2022/01/24 更新

写真a

タニガワ アキオ
谷川 章雄
所属
人間科学学術院 人間科学部
職名
教授

兼担

  • 人間科学学術院   大学院人間科学研究科

学内研究所等

  • 1989年
    -
     

    人間総合研究センター   兼任研究員

学歴

  •  
    -
    1987年

    早稲田大学   文学研究科   史学(考古学)  

  •  
    -
    1987年

    早稲田大学   文学研究科   史学(考古学)  

  •  
    -
    1978年

    早稲田大学   教育学部   社会科地理歴史専修  

学位

  • (BLANK)

  • 早稲田大学   博士(人間科学)

経歴

  • 1991年
    -
    1996年

    早稲田大学 助教授

  • 1987年
    -
    1991年

    早稲田大学 専任講師

  • 1987年
    -
    1991年

    早稲田大学 専任講師

  • 1982年
    -
    1987年

    早稲田大学 助手

所属学協会

  •  
     
     

    日本考古学協会

 

研究キーワード

  • 考古学(含先史学)

論文

  • 一五世紀の沖縄先島の農耕をめぐって―石垣島仲筋貝塚出土土器の植物珪酸体分析―

    東アジアの歴史・考古・民俗/雄山閣     276 - 294  2009年03月

  • 沖縄の玉とその交易

    日琉交易の黎明/森話社     285 - 303  2008年10月

  • 江戸の大名屋敷の考古学と尾張藩邸

    尾張藩への誘い/新宿歴史博物館    2006年10月

  • 江戸と周辺村落の墓制

    多摩のあゆみ   ( 117 ) 8 - 17  2005年02月

  • 都市における遺構の保存と活用

    第165回江戸東京フォーラム よみがえれ江戸遺跡    2004年12月

  • 江戸の墓の埋葬施設と副葬品

    墓と葬送の江戸時代/吉川弘文館    2004年08月

  • 発掘された江戸の町

    第10回安芸まほろばフォーラム 近世宿場町の景観と流通    2003年11月

  • 江戸の相撲玩具

    文明のクロスロード Museum Kyusyu   19 ( 4 ) 53 - 57  2003年02月

  • 江戸の胞衣納めと乳幼児の葬法

    母性と父性の人間科学/コロナ社    2001年12月

  • 近世墓標の普及の様相

    ヒューマンサイエンス   14 ( 1 ) 22 - 31  2001年11月

  • 江戸の火葬墓

    歴史と建築のあいだ/古今書院    2001年11月

  • 江戸の生活史と考古学

    民衆史研究   57   39 - 54  1999年05月

  • 近世都市江戸の考古学の課題

    発掘が語る千代田の歴史/千代田区教育委員会     44 - 49  1998年12月

  • 江戸の生活史と考古学

    民衆史研究会シンポジウム 生活史の魅力と可能性    1998年11月

  • 瑞聖寺出土の伊達家の胞衣桶について

    港区文化財調査集録   ( 4 ) 18 - 22  1998年03月

  • 発掘された江戸の庭園

    日本造園学会誌ランドスケープ研究   61 ( 3 ) 218 - 222  1998年01月

  • 江戸の近世墓と六道銭

    近世の出土銭Ⅰ-論考篇-/兵庫埋蔵銭調査会     173 - 182  1997年10月

  • 江戸の墓

    考古学がわかる/朝日新聞社    1997年06月

  • 仏教考古学の世界

    日本の仏教/法蔵館   5   121 - 131  1996年04月

  • 江戸及び周辺村落における墓制の変遷

    帝京大学山梨文化財研究所シンポジウム報告集「中世」から「近世」へ/名著出版     135 - 158  1996年02月

  • 江戸の墓の埋葬施設と副葬品

    江戸遺跡研究会第9回大会江戸時代の墓と墓制     125 - 140  1996年02月

  • 江戸の相撲と玩具

    相撲の宇宙論/平凡社     223 - 255  1993年11月

  • 考古学からみた近世都市江戸

    史潮   新32   25 - 45  1993年03月

  • Excavating Edo's Cemeteries : Graves as Indicaors of Status and Class

