Updated on 2024/12/26

Affiliation
Faculty of Letters, Arts and Sciences, School of Culture, Media and Society
Job title
Professor
Degree
修士
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Education Background

  •  
    -
    1986

    Osaka University   Graduate School, Division of Human Science   sociology  

  •  
    -
    1983

    Waseda University   Faculty of Literature  

Committee Memberships

  • 2006
    -
    2011

    日本映像学会  機関誌『映像学』編集委員

  • 2006
    -
    2009

    日本社会学会  研究活動委員

Professional Memberships

  •  
     
     

    日本映像学会

  •  
     
     

    日本社会学会

Research Areas

  • Sociology

Research Interests

  • 社会学(含社会福祉関係)

 

Papers

  • シミュレーションとしての山田太一ドラマ

    長谷正人

    ユリイカ(2024年4月号 特集:山田太一)   56 ( 5 ) 186 - 193  2024.04

  • ヴァナキュラー・モダニズムとしてのクレイジーキャッツ

    長谷正人

    ユリイカ(2024年2月号 特集クレイジーキャッツの時代)   56 ( 2 ) 77 - 83  2024.02

  • 労働としての映画─『勝手に逃げろ/人生』におけるゴダールの転回をめぐって

    長谷正人

    ユリイカ(2023年1月臨時増刊号 総特集◎ジャン=リュック・ゴダール─1930-2022)   55 ( 2 ) 519 - 525  2022.12

  • 「幼年期」の映画、あるいは記号化する日常と「身体」──極私的大林宣彦論

    長谷正人

    ユリイカ 総特集大林宣彦1939-2020   52 ( 10 ) 93 - 103  2020.08

  • 津波映像と『アナ雪』─視覚文化における「音声化」の諸問題

    長谷正人

    群像   75 ( 6 ) 308 - 315  2020.06

  • 坪内祐三における「死にがい」の探求と連合赤軍─『一九七二」を読み直す

    長谷正人

    ユリイカ 総特集坪内祐三1958-2020   52 ( 5 ) 243 - 254  2020.04

  • 自己、写真、ファッション─アウラの凋落とファッション文化

    長谷正人

    Fasion Talks...   ( 10 ) 14 - 19  2019.12

  • 複製技術時代における思考の可能性─ベンヤミンの複製芸術論を読み直す

    長谷正人

    早稲田大学大学院文学研究科紀要   64   805 - 820  2019.03

  • 「社会実験」としての映画─『ハッピーアワー』について考える

    長谷正人

    ユリイカ2018年9月号(特集 濱口竜介)   50 ( 12 ) 268 - 275  2018.09

  • 聡明な作家、是枝裕和

    長谷正人

    KAWADE夢ムック文藝別冊是枝裕和     124 - 128  2017.09

  • 鈴木清順における「純粋な運動」と歴史という不純

    長谷正人

    ユリイカ   49 ( 8 ) 88 - 96  2017.05

    CiNii

  • Nikkatsu Romantic Porn:on shame of pornographic film

    Masato Hase

    EIGAGAKU(Film Studies)   ( 30 ) 80 - 86  2017.02

    CiNii

  • アマチュアリズムと放送の民主主義

    長谷正人

    ユリイカ   48 ( 14 ) 125 - 134  2016.10

    CiNii

  • 人間原節子 そのエロスの源泉

    長谷 正人

    ユリイカ   48 ( 3 ) 90 - 99  2016.02

    CiNii

  • テレビジョン、生活革命、子どもの民主主義

    長谷正人

    月刊民放   45 ( 8 ) 12 - 15  2015.08

    CiNii

  • アウラとしてのテレビジョン─1950年代のテレビ受容をめぐって

    長谷正人

    早稲田大学文学研究科紀要   60   21 - 35  2015.03

    CiNii

  • 反=接吻映画としての『晩春』─占領政策と小津安二郎

    長谷正人

    ユリイカ11月臨時増刊号   45 ( 15 ) 175 - 187  2013.10

  • お茶の間に仕掛けたメディア的“罠”

    長谷正人

    寺山修司の迷宮世界(洋泉社MOOK)     80 - 83  2013.05

  • 「パーソナルな文化」としてのテレビドラマ─山田太一とサリンジャー

    長谷正人

    kAWADE夢ムック文藝別冊総特集山田太一     204 - 211  2013.05

  • ドラマご馳走主義の作家

    長谷正人

    文藝別冊 木皿泉 物語る夫婦の脚本と小説(河出書房新社)     133 - 139  2013.04

  • Why Media Exist?(A Study of Media Culture: Issues and Perspectives)

    HASE Masato

    Journal of mass communication studies   78 ( 78 ) 3 - 18  2011.01

     View Summary

    There are two sides of mass communication, one is for the side for journalism and the other is for the side of media. Mass communication as journalism consists the discipline of democracy at society. Also mass communication has a role of deliver the information about politics, crimes, and economics correctly. On the other hand, mass communication has the side of incantation. Common people are willing to enjoy criminal and political reports as much as fictions and dramas. To respond to such desire, popular culture of 20^<th> century has also developed. However, such a media culture as an amusement has held a lower position of gossips and rumors in the field of mass communication study. From now on, media culture has to be analyzed as a main focus of mass communication. Media exits not only for the justice but for the joy of living.

    DOI CiNii

  • 社会学という不自由

    長谷正人

    思想地図   ( 5 ) 131 - 147  2010.03

  • ジオラマ化する世界2(『父親たちの星条旗、あるいはジオラマの内と外)

    長谷正人

    写真空間   ( 2 ) 169 - 179  2008.09

  • ビートたけし(21世紀の冒険者48)

    長谷正人

    daiaries(ダイアリーズ)   ( 1 ) 108  2008.08

  • ジオラマ化する世界 1(カール・エイクリー/杉本博司の生態ジオラマ)

    長谷正人

    写真空間/青弓社   ( 1 ) 215 - 224  2008.03

  • 分野別研究動向(文化)──「ポストモダンの社会学」から「責任と正義の社会学」へ──

    長谷正人

    社会学評論 (日本社会学会)   57 ( 3 ) 615 - 633  2006.12

  • 創造とは何か?──フーコー、キアロスタミ、デリダ

    長谷正人

    Mobile Society Review(未来心理)/モバイル社会研究所   ( 8 ) 4 - 11  2006.12

  • テレビはジャーナリズム論では語れない(書評ヒューマイルズ『アルジャジーラ 報道の戦争』光文社)

    長谷正人

    d/sign(デザイン)/太田出版   ( 12 ) 146 - 147  2006.03

  • 文化の社会学の窮状/可能性

    長谷正人

    年報社会学論集(関東社会学会)   ( 18 ) 16 - 27  2005.08

    CiNii

  • 写真、バルト、時間:『明るい部屋』を読み直す

    長谷正人

    d/sign(デザイン)/太田出版   ( 10 ) 99 - 103  2005.04

  • 映画、小津、時間(3)

    長谷正人

    UP/東京大学出版会   ( 388 ) 38 - 42  2005.02

  • アニメーションという思想ー宮崎駿試論

    長谷正人

    早稲田大学大学院文学研究科紀要   第50輯第1分冊   83 - 96  2005.02

  • 映画、小津、時間(2)

    長谷正人

    UP/東京大学出版会   ( 387 ) 46 - 50  2005.01

  • 映画、小津、時間(1)

    長谷正人

    UP/東京大学出版会   33 ( 386 ) 48 - 52  2004.12

    CiNii

  • 心霊写真は語る/(第2章「ヴァナキュラー・モダニズムとしての心霊写真」)

    一柳廣孝編

    青弓社     63 - 87  2004.08

  • 日本映画とナショナリズム1931-1945/(第10章「日本映画と全体主義:津村秀夫の映画批評をめぐって」)

    岩本憲児編

    森話社    2004.06

  • アフォーダンス理論のパフォーマンス

    長谷正人

    d/sign(デザイン)/太田出版   ( 7 ) 76 - 78  2004.05

  • 「痕跡」と「指差し」─写真の訳の分からなさをめぐって

    長谷正人

    木野評論/青幻社   ( 35 )  2004.03

  • 現代若者考⑧ 若者の寂しさ

    長谷正人

    カルチャーちば/千葉市文化振興財団   ( 45 )  2004.02

  • 映画にとって細部とは何か;リュミエールと宮崎駿をめぐって

    長谷正人

    d/sign(デザイン)/太田出版   ( 6 ) 91 - 94  2004.02

  • レイアウトとしての映画;時間的想像力の可能性をめぐって

    長谷正人

    d/sign(デザイン)/太田出版   ( 5 ) 106 - 109  2003.10

  • intermedia——メディアと芸術の相関を思考する (第1巻5章「記憶と忘却の経験としての映画」)

