2024/04/19 更新

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イシハラ チアキ
石原 千秋
所属
教育・総合科学学術院 教育学部
職名
教授
学位
文学修士 ( 成城大学 )
(BLANK)

経歴

  • 2003年04月
    -
    継続中

    早稲田大学教育学部   教授

  • 1993年04月
    -
    2003年03月

    成城大学文芸学部 教授

  • 1983年04月
    -
    1993年03月

    東横学園女子短期大学 助教授

学歴

  •  
    -
    1983年

    成城大学大学院   文学研究科   国文学  

  •  
    -
    1979年

    成城大学   文芸学部   国文学  

委員歴

  • 2018年07月
    -
    2020年06月

    全国大学国語国文学会  事務局委員長

  • 2005年05月
    -
    2020年06月

    全国大学国語国文学会  委員(2007年度より「理事」を委員と改称、さらに常任委員と改称)

  • 1992年
    -
    2020年03月

    日本近代文学会  評議員(その他、運営委員3回、編集委員2回)

  • 2012年
    -
    2013年

    全国大学国語国文学会  常任委員(編集担当・機関誌『文学・語学』副編集長)

  • 2010年
    -
    2012年

    全国大学国語国文学会  常任委員(編集担当・機関誌『文学・語学』編集長)

  • 2009年
    -
    2010年

    全国大学国語国文学会  常任委員(編集担当・機関誌『文学・語学』副編集長)

  • 2007年
    -
    2008年

    全国大学国語国文学会  編集委員

  • 2006年
    -
    2008年

    日本学術会議 連携会員 2006 - 2008

  • 1993年
    -
    1996年

    日本文学協会  運営委員・編集委員

▼全件表示

所属学協会

  •  
     
     

    日本文学協会

  •  
     
     

    日本近代文学会

研究分野

  • 教科教育学、初等中等教育学 / 日本文学

研究キーワード

  • 日本文学、近代文学、各教科の教育(国語、算数・数学、理科、社会、地理・歴史、公民、生活、音楽、図画工作・美術工芸、家庭、技術)

受賞

  • やまなし文学賞(研究・評論部門)

    2018年03月   やまなし近代文学館   『漱石と日本の近代』(上下2冊)新潮選書、2017年5月刊  

 

論文

  • 進化論と漱石文学

    石原千秋

    『国文学研究』第192集    2020年10月  [査読有り]

  • 大学進学率50パーセント

    石原千秋

    『早稲田大学国語教育研究』第40集    2020年03月  [招待有り]

    担当区分:筆頭著者

  • 漱石と近代 漱石と現代

    石原千秋

    范淑文編『漱石と〈時代〉』国立台湾大学出版中心    2018年03月  [招待有り]

  • 実証という名の鎖国主義

    『文学・語学』第221号    2017年12月  [招待有り]

  • 棄民か侵略か―北杜夫『輝ける碧き空の下で』

    石原千秋

    『資料と研究』   第22輯  2017年05月  [招待有り]

  • 二人で一人、漱石文学と主人公―主人公論序説

    石原千秋

    『三田文学』   第129号  2017年05月  [招待有り]

  • 主人公の二類型、あるいは偶然と必然

    石原千秋

    『文学・語学』   第218号  2017年03月  [招待有り]

  • 祈らなければ信者ではない

    石原千秋

    『早稲田大学国語教育研究』   第37集  2017年03月  [招待有り]

  • 近代資本主義の中の『こころ』

    石原千秋

    佐藤泰正編『漱石における〈文学〉とは』笠間書院    2016年12月  [招待有り]

  • 漱石のジェンダー・トラブル

    石原千秋

    『増補版 反転する漱石』    2016年10月

  • 顔と貨幣ー『明暗』③(「漱石と日本の近代」第33回)

    石原千秋

    『波』    2016年03月

  • 顔と貨幣ー『明暗』②(「漱石と日本の近代」第32回)

    石原千秋

    『波』    2016年02月

  • 顔と貨幣ー『明暗』①(「漱石と日本の近代」第31回)

    石原千秋

    『波』    2016年01月

  • 漱石文学における熊本的なもの

    石原千秋

    公徳    2015年12月  [招待有り]

  • 沈黙と交換ー『道草』③(「漱石と日本の近代」第30回)

    石原千秋

    波    2015年12月

  • 沈黙と交換ー『道草』②(「漱石と日本の近代」第29回)

    石原千秋

    波    2015年11月

  • 沈黙と交換ー『道草』①(「漱石と日本の近代」第28回)

    石原千秋

    波    2015年10月

  • 家族と権力−『行人』②(連載『漱石と日本の近代』第二十三回)

    『波』    2015年05月

  • 家族と権力−『行人』①(連載『漱石と日本の近代』第二十二回)

    『波』    2015年04月

  • 宗教としての研究−教室で文学は教えられるか−

    『日本文学』    2015年04月  [招待有り]

  • 恋愛と偶然−『彼岸過迄』③(連載『漱石と日本の近代』第二十一回)

    『波』    2015年03月

  • 恋愛と偶然−『彼岸過迄』②(連載『漱石と日本の近代』第二十回)

    『波』    2015年02月

  • 恋愛と偶然−『彼岸過迄』①(連載『漱石と日本の近代』第十九回)

    『波』    2015年01月

  • 因果と時間−『門』③(連載『漱石と日本の近代』第十八回)

    『波』    2014年12月

  • 因果と時間−『門』②(連載『漱石と日本の近代』第十七回)

    『波』    2014年11月

  • 因果と時間−『門』①(連載『漱石と日本の近代』第十六回)

    『波』    2014年10月

  • 法と権力−『それから』③(連載『漱石と日本の近代』第十五回)

    『波』    2014年09月

  • 法と権力−『それから』②(連載『漱石と日本の近代』第十四回)

    『波』    2014年08月

  • 法と権力−『それから』①(連載『漱石と日本の近代』第十三回)

    『波』    2014年07月

  • 言葉と意味−『三四郎』③(連載『漱石と日本の近代」第十二回)

    『波』    2014年06月

  • 言葉と意味−『三四郎』②(連載「漱石と日本の近代」第十一回)

    『波』    2014年05月

  • 「誤配」された恋人たち−空虚な中心・三島由紀夫『春の雪』(連載・最終回)

    『すばる』    2014年04月

  • 言葉と意味−『三四郎』①(連載「漱石と日本の近代」第十回)

    『波』    2014年04月

  • 「誤配」された恋人たち−優雅なニヒリストたち・柴田翔『されど われらが日々−』(連載第9回)

    『すばる』    2014年03月

  • 事実と意味−『坑夫』(連載「漱石と日本の近代」第九回)

    『波』    2014年03月

  • 乗り越えてきたもの、受け継いできたもの(高田瑞穂『現代文読解の根底』ちくま学芸文庫・解説)

    高田瑞穂『現代文読解の根底』ちくま学芸文庫    2014年03月

  • (書評)鬼頭七美『「家庭小説」と読者たち』(翰林書房)

    「週刊読書人」    2014年03月

  • (書評)芳川泰久・西脇雅彦『村上春樹 読める比喩事典』(ミネルヴァ書房)

    「週刊読書人」    2014年02月

  • 「誤配」された恋人たち−この甘ったれた若者・石原慎太郎『太陽の季節』(連載第8回)

    『すばる』    2014年02月

  • 女性と自由−『虞美人草』③(連載「漱石と日本の近代」第八回)

    『波』    2014年02月  [査読有り]

  • 「誤配」された恋人たち−それを愛と呼んでもいい・川端康成『雪国』(連載第7回)

    『すばる』    2014年01月

  • 「わかること」と「わからないこと」のはざまで(『小林秀雄対話集 直観を磨くもの』新潮文庫・解説)

    『小林秀雄対話集 直観を磨くもの』新潮文庫    2014年01月

  • 社会の中の「私」(『社会と自分 漱石自選講演集』ちくま学芸文庫・解説)

    『社会と自分 漱石自選講演集』ちくま学芸文庫    2014年01月

  • 女性と自由−『虞美人草』②(連載「漱石と日本の近代」第七回)

    『波』    2014年01月

  • 女性と自由−『虞美人草』①(連載「漱石と日本の近代」第6回)

    『波』    2013年12月  [査読有り]

  • 「誤配」された恋人たち−読まれなかった手紙・志賀直哉『暗夜行路』(連載第5回)

    『すばる』    2013年11月

  • 主人公と観察−『草枕』②(連載「漱石と日本の近代」第5回)

    『波』    2013年11月

  • 「誤配」された恋人たち−スターの条件・谷崎潤一郎『痴人の愛』(連載第6回)

    『すばる』    2013年11月

  • 「誤配」された恋人たち−誰がシャッターを切ったのか・武者小路実篤『友情』(連載第4回)

    『すばる』    2013年10月

  • 主人公と観察−『草枕』①(連載「漱石と日本の近代」第4回)

    『波』    2013年10月

  • 二つの物語、あるいは恋する次男(集英社文庫『それから』解説)

    『それから』集英社文庫    2013年10月

  • 「誤配」された恋人たち−読者の恋・森鴎外『雁』(連載第3回)

    『すばる』    2013年09月

  • 教育と資本−『坊っちゃん』③(連載「漱石と日本の近代」第3回)

    『波』    2013年09月

  • 「誤配」された恋人たち−作家の闘争・田山花袋『蒲団』(連載第2回)

    『すばる』    2013年08月

  • 教育と資本−『坊っちゃん』②(連載「漱石と日本の近代」第2回)

    『波』    2013年08月

  • 「誤配」された恋人たち−悲恋小説作家・夏目漱石(連載第1回)

    『すばる』    2013年07月

  • 教育と資本−『坊っちゃん』①(連載「漱石と日本の近代」第1回)

    波』

       2013年07月

  • 村上春樹と夏目漱石 国民作家のまなざし

    『文藝春秋』6月号    2013年06月

  • 「女の謎」から漱石を読み解く

    『kotoba』2013年夏号    2013年06月

  • (書評)関谷由美子『〈磁場〉の漱石』(翰林書房)

    「週刊読書人」    2013年06月

  • 「今」を探す旅へ

    評論集『村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の旅』をどう読むか』    2013年06月

  • 「真実」の相続人−『こころ』論−

    『日本語学』    2013年04月

  • アイデンティティーはもう古い?−三田誠広『僕って何』(連載「教養として読む現代文学」第10回・最終回)

