2024/12/22 更新

写真a

アリマ テツオ
有馬 哲夫
所属
社会科学総合学術院
職名
名誉教授
学位
文学修士 ( 東北大学 )
ホームページ

経歴

  • 1999年
    -
     

    早稲田大学 教授

  • 1997年
    -
    1999年

    早稲田大学 助教授

  • 1988年
    -
    1997年

    東北大学 助教授

  • 1984年
    -
    1988年

    東北大学教養部 専任講師

学歴

  •  
    -
    1984年

    東北大学   文学研究科  

  •  
    -
    1977年

    早稲田大学   第一文学部  

所属学協会

  •  
     
     

    アメリカ学会

  •  
     
     

    International Public Television Association

  •  
     
     

    International Communication Association

  •  
     
     

    日本放送芸術学会

  •  
     
     

    メディア史学会

  •  
     
     

    日本マスコミュニケーション学会

▼全件表示

研究キーワード

  • メディア研究、アメリカ研究

受賞

  • 青葉文学賞

    1989年03月  

 

論文

  • トルーマンのもう一つの大罪

    有馬哲夫

    新潮45   ( 10月号 ) 202 - 209  2018年09月

  • 英米で違った「投下シナリオ」

    有馬哲夫

    新潮45   ( 9月号 ) 188 - 195  2018年08月

  • ポツダム宣言は「事前警告」だった

    有馬哲夫

    新潮45   ( 8月号 ) 186 - 193  2018年07月

  • カナダなしに原爆はできなかった

    有馬哲夫

    新潮45   ( 6月号 ) 84 - 92  2018年06月

  • 御聖断だけでは戦争は終わらなかった

    有馬哲夫

    新潮45   ( 8月号 ) 120 - 127  2017年07月

  • 「慰安所」はナチの収容所と同一視されていた

    有馬哲夫

    新潮45   ( 6月号 ) 74 - 79  2017年05月

  • 1996年、日本の「慰安婦問題」反論文はなぜ封印されたのか

    有馬哲夫

    新潮45   ( 5月号 ) 64 - 77  2017年04月

  • 安倍首相に捧げる北方領土問題の正解

    有馬哲夫

    新潮45   ( 2月号 ) 138 - 143  2017年01月

  • 原爆は誰のものか

    有馬哲夫

    新潮45   ( 9月号 ) 242 - 247  2016年08月

  • ソ連の背信こそ原爆投下の元凶だった

    有馬哲夫

    新潮45   ( 8月号 ) 142 - 147  2016年07月

  • イギリスとカナダも原爆投下に同意していた

    有馬哲夫

    新潮45   ( 7月号 ) 106 - 111  2016年06月

  • アメリカ「対日心理戦」再検証4

    有馬哲夫

    新潮45   ( 4月号 ) 188 - 193  2016年03月

  • アメリカ「対日心理戦」再検証3

    有馬哲夫

    新潮45   ( 3月号 ) 268 - 273  2016年02月

  • アメリカ「対日心理戦」再検証2

    有馬哲夫

    新潮45   ( 2月号 ) 194 - 199  2016年01月

  • アメリカ「対日心理戦」再検証1

    有馬哲夫

    新潮45   ( 一月号 ) 128 - 133  2015年12月

  • 露の樺太・千島・四島占拠は侵略だ

    有馬哲夫

    別冊正論25   ( 25号 ) 182 - 194  2015年11月

  • NHK歴史番組の病理2

    有馬哲夫

    正論     134 - 139  2015年09月

     概要を見る

    終戦の歴史的事件を取り上げたNHKの歴史番組の誤謬をただした。

  • 「ヤルタ密約」によって奪われた北方領土はただちに返還されるべきだ

    有馬哲夫

    Sapio   9月号   100 - 101  2015年08月

  • ポツダム宣言は日本の罪を問うていない

    有馬哲夫

    Voice   ( 9月号 ) 82 - 89  2015年08月

  • 御聖断のインテリジェンス

    有馬哲夫

    正論   ( 8月号 ) 196 - 207  2015年07月

  • 「原爆投下正当論」をめぐるプロパガンダ

    有馬哲夫

    新潮45   ( 8月号 ) 200 - 205  2015年07月

     概要を見る

    原爆投下正当化論はプロパガンダにすぎないことを明らかにした。

  • 日本は「無条件降伏」はしていない

    有馬哲夫

    新潮45   ( 7月号 ) 197 - 203  2015年06月

  • 日本を再敗北させたGHQ洗脳工作「WGIP]

    有馬哲夫

    正論 7月号     182 - 194  2015年06月

  • スイスでの終戦工作は3月に始まっていた

    有馬哲夫

    新潮45 5月号     124 - 133  2015年04月

  • 海上自衛隊発足の立役者は野村吉三郎

    有馬哲夫

    文藝春秋 Special 大人の現代史入門     216 - 223  2015年03月

  • アメリカ「対日心理戦」再検証3

    有馬哲夫

    新潮45   ( 3月号 ) 268 - 273  2015年02月

  • ヤルタ会議の闇

    有馬哲夫

    新潮45 2月号     104 - 108  2015年01月

  • NHK歴史番組の病理

    有馬哲夫

    正論 2月号     266 - 278  2015年01月

  • 「太平洋戦争」史観はいかにして広まったか

    有馬哲夫

    新潮45 1月号     127 - 131  2014年12月

  • 原発建設を推進した上からの「広報と啓発」

    有馬哲夫

    新潮 45 10月号     42 - 45  2014年09月

  • スキャンダラスなヤルタ会議(後編)

    有馬哲夫

    Voice 9月号     160 - 166  2014年08月

  • 「スイス終戦工作」空白期間の謎2

    有馬哲夫

    新潮45 9月号     248 - 267  2014年08月

  • スキャンダラスなヤルタ会議(前篇)

    有馬哲夫

    Voice8月号     120 - 127  2014年07月

  • 「スイス終戦工作」空白期間の謎1

    有馬哲夫

    新潮45 8、9月号     226 - 235  2014年07月

  • 「テレビの父」正力松太郎はCIAから2つの暗号名が与えられていた

    有馬哲夫

    Sapio 8月号     104 - 105  2014年07月

  • アメリカ機密文書が語る中国共産党「侵略のDNA]

