2022/11/26 更新

写真a

オオワダ エイコ
大和田 英子
所属
国際学術院 国際教養学部
職名
教授

学位

  • ニューヨーク州立大学オルバニー校   博士

  • State University of New York at Albany   Ph. D.

所属学協会

  •  
     
     

    黒人研究の会

  •  
     
     

    日本アメリカ学会

  •  
     
     

    新英米文学会

  •  
     
     

    日本ウィリアム・フォークナー協会

  •  
     
     

    日本アメリカ文学会

  •  
     
     

    日本英文学会

  •  
     
     

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研究分野

  • ヨーロッパ文学

  • 地域研究

  • 教育学

研究キーワード

  • 新旧奴隷制の比較研究

  • 山岳文化研究

  • 英語圏文学、比較文学

論文

  • 「キャセイ」をめぐる物語ーーフォークナーの初期詩とクレインの詩にみるモダニストのコロンブス表象とグローバルインペリアリズム

    大和田 英子

    新英米文学研究   45 ( 1 ) 30 - 41  2014年07月  [査読有り]

  • 『蚊』とエスニシティ

    大和田英子

    『フォークナー』   10  2008年

  • Cultural Front について

    大和田英子

    「アメリカ文学における労働と所有」研究会    2006年03月

  • 『アメリカによるハイチ侵攻(1915-1934)のFaulknerおよびハリウッド映画界への影響』

    大和田英子

    『立教アメリカン・スタディーズ』   ( 27 ) 131 - 142  2005年03月

  • 「空白の領域」

    鷹書房弓プレス    2004年10月

  • 「アメリカ軍ハイチ侵攻のフォークナーおよびハリウッド映画界への影響」

    アメリカ文学会第38回全国大会    2004年10月

  • エリック・ウィリアムズ『資本主義と奴隷制』(明石書店)

    『図書新聞』   8月27日号  2004年08月

  • 富める国、その理由

    NEAL News (新英米文学会)   61  2004年07月

  • 奴隷(のいる)社会、その多様性

    New Perspective(新英米文学会)   第179号  2004年06月

  • シンポジウム「文学とアメリカ帝国」ーーフォークナー・モダニズム・帝国主義

    アメリカ学会第38回年次大会    2004年06月

  • "History and Memory in Faulkner's 'Carcassonne' and 'Black Music'"

    日本ウィリアム・フォークナー協会主催International Faulkner Symposium 2004    2004年06月

  • 「カルカソンヌ」、あるいは歴史のパリンセスト

    日本英文学会第76回大会    2004年05月

  • David Minter, Faulkner's Questioning Narratives: Fiction of His Major Phase, 1929-42.

    『英文學研究』 日本英文學會   第80巻第1号  2003年09月

  • R. Rio-Jelliffe, Obscurity's Myriad Components: The Theory and Practice of William Faulkner

    『フォークナー』日本ウィリアム・フォークナー協会   第5号  2003年04月

  • 『グローバル経済と現代奴隷制』Kevin Bales著

    凱風社    2002年10月

  • Faulkner, Haiti, and Questions of Imperialism

    Sairyusha    2002年10月

  • 「ニュースの数字に強くなる!」

    大和田英子

    アルク 『English Network』    2002年07月

  • モダニズムとカリブ海域

    大和田英子

    カリブ海域文化文学研究会    2002年05月

  • 「薔薇と毒薬ーー砒素が語る『エミリーへの薔薇』における文化的コンテキスト」

    大和田英子

    『New Perspective』 新英米文学会   173号  2001年06月

  • "Teaching Through Writing in Japanese University Classrooms--An Introduction to the U. S. Composition Studies and the Writing Centers"

    『語研フォーラム』早稲田大学語学教育研究所   14号  2001年03月

  • 「Who is Joanna Burden?ーー人種生成の場としてのLight in August」

    『アメリカ文学研究』日本アメリカ文学会   37号  2001年02月  [査読有り]

