2024/11/24 更新

写真a

オオトシ テツヤ
大稔 哲也
所属
文学学術院 文学部
職名
教授

経歴

  • 2024年09月
    -
    継続中

    早稲田大学総合人文科学研究センター   所長

  • 2014年04月
    -
    継続中

    早稲田大学   文学学術院   教授

  • 2006年
    -
    2014年

    東京大学大学院人文社会系研究科   アジア史コース   准教授

  • 1996年
    -
    2006年

    九州大学 大学院人文科学研究院 歴史学部門   助教授

  • 1999年
    -
    2000年

    日本学術振興会カイロ研究連絡センター   センター長

  • 1994年
    -
    1996年

    山形大学   教養部   専任講師

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委員歴

  • 2022年06月
    -
    継続中

    日本イスラム協会  代表理事(理事長)

  • 2021年01月
    -
    継続中

    エジプト歴史学協会  評議員

  • 2020年06月
    -
    継続中

    史学会  評議員

  • 2019年04月
    -
    2021年03月

    日本中東学会  会長

  • 2008年
    -
    2009年

    地域研究学会連絡協議会  事務局長

所属学協会

  • 1996年
    -
    継続中

    日本文化人類学会

  •  
     
     

    史学会

  •  
     
     

    日本イスラム協会

  •  
     
     

    日本オリエント学会

  •  
     
     

    日本中東学会

研究分野

  • 文化人類学、民俗学 / アジア史、アフリカ史

研究キーワード

  • 中東歴史人類学

  • Middle Eastern Historical Anthropology

受賞

  • 日本オリエント学会奨励賞

    1994年  

 

論文

書籍等出版物

  • 「アラブの春」のアクチュアリティ : エジプト一月二十五日革命を中心にみるグローバリゼーション下の日常的抵抗

    大稔, 哲也( 担当: 編集)

    山川出版社  2024年07月 ISBN: 9784634672628

  • エジプト死者の街と聖墓参詣―ムスリムと非ムスリムのエジプト社会史

    大稔 哲也( 担当: 単著)

    2018年10月

  • 死者の追悼と文明の岐路 : 二〇一一年のエジプトと日本

    大稔, 哲也, 島薗, 進, 東京大学大学院人文社会系研究科グローバルCOEプログラム「死生学の展開と組織化」( 担当: 共編者(共編著者))

    三元社  2012年03月 ISBN: 9784883033089

  • Le développement du soufisme en Égypte à l'époque mamelouke

    大稔 哲也( 担当: 分担執筆,  担当範囲: Taṣawwuf as Reflected in the Ziyāra Books and Cairo Cemeteries)

    Institut français d'archéologie orientale, Cairo  2006年

  • Muslims and Copts as Reflected in the ┣DBZiy(]E87BC[)ra(/)-┫DB Books and ┣DBQar(]E87BC[)fas(/)-┫DB

    Islam in the Middle Eastern Studies : Muslims and Minorities  2003年

  • イスラーム世界の参詣-聖者とスーフィズムを視野に入れつつ-

    岩波講座世界歴史10 イスラーム世界の発展7-16世紀  1999年

  • 中世エジプト・イスラム社会の参詣・聖墓・聖遺物

    地中海世界史4 巡礼と民衆信仰  1999年

  • 死者の街と「エジプト」意識-ムスリム社会の聖墓参詣-

    地域の世界史7-信仰の世界史-  1994年

  • The City of the Dead and the Conception of"Egypt" : The Visits to the Holy Tombs in the Muslim Society

    The World of Beliefs  1994年

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Works(作品等)

  • 「アラブの春」と1月25日革命の研究

    大稔 哲也  その他 

    2011年
    -
    継続中

  • ムスリムと非ムスリムの共存に関する研究

    大稔 哲也 

    1996年
    -
    継続中

  • カイロの庶民地区におけるインフォーマル・セクターの研究

    1988年
    -
    継続中

  • カイロの庶民街における人類学的調査

    1988年
    -
    継続中

  • エジプトにおける聖墓参詣・聖者崇敬に関する研究

    1986年
    -
    継続中

  • Fieldwork on the Visit to the Tombs and the Cult of the Saints in Egypt.