    有馬哲夫

    正論 5月号     112 - 120  2014年05月

  • 日米開戦・機密文書が裏付ける「ルーズヴェルトの陰謀」

    有馬哲夫

    新潮45 2月号     204 - 211  2014年01月

  • アメリカも朝鮮戦争で化学兵器使用を考えていた

    有馬哲夫

    新潮45 11月号     76 - 79  2013年11月

  • 日本へのテレビ導入とドゥフォレストの晩年の戦い

    有馬哲夫

    メディア史研究会   34   136 - 159  2013年09月

  • 日本はソ連参戦をどこまで掴んでいたか

    有馬哲夫

    新潮45 8月号   32/8   158 - 167  2013年08月

  • 日本へのテレビ導入におけるドゥフォレストと皆川の役割

    有馬哲夫

    アメリカ研究   47 ( 47 ) 149 - 168  2013年03月

    CiNii

  • なぜテレビ初放送はNHKだったのか

    有馬哲夫

    調査報道、TBS     20 - 24  2013年01月

  • 「沖縄も中国領だ」と周恩来は考えていた

    有馬哲夫

    新潮45 2月号   32/2   140 - 147  2013年01月

  • 日本軍「敗将」たちの終わらざる戦い

    有馬哲夫

    新潮45 9月号   31/9   101 - 111  2012年08月

  • キッシンジャー文書のなかの尖閣

    有馬哲夫

    正論 9月号   510   66 - 73  2012年08月

  • 原発と原爆

    有馬哲夫

    東京新聞 7月31日、8月1日夕刊    2012年07月

  • 「黒人のお姫さままで登場」 無国籍化が進むアニメ映画

    有馬哲夫

    週刊ダイヤモンド    2012年02月

  • 正力の狙いはプルトニウムだった

    有馬哲夫

    新潮45 2月号   31/2   64 - 71  2012年01月

  • 日本の原発ウランはソ連製だった

    有馬哲夫

    文藝春秋1月号、文藝春秋   90/1   388 - 395  2011年12月

  • アメリカの対日政策の一部だったテレビ導入

    有馬哲夫

    調査報道、TBS   503   14 - 19  2011年11月

  • 知られざる沖縄原発計画上、下

    有馬哲夫

    東京新聞、11月9日、10日夕刊    2011年11月

  • ロッキード事件の陰に原発あり

    有馬哲夫

    月刊文藝春秋、文藝春秋     170 - 177  2011年08月

  • 原発導入と正力松太郎

    有馬哲夫

    正論8月臨時増刊号、産経新聞社     142 - 150  2011年07月

  • メディアはメッセージだ

    有馬哲夫

    道の手帖 マクルーハン生誕100年 河出書房新社     143 - 149  2011年02月

  • やはり原爆投下は必要なかった

    有馬哲夫

    月刊 正論、産経新聞社   ( 463 ) 208 - 217  2010年09月

  • 辻政信は雲南に抑留された

    有馬哲夫

    月刊文藝春秋、文藝春秋社   88 ( 12 ) 274 - 279  2010年09月

  • もうひとつの再軍備ー緒方「新情報機関」と戦後日本のインテリジェンス機関の再建ー

    有馬哲夫

    早稲田社会科学総合研究   10 ( 3 ) 23 - 41  2010年03月

    CiNii

  • メディアの理解

    有馬哲夫

    道の手帖 マクルーハン生誕100年 河出書房新社     38 - 41  2010年02月

  • ディズニー商店はこうして巨大メディアカンパニーになった

    有馬哲夫

    週刊 東洋経済、東洋経済社     48 - 49  2009年11月

  • ファイスナー・メモと占領政策の逆コース

    有馬哲夫

    メディア史研究   26 ( 24 ) 107 - 132  2009年10月

    CiNii

  • 梶井と正力の暗闘ーアメリカの傘のもとの「南方進出作戦」

    有馬哲夫

    メディア史研究   ( 24 ) 112 - 132  2008年09月

  • アメリカ反共産主義政策下の日本の放送法形成(研究ノート)

    有馬哲夫

    早稲大学社会科学総合研究   9/1   61 - 76  2008年07月

  • かくてテレビは台湾にもたらされたーしられざる日米合作ー

    有馬哲夫

    ソシサイエンス   ( 14 ) 1 - 15  2008年03月

  • A・ダレス「原爆投下阻止工作」の全貌

    有馬哲夫

    月刊 現代 講談社   ( 1 ) 88 - 105  2007年12月

  • 正力松太郎とCIAの「カラーテレビ利権」

    有馬哲夫

    月刊 現代 講談社   ( 9月 ) 282 - 292  2007年08月

  • 正力の原子力平和利用導入キャンペーンとアメリカの心理戦

    有馬哲夫

    メディア史研究   ( 22 ) 42 - 62  2007年07月

  • 永遠に変化する夢の園

    有馬哲夫

    朝日新聞    2006年08月

  • ポダムと呼ばれた「正力松太郎」

    有馬哲夫

    『週刊新潮』   二月十六日号   52 - 56  2006年02月

  • テレビはアメリカ大統領選挙をインタラクティヴにした

    有馬哲夫

    『言語』、大修館   ( 一月号 ) 54 - 61  2005年12月

  • トルーマンに原爆投下を最終決断させた暗号電報

    有馬哲夫

    週刊新潮   七月二八日号   58 - 62  2005年07月

  • ディズニー・ミステリーツアー 6 『アラジン』

    有馬哲夫

    『ディズニーファン』 講談社   ( 4月 )  2005年02月

  • ディズニー・ミステリーツアー 5 『眠れる森の美女』

    有馬哲夫

    『ディズニーファン』 講談社   ( 3月 ) 103 - 105  2005年01月

  • ディズニー・ミステリーツアー 4 『ダンボ』

    有馬哲夫

    『ディズニーファン』 講談社   ( 2月 ) 39 - 41  2004年12月

  • ディズニー・ミステリーツアー 3 『シンデレラ』

    有馬哲夫

    『ディズニーファン』 講談社   ( 1月 ) 65 - 67  2004年11月

  • ディコーディング・マクルーハン(3)紛争と孤独の地球村

    有馬哲夫

    早稲田社会科学総合研究   5 ( 2 ) 41 - 52  2004年11月

  • ディズニー・ミステリーツアー 2 『ピノキオ』

    有馬哲夫

    『ディズニーファン』 講談社   ( 12月 ) 71 - 73  2004年10月

  • テレビは何処へ向かうのか(2)メディアと時間の力学

    有馬哲夫

    センター・レポート/VHSスタンダードセンター(JVC)   17:pp.4-9  2004年10月

  • ディズニー・ミステリーツアー 1 『白雪姫』

    有馬哲夫

    『ディズニーファン』 講談社   ( 11月 ) 91 - 93  2004年09月

  • ディコーディング・マクルーハン(2)メディア、ホットとコールド

    有馬哲夫

    早稲田社会科学総合研究   4;2,pp.49-61  2004年07月

  • テレビは何処へ向かうのか(1)メディアと場所の力学

    有馬哲夫

    センター・レポート/VHSスタンダードセンター(JVC)   16;pp.4-8  2004年05月

  • カール・ムントと日本のテレビ放送

    有馬哲夫

    ソシオサイエンス 早稲田大学社会科学研究科   10;pp.13-25  2004年04月

  • テレビが生んだアメリカの「中流」

    有馬哲夫

    『思想』岩波書店   12月号(956)pp.210-225  2003年12月

  • ディコーディング・マクルーハン(1)メディアはメッセージだ

    有馬哲夫

    早稲田社会科学総合研究   4;2,pp.49-61  2003年11月

  • アメリカ合衆国放送史(5)

    有馬哲夫

    早稲田社会科学総合研究   3;3,pp.87-93  2003年03月

  • ラジオの復活、語り部の復権

    有馬哲夫

    英語教育、大修館   51;9,pp.20-22  2002年10月

  • ジャパニメーションの普及

    有馬哲夫

    英語教育、大修館   51;9,p.45  2002年10月

  • アメリカ合衆国放送史(4)

    有馬哲夫

    早稲田社会科学総合研究   3;1,pp.53-63  2002年07月

  • ミッキーマウス出生のヒミツ

    有馬哲夫

    モノ・マガジン   21;8,pp.40-41  2002年04月

  • ウォルト・ディズニー

    有馬哲夫

    アゴラ(日本航空機内誌)   12月号;pp.72-75  2001年12月

  • ウォルト・ディズニー

    有馬哲夫

    アゴラ(日本航空機内誌)   12月号;pp.72-75  2001年12月  [査読有り]

  • ディズニーシーの挑戦

    有馬哲夫

    京都新聞   p.16  2001年09月

  • アメリカ合衆国放送史(3)

    有馬哲夫

    早稲田社会科学総合研究   ( 1 ) 113 - 122  2001年08月

  • ディズニーとユニヴァーサル

    有馬哲夫

    レジャー産業(資料)   416,pp.51-53  2001年05月

  • ジョーズはミッキーを呑み込むか

    有馬哲夫

    ヨミウリ・ウィークリー   2001.3.14.p.14  2001年03月

  • 政党を崩壊させるテレビ政治

    有馬哲夫

    『論座』朝日新聞   8/44-51  2001年

  • アメリカ合衆国放送史(2)

    有馬哲夫

    早稲田社会科学総合研究   1;2,pp.93-102  2001年01月

  • アメリカ合衆国放送史(1)