  • 「英語学習のヒント」

    大和田英子

    エイゴタウン・ドット・コム    2000年03月

  • ”An Essay on Japanese Alphabet and Ideograps--Two modes of cognition in Japanese"

    大和田英子

    『行政社会論集』   9 ( 2 ) 69 - 83  1997年01月

  • 「『失敗』という名の『可能性』ーーW. Faulkner, ’Revolt in the Earth'をめぐって」

    大和田英子

    『New Perspective』   ( 164 ) 23 - 25  1996年11月

  • 「当世学生気質と資格試験」

    大和田英子

    研究社『現代英語教育』    1996年03月

  • 「TOEFLと英語教育」

    大和田英子

    三友社『新英語教育』    1994年10月

  • 「家父長の死ーー夏目漱石『こゝろ』の謎をめぐって」

    大和田英子

    『行政社会論集』   6 ( 2 ) 1 - 40  1993年10月

  • 「フェミニズムの起源」

    大和田英子

    『New Perspective』   ( 156 ) 36 - 40  1992年12月

  • 「あるヒステリー症患者の『その後』」

    大和田英子

    『松山大学論集 40周年記念号』     1053 - 1068  1991年02月

  • 「不毛の形象としての名前ーー『野生の棕櫚』試論」

    大和田英子

    『アメリカ文学評論』   11 ( 11 ) 22 - 29  1990年07月

    CiNii

  • 「マドンナ再考」

    大和田英子

    『言語文化研究』   9 ( 1 ) 63 - 69  1989年06月

    CiNii

  • 「『エミリーへの薔薇』における語り手の陰謀ーー父親殺しの系譜(3)」

    大和田英子

    『New Perspective』   ( 148 ) 48 - 53  1989年06月

  • 「父親殺しの系譜ーー『八月の光』における父親になれない男達」

    大和田英子

    『アメリカ文学評論』   ( 9 ) 72 - 78  1988年06月

  • 「父親殺しの系譜ーークェンティン・アイザック変身をめぐって」

    大和田英子

    『American Literature Tsukuba』   ( 3 ) 29 - 34  1988年01月

  • 「失われた小さな島ーー『アブサロム、アブサロム!』をめぐる戦略的な読みの試み」

    大和田英子

    『New Perspective』   ( 154 ) 2 - 11  [査読有り]

  • Review of Look Away!

    Eiko Owada

    Mississippi Quarterly   Fall/Winter 2007

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書籍等出版物

  • 環境破壊と現代奴隷制ーー血ぬられた大地に隠された真実

    ケビン・ベイルズ, 大和田英子( 担当: 単訳)

    凱風社  2017年07月

  • Faulkner and Hurston

    C. Rieger( 担当: 共著)

    UP of Southeast Missouri  2017年06月

  • 現代奴隷制に終止符を!

    ケヴィン・ベイルズ著, 大和田英子訳

    凱風社  2011年05月

  • グローバリゼーションと帝国

    油井大三郎, 紀平英作編集, 共著

    ミネルヴァ書房  2006年11月

  • History and Memory in the Novels of William Faulkner

    Noel Polk et, al eds

    Shohakusha  2005年10月

  • カリブの風 英語文学の現在

    風呂本惇子編

    弓書房鷹プレス  2004年10月

  • Faulkner, Haiti, and Questions of Imperialism

    Eiko Owada

    Sairyusha  2002年10月

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受賞

  • 日本ウィリアム・フォークナー協会バイオキョーワ賞

    2008年10月  

共同研究・競争的資金等の研究課題

  • William Faulkner and Global Imperialism

    日米教育委員会  フルブライト・プログラム

    研究期間:

    2014年10月
    -
    2015年03月
     

  • アメリカ文学における「所有」と「労働」

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    広くアメリカ文学作品における「労働(labor)」の概念と「所有(property)」の概念から派生するさまざまな文化・社会・政治状況及びその文学的表象を分析し、文学史を横断する考察を試みる。このとき、「労働(labor)は狭義の「労働者による労働」のみならず、女性によるlaborである出産をも含み、家庭内労働、奴隷労働、肉体労働、知的労働など、ありとあらゆる労働の形態を包括するものとして捉える。また、「所有」についても、私有及び公的財産に関わる所有の諸形態、ならびに、知的所有権に代表される法的概念により明確化される「所有」を考察の対象に含有する。こうした前提条件のもとに、人種・ジェンダー・階級を異にするアメリカの作家たちが、いかに「労働」と「所有」の問題を形象化しているかを探り、労働と所有をめぐるアメリカ的哲学の立脚点を明らかにする。主要設備として、研究関連研究図書を購入し、研究協力者を招き、関心を持つ研究者との研究会を年に5回程度開催し、知識の交流をはかってきた。ここでは理論書の読解とともに、成果発表のための知識交換、研究会を通じて得た知見を研究書にまとめるための意見交換をおこなった。このような研究活動を通じ、アメリカ文学を見渡してきたが、「労働」と「所有」というふたつの概念をキーワードに、法と文学の学際的研究の観点から今まで部分的になされてきた考察とをつなぐ研究の可能性が見いだされることとなり、これが今回の研究の最終目的となった。本研究では、「労働」を知的精神労働に限定せず、広義に解釈し、「所有」の概念を共に考察することにより、アメリカ合衆国におけるマイノリティのみならず、支配者層・資本家・国家権力等の精神性、政治性を解き明かし、文学に形象化される際の影響力を読み解くことにより、これまでの研究をさらに発展させる

  • 伝承・口承文化と物語の生成との関連-フォークナ-と南部文化

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    本研究は、当初の予定どおり、アメリカ南部を中心に分布したと考えられる口承文化を収集し、内容を検討した結果、黒人・プアホワイトなどの伝承文化に行き着いた。口頭でやりとりされる物語、歌詞などの類型は、その内容に関しては、フォークナ-により、独自の物語効果を高める手法で、短編・長編を問わず巧妙に語りの中に取り込まれている事実が検証された。しかし、フォークナ-研究において近年特に指摘されている「女性の声」の異常な程の少なさ、即ち物語の生成の過程において、何故作家が口承文化の主役であったはずの「女性の声」を閉め出したのか、という問題には十分な検討が加えられてこなかった。これまでのフェミニスト理論の主流から考えると、「白人男性作家による差別と偏見」故に、女性登場人物はその「声」を奪われ、不当に虐げられている、フォークナ-においては、それが顕著であるとみなされている。しかし、フォークナ-を取り巻いていた豊かな口承文化の主要な担い手が女性であったことを鑑みれば、「差別」「蔑視」の感情のみで、作家が女性の声を彼の主要な小説から排除したとは考えにくい。これを裏付けるかのように、ヴァージニア大学オールダマン図書館に所蔵されているフォークナ-の戯曲のタイプスクリプトの断片は女性登場人物の台詞によって成立している。この未発表の原稿は版権の制限により日本では入手できず、本研究において、この原稿に言及する最終的な結論に至ることは出来ないが、物語の生成過程においてフォークナ-が女性の声を排除せざるを得なかった事実が、皮肉なことに、豊饒な口承伝承が主として女性によって栄えた点にあるというパラドキシカルな仮説を本研究の到達点として論文化する

