍三郎

    下戸塚遺跡の調査 第1部 旧石器時代から縄文時代/早稲田大学文化財調査室    1996年03月

  • 弥生時代以降の淡水漁撈について

    高橋龍三郎

    早稲田大学大学院文学研究科紀要/大学院文学研究科   41  1996年03月

  • 縄文から弥生へ

    高橋龍三郎

    早稲田大学史学会大会    1995年10月

  • 考古学における生業研究と民俗例

    高橋龍三郎

       1995年05月

  • 四万十川流域に残る木の実の食習

    高橋龍三郎

    季刊Vesta   No25/P72-77

  • 考古調査士養成プログラム

    高橋龍三郎

    考古学ジャーナル   No.603   6 - 9

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書籍等出版物

  • 『科学で読みとく縄文社会』

    高橋龍三郎( 担当: 共著,  担当範囲: 縄文時代中期から後期の社会大変動)

    同成社 刊行予定  2022年03月

  • 縄文時代の結社組織

    高橋龍三郎

    六一書房  2017年06月

     概要を見る

    縄文時代の秘密結社について、土製仮面や儀礼の痕跡から、主に縄文中期から後晩期にかけて顕著に発達したことを述べた。

  • 「縄文社会の複雑化と民族誌」を執筆 『縄文時代ーその枠組み・文化・社会をどう捉えるか?-』所収

    高橋龍三郎, 山田康弘編( 担当: 共著)

    吉川弘文館  2017年03月

     概要を見る

    縄文時代の社会複雑化、階層化課程を論じるに当たって、民族誌研究の重要性と必要性を述べる。

  • 『仏教文明と世俗秩序—国家・社会・聖地の形成—』

    新川登亀男編, 高橋龍三郎, 霊(タマ)からカミへ, カミから神へ, 分担執筆

    勉誠出版  2015年03月

  • 『講座 日本の考古学4 縄文時代(下)』

    今村啓爾編, 高橋龍三郎, 縄文社会の複, 分担執筆

    青木書店  2014年05月

  • 『縄文後・晩期社会の研究—千葉県印西市戸ノ内貝塚発掘調査報告書—』

    高橋龍三郎編著, 早稲田大学考古学コース刊

    平電子  2014年04月

  • 『アジア学のすすめ』 社会文化編 早稲田大学アジア研究機構

    高橋龍三郎, 村井吉敬編

    弘文堂  2010年03月

  • 『東アジアの歴史・民族・考古』 アジア研究機構叢書 人文学篇2

    高橋龍三郎, 新川登亀男編

    雄山閣出版  2009年03月

  • 縄文時代の社会考古学

    安斎正人, 高橋龍三郎, 共編著

    同成社  2007年12月 ISBN: 9784886214171

  • 現代の考古学1 考古学と現代社会

    高橋龍三郎編著, 岩崎卓也氏

    朝倉書店  2007年09月

  • 関東地方中期の廃屋墓

    高橋龍三郎

    同成社 『縄文時代の考古学9 死と弔い』  2007年05月

  • 縄文文化研究の最前線

    高橋龍三郎

    トランスアート社  2004年03月

  • 『歴史が動く時』 歴史学協議会編

    深谷克己編, 高橋龍三郎, 原始農耕と栽培農耕, を分担執筆

    青木書店  2001年10月

  • 『現代の考古学6 村落と社会の考古学』

    高橋龍三郎編著, 総 論

    朝倉書店  2001年10月

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講演・口頭発表等

  • 縄文中期から後期への社会大変動を考える

    高橋龍三郎  [招待有り]

    シンポジウム『縄文社会を科学する』加曽利貝塚博物館特別考古学講座  

    発表年月: 2022年01月

    開催年月:
    2022年01月
    -
     
  • 土器装飾からどのようなストーリイを描くか ー社会史復元に向けての試みー

    高橋龍三郎  [招待有り]

    山梨考古学協会2021年度研究集会  

    発表年月: 2021年11月

    開催年月:
    2021年11月
    -
     
  • 山内清男のサケ・マス論の成立過程

    高橋龍三郎  [招待有り]

    山内清男コレクション受贈記念シンポジウム  

    発表年月: 2021年10月

    開催年月:
    2021年10月
    -
     
  • 縄文時代の社会変動と古人骨のDNA情報」

    高橋龍三郎  [招待有り]

    『最新科学が解明する縄文社会』市原市教育委員会祇園原貝塚シンポ  

    発表年月: 2021年09月

    開催年月:
    2021年09月
    -
     
  • 沢尻東原遺跡と縄文中期の社会と文化

    高橋龍三郎  [招待有り]

    掘るしん in たつの2021  

    発表年月: 2021年06月

    開催年月:
    2021年06月
    -
     
  • 儀礼・祭祀から見た縄文時代の社会複雑化過程、社会階層化過程についてー社会基盤の整備ー

    高橋龍三郎  [招待有り]

    諏訪地域学 第6回原村夏季大学講演会  

    発表年月: 2020年09月

    開催年月:
    2020年09月
     
     
  • 縄文時代の土器工芸の発達を社会背景から考える

    高橋龍三郎  [招待有り]

    第37回企画展「縄文文化の頂点」展講演会   (甲府市)  山梨県立考古博物館  

    発表年月: 2019年11月

     概要を見る

    なぜ山梨県、長野県など中部高地の縄文中期文化が高揚したのか、また土器工芸が極度に発達した理由について、生業や儀礼、祭祀の側面から述べた。

  • 「未開社会における耳飾の民族誌」

    高橋龍三郎  [招待有り]

    桑野遺跡シンポジウム『桑野遺跡から見た縄文世界』」   福井県あわら市教育委員会  

    発表年月: 2019年10月

     概要を見る

    桑野遺跡出土の玦状耳飾りの社会的意義について、東南アジアの民族誌を中心に述べた。

  • 「石器石材採掘坑の出現に関する比較と民族誌」

    高橋龍三郎  [招待有り]

    『岡谷縄文シンポジウム』   (岡谷市)  岡谷市教育委員会  

    発表年月: 2019年09月

     概要を見る

    長和町鷹山遺跡の黒曜石石材産出遺跡の重要性について、エジプトのナズレット=サファーファ遺跡、英国グライムス・グレーヴィス遺跡との比較から論じた。

  • 「これからの縄文考古学と山梨県遺跡」

    高橋龍三郎  [招待有り]

    早稲田大学地域交流フォーラム in 山梨   (甲府市)  山梨稲門会  

    発表年月: 2019年06月

     概要を見る

    山梨県内の所在する縄文遺跡の今まで果たしてきた学術的意義と、これからの学術発展を展望した。

  • 「縄文時代の土器生産と権威の発生―氏族社会の民族誌から見た土器型式の成立と流通―」

    高橋龍三郎  [招待有り]

    岡山大学考古学研究会第65回研究集会『権力とは何かー生産と流通から考えるー』   (岡山市)  岡山大学考古学研究会  

    発表年月: 2019年04月

     概要を見る

    縄文土器製作者は、なぜ創意を凝らして複雑で手間暇のかかる文様装飾を縄文土器に施文したのであろうか。煮炊きだけなら素文の方が効率的である。パプアニューギニアの民族誌調査では、文様装飾などには霊魂観や他界観をはじめ、地域の呪術的、魔術的要素が含意され、そのイデオロギーの保持者が社会的にも高く評価される。縄文時代の土器製作者にもそのような社会的評価があったのではないか、について述べた。

  • 「縄文社会研究にはたす山梨県遺跡の役割―氏族制社会の成立に向けた中期の歩み―」

    高橋龍三郎  [招待有り]

    山梨県立考古博物館協力者協議会   (甲府市)  山梨県立考古博物館  

    発表年月: 2019年04月

     概要を見る

    山梨県何に位置する縄文時代中期、後期の遺跡群について取り上げ、それらが氏族制社会の成立に向けてどのように変革したのか、またそれが日本でも中部高地を中心に引き起こされたことを述べた。

  • 「縄文社会の氏族制の成立に関する研究と課題」

    高橋龍三郎  [招待有り]

    早稲田大学考古学会   (東京)  早稲田考古学会  

    発表年月: 2019年04月

     概要を見る

    2018年度科研費採択を受けて、縄文時代後期に社会複雑化が進展した背景として、親族構造や出自システム、婚姻システムが変革したことを述べ、先祖祭祀、儀礼が高揚した考古学的証拠を挙げて証明した。

  • 縄文時代後期における氏族制社会の出現に関する考古学的意義について

    高橋龍三郎  [招待有り]

    国際シンポジウム 縄文時代の社会変動:日欧の先史時代高等狩猟採集民社会における複合性、物質文化、儀礼、人口論の比較研究  

    発表年月: 2019年01月

    開催年月:
    2019年01月
     
     
  • 縄文時代の社会と宗教―考古学から見た関東地方の縄文時代後晩期社会について―

    高橋龍三郎  [招待有り]

    相模原市ハテナ館講演会   (相模原市)  相模原市教育委員会  

    発表年月: 2018年03月

     概要を見る

    相模原市の縄文時代中期から後期への集落変遷と社会、宗教について講演した。

  • 地中レーダー探査(GPR)は貝塚の実態をどこまで明らかにできるかー加曽利貝塚の探査を通じてー

    高橋龍三郎, 菅谷通保, 西野雅人, 松田光太郎

    3D考古学への再挑戦   (東京)  早稲田大学考古学研究室  

    発表年月: 2017年11月

     概要を見る

    地中レーダー探査による千葉市加曽利貝塚の調査報告

  • パプア・ニューギニアの土器作りと縄文土器

    高橋龍三郎  [招待有り]

    長野県立歴史館講演会   (長野市)  長野県立歴史館  

    発表年月: 2017年10月

     概要を見る

    パプアニューギニアの土器製作民族誌から見た縄文式土器の特性、特に社会的見地から、トーテム表象と氏族社会のついて

  • パプアニューギニアの民族考古学的研究総論

    高橋龍三郎

    日本考古学協会総会第83回総会   (東京 大正大学)  日本考古学協会  

    発表年月: 2017年05月

     概要を見る

    セッション2「パプアニューギニア民族誌研究から縄文土器型式の成立を探る」を担当し、4名の研究発表の代表者。

  • A Consideration of Totemism in Late-Latest Jomon Age Based on Archaeological Records.