    早稲田大学メディアデザイン研究室, 映像コミュニケーション研究所

    トランスアート社    2003.10

  • 複製というアウラ;ベンヤミン、笠智衆、グールド

    長谷正人

    d/sign(デザイン)/太田出版   no.4   68 - 73  2003.05

  • テレビ世界の生態学的観察者;ナンシー関の倫理をめぐって

    長谷正人

    トリビュート特集 ナンシー関/河出書房新社    2003.03

  • テレビ出演という謎:『未来日記』試論

    長谷正人

    現代風俗学研究/社団法人現代風俗研究会東京の会   ( 9 ) 20 - 25  2003.03

  • 夢としての資本主義──ハリウッド映画の魅力とは何だったのか

    長谷正人

    早稲田学報    2003.03

  • 二0世紀の映像文化:「エジソン的回帰」をめぐって

    長谷正人

    映画学/映画学研究会(早稲田大学文学部演劇映像研究室内)   ( 16 )  2002.12

  • 文化社会学の社会学的責任とは何か

    長谷正人

    TASC MONTHLY   ( 317 ) 4 - 9  2002.05

    CiNii

  • 「文化」のパースペクティヴと日本社会学のポストモダン的変容

    長谷正人

    文化と社会/マルジュ社   ( 3 )  2002.04

  • 映像の社会学・再考:黒澤明の『羅生門」をめぐって

    長谷正人

    社会学年誌(早稲田社会学会)   ( 43 ) 5 - 22  2002.03

    CiNii

  • 運動雑記帳1-14

    長谷正人

    ATHRA(毎日コミュニケーションズ)   10号から25号まで連載  2002.02

  • 現代若者考⑥ストリート・ミュージシャン

    長谷正人

    カルチャーちば/千葉市文化振興財団   ( 43 ) 58 - 59  2001.12

  • カメラの存在論

    長谷正人

    「写真の会」会報   ( 50 ) 2 - 10  2001.09

  • 物語、あるいは映画の柔らかい肌

    長谷正人

    物語の風俗(現代風俗研究会年報)/河出書房新社   ( 23 ) 114 - 125  2001.09

  • フィクション映画の「社会性」とは何か:D.W.グリフィスの『国民の創生』をめぐって

    長谷正人

    社会学年誌(早稲田社会学会)   ( 42 ) 131 - 146  2001.03

    CiNii

  • 映画の政治学・再考;『国民の創世』の受容をめぐって

    長谷正人

    立教アメリカン・スタディーズ(立教大学アメリカ研究所)   23 ( 23 ) 85 - 106  2001.03

    DOI CiNii

  • 現代若者考⑤メル友

    長谷正人

    カルチャーちば/千葉市文化振興財団   ( 42 ) 46 - 47  2001.01

  • <観客>のゆくえ(森直人編『21世紀/シネマX』)

    長谷正人

    フィルムアート社     130 - 133  2000.12

  • チーム・プレイのドキュメント(ハワードホークス論)

    長谷正人

    月蛙(子供社)   ( 2 ) 85 - 91  2000.04

  • 現代若者考④ケータイ

    長谷正人

    カルチャーちば/千葉市文化振興財団   ( 41 ) 98 - 99  2000.03

  • 日本映画と全体主義:津村秀夫をめぐって

    長谷正人

    映像学/日本映像学会   ( 63 )  1999.12  [Refereed]

  • テクノロジーの経験としての映画:戦争、全体主義、そして生命のリズム

    長谷正人

    月蛙/子供社   ( 1 ) 80 - 93  1999.10

  • 映画哲学1〜10

    長谷正人

    ロゴスドン/ヌース出版会   33号から42号まで連載  1999.07

  • 社会福祉辞典(「遊び」「ダブルバインド」「無意識」など10項目を執筆)

    庄司洋子, 木下, 康仁, 武川, 正吾, 村正之

    弘文堂    1999.05

  • 現代若者考③コンビニ

    長谷正人

    カルチャーちば/千葉市文化振興財団   ( 40 ) 98 - 99  1999.03

  • The Origins of Censorship:Police and Motion Pictures in the Tisho period(「検閲の誕生」の英訳)

    Hase Masato

    Review of Japanese Culture and Society/城西国際大学   ( 10 ) 14 - 23  1998.12

  • 亜細亜 映画 研究; 歴史 美学 正体性 産業(The Identity of Japanese Cinemaを執筆)

    韓国映画学会編

    Good Living(Korea)     273 - 288  1998.11

  • リュミエール兄弟のアルケオロジー

    長谷正人

    CineMagaziNet!(http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/NO2/Default2.htm)   ( 2 )  1998.06

  • Cinemaphobia in Taisho Japan :Zigomar,Delinquent Boys and Somnambulism

    Masato Hase

    ICONICS   ( 4 ) 87 - 101  1998.03  [Refereed]

  • 現代若者考②カラオケ

    長谷正人

    カルチャーちば/千葉市文化振興財団   ( 39 ) 82 - 83  1998.03

  • 映画観客の「笑い」について

    長谷正人

    現代風俗学研究   ( 4 ) 74 - 76  1998.03

  • 現代若者考①プリクラ

    長谷正人

    カルチャーちば/千葉市文化振興財団   ( 38 ) 82 - 83  1997.09

  • 学問の世界地図〔文化の社会学〕 文化=意味づけの体系をひっくり返す魅力

    長谷正人

    別冊宝島『学問の鉄人 大学教授ランキング』   ( 322 ) 120 - 121  1997.07

  • 現実性のスペクタクルとドキュメンタリー映画

    エリザベス・カウイ

    Documentary Box(山形国際ドキュメンタリー映画祭事務局)   ( 10 ) 1 - 8  1997.06

  • リュミエールの考古学

    長谷正人

    映像学(日本映像学会)   55号  1996.11  [Refereed]

  • 映像のオントロギー(1)-(40)

    長谷正人

    Internet photo Magazine(http://www.ipm.jp/ipmj/back.html)に毎月連載    1996.08

  • メディアとしての映画館

    長谷正人

    現代風俗学研究/社団法人現代風俗研究会東京の会   ( 2 )  1996.04

  • 検閲の誕生─大正期の警察と活動写真

    長谷正人

    映像学(日本映像学会)   ( 53 ) p124 - 138  1994.11  [Refereed]

    CiNii

  • 第二次世界大戦下のアメリカ映画と映画の情報メディア化;『われらなぜ戦うか』をめぐって

    長谷正人

    平成5 年度科学研究費補助金( 総合研究A) 研究成果報告書『芸術表現におけるイデオロギー;全体主義と文化』     41 - 54  1994.03

  • ヴァーチャルじいさん笠智衆

    長谷正人

    imago(イマーゴ)/青土社   5 ( 10 ) 187  1994.01

  • フーコー・ドゥルーズ・ユーモア

    長谷正人

    ブリーフサイコセラピー研究/亀田書店   ( 2 )  1993.07

  • 書評 井上俊『悪夢の選択』

    長谷正人

    ソシオロジ(社会学研究会)   38 ( 1 ) 79 - 86  1993.05

    DOI CiNii

  • 『主体』のパラドックスと『遅れ』の意識・・・近代の時間意識をめぐる一考察

    長谷正人

    ソシオロジ(社会学研究会)   37 ( 3 ) 3 - 12  1993.02

     View Summary

    On the ideal of the modern society the individual must be the subject. But this ideal conceives a paradox in itself. For the one who is trying to be a subject isn't a subject yet. The subject as the ideal makes itself impossible. Modern subjects are aware of this fact. They always suspect that they aren't subject yet and that they are behind the subject. So they try to make up for this delay. This is the motive force of a modern subject's forward movement.<br> We think this consciousness of delay is the modern society's time consciousness.The modern society aims at the future and is progressing incessantly. So, if we are going to overcome the modern, we must overcome this consciousness. To put it in another way, we must overcome the subject as the modern ideal.<br> This problem is not only for individuals but for nation-states. The nation-state is also the subject which is trying to be a subject. So we'll think of this problem as the nation-state's one.<br> Generally speaking, eastern nation-states are compelled to be conscious of delay, because they are far in the rear of western nations and, in addition to this, because they can become the subject (nation-states) only by means of resistance to the western's invasion. But according to Yoshimi Takeuchi's thesis ('What is modernity?'), western nation-states also have the consciousness of delay. Why can we think so? Because western nation-states couldn't be conceived of their subjectivity and progress without conquering the eastern and confirming the eastern's delay. Historically, the western's invasion of the eastern tells us that the western nation-states suspect they aren't subject yet.<br> How can we escape these paradoxes of the subject? Takeuchi proposes dual strategies from the eastern's point of view. First, they must be resistant to the western's invasion. Second, they must be resistant to the eastern's subjectification.Anyway, we must deconstruct the subject.