  • ウィリアム・フォークナーのハリウッドでの著作と同時代作家との関連

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    ウィリアム・フォークナーは1920年代後半から1940年代前半まで映画脚本の執筆に携わっていたが、その動機は財政問題にあったため、この時期のシナリオ諸作品には、文化的・歴史的視点からのアプローチが欠けていた。しかし、フォークナーと同時期にハリウッドでシナリオ製作、あるいは、映画プロデュースに携わっていた、作家・映画監督などの動向を詳細に検討すると、当時のアメリカ政府による文化政策の影響が色濃く、フォークナーもその影響の範囲内での仕事を余儀なくされていた事実が浮かびあがる。本研究では、フォークナーがハリウッド時代、共に仕事をしたハワード・ホークス文書をユタ州ブリガム・ヤング大学図書館にて調査し、フォークナーとホークスのみならず、ガイ・エンドア、エイゼンシュテインらとの共通認識であったアメリカ海兵隊によるハイチ侵攻及びハイチからの撤退という歴史的事実が与えた映画界への影響の痕跡を探った。映画に携わった当時の映画人・作家は、表現のうえでも、思想のうえでも、アメリカの軍事行動に反発を示し、アメリカ政府がそれに対して検閲制度を強化していったが、そのような制限の中で、いかなる文学作品あるいは映画が生まれ、あるいは闇に葬られていったのかを検証した。ガイ・エンドアの『バブーク』はその好例でもあるが、エンドアとフォークナーが同時期にハリウッドで脚本制作に携わりつつ、全く異なるハイチ表象を選択した背景は、各々の思想的相違というよりは、ハイチに対するイメージの相違と考える

講演・口頭発表等

  • アメリカ文学の変容と現在 (司会およびコメンテーター)

    新英米文学会  

    発表年月: 2007年11月

  • シンポジウム・フォークナーとエスニシティーー『蚊』におけるエスニシティ

    日本ウィリアム・フォークナー協会  

    発表年月: 2007年10月

学内研究費(特定課題)

  • 奴隷制と記憶―アメリカ南部文学における奴隷の記憶表象

    2017年  

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     私たちは通常「記憶がある」という前提で元奴隷の記録を読む。しかし、世界(社会)認識のための知識が与えられていない人間の場合、時間・空間認識ができず、「記憶」には認識の軸となるべきものが存在しないことになる。Kevin Balesの『環境破壊と現代奴隷制』ではそのような認識の軸を持たない元奴隷の世界認識の一端が披露されている。ここで振り返ってみると、通常の「奴隷」「元奴隷」による物語や記録は明白な認識の軸を示しており、その知的活動のレベルの高さが疑念の的にもなってきた経緯がある。ハリエット・ジェィコブズがその自伝的物語が他人の手になるものではないかという疑いをかけられたのはその具体的な例でもある。逆に考えるなら彼(女)たちの物語では、白人主人階層の持つ体系的な「記憶」のまとめ方が展開されているといえる。その意味では、こうした「元奴隷」の記憶による表象は、そのほか多くの奴隷たちの世界認識とは異なっていた可能性があるのではないか。本研究では奴隷たちの、余白に溢れた記憶のすくい取られ方に対して仮説を構築した。

  • アメリカ南部文学におけるユダヤ人表象ーウィリアム・フォークナーの初期作品から『寓話』まで

    2016年  

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    ウィリアム・フォークナーの初期作品には多彩な人種表象が認められる。その特徴は、ほぼ無意識に描写がなされていることであり、近年隆盛となった人種や民族をめぐる諸問題への意識の萌芽が認められる点である。フォークナーの場合は分析の視点として、アフリカ系アメリカ人、旧南部の元奴隷、その子孫への眼差しがクローズアップされ、アメリカ史の影となってきたネイティヴ・アメリカンへの視線が時折交錯するケースが多い。そのほかの人種表象に関しては、ややもすると等閑視され、フォークナー家のルーツをめぐる掘り下げに止まるケースが多い。本研究では、初期作品「ニューオーリンズ・スケッチ」におけるユダヤ人と『寓話』におけるユダヤ人の表象の変化を比較すると同時に、米国深南部に存在していたユダヤ人コミュニティーの特異性を参照し、アメリカ社会におけるユダヤ人表象の特徴を比較検討した。