    1992年
    -
     

  • Anthropological Survey on the Popular District of Cairo

    1988年
    -
    1991年

  • Research on the Informal Sectors in the Popular District of Cairo

    1988年
    -
     

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共同研究・競争的資金等の研究課題

  • アジア東西の農耕文化圏における先史時代ブタ飼育の比較

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2022年04月
    -
    2025年03月
     

    板橋 悠, 大稔 哲也, 丸山 真史, 菊地 大樹, 新井 才二, 覚張 隆史

  • イスラーム期の西アジアにおける墓地と都市

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2019年04月
    -
    2021年03月
     

    大稔 哲也

     概要を見る

    2019年度の研究活動は、①アラビア語による文書史料や写本史料を閲覧・蒐集し、②以前から蒐集を始めていた史料や、今年度新たに蒐集した史料の検討を行い、③国内外の研究集会などの場でその成果を公表すると共に、各国の研究者と意見交換を行うという形にまとめることができる。
    昨年度、まずシカゴ大学図書館(8~9月)において、同図書館が所蔵するマムルーク朝期エジプトのワクフ(寄進)文書のマイクフィルム全巻、およびオスマン朝期のイスラーム法廷台帳に目を通し、そこからエジプトの墓地に関連する情報を抽出した。続いて、11月から翌年2月まではエジプト・カイロへ拠点を移し、主としてエジプト国立文書館のワクフ文書コレクションを精査した。また、同じくカイロの国立図書館の写本部門他でも閲覧作業を行った。
    さらに、カイロから出張する形で、ロンドンのブリティッシュ・ライブラリーへ赴き、エジプト死者の街に関連するアラビア語史料の原写本を調査した。加えて、カイロの墓地区「死者の街」においては、墓堀人のM・アブドゥッラー氏や墓地に居住するA・サイード氏から、墓地や埋葬の現状について聞き取り調査した。
    また、イスラーム王朝期の西アジア史研究における代表的国際学会である国際マムルーク学会(The Sixth Conference of the School of Mamluk Studies, 2019年6月15日~17日)を大会責任者として主催するとともに冒頭で講演し、各国の研究者たちと真摯な意見交換を行った。それに付随して、エジプトの都市史や墓地について造詣の深いE・アブー=ガーズィー教授(カイロ大学、元エジプト文化大臣)、F・ボダン教授(リエージュ大学)、A・ガシノヴァ教授(バクー国立大学)らを招聘し、関連するレクチャーが行われた。なお企画の一部は、コロナ禍の影響で次年度へ延期された。

  • 四国遍路の学際的総合研究-地域資料によるその実態解明と国際比較-

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2013年04月
    -
    2017年03月
     

    寺内 浩, 河合 眞澄, 長谷川 賢二, 大稔 哲也, 西 耕生, 小幡 尚, 弘末 雅士, モートン 常慈, 松永 友和, 大石 雅章, 胡 光, 石川 重雄, 小嶋 博巳, 関 哲行, 竹川 郁雄, 矢澤 知行, 町田 哲, 稲田 道彦, 川岡 勉, 浅川 泰宏, 高橋 弘臣, 菅谷 成子, 吉田 正広, 加藤 好文, 神楽岡 幼子, 青木 亮人, 中川 未来, 内田 九州男, 山川 廣司, 今村 賢司, 井上 淳, 上野 進, 松岡 明子, 三好 賢子, 御厨 義道, 岡本 桂典

     概要を見る

    51番札所石手寺、52番札所太山寺などで資料調査を行い、多くの未発見の文書等を整理し、報告書にまとめた。衛門三郎伝説は本来的には石手寺における熊野信仰の由来譚であり、弘法大師信仰にもとづくものではなかったことなど、多くの新しい事実を明らかにした。また、国内外の他の巡礼との比較研究を行い、四国遍路は権力や教団の関与がなく、一般人が主体の巡礼であることを解明した。