    DOI CiNii

  • 視姦された映画とマゾヒズムのまなざし・・・バルト/ ドゥルーズの映画鑑賞

    長谷正人

    imago(イマーゴ)/青土社   3 ( 12 ) 188 - 196  1992.10

  • ユートピア世界としての「男はつらいよ」

    長谷正人

    『男はつらいよ 寅次郎の告白』劇場用パンフレット    1991.12

  • 言語行為論、現実構成主義、家族療法

    長谷正人

    現代のエスプリ(至文堂)   ( 287 ) 41 - 48  1991.06

  • 行為の意図せざる結果 (2)

    長谷正人

    千葉大学教養部研究報告   ( A-22 ) 173 - 202  1990.03

  • ダブル・バインドへのシステム論的アプローチ

    長谷正人

    社会学評論(日本社会学会)   40 ( 3 ) 310 - 324  1989.12  [Refereed]

  • 行為の意図せざる結果 (1)

    長谷正人

    千葉大学教養部研究報告   ( A-21 ) 107 - 135  1989.03

  • 書評 作田啓一・井上俊編『命題コレクション・社会学』

    長谷正人

    ソシオロジ   32 ( 1 ) 98 - 101  1987.05

  • <死> の象徴論的考察

    長谷正人

    年報人間科学(大阪大学人間科学部)   8 ( 8 ) 97 - 112  1987.03

    DOI CiNii

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Books and Other Publications

  • 村上春樹 映画の旅

    長谷正人( Part: Contributor, サブカルチャーとしての村上春樹と自主映画)

    フィルムアート社  2022.10 ISBN: 4845921367

    ASIN

  • After the Spectacle The Concept Book forYebisu Interenational Festival for Art and Alternative Vision2022

    HASE MASATO( Part: Contributor, Visual Culture and the Spectacle)

    Tokyo Phptographic Art Museum  2022.02

  • X線と映画 医療映画の視覚文化史 (視覚文化叢書 8)

    望月 由紀( Part: Supervisor (editorial))

    青弓社  2021.12 ISBN: 4787274430

    ASIN

  • 映像が動き出すとき――写真・映画・アニメーションのアルケオロジー

    長谷正人( Part: Edit)

    みすず書房  2021.11 ISBN: 4622090546

    ASIN

  • 映画論の冒険者たち

    堀, 潤之, 木原, 圭翔( Part: Contributor, 「蓮實重彦」の項(122-133頁))

    東京大学出版会  2021.10 ISBN: 4130830821

    ASIN

  • ヴァナキュラー・モダニズムとしての映像文化

    長谷 正人( Part: Sole author)

    東京大学出版会  2017.09 ISBN: 4130033808

    ASIN

  • 作田啓一vs.見田宗介(第2章見田宗介における「相乗性」という限界─『近代日本の心情の歴史』を読み直す)

    奥村隆編( Part: Contributor)

    弘文堂  2016.11

  • 映像文化の社会学

    長谷, 正人( Part: Edit)

    有斐閣  2016.10 ISBN: 4641174245

    ASIN

  • ひとびとの精神史第7巻 終焉する昭和/1980年代(「宮崎駿─職人共同体というユートピア」担当)

    長谷正人, 杉田敦編( Part: Joint author)

    岩波書店  2016.02

  • 全訂新版 現代文化を学ぶ人のために(第7章映像文化の三つの位相─見ること、撮ること、撮られること)

    井上俊編

    世界思想社  2014.08

  • クイズ化するテレビ (青弓社ライブラリー)

    黄 菊英, 太田 省一, 長谷 正人( Part: Joint author)

    青弓社  2014.07 ISBN: 4787233769

    ASIN

  • 敗者たちの想像力――脚本家 山田太一

    長谷 正人( Part: Sole author)

    岩波書店  2012.07 ISBN: 4000244671

    ASIN

  • 横断する映画と文学(「第8章長谷川伸と股旅映画─映画を見ることと暮らしの倫理性をめぐって」を執筆)

    十重田裕一編

    森話社  2011.07

  • 社会学ベーシックス別巻 社会学的思考(第13章物語と社会学的想像力 厚東洋輔『社会認識と想像力』)

    井上俊, 伊藤公雄編

    世界思想社  2011.05

  • 映画というテクノロジー経験 (視覚文化叢書)

    長谷 正人( Part: Sole author)

    青弓社  2010.11 ISBN: 4787272942

    ASIN

  • 文化社会学入門:テーマとツール

    井上, 俊, 長谷, 正人( Part: Joint editor)

    ミネルヴァ書房  2010.10 ISBN: 4623058247

    ASIN

  • 『日本映画は生きている 第3巻観る人、作る人、掛ける人』(「日本映画のポストモダン」を執筆)

    黒沢清, 四方田犬彦, 吉見俊哉, 李鳳宇編

    岩波書店  2010.09

  • 大衆文化とメディア(叢書 現代のメディアとジャーナリズム4)

    吉見俊哉, 土屋礼子編, 第, 章 大正期日本における映画恐怖症─ジゴマ, 夢遊病, ごっこ遊び

    ミネルヴァ書房  2010.08

  • コミュニケーションの社会学 (有斐閣アルマ)

    長谷, 正人, 奥村, 隆( Part: Joint editor)

    有斐閣  2009.12 ISBN: 4641123926

    ASIN

  • 社会学ベーシックス7 ポピュラー文化(第3章ポピュラー文化の神話学、バルト『現代社会の神話』を執筆)

    井上俊, 伊藤公雄編

    世界思想社  2009.05

  • よくわかるメディア・スタディーズ

    伊藤守編

    ミネルヴァ書房  2009.03

  • 『新たな地平を拓く研究者たち』(「オウムと震災後のメディア社会の中で息苦しさを超えて」)

    日経BP企画, 大学取材班

    日経BP  2008.12

  • 社会学ベーシック1 自己・他者・関係(23章「メタ・コミュニケーション(ベイトソン『精神の生態学』)を執筆)

    井上俊, 伊藤公雄編

    世界思想社  2008.09

  • 『明るい部屋』の秘密─ロラン・バルトと写真の彼方へ(「写真、バルト、時間」を再録)

    青弓社編集部

    青弓社  2008.08

  • テレビだョ!全員集合―自作自演の1970年代

    長谷 正人, 太田, 省一( Part: Joint editor)

    青弓社  2007.11 ISBN: 4787232800

    ASIN

  • 女優 山口百恵(第2章 「『赤い』シリーズ──百恵神話の成立」を執筆)

    四方田犬彦

    ワイズ出版  2006.07

  • 私の愛した地球博(コラム「大阪万博の記憶から愛知万博を考える」を執筆)

    加藤晴明, 岡田朋之, 小川明子

    リベルタ出版  2006.07

  • 世界と僕たちの、未来のために 森達也対談集 (鼎談「われわれはいまだに<オウム事件>の渦中にいる」の再録)

    森達也

    作品社  2006.01

  • 自己と他者の社会学(第10章「ヴァーチャルな他者とのかかわり」を執筆)

    井上俊, 船津衛

    有斐閣  2005.12

  • 社会文化理論ガイドブック(執筆項目は「アウラの凋落」と「物語批判」)

    大村英昭, 宮原浩二郎, 名部圭一

    ナカニシヤ出版  2005.06

  • 心霊写真は語る/(第2章「ヴァナキュラー・モダニズムとしての心霊写真」)

    一柳廣孝

    青弓社  2004.08

  • 日本映画とナショナリズム1931-1945/(第10章「日本映画と全体主義:津村秀夫の映画批評をめぐって」)

    岩本憲児編

    森話社  2004.06

  • 映画の政治学

    長谷 正人, 中村 秀之( Part: Joint editor)

    青弓社  2003.09 ISBN: 4787232207

    ASIN

  • 電子メディア文化の深層/伊藤守・小林宏一・正村俊之編(第2章「20世紀の映像文化とメロドラマ的想像力」)

    早稲田大学出版  2003.09

  • 情報化と文化変容(「『絶対速度』の移動体験──情報化社会の映画をめぐって」を執筆)

    正村俊之編

    ミネルヴァ書房  2003.09

  • Cinema and Modernity

    ( Part: Joint editor)

    2003.06 ISBN: 4130802038

    ASIN

  • 文化社会学への招待(第一章「遊び」をめぐる「離脱」と「拘束」;『丹下左膳余話・百万両の壷』をめぐって)

    富永茂樹他編

    世界思想社  2002.05

  • 映像という神秘と快楽―“世界”と触れ合うためのレッスン

    長谷 正人( Part: Sole author)

    以文社  2000.12 ISBN: 4753102149

    ASIN

  • 臨床社会学を学ぶ人のために(「セルフヘルプグループの調査実習から:「個別的な苦しみ」をめぐる社会学の可能性」)

    大村英昭編

    世界思想社  2000.10

  • 新版・現代文化を学ぶ人のために(第7章「映像化社会の成立と映画の変容」を執筆)

    井上俊

    世界思想社  1998.11

  • 現代社会学 第8巻 文学と芸術の社会学(「overview 文学と芸術の社会学」を執筆)

    井上俊, 上野千鶴子, 大澤真幸, 見田宗介, 吉見俊哉編

    岩波書店  1996.09

  • 社会学のすすめ (第2章「遊戯としてのコミュニケーション」を執筆)

    大澤真幸

    筑摩書房  1996.05

  • 組織とネットワークの理論(『モグラとヘビ・・管理社会の歩き方』を執筆)

    宮本孝二, 森下伸也, 君塚大学編

    新曜社  1994.04

  • 悪循環の現象学―「行為の意図せざる結果」をめぐって (リベラ・シリーズ (1))

    長谷 正人( Part: Sole author)

    ハーベスト社  1991.04 ISBN: 4938551144

    ASIN

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Research Projects

  • 「自撮り」のメディア文化史

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    Project Year :