    『小説トリッパー』2013年春号    2013年03月

  • 地図のない女−古井由吉『杳子』(連載「教養として読む現代文学」第9回)

    『小説トリッパー』2012年冬号    2012年12月

  • 「娘が母を殺すとき−水村美苗『母の遺産−新聞小説』」(書評)

    『こころ』平凡社・8号    2012年08月

  • 二人の村上春樹

    菅野昭正編『村上春樹の読みかた』平凡社     31 - 67  2012年07月

  • 主婦になり損なった男−小島信夫『抱擁家族』(連載「教養として読む現代文学」第7回)

    『小説トリッパー』2012年夏号    2012年06月

  • 坪内雄蔵(坪内逍遙)著『國語讀本』(書評)

    『図書新聞』(2012年4月7日号)   3057  2012年04月

  • 二つの身体—安部公房『砂の女』(連載「教養として読む現代文学」第6回)

    『小説トリッパー』2012年春号    2012年03月

  • 平野芳信『村上春樹—人と文学』(勉誠出版)・書評

    『山口國文』第35号   35  2012年03月  [査読有り]

  • 裏返された家族—安岡章太郎『海辺の光景』(連載「教養として読む現代文学」第5回)

    『小説トリッパー』2011年冬号    2011年12月

  • 仕事をする文体—『ダンシング・ヴァニティ』

    『国文学 解釈と鑑賞』(筒井康隆特集)    2011年09月

  • 「僕ら」とは誰か—大江健三郎『芽むしり仔撃ち』(連載「教養として読む現代文学」第4回)

    『小説トリッパー』2011年秋号    2011年09月

  • 利子と文学史—文学は進化するだろうか—

    『文学・語学』(全国大学国語国文学会機関誌・200号)   ( 200 )  2011年07月

  • 忘れられそうな小さな日常−尾崎一雄

    『国文学 解釈と鑑賞』    2011年06月

  • ジェイ・ルービン『風俗壊乱』(書評)

    『秘本経済新聞』6月12日    2011年06月

  • 「恋」を知らない恋人たち—大岡昇平『武蔵野夫人』(連載「教養として読む現代文学」第3回)

    『小説トリッパー』2011年夏号    2011年06月

  • 小倉修三『漱石の教養』(書評)

    『週刊読書人』第2885号   ( 2885 )  2011年04月

  • 「正しさ」の村上春樹論的転回

    日本近代文学会関西支部編『村上春樹と小説の現在』和泉書院    2011年03月

  • 「作者」になるための物語—三島由紀夫『仮面の告白』(連載「教養として読む現代文学」第2回)

    『小説トリッパー』2011春号    2011年03月

  • 漱石『こゝろ』を再読する(平成21年度「国文学 言語と文芸の会」大会シンポジウム記録)

    『国文学 言語と文芸』   ( 127 )  2011年03月

  • 誰にひれ伏していたのか−東京裁判三部作(井上ひさし特集)

    『国文学 解釈と鑑賞』    2011年02月

  • もう一つの、敗北を抱きしめて−太宰治『斜陽』(連載「教養として読む現代文学」第1回)

    『小説トリッパー』   2010年冬号  2010年12月

  • 終わることの快楽−『三四郎』

    『国文学 解釈と鑑賞』    2010年09月

  • 期待は叶えられたか(『1Q84』書評)

    『東京新聞』(2010年4月27日夕刊)    2010年04月  [査読有り]

  • 言葉と戯れる恋人たち−吉行淳之介『夕暮れまで』(連載「この名作を知っていますか 近代文学の愉しみ」第12回)

    『文蔵』49号(月刊の文庫)    2009年10月

  • 紙の上の出来事−多和田葉子『時差』(連載「この名作を知っていますか 近代文学の愉しみ」第11回)

    『文蔵』48号(月刊の文庫)    2009年09月

  • 重ね合わされる秘密−尾崎翠『無風帯から』(連載「この名作を知っていますか 近代小説の愉しみ」第10回)

    『文蔵』47号(月刊の文庫)    2009年08月

  • 「こちら側」の自分はいつも孤独−村上春樹『スプートニクの恋人』(連載「書き出しの美学」第15回)

    『本が好き!』    2009年07月

  • 「法」と「道徳」−宮澤賢治『月夜のけだもの』(連載「この名作を知っていますか 近代小説の愉しみ」第9回)

    『文蔵』46号(月刊の文庫)    2009年07月

  • 今のところ「取扱注意」である(村上春樹『1Q84』論)

    『村上春樹『1Q84』をどう読むか』河出書房新社    2009年07月

  • 演劇時評(小田島恒志氏との対談形式で、全6回)

    『悲劇喜劇』    2009年06月

  • 女として読むこと−江國香織『きらきらひかる』(連載「書き出しの美学」第14回)

    『本が好き!』    2009年06月

  • 語り手は「私」ではない−芥川龍之介『蜜柑』(連載「この名作を知っていますか 近代文学の愉しみ」第8回)

    『文蔵』45号(月刊の文庫)    2009年06月

  • 解説−人生と研究と参考書

    解説(高田瑞穂『新釈現代文』ちくま学芸文庫)    2009年06月

  • 揺れ続ける性の向こうへ−松浦理英子『ナチュラル・ウーマン』(連載「書き出しの学」第13回)

    『本が好き!』    2009年05月

  • 逆さまから見る世界−萩原朔太郎『猫町』(連載「この名作を知っていますか 近代文学の愉しみ」第7回)

    『文蔵』44号(月刊の文庫)    2009年05月

  • 少女の文体と新しい性の形−吉本ばなな『キッチン』(連載「書き出しの美学」第12回)

    『本が好き!』    2009年04月  [査読有り]

  • 眩暈のような自意識−梶井基次郎『檸檬』(連載「この名作を知っていますか 近代文学の愉しみ」第6回)

    『文蔵』43号(月刊の文庫)    2009年04月

  • 女が文体を女装する−山田詠美『ベットタイムアイズ』(連載「書き出しの美学」第11回)

    『本が好き!』    2009年03月

  • 進化論を超えて−夏目漱石『趣味の遺伝』(連載『この名作を知っていますか 近代小説の愉しみ」第5回)

    『文蔵』42号(月刊の文庫)    2009年03月

  • 公然の秘密を楽しむ−向田邦子『あ・うん』(連載「書き出しの美学」第10回)

    『本が好き!』    2009年02月

  • 自分を超える自分−太宰治『女生徒』(連載「この名作を知っていますか 近代小説の愉しみ」第4回)

    『文蔵』41号(月刊の文庫)    2009年02月

  • 解説−使える地図論

    解説(若林幹夫『増補 地図の想像力』河出文庫)    2009年02月

  • 記号の森へ/記号の森から−田中康夫『なんとなく、クリスタル』(連載「書き出しの美学」第9回)

    『本が好き!』    2009年01月

  • 輸入品としての「気分」−谷崎潤一郎『人魚の嘆き』(連載「この名作を知っていますか 近代小説の愉しみ」第3回)

    『文蔵』40号(月刊の文庫)    2009年01月

  • 空虚な「愛」は語ることができない−村上龍『限りなく透明に近いブルー』(連載「書き出しの美学」第8回)

    『本が好き!』    2008年12月

  • 否定的な自己肯定−三島由紀夫『音楽』(連載「この名作を知っていますか 近代小説の愉しみ」第2回)

    『文蔵』39号(月刊の文庫)    2008年12月

  • 父系の神話と母系の神話−中上健次『枯木灘』(連載「書き出しの美学」第7回)

    『本が好き!』    2008年11月  [査読有り]

  • 淋しいフェティシズム−川端康成『片腕』(連載「この名作を知っていますか 近代小説の愉しみ」第1回)

    『文蔵』38号(月刊の文庫)    2008年11月

  • 国語試験の限界と可能性

    『日本語学』    2008年11月

  • 真実の言説の作り方−大江健三郎『万延元年のフットボール』(連載「書き出しの美学」第6回)

    『本が好き!』    2008年10月

  • 有為子のために−三島由紀夫『金閣寺』(連載「書き出しの美学」第5回)

    『本が好き!』    2008年09月

  • 駒子が愛したのは東京の男−川端康成『雪国』(連載「書き出しの美学」第4回)

    『本が好き!』    2008年08月

  • 自分を「子供」に見せる語り−太宰治『人間失格』(連載「書き出しの美学」第3回)

    『本が好き!』    2008年07月  [査読有り]

  • 誰でもない自分−谷崎潤一郎『痴人の愛』(連載「書き出しの美学」第2回)

    『本が好き!』(光文社)    2008年06月

  • 時代の中の『三四郎』

    『國文學』    2008年06月

  • 花になりたかった女−夏目漱石『それから』(連載「書き出しの美学」第1回)

    『本が好き!』(光文社)    2008年05月  [査読有り]

  • 楊逸『ワンちゃん』(書評)

    『文学界』    2008年05月

  • 現代思想は15年周期

    桐光学園中学校・高校編『大学の授業がやってきた! 知の冒険』(水曜社)    2008年05月

  • 中学入試にはルールがある

    『本』(講談社)    2008年04月

  • 石川巧『「国語」入試の近現代史』(書評)

    「日本経済新聞」    2008年03月

  • ファッションとしての読書

    石原千秋

    『ちくま』    2007年08月

  • 日本文学(近代)研究06

    『文藝年鑑』新潮社    2007年06月

  • 現代と変わらぬ保守性

    『北海道新聞』    2007年06月

  • 文芸時評(毎月最終日曜日に掲載)

    『産経新聞』    2007年04月

  • (書評)植村鞆音『歴史の教師 植村清二』(中央公論新社)

    『産経新聞』    2007年04月

  • 文学研究の現在−−近代文学研究とパラダイムチェンジ−−

    『二松学舎大学 人文論叢』第78輯    2007年03月

  • 大学受験における国語力の研究

    『早稲田教育評論』 第21巻第1号    2007年03月

  • (書評)高橋源一郎『ニッポンの小説』

    『産経新聞』    2007年02月

  • 性慾を研究する時代がやって来た

    『本』(講談社)    2006年12月

  • 文学研究の現在−近代文学研究とパラダイムチェンジ−

    二松学舎大学人文学会 第94回大会    2006年11月

  • 危険思想だった「自我」

    『本』(講談社)    2006年11月

  • (書評)前田愛『前田愛対話集Ⅰ・Ⅱ』(みすず書房)

    『図書新聞』    2006年10月

  • バックラッシュ!「新しい女」

    『本』(講談社)    2006年10月

  • 高橋英夫『洋燈の孤影』

    『週刊読書人』    2006年09月

  • 「婦人問題」とはどんな「問題」か

    『本』(講談社)    2006年09月

  • 「道徳」よりも「リテラシー」を!

