HASE, Masato

写真a

Affiliation

Faculty of Letters, Arts and Sciences, School of Culture, Media and Society

Job title

Professor

Concurrent Post 【 display / non-display

  • Faculty of Commerce   School of Commerce

  • Faculty of Letters, Arts and Sciences   Graduate School of Letters, Arts and Sciences

  • Affiliated organization   Global Education Center

Education 【 display / non-display

  •  
    -
    1986

    Osaka University   Graduate School, Division of Human Science   sociology  

  •  
    -
    1986

    Osaka University   Graduate School, Division of Human Science   sociology  

  •  
    -
    1983

    Waseda University   Faculty of Literature   社会学専攻  

Degree 【 display / non-display

  • 修士

Professional Memberships 【 display / non-display

  •  
     
     

    日本社会学会

  •  
     
     

    日本映像学会

 

Research Areas 【 display / non-display

  • Sociology

Research Interests 【 display / non-display

  • 社会学(含社会福祉関係)

Papers 【 display / non-display

  • 「幼年期」の映画、あるいは記号化する日常と「身体」──極私的大林宣彦論

    長谷正人

    ユリイカ 総特集大林宣彦1939-2020   52 ( 10 ) 93 - 103  2020.08

  • 土着と記号の狭間で─前川修『イメージのヴァナキュラー ─写真論講義 実例編』を読んで

    長谷正人

    UP   49 ( 8 ) 44 - 48  2020.08

  • 津波映像と『アナ雪』─視覚文化における「音声化」の諸問題

    長谷正人

    群像   75 ( 6 ) 308 - 315  2020.06

  • 坪内祐三における「死にがい」の探求と連合赤軍─『一九七二」を読み直す

    長谷正人

    ユリイカ 総特集坪内祐三1958-2020   52 ( 5 ) 243 - 254  2020.04

  • 自己、写真、ファッション─アウラの凋落とファッション文化

    長谷正人

    Fasion Talks...   ( 10 ) 14 - 19  2019.12

display all >>

Books and Other Publications 【 display / non-display

  • ヴァナキュラー・モダニズムとしての映像文化

    長谷正人著

    東京大学出版会  2017.09

  • 作田啓一vs.見田宗介(第2章見田宗介における「相乗性」という限界─『近代日本の心情の歴史』を読み直す)

    奥村隆編( Part: Contributor)

    弘文堂  2016.11

  • Sociology of Visual-Imagery Media

    Masato Hase( Part: Edit)

    有斐閣  2016.10

  • ひとびとの精神史第7巻 終焉する昭和/1980年代(「宮崎駿─職人共同体というユートピア」担当)

    長谷正人, 杉田敦編( Part: Joint author)

    岩波書店  2016.02

  • 全訂新版 現代文化を学ぶ人のために(第7章映像文化の三つの位相─見ること、撮ること、撮られること)

    井上俊編

    世界思想社  2014.08

display all >>

Misc 【 display / non-display

  • 大量消費社会とパーソナル文化

    長谷正人

    世界思想   ( 42 ) 18 - 22  2015.04

  • アウラとしてのテレビジョン─1950年代のテレビ受容をめぐって

    長谷正人

    早稲田大学文学研究科紀要   60   21 - 35  2015.03

  • 「男・健さんどこへ行く」─任侠映画以降の高倉健

    長谷正人

    ユリイカ2月号   47 ( 2 ) 88 - 96  2015.02

  • 反=接吻映画としての『晩春』─占領政策と小津安二郎

    長谷正人

    ユリイカ11月臨時増刊号   45 ( 15 ) 175 - 187  2013.10

  • 「パーソナルな文化」としてのテレビドラマ─山田太一とサリンジャー

    長谷正人

    kAWADE夢ムック文藝別冊総特集山田太一     204 - 211  2013.05

display all >>

Research Projects 【 display / non-display

  • メディア文化における「孤独」の系譜

    Project Year :