    2021.04
    -
    2024.03
     

    長谷 正人, 菊池 哲彦, 前川 修, 加藤 裕治, 川崎 佳哉, 松谷 容作, 大久保 遼, 増田 展大, 角田 隆一

     View Summary

    本年度は初年度であったため、「自撮り文化」について今後研究していくときの枠組みを参加メンバー全員で共有するために、①メディア研究をめぐる基礎的な文献の書評会と②自撮り文化に関するこれまでの優れた研究者をゲストに迎えての報告と議論、を行って、来年度以降の個々人の研究を進めていくための準備的作業を行った。
    【第1回】4月24日加藤裕治:『コンヴァージェンス・カルチャー』(ヘンリー・ジェンキンズ)前半書評会 【第2回】6月12日加藤裕治:『コンヴァージェンス・カルチャー』(ヘンリー・ジェンキンズ)後半書評会 【第3回】7月31日長谷正人:『テレビジョン』(レイモンド・ウィリアムズ)書評会 【第4回】10月23日溝尻真也報告「アトラクションとしてのビデオとそのイメージ」【第5回】3月5日久保友香報告「「自撮り」技術と若年女性の「盛り」コミュニケーション」
    上記のような日程で、全員が参加した研究会を行い、充実した議論が取り交わされた。第1回から第3回までの2冊の書評会では、メディア技術の社会のなかの位置付けについて歴史的にどういう議論が展開されてきたかが確認された。また第4回には、70年代ラブホテルにおいて性行為を自分たちでビデオカメラで撮影するという「自撮り」文化があったことが報告され、第5回には若い女性たちの自撮り文化のなかにおける作者と被写体の二重性について報告され議論が行われた。
    以上から、メディア文化が一方で作者の「エクスプレッション」(表現)でありながら他方で「コミュニケーション」ツールでもあるという二重性をどう捉えるかが今後の課題であることが確認された。

  • Genealogy of Solitudes in Media Cultures

    Japan Society for the Promotion of Science  Grants-in-Aid for Scientific Research

    Project Year :

    2018.04
    -
    2021.03
     

    Hase Masato

     View Summary

    The purpose of this research is to historically reconsider media culture from the unique perspective of "solitude". Previous studies have discussed the ways in which photography, television, and (mobile) phones have created "connections" among people and formed specific social groups. However, this study attempted to upset these conventional understandings by focusing on the way that a sense and experience of solitude emerged as an underlying part of media culture. As a result, we have clarified that photography, film, television, and the telephone, especially since the 20th century, have fostered solitary media experiences up to the present while intersecting with the vernacular culture unique to each land and society, and have been able to publish our findings in a number of papers and books.

  • Transformation of Media-Imagery Culture in Digialized Age

    Japan Society for the Promotion of Science  Grants-in-Aid for Scientific Research

    Project Year :

    2015.04
    -
    2018.03
     

    Hase Masato

     View Summary

    Recently, a new vernacular visual culture using digital cameras and peripheral devices has been invented. People now record and preserve their daily life with pictures by ourselves and exchange that data with each other using The internet. This study investigated the change in relations between people and their culture while considering the cutting-edge visual theory of Tom Gunning and analyzing the vernacular visual culture using empirical sociological methods. In order to understand these changes, we considered not only traditional visual theory in terms of how people saw visual images but also the possibility of new visual studies having multiple viewpoints which included how we “take pictures /have pictures taken of us.

  • TV drama and Postmodern Society

    Japan Society for the Promotion of Science  Grants-in-Aid for Scientific Research

    Project Year :

    2008
    -
    2010
     

    HASE Masato

     View Summary

    I scrutinized many Yamada Taichi's(Japanese famous script writer) TV drama works(mainly made among 70's and 80's) and made clear that his works anticipated Japanese postmodern society and criticized it from the backward's point of view

  • A Study on the Media History of Television Culture

    Japan Society for the Promotion of Science  Grants-in-Aid for Scientific Research

    Project Year :

    2004
    -
    2005
     

    HASE Masato, NANBA Kouji, KITADA Akihiro, NIWA Yoshiyuki

     View Summary

    This project reconsidered the history of television as a media culture in Japan. Our keywords of analysis are ‘culture' and ‘media'. Television principally swung between these two poles. On the one hand it has provided many entertainment products-dramas and variety programs-as ‘culture'. On the others, it functions as the ‘media' which communicate a lot of events to audiences. As the satellite broadcast in Japan starts with a news of a President Kennedy assassination case, television broadcasts lively many events. In that case television doesn't provide cultural products but it only functions as a transparency mediaThis project analysis how the television has made its own history with two poles clashing mutually. In particular we focus on the television culture in 1970s. In 1980s as ‘'genki-ga-deru-terebi (encouraging television) 'shows it, the self-referential program is a mainstream of television culture. In 1960s as ‘yume-de-aimasyou-‘(shall we meet in the dream?) shows it, many programs are produced as cultural products. However in 1970s, though many television producers noticed a self referential character of televison, they can only make cultural products without any cynicism. We explored it not only with many contemporary documents-DVD, video, magazine, book-but through interviews of Tsuyuki Sigeru(a famous television announcer) and Yamada Taichi(a famous scenario writer)

  • A Media Historical Approach to Documentary Variety (Reality TV) Programs

    Japan Society for the Promotion of Science  Grants-in-Aid for Scientific Research

    Project Year :

    2002
    -
    2003
     

    HASE Masato

     View Summary

    Reality TV, which is called 'Documentary Variety' in Japan, has rapidly come to occupy come to occupy a place at the forefront of contemporary television culture. Also in Japan, 'Ainori' (Sharing cars), which is known as a program of watching love affaires of young men and women, and 'Mirai nikki' (The future diary), which was known as a program of psychological experiment of love affaires of a couple, are representatives of Japanese 'documentary variety' programs.My research focused on the proble, of ordinary people in these TV programs. Although Many ordinary people know that their private lives are watched and exploited by TV, they seek to appear in Reality TV programs. And although these ordinary performer don't have much talent or charm like TV stars or actors, many audience have much interest in these ordinary performers. This is an important question for us. I think these programs problematize how we perform before the camera in our surveillance society. I think precedent cultural theories, including text analysis and audience theory, have not analyzed the performer on screen. We must take dramaturgical perspective to TV performer in order to understand contemporary television culture

  • Comparative sociology of cinema censorship between Japan and United States before World War

    Japan Society for the Promotion of Science  Grants-in-Aid for Scientific Research

    Project Year :

    1999
    -
    2000
     

    HASE Masato, KATO Mikiro

     View Summary

    Censorship has been considered as the problem of the repression by the governmental power. However we must deal with this problem from the sociological point of view. Except in periods of national emergency, such as war time, authoritarian forms of censorship, exercised through the monopoly power of the State, have not been prominent features of twentieth-century liberal democracies. Rather self-regulation by the cinema industries was a usual form of film censorship. So censorship was exercised through complex social discourses.For example, Hase analyses the way a film "The Birth of a Nation" was criticized and labeled as racism movie and banned by some state governments in his paper, 'What is the social effect of fictional film? ". Before the regulation of screening by the public agency, this film was 'censored' by social discourses. And Kato analyses the form and content of black movies which have been produced outside Hollywood. Here it was decided by the way of reception by black people. This is, as it were, a censorship. So the problem of censorship must be analyzed as cultural politics

  • Historical and comparative study on the culture in the form of quiz ; mostly on quiz shows on television

    Japan Society for the Promotion of Science  Grants-in-Aid for Scientific Research

    Project Year :

    1998
    -
    2000
     

    OGAWA Hiroshi, ISHITA Saeko, HASE Masato, KAWASAKI Kenichi, KAWAHARA Kazue, ENDOH Tomomi

     View Summary

    The purposes of this study are as follows. The first one is to investigate how the culture in the form of quiz was appeared and diffused from the viewpoint of historical sociology. Second one is to show how knowledge and information in everyday life changed with referring to the history of quiz shows. The third one is to show how the culture in the form of quiz was transformed and Japanized in the process of importing American television and radio culture.We made a data base of Japanese quiz shows on the radio and television. We had interviews with a producer of one of successful quiz shows, an organizer of quiz circle who got large popularity as a panelist of quiz shows, and critics on television culture. We examined the meaning of the "Quiz Show Scandal" in the USA and discussed the history of quiz shows in Japan. This study pointed out various aspects of relationship between media and information in highly developed information society

  • 映画館の社会的機能に関する研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    Project Year :

    1995
     
     
     

    長谷 正人

     View Summary

    本研究によって明らかになった最も重要な点は、1980年代におけるビデオ産業の隆盛とミニシアターブームが日本の映画館のありようを劇的に変化(衰退)させて来たということである。この時代以降、盛り場における「シンボル」としての映画館の存在感はどんどんと低下していくことになる。従って、現代日本人に「映画館体験」に関するアンケート調査を試みても、映画館はどこかノスタルジックな雰囲気を持った場所としてのみ回顧されてしまう。また、名画坐社長へのインタビューは、この変容において大資本が果たした役割を明らかにしてくれた。つまり、それまでの映画館が制作会社(東宝・松竹・・)の系列館か、そこから一定の自立性を保った名画坐のどちらかだったのだが、1980年代になると西武・東急といったデパートの大資本がこの映画館経営に参入してきて、「ミニシアター」ブームを巻き起こしたわけである。また、レンタルビデオの隆盛は安い料金で映画を見ることを可能にした。こうして自立的上映者としての「名画坐」は経営が不可能になり、激減することになる。これが、1980年代以降、映画館に起きた変容である。この変容の過程において、観客たちが映画を見る経験はどのように変化したのだろうか。その変化の前触れとして私は、「ロッキー・ホラ-・ショー」というカルトム-ビ-の観客たちの独特のパフォーマンスに注目した。この映画の観客たちは、ただ受動的に映画作品を変容する聴衆ではなく、作品と同じコスチュームを纏い、スクリーンの前で同じ演技をしてみせ、観客全員でスクリーンに向けてセリフを叫んだり一緒に歌ったりしてみせる極めて能動的なパフォーマ-なのである。しかし、この能動的観客は奇妙なことに、予見不可能な他者の世界に自分を開いていくのではなく、自分に親しい予定調和的世界の中へ閉じ篭もっていくナルシシスティックな受動的観客とも言えるのではないか。これを私はソンタグの「キャンプ」概念を援用することで論じた