  • American Modernism in the Context of Global Imperialism

    2015年  

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         In this research, I focused on Faulkner’s early poem titled “Cathay” since the poem represents one of the exotic romanticism suggesting the Far East known by the journeys of Marco Polo as well as the infusion with Faulkner’s awareness on Columbus's journeys to the New World which led to the identification of Cathay with the Caribbean region; by calling the Caribbean region “Cathay,” it arouses a symbolic implication of Columbus’ mistakes and the colonial invasions after him.        In order to reinforce above points, I explored Walt Whitman and Willa Cather’s works in praise of Columbus to examine how the meaning of Columbus's "discovery" has been accepted and interpreted and how modernist texts are laden with multiple meanings of Columbus's "discovery."  By so doing, I compared the meaning of "Cathay" used in Hart Crane’s The Bridge; American authors, especially the modernists, began trying to interpolate certain criticism concerning American experiences between the lines.  By referring to the Caribbean area as “Cathay,” the works of Faulkner and Crane suggest that the “discovery” of the New World became the basis of the modern world, leading to genocide and the introduction of slavery to the Americas, which also became the beginning of today’s globalization.

  • アメリカン・モダニズムへのグローバル・インペリアリズムの影響

    2013年  

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     本研究は、アメリカ文学におけるコロンブス表象とコロンブス解釈の近年の遷移を今一度概観し、そうした解釈の萌芽となる表象を、アメリカのモダニストの作品のなかに見いだそうと試みるものである。アメリカの建国神話を大きなパズルに喩えるなら、コロンブスの「新大陸発見」という伝説は重要なピースとなろう。だが、その伝説が賞賛だけではすまされない大きな罪と背中あわせであるという背反する事実は、文学的想像力によってどのように昇華されたのか。また、コロンブスを、グローバル化するインペリアリズムの魁とする意識は、どのような文学的営為により記述されたのか。本研究では、ウィリアム・フォークナーとハート・クレインの詩にこれらの痕跡を読み取りたい。 本研究は、まず近年のパラダイム・シフトの参照を行い、19世紀半ばに起こった日本の開国を含むアジアでの変動を受けた19世紀末から20世紀初頭にかけて、アメリカ知識人が直面したパラダイム・シフトへと焦点をもどしていく。これには、西部開拓が終わりを告げ、第一次世界大戦をかろうじて乗り越えた時代の流れのなかで、文学の世界でもそれまでの既成概念や価値観に一石を投じる新しい潮流がモダニズムとして興ってきた、その変革を含められるであろう。そうした文学形式が花開いた場所で、コロンブス表象はどのように扱われていたかを概観する。 ここで手がかりにしたいのは1910年代から1930年にかけてのモダニスト詩人の作品である。これらの作品には、角度の異なる「コロンブス」の読み方が提示されているからであるが、本研究では端緒として『ミシシッピアン』1919年11月12日号に掲載された、ウィリアム・フォークナーの「中国(キャセイ)」(以下「キャセイ」と表記)をみておきたい。この詩はフォークナー研究においても取り上げられることが非常に少なく、フォークナーの初期詩作の経緯を叙述するときのみ言及されるといっても過言ではない。 フォークナーの「キャセイ」と対比するためにクレインの「橋」を参照し、クレインのコロンブスは誤謬を飲み込み、その後のアメリカ大陸の発展へと『橋』のテーマは展開していくが、クレインの語り手も、無垢な人々の犠牲の上に成り立つ新世界の発展を無邪気に祝うわけにはいかず、終章では「血に染まる槍」(Complete 74, 楜沢140)を掲げつつ、幻の大陸アトランティスと幻の黄金の国キャセイを同義とすることで詩的昇華を計ろうとする。こうして、文学の想像力はキャセイをめぐる矛盾を露呈させるさまを検証した。 