    Ryuzaburo Takahashi

    82nd Annual Meeting of Society for American Archaeology   (Vancouver)  Society for American Archaeology  

    発表年月: 2017年03月

     概要を見る

    Though Totemism has been a old fashioned term today in social anthropology, recently discovered archaeological records of Zoomorphological clay figures in Jomon sites in combination with sacrificed animals in burials and polite attitude for special animals strongly suggest that at least social relation between Jomon people and specific animals had important meaning in the clan system of the Late-Latest Jomon society.

  • A Consideration on the Functions of Large Buildings of Late Jomon Age seeing from Ethnography of House Tambaran in the Middle Sepik River, PNG

    Ryuzaburo Takahashi

    国際考古学会   (Kyoto)  溝口孝司国際考古学会会長  

    発表年月: 2016年08月

     概要を見る

    縄文時代後・晩期に関東地方を中心に建築された大型建物(住居)の機能を考えるに当たって、パプアニューギニアのハウスタンバランの民族誌から類推する方法について論じた。

  • パプアニューギニアの民族誌調査と縄文文化研究

    高橋龍三郎  [招待有り]

    昭和女子大学特殊研究講座講演会   (東京)  昭和女子大学  

    発表年月: 2016年06月

     概要を見る

    講演者が自ら実施するパプアニューギニアの民族誌調査の成果を踏まえて、縄文時代の文化と社会について論じる。

  • 加曾利貝塚の埋葬犬と縄文社会

    高橋龍三郎  [招待有り]

    シンポジウム「縄文文化を世界から見る」   (千葉市)  千葉市教育委員会  

    発表年月: 2016年02月

     概要を見る

    加曽利貝塚出土の埋葬犬の社会的意義について、トーテミズムと氏族制社会の発生と絡めて論じる。

  • 縄文中期社会と諏訪野遺跡

    高橋龍三郎  [招待有り]

    縄文中期の大環状集落を探るシンポジウム   (さいたま市)  埼玉県埋蔵文化財調査事業団主催、埼玉県教育委員会  

    発表年月: 2016年01月

     概要を見る

    縄文中期の大型環状集落が出現する社会的背景について婚姻組織の重要性について論じ、諏訪野遺跡の分析から明らかにする。

  • 縄文社会の複雑化と民族誌―民族誌から見た社会の階層化、複雑化理論―

    高橋龍三郎  [招待有り]

    第99回歴博シンポジウム『縄文時代・文化・社会をどのように捉えるか?   (東京)  国立歴史民俗博物館  

    発表年月: 2015年12月

     概要を見る

    縄文社会の階層化課程と複雑化過程について、それを社会人類学的研究方法から説き起こし、オセアニア、台湾の民族誌を参照して部族社会の発展段階を3段階に分け、縄文後・晩期社会を氏族制社会として位置づけ、複雑化の要因を祭祀・儀礼などの発達に求めた。

  • 縄文後・晩期の呪術社会と階層化過程

    高橋龍三郎  [招待有り]

    東アジア古代文化を考える会   (東京)  東アジア古代文化を考える会  

    発表年月: 2015年11月

     概要を見る

    縄文時代後期、晩期における呪術と宗教(先祖祭祀、トーテミズム)について考古学資料から論じ、社会の階層化、複雑化課程について論じた。

  • 「民族誌と理論から探る下野谷遺跡の集落」

    西東京市教育委員会主催 下野谷遺跡国指定記念行事  

    発表年月: 2015年03月

  • 「台湾原住民およびメラネシア民族誌からみた縄文社会の階層化過程」

    早稲田大学アジア研究機構 第90回アジアセミナー  

    発表年月: 2014年07月

  • 「民族誌と理論から探る縄文後・晩期社会」

    明治大学博物館友の会講演会  

    発表年月: 2014年06月

  • 「イアツムル族の移動戦略と社会」

    南山大学 三大学合同シンポジウム『オセアニアの物質文化・民族造形 〜今泉コレクションを中心に 〜 』  

    発表年月: 2014年02月

  • 縄文時代のトーテミズムの可能性を探る

    国立歴史民俗博物館 先史時代における社会複雑化・地域多様化の研究  

    発表年月: 2013年11月

  • 縄文身体装飾の社会的意味

    公開シンポジウム 縄文時装身具の考古学  

    発表年月: 2013年11月

  • 縄文社会研究の最前線

    四次元との対話ー縄文時代と現代  

    発表年月: 2013年10月

  • セピク川中流域の儀礼と霊(spirits)

    三大学合同シンポジウム  

    発表年月: 2013年03月

  • パプアニューギニアの精霊とハウスタンバラン

    鶴ヶ島市教育委員会主催講演会  

    発表年月: 2012年12月

  • オセアニアの民族例から見た装飾

    重要文化財指定記念 桑野遺跡出土展 福井県芦原市記念講演会  

    発表年月: 2012年07月

  • 縄文社会はどこまでわかったか

    『古代七つの文明展』  

    発表年月: 2012年06月

  • パプアニューギニアの土器製作民族誌から学ぶ

    三大学合同シンポジウム  

    発表年月: 2012年02月

  • 是川遺跡からみた亀ヶ岡社会

    八戸市縄文館主催講演会  

    発表年月: 2011年12月

  • 縄文時代の社会と文化

    日本古代文化特別展記念講演会  

    発表年月: 2011年04月

  • 縄文時代の社会と文化

    日本古代文化特別展図録  

    発表年月: 2010年10月

  • 「土器の型式変化と分布に関する民族考古学的研究-パプアニューギニア・ミルンベイ州の事例から」

    第15回早稲田考古学会  

    発表年月: 2009年12月

  • 講演会 「亀ヶ岡文化に見る縄文社会」

    講演会『亀ヶ岡文化の新たな展望』  

    発表年月: 2009年12月

  • 「早稲田大学の考古調査士養成プログラム」

    日本考古学協会研究環境委員会 関西シンポジウム「埋蔵文化財の資格制度を考える」  

    発表年月: 2009年07月

  • 「社会の階層化過程:台湾原住民社会とパプア・ニューギニア社会」

    アジア研究機構シンポジウム 2009年7月  

    発表年月: 2009年07月

  • 「縄文時代晩期集落研究—千葉県印旛郡印旛村戸ノ内貝塚発掘調査成果を中心にー」

    高橋龍三郎  [招待有り]

    日本考古学協会第75回総会   (松本市)  松本市教育委員会  

    発表年月: 2009年05月

     概要を見る

    松本市所在のエリ穴遺跡が松本市の重要文化財に指定されたのを受け、市教育委員会の要請に基づいて、縄文時代後期のエリ穴遺跡を取り巻く社会環境について述べた。

  • 「土器型式の地理的分布に関する民族誌的研究」

    日本考古学協会第75回総会  

    発表年月: 2009年05月

  • 「早稲田大学の考古調査士養成プログラム」

    日本考古学協会第75回総会  

    発表年月: 2009年05月

  • パプア・ニューギニアにおける民族考古学

    公開研究会「パプア・ニューギニアの物質文化 南山大学  

    発表年月: 2009年01月

  • 縄文社会の復元に向けて

    日本考古学協会60周年記念講演会『大学考古学と地域社会ー縄文研究の最前線ー』  

    発表年月: 2008年10月

  • 千葉県印旛郡印旛村戸ノ内貝塚発掘調査の概要

    日本考古学協会第74回総会  

    発表年月: 2008年05月

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共同研究・競争的資金等の研究課題

  • 縄文時代中期から後・晩期への社会変動に関する考古学とDNA分析の共同研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2022年04月
    -
    2026年03月
     

    高橋 龍三郎, 植月 学, 米田 穣, 近藤 修, 藤田 尚, 太田 博樹, 池谷 信之

  • 縄文時代の氏族制社会の成立に関する考古学と集団遺伝学の共同研究

    研究期間:

    2018年04月
    -
    2022年03月
     

     概要を見る

    代表者は早稲田大学の特別研究期間制度の適用を受けて、英国イーストアングリア大学センズベリー日本文化芸術研究所に客員研究員として籍を置きながら研究活動を実施した。本年度は研究の開始期として、主に以下の点について実施した。1 人骨資料のDNA解析、食性分析が実施できるように、千葉県市原市教育委員会の許諾を受け、資料を収蔵する聖マリアンナ大学医学部(平田和明教授)に依頼し、資料の分析に向けた準備を整えた。2 これを受け分担者の太田博樹、米田穣は、祇園原貝塚、西広貝塚の人骨資料のDNA解析、食性分析を開始した。また藤田尚は古病理研究を開始した。3 日本および世界的なゲノム研究の理論と実例を収集し、先史時代のDNA解析の具体例について文献を中心に研究した。日本では国立遺伝学研究所の斎藤成也教授、国立科学博物館の篠田謙一教授らの成果等を研究した。4 縄文後期の氏族制が開始される経緯と、プロセス、結果について考古学から検討した。特に双系出自、単系出自社会に関する民族誌研究を進めた。5 2019年1月11日~12日までケンブリッジ大学セルウィン・カレッジで国際シンポジウム(Jomon in Transition)を共同開催した。イーストアングリア大学、ケンブリッジ大学、国際教養大学、早稲田大学が共同で開催し、高橋は”Archeological indicators for the emergence of Clan system in the Kate Jomon period”と題して、本研究課題に即して研究発表した。分担者の米田穣は”Contrasting patterns of human diet from Jomon to Yayoi: Isotopic analysis of human remains in Central Japan”と題する研究発表を行った。概ね計画通りに進展している。市原市祇園原貝塚、西広貝塚の人骨資料について現在も解析が進められており、縄文時代後期の人骨群について概要を把握しつつある。既データとの比較も順次進めている。併せて世界的な研究の潮流も把握できた。考古学的研究では、市原市、千葉市、佐倉市、君津市、我孫子市などを中心として遺構、遺物に関するデータを集積し検討を開始している。特に大型住居(建物)と内部から出土する異形台付土器、動物形土製品、石棒、耳飾りなどについてデータを集積し、相互の比較を始めている。動物形土製品に関しては、オセアニアなどに見るトーテミズムとの関連が強く窺われるために、当該地域の民族誌を文献から詳しく検討する段階に入った。また、それに先立つ縄文時代中期土器の動物形把手などの事例集成を開始した。これは後期の動物形土製品に引き継がれるトーテム的特徴を有すると判断されるからであり、相互の関連を解明する必要があるからである。同時に動物形土製品を用いて大型住居内で行われた祭祀・儀礼について、内容を検討した。土坑で行ったと考えられるトーテム動物の供犠との関係を明らかにするための資料を検討した。縄文中期の親族構造と出自で推測される双系制社会について、文献に基づいて民族誌の検討を開始した。これは東南アジア各地の伝統的地域に色濃く見られる双系制社会の具体像を把握するためであり、2019年以降に検討を開始する縄文中期社会の実態を予め把握するためである。ゲノムとは別の次元で双系制社会について検討する必要があるからである。これらの研究成果は英国ケンブリッジ大学で共同開催した国際シンポジウム(2019年1月11日、12日)で公表するなど成果が挙がっている。現在進めている祇園原貝塚、西広貝塚の人骨資料のDNA解析と食性分析を最後まで進め、縄文後期の市原市、千葉市周辺地域のゲノム情報、食性について研究成果を纏める。同時に古病理学研究を進めて、縄文後期に特徴的な遺伝的特徴の実態を明らかにする。またそれに先行する縄文中期人骨のゲノム解析、食性分析に着手し、中期の実態を明らかにすると同時に、中期から後期にかけて、どのようなDNA上の変化があったのかについて明確にする。並行して古病理学の検討を通じて、遺伝的な疾病や病理などについて明らかにし、中期から後期への変革に婚姻制度、出自制度の変革がそれらとどのように関わったのかについて結論を得る計画である。当初予想したように、中期環状集落の解体と小規模分散型の後期集落への変化が、行き詰まった婚姻連帯の変革や出自制度の変革を必要としたために惹き起こされたものであるならば、ゲノムや食性の変化に反映し、解析によって明らかにできるはずである。それらのゲノム情報と考古学的研究成果を組み合わせて、縄文中期社会から後期社会への変革と、その理由について明確にする。そのために、考古学では集落の変遷、大型住居(建物)の機能などの分析から、祭祀・儀礼の盛行の実態を明らかにし、先祖差異・儀礼を中核とする宗教・信仰上の変化が氏族制社会への移行を示す証拠であることを実証し、氏族制社会の機能と役割から縄文後期社会について明確に位置づける。氏族制社会については、考古学上の証拠と社会人類学の知識を結合させ、オセアニアや北米などの民族誌データと比較しながら、同時にDNAデータと矛盾なく照合させることができるか検討する

  • 縄文時代の氏族制社会の成立に関する考古学と集団遺伝学の共同研究

    学振  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2018年04月
    -
    2021年03月
     

     概要を見る

    縄文時代中期から後期への社会変動につき、考古学研究とゲノム解析を総合し、氏族制社会(Clan system)が登場する過程を明らかにする。親族構造と出自体系、婚姻システムなどのあり方を両面から明らかにし、その社会的原因を追究する。

  • 民族誌から読み解く土器型式変化の理論的研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2014年04月
    -
    2017年03月
     

    高橋 龍三郎, 大網 信良, 平原 信崇

     概要を見る

    パプアニューギニアのイーストケープ地方およびセピック川流域における伝統的土器作りの製作者の聞き取り調査を通じて、土器型式の成立と型式の変革に関わる技術的要因と社会的メカニズムについて調査研究した。型式変遷の大きな原動力として、一部の主導的立場にある人の伝統的な世界観が他の製作者にも影響を与えている可能性が浮上した。土器型式は単に技術的側面だけで成立するのではなく、背後に土着信仰を含めて宗教的世界が大きく関わり、地域社会で共有される必要があり、それらの総合的文化・社会的脈絡のうちに成立し、変遷することが推察された。これは未開社会における理論的理解であり縄文式土器型式の研究にも重要な示唆を与える

  • 民族誌を用いた土器型式の動態把握のための理論的研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2011年04月
    -
    2014年03月
     

    高橋 龍三郎, 中門 亮太

     概要を見る

    縄文土器型式の成立過程を、型式的特徴の継承・伝播現象と分布のメカニズムから把握し直し、それをパプアニューギニアの家庭的土器生産の民族誌調査から理論的に再構築することを目的にした。研究期間中、パプアニューギニアのイーストケープ地方とワリ島、セピク川中流域に出張して民族誌調査を実施し、部族社会の製作者に聞き取り調査を行った結果、母親から娘への技術的継承関係が明らかになるとともに、単なる土器製作技術だけではない、製作者の世界観までが製作者のリーダーとしての在り方や型式変化に大きな影響を与えていることを見出した。研究成果に基づいて公開シンポジウムを開催した

  • 完新世の気候変動と縄紋文化の変化

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2010年04月
    -
    2014年03月
     

    安齋 正人, 福田 正宏, 國木田 大, 辻 誠一郎, 髙橋 龍三郎, 佐藤 宏之, 佐藤 由紀男, 北野 博司, 熊木 俊朗, 蛯原 一平, 菅野 智則

     概要を見る

    数度にわたる完新世の気候寒冷化とその後の急激な回復(ボンド・イベント:約8200年前、約5800年前、約4300年前、約2800年前のピーク)と、縄紋土器の放射性炭素(14C)年代測定値の暦年較正年代とを対比させた結果、それぞれの気候変動が、草創期の終末/早期の初頭、早期後葉/前期初頭、前期後葉/中期初頭、中期後葉/後期初頭、晩期後葉/弥生初頭に対応することがわかった。とくに約8200年前のピークである8.2kaイベントの影響は、定住・集住集落の解体と遊動化、そして再定住化という居住パターンの変化として、列島各地の考古資料に明瞭に記録されている

  • 文明移動としての「仏教」からみた東アジアの差異と共生の研究

    科学研究費助成事業(早稲田大学)  科学研究費助成事業(基盤研究(A))

    研究期間:

    2011年
    -
    2014年
     

     概要を見る

    第一に、本研究の日常的な基盤となる定例研究集会を7回おこなった。
    第二に、特別研究集会を2回開催した。1回目は、古井龍介・馬場紀寿両氏(東京大東文研)を招いて、インドおよび東南アジアの仏教文明に関する最新の研究状況を学び、意見交換をおこなった。仏教文明の本源と東アジア仏教との差異を知ることができた。2回目は、石見清裕氏(早稲田大)を招いて、中国太原地域の地政学的位置を学んだ。これは、前年度における本研究での太原石窟(仏教・道教)調査を補うものである。
    第三に、シンポジウムを早稲田大学で2回開催した。1回目は、9月28日の「対敵と仏法」である。昨年度の課題を継承して、これまで見失われがちであった仏教の実践的側面、つまり造形物にみられる対敵、調伏、防御の役割を追求した。大島幸代(龍谷大)、三上喜孝(山形大)、長坂一郎(東北芸工大)、黒田智(金沢大)、長岡龍作(東北大)各氏の報告を受けて討論がおこなわれた。2回目は、12月21日の「言語・文字の転回からみた『仏教』流伝」である。翻訳を含む言語文字表現の変革と仏教の関係を問題視した。朱慶之(香港教育学院)、吉田豊(京都大)、阿部龍一(ハーバード大)、ジョン・ウイットマン(国立国語研究所)、河野貴美子(早稲田大)各氏による報告および問題提起がなされた。
    第四に、研究分担者城倉正祥氏を中心にして、2014年2月末から3週間以上、千葉県龍角寺跡の調査をおこなった。かつて多くの文字瓦を出土した本寺院跡は、仏教文明の列島移動において注目されるところであるが、本格的な調査は進んでいなかった。このたびは、最新技術のレーダー探査などを駆使し、廻廊を含む伽藍配置の歴史的変遷などを確認した。また、散布する古代瓦を慎重に回収し、次調査に備えた。

  • 共同研究 国立歴史民俗博物館 先史時代における社会複雑化・地域多様化の研究

    研究期間:

    2012年
    -
     
     

  • 文部科学省委託事業 埋蔵文化財調査士の養成および資格授与のための埋蔵文化財科学実践プログラム

    研究期間:

    2007年
    -
    2009年
     

  • 未開社会の土器生産と縄文社会の比較研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2007年
    -
    2008年
     

    高橋 龍三郎, 井出 浩正

     概要を見る

    パプア・ニューギニアのイーストケープ地方で家庭的土器生産に関する民族誌調査を実施し、土器型式が集団内で分有され世代間に継承されるメカニズムと、それが一定の地理的範囲に分布する要因を調査した。縄文土器の型式と分布に直接関わるテーマで、単系出自社会であること、婚姻とトーテムなどの親族構造と係わることを解明した。比較のために千葉県印旛村の戸ノ内貝塚を調査し、姥山II式とその分布の実態を比較した