    Japanese Journal of Religious Stdies   19 ( 2・3 ) 271 - 297  1992年06月

  • 地下に埋もれた民俗資料

    月刊文化財   ( 11月号 ) 20 - 25  1991年11月

  • 江戸の墓地の発掘-身分・階層の表徴としての墓-

    甦る江戸/新人物往来社     79 - 111  1991年04月

  • 江戸の考古学の方法をめぐって

    江戸のくらし/新宿区立新宿歴史博物館     94 - 102  1990年10月

  • 近世墓標の変遷と家意識

    史観   121   2 - 16  1989年09月

  • 近世墓標の類型

    考古学ジャーナル   288   26 - 30  1988年03月

  • 古代天皇巡幸伝説考

    古代探叢II/早稲田大学出版部     477 - 497  1985年12月

  • 古代の狩猟伝承について

    学術研究   33   15 - 28  1984年12月

  • 近世墓塔の形態分類と編年について

    早稲田大学大学院文学研究科紀要別冊   10   175 - 186  1984年01月

  • 大殿祭考

    学術研究   32   1 - 18  1983年12月

  • 古代の新嘗祭に関する一考察

    古代探叢/早稲田大学出版部     537 - 552  1980年10月

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Works(作品等)

  • 千葉県安房郡丸山町渡度山前遺跡の考古学的調査

    その他 

    1995年
    -
     

  • 東京都利島村八幡神社遺跡の考古学的調査

    その他 

    1994年
    -
     

  • 静岡県賀茂郡南伊豆町下条遺跡の考古学的調査

    その他 

    1989年
    -
    1991年

  • 千葉県安房郡白浜町見上遺跡の考古学的調査

    その他 

    1987年
    -
    1989年

  • 近世都市江戸の考古学的調査

    その他 

    1984年
    -
     

共同研究・競争的資金等の研究課題

  • 現代日本における死者儀礼のゆくえ-生者と死者の共同性の構築をめざして

    研究期間:

    2016年04月
    -
    2020年03月
     

     概要を見る

    全体研究会として、国立映画アーカイブに所蔵されている近代の葬送墓制に関する映像資料の調査研究会を行った。浜口雄幸や東郷平八郎など近代の著名人の葬儀記録映像を元に討論したが、写真では動きが不明であった葬列の奴行列や、政治家などの大型葬における参列者の拝礼の仕方など、近代の儀礼形態の不明な部分が判明した点などその成果は大きいものである。今回の科研では実現しなかったが、当科研の研究成果と合わせて映画アーカイブでの上映シンポジウムなどの可能性もみいだされた。また各班の実績として、現代班は「現代死者儀礼写真」として整理している資料群の関連データの追加を完了した。利用者が必要な諸権利の手続きを行う上で、研究代表者の所属機関である国立歴史民俗博物館の資料として利用する体制を整えた。さらに現代の家族の変容によって、高齢者施設などで共同墓が作られるなど、生前の共同性の状況が、死後にも強く反映し、死の共同性だけでは成立しないことが明らかになった。近親者のいない人への葬儀支援も、少しずつ地域の状況に合わせて取り組みが行われていることも指摘している。またデジタル時代の葬送の特質と死生観も新たな状況が生まれていることがわかった。高度経済成長期班では、公園墓地などの家族墓の形態は、承継者がないことで改葬が進んでいく事態について分析し、改葬による死者の意思と尊厳への侵犯の危険性も指摘した。近代班では、都市近郊の墓地として狛江市泉龍寺墓地の墓碑調査および位牌調査によって、位牌の格式がその型式、高さ、戒名を指標としており墓標の格式の指標と共通性を持つことが明らかとなった。さらに両墓制のあり方も、火葬化によって単に消滅するのではなく、地域の墓地意識の反映によって異なっており、多様性とその要因の理解が必要であることがわかった。以上のように現代の葬送墓制の変動が多面的であることを明らかにした。令和元年度が最終年度であるため、記入しない。令和元年度が最終年度であるため、記入しない

  • 石造物研究に基づく新たな中近世史の構築

    研究期間:

    2014年04月
    -
    2019年03月
     

     概要を見る

    本研究は、墓石や記念碑などの中近世の石造物に関する考古学・文献史学・金石学・民俗学・自然科学の共同研究である。本研究では福井県内の三か所の港町、三国・敦賀・小浜で中近世の石造物の悉皆調査を行うとともに、北海道ならびに青森県から山口県に至る日本海沿岸の港町で近世海運関連の石造物調査を実施し、人・物・情報の交流や港町の盛衰の実態を明らかにした。本研究によりこれまであまり注目されることのなかった石造物を用いた歴史研究の有効性と可能性が確かめられた。これまで日本の中世・近世の歴史研究は、専ら豊富に存在する古文書の研究に基づき進められてきた。一方中世や近世を対象とする考古学はこれまであまりにも陶磁器研究に偏りすぎていた。石造物を対象とする本研究は、石造物すなわち「石に刻まれた歴史」が、古文書すなわち「紙に書かれた歴史」や考古資料すなわち「大地に埋もれた歴史」とならぶ重要な歴史資料であることを明らかにした

  • 現代日本の葬送墓制をめぐる<個>と<群>の相克-東日本大震災を見据えて-

    研究期間:

    2012年04月
    -
    2016年03月
     

     概要を見る

    近年の日本の葬送墓制は、変動の中で大きく揺れ動いている。一方では都市化の進行で<個>の重視に拍車がかかっているのに対し、他方で血縁・地縁・社縁といった伝統的な絆による<群>の論理も併行して存続しており、<個>と<群>の微妙な力学の中に現代人の葬送墓制がおかれているからである。本研究ではわが国葬送墓制の先端的動向に、東日本大震災の影響のもとに顕現してきた視座を加味することで、現代日本における生者と死者の関わりの動態メカニズムをディシプリン横断的に解明する

  • 中近世北方交易と蝦夷地の内国化に関する研究

    研究期間:

    2010年04月
    -
    2014年03月
     

     概要を見る

    中世・近世の多様な考古資料と文献史料の両方から、津軽海峡・宗谷海峡を越えたヒトとモノの移動の実態を明らかにすることで、歴史上、「蝦夷地」と呼ばれた北海道・サハリン・千島地域へ和人がいつ、いかなる形で進出したかを解明した。その上で、「蝦夷地」が政治的・経済的に内国化されていくプロセスを詳らかにし、そうした和人や日本製品の蝦夷地進出が、アイヌ文化の形成と変容にどのような影響を与えたか考察を行った

  • 近世都市江戸及び周辺村落における墓制の研究

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    本研究の目的は、江戸および周辺村落の墓制のなかでも特に墓標・埋葬施設をとり上げ、その分析を通して都市と村落の墓制の変遷、両者の独自性と共通性を明らかにすることであった。こうした目的にしたがって、以下のような研究成果をあげることができた。文献史料をもとにして、大名および代表的な旗本の江戸府内および周辺所在の墓所のリストを作成した。また、江戸府内の墓の発掘事例をもとに、埋葬施設の構造・規模、副葬品の種類・数量に関するデータベースを作成した。対象としたのは、港区増上寺徳川将軍墓・同子院群、天徳寺浄品院、新宿区自證院、発昌寺、円応寺、台東区寛永寺護国院などの発掘調査のデータである。さらに、新宿区新宿歴史博物館蔵の故河越逸行氏資料などの1980年代以前の発掘資料を実見した。江戸の周辺村落の墓の発掘事例をもとに、埋葬施設の構造・規模、副葬品の種類・数量に関するデータベースを作成した。対象としたのは、多摩ニュータウン遺跡群、宇津木台遺跡群、真光寺・広袴遺跡群、南養寺遺跡などの発掘調査のデータである。また、現存する大名墓として、品川区東海寺旧妙解院所在の肥後熊本藩主細川家墓所、東久留米市米津寺所在の米津家墓所、旗本の墓として荒川区本行寺所在の太田家墓所を実見した。こうした研究によって、江戸および周辺村落の墓制における墓標・埋葬施設は、都市と村落に共通した変遷をたどりながら、都市においては身分・階層を明確に反映していたことが明らかになった