    有馬哲夫

    早稲田社会科学総合研究   1;1,pp.57-67  2000年07月

  • 次世代テレビのパラダイムシフト

    有馬哲夫

    日本放送芸術学会   15,pp.112-127  2000年03月

  • ウォルト・ディズニー・カンパニーと情報スーパーハイウェー

    有馬哲夫

    ソシオサイエンス   6,pp.91-107  2000年03月

  • デジタルストーリーテリング

    有馬哲夫

    英語青年、研究社   147;12,pp.48-50  2000年02月

  • デジタルストーリーテリング

    有馬哲夫

    英語青年、研究社   147;12,pp.48-50  2000年02月

  • デジタルストーリーテリング

    有馬哲夫

    英語青年、研究社   147;12,pp.48-50  2000年02月  [査読有り]

  • 本の拡張としてのディジタルメディア

    有馬哲夫

    英語青年、研究社   145/10,25-27  2000年

  • モダニズムとインタラクティヴフィクション

    有馬哲夫

    英語青年、研究社   146;11,pp.41-43  2000年01月

  • 米国ポケモンブームの軌跡

    有馬哲夫

    河北新報社   p.23  1999年12月

  • ヘミングウェーとディズニー

    有馬哲夫

    英語青年、研究社   145;7,p.40  1999年09月

  • 就職戦線と情報地域格差

    有馬哲夫

    河北新報社   p.23  1999年08月

  • Aum Cult Scandal and the Revision of Self-Regulations in Japanese Broadcasting Stations

    Tetsuo Arima, Roger Cooper

    International Communication Association   p.51  1999年05月

  • The American Dream and American Television---African-American, Women, and Television

    Tetsuo Arima

    The Tohoku Journal of American Studies   2,pp.1-26  1999年05月

  • Ethics and the Media

    Tetsuo Arima

    International Public Television Association    1999年04月

  • 文部省科学研究費補助金(萌芽的研究)研究成果報告書

    有馬哲夫

    マルチメディアがもたらす文学・文化研究のパラダイム・シフトの研究   pp1-30  1999年03月

  • モダニズム詩学とデジタル ライティング

    有馬哲夫

    學鐙   96/12,16-19  1999年

  • マルチメディアによる人文科学のパラダイムシフトの研究—日本とアメリカの場合

    有馬哲夫

    電気通信普及財団研究調査報告書   13;pp536-558  1999年01月

  • 米国アニメ最新事情

    有馬哲夫

    河北新報    1999年01月

  • デジタル化と放送芸術

    有馬哲夫

    第17回日本放送芸術学会    1998年10月

  • Vチップは魔法のチップか:米国テレビ最新事情

    有馬哲夫

    河北新報    1998年10月

  • メディア帝国ウォルト・ディズニー・カンパニー

    有馬哲夫

    岩手大学人文社会科学研究会    1998年06月

  • エレジーかルネッサンスか:デジタルメディア対論

    有馬哲夫

    學鐙   95/4,26-29  1998年

  • パラダイム コンフリクト

    有馬哲夫

    早稲田社会科学研究   /57,111-146  1998年

  • デジタルメディアによる人文科学のパラダイムシフトの研究

    有馬哲夫

    早稲田大学人文自然科学研究   /54,1-43  1998年

  • オーサーをデコンストラクションする電子メディア—文学理論検証装置としてのハイパー・テキスト—

    有馬哲夫

    英語青年   143巻/1号  1997年03月

  • アメリカのテレビコマーシャルと女性運動

    有馬哲夫

    アメリカ研究   /31,41-58  1997年02月

  • サイバースペースのシェイクスピア

    有馬哲夫

    英語青年   142/10,562-564  1997年

  • インタラクティヴフィクションと『トソストラム・シャンディー』

    有馬哲夫

    英語青年   142/12,682-684  1997年

  • テレビの夢とアメリカの夢

    有馬哲夫

    放送芸術学   /12,1-11  1997年

  • テレビ史の中のThe Quiz Show Scandals

    有馬哲夫

    『英語青年』   141/5,2-5 ( 5 ) p214 - 217  1995年

    CiNii

  • 色盲のテレビと『エイモス・ン・アンディー』-1950年代のアメリカのテレビと黒人問題-

    有馬哲夫

    『放送芸術学』   /11,19-29  1995年

  • 危ういバランスの達成-アメリカ合衆国のテレビ産業の寡占とFCC政策-

    有馬哲夫

    国際文化研究   /1,29-44  1994年

  • ヴォーデオとシットコムー1950年代のNBCとCBSのテレビ番組制作哲学-

    有馬哲夫

    放送芸術学   /10,31-42  1994年

  • 広告における外国のイメージの変遷

    有馬哲夫

    『東北大学教養部紀要』   58  1992年

  • 日本の広告の中のアメリカー変わりゆくアメリカ像

    有馬哲夫

    東北アメリカ学会設立10周年記念論集   1,47-63  1992年

▼全件表示

書籍等出版物

  • 原爆 私たちは何も知らなかった

    有馬哲夫

    新潮社  2018年09月 ISBN: 9784106107825

  • こうして歴史問題は捏造される

    有馬哲夫

    新潮社  2017年09月

  • 歴史問題の正解

    有馬哲夫

    新潮社  2016年08月 ISBN: 9784106106828

  • 歴史とプロパガンダ

    有馬哲夫

    PHP研究所  2015年07月 ISBN: 9784569825823

     概要を見る

    現代史上の重要事件をとりあげそれがどのようにアメリカ、中国のプロパガンダによってゆがめられているかを明らかにした。

  • 「スイス諜報網」の日米終戦工作

    有馬哲夫

    新潮社  2015年06月 ISBN: 9784106037726

     概要を見る

    大戦末期の日本・アメリカ・ドイツ諜報員による終戦工作

  • 1949年の大東亜共栄圏

    有馬哲夫

    新潮社  2014年06月 ISBN: 9784106105739

  • こうしてテレビは始まった: 占領・冷戦・再軍備のはざまで

    有馬哲夫

    ミネルヴァ書房  2013年12月

  • 児玉誉士夫 巨魁の昭和史

    有馬哲夫

    文春新書  2013年02月

  • 原発と原爆

    有馬哲夫

    文春新書  2012年08月 ISBN: 9784166608737

  • 「日本最初の原子力発電所の導入過程」『震災・核災害の時代と歴史学』

    有馬哲夫, 歴史学研究会

    青木書店  2012年05月 ISBN: 9784250212062

  • ディズニーランドの秘密

    有馬哲夫

    新潮新書  2011年07月

  • 大本営参謀は戦後何と戦ったのか

    有馬哲夫

    新潮新書  2010年12月 ISBN: 9784106104008

  • CIAと戦後日本

    有馬哲夫

    平凡社新書  2010年06月

  • ディズニー・ミステリー・ツアー

    有馬哲夫

    講談社  2010年01月 ISBN: 9784063397611

  • アレン・ダレスー原爆・天皇制・終戦をめぐる暗闘ー

    有馬哲夫

    講談社  2009年08月 ISBN: 9784062156394

  • 昭和史を動かしたアメリカ情報機関

    有馬哲夫

    平凡社新書  2009年01月 ISBN: 9784582854480

  • 原発、正力、CIA

    有馬哲夫

    新潮新書  2008年02月

  • 世界のしくみがみえる「メディア論」

    有馬哲夫

    宝島社新書  2007年10月

  • エッセンシャル・マクルーハン

    マーシャル・マクルーハン, 翻訳, 有馬哲夫

    NTT出版  2007年02月

  • 日本テレビとCIA−発掘された「正力ファイル」−

    有馬哲夫

    新潮社  2006年10月

  • 中傷と陰謀 アメリカ大統領選挙狂騒史

    有馬哲夫

    新潮社  2004年10月

  • 事典 現代のアメリカ(アメリカのテレビ)