  • 中近世キリスト教世界の多元性とグローバル・ヒストリーへの視角

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2013年04月
    -
    2017年03月
     

    甚野 尚志, 大稔 哲也, 平山 篤子, 踊 共二, 三浦 清美, 青柳 かおり, 太田 敬子, 根占 献一, 関 哲行, 網野 徹哉, 大月 康弘, 疇谷 憲洋, 皆川 卓, 印出 忠夫, 堀越 宏一

     概要を見る

    我々のプロジェクトは、中近世のキリスト教に関わる諸問題をさまざまな視角から分析することを目指した。それも地域的には、ヨーロッパ世界に広がったキリスト教の問題だけでなく、布教活動とともにキリスト教化した他の世界の諸地域も対象とした。これまでの研究は主として、中近世キリスト教の非妥協的態度、迫害社会の形成、異教徒との対決の視点から研究がなされてきたが、我々は最近の研究動向に従い、中近世キリスト教世界の多様性やことなる宗教の共存に光があてつつ研究活動を行ってきた。この間の多くのワークショップなどの成果に基づき、各分担者が論文などで中近世のキリスト教史の新しいイメージを提示できた。

  • 「アラブの春」の社会史的研究―エジプト「1月25日革命」を中心に―

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2012年04月
    -
    2016年03月
     

    大稔 哲也, 池田 美佐子, 山岸 智子, 岩崎 えり奈, 齋藤 剛, 植村 清加, 内藤 順子

     概要を見る

    本科研では、「アラブの春」について、エジプト1月25日革命を中心として、その実態と性格、背景、歴史的意義について、詳細な共同研究を行った。その際に、エジプトの過去の革命や他のアラブ諸国・中東諸国の事例、南米やフランスの事例などとの比較検討も遂行し、歴史学・人類学・社会学など複数の方法論を併用することによって、多面的な考察を深めるよう心掛けた。また、エジプトやチュニジアをはじめとする現地の研究者との連携を密にすると共に、国内の若手研究者を中心に糾合した研究会を連続して開催し、本テーマに関する研究者のネットワーク構築を進めた。そして、これらによって、本研究テーマに関する研究書の刊行を準備した。

  • 世界の中のアフリカ史の再構築

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2012年04月
    -
    2016年03月
     

    竹沢 尚一郎, 坂井 信三, 大稔 哲也, 杉村 和彦, 北川 勝彦, 鈴木 英明, 松田 素二, 武内 進一, 高宮 いずみ, 池谷 和信, 宮治 美江子, 富永 智津子

     概要を見る

    本研究は、欧米諸国に比して遅れているわが国のアフリカ史研究の推進のために実施された。それに当たり、アフリカ史を他地域との交流の観点から明らかにすること、考古学発掘をはじめとする一次資料の入手に主眼を置いた。本研究により、西アフリカで10世紀の巨大建造物を発掘したが、これはサハラ以南アフリカ最古の王宮と考えられ、交易やイスラームの進展について大きな寄与をなした。その他、13-14世紀の東・西・南部アフリカ各地で社会経済的発展が実現されたこと、国家をもたない社会における歴史記述の可能性が明らかになったことなどの成果があった。
    これらの成果をもとに、「アフリカ史叢書」の発刊の準備を進めている。

  • 地中海島嶼社会の経済社会ネットワークと地域研究の方法と視角

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2008年
    -
    2011年
     

    大月 康弘, 加藤 博, 坂内 徳明, 中島 由美, 齊藤 寛海, 立石 博高, 長澤 栄治, 大稔 哲也, 三沢 伸生, 亀長 洋子, 堀井 優, 竹中 克行, 松木 栄三, 三浦 徹, 栗原 尚子, 臼杵 陽, 勝田 由美, 黒木 英充, 堀内 正樹, 岩崎 えり奈, 青山 弘之, 飯田 巳貴

     概要を見る

    地中海世界の歴史において人びとの活動の重要拠点となった「島嶼」に注目し、自然・生態環境に規定された人々の生活・経済空間としてのマイクロエコロジー圏、および当該マイクロエコロジー圏が対外世界と切り結んだ経済社会ネットワークの構造分析を行った。政治的、人為的に設定され認知されてきた「地域」「海域」概念、および歴史的統一体としての地中海世界の存在論にも批判的検討を加えた。