  • Ideologies in the Expression of Arts : Totalitananism

    Japan Society for the Promotion of Science  Grants-in-Aid for Scientific Research

    Project Year :

    1992
    -
    1993
     

    TAKI Koji, TANAKA Hisao, KAWABATA Kaori, HASE Masato, SATOU Kazuo, WAKAKUWA Midori

     View Summary

    We can say that most remarkable experience in the political history of 20th century is "totalitarianism". Totalitarianism is a project which fills up a gap between a form of political organization (=a state) and a social form (a=life consciousness of the mass) arising from the dissolution of communities by the modernization. In a word, it is "the oneness of a state and a society". We are trying to deal with totalitarianism not as a problem of political system but as that of political culture. In other words, we are observing it, from a mass' point of view, not from a state's point of view. Our method isn't to analyze it as a whole speculatively but to analyze each situation (nazism, fascism, stalinism, emperor structure) and each genre of art or image culture (architecture, mass journalism, cinema etc.). In other words, we are going into details of what form of art was possible (was excluded by the goverment). The result of analyze is deverse. So we can not say here a synthetic judgment. But we are going to say our common recognition which is acquired from our study. That is to say that the problem of totalitarianist culture is always existing under the modern political structure. For example, like a policy of artist relief (WPA/FAP) under the New Deal structure, in the democratic society, a goverment can recquire a social message of artists and a goverment and artists can hold same ideology in common. So we are expecting that our study will be developping to that of histories of political clltures focucing on image cultures

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Misc

  • [鼎談]山田太一の季節

    長谷正人, 頭木弘樹, 岡室美奈子

    ユリイカ(2024年4月号 特集:山田太一)   56 ( 5 ) 162 - 177  2024.04

    Other  

  • 山田太一ドラマとは何だったのか~ディスカッション・ドラマと底流の孤独と

    長谷正人

    GALAC    2024.04

    Other  

  • 「絶望」パスタとテレビの希望

    長谷正人

    フリースタイル   ( 57 ) 13 - 15  2023.10

    Other  

  • 「大人こそ、やるべきよ」

    長谷正人

    フリースタイル   ( 55 ) 5 - 7  2023.04

  • On Curling’s Ritualistic Culture and its Social Media Fan Culture

    Masato Hase (translated by Xavi Sawada)

    Discuss Japan:Japan Foreign Policy Forum   ( 71 )  2022.08

    Article, review, commentary, editorial, etc. (other)  

  • 時評:儀礼的文化としてのカーリングとSNSを媒介したファン文化

    現代スポーツ評論   ( 46 ) 145 - 152  2022.05

  • 土着と記号の狭間で─前川修『イメージのヴァナキュラー ─写真論講義 実例編』を読んで

    長谷正人

    UP   49 ( 8 ) 44 - 48  2020.08

  • 書評 光岡寿郎・大久保遼編『スクリーン・スタディーズ――デジタル時代の映像/メディア経験』

    Japanese Sociological Review   70 ( 4 ) 413 - 414  2020

    Book review, literature introduction, etc.  

    DOI

  • レヴュー 北浦寛之『テレビ成長期の日本映画─メディア間交渉のなかのドラマ』

    長谷正人

    映像学   ( 102 ) 212 - 215  2019.07

  • Reviews:Miriam Bratu Hansen, Cinema and Experience: Siegfried Kracauer, Walter Benjamin, and Theodor W. Adorno, University of California Press, 2012

    HASE Masato

    Japanese journal of image arts and science   94 ( 94 ) 61 - 65  2015.05

    DOI CiNii

  • 大量消費社会とパーソナル文化

    長谷正人

    世界思想   ( 42 ) 18 - 22  2015.04

  • 「男・健さんどこへ行く」─任侠映画以降の高倉健

    長谷正人

    ユリイカ2月号   47 ( 2 ) 88 - 96  2015.02

    CiNii

  • お茶の間に仕掛けたメディア的“罠”

    長谷正人

    寺山修司の迷宮世界(洋泉社MOOK)     80 - 83  2013.05

  • ドラマご馳走主義の作家

    長谷正人

    文藝別冊 木皿泉 物語る夫婦の脚本と小説(河出書房新社)     133 - 139  2013.04

  • 川田耕著 『愛の映画──香港からの贈りもの』

    長谷 正人, 川田 耕

    ソシオロジ   58 ( 2 ) 127 - 137  2013

    CiNii

  • テレビ時代の映画──木下惠介のテレビ作品を歴史的に位置づける

    長谷正人

    NFCニューズレター   ( 105 ) 3 - 5  2012.10

  • 日常的体験としてのテレビドキュメンタリー

    長谷正人

    neoneo   ( 1 ) 30 - 31  2012.09

  • 書評 蓮實重彦『映画時評 2009-2011』

    長谷正人

    映画芸術   ( 440 ) 149 - 150  2012.07

  • 概観2011年(映像)

    長谷正人

    文藝年鑑2012     130 - 133  2012.06

  • 山田太一、あるいは「愚痴の公共圏」の可能性

    長谷正人

    ユリイカ   44-5 ( 5 ) 97 - 104  2012.05

    CiNii

  • 現代落語という矛盾─落語的な「弱い生」をめぐって

    長谷正人

    ユリイカ(特集立川談志)   44-2 ( 2 ) 186 - 196  2012.02

    CiNii

  • 映像のフィジカル─飼いならせない野性の映像のために(対談)

    諏訪敦彦, 長谷正人

    第4回恵比寿映像祭「映像のフィジカル」カタログ     12 - 29  2012.02

  • 敗者の想像力─脚本家山田太一(第21回)終りに見た街

    長谷正人

    GALAC   172 ( 507 ) 38 - 41  2011.09

    CiNii

  • 敗者の想像力─脚本家山田太一(第20回)本当と嘘とキツネ

    長谷正人

    GALAC   170 ( 505 ) 40 - 43  2011.07

    CiNii

  • 敗者の想像力──脚本家山田太一(第16回)キツネに化かされる話

    長谷正人

    GALAC   166   36 - 39  2011.03

  • メディアはなぜあるのか

    長谷正人

    マス・コミュニケーション研究   ( 78 ) 3 - 18  2011.01

  • 敗者の想像力──脚本家山田太一(第13回)「想い出づくり」、キャラが立つこととリアリズム

    長谷正人

    GALAC   ( 162 ) 36 - 39  2010.11

  • 敗者の想像力──脚本家山田太一(第11回)輝きたいの

    長谷正人

    GALAC   ( 160 ) 36 - 40  2010.09

  • 画面が切り開く「遊動空間」の可能性(書評・中村秀之『瓦礫の天使たち』せりか書房』)

    長谷正人

    図書新聞   2983   8  2010.09

  • 「ヴァナキュラー・イメージ」と「メディア文化」─シミュラークルとしての「ルー大柴」をめぐって

    長谷正人

    SITE/ZERO ZERO/SITE   ( 3 ) 124 - 133  2010.06

  • 敗者の想像力─脚本家山田太一(第九回)不機嫌なドラマ

    長谷正人

    GALAC   ( 157 ) 38 - 41  2010.06

  • 「アウトレイジ」に至る北野武/ビートたけしの軌跡

    長谷正人, 轟夕起夫

    キネマ旬報   ( 1559 ) 34 - 45  2010.06

    CiNii

  • 敗者の想像力ー脚本家山田太一(第八回)敗者の逆転劇

    長谷正人

    GALAC   ( 156 ) 36 - 39  2010.05

  • 敗者の想像力─脚本家山田太一(第七回)不条理劇が終わった後を描くドラマ

    長谷正人

    GALAC   ( 155 ) 36 - 39  2010.04

  • 敗者の想像力─脚本家山田太一(第五回)敗戦国日本の旅路

    長谷正人

    GALAC   ( 153 ) 36 - 39  2010.02

  • 『あいのり』は「やらせ」か─テレビが作り出す純粋な恋愛

    長谷正人

    新鐘   ( 76 ) 39 - 40  2009.11

  • 書評・上野昴志『紙上で夢みる 現代大衆小説論』(清流出版)

    長谷正人

    キネマ旬報   ( 1546 ) 154  2009.11

  • 敗者の想像力─脚本家 山田太一(第一回)

    長谷正人

    GALAC   ( 148 ) 32 - 35  2009.09

  • ジオラマ化する世界3(「モネの庭」)

    長谷正人

    写真空間   ( 3 ) 137 - 145  2009.05

  • 「表話」としての映画批評─神話化の危険には注意すべき(書評・蓮實重彦『映画論講義』東大出版)

    長谷正人

    図書新聞   ( 2900 )  2009.01

  • 虚構とアイロニーの80年代(対談)

    大澤真幸, 長谷正人

    大航海   ( 68 ) 72 - 93  2008.09  [Refereed]