    有馬哲夫

    大修館  2004年10月

  • ディズニーとライヴァルたちーアメリカン・カートゥーンメディア史

    有馬哲夫

    フィルムアート社  2004年05月

  • ディズニーの魔法

    有馬哲夫

    新潮社  2003年11月

  • 戦略行動論、第五章、メガメディアとしてのディズニー

    有馬哲夫

    タイム・ライフ  2003年02月

  • ディズニー「夢の工場」物語

    有馬哲夫

    日本経済新聞社  2003年

  • ディズニーとは何か

    有馬哲夫

    NTT出版  2001年11月

  • ディズニーランド物語

    有馬哲夫

    日本経済新聞ビジネス人文庫  2001年07月

  • ディズニー千年王国の始まり-メディア制覇の野望

    有馬哲夫

    NTT出版  2001年

  • The Aum Cult/Tokyo Broadcasting System Scandal:Its Impact on Television Codes in Japan in ed.David French and Michael Richards; Television in Contemporary Asia

    Tetsuo Arima

    Sage Publication  2000年10月

  • デジタルストーリーテリングーサイバースペースにおけるナラティヴの未来形

    有馬哲夫

    国文社  2000年03月

  • アメリカを知る事典(アメリカのテレビ文化、ジャーナリズムなど)

    有馬哲夫

    平凡社  2000年01月

  • 『デジタルメディアは何をもたらすのか』

    有馬哲夫

    国文社  1999年

  • 世界を震撼させた100冊(マクルーハン他5項目)

    有馬哲夫

    出窓社  1998年01月

  • 『テレビの夢から覚めるまで』

    有馬哲夫

    国文社  1997年02月

▼全件表示

Works(作品等)

  • 事典 現代のアメリカ(アメリカのテレビ) 大修館

    2004年10月
    -
     

  • ディズニー・ミステリーツアー(『ディズニーファン』8回連載)

    2004年09月
    -
     

  • ジョーズはミッキーを呑み込むか

    2001年
    -
     

  • ディズニーとユニヴァーサル

    2001年
    -
     

  • 『デジタル・ストーリーテリング』翻訳、国文社

    2000年
    -
     

  • 『アメリカを知る事典』分担執筆 平凡社

    2000年
    -
     

  • アメリカを知る事典 平凡社(アメリカのテレビ、ジャーナリズムなど)

    2000年01月
    -
     

  • Job Hunting and Digital Devide

    1999年
    -
     

  • ヘミングウェーとディズニー

    1999年
    -
     

  • 米国ポケモンブームの軌跡

    1999年
    -
     

  • 米国アニメ最新事情

    1999年
    -
     

  • Hypertext,Literature,and Education : An Interview with George.P.Landow,The Rising Generation

    1998年
    -
     

  • Vチップは魔法のチップか(河北新報社朝刊 2回連載)

    1998年
    -
     

  • ニューメディアウォッチ(河北新報社夕刊 4回連載 )

    1998年
    -
     

  • 『20世紀を震憾させた100冊』分担執筆

    1998年
    -
     

  • 世界を震撼させた100冊(マクルーハンほか5項目)

    1998年01月
    -
     

  • 米国放送のデジタル化(河北新報社朝刊 2回連載)

    1997年
    -
     

  • 『ジャングル大帝』と『ライオンモング』ボーダーレス化する大衆文化(河北新報社夕刊 2回連載 )

    1997年
    -
     

  • 米通信品格法判決とインターネットの行方(河北新報社朝刊)

    1996年
    -
     

  • テレビの考古学(河北新報社夕刊文化欄11回連載)

    1995年
    -
     

  • スキャンダルの構図(河北新報社夕刊文化欄3回連載)

    1995年
    -
     

  • 「広告コミュニケーションの日米間の相違の社会学的研究」、『広告コミュニケーションの日米間の相違の社会学的研究』文部省科学研究費補助金(一般研究(B))研究報告費、pp.1〜42、平成7年3月

    1995年
    -
     

  • Contributing to Encyclopedic Supplement to the Dictionary for the General Reader , ed Tokuichiro Matsuda, Kenkyusha

    1994年
    -
     

  • Tetsuo Arima, Review of Akiko Miyake's Ezra Pound and the Mysteries of Love : A Plan for the Cantos Studies in English Literature, English Number, pp. 126-130

    1994年
    -
     

  • 「T.S.エリオットとオリエンタリズム」、『英文学におけるオリエンタリズム』文部省科学研究費補助金(一般研究(C))研究報告、pp.1〜8.平成6年12月

    1994年
    -
     

  • 『リーダース プラス』研究社 C・D約千項目執筆.1994年.

    1994年
    -
     

  • 「バンティング詩学の位置づけ」、『英語青年』第138巻6号 pp.308-310 平成4年9月

    1993年
    -
     

  • 「日本のテレビCMにおける潜在的内容」『吉田秀雄記念事業財団第26次助成研究集』

    1993年
    -
     

  • 『文化における時間の意識の研究』「モダニスト達のカーニバル的歴史観」

    1989年
    -
     

  • 「海の原風景」、『英語青年』第133巻第7号pp.3 34〜335 昭和62年9月

    1986年
    -
     

▼全件表示

共同研究・競争的資金等の研究課題

  • 原爆投下決断から原発開発までの米英加の暗闘

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2017年04月
    -
    2020年03月
     

    有馬 哲夫

     概要を見る

    本研究は米第2公文書館、英国立公文書館、加国立図書館・文書館所蔵の公文書に基づくマルチアーカイヴ研究である。研究成果として以下のことを明らかにした。(1)原爆開発は米、英、加(ただし加は実質上の協定国)のケベック協定に基づく国際プロジェクトであり、多国籍の科学者が携わっており、従来考えられていたような米単独によるものではなかった。そもそも原子力を爆弾に使うという発想はドイツ人科学者によって英で生まれたものであり、マンハッタン計画はそれが米に技術移転されたことによって可能になった。加は原爆開発において、これまで全く名前があがってこなかったが、原料供給国として原爆開発に欠くことができなかっただけでなく、ウラン資源開発や原子力の平和利用に関しても、政治的にも重要な役割を果たした。(2)原爆投下の決定は、従来考えられていたように、米単独でなされたものではなかった。それは、「協定国の同意なしには使用しないという」ケベック協定2条に基づき、英の同意と加の了承を得たのちに決定されたものだった。1944年のハイドパーク会談で日本に原爆を使用すべきだと最初に主張したのも英首相ウィンストン・チャーチルだった。原爆の使用に関しては、英の働きかけによるものが大きかったが、英は必ずしも実戦使用を考えておらず、それをするにしても事前警告が必要だと考えていた。また、米の決定は、従来いわれていたように「100万人の米兵の命を救うため」ではなく、東ヨーロッパやアジアで勢力を拡大しているソ連に対する威嚇であった面が強い。(3)原爆投下後、英と加は米に協定に基づく技術とノウハウの提供を求めたが、米はこれを拒否した。英加は独自に原子力発電所の開発を行った。また、原爆開発中にニールス・ボアなどが主張していた原爆の国際管理も、英、加などの強力が得られず、実現しなかった。これが核拡散を招いてしまった

  • 冷戦期米国のソフトパワー戦略と米国のメディア産業

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2014年04月
    -
    2017年03月
     

    有馬 哲夫

     概要を見る

    1953年アイゼンハワー政権下で米国はUSIAを設立し、本格的な広報外交を始めた。翌年にはPeople to Peopleプロジェクトを開始し、ここにアメリカの映画や音楽や漫画の娯楽産業、ラジオやテレビなどのメディア産業、さらに広告産業などを参加させ、そのソフトパワーを広報外交に活かそうとした。プロジェクトそのものは予算不足から成果があがらなかったが、産業界のソフトパワーを広報外交に活かす仕組みはUSIAの中で続いていった。1967年にUSIAの民間企業課は廃止され、その機能は他の課に移されたが、それまでに同機関と民間企業はどのように協力して米国の広報外交を強化していくかを学んでいたのである

  • 冷戦期米国の対日ソフトパワー戦略の実証的研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2011年04月
    -
    2014年03月
     