    『ユリイカ』青土社    2006年09月

  • 田中和生『新約太宰治』(講談社)・書評

    『陸奥新報』ほか(時事通信社配信)    2006年08月

  • 進化論と優生学

    『本』(講談社)    2006年08月

  • 小林信彦『うらなり』

    『文学界』    2006年08月

  • 男は神経衰弱、女はヒステリー

    『本』(講談社)    2006年07月  [査読有り]

  • 国語教育と批評理論

    『大航海』   ( 59 )  2006年07月

  • 漱石がなぜ「予言者」に見えるのか

    正言@アリエス    2006年06月

  • 青年たちのハローワーク

    『本』(講談社)    2006年06月  [査読有り]

  • (書評)唯川恵『今夜は心だけ抱いて』

    産経新聞    2006年05月

  • 小説の自由とは何か

    『月刊国語教育』別冊    2006年05月

  • 学生という階級

    『本』    2006年05月

  • 石原千秋先生の国語教室(2006年4月8日から2008年3月29日まで、土曜日に隔週で連載、全49回)

    読売新聞 夕刊    2006年04月

  • 社交場としての博覧会

    『本』    2006年04月

  • 漱石から白樺派へ

    『国文学』    2006年03月

  • 古井由吉『辻』(書評)

    日本経済新聞    2006年03月

  • 結婚の前夜に

    『本』    2006年03月

  • 不純な男女交際

    『本』    2006年02月

  • 固有名詞の力

    講談社文庫(佐藤賢一『ジャンヌ・ダルクあるいはメロ』解説)    2006年02月

  • コム・デ・ギャルソンであること

    『アイ・フィール』(紀伊國屋書店)    2006年02月

  • なぜ「社交」が必要だったのか

    『本』    2006年01月

  • 女は「矛盾」、女は「謎」

    『本』    2005年12月

  • 言葉との格闘

    『漱石研究』   18  2005年11月

  • 「堕落女学生」は世間が作る

    『本』    2005年11月

  • 「脳力」とは何か

    『本』    2005年10月

  • そして、兄は帰ってこなかった(解説・佐江衆一『リンゴの唄、僕らの出発』講談社文庫)

    講談社文庫    2005年08月  [査読有り]

  • 国語との上手なつき合い方

    『国語さが』   ( 43 )  2005年07月

  • 感想文を哲学する

    全人/玉川大学   676  2004年11月

  • 隠れ里の文学

    『漱石研究』   17  2004年11月

  • 演劇の近代と近代日本の身体=言語

    演劇人   17  2004年10月

  • 〈都立高校〉はよみがえるか

    アリエス   1  2004年10月

  • 柴田勝二『〈作者>をめぐる冒険』(書評)

    中国新聞ほか(時事通信社配信)    2004年08月  [査読有り]

  • 分裂する近代・複数のナショナリズム

    演劇人   16  2004年07月

  • (書評)末延芳晴『夏目金之助ロンドンに狂せり』

    日本経済新聞    2004年05月

  • (書評)大杉重男『アンチ漱石』

    東京新聞    2004年05月

  • 漱石と読者の位置

    早稲田大学国語教育学会 219回例会    2004年04月

  • テクストと分析する機械

    ちくま    2004年04月

  • 秘伝 人生論的論文執筆法

    ユリイカ    2004年03月

  • 中嶋隆『西鶴と元禄文芸』

    国文学研究   142  2004年03月

  • カルチュラルスタディーズ再考

    文学/岩波書店    2004年03月

  • 名前は付けられない−固有名をめぐって

    國文學    2004年01月

  • 「作者」はコードになるのだろうか

    インターコミュニケーション   47  2004年01月

  • 受験国語は時代を映す

    アリエス   00  2003年12月

  • 屹立する郊外

    インターコミュニケーション   46  2003年10月

  • (書評)渡部直己『かくも繊細なる横暴』

    『日本近代文学』   69  2003年10月

  • 失敗という名の可能性

    漱石研究   16  2003年10月

  • 村上春樹と〈食〉−国籍と自我と

    國文學(臨時増刊号)    2003年07月

  • いま、文学を教えること

    インターコミュニケーション   45  2003年07月

  • 紅野謙介『投機としての文学』

    図書新聞    2003年06月

  • 教室で教えられること

    日本語学    2003年06月

  • 作者・読者・メディア−見えざる手の神話化

    インターコミュニケーション   44  2003年04月

  • もう一人の内田百?(解説)

    内田百?集成7/ちくま文庫    2003年04月

  • 野口武彦『近代日本の詩と史実』(書評)

    図書新聞    2003年02月

  • 解説『こころに夢のタマゴを持とう』

    講談社文庫    2002年11月

  • 戸松泉『小説の〈かたち〉・〈物語〉の揺らぎ』(書評)

    日本近代文学   67  2002年10月

  • 一郎的な言葉を生きること

    漱石研究   15  2002年10月

  • 不純な男女交際−『女に思わるゝ法』『きむすめ論』など

    国文学(臨時増刊号)    2002年07月  [査読有り]

  • 若林幹夫『漱石のリアル』(書評)

    東京新聞    2002年07月

  • 現代文学と規制

    国文学(臨時増刊号)    2002年07月

  • 近代発禁関連略年表(生方智子と共編)

    国文学(臨時増刊号)    2002年07月

  • 辻佐保子『辻邦生のために』(書評)

    静岡新聞ほか(時事通信社配信)    2002年06月

  • 自学自習が子どもを育てる

    信濃毎日新聞ほか    2002年05月

  • 「キッチン」(ほか8項目)野村純一ほか編

    日本説話小事典/大修館    2002年04月

  • 斎藤美奈子『文章読本さん江』(書評)

    福井新聞ほか(時事通信社配信)    2002年03月

  • 忘れられそうな小さな日常 尾崎一雄

    文學界    2002年02月

  • 菅聡子『メディアの時代』(書評)

    図書新聞    2002年02月

  • 三浦雅士『青春の終焉』(書評)

    新潮    2002年01月

  • 解説『自分の子どもは自分で守れ』

    講談社文庫    2002年01月

  • スガ秀実『「帝国」の文学』(書評)

    国文学    2001年12月

  • 視点という名の症候群

    漱石研究   14  2001年10月

  • 21世紀に読み継がれる恋愛小説10冊

    経営者    2001年08月

  • 国語ができるとはどういうことか

    大学時報   279  2001年07月

  • 高田里恵子『文学部をめぐる病い』(書評)

    福井新聞ほか(時事通信社配信)    2001年07月

  • 坪内祐三『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り』(書評)

    図書新聞    2001年06月

  • 奇妙な争点−研究者の立場から

    文學界    2001年05月

  • 「研究と批評」再び(「展望」欄)

    日本近代文学   64  2001年05月

  • 夏目漱石をどう読むか?−「いま」を読むこと

    国文学解釈と鑑賞    2001年03月

  • ホモソーシャル / セクシャル・アイデンティティー

    国文学(臨時増刊号)    2001年02月  [査読有り]

  • 〈恋愛〉スタディ・ガイド

    国文学(臨時増刊号)    2001年02月

  • なぜ入試の国語に小説が出題できるのか

    環   4  2001年01月

  • 上野千鶴子『上野千鶴子が文学を社会学する』(書評)

    京都新聞ほか(時事通信社配信)    2000年12月

  • 日曜日の妻たち 初期の岸田國士

    演劇人   6  2000年11月

  • 解説『硝子戸の中』

    新潮文庫/新潮社    2000年11月

  • 『鏡子の家』−「純潔」の思想

    国文学解釈と鑑賞    2000年11月

  • 漱石を生きる人々

    漱石研究   13  2000年10月

  • 丸谷才一『闊歩する漱石』(書評)

    静岡新聞ほか(時事通信社配信)    2000年08月

  • 漱石と文化記号

    城西文学   25  2000年03月

  • 国語の掟

    日本文学    2000年03月

  • 高島俊男『漱石の夏やすみ』(書評)

    北海道新聞    2000年03月

  • スピヴァック『ポスト植民地主義の思想』 / イ・ヨンスク『「国語」という思想』

    国文学    2000年03月

  • 一九七八年のセクシュアリティー(解説)

    寵児/講談社文芸文庫    2000年02月

  • 時代を超える『坊つちやん』

    アイラブ坊っちゃん2000プログラム    2000年01月

  • 古屋健三『永井荷風 冬との出会い』(書評)

    図書新聞    2000年01月

  • 『漱石とその時代』全五冊(書評)

    東京新聞    2000年01月

  • 『吉里吉里人』論−不可能としての国家

    別冊国文学解釈と鑑賞    1999年12月  [査読有り]

  • 『河童』−〈個〉の抗い

    国文学解釈と鑑賞    1999年11月

  • 漱石の居場所

    城西国際大学人文学会    1999年10月  [査読有り]

  • 明治の『坊つちやん』

    漱石研究   12  1999年10月

  • 注釈という読み方

    日本近代文学   61  1999年10月

  • 国語の掟

    日本文学協会第54回大会    1999年10月  [査読有り]

  • 新人小説月評(連載)

    文学界    1999年08月

  • 自画像としての漱石論(江藤淳追悼特集)

    週刊読書人    1999年08月

  • 男の恋と『母』

    アエラムック 恋愛学がわかる/朝日新聞社    1999年07月

  • 多和田葉子『カタコトのうわごと』(書評)

    週刊読書人    1999年07月

  • 小森陽一『世紀末の予言者・夏目漱石』(書評)

    すばる    1999年06月

  • 『創造された古典』(書評)

    日本経済新聞    1999年06月

  • 内田道雄『夏目漱石−『明暗』まで』

    日本文学    1999年03月

  • 北杜夫/村上春樹

    国文学(臨時増刊号・現代の作家・ガイド)    1999年02月  [査読有り]