  • ジオラマ化する世界2(『父親たちの星条旗、あるいはジオラマの内と外)

    長谷正人

    写真空間   ( 2 ) 169 - 179  2008.09  [Refereed]

  • ビートたけし(21世紀の冒険者48)

    長谷正人

    daiaries(ダイアリーズ)   ( 1 ) 108  2008.08

  • 想像力の「飛躍」を迫る(万田邦敏監督『接吻』評)

    長谷正人

    図書新聞   ( 2826 ) 8  2008.03  [Refereed]

  • ジオラマ化する世界 1(カール・エイクリー/杉本博司の生態ジオラマ)

    長谷正人

    写真空間/青弓社   ( 1 ) 215 - 224  2008.03  [Refereed]

  • 社会学から見た70年代注目の理由(インタビュー)

    長谷正人

    宣伝会議   ( 737 ) 34 - 35  2008.03  [Refereed]

  • 複製技術という問題と高級/大衆芸術としての映画─竹峰義和『アドルノ、複製技術へのまなざし』書評

    長谷正人

    表象   ( 02 ) 281 - 288  2008.03

  • 機械的反復としてのエックス線写真

    長谷正人

    d/sign(デザイン)/太田出版   ( 15 ) 88  2007.12

  • 『文化の社会学』をめぐって(下)

    佐藤健二, 吉見俊哉, 長谷正人

    書斎の窓   569 ( 569 ) 2 - 12  2007.11  [Refereed]

    CiNii

  • 『文化の社会学』をめぐって(上)

    佐藤健二, 吉見俊哉, 長谷正人

    書斎の窓   568 ( 568 ) 2 - 10  2007.10  [Refereed]

    CiNii

  • 分野別研究動向(文化)──「ポストモダンの社会学」から「責任と正義の社会学」へ──

    長谷正人

    社会学評論 (日本社会学会)   57 ( 3 ) 615 - 633  2006.12  [Refereed]

  • 創造とは何か?──フーコー、キアロスタミ、デリダ

    長谷正人

    Mobile Society Review(未来心理)/モバイル社会研究所   ( 8 ) 4 - 11  2006.12  [Refereed]

  • トリックスターになった前衛写真家『カメラになった男──写真家 中平卓馬』

    長谷正人

    美術手帖/美術出版社   58 ( 887 ) 170 - 171  2006.10  [Refereed]

  • マンガ研究と映画研究

    長谷正人

    日本映像学会会報(展望)   ( 136 ) 3  2006.10

  • テレビはジャーナリズム論では語れない(書評ヒューマイルズ『アルジャジーラ 報道の戦争』光文社)

    長谷正人

    d/sign(デザイン)/太田出版   ( 12 ) 146 - 147  2006.03

  • <表現>としての犯罪対策へ:われわれは、いまだに<オウム事件>の渦中にいる

    大澤真幸, 長谷正人, 森達也

    劇場文化(財団法人静岡県舞台芸術センター)   ( 8 ) 84 - 124  2005.05  [Refereed]

  • 写真、バルト、時間:『明るい部屋』を読み直す

    長谷正人

    d/sign(デザイン)/太田出版   ( 10 ) 99 - 103  2005.04  [Refereed]

  • 映画、小津、時間(3)

    長谷正人

    UP/東京大学出版会   34 ( 388 ) 38 - 42  2005.02

    CiNii

  • アニメーションという思想ー宮崎駿試論

    長谷正人

    早稲田大学大学院文学研究科紀要   第50輯第1分冊   83 - 96  2005.02

    CiNii

  • 映画、小津、時間(2)

    長谷正人

    UP/東京大学出版会   34 ( 387 ) 46 - 50  2005.01

    CiNii

  • 映画、小津、時間(1)

    長谷正人

    UP/東京大学出版会   ( 386 ) 48 - 52  2004.12  [Refereed]

  • 書評・阿部嘉昭『68年の女を探して:私説・日本映画の60年代』(論創社)

    長谷正人

    図書新聞   ( 2697 )  2004.10  [Refereed]

  • 「切り返し」の想像力の発見:100年前の映画をめぐって

    長谷正人

    d/sign(デザイン)/太田出版   ( 8 ) 121 - 123  2004.07

  • 日本映画とナショナリズム1931-1945/(第10章「日本映画と全体主義:津村秀夫の映画批評をめぐって」)

    岩本憲児編

    森話社    2004.06

  • アフォーダンス理論のパフォーマンス

    長谷正人

    d/sign(デザイン)/太田出版   ( 7 ) 76 - 78  2004.05

  • ブックデザインになにが可能か

    ミルキイ・イソベ, 祖父江慎, 長谷正人, 鈴木一誌, 戸田ツトム

    d/sign(デザイン)/太田出版   ( 7 ) 164 - 173  2004.05  [Refereed]

  • 「痕跡」と「指差し」─写真の訳の分からなさをめぐって

    長谷正人

    木野評論/青幻社   35 ( 35 ) 48 - 55  2004.03

    CiNii

  • 映画にとって細部とは何か;リュミエールと宮崎駿をめぐって

    長谷正人

    d/sign(デザイン)/太田出版   ( 6 ) 91 - 94  2004.02

  • レイアウトとしての映画;時間的想像力の可能性をめぐって

    長谷正人

    d/sign(デザイン)/太田出版   ( 5 ) 106 - 109  2003.10  [Refereed]

  • intermedia——メディアと芸術の相関を思考する (第1巻5章「記憶と忘却の経験としての映画」)

    早稲田大学メディアデザイン研究室, 映像コミュニケーション研究所

    トランスアート社    2003.10  [Refereed]

  • 複製というアウラ;ベンヤミン、笠智衆、グールド

    長谷正人

    d/sign(デザイン)/太田出版   no.4   68 - 73  2003.05  [Refereed]

  • クイズ文化の社会学(コラム「テレビ番組の『形式』としてのクイズ」を執筆)

    石田佐恵子, 小川博司編

    世界思想社     108 - 109  2003.03  [Refereed]

  • テレビ世界の生態学的観察者;ナンシー関の倫理をめぐって

    長谷正人

    トリビュート特集 ナンシー関/河出書房新社    2003.03  [Refereed]

  • テレビ出演という謎:『未来日記』試論

    長谷正人

    現代風俗学研究/社団法人現代風俗研究会東京の会   ( 9 ) 20 - 25  2003.03  [Refereed]

  • 書評・荻野昌弘編著『文化遺産の社会学:ルーヴル美術館から原爆ドームまで』

    長谷正人

    社会学評論(日本社会学会)   53 ( 4 )  2003.03  [Refereed]

  • 書評 舛本直文『スポーツ映像のエピステーメー』

    長谷正人

    スポーツ社会学研究(日本スポーツ社会学会)   11 ( 11 ) 134 - 136  2003.03

    CiNii

  • 夢としての資本主義──ハリウッド映画の魅力とは何だったのか

    長谷正人

    早稲田学報    2003.03  [Refereed]

  • テレビは外延化しつづけるフレームである(鈴木一誌によるインタビュー)

    長谷正人

    d/sign(デザイン)/丸善   ( 3 ) 54 - 63  2003.01  [Refereed]

  • 二0世紀の映像文化:「エジソン的回帰」をめぐって

    長谷正人

    映画学/映画学研究会(早稲田大学文学部演劇映像研究室内)   ( 16 ) 2 - 8  2002.12

    CiNii

  • 情報学辞典

    吉見俊哉他編

    弘文堂    2002.06  [Refereed]

  • 文化社会学の社会学的責任とは何か

    長谷正人

    TASC MONTHLY   ( 317 ) 4 - 9  2002.05  [Refereed]

  • 「文化」のパースペクティヴと日本社会学のポストモダン的変容

    長谷正人

    文化と社会/マルジュ社   ( 3 )  2002.04  [Refereed]

  • 映像の社会学・再考:黒澤明の『羅生門」をめぐって

    長谷正人

    社会学年誌(早稲田社会学会)   ( 43 ) 5 - 22  2002.03  [Refereed]

  • カメラの存在論

    長谷正人

    「写真の会」会報   ( 50 ) 2 - 10  2001.09  [Refereed]

  • 物語、あるいは映画の柔らかい肌

    長谷正人

    物語の風俗(現代風俗研究会年報)/河出書房新社   ( 23 ) 114 - 125  2001.09

  • 書評・黒沢清『映画はおそろしい』

    長谷正人

    文学界 2001年5月号     313 - 315  2001.04  [Refereed]

  • フィクション映画の「社会性」とは何か:D.W.グリフィスの『国民の創生』をめぐって

    長谷正人

    社会学年誌(早稲田社会学会)   ( 42 ) 131 - 146  2001.03  [Refereed]

  • 映画の政治学・再考;『国民の創世』の受容をめぐって

    長谷正人

    立教アメリカン・スタディーズ(立教大学アメリカ研究所)   ( 23 ) 85 - 106  2001.03  [Refereed]

  • 伊奈正人『サブカルチャーの社会学』(世界思想社)

    長谷正人

    ソシオロジ/社会学研究会   ( 140 )  2001.02

  • <観客>のゆくえ(森直人編『21世紀/シネマX』)

    長谷正人

    フィルムアート社     130 - 133  2000.12

  • チーム・プレイのドキュメント(ハワードホークス論)

