2024/12/21 更新

写真a

タニ マサチカ
谷 昌親
所属
法学学術院 法学部
職名
教授
学位
第3期課程博士号 ( パリ第3大学 )
ducteur de 3(]J1118[)me cycle ( Universit(]E85EE[) de Paris (]G0003[) )
文学修士 ( 早稲田大学 )
(BLANK)
文学博士
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第三期博士(文学)パリ第3大

経歴

  • 1999年
    -
     

    早稲田大学 教授

  • 1999年
     
     

    早稲田大学 教授

  • 1993年
    -
    1999年

    早稲田大学 助教授

  • 1990年
    -
    1993年

    早稲田大学 専任講師

  • 1987年
    -
    1990年

    早稲田大学 助手

学歴

  •  
    -
    1990年

    早稲田大学   文学研究科   フランス文学  

  •  
    -
    1980年

    早稲田大学   文学部   フランス文学専修  

所属学協会

  •  
     
     

    日本フランス語フランス文学会

研究分野

  • ヨーロッパ文学

研究キーワード

  • 仏語・仏文学,美学、仏語・仏文学、美学(含芸術諸学)

 

論文

  • 「見者」としての画家がたどる旅路――マックス・エルンストと北アメリカ先住民族の文化

    谷 昌親

    人文論集   ( 61 ) 15 - 40  2023年02月

  • 変容と破壊のエクリチュール——フィリップ・スーポー『パリの最後の夜』をめぐって

    谷 昌親

    人文論集   ( 60 ) 23 - 53  2022年02月

  • 主観と客観の彼方に――シュルレアリスムと写真

    谷 昌親

    人文論集   ( 59 ) 1 - 24  2021年02月

  • 細部というアポリア――バルト、ディディ=ユベルマン、そして……

    谷 昌親

    人文論集   ( 58 ) 37-60  2020年02月

  • 闘牛と「聖なるもの」

    谷 昌親

    人文論集   ( 57 ) 21 - 46  2019年02月

  • 孤島的エキゾティシズムから群島的「驚異」へ

    谷 昌親

    人文論集   ( 56 ) 47 - 68  2018年02月

  • 断章の詩学――ミシェル・レリス『囁音』について

    谷 昌親

    人文論集   ( 55 ) 89 - 109  2017年02月

    CiNii

  • 見知らぬ「私」との対話――ダダ・スペクタクルからシュルレアリスム演劇へ

    ユリイカ   48 ( 10 ) 311 - 324  2016年08月

  • À la recherche de la surréalité par la photographie : trois photographes japonais dans la lignée surréaliste

    谷 昌親

    Mélusine   ( XXXVI ) 229 - 246  2016年02月

  • 「驚異」の概念をめぐって――ブルトンからレリスへの架橋

    谷 昌親

    人文論集   ( 54 ) 19 - 37  2016年02月

    CiNii

  • 不定形の宇宙――アンドレ・マッソンまたは変貌する身体

    谷 昌親

    人文論集   ( 52 ) 1 - 19  2014年02月

    CiNii

  • アンドレ・ブルトンと野生の思考(3)――ヴードゥー教と「透明な巨人」

    谷 昌親

    人文論集   ( 51 ) 69 - 88  2013年02月

  • アンドレ・ブルトンと野生の思考(2)——「ホピ・インディアンの地への旅の手帳」をめぐって

    谷 昌親

    人文論集   ( 50 ) 1 - 22  2012年02月

  • アンドレ・ブルトンと野生の思考(1)——『蛇使いの女マルチニック』をめぐって

    谷 昌親

    人文論集   ( 49 ) 17 - 38  2011年02月

  • 新しい人間の観念を求めて——アルトーのメキシコ体験

    谷 昌親

    人文論集   ( 47 ) 81 - 107  2009年02月

  • 試験管内の化学反応——ジャック・リヴェット『ランジェ公爵夫人』

    谷 昌親

    図書新聞   ( 2866 ) 8  2008年04月

  • カパを手にした闘牛士——ミシェル・レリスのアビシニア体験

    谷 昌親

    人文論集   ( 46 ) 47 - 72  2008年02月

  • アフリカの誘惑——ミシェル・レリスとダカール=ジプチ調査団

    谷 昌親

    人文論集   ( 45 ) 121 - 144  2007年02月

  • 〈芸術〉と〈革命〉——フィリップ・ガレル監督『恋人たちの失われた革命』

    谷 昌親

    図書新聞   ( 2806 ) 8  2007年01月

  • ダダの磁場と触媒——フランシス、アルチュール、そしてふたりのジャック

    谷 昌親

    水声通信   ( 7 ) 109 - 123  2006年05月

  • 『ボードリヤールという生き方』

    谷 昌親

    人文論集   ( 44 ) 149 - 153  2006年02月

  • 記号の言語と演劇の形而上学——バリ島の演劇がアルトーにもたらした衝撃

    谷 昌親

    人文論集   ( 44 ) 121 - 148  2006年02月

  • サファ・ファティ監督『デリダ、異郷から』をめぐって

    谷 昌親

    図書新聞   ( 2735 ) 2  2005年07月

  • 『啓蒙の世紀と文明観』

    谷 昌親

    人文論集   ( 43 ) 135 - 139  2005年02月

  • 言葉と身体のはざまで——ジャンヌ・バリバール+ピエール・アルフェリ

    谷 昌親

    未来   ( 454 ) 17 - 21  2004年07月

  • 種村季弘著『畸形の神』

    谷 昌親

    図書新聞   ( 2680 ) 4  2004年06月

  • 死出の旅の道連れ

    谷 昌親

    現代詩手帳   47 ( 5 ) 55  2004年05月

  • 『ノルベルト・エリアスと21世紀』

    谷 昌親

    人文論集   ( 42 ) 167 - 169  2004年02月  [査読有り]

  • 植民地博覧会に降る雨——一九三一年のシュルレアリスム

    谷 昌親

    人文論集/早稲田大学法学会   ( 42 ) 127 - 150  2004年02月

  • ベルナルド号での船出

    谷 昌親

    映画芸術   ( 408 ) 20 - 23  2004年

  • ミシェル・ビュトール著『即興演奏』(河出書房新社)

    谷 昌親

    図書新聞/図書新聞   ( 2056 ) 4  2003年12月

  • ジャン=クリストフ・グランジェ『コウノトリの道』(創元推理文庫)

    谷 昌親

    ふらんす/白水社   78 ( 12 ) 61  2003年12月

  • ジャン=ピエール・リモザン「世界の目覚めに向かって」

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   35 ( 9 ) 230 - 233  2003年06月

  • 鏡としての映画──連続性への誘いとしての吉田喜重作品

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   35 ( 6 ) 273 - 281  2003年04月

  • ジャン・エシュノーズ「聖書翻訳と自作を語る」

    谷 昌親

    早稲田文学   28 ( 2 ) 66 - 81  2003年03月

  • 鏡の奥の闇──乱歩におけるレンズ、鏡、触覚

    谷 昌親

    文藝別冊「江戸川乱歩」/河出書房新社     56 - 59  2003年03月

  • 夢と目覚めの弁証法──ベンヤミンの思想圏におけるパサージュ、シュルレアリスム、映画

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   34 ( 15 ) 166 - 177  2002年12月

  • 存在の捉えがたさ──ロメールにおける所作と自然

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   34 ( 14 )  2002年11月

  • こわれゆく身体──映画における身体性についての覚書

    谷 昌親

    文学/岩波書店   3 ( 6 ) 88 - 100  2002年11月

  • 『嵐が丘』という反復強迫

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   34 ( 11 )  2002年09月

  • ねじれの表象としてのマグレブ

    谷 昌親

    國文学/学燈社   47 ( 10 )  2002年08月

  • ヌーヴォー・ロマンという名の地下水脈

    谷 昌親

    早稲田文学/早稲田文学会   27 ( 4 )  2002年07月

  • イメージの閃光−ゴダールとミエヴィルの<あいだ>に

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   34 ( 7 )  2002年05月

  • 剽窃のエロティシズム

    谷 昌親

    週刊読書人/読書人    2002年04月  [査読有り]