  • 環南シナ海先史時代の交流に関する基礎的研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2006年
    -
    2007年
     

    山形 眞理子, 田中 和彦, 松村 博文, 高橋 龍三郎

     概要を見る

    環南シナ海地域の先史時代の交流というテーマに最も合致する遺跡として、ベトナム中部カインホア省カムラン市ホアジェム遺跡を選び、平成18年度(2007年1月)に発掘調査を実施した。ベトナム南部社会科学院、カインホア省博物館との共同調査であり、ベトナム考古学院の協力もいただいた。その結果、6m×8mの面積の発掘区から甕棺墓14基、伸展土坑墓2基を検出することができた。そのうち6号甕棺から漢の五銖銭2枚が出土したことから、ホアジェムの墓葬の年代を紀元後1,2世紀頃と結論づけることができた。平成19年度にはカインホア省博物館において出土遺物の整理作業を実施した。6個体の甕(棺体)をはじめ、多くの副葬土器を接合・復元することができたが、それらはベトナム中部に分布する鉄器時代サーフィン文化のものとは異質で、海の向こうのフィリピン中部・マスバテ島カラナイ洞穴出土土器と酷似することがわかった。これは南シナ海をはさんで人々の往来があったことを示す直接の証拠であり、重要な成果である。ボアジェム遺跡とオーストロネシア語族の拡散仮説との関係、さらには、1960年代にハワイ大学のソルハイムが提唱した「サーフィン・カラナイ土器伝統」の再吟味という、二つの重要な課題がもたらされた。甕棺に複数遺体を埋葬する例があることも大変に珍しい。たとえば8号甕棺からは3個の頭蓋骨を含む多くの人骨が検出され、人類学者によって一人が成人女性、あとの二人は5歳くらいの子供と確認された。成人は改葬ではなく一次葬である。人骨の系統分析(歯冠計測値と歯のノンメトリック形質にもとづく)によれば、ホアジェム人骨の特徴はフィリピンのネグリトとの親縁性を示した。遺跡から採取した炭化物と貝の放射性炭素年代は前1千年紀前半を示したが、これは墓葬に先行する居住の時期と考えられる

  • 東アジア村落における水稲文化の儀礼と景観

    科学研究費助成事業(早稲田大学)  科学研究費助成事業(基盤研究(A))

    研究期間:

    2004年
    -
    2007年
     

    海老澤 衷, 堀口 健治, 深谷 克己, 紙屋 敦之, 新川 登亀男, 西村 正雄, 岡内 三眞, 高橋 龍三郎, 久保 健一郎

     概要を見る

    本研究は東アジアにおける水田農耕と社会との歴史的・文化的な関係を明らかにするものである。とりわけ、東アジアにおける日本の位相を明確にすることを目的とし、分析を進めるにあたって、その視点を宗教的儀礼と村落景観に定め、具体的なフィールドを設定して研究の深化を図った。日本はインド文化の東限の地として知られるが、その位相を明確化するために東西の軸として中国と日本を設定し、水稲文化と仏教文化の伝播を中心に考察を行った。南北の軸としては、日本とインドネシア・バリ島を設定し、水田農耕や村落景観の究明を行った。前者については日本の東大寺を中心に据え、仏教文化と稲作との関係を考察し、東大寺境内での調査を実施して、2004年11月27日にはシンポジウム「古代・中世仏教寺院の水田開発と水稲文化」を実施した。また、2005年10月29日に実施したシンポジウム「ジャポニカの起源と伝播」においては、コメ作りのルートとして南方ルートを重視しつつ、日本の位相を考察し、古代から近世までの状況の一端を明らかにし得た。東西軸は、国家による仏教、国家による水利灌瀧が考察の対象となり、アンコールワットを中心とするカンボジアの調査がこれに大きく貢献した。
    南北軸については、インドネシア・バリ島での調査・研究を深めるとともに、愛媛県弓削島の調査を進めることができた。バリ島では、東部のバサンアラス村においてスバック・バサンアラスの報告書を入手することができ、水利に関する村の共同体として知られているスバックの現地報告書を日本で初めて全面的に翻訳し、「講座水稲文化研究II バリ島の水稲文化と儀礼-カランガスム県バサンアラス村を中心として-」に他の論文とともに掲載することができた。
    以上のことから東アジアの水田農耕社会の基盤部分が明らかになったといえよう。

  • 古代社会の発展と都市化の比較考古学的研究

    科学研究費助成事業(早稲田大学)  科学研究費助成事業(基盤研究(B))

    研究期間:

    2002年
    -
    2005年
     

    菊池 徹夫, 岡内 三眞, 高橋 龍三郎, 近藤 二郎, 寺崎 秀一郎, 谷川 章雄, 小高 敬寛

     概要を見る

    本研究では、古代社会における複雑化・階層化、また都市化の問題をとりあげ、研究代表者・分担者がこれまでも調査を実施してきた日本、韓国、中国、エジプト、西アジア、北米、メソアメリカ、南米などについてケース・スタディを行ったうえで、比較考古学の方法論を探りつつ、通文化的に検討した。
    とくに、2002年度には、研究代表者の菊池、分担者のうち岡内、高橋、近藤および寺崎が、メソアメリカの現地調査を行った。メソアメリカの神殿をともなう都市遺跡こそ、新大陸における古代社会の発展、都市化の問題を考える上で、不可欠の資料だからである。実際、各自がそれぞれのフィールドでの問題意識と比較しつつ調査を進めたことで、大きな成果をあげた。
    さらに、メソアメリカと並ぶ重点領域として、菊池、高橋らは、北米において、北西海岸(2003年度)、クイーン・シャーロット諸島(2004年度)、ミシシッピ文化の諸遺跡(2005年度)のフィールド・ワークを実施し、特に日本列島の縄文文化をはじめ、世界各地の先史社会を比較検討するうえで重要な知見を得た。その成果は一連の論文として公表された。
    こうした事例研究の成果をまとめるため、また研究組織内だけでは得がたい多角的な検討を行うため、2004年12月に、国際研究集会『考古学からみた社会の複雑化』を開催し、菊池、岡内、高橋、近藤、寺崎および小高を含む15名が研究成果を発表した。さらに、1月にも発表者が再度集い、比較考古学的視座から社会の複雑化に関する座談会を開催した。その成果は、研究の一応の総括として、『社会考古学の試み』(同成社)と題し、出版された。
    その後も各地の調査を継続し、研究の精緻化に努めたが、もとより、「古代社会の複雑化、都市化」という大きなテーマに対し、この短期間ですべての結論を出せるはずもない。今後もなお何らかの資金を得て、追究は継続したい。

  • アジア地域文化に関する共同研究:中国

    文部科学省 

    研究期間:

    1998年
    -
    2002年
     

  • エジプト、アブ・シール遺跡の旧石器遺跡の研究

    研究期間:

    1992年
    -
    2001年
     

  • 縄文時代における堅果類利用に関する研究

    研究期間:

    2000年
    -
     
     

  • 中国新彊トルファンヤールホト古墳群の総合研究

    科学研究費助成事業(早稲田大学)  科学研究費助成事業(基盤研究(B))

    研究期間:

    1998年
    -
    2000年
     

    菊池 徹夫, 菊池 徹夫, 大橋 一章, 岡内 三眞, 長澤 和俊, 谷川 章雄, 田中 良之, 荒川 正晴, 高橋 龍三郎

     概要を見る

    3年目の今年度はこれまで収集したデータの整理,さらにはその分析に主眼をおいた。
    当該研究では,基礎データの整備を急務と考え,500分の1の地形測量図と250mグリッドによる墳墓分布図の作成を計画し,昨年度までに全域の分布図をほぼ完成し,今年度は追加調査を実施し修正を加えた。地形図・分布図の作成によって,墓域内の分布の偏りや造営の傾向の把握が可能となった。現地で記録した個々の墳墓のデータ(立地,封土の有無,葺き石の有無,既掘・盗掘の有無,墳丘長・幅,墓道の状態,墓道長・幅,墓道方向など)をコンピュータに入力し,画像をあわせてヤールホト古墳群データベースを作成した。ここに当初の目標であるデータベースを、ひとまず完成させることができた。
    分布図とデータベースの作成,それに発掘調査の成果をあわせてヤールホト古墳群の造営に関していくつかの傾向を把握することができる。以下にデータベースをもとにした分析から得た幾つかの傾向を指摘し,当該研究の今後の可能性を示すことにする。
    麹氏高昌国時代の墳墓は,各群単位で塋域数と墳墓数の相関関係,塋域開口方向,塋域の造営方法などを検討すると,(1)墳墓の構築場所をみると城南区の北西側ほど塋域内に墳墓がつくられる例が多く,南東側ほど塋域外につくられる墳墓の割合が高まる,(2)塋域の開口方向は,ほぼ南東向きか北東向きであり、全体の9割近くをしめる,(3)塋域の規模は北西側の地域が大きく,南東側ほど規模が小さい,(4)塋域の半数以上が塋域内の全域をみたすことなく造営を終了する,(5)一定期間続けて2列以上墳墓が作られた塋域では、6割以上の率で,もっとも奥に最大規模の墳墓をもつ傾向を導き出すことができる。
    唐の西州時代の墳墓は,640年に麹氏高昌国を唐が滅ぼし,安西都護府が設置されて以降に見られる。墓誌の紀年銘をあわせ見ると,唐の支配下となったあとも引き続き同じ塋域内に墳墓を構築していることがわかる。唐によって麹氏高昌国が滅ぼされた後,統治機構などには大きな変化を被りながら,墓葬は従来の伝統を踏襲しつつしだいに中原風の埋葬習俗を受け入れたことが解る。
    今後はあしかけ10年におよぶこの調査成果を基礎にして、60年前に調査した黄文弼の墳墓との比定、ヤールホト古墳群の発掘調査、周辺地域の墳墓との対比などが要請される。また交河故城や高昌故城など都城遺跡との関係や甘粛省や中国内地の墳墓との比較研究が必要になろう。そのための基礎的なデータは、今回の研究によって十二分に蓄積されたと考えている。