  • 四国遍路と世界の巡礼、その歴史的諸相の解明と国際比較

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2007年
    -
    2009年
     

    内田 九州男, 竹川 郁雄, 寺内 浩, 山川 広司, 加藤 好文, 川岡 勉, 加藤 国安, 小嶋 博巳, 河合 真澄, 関 哲行, 弘末 雅士, 稲田 道彦, 大稔 哲也, 野崎 賢也, 伊地知 紀子, 松原 弘宣, 西 耕生, 田村 憲治, 神楽岡 幼子, 黒木 幹夫, 菅谷 成子, 若江 賢三, 藤田 勝久, 高橋 弘臣, 吉田 正広, 木下 卓, 矢澤 知行, 岡村 茂, 石川 重雄

     概要を見る

    シンポジウム・研究集会を3年開き31本の報告を実現、各発表は報告書に掲載した。巡礼の諸相の解明では、日本の四国遍路、熊野参詣、西国巡礼、海外では10巡礼地を調査し、キリスト教世界(古代東部地中海、中世ヨーロッパ、スペイン中近世、イギリス中世・現代)、古代ギリシア、アジア(中国中世、韓国現代、モンゴル中世、エジプト中世、ジャワ中世)の巡礼で実施。国際比較では、日本の巡礼とキリスト教巡礼での共通性は中近世では来世での霊的救済と現世利益の実現を願うことであることを示した。

  • 西アフリカの歴史的文明の形成と展開過程に関する歴史人類学的研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2006年
    -
    2007年
     

    坂井 信三, 竹沢 尚一郎, 仲谷 英夫, 大稔 哲也

     概要を見る

    本研究は、西アフリカ・マリ共和国での現地調査をとおして、西アフリカ内陸に成立した独自の文明の発生と展開の過程を明らかにすることを目的とする。この地域の文明形成過程については、これまでサハラ縦断の西側ルートに沿って研究が進められてきたが、カイロに至るサハラの東側ルートに関しては十分な現地調査がおこなわれてこなかった。本研究は、東側ルートに沿って発展したニジェール川大湾曲部東部のガオ周辺に関心を集中し、社会人類学・歴史人類学・イスラーム史・古生物学などの多分野の日本人研究者とマリ人考古学者との共同作業によって、ニジェール川大湾曲部東部の文明形成過程の総体的にとらえることを目的とする。
    竹沢尚一郎と仲谷英夫は、マリ人考古学者とともにガオ旧市街の「カンク・ムサ王のモスク」跡とされてきた遺跡で発掘調査をおこない、大規模な石造建築物の存在を明らかにした。出土品からは、当該遺跡が西アフリカ最古の王宮跡である可能性が非常に高いと考えられる。坂井信三と大稔哲也は、平成18年度はガオ市郊外のガオーサネ遺跡に隣接するムスリム墓地のアラビア語碑文を持つ墓石の調査にあたり、10数個の墓石を新たに記載して、被葬者の名前や性別、死亡の日付などを含む墓誌を解読し、加えて19年度調査では、トンブクトゥ、アラワーンにも足をのばしてアラビア語古文書の保存状況について調査した。
    竹沢が中心となって実施したガオ旧市街の石造建築物遺跡の発掘調査は、平成19年度末の時点ではまだ完了していない。また坂井が担った文字資料の研究、とくにガオーサネのアラビア語墓碑の研究は、ガオーサネおよびガオ旧市街の遺跡との関連でその歴史的意義が明らかになる性質のものである。ニジェール川大湾曲部東部の文明形成過程程の全容が明らかにされるには、今後さらに粘り強い研究が必要であろう。