  • 映画と無意識

    谷 昌親

    人文論集/早稲田大学法学会   ( 40 ) 167 - 182  2002年02月

  • Le "realisme createur" selon Michel Leiris : l'art de capter le sacre dans la vie quotidienne

    Masachika TANI

    Melusine   XXI  2002年

  • ミシェル・ウエルベック『素粒子』

    谷 昌親

    週刊読書人/読書人   ( 2410 )  2001年11月

  • Le "realisme createur" selon Michel Leiris : l'art de capter le sacre dans la vie quotidienne

    Masachika TANI

    Melusine/L'Age d'Homme   ( XXI ) 168 - 181  2001年08月

  • ゴダール's Fools' Gold

    谷 昌親

    はなればなれに/愛育社     43 - 45  2001年02月

  • 廃墟の探偵——ベンヤミン、ボードレール、アジェ

    谷 昌親

    人文論集/早稲田大学法学会   39, pp. 101-124 ( 39 ) 101 - 124  2001年02月

  • 標なき道へ---ヌーヴォー・ロマン

    谷 昌親

    週刊朝日百科 世界の文学/朝日新聞社   75  2000年12月

  • 脇道の物語---クリスチャン・ガイイ『赤い雲』

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   33;12, pp. 244-245 ( 12 ) 244 - 245  2000年09月  [査読有り]

  • 風景への接近、言葉への接近---ボン『高速道路』『鉄路の風景』

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   32 ( 8 ) 226 - 227  2000年06月

  • 細部の輝きと眺望の広がり---『山田宏一のフランス映画誌』

    谷 昌親

    映画芸術   ( 391 ) 177 - 179  2000年04月

  • 映画の「過激さ」について--「ロゼッタ」、そしてブレッソン

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   32 ( 3 ) 250 - 251  2000年03月

  • クレオールの余白に——デリダ、ドゥルーズ、グリッサン

    谷 昌親

    人文論集/早稲田大学法学会   ( 38 ) 103 - 123  2000年02月

  • 陰画としての小説--ジャン・エシュノーズ「ぼくは出ていくよ」

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   31 ( 13 ) 214 - 215  1999年12月

  • 料理の達人ルノワール

    谷 昌親

    ふらんす/白水社   74 ( 11 ) 92  1999年11月

  • 転落する映画--レオス・カラックス「ポーラX」

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   31;10,pp260-261 ( 10 ) 260 - 261  1999年09月

  • ジュールとジム、そしてカート

    谷 昌親

    ふらんす/白水社   74 ( 7 ) 92  1999年07月

  • 記憶を招き寄せる空虚--パトリック・モディアノ『名もなき女たち」

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   31 ( 7 ) 264 - 265  1999年06月

  • 「告白の専門家」による美術論

    谷 昌親

    図書新聞/図書新聞   ( 2434 ) 4  1999年04月

  • 自由の幻想—ヌーヴェル・ヴァーグ四〇年

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   31 ( 4 )  1999年03月

  • 群衆のなかの孤独—レーモン・ルーセルの群衆体験

    谷 昌親

    人文論集/早大法学会   37, pp. 1-33 ( 37 ) 1 - 33  1999年02月

  • 読みの視座をめぐる問い

    谷 昌親

    すばる/集英社   21 ( 1 ) 295  1999年01月

  • 危機の意識のなかで

    谷 昌親

    図書新聞/図書新聞   ( 2419 ) 6  1998年12月

  • ユートピアへの旅立ち

    谷 昌親

    ふらんす/白水社   73 ( 12 ) 101  1998年12月  [査読有り]