  • 四川省成都盆地における巴蜀文化の研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    1997年
    -
    2000年
     

    工藤 元男, 吉田 順一, 菊池 徹夫, 福井 重雅, 小澤 正人, 岡内 三眞, 大脇 潔, 高橋 龍三郎

     概要を見る

    成都平原の先秦文化は、新石器時代晩期の宝〓文化→殷代に並行する三星堆文化→殷末〜西周・春秋時代前期の十二橋文化→戦国時代の上注家拐文化に編年され、これらは蜀文化の系譜である。それに対して、重慶を中心とする地域に宝〓文化と並行する魏家梁子文化が存在し、それは後の巴文化地域に相当するものである。したがって四川の二大地域文化である"巴蜀文化"の原型は、すでに新石器時代晩期にまで遡ることになる。この巴蜀文化を成都平原に隣接する川西高原および西北高原の古代文化と関連させて検討するため、山民江・大渡河・雅〓江・金沙江・瀾滄江流域に分布する特異な墓葬、すなわち石棺葬について分析した。とくにこの墓葬が集中して分布する岷江上流域について検討すると、この地域は太古から中国の西北と西南を結ぶ重要な交通ルートであり、このルートに沿ってさまざまな民族が中国西南地方へ移動してきたこと、石棺葬を残したのは戦国時代〜漢代に四川西北の山岳地帯に居た冉〓であり、彼らは羌や〓からなる部族であることが明らかになった。そのため改めて巴蜀文化の主たる担い手である蜀族について検討すると、蜀族はもともと岷江上流の岷山山脈および〓〓山脈一帯に居り、この一帯は先秦時代では〓・羌系の民族の居住地帯だったところであり、それ故に蜀族の来源は〓・羌系諸族との関係が深いことが分かり、〓・羌系に出自する蜀族が早期蜀文化を代表する三星堆文化の主要な創造者であったと考えられる

  • 亀ヶ岡文化における土器の文様類型と地域性に関する研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    1997年
    -
    1999年
     

    高橋 龍三郎

     概要を見る

    平成9年度から11年度にかけて3年度に亘り、研究課題である「亀ヶ岡式文化における地域性の把握」について、調査を遂行してきた。主な調査対象は各都道府県の埋蔵文化財センターや教育委員会に所蔵される大洞C1式土器の文様装飾のうち、ネガ文様に注目して、ミクロな文様構成要素に分解し、各要素がどのような一般的な法則性のもとに組成を成立させているかを分析した。青森県槻木遺跡、土井1号遺跡、岩手県上鷹生遺跡、獺沢貝塚、中沢浜貝塚、山形県漆坊遺跡、北柳遺跡、高瀬山遺跡、作野遺跡、湯沢遺跡、秋田県では戸平川遺跡などを尋ねて資料を収集し、土器の実測作業や写真などによって記録しながら推進した。その他に、報告書等で既に報告されている資料についても要素を抜き出して、分析の対象にした。分析の対象にした数百個体の土器すべての文様を、ミクロなネガ文様の要素に分解し、個別に要素数をカウントし、実数として把握できたのは、従来の研究には無かった新しい成果であった。これらは今後の統計分析の源泉をなす。初歩的な統計分析によって、それらは土器型式間で一般的に自由な組成を成立させるが、数多の要素群中には、特定の要素間で頻繁に組み合わせを生じる「親和的関係」と、逆に組み合わせが生じ得ない「忌避関係」があることを示すことができ、さらにそれらが要素間の組成として独特な地域的まとまりをなすことが遺跡分布の上から確認された。それらは大洞C1式土器の装飾から見た地域差として把握される。それだけでなく特定の要素そのものに地域性が発現していることを窺い知ることができたことは、亀ヶ岡式土器の文様装飾に見る地域性の発現の仕方に、一面的でない重層的なあり方があることを予感させ、今後の研究に重要な示唆を得た

  • 岩手県名川町虚空蔵遺跡出土土器の共同研究

    研究期間:

    1997年
    -
     
     

  • エジプト・アラブ共和国アブ・シール南地区における丘陵頂部および周辺遺跡の調査

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    1995年
    -
    1997年
     

    吉村 作冶, 柏木 裕之, 秋山 慎一, 高宮 いづみ, 近藤 二郎, 西本 真一, 長谷川 奏, 森 啓, 櫻井 清彦, 中川 武, 高橋 龍三郎, 菊池 徹夫

     概要を見る

    1991年以降の発掘調査によって、本遺跡においては、新王国時代第19王朝ラメセス2世の第4王子カエムワセトに所属する大型石造建造物が検出されていた。平成9年度には、石造建造物の完掘と周辺遺構の検出を主な目的として発掘調査が行われた。調査の結果、石造建造物南側外壁と南西コーナーが検出され、南北約25m、東西約30mという建造物の全体規模が確認された他、東西方向の主軸を中心としてほぼ左右対称の構造を持つことが明らかになった。さらに、北西コーナー部においてカエムワセトのファイアンス製スカラベと小牌を含む地鎮具が検出され、石造建造物が王子自身によって創建されたことが確実となった。また、建造物の東、北および西側において周辺遺構の検出を試みた結果、東側丘陵斜面下において石灰岩製の石材配列が、北側において石灰岩製のペイブメントが検出され、 本遺跡には石造建造物以外にも多数の遺構が築かれていることが明らかになった。さらに、丘陵西側斜面の発掘調査では、堆積中から、土器とプラスターを中心とする残存良好な遺物が多数検出された。これら石造建造物周辺の調査によって入手された遺物の中には、年代が明確に知られるものが多数含まれていた。平成9年度の調査は、第19王朝の石造建造物が中心部を占める本遺跡が、実際には第18王朝からビザンツ時代まで、2千年近くの長きにわたって使用され続けたことを明瞭に示した。特に、第18王朝中期に年代付けられる多量の青色彩文土器をはじめとする土器群の出土は、従来ほとんど知られていなかったメンフィス地区における同時期の土器の集成を可能にしたことで重要である。さらに、末期王朝時代の遺物と銘文の出土によって、この時期にも本遺跡が人間活動の領域になっていたことが確認された

  • エジプト・アラブ共和国 アブ・シール地区におけるピラミッドおよび周辺遺跡の調査

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    1991年
    -
    1993年
     

    吉村 作治, 登内 正治, 西本 真一, 高橋 龍三郎, 谷本 親伯, 森 啓, 中川 武, 菊池 徹夫, 櫻井 清彦, 近藤 二郎, 張替 いづみ

     概要を見る

    1993年8月中旬より10月上旬にかけて、アブシールのピラミッド群の南方約1.5Kmに位置する丘陵頂部において発掘調査を行ない、同年12月中旬から1994年1月下旬にかけて出土遺物の整理作業を実施した。本課題研究の初年度(平成3年度)調査では、第19王朝ラムセス2世の第4王子カエムワセトに所属する建造物と推測される石造建造物の床面と壁が検出され、次年度(平成4年度)調査では石造建造物の平面プランの大要を確認する成果を得た。出土した遺構は、列柱室から奥室に至る構造を有し、長軸は20mを越える規模を測る。同プランは、サッカラ地域における新王国時代墳墓、私人のチャペル等に比較し得るが、性格決定自体は今後の課題として残された。そこで本年度調査では、丘陵頂部に残る遺構の「全体像」からこれを解明するべく、調査区域が「奥室」と想定されていた西側地区に設定された。調査の結果、この西側地区からはこれまでのプランで確認されていたような大規模な石造建造物は確認されなかったが、遺構全体の建造の在り方に関しては貴重な検討材料を得た。まず古生物調査によって、同丘陵部の堆積層直下約3mの位置には、ウニ・カキ等の微化石を含む石灰岩盤層があり、これはギザ台地より続くフォーメーションを構成しているものであることが判明した。また遺跡分布調査により、丘陵部東端を中心とし、中期旧石器時代の石核石器、剥片等が散布していることも新たに確認された。石灰岩盤直上には、大型礫より構成される層が1mほど堆積しており、石器以外の加工品はみられていないことから、同層が石造建造物構築時における自然地形を構成していると判断された。発掘調査の結果、調査区の西南隅は地山礫層の標高が最も高くなっている地点であり、それぞれ東側、北側に向うにつれて地山面は降下していることが再確認された。丘陵頂部の建造物はこのような自然地形を利用しながら建造され、ナイルの沃土層及び赤褐色の粗砂層等が人工的構築層として用いられ、建造物のペイブメント、壁面の裏込め等に利用されていると推測された。今期調査区では、これらの人工堆積層が遺構の東西軸と南北軸に平行に、幅2m程の砂層堆積層を間に残し垂直に立ち上った遺構部分が検出され、これが石製建造物をめぐるように配されていることから、遺構の全体的平面計画に関わる遺構として注目された。既に列柱室の背面部分で確認されているように、壁面の構築技法として地山礫層を削り込んで基礎壁体を積み上げていく技法が確認されているが、同遺構部分にも同様な技法によって建造物全体をめぐる壁体が存在していた可能性がある。また今期調査では、これら石造建造物に用いられている石材自体には、再利用石材が用いられている例が多数検出された。これら再利用石材と考えられる石材は、ピラミッド外壁に一般的にみられる風化面と傾斜角を有していることが注目される。遺構の全体像を解明していくためには、現在未発掘の列柱室前面部、遺構長軸の北側地区、奥室のさらに背面部の在り方等が問題となる。特に今期調査地区外域の北西部分に大規模な日乾煉瓦壁が残存しおり、同地区の発掘調査が丘陵頂部遺構の性格、規模、建造年代等を決定していくための急務となろう。石造建造物の建造時期に関しては、既に出土したレリーフの技法、様式また建造地業層より出土した彩文土器片等からカエムワセトと同時代の第19王朝時代と考えられているが、今期はこれに先立つ第18王朝の王の名を有するステラ(奉納碑)が出土した。これによって、第18王朝時代において丘陵頂部に何らかの遺構が存在したか、また新王国時代末期におけるメンフィスとテ-ベの問題、さらには石工を中心としたいわゆる「メンフィス工房」の職人集団の在り方等、今後重要な議論に発展していくと考えられる。その他の土器、ファイアンス製品、ガラス製品等の遺物においては、遺構建造時における人工的構築層と攪乱の砂層に含まれる遺物という大枠の中での比較から、これまで推測されていた遺構の建造から破壊に至る年代的位置付けが再検討されていくことが期待される