  • テクスト・主体・植民地

    漱石研究   11  1998年11月

  • 漱石は『小説』といかに格闘したか

    アエラムック 漱石がわかる/朝日新聞社    1998年09月

  • 津島祐子『火の山−山猿記』(書評)

    図書新聞    1998年08月  [査読有り]

  • 読むことのセクシュアリティー 『人間失格』

    ユリイカ(臨時増刊号)    1998年06月

  • ジェンダー化する代助

    漱石研究   10  1998年05月

  • 地図の上の自我−『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』

    国文学(臨時増刊号)    1998年02月

  • ゆらぎの中の家族

    漱石研究   9  1997年11月

  • 結婚のためのレッスン 『由利旗江』

    国文学    1997年10月

  • 同人誌時評(連載)

    図書新聞    1997年09月

  • リービ英雄『アイデンティティーズ』(書評)

    週間読書人    1997年07月

  • 転移する夢

    漱石研究   8  1997年05月

  • 『母の崩壊』再考

    日本近代文学会大会    1997年05月

  • 主婦の記号学

    成城国文学論集   25  1997年03月

  • 『叫び声』『個人的な体験』

    国文学(臨時増刊号)    1997年02月

  • 気質と文体

    漱石研究   7  1996年12月

  • 学界時評 近代 夏目漱石

    文学・語学   153  1996年12月

  • テクストはまちがわない(*本文校訂論)

    成城文芸   156  1996年12月

  • 『漱石全集(「道草」草稿)』

    岩波書店   26  1996年12月

  • テクストはまちがわない

    中上健次全集/集英社   15(月報)  1996年08月

  • 井上ひさし『百年戦争』/武田泰淳『富士』

    国文学(臨時増刊号)    1996年07月

  • テクストはまちがわない(*『こゝろ』論)

    漱石研究   6  1996年05月

  • 『こゝろ』論の彼方へ(研究史)

    漱石研究   6  1996年05月

  • 『こゝろ』のかたち

    漱石研究   6  1996年05月

  • テクスト論はなにを変えるか(*『羅生門』論)

    国文学    1996年04月

  • 小森陽一『漱石を読みなおす』(書評)

    成城国文学   12  1996年03月

  • 論争家としての柄谷行人

    国文学解釈と鑑賞(臨時増刊号)    1995年12月

  • 長男の記号学

    漱石研究   5  1995年11月

  • 『明暗』から見た明治

    漱石研究   5  1995年11月

  • 千種・キムラ・スティーブン『三四郎』の世界(書評)

    週間読書人    1995年08月

  • 本文校訂と中上文学

    すばる    1995年07月

  • 構造と批評

    国文学    1995年07月

  • 手紙の記号学

    語文   92  1995年06月

  • 手紙−その開かれたかたち

    語文   92  1995年06月

  • 読者論とは何か(他2項目)

    国文学    1995年05月

  • 宙吊りにされた世界

    漱石研究   4  1995年05月

  • 中上健次全集

    集英社   3,6,7,10,12,14  1995年05月

  • 夏目漱石研究の回顧

    国文学解釈と鑑賞    1995年04月

  • 手紙の記号学

    日本大学国文学会大会    1994年12月

  • 『屋根裏の散歩者』

    国文学解釈と鑑賞    1994年12月

  • 動く女と動かない女−漱石文学の女性たち

    漱石研究   3  1994年11月

  • 神経衰弱の記号学

    漱石研究   3  1994年11月

  • 『漱石全集(道草)』第10巻

    岩波書店   10  1994年10月

  • 『道草』のヒステリー

    漱石全集/岩波書店   10(月報)  1994年10月

  • 芳川泰久『漱石論 鏡あるいは夢の書法』(書評)

    週間読書人    1994年07月

  • 漱石を書く、漱石を読む

    漱石研究   2  1994年06月

  • 漱石と階級

    早稲田文学    1994年06月

  • 『総力討論 漱石の『こゝろ』(書評)

    日本近代文学会東北支部会報   10  1994年06月

  • 家庭/家族

    太宰治事典/学燈社    1994年05月

  • 隠す『明暗』・暴く『明暗』

    国文学(臨時増刊号)    1994年04月

  • 島田雅彦『漱石を書く』(書評)

    図書新聞    1994年02月

  • 漱石自筆原稿「心」(解説)

    岩波書店    1993年12月

  • 誘惑論、あるいはヌーディズムの政治学

    国文学(臨時増刊号)    1993年11月

  • 菊池弘『芥川龍之介』/芹沢俊介『芥川龍之介の宿命』(研究史)

    国文学解釈と鑑賞    1993年11月

  • 未完の小説

    季刊文学   4;4  1993年10月

  • 博覧会の世紀へ−『虞美人草』

    漱石研究   1  1993年10月

  • 日本に閉じられない世界で通用する漱石の探究を

    漱石研究   1  1993年10月

  • 『漱石研究』1号〜17号

    翰林書房    1993年10月

  • 枯木灘

    国文学解釈と鑑賞(臨時増刊号)    1993年09月

  • 現象する漱石

    季刊文学    1993年07月

  • 教室の『こゝろ』

    日本文学    1993年07月

  • 三谷邦明『物語文学のディスクール』(書評)

    日本文学    1993年06月

  • 読書論・コミュニケーション/身体論・パフォーマンス

    国文学    1993年05月

  • 夏目漱石『明暗』(研究史)

    国文学解釈と鑑賞    1993年04月

  • 小島信夫『漱石を読む』(書評)

    週間読書人    1993年03月

  • 『三四郎』と『明暗』の手紙

    東横国文学   25  1993年03月

  • 夏目漱石をめぐって

    批評空間   8  1993年01月  [査読有り]

  • 高等教育の中の男たち−『こゝろ』論

    日本文学    1992年11月

  • 宇野千代

    国文学    1992年11月

  • フェミニズムの現在(研究史)

    別冊国文学    1992年11月

  • 漱石『こゝろ』の原稿を読む

    季刊文学   3;4  1992年10月

  • 柄谷行人『漱石論集』(書評)

    週間読書人    1992年10月

  • 「耐へる」精神

    短歌    1992年08月  [査読有り]

  • 『夏目漱石論』

    国文学    1992年07月  [査読有り]

  • 『行人』−階級のある言葉

    国文学    1992年05月

  • 魚住陽子『雪の絵』(書評)

    週間読書人    1992年04月

  • 持続する結末−『明暗』と『續明暗』の間

    東横国文学   24  1992年03月

  • 竹盛天雄『漱石 文学の端緒』(書評)

    季刊文学    1992年01月

  • 教科書の中の阿部昭

    阿部昭集/岩波書店   6(月報)  1991年10月

  • 身体の中の〈家〉(*川端康成論)

    国文学解釈と鑑賞    1991年09月

  • 近代文学瞥見(連載)

    海燕    1991年07月

  • 『明暗』と『續明暗』

    日本近代文学会例会    1991年06月

  • 性別のある場所(*吉本ばなな論)

    国文学解釈と鑑賞(臨時増刊号)    1991年05月

  • 語ることの物語−夏目漱石『彼岸過迄』

    国文学解釈と鑑賞    1991年04月

  • 家族の神話−太陽族の文学

    東横国文学   23  1991年03月

  • 『パノラマ島奇談』論

    国文学    1991年03月

  • 藤井淑禎『不如帰の時代』(書評)

    国文学会食と鑑賞    1991年02月

  • 血統の神話(*『彼岸過迄』論)

    季刊文学    1991年01月

  • 池内輝雄『志賀直哉の領域』(書評)

    国文学    1990年12月

  • 〈家〉の不在−『門』論

    日本の文学   8  1990年12月

  • 夏目漱石における男と女

    国文学解釈と鑑賞    1990年09月

  • 方法

    夏目漱石事典/学燈社    1990年07月

  • 『少女病』を読む(共著)

    季刊文学    1990年07月

  • 漱石を知るためのブックガイド」及び編集協力

    新文芸読本夏目漱石/河出書房新社    1990年06月  [査読有り]

  • 丸谷才一/村上龍

    国文学(臨時増刊号・現代作家便覧)    1990年05月

  • 〈家〉の文法(*島崎藤村論)

    国文学解釈と鑑賞    1990年04月

  • シンポジウム『三四郎』の再検討(共著)

    国文学言語と文芸   105  1990年01月

  • 『三四郎』の再検討

    国文学言語と文芸   105  1990年01月

  • 化鳥

    国文学解釈と鑑賞    1989年11月

  • 石崎等『漱石の方法』(書評)

    週間読書人    1989年09月

  • 岳父の影−『道草』

    東横国文学   21  1989年03月

  • 相原和邦『漱石文学の研究』(書評)

    国語と国文学    1988年12月

  • 反転する感性−『暗夜行路』論

    日本近代文学   39  1988年10月

  • 反転するテクスト

    文芸と批評    1988年10月

  • 『明暗』論−修身の〈家〉・記号の〈家〉−

    国文学解釈と鑑賞    1988年10月

  • 作られた恋−『三四郎』

    大塚国語国文学会大会    1988年09月

  • 平岡敏夫『漱石研究』(書評)

    日本文学    1988年08月

  • 次男坊の記号学(*夏目漱石論)

    国文学解釈と鑑賞    1988年08月

  • 反転するテクスト−『暗夜行路』

    日本近代文学会大会    1988年05月

  • 『三四郎』(研究史)

    近代小説研究必携1/有精堂    1988年04月

  • 『こゝろ』(研究史)

    近代小説研究必携2/有精堂    1988年04月

  • 安部公房「壁」−S・カルマ氏の犯罪・〈パパ〉の崩壊

    国文学(臨時増刊号)    1988年03月

  • 制度としての「研究文体」

    日本近代文学   37  1987年10月

  • 『明暗』

    国文学解釈と鑑賞    1987年10月

  • 昭和後期の評論 奥野健男『太宰治』

    日本文芸鑑賞事典/ぎょうせい   16  1987年06月

  • 漱石研究文献目録(共編)

    国文学    1987年05月

  • 漱石・身体論的視点から/漱石・都市論的視点から(研究史)

    国文学    1987年05月

  • 反=家族小説としての『それから』

    東横国文学   19  1987年03月

  • 『坊つちやん』の山の手

    文学    1986年08月

  • 書き出しの美学−「アパアトと女と僕と」小論−

    龍胆寺雄全集   12(月報)  1986年06月

  • 主要参考文献目録

    それから/角川文庫    1986年06月

  • 越智治雄『漱石と文明 文学論集2』

    日本文学    1986年05月

  • アイデンティティ(他5項目)