  • 環地中海世界の聖地巡礼と民衆信仰

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2003年
    -
    2006年
     

    関 哲行, 豊田 浩志, 多田 哲, 三浦 清美, 大稔 哲也, 長谷部 史彦, 根津 由喜夫, 松木 栄三

     概要を見る

    平成15年度は初年度でもあるので、研究会全体の方向性を確認しつつ、研究分担者と外部報告者による研究会を組織した。研究会のうちの1回では、ロシア人研究者を招聘してシンポジウムを開催し、ギリシア正教を含む比較宗教学の視点から、巡礼の歴史的意味を考察することができた。
    平成16年度の研究会では文化人類学や四国巡礼に関する報告も組み込み、地中海世界の巡礼研究との異同を確認した。豊田はサンティアゴ巡礼路を自ら徒歩で歩む一方、多田はイギリスの国際学会での報告を行った。
    平成17年度は豊田が聖地イェルサレムを訪れ、イエスゆかりの聖所についての現地調査を実施した。関と大稔は国際シンポジウム「四国巡礼と世界」に参加し、アジア諸国の巡礼との比較研究の上で多くの知見を得た。
    平成18年度は科研の最終年度であるので、研究の総括に取り組み、おおよそ以下のような研究成果を確認できた。
    (1)キリスト教、イスラム教、ユダヤ教という地中海世界の三つの一神教には、教義や教会組織(教団)などの点で相違点が見られる一方で、巡礼については親近性が少なくない。
    (2)巡礼は教会や教団により敬虔な宗教的営為とされる反面、民衆信仰の要素を常に包摂しており、教会や教団による保護と統制を必要とした。病気治癒に代表される民衆信仰こそが、多くの民衆を巡礼に駆り立てた主要因の一つであった。
    (3)ユダヤ教がキリスト教やイスラム教の母体となっていることから、三つの一神教に共通する聖地や聖人は少なくない。
    (4)差別と緊張を孕む地中海世界の総体的把握には、教会や教団の言説だけでなく、民衆信仰の表明としての巡礼にも目を向けなければならない。
    (5)研究者自身による現地調査や巡礼体験の重要性も、再確認できた。これらは今後の巡礼研究の動向に、影響を与えるはずであるし、その一端が各研究者の著書や論文に垣間見られる。

  • 「布教」と「改宗」の比較宗教学的研究-モダニティ・宗教,コロニアリズム

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2003年
    -
    2005年
     

    関 一敏, 竹沢 尚一郎, 関根 康正, 林 淳, 坂井 信三, 大稔 哲也, 山中 弘, 月本 昭男

     概要を見る

    本研究は「布教」と「改宗」という宗教の臨界点に焦点をしぼり、個々の宗教的伝統の内発的拡大の論理と、その結果、各地に生じた歴史的事態の検討をもとに、宗教表象の危機を学問的課題へと高める方法的な試みである。モダニティとコロニアリズムという近代世界の再編成を前提として、(1)「宗教」の定義でなく、古典的分類をふまえた新たな分類原理(orthodoxyとorthopraxy)による、より適合的な宗教理念の再構成を図ること、(2)西欧キリスト教モデルの世界普及のはらむ近代のダイナミズムを脱宗教的コンテクスト(ナショナリズム、コロニアリズム等の政治経済的要因など)との接合によって、より包括的な宗教学的主題群の回復を図ること、を目的とする。
    最終年度にあたる今年度は3回の全体共同研究会および1回の個別研究会において、個別事例群の検討(初年度からの継続)ふまえつつ、主題群(方法論を含む)の整理検討を試み、以下の知見を得た。
    伝道論(布教・宣教・改宗)
    a)慣習と言語をめぐる宣教の変異パターンの析出
    b)非宣教タイプの宗教群の世界史的配置
    c)モダニティ・文明への改宗論
    類型論
    a)宗教の理念型としてのキリスト教モデルの析出(practiceとbeliefの一致)
    b)仏教、イスラム、ヒンドウー、神道との比較可能性(orthodoxyとorthopraxyの類型)とその限界
    c)日本型宗教理念の析出およびアニミズムの配置(宗教の理念型[上記ab]を複数化しつつ)
    これらは総じて近代的な国境タイプの宗教のウチ/ソト問題を、より日常的なわれら/かれら問題へと文脈化し、表象のエコノミーの克服でも廃棄でもない、二分法のほぐし方へと主題を深化させる糸口となろう。