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Misc

 

特別研究期間制度(学内資金)

  • 先史社会の複雑化・階層化過程の研究

    2018年03月
    -
    2019年03月

    英国   イースト・アングリア大学 センズベリー研究所

  • 英国における理論考古学の最近の発達について

    2000年04月
    -
    2001年03月

    イギリス   ケンブリッジ大学

特定課題制度(学内資金)

  • 山内清男コレクションのデータベース作成

    2020年   石井友菜

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    本研究では、2017年に會津八一記念博物館に寄贈された、日本考古学の代表的研究者である山内清男博士の研究資料(山内清男コレクション)をデータベース化して公開することを目指し、コレクションの整理・研究を行った。とくに、コレクションの中心をなす研究メモ、紙焼き写真など劣化が危ぶまれる資料について、先史考古学の専門知識をもつ大学院生の補助をうけてデジタル化(高精度のスキャニング)・リスト化(先史考古学の知識に基づく写真内容の検証とそのリスト化)を重点的に進めた。この結果、約1万枚の紙焼き写真のリスト化・デジタル化、および博士の研究課程・分類案などを記した約2000枚の研究メモ・ノート類の文字起こしが完了した。

  • 亀ヶ岡式土器の秘儀的性格に関する比較民族学的研究

    2018年  

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    特別研究期間制度の適用を受け、英国のイーストアングリア大学センズベリー日本芸術文化研究所に客員研究員として在籍し、主に以下の研究を実施した。1 パプアニューギニアの民族誌に関する文献を収集購読した。2 亀ヶ岡式土器の精製土器の複雑で煩瑣な土器装飾について、葬送儀礼との関係で読み解き理論的に検討した。成果は2019年2月に浅間縄文ミュージアムで開催された縄文シンポジウムで記念講演(「民族誌から見た土器文様の機能と製作者の精神世界」)した。3 岡山大学考古学研究会より、2019年4月の「第65回総会」にて記念講演を要請されたので、講演要旨を執筆して提出した。4 民族誌調査のため、2019年2月、3月にパプアニューギニア民族誌調査を実施する予定であったが、1月下旬に賊団が調査地近くのアロタウ市で警察署を銃撃し多数の死傷者を出す事件が発生したので、安全性に鑑み2月中旬に段階で現地調査を中止した。

  • 日本におけるトーテミズムの発生に関する考古学的研究

    2018年  

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    本年度は、大学の特別研究期間制度の適用を受け、英国のイーストアングリア大学センズベリー研究所に客員研究員として在籍し、特定課題研究Aに関して以下の項目について研究した。 1.パプアニューギニアの民族誌に関する文献を収集購読して論文執筆および現地調査に備えた。2.縄文遺跡出土の動物形把手を持つ土器につき、遺跡発掘報告書や博物館資料(山梨県立考古博物館)からリストアップする作業を実施した。3.縄文中期の氏族制成立前夜の社会様態について検討した。4.パプアニューギニアの民族誌調査は、調査地近くで賊集団が銃撃事件を引き起こしたため、安全が確保できなかったために中止した

  • 縄文土器の型式は誰が変えたのかー民族誌研究が明らかにする土器型式と精神世界ー

    2017年  

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    2018年3月10日~21日までミルンベイ州イーストケープと(ケヘララ、トパ)およびノルマンビー島クラダのフィールド調査をした。(1)土器型式の成立で女性土器製作者の婚後夫方移動が重要な契機になること、(2)本島とノルマンビー島の土器交流が、基本的に親族間(クラン間)の「キドコ交易」に由来すること、(3)型式の変化について、土器製作者の持つ精神世界が重要な役割を果たすことを見出してきた。(3)に関して土器製作者の持つ精神世界の研究を深め、石造遺構(立石(ガイマ、ダイ、ダイダイ))と墓地との強い関係、クラン墓と霊山ブウェブウェッソ山との強い関係、立石と呪力の強い関係性などを新事例の発見を通じて明らかにした。

  • 縄文社会の呪術と儀礼に関する研究

    2016年  

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    「縄文社会の呪術と儀礼に関する研究」を遂行するうえで、大きな課題が2つある。1つは、縄文時代の呪術と儀礼、祭祀が最も高揚するのは縄文時代の全時期にあるのではなく、後期-晩期に限られることで、その根本的原因が「縄文社会の複雑化・階層化過程」と密接にかかわることである。その点を確認するうえで、縄文社会の複雑化の様相を具体的に解明することが重要である。研究の結果、先祖祭祀をはじめとする様々な儀礼と祭祀において、霊的存在を媒介にして儀礼と祭祀が発達し、社会の複雑化と関係したことが判明してきた。その仮説を民族誌において確認することが2つ目の課題である。その課題に向けて、パプアニューギニア社会の民族誌を調査・研究し、先祖祭祀をはじめ様々な霊的存在を媒介にした儀礼と祭祀が氏族社会の発達と維持に必要不可欠の根本要因であることを解明した。

  • 縄文土器製作者の呪性に関する民族誌的研究

    2015年   大網信良, 平原信崇

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    縄文精製土器の装飾が実用の煮炊き機能や貯蔵機能を大きく超えて、いわば過剰な装飾となっていることは以前より知られていた。しかし、その理由については、よく解明されないまま今日に至っている。この課題を解明するためには、家庭的な素焼土器の製作を行っている未開社会の民族誌を調査し、土器が実用機能を超えて、どのような社会的、宗教的背景と関係するかを調査する必要がある。本研究ではその研究目的に接近するために、夏季休暇を利用して、パプアニューギニアに出張し女性土器製作者に関する民族誌調査を実施した。 

  • 亀ヶ岡式土器に見る呪術的要素の民族誌的研究

    2014年  

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    縄文土器一般の特徴として、器形の多様性や文様の加飾性について強調されることが多い。煮炊きなどの実用を越えた中に縄文土器装飾を読み取るわけだが、時に装飾性の取っ手、突起などは機能を阻害する要因にすらなる。パプアニューギニなどの氏族社会で土器の民族誌を調査すると、それら文様や図柄が、単に装飾に留まらず、彼らの精神世界と結びついていることが理解される。呪術や儀礼と関わるのは、それを製作した土器製作者が自身で製作した土器を呪術や儀礼に用いるからである。その証明として、土器以外のj呪術、儀礼遺物である石棒や土偶、岩偶などの文様比較から、きわめて近似した内容であることがわかり、土器そのものが呪術・儀礼用に製作されたことがわかる。

  • 早稲田大学収蔵のパプア・ニューギニア民族資料データベース制作のための基礎的研究

    2012年  

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     2011年3月11日に見舞われた東日本大震災のために、大学院博士課程の2名が東北出身者で家が被災したが、小康状態を得たので、同年8月10日~8月24日まで、代表者の高橋は大学院生3名を引率してパプア・ニューギニアのセピク川中流域において、主にクォーマ族の民族調査を実施した。これは會津八一記念博物館に収蔵される「オセアニア民族工芸品」に関する聞き取り調査を目的としたものであった。調査は順調に進展し、イェナ、ミンジャ、ノクイというヤム・カルトに関する社会組織と、それらと密接に関係する木彫工芸品、土器などについて重要な情報を収集できた。その成果は2012年2月25日・26日に早稲田・天理・南山大学の3大学による合同シンポジュウム『パプアニューギニア民族誌から探る縄文社会』を早稲田大学で開催し、その席上で公表した。また研究成果は早稲田大学史学会刊行の『史観』第168冊にも論文で発表した。さらに2013年3月2日には天理大学主催の合同シンポジウム『パプアニューギニアの生活と神々の形』において、高橋と中門が研究成果を公表した。 2013年3月17日~24日まで、台湾の台中に所在する国立自然科学博物館を訪ね、同館大洋州セクションに展示収蔵資料される「パプアニューギニア資料」を見学し、細かな観察をおこなった。それは展示資料中に早稲田大学に収蔵されると同じジャパンダイやワシュクク、パリンベイ、カナガムンなどの集落資料と関連する資料が多数収蔵されているためである。特にジャパンダイ村にはイェナ像、ミンジャ像、ノクイ族などの関連資料があり、本来のクォーマ族の本貫地を離れて、なぜイアツムル族のジャパンダイ村にあるのかを、物質資料から解き明かすことを目的とした。その結果、イェナ像には、ワシュククやミノ、トングィンジャブ村などクォーマ族の本来のものとは若干の違いのある逸脱した特徴が見られるなど、重要な学術的成果を得た。またパプアニューギニア原住民社会と共通する部族社会を構築する台湾原住民社会と比較研究するために、台湾大学人類学研究所博物館、中央研究院民族学研究所付属博物館、順益台湾原住民博物館、三地門台湾原住民資料館などの部族関係の資料を見学収集し、現在も山奥深くに生活するルカイ族、パイワン族の村に出向いて、多納村、霧台村、阿礼村などの石板家屋の見学を実施した。また日本の領台期に日本式の教育を受けた現地人からルカイ族とパイワン族に関する聞き取り調査を行うことができた。これらは地域を異にし、成立の歴史を異にするはずの両文化・民族が、結果として類似した部族社会をなぜ構築するのかについて考察するうえで大変重要な資料となった。