  • 中国新彊トルファンヤールホト古墳群の総合研究

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    3年目の今年度はこれまで収集したデータの整理,さらにはその分析に主眼をおいた。当該研究では,基礎データの整備を急務と考え,500分の1の地形測量図と250mグリッドによる墳墓分布図の作成を計画し,昨年度までに全域の分布図をほぼ完成し,今年度は追加調査を実施し修正を加えた。地形図・分布図の作成によって,墓域内の分布の偏りや造営の傾向の把握が可能となった。現地で記録した個々の墳墓のデータ(立地,封土の有無,葺き石の有無,既掘・盗掘の有無,墳丘長・幅,墓道の状態,墓道長・幅,墓道方向など)をコンピュータに入力し,画像をあわせてヤールホト古墳群データベースを作成した。ここに当初の目標であるデータベースを、ひとまず完成させることができた。分布図とデータベースの作成,それに発掘調査の成果をあわせてヤールホト古墳群の造営に関していくつかの傾向を把握することができる。以下にデータベースをもとにした分析から得た幾つかの傾向を指摘し,当該研究の今後の可能性を示すことにする。麹氏高昌国時代の墳墓は,各群単位で塋域数と墳墓数の相関関係,塋域開口方向,塋域の造営方法などを検討すると,(1)墳墓の構築場所をみると城南区の北西側ほど塋域内に墳墓がつくられる例が多く,南東側ほど塋域外につくられる墳墓の割合が高まる,(2)塋域の開口方向は,ほぼ南東向きか北東向きであり、全体の9割近くをしめる,(3)塋域の規模は北西側の地域が大きく,南東側ほど規模が小さい,(4)塋域の半数以上が塋域内の全域をみたすことなく造営を終了する,(5)一定期間続けて2列以上墳墓が作られた塋域では、6割以上の率で,もっとも奥に最大規模の墳墓をもつ傾向を導き出すことができる。唐の西州時代の墳墓は,640年に麹氏高昌国を唐が滅ぼし,安西都護府が設置されて以降に見られる。墓誌の紀年銘をあわせ見ると,唐の支配下となったあとも引き続き同じ塋域内に墳墓を構築していることがわかる。唐によって麹氏高昌国が滅ぼされた後,統治機構などには大きな変化を被りながら,墓葬は従来の伝統を踏襲しつつしだいに中原風の埋葬習俗を受け入れたことが解る。今後はあしかけ10年におよぶこの調査成果を基礎にして、60年前に調査した黄文弼の墳墓との比定、ヤールホト古墳群の発掘調査、周辺地域の墳墓との対比などが要請される。また交河故城や高昌故城など都城遺跡との関係や甘粛省や中国内地の墳墓との比較研究が必要になろう。そのための基礎的なデータは、今回の研究によって十二分に蓄積されたと考えている

  • 漢代西域都護府の総合調査

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    平成12年度〜平成14年度にかけて、西域都護府を軸としてシルクロード史の再検討を行った。西域都護府は前漢王朝の西域経営の拠点であり、文献史料によっておよその位置が比定されているが、正確な位置が確認されていない。漢王朝の西域進出はシルクロード形成の重要な要因であり、西域都護府を設置した烏壘城を比定できれば、漢王朝の西域経営の実態を明らかにできる。そこで、西域都護府の位置を確認するため、新疆文物考古研究所との共同による現地調査を実施した。平成12年8〜9月、平成13年5月、平成14年5月に中国新疆ウイグル自治区を訪問し、現地での調査を行った。調査地は西域都護府の所在地と推定される新疆ウイグル自治区輪台県・策大爾郷を中心とした地域であり、烏壘城の可能性が高いと推定される遺跡を踏査し、立地や構造、遺物などを確認した。本格的な発掘調査を行えなかったため、西域都護府の位置を断定するには到らなかったが、遺跡の現状を確認することができ、西域都護府の構造等に関してある程度の予測を立てられた。また比較のためにシルクロードの天山北路、天山南路のルートに沿って遺跡の調査、博物館での遺物の調査を行った。時期は漢代に限定されないが、新疆の都城址に関しての現状確認と資料の収集を実施することができた。2001年には早稲田大学で国際シンポジウム「甦るシルクロード」を開催し、2002年には日本中国考古学会第8回大会において西域都護府の調査概要を報告し、研究者との意見交換を行った。現在3年間で得られた成果の整理・分析を行い、調査報告およびデータベースの作成作業を進めており、今後の研究の基礎となるデータを提供する予定である

