和田 修 (ワダ オサム)

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所属

文学学術院 文化構想学部

職名

准教授

兼担 【 表示 / 非表示

  • 附属機関・学校   グローバルエデュケーションセンター

学位 【 表示 / 非表示

  • 早稲田大学   文学修士

所属学協会 【 表示 / 非表示

  •  
     
     

    日本歌謡学会

  •  
     
     

    民俗芸能学会

  •  
     
     

    芸能史研究会

 

研究分野 【 表示 / 非表示

  • 文化人類学、民俗学

  • 日本文学

研究キーワード 【 表示 / 非表示

  • 美学(含芸術諸学)、国文学、日本演劇史、芸能・芸術研究

論文 【 表示 / 非表示

  • 『芝居絵に見る/江戸・明治の歌舞伎』

    和田 修

    小学館     4 - 43  2003年07月

  • 「『安永四年金沢芝居再興』をめぐる考察」

    和田 修

    『石川県史資料』近世編(4)     14 - 18  2003年03月

  • 『小松市史 資料編5/曳山』

    和田 修

    新修小松市史編集委員会     90 - 129  2003年03月

  • 『鹿児島県東郷町文弥節人形浄瑠璃調査報告書』

    和田 修

       2002年03月

  • 対馬北部の盆踊

    演劇研究   23  2000年03月

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書籍等出版物 【 表示 / 非表示

  • 対馬における芸能と村落

    和田 修

    海のクロスロード対馬  2007年03月

共同研究・競争的資金等の研究課題 【 表示 / 非表示

  • 佐渡古浄瑠璃の研究基盤構築とデジタル化保存に関する総合的研究

    研究期間:

    2020年04月
    -
    2025年03月
     

     概要を見る

    新潟県佐渡島には、「古浄瑠璃」による人形芝居が伝承されている。近世期の古態を残し、義太夫節では廃絶した近松門左衛門の作品を、今も上演する佐渡の古浄瑠璃人形芝居は、日本の伝統芸能史上、注目すべき特異な芸能である。本研究では、現在までの個別的研究を総括し、今後の佐渡古浄瑠璃研究の推進に向けた研究基盤を構築する。さらに、早稲田大学演劇博物館などの所蔵機関の協力を得、現地伝承者や研究者の利用が可能となるよう、佐渡古浄瑠璃の音声・映像資料のデジタル化保存、および公開を目指す。こうした総合的研究の成果により、貴重な伝統芸能である佐渡古浄瑠璃人形芝居の、国内外への普及と保存、未来への伝承を期すものである

  • 東アジアにおける水田形成および水稲文化の研究(日本を中心として)

    基盤研究(B)

    研究期間:

    2002年
    -
    2003年
     

     概要を見る

    東アジアに広がる水田を基盤とする社会の特質を明らかにするのがこの研究の目的である。その調査フィールドとして、対馬とバリ島を選び、水田と村落の伝統的形態を明らかにし、水稲文化の比較研究を行うことを目指した。現在進化の著しい調査資料のデジタル化を積極的に活用して、学際的に水田・集落・儀礼の復原研究を進めた。
    対馬では、その南端に位置する豆酘(つつ)に焦点を定め、現代でも赤米神事が行われている水田の環境およびその儀礼の歴史的経緯と特質を究明した。その際、歴史資料の掘り起こしに重点を置き、対馬歴史民俗資料館、長崎県立図書館、地元の真言宗寺院である金剛院などで重点的に調査を行って、コマ数にして約6000点の史料をデジタル化した。これらをパソコンに入力してただちに目録化し、復原調査に役立てた。また、この地域の空中写真からデジタル作業により2000分の1地形図を作成し、史料を活用して景観復原を進めた。このように対馬村落のピンポイント的調査を進めるとともに、水稲文化を東アジア全体の文化と考え、対馬のこの海域における歴史的役割をも明らかにするよう務めた。幸いにも21世紀COEプログラム「アジア地域文化エンハンシング研究センター」の支援を得て視野の広いプロジェクトにすることができた。
    一方、棚田地帯として知られるバリ島においては、従来もヒンドゥー教の儀礼に支えられた自治的村落の存在が知られ、演劇・音楽・彫刻・絵画などの芸術の展開が注目されてきた。今回灌概組織スバックの調査を中心に行い、東部バサンアラス村と対馬豆酘との水田灌概形態の比較研究を行った。その結果、バリ島村落の伝統的灌漑形態は、日本よりも進化している点が少なくないことが明らかとなった。これらの成果を報告書『東アジアにおける水田形成および水稲文化の研究(日本を中心として)』にまとめることができた。

  • アジア地域文化に関する共同研究:演劇

    学術フロンティア推進事業

    研究期間:

    1998年
    -
    2002年
     

  • 近世演劇における役者絵の資料的効用をめぐる基礎的研究

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    (1)研究会の開催と基礎データの蓄積本研究では、「役者絵研究会」を組織し、研究分担者以外の研究協力者を募りながら、研究会をかさねてきた。この研究会では、毎回初代豊国作品の年代考証と内容分析を行なってきた。この考証作業の特徴は、演劇博物館所蔵の歌舞伎番付・音曲正本などの演劇資料と突合せたうえに、他機関の豊国作品を博捜して参考図を獲得し、また、歌舞伎史の研究の最高水準のメンバーにより、様々な知識を集めて、決定版となる正確な考証結果を残していっていることである。(2)WEB版画像データベースでの成果公開これらの作業は、現在、演劇博物館の浮世絵検索システムにより、完全に公開されている。これにより、オンデマンドで様々な研究結果を閲覧できる。(3)正確は落款一覧その一つは、初代豊国作品の落款の変遷である。落款一覧は、浮世絵の真贋判定、制作時期の特定にとって、重要な情報であり、坪内逍遙以来、何人かが落款一覧を発表しているが、(1)のような正確な情報による落款一覧は、始めてのものである。サンプルとして、落款一覧を掲出したが、これはWEB上でも同様に確認できる。(4)行事副印一覧初代豊国時代は、改印によって年月が確実に判定できるわけではない。しかし、この時期、行事副印の時代に重なるため、副印による、年代の絞込みが可能となる時期がある。副印一覧を正確に作成した業績はこれまでになく、初めての成果である

  • 中国西南の仮面劇と基層文化の研究

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    私たちは、近年注目されることの多くなった中国全土に残る<仮面劇>が、中国演劇史はもとより中国大陸全体における「基層文化」の生成・発展・変化およびその特質を考える上で重要な意味をもつと考える。その具体的な調査は、1980年代以降、いわゆる「儺戯」研究として中国国内の研究者によるフィールドワークが開始された。次いで、台湾『民俗曲芸』誌における儀式・儀礼研究や日本の後藤叔・廣田律子等の個別的な調査などを経て、田仲一成『中国演劇史』が発表されるに及び、農村の儀式・儀礼とそれに伴う<仮面劇>は、ようやく一定の研究ジャンルとして認知された感がある。こうした研究の成果をふまえ、次の段階としては、儀礼や舞踏・唱詞の構造研究といった、テーマ毎により深化した分析を進める一方で、これまでにはない新しい視点、たとえば地下から発掘される古代の遺物などとの対照を通して、通時的な「基層文化」の跡付けといった方向への展開が考えられよう。本研究はそうしたことを視野に入れた第一歩である。貴州民族学院の瞠修明は当初より海外協力者として現地調査のコーディネートを担当するが、ここでは過去十余年の貴州省内の調査の実績をふまえて「西南儺戯概述」として西南地区を俯瞰する。また同学院の陳玉平らは地域社会にとっての民間儀式儀礼という角度から黔北地区灘戯について独自の論を展開している。日本側稲葉は数回にわたる安順地区調査と現地研究者との研究交流から、安順地戯の歌詞・歌唱の構造について「唱書調」と「演出調」の別のあることを新たに指摘する。また、現地協力者である籔潭県儺戯研究会・道真県民族宗教事務局からは、現地における貴重な資料の提供を受けた。「基層文化」という着想は漠然としがちであるが、広大な中国大陸における各地域ごとの実態の解明が、この地の長い歴史をもつ諸文化の成立・発展やその特質の解明につながるものと考えている。本研究では2年という限定した期間を設定し、具体的な資料の収集とともに、各々のメンバーがそれぞれの問題意識の中で、<仮面劇>にかかわる重大なテーマを着実に解決することを心がけた。今後とも一つ一つの成果を積み重ねていくことにより、その全体像を明らかにしていきたいと考えている

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特定課題研究 【 表示 / 非表示

  • 近世芸能の地方伝播比較とデジタルアーカイブ構築研究

    2004年  

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     2003年度は主として九州の風流芸能の分布状況の把握と、伝承地の調査に重点を置いて研究を進めた。8月の旧盆時期にトカラ列島十島村悪石島の盆踊、鹿児島県坊津町久志の太鼓踊、同県加治木町の太鼓踊、9月に同県与論町の十五夜踊を調査した。 悪石島の盆踊は、元禄17年刊行の『落葉集』所収の踊歌と一致するものがあり、古い時期に都から伝来した歌謡であることがわかる。さらにその歌謡が、わずかながら長崎県対馬の盆踊歌とも一致するものがあり、両者に直接的な関係があるとは思われないので、中央の歌謡が長崎や鹿児島の離島にまで伝播し、他では失われてしまった後も、今日まで伝承されてきたと考えることができる。近世の都市の盆踊について、こうした伝播の関係は従来ほとんど知られておらず、きわめて珍しい例であるといえよう。 加治木町の太鼓踊については、近世中期の文献が残っており、現在までの変遷を知ることができる。近世中期には文弥節を踊歌として取り入れるなど、当時の流行歌の摂取につとめており、新奇な趣向を競っていたことが明らかである。薩摩藩では近世中期まで藩外からの文化の流入を拒む傾向にあったといわれることが多いが、先端的な文化を求める欲求が庶民の中に根強かったことが知られる。 与論町の十五夜踊は、琉球にも共通する豊年祭の形式の中に、狂言「末広かり」、元禄歌舞伎に関連のある「大隈川」、野郎歌舞伎風の「頼朝公」などが伝承されており、従来からヤマトの芸能との関連を示すものとして注目されている。これが中央と直接の関係を示すのか、薩摩藩からの伝来なのかは、あまりにも伝承が退化していて判然としない。 このように、調査対象の芸能は、いずれも都市芸能の地方伝播を検討する上で、極めて興味深い事例を提供してくれている。今後はさらに文献資料の調査と合わせて、伝播の時期や経路の把握に努めたい。 なお、2004年度は科学研究費採択のため特定課題としては廃止した。

 

現在担当している科目 【 表示 / 非表示

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