  • 日本先史土器型式の社会的背景を民族誌に探る

    2010年  

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     縄文土器型式が成立するメカニズムと過程の課題は、長年にわたる日本考古学研究の中枢課題であった。しかし3000年前に過ぎ去った縄文時代を直接見ることは出来ないので、代わりに民族誌の観察から課題に接近するのが本研究の目的である。具体的にはパプア・ニューギニアのイーストケープにフィールドを設定して、具体的に次の2課題を設置して調査を実施した。調査は8月18日から8月28日まで、研究代表者高橋と大学院学生4名(中門亮太、平原信崇、岩井聖吾、服部智至)で実施した。1.イーストケープ伝統の土器型式がなぜ一定の地理的範囲に分布するのか、その分布過程には、クランや親族構造、トーテムなど社会上の法則が作用しているのか。いるとすれば如何なる社会的背景をもつのか。2.地域間で交流する異系統土器(ワリ式)がどのようなメカニズムでもたらされ融合し模倣されるのか。これらの課題について報告者は過去数年間にわたってパプア・ニューギニアで家庭内使用の土器製作と土器交易に関する民族誌研究を行ってきた。その結果、一つの型式が成立する過程で、親族構造や婚姻、トーテムなどの人的・社会的要因が極めて重要な働きをしていることを突き止めた。 本年度はイーストケープ地方のトパ・ミッションとケヒララ・ミッションにおいて、土器製作の現場に立会い、多くのインタヴューを行った。特にケヒララ・ミッションのポルカナワナ村(サブクラン)のトレハ(葬儀)に立ち会うことができ、伝統的な親族集会と、そこで用いる家庭的土器の様相を把握することができた。多くの親族や来客をもてなすための料理器具であるワリ式土器などの実態について詳しく記録することができた。それらの特定サブクランに集合する土器型式の特徴と、他村との差異の原因を親族、クランなどのレベルから解明する端緒をえることができた。またトパ・ミッションの各サブ・クランを巡回し、村々の女性土器製作者に聞き取り調査を実施し、彼らのトーテムと婚姻システム、クラン名称などについて聞き取った。それら系統所属の違いによって、土器型式上、どの程度の差異が生じるのかを研究するよき材料となった。

  • パプア・ニューギニアにおける土器型式成立過程の民族考古学的研究

    2009年  

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     2009年8月5日から15日にかけて、大学院博士課程の学生を研究協力者として随行させ、パプア・ニューギニア東部、ミルンベイ地方のワリ島に渡海し、現地の女性たちが製作に関与する家庭的土器生産の実態について聞き取り調査を実施した。 同島は通称エンジニアリング・グループと称される独特の土器型式(ワリ式土器)を生産する島として有名である。この島は地力が衰えて農業生産が島人口を支持できないため、女性たちが家庭的な素焼きの土器を生産して、それを遠くに輸出して農産物を交換するシステムを早くから発達してきた。私の調査でも数十キロメートル離れたパプア・ニューギニア本島にももたらされた事実が判明している。 女性たちが土器生産を行い、男たちはそれをカヌーに乗せて島々に出掛けて売りさばくのに関与する。土器は母系制社会の中で生産されるために、女性たちは生まれた村で母親から技術を伝授され、娘に継承する。そのために同一のクランの製作技術が純粋に保存される契機となる。フィールド調査では各村の親族構造について調査し、土器製作者の系譜的な事実関係を聞き取った。これは土器製作技術や型式学的な特徴のまとまりが形成される大きな契機となる。同時に婚後の居住規定では、母系制社会でありながら夫婦は妻方、夫方のどちらにも居住できる独特の規定があるために、土器製作者の自由な移動が型式的特徴の拡散の契機となる。調査では土器型式を構成する様々な要素ー文様、施文具、文様帯、器形などの属性に注意しながら、各家庭に保存されるクランごとの土器について記録して資料を集積した。同時に各集落のクランとリネージ、さらにトーテムなどの情報を収集した。 今まで同島の詳細な測量図がないので、集落立地や地形などを記録するためにGPSによる測量を合わせておこなった。今後の調査に備えるためである。

  • 環太平洋地域における先史文化・社会の成立に関する民族考古学的研究

    2005年  

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     以前からフィールド調査を実施していたパプア・ニューギニアにおいて、8月13日から8月20日の1週間、土器製作に関する民族調査を実施した。フィールドは、パプア・ニューギニアの東南部に位置するミルン・ベイ(Milne Bay)地方の孤島であるヤバム島(Yabum Island)に設定し、渡海して泊まり込みながら、集落の構造や、親族組織、土器製作者の技術などについて観察した。これは縄文土器型式に見るように、技術や装飾における伝統的属性が共有され、一地域に分布する型式として成立するメカニズムを研究するための基礎的調査である。ヤバム島は母系制社会であるために、イーストケープ伝統(Eastcape tradition)といわれる土器の製法技術や文様装飾などが、母から娘へと継承されていた。したがってその親子関係を通じて、その型式伝統の構成要素である、母親のもつ技術・装飾要素が世代を越えて継承されていく様を観察することができた。これは土器型式がなぜ、共通した製作技術、文様要素から成立するのかについて、有効な解答になると予測される。なぜならば、複数の娘達は同じ母親から伝授された土器製作技術・文様を分有するが故に、共通した属性を共有したまま婚姻などにより地域的に拡散することにより、型式的平面分布が形成されるのである。これは型式の基礎的属性の一つである面的な分布の形成要因であると推測された。さらに娘達が形成する土器製作者仲間の交友関係が、土器型式の分有と、面的拡散に重要な背景を提供していることが看取された。母親同士も、かつては娘仲間の集団として、技術や文様などを交流し共有する交友関係を築いた考えられ、しかもその結果、修得された技術総体をそれぞれの娘らに伝授するのであるから、世代を越えて、また親子関係を越えて、同じ技術伝統が継承される背景となる。これは短期間に土器型式が形成される社会的背景を説明するには有効なモデルとなる。これは縄文時代における土器型式成立の根本的背景と考えられる。 しかし、それでは土器型式は永遠に不変で、技術も文様装飾も変らないことになってしまい、縄文土器型式の実態と異なる。そこで、土器型式が変化する要因を探すことが重要な手立てとなるので、母ー娘関係では説明できない型式変異と、それを生み出すエイジェンシーを解明する必要がある。これについては母ー娘関係とは異質な、「先生ー弟子」関係による技術伝承があることが予測されたが、それを十分に解明できずに、今回の調査は終了した。

  • 縄文社会の複合化・階層化過程の研究

    2004年  

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      縄文社会の性格と複雑化・階層化の様相について研究するために、同程度の文化発展段階にあると目される北米北西海岸部のネイティブ・インディアンの民族誌を調査した。カナダのクイーン・シャーロット島には、かつてハイダ族が居住した集落跡が多数残り、200年ほど前の廃屋やトーテムポールが朽ち果てた形で残されている。8月2日~10日の日程で、同島に残されたニンスティンツ遺跡やスケダン遺跡、タヌー遺跡等を巡検して、これらの遺跡景観、集落構成と家屋規模、家屋構造などについて調査し、自然資源の獲得に立脚しながらも、親族組織を基盤にして首長を戴く階層化社会を達成した文化・社会の様相について研究した。その成果は同じく狩猟採集活動に基づく獲得経済段階にとどまった縄文社会の複雑化、階層化を考える上で大変重要な情報を提供してくれた。 それらの成果を受けて、10月2日・3日に縄文社会研究会(安斎正人代表)と先史考古学研究所との共催で昨年度に引き続き「縄文社会を巡るシンポジウムⅡ―景観と遺跡―」を早稲田大学で開催した。また比較考古学研究所(菊池徹夫所長)、シルクロード研究所(岡内三真所長)と先史考古学研究所との合同シンポジウム「考古学からみた社会の複雑化」を開催して(12月4日)、社会の複雑化過程を考古学ではどのように扱うかについて広い視野から検討し、私はパプア・ニューギニアでの調査研究の成果をもとに、未開社会の生業と社会構造について明らかにした。 また昨年度、考古学実習の一環として千葉県印旛村の戸ノ内貝塚を測量調査したが、目的は縄文社会の複雑化・階層化過程を実際の遺跡の上から探ることであった。本年度は図面、採集遺物の整理作業を通じて測量成果をまとめた。、測量調査の成果を受けて、2005年度には本格的な発掘調査を計画しており、地主や関係者との交渉など、調整作業に入った。