    2018.04
    -
    2021.03
     

     View Summary

    2019年度は、下記のように全体会合を行った(第4回が3月末に予定されていたが、コロナ禍のために次年度に延期された)。第1回は7月20日(土)に長谷正人の報告で、小林康夫「大地論序説」(『表象の光学』所収、未来社、2003年)を取り上げて議論が行われ、第2回は9月28日(土)に増田展大の報告で「生命科学とメディア・アート」をテーマに議論が行われ、第3回は2020年1月11日(土)に菊池哲彦氏の報告で、Geoffrey Batchen,"vernacular photographies." In Each Wild Idea, 56-80. Cambridge: The MIT Press, 2002を取り上げて,それぞれ議論した。第1回では、アポロ宇宙船の飛行士たちが宇宙空間から地球を見た時の(ハイデガー的な大地から切り離された)神秘的な「孤独」体験が、パーソナル・コンピュータなど70年代以降のカウンターカルチャーの根底にあることが議論された。第2回では、そこから生まれた新しい生命思想と現代アートとの関係について議論した。この2回の会合で、メディア文化における「孤独」のありようを極限の形において議論し得たと私たちは考えたので、第3回はそうした近代的な「孤独」を浮かび上がらせるために、その正反対の「ヴァナキュラー」(土着的)な写真文化(農家の居間に掲げられる先祖の遺影など)について議論することにした。ヴァナキュラーな写真文化の一つの形として孤独の文化もあるはずだ。私たちの研究会は、社会学者と美学者の共同研究という形をとっている。「孤独」の文化を探究していくと、個人の「美学」の方向にたどり着くしかないので、「ヴァナキュラー」という概念を導入することで社会生活の「社会学」を導入し、改めてその接点を探る議論を展開していくことにした。メディア文化における「孤独」の探求を議論していくことの困難さに行き着いたため、議論の枠組みを「ヴァナキュラー」概念を導入することで作り直しているところである。またその最中に、コロナ禍で研究会が延期になったためやや最終年度の議論を急がなくてはならないと考えている。オンライン研究会の導入などによって、今年度は昨年度の研究枠組みの変更についてさらに議論を深めていきたい。もっとも、新しいキーワードとしての「ヴァナキュラー文化」は、参加研究者たちがこれまで押し進めてきた研究テーマなので、それほどの難しさもなく、議論に取り入れていけると思う。出版社(東京大学出版会)の編集者もすでに本研究に興味を示して参加しており、あと3年続けることができれば研究成果を出版できると考えている

  • Transformation of Media-Imagery Culture in Digialized Age

    Project Year :

    2015.04
    -
    2018.03
     

     View Summary

    Recently, a new vernacular visual culture using digital cameras and peripheral devices has been invented. People now record and preserve their daily life with pictures by ourselves and exchange that data with each other using The internet. This study investigated the change in relations between people and their culture while considering the cutting-edge visual theory of Tom Gunning and analyzing the vernacular visual culture using empirical sociological methods. In order to understand these changes, we considered not only traditional visual theory in terms of how people saw visual images but also the possibility of new visual studies having multiple viewpoints which included how we “take pictures /have pictures taken of us.

  • Comparative sociology of cinema censorship between Japan and United States before World War

     View Summary

    Censorship has been considered as the problem of the repression by the governmental power. However we must deal with this problem from the sociological point of view. Except in periods of national emergency, such as war time, authoritarian forms of censorship, exercised through the monopoly power of the State, have not been prominent features of twentieth-century liberal democracies. Rather self-regulation by the cinema industries was a usual form of film censorship. So censorship was exercised through complex social discourses.For example, Hase analyses the way a film "The Birth of a Nation" was criticized and labeled as racism movie and banned by some state governments in his paper, 'What is the social effect of fictional film? ". Before the regulation of screening by the public agency, this film was 'censored' by social discourses. And Kato analyses the form and content of black movies which have been produced outside Hollywood. Here it was decided by the way of reception by black people. This is, as it were, a censorship. So the problem of censorship must be analyzed as cultural politics