  • 非人称の声に運ばれて—画面の黒からページの白へ

    谷 昌親

    図書新聞/図書新聞   ( 2412 ) 4  1998年11月

  • 球形の世界

    谷 昌親

    ふらんす/白水社   73 ( 8 ) 105  1998年08月

  • 鏡像を毀すナルシス—フランスにおけるパゾリーニ

    谷 昌親

    現代詩手帳/思潮社   ( 7 ) 80 - 85  1998年07月

  • 運動体としての映画—撮影監督エリック・ゴティエ

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   29 ( 6 )  1997年05月

  • 接ぎ木される言葉——コンフィアン『復活祭の聖母マリア』とデリダ『他者の単一言語主義』

    谷 昌親

    ユリイカ    1997年02月

  • 踊る映画——ジャック・リヴェット『パリでかくれんぼ』

    谷 昌親

    ユリイカ     282 - 283  1996年11月

  • ひと夏の体験——エリック・ロメール『夏物語』

    谷 昌親

    ユリイカ     220 - 221  1996年08月

  • 〈あいだ〉の方法——ポルザンパルク展

    谷 昌親

    ユリイカ     382 - 383  1996年05月

  • Il y a tant de secrcts dans la ville: le nouveau roman noir japonois

    Masachika TANI

    Colloque <LE secret>/Universite catholique de Louvain    1996年03月

  • 反復の遊戯-レーモン・ルーセルとショックの詩学

    谷 昌親

    人文論集   ( 34 )  1996年02月

  • 波の反復−ジャン・エシュノーズ「大柄でブロンドの女たち」

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   28 ( 3 )  1996年02月

  • 残り香のごとき風景−堀江敏幸「郊外へ」

    すばる/集英社    1996年02月

  • カリブからのクレオールの波

    谷 昌親

    図書新聞/図書新聞社   ( 2282 )  1996年02月

  • 反復の遊戯−レールン・ルーセルとショックの詩学

    谷 昌親

    人文論集/早稲田大学法学会   34  1996年02月

  • 生成する世界−ブランクーシ展

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   27 ( 12 )  1995年11月

  • 黒い水脈−〈セリ・ノワール〉とマンシェット

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   27 ( 9 )  1995年08月

  • ミシェル・レリス岡谷公二訳「ゲームの規則−ビフュール」

    谷 昌親

    すばる/集英社    1995年08月

  • 言葉を食べる−ミシェル・レリスの執跡

    谷 昌親

    図書新聞/図書新聞社   ( 2253 )  1995年07月

  • ワグナー,そしてその後

    ユリイカ/青土社   27 ( 7 )  1995年06月

  • 失われた快楽を求めて−ミラン・リンデラ「緩慢さ」

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   27 ( 6 )  1995年05月

  • 迂回する思考-レーモン・ルーセルと旅の挫折

    谷 昌親

    人文論集   ( 33 )  1995年02月

  • 消失への誘い

    谷 昌親

    ユリイカ   26 ( 3 ) 140 - 148  1994年03月

  • 移ろいゆく風景-レーモン・ルーセルの孤独な旅

    谷 昌親

    人文論集   ( 32 )  1994年02月

  • 赤の誘惑-『ロクス・ソルス』試論

    谷 昌親

    人文論集   ( 31 )  1993年02月

  • 波の干渉-ムルナウ的ミニマズムの投げかける波紋

    谷 昌親

    映画学   ( 7 )  1993年

  • 欲望の視線-ルーセル、マレー、デュシャン

    谷 昌親

    人文論集   ( 30 )  1992年02月

  • 未知の世界へと開かれた窓-ブルトンと絵画

    谷 昌親

    ユリイカ   23 ( 13 ) 148 - 155  1991年12月

  • 鏡のなかのレーモン・ルーセル

    谷 昌親

    人文論集   ( 29 )  1991年02月

  • 空想科学小説家レーモン・ルーセル

    谷 昌親

    夜想   ( 27 )  1990年

  • La culture litteraire dans l'oeuvre de Raymond Roussel

    Masachika TANI

    Bulletin of French Literature and Language   8  1989年

  • La mort et le temps -Raymond Roussel et Camille Flammarion

    Masachika TANI

    Europe   66 ( 714 )  1988年

  • レーモン・ルーセルとヴィクトル・ユゴー

    谷 昌親

    フランス語フランス文学研究   53  1988年

  • Le Lieu commun hors du commun chez Raymond Roussel

    Masachika TANI

    These pour le Doctorat du 3eme cycle (Universite de Paris III)    1987年11月

  • La culture enfantine et la culture populaire dans l'ceuvre de Raymond Roussel

    Masachika TANI

    Bulletin of French Literature and Language   5  1986年

  • Le mecanisme de l'imagination chez Raymond Roussel

    Masachika TANI

    Bulletin of the Graduate Division of Literature of Waseda University   13  1986年

  • La culture enfantine et la culture populaire dans l'oeuvre de Raymond Roussel

    Masachika TANI

    フランス文学語学研究   ( 5 )  1986年

  • Le mecanisme de l'imagination chez Raymond Roussel

    Masachika TANI

    文学研究科紀要   別冊第13集  1986年

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書籍等出版物

  • 早稲田大学法学会百周年記念論文集

    早稲田大学法学会( 担当: 分担執筆,  担当範囲: ミシェル・フーコーとその分身――『レーモン・ルーセル』をめぐって)

    成文堂  2022年12月 ISBN: 9784792371128

  • クレオールの想像力――ネグリチュードから群島的思考へ

    立花英裕( 担当: 分担執筆)

    水声社  2020年03月

  • ジャン・ルーシュ――映像人類学の越境者

    千葉文夫, 金子遊( 担当: 分担執筆,  担当範囲: 「シネ・トランス」と生成変化——ジャン・ルーシュにおける客観的偶然と憑依の映画的作用)

    森話社  2019年10月 ISBN: 9784864051422

  • The International Encyclopedia of Surrealism

    ( 担当: 分担執筆)

    Bloomsbury Visual  2019年04月

  • 映画の言葉を聞く――早稲田大学『マスターズ・オブ・シネマ』講義録

    ( 担当: 共編者(共編著者))

    フィルムアート社  2018年03月

  • ゲームの規則Ⅳ 囁音

    ミシェル・レリス( 担当: 単訳)

    平凡社  2018年02月

  • ロジェ・ジルベール=ルコント——虚無へと誘う風

    谷 昌親

    水声社  2010年07月 ISBN: 9784891767655

  • Du surrealisme et ses rapports avec la photographie

    Masachika TANI

    Mesures et demesure dans les lettres francaises au XXe siecle / Honore Champion  2007年

  • ピアノ・ソロ

    ジャン・エシュノーズ

    集英社  2006年10月

  • 瀧口修造 夢の漂流物

    ( 担当: 分担執筆,  担当範囲: 窓辺の邂逅——瀧口修造とアンドレ・ブルトン)

    瀧口修造 夢の漂流物/世田谷美術館 富山県立近代美術館  2005年03月

  • La Tentation du ralenti : l'image comme laboratoire de la memoire roussellienne

    Masachika TANI

    Raymon Roussel 2 : formes, images et figure du texte roussellien, Lettres Modrenes Minard  2004年08月

  • 批評と臨床

    ジル・ドゥルーズ( 担当: 共訳)

    河出書房新社  2002年10月

  • 詩人とボクサー アルチュール・クラヴァン伝

    谷 昌親

    青土社  2002年10月

  • ジャン・ユスターシュ インタヴュー(1978年)

    ジャン・ユスターシュ/ エスクァイア マガジン ジャパン  2001年03月

  • オリンピアの頸のリボン

    ミシェル・レリス

    人文書院  1999年06月

  • 縫合

    「新」映画理論集成②/フィルムアート社  1999年04月

  • Il y a tant de secrets dans la ville: le nouveau roman noir japonais

    Masachika TANI

    Le Secret: motif et moteur de la litterature/ Universite de Louvain-la-Neuve  1999年

  • 第9章—ガラス玉演戯

    ヤン・ムーリエ・ブータン

    アルチュセール伝/筑摩書房  1998年10月

  • アナーキズムからアセファルへ—シュルレアリスムとファントマス

    谷 昌親

    シュルレアリスムの射程(鈴木雅雄編)/せりか書房  1998年10月

  • ゴダールの映画史—死者の声、映画の死

    谷 昌親

    ゴダールに気をつけろ/フィルムアート社  1998年09月

  • アンドレ・ブルトン伝

    アンリ・ベアール

    思潮社  1997年06月

  • シュザンヌの日々

    白水社  1995年07月

  • チェロキー

    ジャン・エシュノーズ

    1994年11月

  • ポール・ボウルズ伝

    ロベール・ブリアット

    白水社  1994年04月

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講演・口頭発表等

  • アンデスと秩父 移動する音楽

    谷 昌親

    早稲田大学法学部主催シンポジウム  

    発表年月: 2019年10月

  • パリの夏、60年の時をへだてて――映画『ある夏のリメイク』をめぐる対話

    谷 昌親

    早稲田大学地域・地域間研究機構 現代フランス研究所主催シンポジウム  

    発表年月: 2019年10月

  • Lost on the border : Kiyoshi Kurosawa's "Tabi no Owari Sekai no Hajimari

    谷 昌親

    JAPANESE TRANSNATIONAL CINEMA   (東京)  早稲田大学国際コミュニケーション研究科、ロンドン大学バーベック・カレッジ・東洋アフリカ研究学院  

    発表年月: 2019年07月

  • 映画的生成変化としての闘牛――映画『闘牛』をめぐるA.M.P.M.

    谷 昌親  [招待有り]

    バザン、レリス、闘牛――映画『闘牛』の上映とワークショップ(表象文化論学会第13回研究発表集会関連イベント)  

    発表年月: 2018年11月

  • 映画的生成変化としての闘牛――映画『闘牛』をめぐるA.M.P.M

    谷 昌親

    表象文化論学会第13回研究発表集会関連イベント「バザン レリス 闘牛ーー映画『闘牛』の上映とワークショップ   (山形)  山形大学人文社会科学部  

    発表年月: 2018年11月

  • Traduire c'est trahir?

    谷 昌親  [招待有り]

    Autour de Jean Echenoz : "L'Occupation des sols : un defi pour les traducteurs?  

    発表年月: 2013年04月

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共同研究・競争的資金等の研究課題

  • 〈クラッシュ〉と〈プレザンス〉の想像力――モダニズムにおける〈脱中心化〉の系 譜

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2022年04月
    -
    2025年03月
     

    谷 昌親

  • モダニズム/エグゾティシズム研究――文学・芸術における異化作用の諸相

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2013年04月
    -
    2016年03月
     

    谷 昌親

     概要を見る

    まずはシュルレアリスムをポスト・コロニアリズムの視点から見直す試みに取り組み、今回は、画家アンドレ・マッソンがマルチニックやアメリカの自然、さらにはアメリカ先住民から受けた影響について調べ、論文にまとめた。また、ミシェル・レリス独特の「驚異」の概念の重要性を再確認し、「異化」に通じつつも、安易なエグゾティシズムと一線を画し、日常生活のなかにも見出せるその「驚異」のあり方を明らかにした。肉眼による知覚に対する異化作用をもたらす映像にも注目し、シュルレアリスムとの関係で3人 の日本の写真家について論じるとともに、映画の分野ではヌーヴェル・ヴァーグについての調査研究をおこなった

  • モダニズム/エグゾティシズム研究――文学・芸術における異化作用

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2010年04月
    -
    2013年03月
     

    谷 昌親

     概要を見る

    ロジェ・ジルべール=ルコントとアンドレ・ブルトンは、合理主義に支えられた西洋の近代文明に対して異化作用をもたらす〈他者〉の働きに敏感であったが、この2 人の詩人=思想家についての研究を主におこない、前者については、日本では初めてとなる著作を上梓してその全貌を明らかにしようと試み、後者については、特にマルチニック、ハイチ、そしてアメリカのインディアンから受けた影響についての論文を継続的に発表した。その他、ミシェル・レリスとレーモン・ルーセルについては、その著作の翻訳に取り組みつつ、それぞれの作品に見られる独特の異化作用のメカニズムの解明についての研究を進めた。また視覚芸術、とりわけ映画や写真といったメディア特有の異化作用にも注目し、一方、以上の研究の理論的基盤を作るべく、精神分析や文化人類学の観点からも異化作用について考察した

