2024/12/22 更新

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フジイ アキヒコ
藤井 明彦
所属
文学学術院
職名
名誉教授
学位
哲学博士 ( アウクスブルク大学(ドイツ) )
Doktor der Philosophie (Dr. phil.) ( Universitaet Augsburg (BRD) )

所属学協会

  •  
     
     

    日本独文学会

研究キーワード

  • 独語・独文学、言語学・音声学

受賞

  • 第6回 日本独文学会賞 (ドイツ語研究書部門)

    2009年05月  

 

論文

  • Was heißt "nach rechter gemeinen teútsch" in den ersten Bibeldrucken?

    Akihiko Fujii

    早稲田大学大学院文学研究科紀要   ( 49(第2分冊) ) 129 - 149  2004年02月

  • Zur Augsburger Druckersprache im 15. Jahrhundert: Bericht über ein Projekt

    Gesellschaft, Kommunikation und Sprache Deutschlands in der frühen Neuzeit (Hg. v. Klaus J. Mattheier, Haruo Nitta, Mitsuyo Ono) / iudicium verlag    1997年04月

  • Auslands-und Inlandsgermanistik. Wie weit reicht ihre Differenzierung heute noch?

    Waseda-Blätter(ワセダ・ブレッター)/早稲田大学ドイツ語学・文学会   4  1997年03月

  • Zur Methode der Exzerption älterer Drucke. Ein Beitrag zum Problem des Setzerwechsels in Frühdrucken.

    Zeitschrift für deutsche Philologie/Erich Schmidt Verlag (Berlin)   115  1996年10月

  • Kurz nach‘Gutenberg’-eine neue Welt?

    ワセダ・ブレッター/早稲田大学ドイツ語学文学会   3  1996年03月

  • 世界人物逸話大事典(朝倉治彦,三浦一郎編)

    角川書店    1996年02月

  • Kurz nach‘Gutenberg’-eine neue Welt?

    ドイツ語学・文学者国際会議/バンクーバー(カナダ)   第9回総会  1995年08月

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書籍等出版物

  • Günther Zainers druckersprachliche Leistung. Untersuchungen zur Augsburger Druckersprache im 15. Jahrhundert.

    Akihiko Fujii

    Max Niemeyer Verlag (Tübingen)  2007年03月 ISBN: 3484165154

共同研究・競争的資金等の研究課題

  • ボヘミア地域における14世紀前半の官庁ドイツ語文献の調査・収集ードイツ標準語成立過程解明のための基礎資料としてー

    科学研究費助成事業(広島大学)  科学研究費助成事業(海外学術研究)

    研究期間:

    1987年
    -
    1988年
     

     概要を見る

    昭和62年夏実施したチェコスロヴァキアにおける文書館調査で我々は13世紀に同国内で成立した独語文献は見出せなかったが、その後の調べでBreclav1282年、Jaroslavice1285年2件、Valtice1290、1293、1294年の6件の文書が在ることが分かった。Jaroslavice文書以外は全部オーストリーの文書館に所蔵されているので、我々の調査では確認出来なかったのである。しかしこれらは全てF.Wilhelm,Corpus der altdeutschen Originalurkundenの増補巻に収録されている。我々は未刊行文書の収集を目的としたので、Corpusに収載されている13世紀の独語文は対象にはならない訳であるが、独語文書出現の上限の年代を確認することもこの調査の目的の一つであったので、ここで述べておきたい。なお我々はCorpusに収録されていない13世紀の独語証文1件を収集した。(Brno,Collalto文庫1293年)。しかしこれはCoriziaで成立したもので地元で書かれたものではない。最初期の独語文書の成立地の9割以上が南ドイツ語圏に集中しているが、上記の南モラヴィアの地点は全てのこの地域に隣接している。ボヘミアにおける最も古い独語文書の年代は1300年(Nympurk/中央ボヘミア)であるが、その他オーストリーと隣接する南ボヘミアで多く独語文献が成立している。今回の調査で、最も古い段階の資料を最も多く収集できたのは南ボヘミアと南モラヴィアの文書館においてであった。
    以下収集古文書を証文は地域別、帳簿類は種類別にして挙げる。
    証文:Trebon 61,Znoimo 89,Brno 358,Bratislava 120,Kosice 113,Presov 1,Opava 52,Olomouc 12.
    帳簿類:Stadtbuch 4,Rechtsbuch 8,Wirtschaftsbuch 3,Testamentsbuch 2,Korespondenz 2 Judenbuch 1,Chronik 1,Protokoll 4.
    収集資料の形態はほとんどがマイクロフィルムで、総コマ数は約13,000である。今回の分析の対象として我々は証文文書を取り上げた。この調査研究の目的である14世紀前半の独語文書の種類は証文に限られていること、Stadtbuch等の帳簿類は、言語資料としては重要だが量的にも、内容からいっても、一定の期間内に一定の分析結果を得ることが困難なためである。研究分担当が各々一つの地点をえらびそこの資料の転写、分析を受け持った。調査ルートの順であげるとTrebon(南ボヘミア)松尾、Brno(中央モラヴィア)小野、Bratislava(西スロヴァキア)藤井、Kosice(東スロヴァキア)橋本、Opava(シレジア/北モラヴィア)中島である。
    松尾が扱った証文はHohenfurtのシトー派修道会文書14世紀前半成立の11枚である。この文書に表れているbairischの特徴を検討し、ei>ai書法も証文によって差があること、中世末期書法上も区別が失われたs【tautomer】zの書き分けがここでは比較的よく保たれていること等を確認した。また転写テクストをPangerlの刊行テクストと比較して、後者の不備を指摘している。
    Brnoには地元で成立したものではない、オーストリー出身の貴族や豪族に由来する多くの古文書がある。小野は比較資料を得るためSteiermarkで書かれた文書と、Kenzingenの証文をとりあげ、書き言葉の超地域性と、土地の方言ではなく書き手による特殊性を考察した。
    スロヴァキアにおいて14世紀前半の独語文献が存在したのはBratislava市立文書館だけであった。藤井は同日、同内容の2枚の証文の比較を中心に異なる時代の資料と、Wien資料との比較を行い、この地域の独語書記法の性格の一端を示している。
    東スロヴァキア資料は15世紀のものであるが、発信地が各地におよぶ通信文である。橋本は母音書記体系の徹底的な分析を行い、当該地のドイツ語の実態について基礎的なデータを作成した。
    シレジア資料を分析した中島は、比較的統一的な書法であること、二次アクセント音節におけるe>i等mitteldeutschの影響が強いもののbairisch-osterreichischの要素も認められる等、超地域的な傾向を観察している。
    我々はここで古文書の可能なかぎり厳密な転写をおこなった。言語資料として十分に利用し得るこのようなテクストの作成はおそらくわが国では初めての試みである。

  • ボヘミア地域における14世紀前半の官庁ドイツ語文献の調査・収集ードイツ標準語成立過程解明のための基礎資料としてー

    科学研究費助成事業(広島大学)  科学研究費助成事業(海外学術研究)

    研究期間:

    1987年
    -
    1988年
     

     概要を見る

    昭和62年夏実施したチェコスロヴァキアにおける文書館調査で我々は13世紀に同国内で成立した独語文献は見出せなかったが、その後の調べでBreclav1282年、Jaroslavice1285年2件、Valtice1290、1293、1294年の6件の文書が在ることが分かった。Jaroslavice文書以外は全部オーストリーの文書館に所蔵されているので、我々の調査では確認出来なかったのである。しかしこれらは全てF.Wilhelm,Corpus der altdeutschen Originalurkundenの増補巻に収録されている。我々は未刊行文書の収集を目的としたので、Corpusに収載されている13世紀の独語文は対象にはならない訳であるが、独語文書出現の上限の年代を確認することもこの調査の目的の一つであったので、ここで述べておきたい。なお我々はCorpusに収録されていない13世紀の独語証文1件を収集した。(Brno,Collalto文庫1293年)。しかしこれはCoriziaで成立したもので地元で書かれたものではない。最初期の独語文書の成立地の9割以上が南ドイツ語圏に集中しているが、上記の南モラヴィアの地点は全てのこの地域に隣接している。ボヘミアにおける最も古い独語文書の年代は1300年(Nympurk/中央ボヘミア)であるが、その他オーストリーと隣接する南ボヘミアで多く独語文献が成立している。今回の調査で、最も古い段階の資料を最も多く収集できたのは南ボヘミアと南モラヴィアの文書館においてであった。
    以下収集古文書を証文は地域別、帳簿類は種類別にして挙げる。
    証文:Trebon 61,Znoimo 89,Brno 358,Bratislava 120,Kosice 113,Presov 1,Opava 52,Olomouc 12.
    帳簿類:Stadtbuch 4,Rechtsbuch 8,Wirtschaftsbuch 3,Testamentsbuch 2,Korespondenz 2 Judenbuch 1,Chronik 1,Protokoll 4.
    収集資料の形態はほとんどがマイクロフィルムで、総コマ数は約13,000である。今回の分析の対象として我々は証文文書を取り上げた。この調査研究の目的である14世紀前半の独語文書の種類は証文に限られていること、Stadtbuch等の帳簿類は、言語資料としては重要だが量的にも、内容からいっても、一定の期間内に一定の分析結果を得ることが困難なためである。研究分担当が各々一つの地点をえらびそこの資料の転写、分析を受け持った。調査ルートの順であげるとTrebon(南ボヘミア)松尾、Brno(中央モラヴィア)小野、Bratislava(西スロヴァキア)藤井、Kosice(東スロヴァキア)橋本、Opava(シレジア/北モラヴィア)中島である。
    松尾が扱った証文はHohenfurtのシトー派修道会文書14世紀前半成立の11枚である。この文書に表れているbairischの特徴を検討し、ei>ai書法も証文によって差があること、中世末期書法上も区別が失われたs【tautomer】zの書き分けがここでは比較的よく保たれていること等を確認した。また転写テクストをPangerlの刊行テクストと比較して、後者の不備を指摘している。
    Brnoには地元で成立したものではない、オーストリー出身の貴族や豪族に由来する多くの古文書がある。小野は比較資料を得るためSteiermarkで書かれた文書と、Kenzingenの証文をとりあげ、書き言葉の超地域性と、土地の方言ではなく書き手による特殊性を考察した。
    スロヴァキアにおいて14世紀前半の独語文献が存在したのはBratislava市立文書館だけであった。藤井は同日、同内容の2枚の証文の比較を中心に異なる時代の資料と、Wien資料との比較を行い、この地域の独語書記法の性格の一端を示している。
    東スロヴァキア資料は15世紀のものであるが、発信地が各地におよぶ通信文である。橋本は母音書記体系の徹底的な分析を行い、当該地のドイツ語の実態について基礎的なデータを作成した。
    シレジア資料を分析した中島は、比較的統一的な書法であること、二次アクセント音節におけるe>i等mitteldeutschの影響が強いもののbairisch-osterreichischの要素も認められる等、超地域的な傾向を観察している。
    我々はここで古文書の可能なかぎり厳密な転写をおこなった。言語資料として十分に利用し得るこのようなテクストの作成はおそらくわが国では初めての試みである。

 

特定課題制度(学内資金)