  • A Study on the Media History of Television Culture

     View Summary

    This project reconsidered the history of television as a media culture in Japan. Our keywords of analysis are ‘culture' and ‘media'. Television principally swung between these two poles. On the one hand it has provided many entertainment products-dramas and variety programs-as ‘culture'. On the others, it functions as the ‘media' which communicate a lot of events to audiences. As the satellite broadcast in Japan starts with a news of a President Kennedy assassination case, television broadcasts lively many events. In that case television doesn't provide cultural products but it only functions as a transparency mediaThis project analysis how the television has made its own history with two poles clashing mutually. In particular we focus on the television culture in 1970s. In 1980s as ‘'genki-ga-deru-terebi (encouraging television) 'shows it, the self-referential program is a mainstream of television culture. In 1960s as ‘yume-de-aimasyou-‘(shall we meet in the dream?) shows it, many programs are produced as cultural products. However in 1970s, though many television producers noticed a self referential character of televison, they can only make cultural products without any cynicism. We explored it not only with many contemporary documents-DVD, video, magazine, book-but through interviews of Tsuyuki Sigeru(a famous television announcer) and Yamada Taichi(a famous scenario writer)

  • TV drama and Postmodern Society

     View Summary

    I scrutinized many Yamada Taichi's(Japanese famous script writer) TV drama works(mainly made among 70's and 80's) and made clear that his works anticipated Japanese postmodern society and criticized it from the backward's point of view

display all >>

Specific Research 【 display / non-display

  • ドキュメンタリーバラエティー番組におけるリアリティ感覚の変容

    2001  

     View Summary

    ドキュメンタリー・バラエティ番組は、テレビというメディアを新しい段階へと押し進めつつある。これまでのテレビは「映画」のフィクション性に対する未練のようなものを持っていた。だから「ドラマ」が重要な地位を占めてきたわけだし、クイズ番組などのバラエティ番組やニュース番組からドキュメンタリー番組においても「台本」による構成が重要な役割を果たしてきた。しかしここに来てテレビというメディアは大きな変容を見せつつあるといえるだろう。いまやテレビにおいて中心的な役割を占めているのは、スポーツ中継や地震情報などの生放送による映像伝達番組である。つまりテレビはいま「フィクション」であるという見せかけを取り払って、ただの通信機械であるという本性をあらわにしつつあるのだ。しかしでは全てを生放送にするかというと、そのように単純な変化が起きているわけでもない。メディアであるということは、ただの単純な伝達ではなく(監視カメラ映像の生中継では視聴率はとれない)、必ず何らかの人為的な構成を伴って視聴者にメッセージを届けなければならない。あるいは事実として届いてしまうものだ。そこで情報バラエティ番組という奇怪な番組が成立することになる。かつてのワイドショーとも少し違って、芸能ネタもスポーツも政治・経済も全てが同じ「情報」として伝達されるような番組である。いわゆるニュースショーとワイドショーはほとんど区別がつかない同じこのジャンルを形成しつつある。 このようなテレビの動向をバラエティ番組において実践しつつあるのが、『ガチンコ』、『学校へ行こう』『鉄腕ダッシュ』『あいのり』などなどのドキュメンタリー・バラエティ番組といえるだろう。本研究においてはTBS系列の『ウンナンの気分はホントコ』という番組の1コーナーである『未来日記』に焦点をあてて分析した。われわれの分析によれば、この番組はテレビメディアが孕み持つ暴力性自体を主題にしたものである。まず素人の出演者たちは日記の指示に従うのだが、それは崖を100メートル登ったり、東京から軽井沢まで自転車で走らされたり、他の出演者を傷つけることを言わされたりといった酷い「暴力性」を帯びたものなのだ。この「暴力性」に苦しんだり、葛藤したりする出演者たちの姿に視聴者たちは否応なく自分の感覚を揺さぶられてしまう(ドラマに感動するのとは違う)。すると最後には製作者までもが、出演者の過剰な反応に感動して番組の方向性をますます暴力的なものに変えていく。それはとうとう元カップルを強引に復縁させるところまで行きつく。このような暴力性をメディアに振るわせることで、そのシステムに人々が従属していくのが『未来日記』をめぐる大衆文化現象だったといえよう。つまり人々はメディアにリアルな感覚を求めていったはてに「暴力」の問題に行きついたのだ。詳しくは下記報告書を参照されたい。