  • モダニズム/エグゾティシズム研究--文学・芸術における<外の思考>の系譜

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2004年
    -
    2006年
     

    谷 昌親

     概要を見る

    研究の5つの柱を成す各項目について、平成16年度〜平成18年度の研究成果を以下に記す。a)レーモン・ルーセル研究--ルーセルの最後の作品『新アフリカの印象』、未完の長篇小説『ハバナにて』など、晩年の活動について、とくに作品の重層構造(入れ子状構造)との関係からの研究を続けつつあり、前者については挿絵との関係を論じ、後者については翻訳に着手した。b)ミシェル・レリス研究--1931年から33年にかけてのダカール・ジプチ調査団の民族学的な意義と、この調査に参加したことでレリスが得たものやそれが彼の作家活動にもたらした影響、またこの調査のコロニアリズム的な性格に対する彼の批判などを、特に調査旅行の前半について調べ、論文にまとめた。c)ダダ・シュルレアリスム研究--以前の論文でとりあげたパリ植民地博覧会の問題の延長として、アントナン・アルトーにバリ島の演劇がもたらした影響を調べ、論文にまとめた。また、アンドレ・ブルトンに影響を与えたジャック・ヴァシェ、ジャック・リゴーらについて調べ、パリ・ダダの一側面を論文にまとめた。さらに、シュルレアリスムと写真の関係を仏語の論文にまとめたが、これは近く刊行される予定。d)視覚芸術と無意識/身体--視覚芸術との関係で、無意識や身体の問題を探る試みを続けているが、上記c)のアルトーについての論文や写真についての論文において、その一端には触れえたと考えている。e)20世紀文化・社会・思想研究--上記a)b)c)の研究は、まさに20世紀初頭におけるモダニズムとエキゾティシズムの関係にかかわってくるが、それは文化・社会・思想研究の文脈において、主体と客体の関係性の問題として捉えなおした場合、d)のテーマにもつながる。この主体と客体の問題こそ、モダニズムとエキゾティシズムについて考える作業の核のひとつになるものであり、今後は、ダダやシュルレアリスムとの関係で本格的に論じる必要があるだろう

  • フランス・モダニズム研究―ダダ・シュルレアリスムの周辺

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2000年
    -
    2002年
     

    谷 昌親

     概要を見る

    本研究を構成する5つの柱に則して、平成12年度〜平成14年度の成果を以下にまとめる。1.レーモン・ルーセル研究-『アフリカの印象』における挿絵から出発して、活人画、写真、映画と比較しつつ、ルーセルの作品に頻出する停止した運動のイメージに焦点を絞り、それが彼独特の死と再生のテーマにかかわっていた可能性を検討して、仏語の論文にまとめた。2.アルチュール・クラヴァン研究-これまで謎に包まれてきたこのダダの先駆者アルチュール・クラヴァンについての調査を一冊にまとめた。同書では、クラヴァンの周辺の動きについても取上げたので、20世紀初頭のモダニズムを見通す試みにもなったはずである。3.ミシェル・レリス研究-モダニズムにこだわりつづけたレリスにおける「現代性」の問題を、彼独特のリアリズムとも関連づけつつ、presenceという概念のあり方を中心に検討した。また、民族学にも携わっていたレリスにとって、モダニズムは必然的にエキゾティシズムとも関係してくる点に注目し、とりわけ憑依の問題などについての研究を進めつつある。4.ダダ・シュルレアリスム研究-日常生活において無用なものとして棄てられた廃物を新たな意味の網目のなかに拾いあげるという観点から眺めるとき、ベンヤミンとシュルレアリスムの類似点が見えてくる。これは無意識の問題とも関係するわけだが、その点で、無意識をもたらす装置とベンヤミンが見なした写真や映画は、当然ながら、ダダやシュルレアリスムと深い関係にある。5.20世紀文化・社会・思想研究-われわれの問題意識のなかで、モダニズムはエキゾティシズムとの密接な関係を呈してきている。これは、一方でポスト・コロニアリズムの問題につながるとともに、「外の思考」とも絡まり、「無意識」や「身体牲」といった理性的主体にとっての一種のエキゾティシズムを20世紀の視覚芸術のうちに探る試みへとわれわれを誘った

Misc

  • 色とりどりの輝きを放つケベック詩――『ケベック詩選集』

    谷 昌親

    週刊読書人   ( 3316 ) 5  2019年11月  [査読有り]  [招待有り]

  • 世界の隙間を求める旅――フー・ボー監督『象は静かに座っている』

    谷 昌親

    図書新聞   ( 3423 ) 8  2019年11月  [査読有り]

    その他  

  • 映画的主観と客観のはざまに――『六つの教訓的物語』の誕生について

    谷 昌親

    人文論集   ( 55 ) 161 - 175  2017年02月

    速報,短報,研究ノート等(大学,研究機関紀要)  

    CiNii

  • イメージ、廃墟としての

    谷 昌親

    L'Anti-Lion   ( 3 ) 36 - 45  2015年07月  [招待有り]

    その他  

  • 相似形が崩れるとき――小津安二郎の映画における時間の概念について

    谷 昌親

    人文論集   ( 52 ) 93 - 102  2014年02月

    速報,短報,研究ノート等(大学,研究機関紀要)  

    CiNii

  • 試験管内の化学反応——ジャック・リヴェット『ランジェ公爵夫人』

    谷 昌親

    図書新聞   ( 2866 ) 8  2008年04月

  • 〈芸術〉と〈革命〉——フィリップ・ガレル監督『恋人たちの失われた革命』

    谷 昌親

    図書新聞   ( 2806 ) 8  2007年01月

  • ダダの磁場と触媒——フランシス、アルチュール、そしてふたりのジャック

    谷 昌親

    水声通信   ( 7 ) 109 - 123  2006年05月

  • 『ボードリヤールという生き方』

    谷 昌親

    人文論集   ( 44 ) 149 - 153  2006年02月

  • サファ・ファティ監督『デリダ、異郷から』をめぐって

    谷 昌親

    図書新聞   ( 2735 ) 2  2005年07月

  • 『啓蒙の世紀と文明観』

    谷 昌親

    人文論集   ( 43 ) 135 - 139  2005年02月

  • 言葉と身体のはざまで——ジャンヌ・バリバール+ピエール・アルフェリ

    谷 昌親

    未来   ( 454 ) 17 - 21  2004年07月

  • 種村季弘著『畸形の神』

    谷 昌親

    図書新聞   ( 2680 ) 4  2004年06月

  • 死出の旅の道連れ

    谷 昌親

    現代詩手帳   47 ( 5 ) 55  2004年05月

  • 『ノルベルト・エリアスと21世紀』

    谷 昌親

    人文論集   ( 42 ) 167 - 169  2004年02月

  • ベルナルド号での船出

    谷 昌親

    映画芸術   ( 408 ) 20 - 23  2004年

  • ミシェル・ビュトール著『即興演奏』(河出書房新社)

    谷 昌親

    図書新聞/図書新聞   ( 2056 ) 4  2003年12月

  • ジャン=クリストフ・グランジェ『コウノトリの道』(創元推理文庫)

    谷 昌親

    ふらんす/白水社   78 ( 12 ) 61  2003年12月

  • ジャン=ピエール・リモザン「世界の目覚めに向かって」

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   35 ( 9 ) 230 - 233  2003年06月

  • 鏡としての映画──連続性への誘いとしての吉田喜重作品

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   35 ( 6 ) 273 - 281  2003年04月