  • フォークナーの初期詩・短編と文化的制度としての文芸紙誌

    2011年  

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    1960年代以降編纂されるアメリカ文学史においてはモダニズム作家と位置づけられるフォークナーであるが、その初期の作品にはロマン主義の影響が色濃く認められる。フォークナーが詩人として出発した若きロマン主義者からの脱皮を図り、モダニストとしての小説技法にたどり着くまでの、スプリングボードとして初期詩作品の見直しが進められる傾向は常にあった。だが、作品そのものにのみ焦点を当てるだけではモダニズムへの飛躍の過程が必ずしも説得力を持たない。今回の研究では1920年代の南部とその社会に限定されることなく自由に作品を発表できる場として文芸誌のみならず総合雑誌にも投稿の場を求めたフォークナーの無名時代の社会背景を考慮にいれつつ、若き文学者の想像力を支えた社会状況を再構築した。 従来から文学研究においては「芸術性を取るのか社会との関与を取るのか」といった二項対立の図式が踏み絵のように敷かれている。ややもすれば、芸術性を取れば社会変革の意志が成立しない、あるいは、社会改革の意思のある芸術は二流、三流であるといったスローガンにまでなってしまった感がある。そうした観点からみると、ロマン主義の洗礼を受けたフォークナーの初期詩は、社会や政治との関与を是非排除したいと考える批評家にとっては格好の材料であったといえるであろう。確かにその詩の世界は牧歌的であり神話世界に通じるものであり、ひたすら美を賛美し志向していると表面上は受け取ることができる。だが、ポストコロニアリズム理論の到来を待つまでもなく、こうした表面上の表現の下には、パリンプセストさながら、当時の社会情勢が配置されていた。実際、こうした詩作品や初期の習作が投稿され掲載された雑誌媒体は、当時の社会状況に批判的に対峙していた。個々の記事が次から次へと世界情勢を論じる隙間に、フォークナーは投稿の場を見出していた。こうした雑誌媒体は、記録文書として扱われるにふさわしく、そうした背景に囲まれたテクストとして、フォークナーの初期詩も読み直しを意図する時期に来ている。

  • ウィリアム・フォークナーの初期試作品をめぐる文化社会的コンテキスト

    2010年  

     概要を見る

     今年度は第一次資料の精読を行い、これまでの研究成果を総覧することに努めた。特にニューオーリンズやヨーロッパでの創作時期に書かれた作品、詩人としての模索の時期に書かれた作品を中心とした。この時期の作品は、A・E・ハウスマン、ジョン・キーツ、コンラッド・エイケン、T・S・エリオットなど多くの詩人の影響が認められ、合わせてインターテクスチュアリティーを掘り下げた。特に、キーツのnegative capabilityに代表されるような「詩的知覚」の源泉とも言うべき表現方法に注目した。フォークナーの場合、こうした知覚は彼自身の言葉によると「一枚の絵」に凝縮されることが多く、そこから後の長編が紡ぎだされる源泉ともなっているため、そうした心象風景が浮かぶ更なる源泉を初期作品の詩的イメージに重ね合わせる試みでもある。これは、フォークナーの語る「挫折した詩人」の観点からも、彼の詩的言語の解釈には後の長編作品の創作原理にもつながっていく。 初期の作品は、主として雑誌や新聞、タブロイド判パンフレットなどに投稿・掲載され、のちに、フォークナーが作家としての地盤を固めてから詩集として出版されたものが多い。もちろん、「詩集」として読む場合、その創作原理をより純粋に取り出すことは可能なのだが、フォークナーが現実の生活のなかから取り出した詩の言葉は、それが産み落とされた時代の息吹と対照することにより、その源泉を明確にできるものと考えられる。