  • 近世火葬墓の考古学的研究

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    本研究では、平成14年度から3年間にわたって、江戸をはじめ大坂・京都・堺などの都市を中心に、全国的な視野で発掘調査された近世の火葬墓の事例のデータを調査報告書から収集し、以下のような点について分析を試みた。すなわち、(1)火葬と土葬の比率の変遷、(2)埋葬施設の構造と火葬・土葬の関係、(3)火葬蔵骨器の分類と変遷、(4)焼骨の性別・年齢・重量、(5)火葬場との関連などである。収集したデータは、各地域の調査報告書の記載内容に精粗が見られるものの、ある程度都市を中心に全国的な近世火葬墓の様相を把握することが可能となった。すなわち、最も詳しいデータを把握できた江戸では、17世紀代には火葬の比率の高い墓地と逆に火葬の比率の低い墓地が見られ、こうした様相の違いの背景には、墓地のある寺院と茶毘所との関係を想定することができそうである。こうした状況は、堺における火葬の比率の高い墓地と低い墓地との比較検討が必要となってくる。また、江戸では18世紀以降になると、火葬墓の比率が全体に低下するが、その背景には火葬場の統合があったと考えられる。そして、この時期に将軍墓を頂点とする江戸の墓制の秩序が完成することを考え合わせると、江戸における18世紀以降の火葬の比率の低下は、土葬であった将軍墓への志向性とともに、儒葬の影響があった可能性も考えられるのである。なお、この時期の浄土真宗の墓地では火葬の比率がやや高いこと、焼骨の重量が増加する傾向がうかがわれることも確認された。以上述べてきたように、本研究では、これまで未解明であった日本の近世の墓制における、火葬と土葬の関係及び火葬墓の変遷と地域性の一端を明らかにすることができた

  • 古代社会の発展と都市化の比較考古学的研究

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    本研究では、古代社会における複雑化・階層化、また都市化の問題をとりあげ、研究代表者・分担者がこれまでも調査を実施してきた日本、韓国、中国、エジプト、西アジア、北米、メソアメリカ、南米などについてケース・スタディを行ったうえで、比較考古学の方法論を探りつつ、通文化的に検討した。とくに、2002年度には、研究代表者の菊池、分担者のうち岡内、高橋、近藤および寺崎が、メソアメリカの現地調査を行った。メソアメリカの神殿をともなう都市遺跡こそ、新大陸における古代社会の発展、都市化の問題を考える上で、不可欠の資料だからである。実際、各自がそれぞれのフィールドでの問題意識と比較しつつ調査を進めたことで、大きな成果をあげた。さらに、メソアメリカと並ぶ重点領域として、菊池、高橋らは、北米において、北西海岸(2003年度)、クイーン・シャーロット諸島(2004年度)、ミシシッピ文化の諸遺跡(2005年度)のフィールド・ワークを実施し、特に日本列島の縄文文化をはじめ、世界各地の先史社会を比較検討するうえで重要な知見を得た。その成果は一連の論文として公表された。こうした事例研究の成果をまとめるため、また研究組織内だけでは得がたい多角的な検討を行うため、2004年12月に、国際研究集会『考古学からみた社会の複雑化』を開催し、菊池、岡内、高橋、近藤、寺崎および小高を含む15名が研究成果を発表した。さらに、1月にも発表者が再度集い、比較考古学的視座から社会の複雑化に関する座談会を開催した。その成果は、研究の一応の総括として、『社会考古学の試み』(同成社)と題し、出版された。その後も各地の調査を継続し、研究の精緻化に努めたが、もとより、「古代社会の複雑化、都市化」という大きなテーマに対し、この短期間ですべての結論を出せるはずもない。今後もなお何らかの資金を得て、追究は継続したい