    文学教育基本用語辞典/明治図書    1986年04月

  • 漱石研究文献目録(共編)

    国文学    1986年03月

  • 鏡の中の『三四郎』

    東横国文学   18  1986年03月

  • 主要参考文献目録(共編)

    芥川龍之介事典/明治書院    1985年12月

  • 悪魔(他36項目)

    芥川龍之介事典/明治書院    1985年12月

  • 眼差としての他者−『こゝろ』論−

    東横国文学   17  1985年03月

  • 『こゝろ』のオイディプス−反転する語り

    成城国文学   1  1985年03月

  • 『夢十夜』における他者と他界

    東横国文学   16  1984年03月

  • 『道草』における健三の対他関係の構造

    日本近代文学   29  1982年10月

  • 参考文献目録(共編)

    一冊の講座芥川龍之介/有精堂    1982年07月

  • 叙述形態から見た「道草」の他者認識

    成城国文   4  1980年10月

  • 棄民か侵略かー北杜夫『輝ける碧き空の下で』

    石原千秋

    『資料と研究』第22輯  

  • 二人で一人、漱石文学の主人公―主人公論序説

    石原千秋

    『三田文学』  

  • 主人公の二類型、あるいは必然と偶然

    石原千秋

    『文学・語学』第218号  

  • 祈らなければ信者ではない

    石原千秋

    早稲田大学国語教育研究・第37集  

  • 顔と貨幣ー『明暗』③(「漱石と日本の近代」第33回)

    石原千秋

     

  • 顔と貨幣―『明暗』②(「漱石と日本の近代」第32回)

    石原千秋

    波  

  • 顔と貨幣―『明暗』①(「漱石と日本の近代」第31回)

    石原千秋

    波  

  • 利子と物語―『こころ』③(「漱石と日本の近代」第27回)

    石原千秋

    波  

  • 利子と物語―『こころ』②(「漱石と日本の近代」第26回)

    石原千秋

     

  • 利子と物語―『こころ』①(「漱石と日本の近代」第25回)

    石原千秋

    波  

  • 家族と権力―『行人』③(「漱石と日本の近代」第24回)

    石原千秋

    波  

  • 「あなた」の向こう側−倉橋由美子『パルタイ』(連載「教養として読む現代文学」第8回)

    『小説トリッパー』2012年秋号  

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書籍等出版物

  • 漱石と日本の近代(上下2冊)

    石原千秋

    新潮選書  2017年05月

  • 漱石激読

    石原千秋, 小森陽一

    河出ブックス  2017年04月

  • 反転する漱石(増補新版)

    石原千秋

    青土社  2016年10月

  • 漱石入門

    石原千秋

    河出文庫  2016年09月

  • 生き延びるための作文教室

    石原千秋( 担当: 単著)

    河出書房新社  2015年07月

  • なぜ『三四郎』は悲恋に終わるのか−「誤配」で読み解く近代文学

    集英社新書  2015年03月

  • 教科書で出会った名句・名歌三〇〇(監修)

    新潮文庫  2015年02月

  • 新潮ことばの扉 教科書で出会った名詩一〇〇(監修)

    新潮文庫  2014年11月

  • 夏目漱石『三四郎』をどう読むか(責任編集)

    河出書房新社  2014年10月

  • 打倒! センター試験の現代文

    ちくまプリマ−新書  2014年07月

  • 夏目漱石『こころ』をどう読むか(責任編集)

    河出書房新社  2014年05月

  • 教養として読む現代文学

    朝日新聞出版  2013年10月

  • 『こころ』から読みなおす漱石文学 大人になれなかった先生(朝日文庫・増補版)

    朝日新聞出版  2013年06月

  • 近代という教養 文学が背負った課題

    筑摩選書  2013年01月

  • 漱石はどう読まれてきたか

    新潮選書  2010年05月

  • あの作家の隠れた名作

    PHP新書  2009年11月

  • 読者はどこにいるのか 書物の中の私たち

    河出ブックス  2009年10月

  • 名作の書き出し 漱石から春樹まで

    光文社新書  2009年09月

  • 国語教科書の中の「日本」

    ちくま新書  2009年09月

  • 受験国語が君を救う!(「14歳の世渡り術」シリーズ)

    河出書房新社  2009年03月

  • ケータイ小説は文学か

    ちくまプリマー新書  2008年06月

  • 中学入試国語のルール

    講談社現代新書  2008年03月

  • 謎とき 村上春樹

    光文社新書  2007年12月

  • 秘伝 大学受験の国語力

    新潮選書  2007年07月

  • 未来形の読書術

    ちくまプリマー新書  2007年07月

  • 百年前の私たち

    講談社現代新書  2007年03月

  • 大学生の論文執筆法

    ちくま新書  2006年06月

  • 学生と読む『三四郎』

    新潮選書  2006年03月

  • Jポップの作詞術

    生活人新書(NHK出版)  2005年11月

  • 国語教科書の思想

    ちくま新書  2005年10月

  • 『こころ』大人になれなかった先生

    みすず書房  2005年07月

  • 評論入門のための高校入試国語

    NHKブックス  2005年03月

  • 漱石と三人の読者

    講談社現代新書  2004年10月

  • テクストはまちがわない 小説と読者の仕事

    筑摩書房  2004年03月

  • 大学受験のための小説講義

    ちくま新書  2002年10月

  • 小説入門のための高校入試国語

    NHKブックス  2002年04月

  • 教養としての大学受験国語

    ちくま新書  2000年07月

  • 漱石の記号学

    講談社選書メチエ  1999年04月

  • 秘伝 中学入試国語読解法

    新潮選書  1999年03月

  • 漱石を語る 1、2(共著)

    翰林書房  1998年12月

  • 反転する漱石

    青土社  1997年11月

  • 岩波文学館 夏目漱石(CD-ROM版)(編集)

    岩波書店  1994年02月

  • 読むための理論(共著)

    世織書房  1991年06月

  • 日本文学研究資料新集 夏目漱石・反転するテクスト(編集)

    有精堂  1990年04月

  • 講座昭和文学史 全5巻(編集)

    有精堂  1988年03月

  • 日本文学研究資料叢書 夏目漱石III(編集)

    有精堂  1985年07月

  • 日本文学研究資料叢書 安岡章太郎・吉行淳之介(編集)

    有精堂  1983年11月

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講演・口頭発表等

  • 宗教としての研究−教室で文学は教えられるか

    日本文学協会第69回(214年度)大会  

    発表年月: 2014年11月

  • 漱石の近代とテクスト論

    2010年世界日本語教育大会(「日本文学部門」基調講演)  

    発表年月: 2010年08月

  • 「正しさ」の村上春樹論的転回(シンポジウム「村上春樹と小説の現在−記憶・拠点・レスポンシビリティ−」)

    日本近代文学会関西支部春季大会  

    発表年月: 2010年06月

  • 漱石「心」を再読する(シンポジウム)

    言語と文芸の会 2009年度大会  

    発表年月: 2009年12月

共同研究・競争的資金等の研究課題

  • 明治・大正期文学における進化論・退化論パラダイム表象に関する総合的研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2021年04月
    -
    2024年03月
     

    石原 千秋

     概要を見る

    本研究の中心は夏目漱石の文学を中心とした進化論的・退化論的研究だが、山崎正和の「淋しい人間」(『ユリイカ』1977年11月)に、漱石文学の主人公について「自分を行動の禁治産者にしている」、「じつに豪華な人間能力の浪費」と述べている。この言葉の使い方は明らかに資本主義を意識している。資本主義は進化論パラダイムの申し子でもあるので、資本主義に注目した。資本主義的行動とは、自分のいまいる「ここ」から「そこ」に行くことである。これは欲望を生み出す根源的な仕組みでもあるが、漱石文学的主人公は「ここ」から動こうとしない人間ばかりである。
    たとえば、『彼岸過迄』の漱石文学的主人公である須永市蔵は、美人写真(当時の美人写真帳は公開お見合いでもあった)を見て、その人に結構を申し込めるとしてももそのことに思い及ばないし、幼なじみの田口千代子の前に高木という青年が現れると「嫉妬」を自覚しながら、当の千代子には「自分と結婚しようとも思わないのに、なぜ嫉妬をするのか」となじられる。つまり、須永の「嫉妬」は「そこ」へ行こうとしない「嫉妬」なのである。言い換えれば、欲望のない「嫉妬」なのである。「行動の禁治産者」とはこういう意味であり、須永は反資本主義的な人物なのである。
    「そこ」とは「未来」のことでもある。進化論パラダイムは未来への志向なしには成り立たない。本研究では進化論パラダイムを資本主義の観点から考察した。

  • 明治・大正期文学の内面叙述における「ジェンダー・トラブル」に関する総合的研究

    研究期間:

    2017年04月
    -
    2020年03月
     

     概要を見る

    2018年度は著書・論文として発表できたものはなかったが、大学の漱石文学の講義のサブテーマを「ジェンダー・トラブル」として、ほとんどの長編小説をこのテーマで論じ切ってみた。そこで、大まかな枠組みを手に入れることができた。たとえば、晩年の漱石自身が失敗作とした『虞美人草』の藤尾は、東京帝国大学の主席に与えられる恩師の銀時計の向こうを張って金時計で、自分の結婚相手を手に入れようとする。これはある種のジェンダー・トラブルということができるが、漱石はこの小説を跡継ぎの甲野に統括させ、藤尾のジェンダー・トラブルを許さなかったのが失敗の原因だという見方が可能なのである。一方で、『虞美人草』以前の小説の『草枕』は、これまで写生文に託した漱石の芸術論として読まれてきたが、ここにジェンダー・トラブルが起きていると見ることができることがわかった。前田愛が画工と那美とのやり取りを読書論として論じて以来、それが定着した感がある。しかし、「筋」を読みたがる那美と、「筋」を無視した読み方を好む画工との間には、まさにジェンダー・トラブルが起きている。この場合の「筋」とは物語とプロットの両方を指すが、それは因果関係によって統括されている。画工の好みは小説の一貫性を否定している。当時、女性には統一したアイデンティティがないとされていたことを考えれば、那美の読み方こそが男性ジェンダーであり、画工の好みは女性ジェンダーと見ていい。芸術論上のジェンダー・トラブルが起きているのである。書くの如く、漱石のすべての長編小説はジェンダー・トラブルという枠組みで論じることができる。これを、基本構造として、以後は、明治・大正期の他の小説について論じることになる。予定にあった、漱石文学をジェンダー・トラブルで読む枠組みは構築できたので、最低限の到達点までは来ている。しかし、それを活字化できなかったし、文化的な広がりを持って論じることも、他の作品に広げることも十分にはできなかったので、100パーセントとはいいがたい。漱石文学のジェンダー・トラブルは、男女の関係だけでなく、たとえば芸術論のように、実に様々な局面に表れている。それだけに、ジェンダー・トラブルの枠組みの応用可能な範囲は広がった。そこで、それらのファクターを文化的・文学的に広げたい。漱石に関してだけなら、新書の刊行も視野に入れている