    長谷正人

    月蛙(子供社)   ( 2 ) 85 - 91  2000.04  [Refereed]

  • 新・社会人のための基礎知識101(65「生きがいの探求」を執筆)

    樺山紘一編

    新書館     154 - 155  2000.04  [Refereed]

  • 現代若者考④ケータイ

    長谷正人

    カルチャーちば/千葉市文化振興財団   ( 41 ) 98 - 99  2000.03  [Refereed]

  • 現実構成主義から遠く離れて

    長谷正人

    ソシオロジ/社会学研究会   ( 137 )  2000.02  [Refereed]

  • テクノロジーの経験としての映画:戦争、全体主義、そして生命のリズム

    長谷正人

    月蛙/子供社   ( 1 ) 80 - 93  1999.10  [Refereed]

  • 映画哲学1〜10

    長谷正人

    ロゴスドン/ヌース出版会   33号から42号まで連載  1999.07

  • 社会福祉辞典(「遊び」「ダブルバインド」「無意識」など10項目を執筆)

    庄司洋子, 木下, 康仁, 武川, 正吾, 村正之

    弘文堂    1999.05

  • 韓国における日本映画開放によせて;国際評価とナショナル・アイデンティティーを手がかりに

    長谷正人

    国際交流(国際交流基金)   ( 83 )  1999.04  [Refereed]

  • 現代若者考③コンビニ

    長谷正人

    カルチャーちば/千葉市文化振興財団   ( 40 ) 98 - 99  1999.03  [Refereed]

  • 『学問の鉄人が贈る14歳と17歳のBOOKガイド』(蓮實重彦『監督小津安二郎』の紹介を執筆)

    河合塾編

    メディアファクトリー     25  1999.01  [Refereed]

  • The Origins of Censorship:Police and Motion Pictures in the Tisho period

    Hase Masato

    Review of Japanese Culture and Society   10 ( 10 ) 14 - 23  1998.12

    CiNii

  • The Origins of Censorship:Police and Motion Pictures in the Tisho period(「検閲の誕生」の英訳)

    Hase Masato

    Review of Japanese Culture and Society/城西国際大学   ( 10 ) 14 - 23  1998.12

  • The Origins of Censorship:Police and Motion Pictures in the Tisho period

    Hase Masato

    Review of Japanese Culture and Society   10 ( 10 ) 14 - 23  1998.12  [Refereed]

    CiNii

  • 亜細亜 映画 研究; 歴史 美学 正体性 産業(The Identity of Japanese Cinemaを執筆)

    韓国映画学会編

    Good Living(Korea)     273 - 288  1998.11  [Refereed]

  • リュミエール兄弟のアルケオロジー

    長谷正人

    CineMagaziNet!(http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/NO2/Default2.htm)   ( 2 )  1998.06

  • 書評 上野昴志『映画全文 1992-1997』

    長谷正人

    映画館へ行こう!(えとしっく)   ( 14 ) 131 - 133  1998.06

  • 書評 矢谷慈國著『賢治とエンデ : 宇宙と大地からの癒し』

    長谷正人

    社会学評論/日本社会学会   49 ( 1 ) 138 - 140  1998.06

  • 現代若者考②カラオケ

    長谷正人

    カルチャーちば/千葉市文化振興財団   ( 39 ) 82 - 83  1998.03

  • 映画観客の「笑い」について

    長谷正人

    現代風俗学研究   ( 4 ) 74 - 76  1998.03

  • Cinemaphobia in Taisho Japan :Zigomar,Delinquent Boys and Somnambulism

    Masato Hase

    ICONICS   4 ( 4 ) 87 - 101  1998.03  [Refereed]

    CiNii

  • 社会学文献辞典(クラカウアー『カリガリからヒットラーまで』の項を執筆)

    見田宗介他編

    弘文堂    1998.02  [Refereed]

  • 現代若者考①プリクラ

    長谷正人

    カルチャーちば/千葉市文化振興財団   ( 38 ) 82 - 83  1997.09

  • <シリーズ対談=人間と看護を考える>こころとからだ 遊びと効用(1)(2)

    藤村正之, 長谷正人

    看護展望(メチ”カルフレンド社)    1997.07  [Refereed]

  • 現実性のスペクタクルとドキュメンタリー映画

    エリザベス・カウイ

    Documentary Box(山形国際ドキュメンタリー映画祭事務局)   ( 10 ) 1 - 8  1997.06  [Refereed]

  • 書評 加藤幹郎『映画ジャンル論』・『映画 視線のポリティクス』

    長谷正人

    映像学/日本映像学会   ( 58 ) 110 - 115  1997.05

    CiNii

  • 社会学小事典・新版(「意図せざる結果」「ベートソン」「ミミクリー」を執筆)

    濱嶋朗, 竹内郁郎, 石川晃弘

    有斐閣    1997.01  [Refereed]

  • リュミエールの考古学

    長谷正人

    映像学(日本映像学会)   55号  1996.11

  • 映像のオントロギー(1)-(40)

    長谷正人

    Internet photo Magazine(http://www.ipm.jp/ipmj/back.html)に毎月連載    1996.08  [Refereed]

  • ブックガイド 20世紀のアート&テクノロジー50冊(ベイトソン『精神の生態学』の項目を執筆)

    長谷正人

    intercommunication/NTT出版   ( 17 )  1996.07

  • 眼の規律

    長谷正人

    imago(イマーゴ)/青土社   5 ( 10 ) 284 - 285  1994.09

  • 第二次世界大戦下のアメリカ映画と映画の情報メディア化;『われらなぜ戦うか』をめぐって

    長谷正人

    平成5 年度科学研究費補助金( 総合研究A) 研究成果報告書『芸術表現におけるイデオロギー;全体主義と文化』     41 - 54  1994.03  [Refereed]

  • ヴァーチャルじいさん笠智衆

    長谷正人

    imago(イマーゴ)/青土社   5 ( 10 ) 187  1994.01

  • フーコー・ドゥルーズ・ユーモア

    長谷正人

    ブリーフサイコセラピー研究/亀田書店   ( 2 )  1993.07  [Refereed]

  • 書評 井上俊『悪夢の選択』

    長谷正人

    ソシオロジ(社会学研究会)   38 ( 1 ) 79 - 86  1993.05

    DOI CiNii

  • 新社会学辞典

    森岡清美, 塩原勉, 本間康平編

    有斐閣    1993.02  [Refereed]

  • 『主体』のパラドックスと『遅れ』の意識・・・近代の時間意識をめぐる一考察

    長谷正人

    ソシオロジ(社会学研究会)     3 - 12  1993.02  [Refereed]

  • 視姦された映画とマゾヒズムのまなざし・・・バルト/ ドゥルーズの映画鑑賞

    長谷正人

    imago(イマーゴ)/青土社   3 ( 12 ) 188 - 196  1992.10  [Refereed]

  • 書評・盛山和夫,海野道郎編『秩序問題と社会的ジレンマ』

    長谷正人

    理論と方法(日本数理社会学会)   7 ( 2 ) 141 - 144  1992

    CiNii

  • ユートピア世界としての「男はつらいよ」

    長谷正人

    『男はつらいよ 寅次郎の告白』劇場用パンフレット    1991.12

  • 言語行為論、現実構成主義、家族療法

    長谷正人

    現代のエスプリ(至文堂)   ( 287 ) 41 - 48  1991.06  [Refereed]

  • 行為の意図せざる結果 (2)

    長谷正人

    千葉大学教養部研究報告   ( A-22 ) 173 - 202  1990.03  [Refereed]

  • 行為の意図せざる結果 (1)

    長谷正人

    千葉大学教養部研究報告   ( A-21 ) 107 - 135  1989.03  [Refereed]

  • 書評 作田啓一・井上俊編『命題コレクション・社会学』

    長谷正人

    ソシオロジ   32 ( 1 ) 98 - 101  1987.05

    DOI CiNii

  • &lt;死&gt; の象徴論的考察

    長谷正人

    年報人間科学(大阪大学人間科学部)   ( 8 ) 97 - 112  1987.03

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Syllabus

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Overseas Activities

  • 映像文化の比較社会学的研究

    2007.04
    -
    2008.03

    アメリカ   なし

Sub-affiliation

  • Faculty of Commerce   School of Commerce

  • Faculty of Letters, Arts and Sciences   Graduate School of Letters, Arts and Sciences

  • Affiliated organization   Global Education Center

Internal Special Research Projects

  • デジタル化時代における映像文化の日常的変容

    2014  

     View Summary

     本研究の目的は、映像テクノロジーの出現が人間の社会生活をいかに文化的に変容させたかを多角的に明らかにすることである。従来の映像文化研究や映像メディア研究は、写真、映画、テレビの諸作品をメディウムごとに分析するか、それらがいかに社会を表象しているかを分析するものが多かった。&nbsp; しかしデジタルカメラやその周辺機器の出現と普及は、映像文化と人間との関係を根本的に変化させ、社会のなかに、日常生活を自ら映像で記録し、保存し、インターネットを通して交換しあうといった、新しいパーソナルな映像文化を生じさせつつある。 従って映像文化の分析は、人間がいかに映像を「見る」のかという従来の問題だけでなく、いかに映像を自ら「撮る/撮られる」のかをも分析の対象に加えなければならないだろう。本研究はそうした新しい映像研究を社会学的に展開していくための、基礎的な理論研究と現状の分析を目指して行われ、本年度はとくに基礎研究にウェイトを置いて、トムガニングの「動き」をめぐる研究と、ハンセンのベンヤミン論を中心に検討した。