  • ギュンター・ツァイナーとヨーハン・ベムラー―15世紀のアウクスブルクの印刷語について

    1997年  

     概要を見る

    15世紀のアウクスブルクの印刷語は既に同時代の人々から、主にその脱方言的指向の点で賞賛され、またその言語史的研究の重要性も、ドイツ語史の概説書などでしばしば強調されてきた。この15世紀のアウクスブルクの印刷語の精確な姿を、その本質的な特徴を決定した初期の2人の印刷業者(ギュンター・ツァイナーとヨーハン・ベムラー)の総計60余点の刊本における書記法を調査・分析することによって明らかにするのが本研究の目的であった。 15世紀のアウクスブルクの印刷語の精確な姿を明らかにするためには、次のような3つのレベルにおける言語的差異(①印刷工房間における差異、②同一工房作成の複数の刊行物間における差異、③一刊本の内部[最初のページ~最後のページ]における差異)を確定することが不可欠だが、①に関してはツァイナーとベムラーという初期の二大工房を比較する、②に関してはその両工房の刊行本を可能な限り多く分析する、また③に関しては各「折丁」の最初と最後の部分を抽出して分析を行う、という方法をとった。 97年度はベムラー工房の計33点の印刷本(1472年~1491年)に関して分析を終えることができた。その結果、20葉前後の比較的小規模のものを除いて、1480年前後までの刊本には書記法の様々な部分領域において(主に植字工の交替と校正を行わないことに起因する)内的不均質性が見られる一方で、80年以降の刊本が比較的平準化された様相を示していることが確認された。しかし20年に及ぶベムラー工房の活動において一貫して特色として保持されたのは、所有代名詞mein, dein, seinの主母音に対するei書法のみと言っても過言ではない。最終的な結論はツァイナー工房の分析をまたなくてはならないが、少なくともアウクスブルクの印刷語に対する「賞賛」は、言語実状史よりも言語意識史のなかに位置づけられる現象ではないかと考えられる。

  • 15世紀のアウクスブルクの印刷語

    1995年  

     概要を見る

    15世紀のアウクスブルク(ドイツ)の印刷語は既に同時代の人々から,主にその脱方言的指向の点で賞賛され,またその言語史的研究の重要性も,ドイツ語史の概説書などで幾度か強調されてきたが,今もってその精確な姿が明らかになっていないのは,これまでの端緒的研究がどれも必要な「細分化」を欠いていたためではないかと考えられる。このような研究史的状況をふまえた上で,次のような3つの言語的「差異」に注目して本研究は分析作業を進めて来た:(1)複数の印刷工房間における差異,(2)同一工房作製の複数の刊行物間における差異,(3)一刊本の内部(最初のページ~最後のページ)における差異。 1995年8月のドイツ語学・文学者国際会議(IVG)第9会総会(バンクーバー/カナダ)での口頭発表では,(3)の「刊本内差異」を,アウクスブルクの印刷業者ヨーハン・ベムラーの2つの刊行本('Belial', 'Regimensanitatis')を材料に,書誌学的・方言学的に実証・検討し,その際,これまで解明されていなかった当時の植字工程の分業法の一例(二人の植字工が交互に2度作業を担当する)を,いくつかの音韻ないし語の書記法を手がかりに明らかにした。1996年3月発行の『ワセダ・ブレッター』(早稲田大学ドイツ語学・文学会編)第3号所収の論文「Kurz nach 'Gutenberg' - eine neue Welt?(‘グーテンベルク’直後-新しい世界?)」は,その発表原稿に加筆したものである。 1996年度中に刊行予定の論文集「Gesellschaft, Kommunikation und Sprache Deutschlands in der fruhenNeuzeit(近世初期ドイツの社会・コミュニケーション・言語)」(ユディツィウム社)に収録される論文「ZurAugsburger Druckersprache im 15. Jahrhundert(15世紀のアウクスブルクの印刷語について)」は,本研究の問題設定・背景・方法,そして成果の一部を概略的に述べたものであるが,そこでは,総体的には当時の帝室官房(フリードリヒ三世・マクシミリアン一世治下)がアウクスブルクの印刷語にとって一種の規範的役割を果していたこと,ただしその言語規範への依拠程度はそれぞれの印刷工房,その工房の個々の刊行物,またその刊本の「内部」によって著しい差異があることを指摘した。