  • ジャン・エシュノーズ「聖書翻訳と自作を語る」

    谷 昌親

    早稲田文学   28 ( 2 ) 66 - 81  2003年03月

  • 鏡の奥の闇──乱歩におけるレンズ、鏡、触覚

    谷 昌親

    文藝別冊「江戸川乱歩」/河出書房新社     56 - 59  2003年03月

  • 夢と目覚めの弁証法──ベンヤミンの思想圏におけるパサージュ、シュルレアリスム、映画

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   34 ( 15 ) 166 - 177  2002年12月

  • 存在の捉えがたさ──ロメールにおける所作と自然

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   34 ( 14 )  2002年11月

  • こわれゆく身体──映画における身体性についての覚書

    谷 昌親

    文学/岩波書店   3 ( 6 ) 88 - 100  2002年11月

  • 『嵐が丘』という反復強迫

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   34 ( 11 )  2002年09月

  • ねじれの表象としてのマグレブ

    谷 昌親

    國文学/学燈社   47 ( 10 )  2002年08月

  • ヌーヴォー・ロマンという名の地下水脈

    谷 昌親

    早稲田文学/早稲田文学会   27 ( 4 )  2002年07月

  • イメージの閃光−ゴダールとミエヴィルの<あいだ>に

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   34 ( 7 )  2002年05月

  • 剽窃のエロティシズム

    谷 昌親

    週刊読書人/読書人    2002年04月

  • ミシェル・ウエルベック『素粒子』

    谷 昌親

    週刊読書人/読書人   ( 2410 )  2001年11月

  • ゴダール's Fools' Gold

    谷 昌親

    はなればなれに/愛育社     43 - 45  2001年02月

  • 標なき道へ---ヌーヴォー・ロマン

    谷 昌親

    週刊朝日百科 世界の文学/朝日新聞社   75  2000年12月

  • 脇道の物語---クリスチャン・ガイイ『赤い雲』

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   33;12, pp. 244-245 ( 12 ) 244 - 245  2000年09月

  • 風景への接近、言葉への接近---ボン『高速道路』『鉄路の風景』

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   32 ( 8 ) 226 - 227  2000年06月

  • 細部の輝きと眺望の広がり---『山田宏一のフランス映画誌』

    谷 昌親

    映画芸術   ( 391 ) 177 - 179  2000年04月

  • 映画の「過激さ」について--「ロゼッタ」、そしてブレッソン

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   32 ( 3 ) 250 - 251  2000年03月

  • 書評 塚原史著『人間はなぜ非人間的になれるのか』

    谷 昌親

    人文論集   ( 39 ) 295 - 297  2000年

    CiNii

  • 陰画としての小説--ジャン・エシュノーズ「ぼくは出ていくよ」

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   31 ( 13 ) 214 - 215  1999年12月

  • 料理の達人ルノワール

    谷 昌親

    ふらんす/白水社   74 ( 11 ) 92  1999年11月

  • 転落する映画--レオス・カラックス「ポーラX」

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   31;10,pp260-261 ( 10 ) 260 - 261  1999年09月

  • ジュールとジム、そしてカート

    谷 昌親

    ふらんす/白水社   74 ( 7 ) 92  1999年07月

  • 記憶を招き寄せる空虚--パトリック・モディアノ『名もなき女たち」

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   31 ( 7 ) 264 - 265  1999年06月

  • 「告白の専門家」による美術論

    谷 昌親

    図書新聞/図書新聞   ( 2434 ) 4  1999年04月

  • 自由の幻想—ヌーヴェル・ヴァーグ四〇年

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   31 ( 4 )  1999年03月

  • 読みの視座をめぐる問い

    谷 昌親

    すばる/集英社   21 ( 1 ) 295  1999年01月

  • 危機の意識のなかで

    谷 昌親

    図書新聞/図書新聞   ( 2419 ) 6  1998年12月

  • ユートピアへの旅立ち

    谷 昌親

    ふらんす/白水社   73 ( 12 ) 101  1998年12月

  • 非人称の声に運ばれて—画面の黒からページの白へ

    谷 昌親

    図書新聞/図書新聞   ( 2412 ) 4  1998年11月

  • 球形の世界

    谷 昌親

    ふらんす/白水社   73 ( 8 ) 105  1998年08月

  • 鏡像を毀すナルシス—フランスにおけるパゾリーニ

    谷 昌親

    現代詩手帳/思潮社   ( 7 ) 80 - 85  1998年07月

  • 運動体としての映画—撮影監督エリック・ゴティエ

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   29 ( 6 )  1997年05月

  • 接ぎ木される言葉——コンフィアン『復活祭の聖母マリア』とデリダ『他者の単一言語主義』

    谷 昌親

    ユリイカ    1997年02月

  • 踊る映画——ジャック・リヴェット『パリでかくれんぼ』

    谷 昌親

    ユリイカ     282 - 283  1996年11月

  • ひと夏の体験——エリック・ロメール『夏物語』

    谷 昌親

    ユリイカ     220 - 221  1996年08月

  • 〈あいだ〉の方法——ポルザンパルク展

    谷 昌親

    ユリイカ     382 - 383  1996年05月

  • 波の反復−ジャン・エシュノーズ「大柄でブロンドの女たち」

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   28 ( 3 )  1996年02月

  • 残り香のごとき風景−堀江敏幸「郊外へ」

    すばる/集英社    1996年02月

  • カリブからのクレオールの波

    谷 昌親

    図書新聞/図書新聞社   ( 2282 )  1996年02月

  • 生成する世界−ブランクーシ展

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   27 ( 12 )  1995年11月

  • 黒い水脈−〈セリ・ノワール〉とマンシェット

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   27 ( 9 )  1995年08月

  • ミシェル・レリス岡谷公二訳「ゲームの規則−ビフュール」

    谷 昌親

    すばる/集英社    1995年08月

  • 言葉を食べる−ミシェル・レリスの執跡

    谷 昌親

    図書新聞/図書新聞社   ( 2253 )  1995年07月

  • ワグナー,そしてその後

    ユリイカ/青土社   27 ( 7 )  1995年06月

  • 失われた快楽を求めて−ミラン・リンデラ「緩慢さ」

    谷 昌親

    ユリイカ/青土社   27 ( 6 )  1995年05月

  • 消失への誘い

    谷 昌親

    ユリイカ   26 ( 3 ) 140 - 148  1994年03月

  • 未知の世界へと開かれた窓-ブルトンと絵画

    谷 昌親

    ユリイカ   23 ( 13 ) 148 - 155  1991年12月

  • 空想科学小説家レーモン・ルーセル

    谷 昌親

    夜想   ( 27 )  1990年

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現在担当している科目

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他学部・他研究科等兼任情報

  • 理工学術院   基幹理工学部

  • 文学学術院   文化構想学部

  • 附属機関・学校   グローバルエデュケーションセンター

学内研究所・附属機関兼任歴

  • 2024年
     
     

    現代フランス研究所   プロジェクト研究所所長

特定課題制度(学内資金)

  • 〈クラッシュ〉と〈プレザンス〉の想像力――モダニズムにおける〈脱中心化〉の系 譜

    2022年  

     概要を見る

    &nbsp; &nbsp; &nbsp; In the 2022 academic year, by researching Foucault-related documets, I prepared for my article "Michel Foucault and his alter ego" which discusses Michel Foucault's early work "Raymond Roussel". Since I did it carefully and the article was quite large, I spent a lot of time writing it. Traditionally, researches on Foucault's "Raymond Roussel" have focused on Roussel's unique method of creation, and have been mainly concerned with issues of language in an attempt to relate this book to Foucault's work as a whole, and especially to his later theories of power. However, even if the issue of language is important, Foucault must have found in Roussel other important themes such as "madness," "visibility," and "alterity”. So I have attempted to elucidate how these various themes are connected to the problem of "outside". I believe that it was also an opportunity to reconsider Foucault's thought, which does not converge only on the theory of power.&nbsp; &nbsp; &nbsp;On the other hand, I discussed the influence of American indigenous culture on Max Ernst in the paper "The Journey of a Painter as a 'Seer' ". This is a part of my ongoing research on placing Surrealism in the context of Postcolonialism, and I hope to compile it into a book soon.&nbsp; &nbsp; &nbsp;I have also been working on the translation of Philippe Soupault's novel "The Last Nights in Paris" (1928), which has been stalled for some time due to copyright issues, but I have finally found a way to finish it. The translation of the middle story " Horace Pirouelle’s Journey " and the short story "The Death of Nick Carter" will also be included in the book, and I will add to it a very detailed commentary. I hope that this will help to revise somewhat the Breton-centered view of Surrealism.