  • 民族誌比較に基づく亀ヶ岡社会の階層化過程の研究

    2003年  

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    縄文時代晩期の亀ヶ岡文化の社会について、報告者は平等社会を脱して、すでに位階による上下区分が生じた「階層化過程にある社会」だと考える。そのような階層化が進展する原因には普遍性があり、現在でも世界の各地に残る自然民族の民族誌を比較研究することによって、日本では3000年前に起こったことを理論的に復元できるのである。この目的のために2002年度にはパプア・ニューギニア高地のマウント・ハーゲン地区を訪ね、親族構造や出自体系、儀礼と祭祀、ビッグ・マンなどの政治的リーダーにつて調査した。また翌2003年にはパプア・ニューギニア北部を流れるセピク川流域地方をカヌーで訪ね、儀礼や祭祀、イニシェーション、ビッグ・マンの役割と機能、親族構造、出自体系などについて聴き取り調査を実施して情報を収集した。また同年には、もう一つの階層化社会の典型とされる北米北西海岸の先住民社会を調査するためにカナダ・アメリカを訪ね、博物館に収蔵される物質文化を調査し、不平等社会が形成される社会的背景について調査した。 このようにオセアニアと新大陸の両地域を調査したのは、自然環境も異なり生業も異なる両地域において、なぜ共通した社会の階層化過程が見られるかという問題に対して、解答を得ることができると考えたからである。特に定住生活と貯蔵経済、儀礼の専門的知識(秘術)の管掌の格差と生業分化などが重要な要因であることが知られた。この成果を加えて、2003年度には早稲田大学と明治大学において下記のようなシンポジウムを開催して、縄文社会の複合化、階層化過程について議論した。1.「縄文社会を考えるシンポジウム Ⅰ」(2003年10月11日・12日)早稲田大学2.「縄文と弥生」(2003年11月23日・24日)明治大学

  • 英国の博物館施設に収蔵されている亀ヶ岡式土器の実体調査

    2000年  

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     研究課題に沿って、英国の博物館施設に収蔵される日本の先史時代遺物、特に亀ヶ岡式土器関係の資料について知るため、ケンブリッジ大学のホッドン考古学博物館、オックスフォード大学アシュモレアン博物館、ピット・リヴァース博物館、エジンバラ市に所在するスコットランド国立博物館を訪ねた。その結果以下のような事柄を確認することができた。 明治年間に、横浜でゼネラル・ホスピタル病院の院長として活躍したG.N.マンローは、医師業の傍ら、日本の先史時代の研究に興味を持ち、北海道を始めとして、日本各地の遺跡を訪れ、多くの遺物を採集している。その研究成果は、傑出した概説書として知られるPrehistoric Japanとして1911年に横浜から刊行された。その後永住の地と定めた北海道二風谷で彼が死去したため、北海道などで収集した考古資料は、マンロー・コレクションとして、英国エジンバラ市に輸送され、スコットランド国立博物館に収蔵されることとなった。しかし、そのコレクションの実態については、ほとんど外部には知られておらず、日本の研究者間でも、一部を除いてその内容を知るものは少ない。 2000年8月7日~同11日まで、エジンバラ市の同博物館を訪ね、主に縄文時代の遺物資料を中心に観察することができた。展示資料中で注目されたのは、縄文時代晩期に北海道方面に盛行した聖山式土器が豊富に含まれていたことである。土器の体部文様に描かれる入り組み文系、工字文系の磨消縄文の文様は、紛れもなく青森県北部から渡島半島を超えて北海道南部に分布する聖山式の特徴に一致する。これらの資料の由来が北海道を中心とした地域にあったことを示している。かつて國學院大學の小林達雄教授が実地に博物館のマンロー・コレクションを観察して、『朝日新聞』(夕刊1999年)に紹介された三足土器は、都合で残念ながら実見することはできなかった。三足土器は、晩期の後半を中心に、主に青森県で合計4点が確認されただけの希少な資料である。形態の異質な点からして、また資料の偏在の仕方から、亀ヶ岡式文化の中でも、特異なあり方を示す。それがより北方の北海道方面に展開することは、重要な意味をもつと考えられる。資料全体は膨大な量なので、それらの資料調査には、さらに多くの時間が必要である。

  • 縄文時代終末期における土器型式の変化に関する研究

    1999年  

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     上記の課題に対して、二つの方面から研究活動を実施した。一つは岩手県大船渡市長谷堂貝塚から昭和31年の発掘調査で出土した土器資料を分析し、土器型式に現れた年代の微細な差異について検討し、さらに他の遺跡から出土した土器資料と比較検討した。大洞A式土器から大洞A'式以後にかけての土器の変化は、単に土器形式の変化に留まらず、縄文時代の最終末から弥生初期にかけての文化史上、大変大きな画期に相当するが、その変遷過程を器形、文様装飾の上から追及し、年代学上の基礎を築くことができた。型式の変遷は精製土器と粗製土器の双方において認めることができ、精製土器においては、大洞A式が新古の2段階に細分されること、また大洞式に至る変遷過程に介在する、しかし長谷堂貝塚にはない未知の細別段階が想定され、近隣遺跡に相当する資料があることが判明した。粗製土器は精製土器に比較して、装飾的要素に乏しく、型式変化を捉えにくいが、分析の結果、沈線文様や刻目などの僅かな装飾要素の組み合わせに微細な年代的変化をたどることができ、土器型式による編年研究のための大変有用な情報を入手することができた。第二として、比較のために東北各地の縄文晩期遺跡から出土した大洞A式土器資料を求めて、各地の県立埋蔵文化財センターに収蔵される土器資料を観察した。訪ねた土器資料は岩手県大船渡市大洞貝塚、山形県北柳遺跡、砂子田遺跡、高瀬山遺跡、漆坊遺跡、宮ノ前遺跡などである。それらは長谷堂貝塚資料との比較研究のための重要な資料となった。粗製土器の型式編年学的研究の成果は早稲田大学大学院文学研究科紀要に発表した。

  • 縄文時代終末期における土器形式の変化に関する研究

    1998年  

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     上記の研究課題を達成する上で、本年度は二つの大きな作業を実施した。一つは故西村正衛教授が昭和30年に発掘した岩手県長谷堂貝塚の土器群の整理であり、他方はその成果に準拠した他遺跡資料の収集と分析である。長谷堂貝塚資料は、お陰さまで精製土器に関してはほぼ整理作業が終了し、実測や写真撮影が完了した。その結果長谷堂貝塚の縄文時代晩期終末期の土器群は、基本的に壷、浅鉢、台付き皿を主として構成され、他にわずかながら甕や注口などが共伴することが判明した。器種構成と文様の系統に関するかぎり、後の弥生時代の共通する性格をもっており、東北地方の弥生式が縄文時代晩期の大洞A・A‘式の伝統の上に成立していることが具体的な資料から予想される。今後弥生最初期の土器群との比較が重要な検討課題である。また本年度の中半から粗製土器の整理作業も開始し、粗製土器の型式区分にしたがって、どのような形態変化を引き起こしているのかについて、並行関係を探っている。これらの作業を通じて、東北地方の縄文時代晩期から弥生時代への変化を探る上で重要な資料を握ることになった。 これらの整理作業の成果を受けて、岩手県埋蔵文化財センターに出向き、1997年度に同センターで実施した長谷堂貝塚(早稲田の地点とは近距離)の遺物を見学した。その遺物は大洞A‘式を主体として、早稲田の資料より年代的に新しく、一型式のズレがある。型式変化に現れた年代的な変化を知ることが出来たが、同一遺跡での変化だけに重要な資料となる。この他に、盛岡市の川岸場遺跡の土器資料を見学することもでき、岩手県を中心として、東北三県でほぼ類似した変化を遂げていることが予想される。それら研究の成果は、文学研究科紀要に投稿している。また関連論文は全国誌『縄文時代』に投稿した。さらに早稲田大学の学術データベースにも、すでに今までの成果について公表しているが、今年度の成果を含めて、改訂版として追加・補訂し、全国に発信する準備を進めている。

  • 縄紋時代晩期の社会と文化の研究-縄紋時代終末期の文化適応と文化変動について

    1996年  

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     縄紋時代晩期の日本列島は、石器時代の終末を迎えて様々な地域的展開を示す。その一つに、西日本を中心とした稲作農耕への顕著な動きがある。その生態学的背景として、晩期終末から弥生前期にかけての気候環境の悪化に対する、縄紋人の文化的適応の示現した姿を看取することができる。生態系の変化に応じて、悪化した食料事情に対する文化的適応の一選択肢として、稲作農耕を位置付けるわけだが、その傾向は九州・中国・近畿・東海の諸地方に顕著である。しかし、東北地方や北海道方面では、大きな文化的変容は看取されない。この点について、気候環境の変化が必ずしも日本列島全体に対して一様な影響を与えたわけではなく、生態学的変化の程度や質には多様性があり、地域的に異なった対応の仕方があったと考える。東北地方の晩期に隆盛を誇った亀ヶ岡文化の経済的基盤を支えたと考えられるサケ・マスの漁労活動は、寒冷化の影響による食料資源の相対的減少を最小限にくいとめる重要な働きをなくしたと思われる。その捕獲活動が周年的でなく季節的に限定されるだけに、保存備蓄の技術が重要な鍵となる。北太平洋の北方海域をめぐる沿海地域には、乾燥保存して備蓄したサケに年間食料の大部分を依存する民族例が多数あり、多くの示唆を与える。日本基層文化に残るサケ・マスの民俗例も縄紋時代の生業を復元する上で重要な参考資料と考えられるので、私は昨年9・12月に新潟県村上市を流れる三面川に出向き、著名なサケ居繰り網漁を民俗調査した。特に注目されたのは保存法で、内臓を除去してから軒下に大量に吊して自然乾燥させる保存方法は、当地域に残る最も簡便な乾燥法として知られ、技術の単純さ、用いる道具の簡便さから判断して、最も原初的な保存法と考えられる。これらの事例に共通の原初的保存技術は、縄紋時代晩期の河川漁労と保存備蓄技術を復元する上で重要な手掛かりを与えてくれる。

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