  • カイロの墓地区「死者の街」のデータベース化による歴史研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2001年
    -
    2003年
     

    大稔 哲也

     概要を見る

    まず第1に、エジプト死者の街や、その『参詣の書』に関連する史料・研究書について調査し、蒐集することが出来た。特にエジプトでは、国立図書館などにおいて貴重な資料のマイクロ複写を行った。次いで、イスラーム初期以来、エジプトの広大な墓地区「死者の街」に埋葬されてきた人々に関するデータベース作成に従事した。特に死者の街『参詣書』のデータを、情報の項目を整理したシートへ被葬者・参詣所ごとに入力した。項目としては、参詣所名、被葬者氏名(通称、尊称、添え名など)、性別、生没年、家系・家族全般の情報、身体的特徴、職業、空間移動、知的背景(ハディースの系譜、法学派、神学派、師弟、学歴、著作、スーフィーか、所属教団他)、被葬者の奇蹟譚、逸話、墓に関する情報(位置、形状・素材、縁起、参詣対象か、参詣慣行、祈願内容他)などが挙げられる。総数や全体の輪郭を把握すると共にかなりのデータを蓄積出来たため、今後につながる基礎的な作業はほぼ終了した。
    第3にデータベース化された資料をもとに分析を行い、その中の特にスーフィズム関連の情報を事例研究として検討した。それによって、中世エジプト社会におけるスーフィズムの展開と呼応する、史料上に現れたスーフィー関連の呼称の増加や、スーフィー関連の修道施設の激増とその意味などが具体的に詳らかにされた。第4に、参詣の書に示された墓と参詣路路を、現地踏査した。加えて、墓地居住者などからも聞き取りを行うことが出来た。そして、墓地のトポグラフィーの再構成や変遷過程を跡づける作業を通じて、史料と歴史的な空間構成との対応を問う論文の作成が可能となった。さらに、本研究の成果は2004年春にカイロより出版予定のLe developpement du soufisme en Egypte a l'epoque mameloukeにも英文論文として収録される。

  • 中東イスラム世界における聖者崇敬に関する歴史学的研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    1996年
     
     
     

    大稔 哲也

     概要を見る

    本年度はまず、設定課題に沿って関連史料の閲覧・蒐集に努めた。その結果、現地エジプトにおいて写本・文書史料を閲覧後、エジプトおよび欧米の研究機関から主として写本史料をマイクロフィルムの形で招来することが出来た。その際の現地機関としてはエジプト国立図書館、アラブ連盟大学写本研究所ど、欧米の機関名としてはブリティシュ・ライブラリー、プリンストン大学図書館他が挙げられる。これらの史料分析・検討に加え、現地エジプトにおけるフィールドワークの成果も織り込んだ上で発表したのが、「エジプト・ムスリム社会の聖墓参詣と共同体意識」(『地域の世界史』第8巻「信仰の世界史」所収論文、山川出版社、1997年刊行予定)である。そこにおいては、12〜15世紀を中心として、カイロのいわゆる「死者の街」参詣の歴史的民族誌を史料から再構成し、そのうえで死者の街というメッカ以外の求心地が創出されることによって、来るべき国民国家の下地をなす共同体意識が醸成されたと推論した。さらにこの間のフィールドワークの副産物として、エジプトの少数派キリスト教徒の生活実態も報告した(「コブト・キリスト教徒」、「アラブ」所収、河出書房新社、1997年刊行予定)。
    次いで、以上の研究をさらに進め、オスマン朝のエジプト支配初期(16〜17世紀)におけるエジプトの参詣慣行と参詣地であった死者の街の実態についても、写本史料研究を深化させる形で検討することができた。その結果、同時期には以前からの聖墓参詣慣行が基本的に継続して窺えるものの、今後、年代記史料・地誌などによる建築物の研究、そして、旅行記史料による参詣慣行の実態研究を援用してゆく必要が痛感された。このオスマン朝期の参詣に関しては、京都大学東洋史研究会大会(1996年11月3日)、九州史学会大会(同12月15日)において学会研究報告を行った。今後もフィールドワークの成果を踏まえ、人類学等隣接諸学の方法と成果を併用した歴史研究によって、中東イスラム世界における聖者崇敬・聖墓参詣研究をいっそう深めてゆく所存である。