  • 明治・大正期文学の中産階級読者から見た「女の謎」表象に関する総合的研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2014年04月
    -
    2017年03月
     

    石原 千秋

     概要を見る

    近代文学の主人公には「ある領域から別のある領域へ移動する物語的主人公」と「何かについて考える小説的主人公」の二つのタイプがある。しかし、近代日本において生物学的に「発見」された女性は、当時の教育と礼法に則って、余計なことは話さず、余計な動きはせず、感情も表情に表さなかったので、男性知識人にとって「謎」の存在だった。自分の実存感覚を持てない漱石の「主人公」は、自分を愛する女性に唯一の存在証明を求めるが、彼らにとって女は「謎」だったから、彼らは愛を求めて苦悩するしかなかった。これが「漱石的主人公」である。「漱石的主人公」が近代知識人の原型に見えるのは、以上の理由による

  • 明治・大正期の中産階級読者から見た漱石文学の「新しさ」に関する構造的研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2011年04月
    -
    2014年03月
     

    石原 千秋

     概要を見る

    明治30年代の読者が馴染んでいて、なおかつ礎石文学と共通点を持つ女学生小説と家庭小説と漱石文学との違いを明らかにした。第一は、漱石文学の女性主人公は女学校を卒業して以降の女性の運命を書いたものであって、彼女たちは恋愛や結婚生活において自らを「謎」の存在とすることで、男性との関係にいおて主体性を確保したこと。第二は、漱石文学は明治31年に施行された明治民法を意識して書かれており、これは「家族小説」と呼ぶべきで、山の手に形成されつつあった新興の中間層に父権的資本主義下の近代家族の質を提示し続けたことである

  • 明治・大正の誕生期における大衆的言説のジェンダー構成に関する文学的研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2008年
    -
    2010年
     

    石原 千秋

     概要を見る

    明治・大正期に大衆に向けられた啓蒙的言説は現代にも引き継がれている。この研究では、その中でも父権制資本主義社会に特徴的な性差をめぐる言説を中心に取り上げ、これらが3つのレベルで機能していたことを明らかにした。第一は、男女の生物学的な性差について、進化論の影響を強く受けて男女の優劣を説くレベル。第二は、これを踏まえて社会の中での性役割を固定するレベル。第三は、女性不信パラダイムと呼んでもいいような、女性の心の理解の仕方のレベルである。文学が主にテーマ化したのは言うまでもなく第三のレベルである。このように、文学は社会構造全体と密接に関連していると言える

  • 漱石文学における「読者の期待の地平」取り込みの構造に関する研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2005年
    -
    2007年
     

    石原 千秋

     概要を見る

    本研究の目的は、文学理論で言う「読者の期待の地平」(文学テクストに対して、読者があらかじめ抱いている予測のようなもの)に対して、夏目漱石がどのように対応したのかを明らかにするところにある。このことによって、明治・大正期を代表する文学テクストのどこが時代と対応しており、どこが時代を超えていたかが理解できることになる。方法としては、当時新興の中産階級を読者層として想定していた「朝日新聞」の読者が読んだだろうと思われる雑書を分析して小説テクストと対応させ、その関係を明らかにした。結論としては、夏目漱石は中産階級の「読者の期待の地平」を取り込むことで新聞の連載小説としての商品価値を高め、一方で、そのような「読者の期待の地平」を裏切ることで文学的価値を高めることを目指していたと考えられる。後者が、夏目漱石の文学が現在も価値を持つ大きな要素であると言うことができる。一例を挙げれば、明治40年頃を作中の「現在」とする『三四郎』では、夏目漱石はヒロインの里美美禰子をいかにも「女学生」上がりの女性に仕立て上げた。これは、明治30年代に大流行した「女学生小説」にたいする「読者の期待の地平」を取り込んだものと言える。しかし、夏目漱石は里美美禰子を「女学生小説」のヒロインのようには「堕落」させず、家長である兄の意向を受けて、兄の友人である法学士と結婚させた。これは、当時中流家庭以上に育った女性の生き方を説いた「近代女訓もの」とでもいうべき書物に書かれた生き方そのものである。このことによって、多くの読者は「期待の地平」を一つに焦点化することが困難になったと考えられる。このようにして、夏目漱石は小説テクストを「読者の期待の地平」に即しながら、同時にそれを裏切ることで、小説テクストを時間による風化から守ったのである

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Misc

  • 家族と権力−『行人』②(連載『漱石と日本の近代』第二十三回)

    『波』    2015年05月  [査読有り]

  • 家族と権力−『行人』①(連載『漱石と日本の近代』第二十二回)

    『波』    2015年04月  [査読有り]

  • 宗教としての研究−教室で文学は教えられるか−

    『日本文学』    2015年04月  [査読有り]

  • 恋愛と偶然−『彼岸過迄』③(連載『漱石と日本の近代』第二十一回)

    『波』    2015年03月  [査読有り]

  • 恋愛と偶然−『彼岸過迄』②(連載『漱石と日本の近代』第二十回)

    『波』    2015年02月  [査読有り]

  • 恋愛と偶然−『彼岸過迄』①(連載『漱石と日本の近代』第十九回)

    『波』    2015年01月  [査読有り]

  • 因果と時間−『門』③(連載『漱石と日本の近代』第十八回)

    『波』    2014年12月  [査読有り]

  • 因果と時間−『門』②(連載『漱石と日本の近代』第十七回)

    『波』    2014年11月  [査読有り]

  • 因果と時間−『門』①(連載『漱石と日本の近代』第十六回)

    『波』    2014年10月  [査読有り]

  • 法と権力−『それから』③(連載『漱石と日本の近代』第十五回)

    『波』    2014年09月  [査読有り]

  • 法と権力−『それから』②(連載『漱石と日本の近代』第十四回)

    『波』    2014年08月  [査読有り]

  • 法と権力−『それから』①(連載『漱石と日本の近代』第十三回)

    『波』    2014年07月  [査読有り]

  • 言葉と意味−『三四郎』③(連載『漱石と日本の近代」第十二回)

    『波』    2014年06月  [査読有り]

  • 言葉と意味−『三四郎』②(連載「漱石と日本の近代」第十一回)

    『波』    2014年05月  [査読有り]

  • 「誤配」された恋人たち−空虚な中心・三島由紀夫『春の雪』(連載・最終回)

    『すばる』    2014年04月  [査読有り]

  • 言葉と意味−『三四郎』①(連載「漱石と日本の近代」第十回)

    『波』    2014年04月  [査読有り]

  • 事実と意味−『坑夫』(連載「漱石と日本の近代」第九回)

    『波』    2014年03月

  • 乗り越えてきたもの、受け継いできたもの(高田瑞穂『現代文読解の根底』ちくま学芸文庫・解説)

    高田瑞穂『現代文読解の根底』ちくま学芸文庫    2014年03月  [査読有り]

  • (書評)鬼頭七美『「家庭小説」と読者たち』(翰林書房)

    「週刊読書人」    2014年03月

  • 「誤配」された恋人たち−優雅なニヒリストたち・柴田翔『されど われらが日々−』(連載第9回)

    『すばる』    2014年03月  [査読有り]

  • (書評)芳川泰久・西脇雅彦『村上春樹 読める比喩事典』(ミネルヴァ書房)

    「週刊読書人」    2014年02月

  • 「誤配」された恋人たち−この甘ったれた若者・石原慎太郎『太陽の季節』(連載第8回)

    『すばる』    2014年02月  [査読有り]

  • 女性と自由−『虞美人草』③(連載「漱石と日本の近代」第八回)

    『波』    2014年02月

  • 「わかること」と「わからないこと」のはざまで(『小林秀雄対話集 直観を磨くもの』新潮文庫・解説)

    『小林秀雄対話集 直観を磨くもの』新潮文庫    2014年01月  [査読有り]

  • 社会の中の「私」(『社会と自分 漱石自選講演集』ちくま学芸文庫・解説)

    『社会と自分 漱石自選講演集』ちくま学芸文庫    2014年01月

  • 女性と自由−『虞美人草』②(連載「漱石と日本の近代」第七回)

    『波』    2014年01月  [査読有り]

  • 「誤配」された恋人たち−それを愛と呼んでもいい・川端康成『雪国』(連載第7回)

    『すばる』    2014年01月  [査読有り]

  • 女性と自由−『虞美人草』①(連載「漱石と日本の近代」第6回)

    『波』    2013年12月

  • 主人公と観察−『草枕』②(連載「漱石と日本の近代」第5回)

    『波』    2013年11月  [査読有り]

  • 「誤配」された恋人たち−スターの条件・谷崎潤一郎『痴人の愛』(連載第6回)

    『すばる』    2013年11月  [査読有り]

  • 「誤配」された恋人たち−読まれなかった手紙・志賀直哉『暗夜行路』(連載第5回)

    『すばる』    2013年11月  [査読有り]

  • 二つの物語、あるいは恋する次男(集英社文庫『それから』解説)

    『それから』集英社文庫    2013年10月

  • 「誤配」された恋人たち−誰がシャッターを切ったのか・武者小路実篤『友情』(連載第4回)

    『すばる』    2013年10月  [査読有り]

  • 主人公と観察−『草枕』①(連載「漱石と日本の近代」第4回)

    『波』    2013年10月  [査読有り]

  • 「誤配」された恋人たち−読者の恋・森鴎外『雁』(連載第3回)

    『すばる』    2013年09月  [査読有り]