    有馬 哲夫

     概要を見る

    二〇〇四年の著書『ソフトパワー』でジョゼフ・ナイは非軍事的・非強制的手段としてソフトパワーの重要性を強調したがアメリカが対日政策においてどのようなソフトパワー戦略をとったのか具体的事例を示さなかった。本研究は冷戦期(占領期を含む)において、アメリカがどのような対日ソフトパワー戦略をとったのか、具体的事例について研究した。その結果、テレビの導入を含む占領期の日本のメディア改造によってアメリカのソフトパワーが働きやすい状況が作られ、それがアイゼン・ハワー政権による「アトムズ・フォー・ピース」の宣伝を含む日本への原子力平和利用の導入において効果をあげたことが分かった

  • 日本の戦後放送体制に対するアメリカ合衆国反共産主義政策の影響

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2006年
    -
    2007年
     

    有馬 哲夫

     概要を見る

    日本の戦後放送体制成立に関する従来の研究は、SCAPの民間通信局(CCS)と民間情報教育局(CIE)が、日本の放送機関をどのように改造し、戦後の放送体制を規定した放送法の制定にどのように関わったのかについては論じてきが、それがアメリカ合衆国政府の政策、とりわけトルーマン政権の反共産主義政策(対日占領政策を含む)とどのように関係しているのか、連動しているのかについては考察してこなかった。そこで、本研究ではとくに一九四七年八月二七日に日本側に示されたハウギー・メモと一〇月一六日に日本側に渡されたファイスナー・メモのあいだに起こった変化、つまり、日本放送協会独占体制から公共放送・民間放送並立体制への変化に焦点をあて、アメリカの反共産主義政策(対日占領政策を含む)が、戦後の日本の放送体制の形成にどのように影響したのかを検証した。その結果、1)マッカーサーによる早期占領終結の準備(一九四八年大統領選出馬のため)、2)国際放送開始のための準備、3)のちに米対日協議会を結成するジャパンロビーのメンバーと国防次官ウィリアム・H・ドレイパーによる、いわゆる占領政策「逆コース」、の三つが複合してこの変化を生んだことがわかった。この放送立法の「逆コース」から、公共放送・民間放送並立体制、それに続く民間放送設立ラッシュ、小電力他局化政策、日本テレビ放送網を中心とするテレビ導入の動きは生まれたのだと結論づけた。本研究ではとくに一九四七年八月二七日に日本側に示されたハウギー・メモと一〇月一六日に日本側に渡されたファイスナー・メモのあいだに起こった変化、つまり、日本放送協会独占体制から公共放送・民間放送並立体制への変化に焦点をあて、アメリカの反共産主義政策(対日占領政策を含む)が、戦後の日本の放送体制の形成にどのように影響したのかを検証した

  • テレビ放送のチェック機構の日米比較研究

    研究期間:

    1998年
    -
     
     

  • 英文学における異人概念の変遷

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    1995年
    -
    1997年
     

    小沢 博, 有馬 哲夫, 大西 洋一, 中村 隆, 大河内 昌, 石幡 直樹

     概要を見る

    本研究の目的は、英文学に現れた異人概念の変遷を比較検討することにより、英文学及び英国文化を、広義の異文化交渉史の中で捉え直すことにあった。新大陸や東洋のみならず、文学的尚古主義、階級差、性差といった広い意味での内なる異文化も対象とし、そこに継起する異人概念の変遷を検証することにより、英文学を内と外の複眼的視点で相対化しようとする試みである。こうした観点から、小沢は、英国ルネサンス期に見られる外国人排斥運動の思潮を検討し、これが当時の演劇作品と上演活動にどのような影響を与えているかを考察した。石幡は、英国ロマン派文学に顕著な尚古主義や高尚なる野人の概念を異文化への憧憬の象徴的行為として捉え、ロマン派思潮台頭の背後にある社会文化的要因を当時の異国趣味との関連で検討した。大河内は、19世紀における階層社会の形成を異人としての下層階級の形成として捉え、当時の政治経済理論がこうした内なる異人の生産といかに連動していたかを政治社会史的文脈の中で探った。中村は、19世紀英国小説におけるユダヤ人の表象を検証し、大衆文化の担い手としての小説がいかに通俗的な異人観を形成していったかを考察した。大西は、17・18世紀英国演劇における新大陸と東洋の表象を比較検討し、西欧の西進と東進がもたらした異なる二つの非西欧文化との交渉を演劇の文化史として考察した。有馬は、アメリカ文学におけるインディアンの表象の変遷を俯瞰し、これを英国の植民地政策との関連で比較文化論的に考察した。Robinsonは、英国近代文学の創作活動が異人としての女性の侵入と密接な関係を持ってきたことを、RichardsonのClarissaやT.S.EliotのThe Waste Land改作問題と絡めて検証した。以上のような具体的研究成果を通じ、共同研究者の知見を統合して、英文学における異人概念の変遷の一面を解明できた

  • 広告コミュニケーションの日米間の相違の社会学的研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    1992年
    -
    1993年
     

    有馬 哲夫, タッド ホールデン, 石幡 直樹

     概要を見る

    本研究では次のことが明らかになった。テレビコマーシャルのハードセルとソフトセルという表現様式で日米間で大きな相違がみられるのは、1)両国の放送と広告のシステムの違い、2)両国の視聴者と社会の特性の違い、3)前の2つから生じるコミュニケーションパターンの違い、から生じている。1)のシステムの違いとは、テレビ放送のシステム、法規制、広告製作者の自主規制、放送局の自主規制、そして取引習慣など送り手側のである。2)の違いはこれに対して受け手側の違いである。日本人はかなの他に漢字という絵画的文字も持っておりイメージに対して感受性を持っているが、アメリカ人は音表シンボルであるアルファベットしかなく、音声中心、言葉中心になってしまう。また、彼等の住む社会も、伝統や規範によって暗黙の了解が成り立つ日本のハイコンテキスト社会に対し、アメリカでは多文化、多民族で共通の基盤のないロ-コンテキスト社会である。ここからも暗黙の了解に基づく日本的コミュニケーションに対し、議論と説得のアメリカ的コミュニケーションの違いがでてくる。これらの違いはさらに、テレビコマーシャルにおける送り手と受け手のコミュニケーションの違いをも生む。アメリカのテレビコマーシャルでは、メッセージの受取りの成否だけが問題となるメッセージ伝達型のコミュニケーションが中心になるのに対し、日本のそれは受け手が能動的に様々な要素を読み込む意味作用型のコミュニケーションが中心になっている。本研究の調査の結果、この意味作用型のコミュニケーションに参加する能動的視聴者は、テレビコマ-シャノの視聴によって社会意識を高め、社会批判を行う視聴者であることが分かった

  • 英文学におけるオリエンタリズムの系譜

     概要を見る

    斉藤は19世紀イギリス小説に見られる西インドの奴隷の題材を取り上げ、「他者としてのオリエント」の視点から解読を試みた。有馬は西欧人T.S.エリオットの視点から見たインド思想とインド人や東洋人のインド思想との間の微妙な食い違いを指摘した。Robinsonは日本詩の伝統が英米の現代詩に与えた影響について検討し、本人を含めた20世紀の英国詩人による、日本の詩形式の受容とその西洋的再生を考察した。鈴木は18世紀英国の文壇を代表するDr.Johnsonを中心に、東洋の社会・文化に対する関心を論じ、古典主義の普遍的人間性探求が東洋文化の再発見にもつながった当時の状況を考察した。石幡はロマン派の詩作品の特徴の一つである異国情緒趣味や東洋への関心を、逆に東洋からの見直しという観点から解釈してみた。また、小沢はルネサンス期の芝居の東方への関心や日本への直接言及などを取り上げ、これまで看過されてきた東方の概念を探った。その成果として、小沢は平成5年度の日本英文学会全国大会のシンポジアムで「The TempestとシェイクスピアのPacifism」と題して発表した。これは加筆して、デラウェア大学出版局から出版されるシェイクスピア論集に掲載される予定である。また、石幡は本研究に基づき国際文化研究科での講義(「Keatsに見られる異教徒東洋」)を行った。以上のような具体的な研究成果の開陳と批評を通じて、従来の西洋的視点とは異なる、東洋的視点に立つ総合的なオリエンタリズム像の一面を解明できた