  • 〈クラッシュ〉と〈プレザンス〉の想像力――モダニズムにおける〈脱中心化〉の系 譜

    2021年  

     概要を見る

    &nbsp; &nbsp;In the academic year 2021-2022, I made significant changes to my translation of Philippe Soupault's novel "Les Dernières Nuits de Paris (Last Nights of Paris)" (1928), adding notes and completing the final version for now. In addition, partly for the purpose of writing comments, I read the books and the articles related to Soupeault, especially the material related to " Last Nights of Paris," and compared it with Breton's "Nadja" and Aragon's "The Peasant of Paris," and wrote the article "The Writting of Transformation and Destruction”. In this paper, I attempted to examine Soupault's novel as an extension of "Les Champs magnétiques (The Magnetic Fields)," the first attempt of automatic writing that he and Breton wrote together. I also translated "Le Voyage d’Horace Pirouelle (The Travels of Horace Pirouelle)" and "La Mort de Nick Carter (The Death of Nick Carter)," which were written in 1925 and 1926 respectively, for publishing them with "Last Nights in Paris" in one volume in Japanese. In addition, I have begun reviewing my translation of Alfred Jarry's "Day and Night," which I had previously completed. Although I had to use a creative writing format in relation to the journal in which it was published, I consulted new materials on Arthur Cravan, whom I had previously discussed in my book "The Poet and the Boxer," and, while placing him in the lineage of French poetry, I wrote an article entitled "Arthur Cravan is Alive".&nbsp;&nbsp; &nbsp;I also researched films, especially war films in relation to otherness theory, and analyzed Clint Eastwood's "Letters from Iwo Jima" (2006) and Artur Harari's "ONODA: Beyond 10,000 Nights" (2021) for giving an oral presentation titled "Bigger than War : How can we face "others"" at the international workshop “National and Transnational Cinema” held in Brussels, Belgium, in February 2022.

  • モダニズムにおける〈脱中心化〉――文学・芸術における〈外の思考〉の系譜

    2020年  

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    &nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;In the academic year 2020-2021, my research was focused at first on Philippe Soupault's ”Les Dernières Nuits de Paris (The Last Nights of Paris)". While elaborating my translation in Japanese of this novel for its publication, I gathered and read as much materials as possible about Soupault for researching his activities as a novelist. Simultaneously, in order to clarify the meaning of the city of Paris to Surrealists, I proceeded with the analysis of "The Last Nights of Paris" while comparing it with Breton's "Nadja" and Aragon's "Le Paysan de Paris (The Farmer of Paris)". In addition, I also translated Soupault's short story "La mort de Nick Carter (Death of Nick Carter)" for publishing it with "The Last Nights of Paris".&nbsp; &nbsp; &nbsp; I also approached the issues of Surrealism and photography, clarifying how photography played a vital role in Surrealist activities, especially in Breton's works such as "Nadja" and "L’Amour fou (Crazy Love)". In these photos related to Surrealism, including those of Eugène Atget, the city of Paris occupies an important position. So here again my research headed toward the relationship between Surrealism and Paris. I summarized this study in the paper “Beyond subjectivity and objectivity”.&nbsp; &nbsp; &nbsp; Meanwhile, I reconsidered Arthur Cravan, by reading the new materials that came out after the publishing of my book on him, and especially tried to re-evaluate his activity as a poet. The results are included in my text, "Arthur Cravan is alive," that will be published shortly in a new magazine.&nbsp; &nbsp; &nbsp;In addition to Cravan, Jacques Vaché and Jacques Rigaut are all directly and indirectly involved in the movement of Dada. I therefore tried to clarify their position in the history of literature, participating in a lecture about these three poets.  

  • モダニズムにおける<脱中心化>-文学・芸術における<野生の思考>の系譜

    2019年  

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     2019年度の研究においては、戦後まもなくにおこなった二度のアンティル諸島への旅をとおしてミシェル・レリスが反植民地主義の立場を強めたこと、そして、マルチニック、グアドループ、ハイチの文化と接するなかで、他者を探求しつつ、自分自身を見つめなおそうとしたことを明らかにした。この自己と他者の相関関係は、もともとさまざまな人種が混交しているアンティル諸島の複合的文化と響き合うものがあり、レリス自身が〈クラッシュ〉と呼ぶそうした異文化の衝突は、シュルレアリスムの美学にも通じていた。さらに、そのような問題意識は、シュルレアリスムにならって「客観的偶然」にこだわり、他者との遭遇と自己の発見をその作品で求めた映像人類学者のジャン・ルーシュにも見出せるものである。&nbsp;また、フィリップ・スーポーの小説『パリの最後の夜』の翻訳を終わらせ(出版は来年度の予定)、その翻訳作業を通じて、シュルレアリストにとってパリの街がまさに他者との出会いの場であるとともに自己の探求につながる場であることを再確認した。さらに、ルーセルの『ハバナに…』の翻訳も並行しておこない、ルーセル独特の並列と入れ子の構造についての考察も続けている。 一方、レリスがナレーション原稿を書いた映画『闘牛』について、その批評を書いたアンドレ・バザンとレリスに共通する「プレザンス」へのこだわりを確認し、サルトルやブランショの思想との関係も探った。そうした「プレザンス」をめぐる問題を美学的な観点から検討するために、ディディ=ユベルマン、さらには、レリスやジル・ドゥルーズとも比較しつつ、バルトが唱える「プンクトゥム」について考察した。これもまた、自己の探求と他者の探求が交錯するなかで生じてくる問題と言えるのである。&nbsp; そのほか、旅や移民など、越境のテーマと関連する映画や音楽についてのシンポジウムに参加するなかで、やはり〈脱中心化〉についての考察をおこなった。

  • 〈エグゾティスム〉研究――モダニズムにおける異化作用と〈驚異〉の概念

    2018年  

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     Our research was focused on Michel Leiris’ works, especially on his Le Miroir de la tauromachie (1938) andhis key concept “the sacred” discussed in this book and probably related to thetheme “the fabulous (le merveilleux)”. According to Leiris, a conflictingrelationship between “the right” (“straight”) and “the left” (“skew”) createsthe sacred. But in his case, “the left” contains also the meaning of “clumsy”and this particularity made Leiris to write autobiographic essays.&nbsp; &nbsp; Viewed in the light of the exoticism, Leiris’ journey to the French WestIndies is another topic which had our attention. By taking notice of the fusionof different elements in the culture of this area, he developed his idea of“the sacred” and perhaps prepared his future reflection on “the fabulous”.&nbsp;&nbsp; We also studied Jean Rouch whomade ethnological films under the influence of surrealism and participated in the movement of "La Nouvelle Vague". This work helped us to clarify connections between surrealism,ethnology and cinema. As the case of Rouch shows, it seems us possible to consider“La Nouvelle Vague” as a sort of extension of surrealism. From this angle, wecontinued our study about Eric Rohmer and Jacques Rivette too.