  • デジタル技術時代の映像文化に関する研究

    2011  

     View Summary

     デジタル映像時代の映像文化とは何か。私は、その問題を主としてテレビやインターネットの映像の現況を調査することによって明らかにした。ちょうど2011年3月11日には、東日本大震災が起きた。この震災とは何かをいま考えるときに、社会的に普及したパーソナルなデジタルメディアによる無数の津波映像を抜きにして考えることはできないだろう。私たちは津波から避難しようとする人々が、自からその逃げる途中でデジタルビデオカメラを回して捉えた、リアルな津波の映像を見たのだ。そこには、津波のザーッという音、木材が何かにぶつかって折れながら立てるメリメリっといった音、周囲から上がる悲鳴や叫び声などが収められていた。それは、客観的・俯瞰的な視点から見た津波ではなく、ごくパーソナルな視点から体験された見たことのないような迫力ある映像だった。 それは、デジタル技術時代の映像文化とは何かを教えてくれる、きわめてシンボリックな映像だったと思う。従来における事件や災害や出来事の体験は、一般性と個別性に分けることができた。今回でも基本的にはそうだ。個々の被災者にとっての津波体験は、それぞれにとって固有の避難所生活や津波の恐怖や肉親や知人の死であった。もしテレビジョンやネットが見られない状況であれば、助かった被災者は津波の全体像を知らずに、たいした津波ではなかったなと思うかもしれない。それに対して、マスメディアは客観的な映像で出来事を知らせる。911のツインタワーの映像のように、ビルへ飛行機が突っ込む瞬間を遠くから傍観するのが、一般性を持った出来事の映像だった。例えばヘリコプターから捉えた津波が畑を飲みこむ映像が今回の一般的津波映像だった。 しかし今回私たちはそれだけでなく、テレビの報道を通して、東北の様々な地域の人々が、それぞれにデジタルカメラで捉えたパーソナルな映像を、東日本大震災という抽象的な出来事の概念に沿って組み立てて、被害の全体をイメージするような新しい体験をした。それは、津波の個別的な体験をモザイク状に組み合わせて作られる一般的な津波イメージと言えるだろう。このようなパーソナルな映像が組み合わさって出来事の一般的なイメージを構築するのが、デジタル技術時代に映像文化の一つの特徴であろう。

  • テレビ・メディアへの文化論的アプローチ

    2006  

     View Summary

    現代社会は、テレビ・メディアの作り出すイメージに覆われている。2006年の不二家問題で彼らの衛生管理の不備を嘆いた人間は、誰一人として不二家のケーキをまずいと思ったり、不二家のケーキでお腹を壊したりしたような具体的経験を持ったわけではないだろう。自らの生活のなかで具体的に困ってもいないことを、メディア空間の情報を通して「けしからん」と道徳的に語ることほど、抽象的で空疎な事態はないのではないか。しかし間違いなく、そのような空疎なメディア空間によって私たちの現在の生活は作られている。このようなシミュラークルとしてのテレビ生活空間が成立しはじめたのが1970年代である。だからこそ、この時代のテレビ(製作者も視聴者も出演書も)がいかなる変容を起こしてシミュラークル化したかを見直さなければならないのだ。60年代まではアメリカのテレビドラマなどを通して、自分たちの生活の外を夢を見るメディアであったはずのテレビが、70年代になると自分たちの日常生活それ自体を夢として作り変えるような倒錯的な作業を行うようになる。たとえば脚本家・山田太一によるドラマ『岸辺のアルバム』という傑作では、変態的ないたずら電話を通して主婦・八千草薫は、未知の男、竹脇無我との不倫の世界へといざなわれていく。そこには一軒家で孤独に送る日常生活労働の反復退屈さを否定し、逆に生活をファンタジー化しようとする彼女の欲望が渦まいていただろう。そして事実私たちは山田太一の予言した道を通って日常生活を抽象的なファンタジー空間(シミュラークル)にしてしまった。そのとき私たちはそこで「退屈な日常生活」を失ってしまったのではないか。退屈という贅沢の喪失。いつも面白いことが起きてないといけないという強迫的観念。テレビメディアを分析することは、この閉塞空間を打ち破って、「退屈な日常生活」を思い出すことでなければなるまい。

  • ドキュメンタリーバラエティー番組におけるリアリティ感覚の変容

    2001  

     View Summary

    ドキュメンタリー・バラエティ番組は、テレビというメディアを新しい段階へと押し進めつつある。これまでのテレビは「映画」のフィクション性に対する未練のようなものを持っていた。だから「ドラマ」が重要な地位を占めてきたわけだし、クイズ番組などのバラエティ番組やニュース番組からドキュメンタリー番組においても「台本」による構成が重要な役割を果たしてきた。しかしここに来てテレビというメディアは大きな変容を見せつつあるといえるだろう。いまやテレビにおいて中心的な役割を占めているのは、スポーツ中継や地震情報などの生放送による映像伝達番組である。つまりテレビはいま「フィクション」であるという見せかけを取り払って、ただの通信機械であるという本性をあらわにしつつあるのだ。しかしでは全てを生放送にするかというと、そのように単純な変化が起きているわけでもない。メディアであるということは、ただの単純な伝達ではなく(監視カメラ映像の生中継では視聴率はとれない)、必ず何らかの人為的な構成を伴って視聴者にメッセージを届けなければならない。あるいは事実として届いてしまうものだ。そこで情報バラエティ番組という奇怪な番組が成立することになる。かつてのワイドショーとも少し違って、芸能ネタもスポーツも政治・経済も全てが同じ「情報」として伝達されるような番組である。いわゆるニュースショーとワイドショーはほとんど区別がつかない同じこのジャンルを形成しつつある。 このようなテレビの動向をバラエティ番組において実践しつつあるのが、『ガチンコ』、『学校へ行こう』『鉄腕ダッシュ』『あいのり』などなどのドキュメンタリー・バラエティ番組といえるだろう。本研究においてはTBS系列の『ウンナンの気分はホントコ』という番組の1コーナーである『未来日記』に焦点をあてて分析した。われわれの分析によれば、この番組はテレビメディアが孕み持つ暴力性自体を主題にしたものである。まず素人の出演者たちは日記の指示に従うのだが、それは崖を100メートル登ったり、東京から軽井沢まで自転車で走らされたり、他の出演者を傷つけることを言わされたりといった酷い「暴力性」を帯びたものなのだ。この「暴力性」に苦しんだり、葛藤したりする出演者たちの姿に視聴者たちは否応なく自分の感覚を揺さぶられてしまう(ドラマに感動するのとは違う)。すると最後には製作者までもが、出演者の過剰な反応に感動して番組の方向性をますます暴力的なものに変えていく。それはとうとう元カップルを強引に復縁させるところまで行きつく。このような暴力性をメディアに振るわせることで、そのシステムに人々が従属していくのが『未来日記』をめぐる大衆文化現象だったといえよう。つまり人々はメディアにリアルな感覚を求めていったはてに「暴力」の問題に行きついたのだ。詳しくは下記報告書を参照されたい。

  • 1930年代日本映画の歴史社会学的研究

    2000  

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     1930年代の日本映画を象徴するものは、いわゆる「明朗時代劇」と呼ばれるような、稲垣浩、伊丹万作、山中貞雄らの新しい時代劇の運動だったと言えよう。20年代後半には伊藤大輔らの悲愴な反英雄的時代劇や傾向映画的な趣を持った作品が隆盛だったのに対して、30年代には小市民的で庶民的な明るい時代劇が流行ったわけである。この劇的とも言える変化には、「検閲」の問題が絡んでいると思われる。むろん公権力は百姓一揆に仮託して反権力のメッセージを持った傾向映画をずたずたに切り裂いた。映画作家たちにとって、そのような抑圧的状況は表現の障害になったに違いあるまい。しかしこのような権力による目に見える抑圧だけでなく、映画作家の表現方法にとってより内在的な「検閲」もあったのではないか。それはチャンバラという暴力シーンに対する「検閲」なのだ。だからたとえば伊丹は、それまでの時代劇を「殺人映画」と呼んで批判しているし、稲垣はチャンバラは時代劇にとって盲腸のようなものだと否定している。つまり彼らは、それまでの時代劇がヒーローのアクションを売りにする「視覚性」の強い芸術だったのを否定して、セリフと人間心理を中心としたドラマへと変更させようとしたのである。したがって「傾向映画」から「明朗時代劇」への流れはたんに映画の「保守化」とだけ捉えられるべきものではない。たとえば「傾向映画」は強い視覚的効果によって観客をコントロールしようとした。メッセージとしては左翼的だったとしても、観客を統制したい欲望が孕まれているという意味では、それは全体主義的だったのではないか。したがって「明朗時代劇」は、20年代と40年代に挟まれて、観客をメディアによってコントロールしたいという欲望を宙づりしてみせた貴重な試みだったとも言えるのだ。むろんその試みは、40年代になって全体主義によって簡単に圧倒されてしまったとはいえ、そこにあった政治的可能性についてさらに考える必要があるだろう。