  • マルチメディアがもたらす文学・文化研究のパラダイム・シフトの研究

     概要を見る

    本研究において、マルチメディアを自分達の研究に使っている日米加の人文科学の研究者を対象に「コンピュータを用いることによってあなたの研究の枠組みは変わりましたかという」アンケート調査を行った結果、次のような結果が得られた。回答数541. 「枠組みは変わっていないと思う」日 11 米 52. 「よく分からない」(「研究の初めからコンピュータを使っていたのでよく分からない」も含む)日 14 米 83. 「枠組みは変わった」日 0 米 16(対象者 米加はマルチメディアを応用した研究のコンファランスペーパーを集めた『コンテクスチュアルメディア』(マサチューセッツ工科大学出版)に論文を寄せた研究者を中心とした、マルチメディア関係の研究所の研究者。日本は文部省科学研究費補助金重点領域「人文科学とコンピュータ」で研究助成を受けた研究者。)この結果からいえることは日本の「人文科学とコンピュータ」に参加した研究者は、コンピュータを用いた研究に対して研究助成を受けてはいるが、そのような研究が従来のその分野の研究の枠組みを変えるものではないと思っていることだ。これに対して、米加の研究者達16名はコンピュータによって研究が従来と変わったと思っている。この16人の米加の人文科学の研究者達うち10人に聞き取り調査をした結果、彼等がコンピュータの新しいメディアとしての特徴を十分に認識し、従来とは異なる枠組みで研究に取り組み、その成果を出そうとしていることがわかった。その特徴とは次のものである。1) インタラクティヴ性2)非線性3)百科辞書性4)ネットワーク性5)直接性ここから、すくなくとも本研究で比較した日米加の研究者の間にはコンピュータに対する次のような考え方の違いがあることがわかった。1. 日本の研究者はコンピュータを個人の道具、機械(同じ作業を早く何度も繰り返すことができる。同じ作業を早くできる、これまでできなかったことを可能にする)、データ処理装置と考える。2. 米・加の研究者はコンピュータをコミュニケーションの道具、メディア、多元的情報処理ができるマルチメディア、情報の流通を通じて人間と人間をつなぐもの、環境や社会的システムを変えるものと考える

  • インターネットを用いた教育の問題点の実例研究

     概要を見る

    インターネットを使った大学教育における問題点を研究するために、以下の大学の大学教育開放センター、遠隔教育センター担当者および研究者に、電子メールや面接調査で、インターネットを用いた教育の問題点について訪ねた。(1)カリフォルニア大学ロサンゼルス校、(2)スタンフォード大学、(3)ハワイ大学、(4)マサチューセッツ工科大学、(5)ジョージア工科大学、(6)トロント大学このうち、(1)(3)の大学については2002年3月に(2)、(6)の大学については2002年8月に訪問し、関係者に面接調査を行った。この調査から得られた知見は次の通りである。1)当初もてはやされ、新設、拡張していたインターネットを用いた教育に関連する部局・機関の多くは、現在縮小、廃止、他の部局機関と統合されている。2)当初は双方向性やインタラクティヴ性を持つとされたインターネットを用いた教育は、結局は在来の通信教育や大学教育開放と変わらない一対多数の一方通行になってしまうことがわかった。ただし、スピード、利便性、量、情報の届く範囲という点でかなり進歩した。その反面、これまで以上に受講者が増えたのに比例して途中放棄者の率は上がってしまった。3)各大学とも、単にインターネットで情報をおくるだけでなく、受講者にアドヴァイスや励ましを与えるコーチをつけ、電子掲示板などで受講者同士の教え合いを促すなど、さまざまな試みをしたが、はかばかしい効果を上げられなかった。4)スタンフォード大学のライホルト研究員がいうように、教育は人と人との接触によって起こる社会的行為であり、教える側と教えられる側がその場にいないインターネットを用いた教育は根本的に不完全で、スクーリングなどで補完しなければ教育効果を上げられない。ただし、受講生が極めて大きな学習動機を持っていて、受講する科目が極めて実用的な場合は別である

  • 日本テレビ放送網成立過程における米国反共政策の影響

     概要を見る

    研究実績の概要1.合衆国公文書館(カレッジ・パーク)、カール・ムント記念図書館、ハーバート・フーバー大統領図書館、ヒストリー・サンノゼからアーカイヴ資料を取り寄せ、分析した。2.フーバー大統領図書館、ヒストリー・サンノゼ、日系アメリカ人記念館を訪ね、関連資料を収集した。その結果次の知見が得られた。1)日本テレビ放送網の着想を得たとされる皆川芳蔵とラジオの父リー・ドゥフォレストの接点はアーカイヴ資料からは確認されなかった。2)日本テレビ放送網の設立は、アメリカが外交・情報政策の一環と位置づけられ、国務省などの政府機関、上院外交委員会、ジャパン・ロービーなどの民間団体、RCA、フィリップス、フィルコなどのテレビ・通信産業などが関わっていたことがわかった。3)日本テレビ放送網は、合衆国が計画する世界統一基準による新米イデオロギー宣伝テレビ放送網の一部として、現在のような東京一局ではなく、日本各地に直営局を持つ放送網として計画された。4)日本に対する再軍備の圧力が強まるにつれてレーダーやマイクロ高速通信回線などを含む多重軍事通信としての性格を帯びていったが、このために政府上層部にかえって警戒され、これを支援していた吉田政権の終焉とともに1954年12月国会で葬り去られた。以上の成果を踏まえてさらに研究を進めていく

▼全件表示

 

社会貢献活動

  • NHKBS1

    NHKBS1 

    2010年09月
    -
     

     概要を見る

    原爆投下の決定をめぐるトルーマン政権内の暗闘について著書『アレン・ダレス』にもとづき数度にわたって解説した。同年8月5日でNHK広島局が放送した「原爆投下を阻止せよ」の再放送

  • NHK広島局

    NHK広島局 

    2010年08月
    -
     

     概要を見る

    特別番組「原爆投下を阻止せよ」のなかで、原爆投下の決定をめぐるトルーマン政権内の暗闘について著書『アレン・ダレス』にもとづき数度にわたって解説した。

  • フジテレビ

    フジテレビ 

    2008年04月
    -
     

     概要を見る

    ディズニー映画『魔法にかけらて』批評

  • MBC(韓国)

    MBC(韓国) 

    2007年01月
    -
     

     概要を見る

    東京ディズニーランドの歴史と今後の見通しについて解説

  • KBS(韓国)

    KBS(韓国) 

    2006年12月
    -
     

     概要を見る

    東京ディズニーランド建設の経緯について解説

  • テレビ東京

    テレビ東京 

    2004年05月
    -
     

     概要を見る

    東京ディズニーランド開園30周年にあたってこれまでの歴史を振り返り、これからの見通しについて解説

  • テレビ大阪

    テレビ大阪 

    2001年06月
    -
     

     概要を見る

    ユニヴァーサルスタジオが大阪にオープンするにあたって、東京ディズニーランドとの競合関係について解説

▼全件表示

特別研究期間制度(学内資金)

  • 原爆開発とその後の英米加の暗闘

    2016年04月
    -
    2018年03月

    Australia   Western Sydney University

    U.K.   Oxford University

    Swizerland   Bern University

  • 日本のテレビ創成における米国反共産主義政策の影響

    2005年04月
    -
    2006年03月

    アメリカ   メリーランド大学

特定課題制度(学内資金)