  • デジタル技術時代の映像文化に関する研究

    2011  

     View Summary

     デジタル映像時代の映像文化とは何か。私は、その問題を主としてテレビやインターネットの映像の現況を調査することによって明らかにした。ちょうど2011年3月11日には、東日本大震災が起きた。この震災とは何かをいま考えるときに、社会的に普及したパーソナルなデジタルメディアによる無数の津波映像を抜きにして考えることはできないだろう。私たちは津波から避難しようとする人々が、自からその逃げる途中でデジタルビデオカメラを回して捉えた、リアルな津波の映像を見たのだ。そこには、津波のザーッという音、木材が何かにぶつかって折れながら立てるメリメリっといった音、周囲から上がる悲鳴や叫び声などが収められていた。それは、客観的・俯瞰的な視点から見た津波ではなく、ごくパーソナルな視点から体験された見たことのないような迫力ある映像だった。 それは、デジタル技術時代の映像文化とは何かを教えてくれる、きわめてシンボリックな映像だったと思う。従来における事件や災害や出来事の体験は、一般性と個別性に分けることができた。今回でも基本的にはそうだ。個々の被災者にとっての津波体験は、それぞれにとって固有の避難所生活や津波の恐怖や肉親や知人の死であった。もしテレビジョンやネットが見られない状況であれば、助かった被災者は津波の全体像を知らずに、たいした津波ではなかったなと思うかもしれない。それに対して、マスメディアは客観的な映像で出来事を知らせる。911のツインタワーの映像のように、ビルへ飛行機が突っ込む瞬間を遠くから傍観するのが、一般性を持った出来事の映像だった。例えばヘリコプターから捉えた津波が畑を飲みこむ映像が今回の一般的津波映像だった。 しかし今回私たちはそれだけでなく、テレビの報道を通して、東北の様々な地域の人々が、それぞれにデジタルカメラで捉えたパーソナルな映像を、東日本大震災という抽象的な出来事の概念に沿って組み立てて、被害の全体をイメージするような新しい体験をした。それは、津波の個別的な体験をモザイク状に組み合わせて作られる一般的な津波イメージと言えるだろう。このようなパーソナルな映像が組み合わさって出来事の一般的なイメージを構築するのが、デジタル技術時代に映像文化の一つの特徴であろう。

  • 1930年代日本映画の歴史社会学的研究

    2000  

     View Summary

     1930年代の日本映画を象徴するものは、いわゆる「明朗時代劇」と呼ばれるような、稲垣浩、伊丹万作、山中貞雄らの新しい時代劇の運動だったと言えよう。20年代後半には伊藤大輔らの悲愴な反英雄的時代劇や傾向映画的な趣を持った作品が隆盛だったのに対して、30年代には小市民的で庶民的な明るい時代劇が流行ったわけである。この劇的とも言える変化には、「検閲」の問題が絡んでいると思われる。むろん公権力は百姓一揆に仮託して反権力のメッセージを持った傾向映画をずたずたに切り裂いた。映画作家たちにとって、そのような抑圧的状況は表現の障害になったに違いあるまい。しかしこのような権力による目に見える抑圧だけでなく、映画作家の表現方法にとってより内在的な「検閲」もあったのではないか。それはチャンバラという暴力シーンに対する「検閲」なのだ。だからたとえば伊丹は、それまでの時代劇を「殺人映画」と呼んで批判しているし、稲垣はチャンバラは時代劇にとって盲腸のようなものだと否定している。つまり彼らは、それまでの時代劇がヒーローのアクションを売りにする「視覚性」の強い芸術だったのを否定して、セリフと人間心理を中心としたドラマへと変更させようとしたのである。したがって「傾向映画」から「明朗時代劇」への流れはたんに映画の「保守化」とだけ捉えられるべきものではない。たとえば「傾向映画」は強い視覚的効果によって観客をコントロールしようとした。メッセージとしては左翼的だったとしても、観客を統制したい欲望が孕まれているという意味では、それは全体主義的だったのではないか。したがって「明朗時代劇」は、20年代と40年代に挟まれて、観客をメディアによってコントロールしたいという欲望を宙づりしてみせた貴重な試みだったとも言えるのだ。むろんその試みは、40年代になって全体主義によって簡単に圧倒されてしまったとはいえ、そこにあった政治的可能性についてさらに考える必要があるだろう。