  • 地中海世界沿岸都市におけるマイノリティー集団のネットワーク

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    1994年
    -
    1995年
     

    竹内 啓一, 大月 康弘, 黒木 英充, 大稔 哲也, 藤沢 房俊, 臼杵 陽, 堀内 正樹, 立石 博高, 鈴木 薫, 長沢 栄治, 加藤 博, 斉藤 寛海

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    地中海世界は、古来、財・人・文化・技術の行き交う文化の坩堝であった。そこには、実に様々な言語・宗教・宗派を異にする人間集団が参入し、住みついたが、彼らはお互いを決定的に排除し合うことなく、一種の複合文化社会を形成してきた。そして、かかる複合文化社会を可能にさせた背景には、様々なレベル、領域において人を結び付ける「ネットワーク」の存在があった。地中海世界は、まさに「ネットワーク」社会であった。ところが、この「ネットワーク」社会は、地中海世界が現在のような「国民国家」群へと再編成されるに至った今世紀において、大きな変容を被った。本国際学術研究は、この変容を、かつて財・人・文化・技術の交流の担い手であった沿岸都市の少数集団に対するインタビューを通して明らかにしようとするものである。つまり、彼らにとっての「国民国家」「ネットワーク」とは何かを問うことによって、「国民国家」と国境を越える各種「ネットワーク」との関係の諸相を実証的に分析することを目的とする。それによって、今後、地球規模において進展するであろうボーダーレス社会の政治・経済・文化的背景を探る一助としたいと考える。
    具体的な研究対象としては、平年6年度に予備調査を実施したイタリア、モロッコ、エジプト、トルコのほか、スペイン、ギリシア、イスラエル、シリアを加えた。すなわち、エジプト(アレクサンドリア、カイロ)のコプト・キリスト教徒、ユダヤ人、トルコ(イスタンブール)のギリシア正教徒、ユダヤ人、ギリシア(西トラキア地方)のトルコ人、モロッコ(ラバト)のユダヤ人、スペイン人、イタリア(リボルノ、トラパニ)のユダヤ人、アラブ人、アルバニア人、イスラエルにおける各地からの流入者集団、シリアのキリスト教徒諸集団、である。これらすべては、地中海世界における「ネットワーク」の結節点として機能した都市を舞台に、過去において活躍し、現在においてもそこに居住する少数集団である。
    研究課題は、昨年度(平成6年度)に実施した予備調査の結果に基づき、文献資料の収集とサンプルに対するインタビューをもって実施した。その具体的内容は、以下の通りである。
    (1)行政当局、現地の研究者・研究機関との接触、意見交換を行い、調査を行う。
    (2)調査項目は、国・都市によって調査環境が異なるため一律とはなしがたいが、最低限以下の項目については調査を実施する。(A)少数集団の居住形態、(B)少数集団の就業形態、(C)少数集団の国内ならびに海外同胞間における相互扶助組織。
    これらいずれの項目についても、主としてサンプル・インフォーマントに対するインタビューによってその実態を明らかにした。しかし、住民簿その他公式文書の閲覧が可能な都市の少数集団については、それらに基づいての統計的把握をも試みた。
    なお、(C)については、ラバトのユダヤ人組織のように、モロッコ国内のみならずイスラエルを含む海外に住む同胞との組織的ネットワークが存在するときには、その組織本部との接触をはかりながら情報を収集した。その際、昨年度の予備調査から、こうした相互扶助組織と海外出稼ぎとの関係、また、現代において進行する国民国家のホーダーレス化とポーダーフル化という二つの逆方向の過程が少数集団にとっていかなる意味を持つかという点が、とりわけ重要な調査項目であることが認識された。そこで、本年度(平成7年度)は、国境を越えたマイノリティー集団のネットワークに重点を置いた調査を行った。研究代表者・分担者をできるだけ複数の研究対象国に派遣させたのは、この重点調査項目のためである。