  • 原爆の国際管理の研究、ニールス・ボーアの場合

    2022年  

     概要を見る

    デンマークのコペンハーゲン大学のニールス・ボーア研究所とコペンハーゲン大学図書館で、ニールス・ボーアの原爆の国際管理に関する書簡を収集し、通読、分析した。原爆の国際管理とは、ボーアが提唱し、イギリス首相ウィンストン・チャーチルとアメリカ大統領フランクリン・デラノ・ローズヴェルトに説いた考え方で、原爆を一国の利害のために仕えないよう、多国間で管理するという考え方である。ニールス・ボーア・アーカイブの中から、ボーアとイギリス首相チャーチル、アメリカ大統領ローズヴェルトの間に交わされた書簡をコピーし、日本に持ち帰り、精読した。これらの書簡からわかることは、チャーチルはあまりボーアに好意的ではなかったこと、そして国際管理に関しても、ソ連を加えることに反対だったため、否定的だったことである。これに対し、ローズヴェルトは、ソ連に原爆に関する知識や技術を与えることに否定的ではなかったため、ボーアに対しても、彼の国際管理の考え方に関しても好意的だった。

  • 核兵器の国際管理の研究

    2021年  

     概要を見る

    2021年11月5日から11月8日までスイスのベルンにあるスイス連邦国立図書館、スイス連邦公文書館、チューリッヒ工科大学図書館でアルバート・アインシュタインの文書を検索し、資料収集した。スイス連邦国立図書館にはアインシュタインのチューリッヒ工科大学教授時代の書簡が収蔵されていたが、核分裂など、のちの原爆の研究につながる記述はなかった。スイス連邦公文書館にはアインシュタイン本人についての記録があり、ドイツ帝国の兵役義務から逃れるためにドイツ市民権を放棄し、スイス国籍を取得したこと、1896年10月チューリッヒ連邦工科大学への入学を許可されたことなどを確認した。

  • 原爆の国際管理体制の研究

    2020年  

     概要を見る

    2021年10月30日から同年11月5日までスイスのチューリッヒ連邦工科大学アルバート・アインシュタイン・アーカイヴズでアインシュタインの書簡などを検索、資料収集した。今回の発見はウォルフガング・パウリとの間に交わされた書簡で、これはWolfgang Pauli (1900–1958)の中にある。パウリは、アインシュタインと同じくユダヤ人で、チューリッヒ連邦工科大学、プリンストン大学で教授になったことからもわかるように、キャリアの上で重なる部分があり、アインシュタインに信頼されていた。そのパウリが1946年9月19日付けでアインシュタインに手紙を書いており、そこには以後(1946年から)5年間はアメリカ軍当局が物理学の分野で次第に介入を強めるだろうと記されている。アインシュタインもまた、アメリカ軍当局が原爆製造のノウハウを独占し、かつその独占を守るために、物理学者の研究に介入していたことが窺われる。前述のボーアと原爆の国際管理を唱えたのも、アメリカ軍当局による原爆の独占と、それを守るための物理学への介入を恐れていたことが推断される。

  • 原爆投下決断から原爆開発までの米英加の暗闘

    2019年  

     概要を見る

     本研究のためにイギリス国立公文書館で原子力・原爆開発関係の公文書の資料収集を行い、多くの新資料を入手し、それに基づく以下の知見を得た。1.原爆の開発は、単発のものではなく、原子力開発の一環であって、先行していた平和利用(原発開発など)がそのベースとなった。2.原爆の開発は、アメリカ単独ではなく、イギリスで開始されたのちケベック協定のもと英米加による国際的プロジェクトになり、ヨーロッパ各国の科学者によって遂行された。3.従って、原爆投下の決定はイギリスとカナダと協議ののちアメリカによってなされた。4.原爆投下はソ連を威嚇するためになされた。

  • リンデマンと原爆-チャーチルと科学顧問

    2017年  

     概要を見る

    2017年9月にオックスフォード大学とロンドンのイギリス公文書館で第2次世界大戦時イギリス首相ウィントン・チャーチルの科学顧問であったフレデリック・リンデマンがチャーチルとの間に交わした書簡、及び報告書のうちイギリスの原爆開発に関するものを収集した。その結果以下のことがわかった。1)イギリスの原爆開発の中心はケンブリッジ大学のカベンディシュ研究所だった。このためオックスフォード大学教授のリンデマンは、原爆開発に積極的ではなかった。3)1943年8月19日のケベック協定締結以後、リンデマンは、チャーチルの科学顧問として、原爆開発に参画せざるを得なくなり、これ以降重要な役割を果たすことになる。 

  • 第2次世界大戦に於ける英国と米国の対日プロパガンダ協力

    2016年  

     概要を見る

    2016ー2017年度にわたって、英国国立公文書館と米国国立第2公文書館で第2次大戦において英米両国がどのように対日プロパガンダを行ったか調査し、資料を収集した。その結果、以下のことが分かった。①英国側が対独戦争を始めた1939年から米国側に共同して対日プロパガンダを行うことを働きかけ、米国が対日戦争に入ったのちの1942年にこれが実を結び、1942年に英国側で政治戦委員会、アメリカ側で合同心理戦委員会が設置され合同して対日戦のプロパガンダをプロデュースし、実施した。②従来、米国側が主で、英国側は従と考えられてきたが、BBCを活用するなど意外に英国側も大きな役割を果たしていたことが分かった。

  • 日本の原子力発電導入における日英企業の関係の研究

    2014年  

     概要を見る

    イギリスのロンドンにあるイギリス公文書館で日本への原子力発電所の輸出に関係する公文書を収集した。その結果、日本へのコルダーホール型原子力発電所の輸出にともない、民間企業である富士電機とジェネラル・エレクトリックの間の技術移転だけでなく、富士電機と関連する原子力産業グループ傘下のさまざまな民間企業とジェネラル・エレクトリックに関連する民間企業の間での技術移転や技術交流があり、原子力発電所の輸出そのものはあまりうまくいかなかったものの、これら技術移転・交流の面でのプラスがのちにアメリカから原子力発電所を輸入する際に活かされていったことが分かった。

  • 原子力発電所導入と日英原子力協定の変遷の研究-核燃料協定と保障措置を中心に-

    2013年  

     概要を見る

    一九五七年年一一月、正力松太郎原子力委員会委員長がイギリスからコルダーホール型動力炉の輸入を決定した。これはアメリカから輸入すると厳しい秘密条項と保障措置が求められるので、これらの条件がゆるいイギリスから輸入することでこれらの条件をバイパスしようという意図があった。正力と原子力委員になった石川一郎(前日本経済団体連合会会長)は、ウラニウムやプルトニウムを、アメリカから掣肘を受けることなく手に入れることで、日本が自由に原子力平和利用関連技術を開発できるようにしたかった。将来は日本企業が原子力発電所を輸出し、必要に迫られたたならば核兵器を製造できるようになることも視野に入れていた。   しかし、同じ一九五七年、アメリカ主導で国際原子力機関(IAEA)が設立され、日本はアメリカの強い後押しを受けて指定理事国になった。このあと、アメリカは、国際原子力機関の加盟国は、原子力技術を軍事転用しないことを保障するために、国際原子力機関から保障措置を受けことを強く主張し、これを通した。イギリスは当初、これに反発したが、単独で日本の原子力発電所に対し保障措置を行うことのコストとデメリットを考えるようになり、結局、国際原子力機関に保障措置を委ねることを受け入れた。こうして、日英二国間の協定だった動力型原子炉の輸入は、核燃料の再処理とプルトニウムの保有に関しては、国際原子力機関のチェックを受けることになり、正力・石川の目論みは失敗に終わることになった。一九六八年、日本最初の原子力発電所である東海発電所は、多くのトラブルに見舞われたあとで、六トンのプルトニウムとその他の核物質を産出したが、これに保障措置を行ったのは、輸出国イギリスではなく、国際原子力機関だった。結局、日本はアメリカ主導の国際原子力機構のコントロールのもとに原子力発電を含む、原子力平和利用技術の研究・開発を進めていくことになる。以上のことをイギリス公文書館(ロンドン)の原子力関連文書から明らかにした。