  • 近代における「考古学」の役割の比較研究―その本質的表象と政治的境界の関連を軸に

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    1.資料の収集と分析:(1)考古資料を用いて政治的「境界」の正統性・優位性を明らかにしようとする研究対象地域の出版物、考古学と国民国家形成・植民地経験の関係を論じた内外の研究文献を収集・整理し、リファレンス作成と個々の言説分析を行った。(2)西南諸島担当の研究協力者は、奄美と琉球の考古資料と関連言説の比較から、国家内の境界認識の問題点を明らかにした。(3)韓国担当の研究協力者は、韓国での調査・関連研究者との交流により、日韓史上の人的・技術的交流に対する両国の視点の差の抽出および分析を行った。(4)インドネシア担当者は、バリ島の考古遺産の資源化と観光利用の実態調査と、文化政策関連資料などの収集と分析を行った。(5)ラテンアメリカ担当者は、ホンジュラス・グアテマラ両国の現地調査を行い、先住民集団の歴史と構成,文化遺産の価値をめぐる議論とアイデンティティ・経済問題との関係を明らかにした。2.ワークショップの開催1研究代表者・分担者・協力者の参加による国内ワークショップを、東京・奄美大島・福岡で計10回開催した。テーマは、「野生の残像-過去をめぐるイデオロギーの磁場」「政治的資源としてのラテンアメリカ先住民文化遺産」「日本考古学批判の現状に関して」「近代日本の考古学と文化財をめぐって」「欧米の考古学における関連議論の射程」,「考古学の研究法と過去表象」「ホンジュラス人類学会・遺跡保存会議における文化遺産利用の問題点」「近代日本の考古学と文化財」「日琉同祖論と考古学」「戦後における縄文時代像の変遷」「奄美史・琉球史における歴史意識」等で、各研究者の調査地・テーマについての研究動向・関連資料を検討し,その問題点について討議を重ねた。フィリピンで開催したワークショップでは、現地考古学者の協力を得て、フィリピンにおける近代考古学が国民アイデンティティに果たした役割の変遷を整理した

  • 近世墓と人口史料による社会構造と人口変動に関する基礎的研究

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    最北の近世城下町であり、日本海交易の北の要であった、北海道松前町に所在する近世墓標5629基(11862人分)と3ヵ寺の寺院過去帳(13651人分)の調査を行った。得られたデータを中心に、関連史料を駆使し、津軽海峡を越えて行き交う人・物(石材・骨壺)・情報の実態を明らかにするなかで、松前の人口変遷と、近世社会《家・藩(地域)・国家》の姿を描くことができた

  • わが国葬送墓制の現代的変化に関する実証的研究-<個>と<群>の相克-

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    前年度までと同様、メンバーを「葬送班」と「墓制班」に二分し、各班ごとの共同研究作業を行うと同時に、全体会において研究成果を発表し合い、統合的な討論を行うことで、研究のより精緻化を目指してきた。しかし、年度が始まる直前の3月、東日本大震災が勃発したために、研究代表者の所属する東北大学は大きな被害を受け、本研究プロジェクトの研究作業が半年余り中断されることになった。他のメンバーの多くも、震災の影響で通常の研究環境が確保できず、その意味で本年の研究は、未完成のままに繰越課題となった点が含まれた。「葬送班」は、葬儀社に対する郵送調査を実施する予定であったが、研究メンバーの打合せ機会が秋まで設定できず、質問項目の検討に手間取ることとなった。最終的には、質問項目も第7版まで検討してブラシュアップを図ってきたが、最終的な質問項目作成は、次年度に持ち越すこととなった。「墓制班」は東京下町の近世から続く寺院墓地と前年度から始めている大阪府内の公営墓地「大阪南霊園」の墓石悉皆調査を実施した。前者に関しては震災後の影響もあってなかなか協力の得られる寺院が見つからず、対象を川を挟んだ対岸の千葉県に移して検討することにした。その結果千葉県松戸市の自在院から協力の申し出をいただくことができ、夏休みから谷川・朽木両先生の指示のもと悉皆調査を開始した。また大阪南霊園の悉皆調査についても、槇村先生が中心となって昨年度に続く悉皆調査に着手した。ただし、両墓地とも墓石数が多く、完成は次年度に持ち越すこととなった。翌24年度は、本研究課題の最終年度に相当するため、国際シンポジウムでその成果を発表した。そのため、全体会を中心に準備作業に着手した。その結果、中国・韓国・台湾から研究者を招請し、7月に大正大学を会場に国立歴史民俗博物館との共催という形で実施した。24年度が最終年度であるため、記入しない。24年度が最終年度であるため、記入しない