  • Studies on the Informal Sectors in Egypt

  • Historical Studies on the Cult of the Saints

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Misc

  • エジプト『参詣の書』と死者の街から見たタサウウフ

    史淵   141   29 - 81  2004年

  • 参詣書と死者の街から見たコプトとムスリム

    史淵   138   1 - 32  2001年

  • 十二-十五世紀エジプトにおける死者の街-その消長と機能の諸相

    大稔哲也

    東洋学報   75 ( 3 ) 4,161-202 - 398  1994年

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    Recently, the author has been investigating the Egyptian City of the Dead, which surrounds Cairo's Citadel from the southwest to the northeast. This study scrutinizes the rise and fall of the area, and its function in the Egyptian society, with the occasional use of diachronic perspective.At the beginning of the first part, a process of development and desolation in the City of the Dead are unraveled. The City of the Dead, which primarily was Egyptians' cemetery, became a residential area of those who took charge of religious institutions, such as mosque, ḥānqah and zāwiya in the course of its development. Also, public facilities, such as markets (sūq, public bathhouse (ḥammām) and baking oven (furn), were equipped. Moreover, through the flourishment of pilgrimage in groups and the area's development as a site for amusements, it had established itself as a place for the staying, residence and constructions.Next, the paper examines fully the varied aspects of functions that the City of the Dead performed in the Egyptian society. Since this area had many open spaces, it offered a refuge for emergency such as earthquakes. However, being situated on the outskirts of Cairo and Fustat, it was easily invaded from the outside. The roots of recent housing problems in the City of the Dead can be seen there, which was infested with grave thieves and plunders. In regard to this circumstance, utmost efforts had been directed to maintenance and management of mausolea. These mausolea were operated primarily by Waqf income including janitors and Quran reciters payments. Moreover, there was an evolution of complex form of religious institutions, combined with tombs and mosques. Madrasa (school), and ḥānqahIn the meantime, the City of the Dead was a pleasure resort for Egyptians and tourists, where people went on moonlit nights with sweets and beverages, and even participated in Singing and dancing.Since it was also a place where abundant foods and goods were distributed, people were obviously conscious of the City of the Dead as a site for economic restoration. Thus, we can perceive the composition of the symbiosis: that the poor enabled the pilgrims to perform good deeds, and helped their interchange of good deeds with rewards or benefits from the Allah.Second, seen from dynasty's government, the City of the Dead, which was situated just below the Citadel, the pivot of political power, constantly annoyed the government with corruption of public morals and disturbances. Besides, it provided a stage for sultans to play a role of just ruler, who performed pilgrimage, almsgiving and construction. At the same time, parades, ceremonies, and military exercises were performed there, making it a point of contact between the ruling elites and the common people. Furthermore, it became a spot of informal confinement, execution, struggle and assassinations.

    CiNii

  • City of the Dead in Egypt from the Tewlfth to the Fifteenth Century : Phases ofIts Development and Social Function.

    The Toyo Gakho (The Journal of the Japanese Reseach Department of the Toyo Bunko)   75 ( 3 ) 4,161-202  1994年

  • エジプト死者の街における聖墓参詣-12〜15世紀の参詣慣行と参詣者の意識-

    史学雑誌   102 ( 10 ) 1 - 49  1993年

  • Visits to the Holy Tombs in the Egyptian City of the Dead.

    SHIGAKU = ZASSHI   102 ( 10 ) 1 - 49  1993年

  • ザンギー朝の統治と行政官-モスル・アターベク王朝の場合-

    大稔 哲也

    東洋学報   69 ( 3 ) 4,31-82 - 268  1988年

    CiNii

  • The Governance and Administrative Officials of the Zangids : A Case Study of the At(]E87C7[)bek in Mosul.

    The Toyo Gakuho   69 ( 3 ) 4,31-82  1988年

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