  • 初期フォークナー詩作品の文化的コンテキスト

    2009年  

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     従来、フォークナーの初期詩作品については、その作品内容の解釈が中心であり、詩集としてまとめられた形での解釈が通常行われている。だが、フィル・ストーンの後援・助言を得てフォークナーが作品を応募した雑誌では、主として政治的言説や1920年代当時の国際関係の分析に関する論文などが多数を占めていた。つまりフォークナーの初期詩はそれのみ独立させて読むならば、古典的ギリシャ世界を彷彿とさせ、審美的な言語の美しさを求め、青春の喜び、苦しみを謳っているものがほとんどなのであるが、そうした詩が初出した場面は政治的にも歴史的にも激しく揺れ動く世界に取り囲まれていたことになる。本年度はこうしたフォークナーの詩の初出の場面を詳細に取り上げ、分類作業を行うことに徹した。 フォークナーの作品では「生」と「死」、「静寂」と「喧噪」などのように対立し、異質であるものの対比をその詩的イメージに封じ込める傾向がみられ、それが後の短編作品および長編作品に用いられる表現として昇華されていく。本研究では、初期詩の作成された環境と発表された雑誌における国際状況の変遷がその昇華の過程にまで踏み込んで作家の歴史的無意識を形成していたことを立証したいと考えている。第一次世界大戦と第二次世界大戦のあいだで、断片化していく世界を前に詩人の感応力が吸収した歴史の動きが、いかに形象化されていくのか、まずは短編においてさらに掘り下げたい。 

  • アメリカ文学研究の日本におけるライティング・センター運営への応用

    2004年  

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    コンポジション・スタディズは日本では新しい分野である。本研究では英語圏の大学で設置されているこの分野の基本文献をふまえ、従来のアメリカ文学研究との連関を計った。歴史的にみるならば、ライティングセンターの設置とコンポジション・スタディズは互いに補完しながら発展してきた。ライティングセンターは、第二言語として英語を教授するアプローチとは異なり、よりよいプロダクツを目指すのではなく、よりよい書き手の育成に主眼を置いている。本研究では、こうしたメソッドの活用法、および英語でのライティング能力を論理レベルで向上させるという方法を研究し、「読み」の対象となっている文献を解析することから、トピックの選定と論の発展の仕方に着目した。今回の研究では、理論的には、論理のつながりに着目することにより、英語から日本語への翻訳文における誤りを分析し、また「解釈」および「書く」という行為から、どのような論理構成が見えてくるのかを考察した。さらに、論理レベルから移行し、文学研究における主体の問題が解釈に与える影響を、フーコーの唱える理論面から考察した。こうした理論的側面に加えて、ライティングセンターでの一対一セッションから、書き手に対し、権威を持った主体として対するのではなく、論理を追いつつ、効果的な論文を作成する指導を行い、その達成を助ける作業がどのようになされるかを視野に入れつつ、理論から実践への架橋ががいかに可能かを模索した。さらに、こうした考察に基づき、単なる文法的間違いに主眼を置くのではなく、内発的な思考能力を引き出すという作業が必要であり、理論に依拠しながらも、個別の書き手のニーズを考慮しつつ、実際の指導にあたった。 日本に類似の分野がないため、英語におけるライティング指導に関しては、単なる文法的間違いを直す、つまりプルーフリードのレベルから、書き手の内発的思考能力を引き出すレベルへの適応には、さらに理論的考察を要する。しかし、学習者の基本的学習態度に方向性を与えるならば、第二言語でのライティング指導にも、論理レベルでの思考力が大きく関わっている。それ故に論理的に葛藤を起こしている事柄に注目しつつ、プロダクツを改良する方策を導き出す方向性を見いだせよう。こうした知見に基づいて、文学作品の解釈とその文化的背景を利用しつつ、学習者の主体と作品の主体との葛藤を意図的に作り出し、そこから生まれる問題意識を中心に論理構成を行い、それに依拠しつつ、リサーチの深化、論の発展のきっかけを作る、疑問点の創出など、文学研究の枠にとどまらないライティング指導法・読解力の育成法を用い、具体的な文学作品考察を試みた。

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海外研究活動

  • フォークナー作品のヨーロッパからの影響と創作過程との関連およびフランスでのフォークナー解釈の特異性について

    2010年04月
    -
    2011年03月

    フランス   トゥルーズ大学

 

現在担当している科目

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