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特定課題研究

  • 近世都市江戸の葬具に関する考古学的研究

    2020年   都築由理子

     概要を見る

    本研究は、近世都市江戸の遺跡から出土した、葬送儀礼において用いられた葬具に関する基礎的研究である。とくに、武家屋敷・町屋などから出土した枕飾りや供養に用いられた香炉、仏花瓶、かわらけは仏壇の普及の問題と関わることが想定された。東京都港区天徳寺跡越前福井藩主松平家墓所から出土した香炉・燭台・仏花瓶の三具足は枕飾りに用いられた可能性があり、胞衣皿、緡銭は被葬者が誕生したときのものを墓に移したものであろう。位牌に関しては、狛江市泉龍寺の近世・近代の位牌の型式、高さ、戒名、装飾の材質・技法には強い相関があり階層性を示す指標となることが明らかにされた。また、現在製作されている位牌を入手し、漆工技法の観察を行なった。

  • 近世の葬具に関する考古学的研究

    2018年  

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    本研究は、近世の寺院・墓地などの遺跡から出土した葬具の考古学的研究である。近世都市江戸の寺院・墓地などの主要な遺跡出土の葬具を集成した。これは、A. 枕飾り、B. 納棺、C. 葬列、D. 埋葬. E. 供養という一連の葬送儀礼において用いられたものであり、近世都市江戸の葬送儀礼の復元を行うことが可能であるという見通しを得た。また、狛江市泉龍寺の位牌の調査データを整理した。位牌型式の変遷は、①16世紀末から18世紀中葉の雲形位牌が主体を占める時期、②18世紀後葉から江戸時代の終わり頃までの札形位牌が増加しつつ、雲形位牌、廟所形位牌が併存する時期、③明治時代以降の札形位牌が主体となる時期に区分できることがわかった。

  • 近世火葬墓の考古学的研究

    2002年  

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    17世紀後葉と18世紀前葉という江戸の墓制の変遷上の画期にほぼ対応して、火葬墓のあり方が変化していった。江戸の火葬と土葬の比率に関しては、17世紀代の墓地のなかで火葬の割合が比較的高い墓地と低い墓地があり、これは寺院と火葬場との関係を示している可能性がある。18世紀以降になると火葬の占める割合が全体に低くなり、土葬が主体となる。火葬には蔵骨器、土葬には早桶・木棺・甕棺という区別が基本的に認められる。火葬蔵骨器の変遷上の画期は、B-1の瀬戸・美濃産の三耳壺・四耳壺が大部分を占めるようになる17世紀後葉と考えられる。こうした変化は、江戸の墓が身分・階層の表徴として秩序化していく過程の一つであった。

  • 沖縄八重山諸島における玉類の考古学的研究

    1996年  

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     沖縄本島のグスク時代及び先島地方の12~15世紀の遺跡から、石製・ガラス製の勾玉・丸玉・小玉などの玉類が出土する。しかしながら、こうした玉類の考古学的研究は現在までほとんど手つかずの状態にある。先島地方に限って見ても、下地馨によって勾玉に関する民俗資料・文献史料とともに、勾玉の形態・石質等に言及されたことがあったが、その後は白木原和美が問題にしているのみである。したがって、沖縄の玉類の考古学的研究は、製作技法の観察、石材の同定、ガラスの成分分析など基礎的な研究からスタートしなければならない状況にある。 こうした現状を踏まえて、本研究では、沖縄先島地方のなかの八重山諸島出土の玉類について、基礎的な考古学的研究を行なった。実施した作業は以下のとおりである。 1.これまでの発掘調査によって出土した玉類の集成およびその観察・実測・写真撮影 2.伝世資料の観察・実測・写真撮影 3.採集資料の観察・実測・写真撮影 4.ガラス製勾玉・丸玉・小玉の成分分析 5.石製勾玉の石材同定 上述の作業を通して、いくつかの成果を得ることができた。まず第一に、石垣市教育委員会保管の発掘調査によって出土した玉類のなかに、未成品が含まれていたことが判明した。これは、ビロースク遺跡及び山原貝塚出土の勾玉で穿孔前のもので、形態からも明らかに未成品と考えられる。このことは石垣島で石製勾玉の製作が行われていたことを示している。 また、ガラス製玉類の成分分析及び石製勾玉の石材同定を実施したが、現段階では対比資料が乏しいため、早急に結論を得ることは難しい。今後の資料の増加を待つことにしたい。

 

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