  • 教育と資本−『坊っちゃん』③(連載「漱石と日本の近代」第3回)

    『波』    2013年09月  [査読有り]

  • 「誤配」された恋人たち−作家の闘争・田山花袋『蒲団』(連載第2回)

    『すばる』    2013年08月  [査読有り]

  • 教育と資本−『坊っちゃん』②(連載「漱石と日本の近代」第2回)

    『波』    2013年08月  [査読有り]

  • 教育と資本−『坊っちゃん』①(連載「漱石と日本の近代」第1回)

    波』

       2013年07月  [査読有り]

  • 「誤配」された恋人たち−悲恋小説作家・夏目漱石(連載第1回)

    『すばる』    2013年07月  [査読有り]

  • (書評)関谷由美子『〈磁場〉の漱石』(翰林書房)

    「週刊読書人」    2013年06月

  • 「今」を探す旅へ

    評論集『村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の旅』をどう読むか』    2013年06月  [査読有り]

  • 村上春樹と夏目漱石 国民作家のまなざし

    『文藝春秋』6月号    2013年06月  [査読有り]

  • 「女の謎」から漱石を読み解く

    『kotoba』2013年夏号    2013年06月  [査読有り]

  • 「真実」の相続人−『こころ』論−

    『日本語学』    2013年04月

  • アイデンティティーはもう古い?−三田誠広『僕って何』(連載「教養として読む現代文学」第10回・最終回)

    『小説トリッパー』2013年春号    2013年03月  [査読有り]

  • 地図のない女−古井由吉『杳子』(連載「教養として読む現代文学」第9回)

    『小説トリッパー』2012年冬号    2012年12月

  • 「娘が母を殺すとき−水村美苗『母の遺産−新聞小説』」(書評)

    『こころ』平凡社・8号    2012年08月  [査読有り]

  • 二人の村上春樹

    菅野昭正編『村上春樹の読みかた』平凡社     31 - 67  2012年07月  [査読有り]

  • 主婦になり損なった男−小島信夫『抱擁家族』(連載「教養として読む現代文学」第7回)

    『小説トリッパー』2012年夏号    2012年06月  [査読有り]

  • 坪内雄蔵(坪内逍遙)著『國語讀本』(書評)

    『図書新聞』(2012年4月7日号)   3057  2012年04月

  • 二つの身体—安部公房『砂の女』(連載「教養として読む現代文学」第6回)

    『小説トリッパー』2012年春号    2012年03月  [査読有り]

  • 平野芳信『村上春樹—人と文学』(勉誠出版)・書評

    『山口國文』第35号   35  2012年03月

  • 裏返された家族—安岡章太郎『海辺の光景』(連載「教養として読む現代文学」第5回)

    『小説トリッパー』2011年冬号    2011年12月  [査読有り]

  • 仕事をする文体—『ダンシング・ヴァニティ』

    『国文学 解釈と鑑賞』(筒井康隆特集)    2011年09月

  • 「僕ら」とは誰か—大江健三郎『芽むしり仔撃ち』(連載「教養として読む現代文学」第4回)

    『小説トリッパー』2011年秋号    2011年09月

  • 利子と文学史—文学は進化するだろうか—

    『文学・語学』(全国大学国語国文学会機関誌・200号)   ( 200 )  2011年07月  [査読有り]

  • 忘れられそうな小さな日常−尾崎一雄

    『国文学 解釈と鑑賞』    2011年06月  [査読有り]

  • ジェイ・ルービン『風俗壊乱』(書評)

    『秘本経済新聞』6月12日    2011年06月

  • 「恋」を知らない恋人たち—大岡昇平『武蔵野夫人』(連載「教養として読む現代文学」第3回)

    『小説トリッパー』2011年夏号    2011年06月  [査読有り]

  • 小倉修三『漱石の教養』(書評)

    『週刊読書人』第2885号   ( 2885 )  2011年04月

  • 「正しさ」の村上春樹論的転回

    日本近代文学会関西支部編『村上春樹と小説の現在』和泉書院    2011年03月  [査読有り]

  • 「作者」になるための物語—三島由紀夫『仮面の告白』(連載「教養として読む現代文学」第2回)

    『小説トリッパー』2011春号    2011年03月  [査読有り]

  • 漱石『こゝろ』を再読する(平成21年度「国文学 言語と文芸の会」大会シンポジウム記録)

    『国文学 言語と文芸』   ( 127 )  2011年03月  [査読有り]

  • 誰にひれ伏していたのか−東京裁判三部作(井上ひさし特集)

    『国文学 解釈と鑑賞』    2011年02月  [査読有り]

  • もう一つの、敗北を抱きしめて−太宰治『斜陽』(連載「教養として読む現代文学」第1回)

    『小説トリッパー』   2010年冬号  2010年12月

  • 終わることの快楽−『三四郎』

    『国文学 解釈と鑑賞』    2010年09月  [査読有り]

  • 期待は叶えられたか(『1Q84』書評)

    『東京新聞』(2010年4月27日夕刊)    2010年04月

  • 言葉と戯れる恋人たち−吉行淳之介『夕暮れまで』(連載「この名作を知っていますか 近代文学の愉しみ」第12回)

    『文蔵』49号(月刊の文庫)    2009年10月  [査読有り]

  • 紙の上の出来事−多和田葉子『時差』(連載「この名作を知っていますか 近代文学の愉しみ」第11回)

    『文蔵』48号(月刊の文庫)    2009年09月  [査読有り]

  • 重ね合わされる秘密−尾崎翠『無風帯から』(連載「この名作を知っていますか 近代小説の愉しみ」第10回)

    『文蔵』47号(月刊の文庫)    2009年08月  [査読有り]

  • 「こちら側」の自分はいつも孤独−村上春樹『スプートニクの恋人』(連載「書き出しの美学」第15回)

    『本が好き!』    2009年07月

  • 「法」と「道徳」−宮澤賢治『月夜のけだもの』(連載「この名作を知っていますか 近代小説の愉しみ」第9回)

    『文蔵』46号(月刊の文庫)    2009年07月  [査読有り]

  • 今のところ「取扱注意」である(村上春樹『1Q84』論)

    『村上春樹『1Q84』をどう読むか』河出書房新社    2009年07月  [査読有り]

  • 演劇時評(小田島恒志氏との対談形式で、全6回)

    『悲劇喜劇』    2009年06月

  • 女として読むこと−江國香織『きらきらひかる』(連載「書き出しの美学」第14回)

    『本が好き!』    2009年06月

  • 語り手は「私」ではない−芥川龍之介『蜜柑』(連載「この名作を知っていますか 近代文学の愉しみ」第8回)

    『文蔵』45号(月刊の文庫)    2009年06月  [査読有り]

  • 解説−人生と研究と参考書

    解説(高田瑞穂『新釈現代文』ちくま学芸文庫)    2009年06月  [査読有り]

  • 揺れ続ける性の向こうへ−松浦理英子『ナチュラル・ウーマン』(連載「書き出しの学」第13回)

    『本が好き!』    2009年05月  [査読有り]

  • 逆さまから見る世界−萩原朔太郎『猫町』(連載「この名作を知っていますか 近代文学の愉しみ」第7回)

    『文蔵』44号(月刊の文庫)    2009年05月

  • 少女の文体と新しい性の形−吉本ばなな『キッチン』(連載「書き出しの美学」第12回)

    『本が好き!』    2009年04月

  • 眩暈のような自意識−梶井基次郎『檸檬』(連載「この名作を知っていますか 近代文学の愉しみ」第6回)

    『文蔵』43号(月刊の文庫)    2009年04月

  • 女が文体を女装する−山田詠美『ベットタイムアイズ』(連載「書き出しの美学」第11回)

    『本が好き!』    2009年03月

  • 進化論を超えて−夏目漱石『趣味の遺伝』(連載『この名作を知っていますか 近代小説の愉しみ」第5回)

    『文蔵』42号(月刊の文庫)    2009年03月  [査読有り]

  • 公然の秘密を楽しむ−向田邦子『あ・うん』(連載「書き出しの美学」第10回)

    『本が好き!』    2009年02月

  • 自分を超える自分−太宰治『女生徒』(連載「この名作を知っていますか 近代小説の愉しみ」第4回)

    『文蔵』41号(月刊の文庫)    2009年02月  [査読有り]

  • 解説−使える地図論

    解説(若林幹夫『増補 地図の想像力』河出文庫)    2009年02月  [査読有り]

  • 記号の森へ/記号の森から−田中康夫『なんとなく、クリスタル』(連載「書き出しの美学」第9回)

    『本が好き!』    2009年01月

  • 輸入品としての「気分」−谷崎潤一郎『人魚の嘆き』(連載「この名作を知っていますか 近代小説の愉しみ」第3回)

    『文蔵』40号(月刊の文庫)    2009年01月  [査読有り]

  • 空虚な「愛」は語ることができない−村上龍『限りなく透明に近いブルー』(連載「書き出しの美学」第8回)

    『本が好き!』    2008年12月  [査読有り]

  • 否定的な自己肯定−三島由紀夫『音楽』(連載「この名作を知っていますか 近代小説の愉しみ」第2回)

    『文蔵』39号(月刊の文庫)    2008年12月  [査読有り]

  • 父系の神話と母系の神話−中上健次『枯木灘』(連載「書き出しの美学」第7回)

    『本が好き!』    2008年11月

  • 淋しいフェティシズム−川端康成『片腕』(連載「この名作を知っていますか 近代小説の愉しみ」第1回)

    『文蔵』38号(月刊の文庫)    2008年11月  [査読有り]

  • 国語試験の限界と可能性

    『日本語学』    2008年11月  [査読有り]

  • 真実の言説の作り方−大江健三郎『万延元年のフットボール』(連載「書き出しの美学」第6回)

    『本が好き!』    2008年10月  [査読有り]

  • 有為子のために−三島由紀夫『金閣寺』(連載「書き出しの美学」第5回)

    『本が好き!』    2008年09月

  • 駒子が愛したのは東京の男−川端康成『雪国』(連載「書き出しの美学」第4回)

    『本が好き!』    2008年08月

  • 自分を「子供」に見せる語り−太宰治『人間失格』(連載「書き出しの美学」第3回)

    『本が好き!』    2008年07月

  • 誰でもない自分−谷崎潤一郎『痴人の愛』(連載「書き出しの美学」第2回)