  • テレビ・メディアへの文化論的アプローチ

    2006  

     View Summary

    現代社会は、テレビ・メディアの作り出すイメージに覆われている。2006年の不二家問題で彼らの衛生管理の不備を嘆いた人間は、誰一人として不二家のケーキをまずいと思ったり、不二家のケーキでお腹を壊したりしたような具体的経験を持ったわけではないだろう。自らの生活のなかで具体的に困ってもいないことを、メディア空間の情報を通して「けしからん」と道徳的に語ることほど、抽象的で空疎な事態はないのではないか。しかし間違いなく、そのような空疎なメディア空間によって私たちの現在の生活は作られている。このようなシミュラークルとしてのテレビ生活空間が成立しはじめたのが1970年代である。だからこそ、この時代のテレビ(製作者も視聴者も出演書も)がいかなる変容を起こしてシミュラークル化したかを見直さなければならないのだ。60年代まではアメリカのテレビドラマなどを通して、自分たちの生活の外を夢を見るメディアであったはずのテレビが、70年代になると自分たちの日常生活それ自体を夢として作り変えるような倒錯的な作業を行うようになる。たとえば脚本家・山田太一によるドラマ『岸辺のアルバム』という傑作では、変態的ないたずら電話を通して主婦・八千草薫は、未知の男、竹脇無我との不倫の世界へといざなわれていく。そこには一軒家で孤独に送る日常生活労働の反復退屈さを否定し、逆に生活をファンタジー化しようとする彼女の欲望が渦まいていただろう。そして事実私たちは山田太一の予言した道を通って日常生活を抽象的なファンタジー空間(シミュラークル)にしてしまった。そのとき私たちはそこで「退屈な日常生活」を失ってしまったのではないか。退屈という贅沢の喪失。いつも面白いことが起きてないといけないという強迫的観念。テレビメディアを分析することは、この閉塞空間を打ち破って、「退屈な日常生活」を思い出すことでなければなるまい。

  • デジタル化時代における映像文化の日常的変容

    2014  

     View Summary

     本研究の目的は、映像テクノロジーの出現が人間の社会生活をいかに文化的に変容させたかを多角的に明らかにすることである。従来の映像文化研究や映像メディア研究は、写真、映画、テレビの諸作品をメディウムごとに分析するか、それらがいかに社会を表象しているかを分析するものが多かった。  しかしデジタルカメラやその周辺機器の出現と普及は、映像文化と人間との関係を根本的に変化させ、社会のなかに、日常生活を自ら映像で記録し、保存し、インターネットを通して交換しあうといった、新しいパーソナルな映像文化を生じさせつつある。 従って映像文化の分析は、人間がいかに映像を「見る」のかという従来の問題だけでなく、いかに映像を自ら「撮る/撮られる」のかをも分析の対象に加えなければならないだろう。本研究はそうした新しい映像研究を社会学的に展開していくための、基礎的な理論研究と現状の分析を目指して行われ、本年度はとくに基礎研究にウェイトを置いて、トムガニングの「動き」をめぐる研究と、ハンセンのベンヤミン論を中心に検討した。

Overseas Activities 【 display / non-display

  • 映像文化の比較社会学的研究

    2007.04
    -
    2008.03

    アメリカ   なし

 

Syllabus 【 display / non-display

display all >>

 

Committee Memberships 【 display / non-display

  • 2006
    -
    2011

    日本映像学会  機関誌『映像学』編集委員

  • 2006
    -
    2009

    日本社会学会  研究活動委員