  • モダニズム/エグゾティシズム研究――文学・芸術における「驚異」の概念と異化作用

    2017年  

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    &nbsp;2017年度は、ミシェル・レリスを主な研究対象とし、『ゲームの規則』第4巻の『囁音』のなかでレリスが、孤島に引きこもり「善良な未開人」でありつづけるといった安易なエキゾティシズムを批判し、超自然的な事柄に基づかない、日常的な生活のなかに見出される〈驚異〉を重視して、一種の交流を呼び込もうとしたことを確認した。こうした姿勢は断章形式の採用にもつながっている。&nbsp; 一方、視覚芸術、なかでも映画を「異化」の観点から見直す研究も並行しておこなっており、エリック・ロメールやジャック・リヴェットが執筆した映画論から、映画作品を物語やテーマに収斂させず、映像どうしの相互作用のなかで見ていこうとする映画観を検討した。

  • モダニズム/エグゾティシズム研究――文学・芸術における「驚異」の概念と異化作用

    2016年  

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     Our research wasfocused on Michel Leiris’ works, especially on his Le Frêle Bruit, the forth and last volume of La Règle du jeu. In this book, he adopted a fragmentary style andit made his text a sort of special poetry. Put side by side, severalheterogeneous elements derive Le FrêleBruit of normal stability. In this way, Leiris could have a formcorresponding with the theme “the fabulous (le merveillex)” discussed in thebook.&nbsp;&nbsp;&nbsp; We also made study of RogerVitrac’s works. As a real surrealist in spite of his quarrel with André Breton,he wrote poetry, but asa poet who had given upall classical prosody. Under Vitrac’s pen, words freed themselves from thecontrol of reason. It was also the case of his drams. It is not surprisingthat, in one of the manifestos of The Alfred Jarry Theater founded with Artaud,Vitrac declared that “For the first time a realdream was realized on the stage”.&nbsp;&nbsp;&nbsp; We also paid an attention to an effect of dissociation produced by visualarts, especially cinema. Éric Rohmer introduced subjective factor in cinematicobjectivity. His works are based on this kind of discrepancies betweensubjective and objective factors.&nbsp;

  • モダニズム/エグゾティシズム研究――文学・芸術における異化作用

    2009年  

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    2009年度、最も力を入れておこなった研究は、フランスの詩人ロジェ・ジルベール=ルコント(1907-43)についてのものである。神秘思想を基盤にして独特の形而上学を練り上げ、その一種の実践として詩を書いたジルベール=ルコントは、誕生以前の状態やそれに類する状態、要するに理性的な主体が確立していない状態への一種の回帰を追い求め続けた。それは、論理的思考によって人間が孤立してしまう以前にはあったはずのさまざまな可能性を取り戻すことを意味し、そのために彼は、実験形而上学と称して、阿片の吸引も含め、あらゆる試みをおこなっている。ときには自己破壊にも陥りかねないそうした試みは、西欧の合理的思考にとってはまさに「異化作用」以外のなにものでもない。そうした「異化作用」の体験とそれに基づいた詩作によって、ジルベール=ルコントは、ほぼ同時代のシュルレアリスムに接近しつつも、ある意味でのその先にまで行った。つまり、個人主義を超えた一種の共同性の探求であり、それは単なる合理主義の否定ではなく、未開人にも通じる精神状態と近代人の理性的な精神状態を弁証法的に止揚することで生じるはずの新しい地平であった。そうしたジルベール=ルコントについて、その人生と仕事をたどる著作を書き上げ、まもなく刊行される予定となっている。 そのほか、シュルレアリスムと写真や映画の関係については以前からの研究を継続している。それはまた、写真や映画といった複製芸術が既成の芸術にもたらした「異化作用」の研究にもなっていく。また、映画に関しては、戦後の新たなモダニズムともいえるヌーヴェル・ヴァーグについての研究も続けている。とりわけ、2010年1月に逝去したエリック・ロメールについては、これまでに書いたものも含め、いずれ研究の成果をまとめるようにしたいと考えている。人物たちが恋愛などについてただ会話をするだけのように見えるロメールの映画は、ストーリー性が希薄である点など、従来の劇映画のあり方とは異質であり、観客に対して「異化作用」として働いた。その一方で、俳優の身振りなどがなまなましく現前してくることで、映画におけるモダニズムの在り方を一新したと言ってもいい。このロメールを含めたヌーヴェル・ヴァーグ全体についても、いずれ論じていかねばならない。

  • モダニズムと異化作用――20世紀の文学・芸術における主体概念の解体と再構築

    2008年  

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     2008年度、最も力を入れておこなった研究は、アントナン・アルトーのメキシコ体験についてのものである。これは、以前におこなった、アルトーとバリ島のダンスの関係についての研究を受け継ぐものであり、まさに本研究課題の主眼である「主体概念の解体と再構築」につながる。アルトーは、バリ島のダンスがそうであったように、メキシコのインディオたちの伝統文化、とりわけサボテン科に属し、幻覚作用を有するぺヨトルを吸引してのダンスに深い衝撃を受け、「詩の神秘」へと到達したのである。それは、西欧の合理的思考にとってはまさにすさまじいまでの「異化作用」であったはずだ。そうした「異化作用」の体験が、アルトーに同時代のモダニズムよりさらに先を行く作品を書かせたのである。 こうしたアルトーについての研究は論文にまとめたが、それと並行して、ほぼ同時代の詩人ロジェ・ジルベール=ルコントについての研究にも着手した。ジルベール=ルコントも、ときには阿片の力を借りつつ、理性的な主体に揺さぶりをかけ、独特の作品を書いた。そのジルベール=ルコントについては著作を準備中で、来年には刊行の予定である。 そのほか、シュルレアリスムと写真や映画の関係については以前からの研究を継続している。それはまた、写真や映画といった複製芸術が既成の芸術にもたらした「異化作用」の研究にもなっていく。また、映画に関しては、戦後の新たなモダニズムともいえるヌーヴェル・ヴァーグについての研究も続けている。ヌーヴェル・ヴァーグの映画も、それまでの映画に較べると、ストーリー性が希薄である点など、まさに整合的な映画のあり方とは異質であり、文字通り観客に対して「異化作用」として働いた。それが映画における真のモダニズムをもたらしたと言ってもいい。このヌーヴェル・ヴァーグについても著作を準備中である。

  • モダニズム/エグゾティシズム研究――文学・芸術における〈外〉の思想の系譜

    2007年  

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    2007年度は、とりわけミシェル・レリスのアビシニア(エチオピア)体験を検証しなおすことに力を入れた。一般に非ヨーロッパ的な文化に関心を寄せていたシュルレアリストのなかでも、レリスのように民族誌学者となった例は稀だが、そのレリスにとって、1931年から31年にかけてダカール=ジプチ調査団に参加し、アフリカでフィールドワークをおこなったことが重要な契機となっている。なかでも、調査旅行の終盤におこなわれたアビシニアでの体験が彼にとっては貴重であったはずで、一方では民族学に対してアンビバレントな思いを抱かせることになったこのフィールドワークやそれにまつわる出来事と彼のその後の著作活動の関係を調べ、「カパを手にした闘牛士」という論文にまとめた。 一方、レリスの年長の友人であり、彼に多大な影響を与えたレーモン・ルーセルについては、その最後の著作『新アフリカの印象』の翻訳を試みつつ、彼の旅行体験との関係や、この著作な複雑な構造の分析を進めているところである。 また、ブルトンに影響をあたえたジャック・ヴァシェ、ブルトンとはやや異なるポジションでシュルレアリスムに参加していたロベール・デスノスについても資料の読み込みをおこなっているところであり、いずれ研究成果としてまとめる予定である。 シュルレアリスムに関しては、この運動をモダニズム/エキゾティシズムの文脈において考える場合、写真やオブジェの関係が重要だと考えているが、特に写真との関係を調べ、フランスで刊行された論文 集のために"Du surrealisme et ses rapports avec la photographie"としてまとめた。写真は、対象を客体化させるだけに、シュルレアリスム固有の方法であった自動記述に結びつく側面があり、そうした観点からシュルレアリスムと写真を見直す試みである。 このシュルレアリスムの写真体験に象徴的だが、20世紀に独得の発展を遂げた視覚芸術において、無意識や身体性の問題が重要であると考えており、このテーマについても研究を継続中である。