  • 日本最初の原子力発電所(英国製コルダーホール型)導入過程の研究

    2012年  

     概要を見る

    日本が最初に導入したのは、イギリス原子力公社(Atomic Energy Authority)が開発したコルダーホール(Colder Hall)型重水炉だったのだが、事故を起こした福島第一原発の第一号炉、二号炉がアメリカのGE(General Electric)製だったために、日本のメディアは日本が最初からアメリカから原発を輸入してきたかのような報道をした。少なくとも、日本最初の原発である東海発電所がイギリス製コルダーホール型重水炉だったことについて注意を払い、なぜそうなったかについて説明を試みたものはなかった。 そこで、日本への原発導入史上きわめて重要でありながら、これまで明らかにされることがなかった日本最初のコルダーホール型原発の導入過程をイギリスの公文書からつまびらかにすることにした。 なぜイギリスの公文書なのかといえば、これまで日本の原子力発電導入史の研究は、アメリカ側の資料に基づき、アメリカ側の視点からなされてきたからだ。筆者自身もこれまでアメリカ側の資料をのみ使用してきたため、日本最初の原発の導入過程については十分明らかにできずにきた。 本論ではこのような反省に立って、今世紀に入って機密解除されたイギリス技術省(Ministry of Energy)文書「日本への原子力発電所の輸出」(Export of Nuclear Power Station to Japan)と「東海村」(Tokai Mura)をもとに日本最初の原子力発電所である東海発電所の導入過程に光を当てた。 そこから浮かびあがってきたことは、東海発電所がまったくの欠陥品だったこと、生まれたばかりの日本の原子力産業は大きな教訓を得たこと、初代原子力委員長正力松太郎と総理大臣岸信介ら政権幹部は日本の核武装をも視野にいれたことなどだ。日本がアメリカからしか原発を輸入しなくなってしまったのはこの後のことだ。

  • 日本の放送法成立過程における米国外交・情報・占領政策の影響

    2009年  

     概要を見る

     本研究では、前年度に受けた放送文化基金の助成研究を踏まえ、トルーマン政権下のアメリカ合衆国の外交・情報・占領政策の日本の放送法成立に対する影響をさらに明らかにしようと試みた。その結果、日本の放送法の成立は、対日占領政策のいわゆる「逆コース」と連動していることがわかった。つまり、放送法の制定は、民間航空路線開設による電波需要の増大、民間放送の承認による多局化と商業放送の育成、多局化による財閥系企業の放送機器生産の拡大など、日本の経済的自立を早めるという期待のもとに行われたのである。それはまた、できるだけ多くの電波を獲得し、できるだけ多くの航空路線を開設するというトルーマン政権の外交・情報政策と連動していた。

  • アメリカ合衆国反共産主義政策下の東アジア・テレビ放送の形成

    2008年  

     概要を見る

     第二次世界戦後のアメリカの情報・外交政策の研究において、まったく注目されてこなかった日本へのテレビ導入とアメリカの情報・外交政策の関係、とりわけスミス・ムント法成立以降のVOA政策とMSA(アメリカ相互防衛援助)政策との関係をこの数年で明らかにしてきた。 本研究では、アメリカ第二公文書館の国務省文書と陸軍省の文書によって、新たにスミス・ムント法のもう一方の法案提出者であるアレグザンダー・スミス上院議員に光を当て、上院極東小委員会委員長として彼の議員活動、とりわけほぼ毎年のように行われた極東視察と、彼と同窓(プリンストン大学)で日米講和条約を成立させた国務省特別外交顧問(のちにアイゼンハワー政権で国務長官)ジョン・フォスター・ダレスとの関係の一端を明らかにできた。それにより、アメリカの東アジア政策というコンテキストにおいて、日本、韓国、台湾、フィリピン4カ国に技術・軍事援助としてのマイクロ派通信網とテレビ導入の計画がどのように生まれたのかを明らかにする発端を開くことができた。

  • 日本テレビ放送網成立過程における米国反共政策の影響

    2004年  

     概要を見る

    研究成果の概要1.合衆国公文書館(カレッジ・パーク)、カール・ムント記念図書館、ハーバート・フーバー大統領図書館、ヒストリー・サンノゼからアーカイヴ資料を取り寄せ、分析した。2.フーバー大統領図書館、ヒストリー・サンノゼ、日系アメリカ人記念館を訪ね、関連資料を収集した。その結果次の知見が得られた。1)日本テレビ放送網の着想を得たとされる皆川芳蔵とラジオの父リー・ドゥフォレストの接点はアーカイヴ資料からは確認されなかった。2)日本テレビ放送網の設立は、アメリカが外交・情報政策の一環と位置づけられ、国務省などの政府機関、上院外交委員会、ジャパン・ロービーなどの民間団体、RCA、フィリップス、フィルコなどのテレビ・通信産業などが関わっていたことがわかった。3)日本テレビ放送網は、合衆国が計画する世界統一基準による新米イデオロギー宣伝テレビ放送網の一部として、現在のような東京一局ではなく、日本各地に直営局を持つ放送網として計画された。4)日本に対する再軍備の圧力が強まるにつれてレーダーやマイクロ高速通信回線などを含む多重軍事通信としての性格を帯びていったが、このために政府上層部にかえって警戒され、これを支援していた吉田政権の終焉とともに1954年12月国会で葬り去られた。以上の成果を踏まえてさらに研究を進めていく。

  • 草創期の日本のテレビ放送関係者の証言収集

    2003年  

     概要を見る

    草創期の日本のテレビ放送関係者のうち以下の証言者に日本とアメリカ合衆国でインタヴューを行い、かつそれをオーディオテープとヴィデープに収録した。初年度 TBS大山勝美、NHK土居原作郎、日本テレビ池田義郎ほか計7名2年目 旧GHQ,民間情報局員、クリントン・ファイスナー、フランク馬場、ヴィクター・ハウギー初年度では日本のテレビ番組制作を知る上で有用な証言が得られた。2年目では日本のテレビ放送成立にかかわる新事実の発見があった。2年目の成果については早稲田大学社会科学研究科『ソシオサイエンス』に「カール・ムントと日本のテレビ放送」として発表している。

  • マルチメディアによる人文科学研究・教育のパラダイムシフトの日米比較研究

    2000年  

     概要を見る

      「マルチメディアがもたらす文学・文化研究のパラダイムシフト」(平成9年―10年度文部省科学研究費補助金<萌芽的研究>)研究成果を踏まえ、早稲田大学特定課題研究助成費(平成11年度―12年度)を受けて「マルチメディアによる人文科学・教育のパラダイムシフト」の研究に取り組んだ。調査対象と方法は次の通りである。調査対象 『コンテキスチュアルメディア』(一九九三年マサチューセッツ工科大学出版)にコンピューターを用いた人文科学研究の論文を発表した米・加の研究者(八名)と「人文科学とコンピュータ」(平成8-10年文部省科学研究費補助金<重点領域>)で研究助成を受けた研究者(八名)。方法   調査対象に電子メールと面接調査によって、1)どのような研究・教育を行っているか、2)それが以前とはどのように変ったか、3)コンピューター、ないしはデジタル機器に対する観念が変ったか、ということを質問した。 結果   1)の質問からコンピュータ、とくにインターネットを研究・教育に活用するようになったことがわかった。とくに、以前は文字テキスト中心だったものがグラフィックなものを多様するようになった。とくに研究発表や授業で「パワーポイント」などのプレゼンテーション用のソフトが使われるようになったことが大きい。     2)では、前回の調査のときよりも、コンピュータを使うことによって研究の 枠組みそのものが変ったと考える研究者が増えたことがわかった。とくに、以前はコンピュータは、それまでしていたことを早く、便利にできるようにしただけだと思っている研究者が、コンピュータによって研究対象、方法、発表の仕方が変った、つまり研究の枠組みが変ったと見方を変えるようになった。     3)の質問からは、これまでの研究者が、コンピュータを記録装置、データ処理装置、ワードプロセッサーと考えていたのが、メディア、つまりコミュニケーションの道具としての位置付けが強くなった。これは、前回の調査以降、インターネットの普及が進み、かつその使用も試用のレベルではなく実用のレベルに向かったためと見られる。

▼全件表示