  • フランス・モダニズム研究――ダダ・シュルレアリスムの周辺

    2000年  

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     まず、ダダの先駆者と見なされるレーモン・ルーセルについて、彼の『新アフリカの印象』を、従来のように形式の点からばかりでなく、むしろテーマの面から、たとえば彼のおこなった旅行との関係などから見ることで、時代や環境の影響を探る可能性が開けてきた。また、やはりダダの先駆者とされるアルチュール・クラヴァンについては、そのスペイン時代、アメリカ時代を調べた結果、ようやく彼の活動の全貌が明らかになり、同時に、1910年代後半にパリ、バルセロナ、ニューヨークの各地で展開されたモダニズム運動相互の関係も明確になってきたため、近いうちに書物のかたちでまとめる予定。 以上は、モダニズムの初期の段階を扱った研究であるが、ダダ・シュルレアリスムの時期については、ベンヤミンとシュルレアリスム、そして写真家アジェの関係に注目することで、日常生活において無用なものとして棄てられた廃物を新たな意味の網目のなかに拾いあげるという共通の身振りが浮上してきた。それはモダニズムの問題を横断するテーマの糸口といえよう。また同時に、シュルレアリストのひとりであり、モダニズムにこだわりつづけた作家ミシェル・レリスについても、同じ問題意識から、些細な細部の重視が独特のリアリズムを生み出している点を明らかにできたと考えている。 ところで、そうした廃物や細部といった実用性から零れ落ちる要素への執着は、既存の価値体系とのずれという意味では、エキゾティシズムや他者性の問題ともかかわってくる。実際、シュルレアリスムと民族学のあいだには通底するものがあるはずである。したがって、セガレンあたりから、シュルレアリスムを経て、現在のクレオールに至る問題系が呈示されたわけである。そして、そのエキゾティシズムの問題がモダニズムと取り結ぶ関係にもある程度の見通しが開けつつあり、今後はその点をさらに追及していかねばならない。

  • フランス・モダニズム研究

    1999年  

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     フランスのモダニズムをテーマに取上げて研究したわけだが、その成果のひとつは、シュルレアリスムに参加した作家であり、民族学者でもあったミシェル・レリスの主著のひとつ『オランピアの頸のリボン』の翻訳を上梓し、その「訳者あとがき」においてモダニズムの問題をこれまでよりも一歩踏み込んで論じたことだろう。実際、レリスにとってもモダニズムは重要であり、『オランピアの頸のリボン』のなかでも繰り返しこの問題を論じているが、これを、彼がやはり注目する presenceや細部の問題と関連づけることで、モダニズムを論じるうえでのひとつのハースペクティヴが得られたように思う。この「訳者あとがき」での議論を土台にして、さらにフランスの雑誌のために、今度はレリスの美術論を前面に立て、同種の問題を扱ったレリス論をフランス語で執筆した(雑誌の発刊時期はいまのところ2001年の予定)。 また、レリスが参加したシュルレアリスム、さらにそれに先立つダダといった前衛芸術運動についても当然ながら研究を進めているが、とくにダダとの関係では、パリばかりでなく、バルセロナやニューヨークにおいてもダダの先駆的な役割を演じたアルチュール・クラヴァンに注目しつつ、20世紀初頭から第一次世界大戦あたりまでの時代を浮彫りにし、この時代に活躍したさまざまな芸術家の活動も再検討しているが、近いうちに一冊にまとめる予定で、すでに3分の2あたりまで書き進めてある。 一方、こうしたモダニズムの動きを現代思想の視点からとらえなおす作業も不可欠であり、そのため昨年度は、ポスト・モダニズム的状況を端的に示すクレオールの問題を、デリダ、ドゥルーズ、グリッサンといった思想家・作家の言語観・文化観をとおして検討する試みもおこなった。こうした基礎的でもありながら、研究の全体に発展的な広がりをもたらす思想の確認によって、モダニズムをめぐる問題がより明確になってくるものと考えられる。

  • 主体の解体、意味の解体-ダダ、シュルレアリスムの周辺

    1996年  

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     ダダやシュルレアリスムなどについて考える場合、その前提として、19世紀のヨーロッパにおいていかに無意識の概念が発見されていったかを調べる必要がある。無意識の発見といえばまず第一に精神分析学があるが、これは必ずしも精神病者だけに限った問題でなく、文学や芸術の分野においても、創作活動の裏側にはえてしてcogitoの崩壊がかいま見える。それがいわば内側の無意識だとすれば、外側の無意識として、移動手段の発達によってもたらされた主体の解体を考えねばならない。これは、移動の運動そのもののなかで主体が文字どおり揺さぶりを受けるとともに、自己の文化的なコンテクストの枠組みからも抜け出ることで生じる作用である。この内と外の無意識に加え、その物理的投影として、19世紀末に発明された映画をあげることができよう。映画は、たとえば絵画などに較べてもわかるように、作り手の主体性の関与が希薄になりうる表現媒体である。以上の3つの要素をテーマにして、ヨーロッパのいわば裏側の文化史を探る著作を準備中であり、これは、ダダやシュルレアリスムを経て、たとえばヌーヴォー・ロマン以降の文学運動やバルト、ドゥルーズ、デリダの思想、そしてクレオールといった、きわめて今日的な問題にもつながる仕事となるはずである。 一方、ダダやシュルレアリスムにかかわる研究も続行中で、以前から研究対象としているルーセルについては、上記の観点から見直しをおこなっており、ダダの先駆的存在であるアルチュール・クラヴァンについての著作も準 備中である。さらに、ダダやシュルレアリスムと映画の関係もこれから調べてゆく予定であり、また、映画とは別の意味で無意識の投影とも言える探偵小説とシュルレアリスムの親近性にも注目しつつある。

  • 1920年代パリのアヴァンギャルド

    1995年  

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    今年も,主要テーマを見据えつつ,その手前の部分に取り組む結果になった感がある。まず,以前から研究してきているレーモン・ルーセンだが,彼についての新資料が出てきたことで,〈1920年代パリのアヴァンギャル〉を考える際の重要な要素のひとつである「移動」というテーマとの関連で論じることが可能になった。旅がルーセルの作家活動にもたらした影響は大きい。この観点から,初期のルーセルが体験した列車事故の影響を「反復の遊戯」と題した論文にまとめた。また,パリ・ダダの先駆的存在といえるアルチュール・クラヴァンも,フランスからスペイン,さらにアメリカ,メキシコと移動をつづけた作家だが,資料がほとんど残されていないクラヴァンの生涯をたどるという作業も続行中であり,近年中には一冊にまとめたいと考えている。それから,これはまた別の問題でもあるが,都市とそのなかでの移動,すなわち都市の遊歩者もまた,1920年代のアヴァンギャルドを考える上で重要な要素であり,その観点から,探偵小説とシュルレアリスムとの関係も調べつつある。 ところで,シュルレアリストのなかでももっとも「移動」に敏感だった者のひとりがミシェル・レリスだろう。ダカール=ジプチ調査団に加わって以来,民族学者としての道を歩みはじめた彼は,西欧文明とは別の可能性をいわゆる「未開文明」のなかに追い求めた。それは彼にとっての「詩」の探究でもあり,また1920年代にわき起こったアヴァンギャルド運動の方向性とも一致するものだった。そうした「移動」のもたらす異文化との接触が多様性へと繋がることは言うまでもない。そうした意味では,最近とみに注目されるようになってきたクレオール文学もまた,アヴァンギャルド運動の延長上に考えることができよう。以上のような観点を念頭におきつつ,レリスやクレオール文学について短い評論を書いたが,それをさらに発展させていければと考えている。

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