    『本が好き!』(光文社)    2008年06月  [査読有り]

  • 時代の中の『三四郎』

    『國文學』    2008年06月  [査読有り]

  • 花になりたかった女−夏目漱石『それから』(連載「書き出しの美学」第1回)

    『本が好き!』(光文社)    2008年05月

  • 楊逸『ワンちゃん』(書評)

    『文学界』    2008年05月  [査読有り]

  • 現代思想は15年周期

    桐光学園中学校・高校編『大学の授業がやってきた! 知の冒険』(水曜社)    2008年05月  [査読有り]

  • 中学入試にはルールがある

    『本』(講談社)    2008年04月  [査読有り]

  • 石川巧『「国語」入試の近現代史』(書評)

    「日本経済新聞」    2008年03月  [査読有り]

  • 石川巧『「国語」入試の近現代史』(書評)

    石原千秋

    「日本経済新聞」    2008年03月  [査読有り]

  • ファッションとしての読書

    石原千秋

    『ちくま』    2007年08月

  • 日本文学(近代)研究06

    『文藝年鑑』新潮社    2007年06月  [査読有り]

  • 現代と変わらぬ保守性

    『北海道新聞』    2007年06月  [査読有り]

  • (書評)植村鞆音『歴史の教師 植村清二』(中央公論新社)

    『産経新聞』    2007年04月

  • 文芸時評(毎月最終日曜日に掲載)

    『産経新聞』    2007年04月  [査読有り]

  • (書評)植村鞆音『歴史の教師 植村清二』(中央公論新社)

    『産経新聞』    2007年04月  [査読有り]

  • 文学研究の現在−−近代文学研究とパラダイムチェンジ−−

    『二松学舎大学 人文論叢』第78輯    2007年03月  [査読有り]

  • 大学受験における国語力の研究

    『早稲田教育評論』 第21巻第1号    2007年03月  [査読有り]

  • (書評)高橋源一郎『ニッポンの小説』

    『産経新聞』    2007年02月

  • (書評)高橋源一郎『ニッポンの小説』

    『産経新聞』    2007年02月

  • 性慾を研究する時代がやって来た

    『本』(講談社)    2006年12月  [査読有り]

  • 文学研究の現在−近代文学研究とパラダイムチェンジ−

    二松学舎大学人文学会 第94回大会    2006年11月  [査読有り]

  • 危険思想だった「自我」

    『本』(講談社)    2006年11月  [査読有り]

  • (書評)前田愛『前田愛対話集Ⅰ・Ⅱ』(みすず書房)

    『図書新聞』    2006年10月

  • (書評)前田愛『前田愛対話集Ⅰ・Ⅱ』(みすず書房)

    『図書新聞』    2006年10月  [査読有り]

  • バックラッシュ!「新しい女」

    『本』(講談社)    2006年10月  [査読有り]

  • 高橋英夫『洋燈の孤影』

    『週刊読書人』    2006年09月

  • 「婦人問題」とはどんな「問題」か

    『本』(講談社)    2006年09月  [査読有り]

  • 「道徳」よりも「リテラシー」を!

    『ユリイカ』青土社    2006年09月  [査読有り]

  • 田中和生『新約太宰治』(講談社)・書評

    『陸奥新報』ほか(時事通信社配信)    2006年08月  [査読有り]

  • 進化論と優生学

    『本』(講談社)    2006年08月  [査読有り]

  • 小林信彦『うらなり』

    『文学界』    2006年08月  [査読有り]

  • 男は神経衰弱、女はヒステリー

    『本』(講談社)    2006年07月

  • 国語教育と批評理論

    『大航海』   ( 59 )  2006年07月  [査読有り]

  • 漱石がなぜ「予言者」に見えるのか

    正言@アリエス    2006年06月  [査読有り]

  • 青年たちのハローワーク

    『本』(講談社)    2006年06月

  • (書評)唯川恵『今夜は心だけ抱いて』

    産経新聞    2006年05月  [査読有り]

  • (書評)唯川恵『今夜は心だけ抱いて』

    産経新聞    2006年05月  [査読有り]

  • 小説の自由とは何か

    『月刊国語教育』別冊    2006年05月  [査読有り]

  • 学生という階級

    『本』    2006年05月  [査読有り]

  • 石原千秋先生の国語教室(2006年4月8日から2008年3月29日まで、土曜日に隔週で連載、全49回)

    読売新聞 夕刊    2006年04月  [査読有り]

  • 社交場としての博覧会

    『本』    2006年04月  [査読有り]

  • 漱石から白樺派へ

    『国文学』    2006年03月

  • 古井由吉『辻』(書評)

    日本経済新聞    2006年03月  [査読有り]

  • 結婚の前夜に

    『本』    2006年03月  [査読有り]

  • 不純な男女交際

    『本』    2006年02月  [査読有り]

  • 固有名詞の力

    講談社文庫(佐藤賢一『ジャンヌ・ダルクあるいはメロ』解説)    2006年02月  [査読有り]

  • コム・デ・ギャルソンであること

    『アイ・フィール』(紀伊國屋書店)    2006年02月  [査読有り]

  • なぜ「社交」が必要だったのか

    『本』    2006年01月  [査読有り]

  • 女は「矛盾」、女は「謎」

    『本』    2005年12月  [査読有り]

  • 言葉との格闘

    『漱石研究』   18  2005年11月  [査読有り]

  • 「堕落女学生」は世間が作る

    『本』    2005年11月  [査読有り]

  • 「脳力」とは何か

    『本』    2005年10月  [査読有り]

  • そして、兄は帰ってこなかった(解説・佐江衆一『リンゴの唄、僕らの出発』講談社文庫)

    講談社文庫    2005年08月

  • 国語との上手なつき合い方

    『国語さが』   ( 43 )  2005年07月

  • 感想文を哲学する

    全人/玉川大学   676  2004年11月  [査読有り]

  • 隠れ里の文学

    『漱石研究』   17  2004年11月

  • 演劇の近代と近代日本の身体=言語

    演劇人   17  2004年10月  [査読有り]

  • 〈都立高校〉はよみがえるか

    アリエス   1  2004年10月

  • 柴田勝二『〈作者>をめぐる冒険』(書評)

    中国新聞ほか(時事通信社配信)    2004年08月

  • 分裂する近代・複数のナショナリズム

    演劇人   16  2004年07月  [査読有り]

  • (書評)末延芳晴『夏目金之助ロンドンに狂せり』

    日本経済新聞    2004年05月  [査読有り]

  • (書評)大杉重男『アンチ漱石』

    東京新聞    2004年05月  [査読有り]

  • (書評)末延芳晴『夏目金之助ロンドンに狂せり』

    日本経済新聞    2004年05月  [査読有り]

  • (書評)大杉重男『アンチ漱石』

    東京新聞    2004年05月  [査読有り]

  • 漱石と読者の位置

    早稲田大学国語教育学会 219回例会    2004年04月  [査読有り]

  • テクストと分析する機械

    ちくま    2004年04月  [査読有り]

  • 秘伝 人生論的論文執筆法

    ユリイカ    2004年03月

  • 中嶋隆『西鶴と元禄文芸』

    国文学研究   142  2004年03月  [査読有り]

  • カルチュラルスタディーズ再考

    文学/岩波書店    2004年03月  [査読有り]

  • 名前は付けられない−固有名をめぐって

    國文學    2004年01月  [査読有り]

  • 「作者」はコードになるのだろうか

    インターコミュニケーション   47  2004年01月  [査読有り]

  • 受験国語は時代を映す

    アリエス   00  2003年12月

  • (書評)渡部直己『かくも繊細なる横暴』

    『日本近代文学』   69  2003年10月  [査読有り]

  • 屹立する郊外

    インターコミュニケーション   46  2003年10月  [査読有り]

  • (書評)渡部直己『かくも繊細なる横暴』

    『日本近代文学』   69  2003年10月

  • 失敗という名の可能性

    漱石研究   16  2003年10月  [査読有り]

  • 村上春樹と〈食〉−国籍と自我と

    國文學(臨時増刊号)    2003年07月  [査読有り]

  • いま、文学を教えること

    インターコミュニケーション   45  2003年07月  [査読有り]

  • 紅野謙介『投機としての文学』

    図書新聞    2003年06月

  • 教室で教えられること

    日本語学    2003年06月  [査読有り]

  • 作者・読者・メディア−見えざる手の神話化

    インターコミュニケーション   44  2003年04月  [査読有り]

  • もう一人の内田百?(解説)

    内田百?集成7/ちくま文庫    2003年04月  [査読有り]

  • 野口武彦『近代日本の詩と史実』(書評)

    図書新聞    2003年02月  [査読有り]

  • 解説『こころに夢のタマゴを持とう』

    講談社文庫    2002年11月

  • 戸松泉『小説の〈かたち〉・〈物語〉の揺らぎ』(書評)

    日本近代文学   67  2002年10月  [査読有り]

  • 一郎的な言葉を生きること

    漱石研究   15  2002年10月  [査読有り]

  • 不純な男女交際−『女に思わるゝ法』『きむすめ論』など

    国文学(臨時増刊号)    2002年07月

  • 若林幹夫『漱石のリアル』(書評)

    東京新聞    2002年07月  [査読有り]

  • 現代文学と規制

    国文学(臨時増刊号)    2002年07月

  • 近代発禁関連略年表(生方智子と共編)

    国文学(臨時増刊号)    2002年07月

  • 辻佐保子『辻邦生のために』(書評)

    静岡新聞ほか(時事通信社配信)    2002年06月  [査読有り]

  • 自学自習が子どもを育てる

    信濃毎日新聞ほか    2002年05月  [査読有り]

  • 「キッチン」(ほか8項目)野村純一ほか編

    日本説話小事典/大修館    2002年04月  [査読有り]

  • 斎藤美奈子『文章読本さん江』(書評)

    福井新聞ほか(時事通信社配信)    2002年03月  [査読有り]

  • 忘れられそうな小さな日常 尾崎一雄

    文學界    2002年02月  [査読有り]

  • 菅聡子『メディアの時代』(書評)

    図書新聞    2002年02月

  • 三浦雅士『青春の終焉』(書評)

    新潮    2002年01月  [査読有り]

  • 解説『自分の子どもは自分で守れ』

    講談社文庫    2002年01月  [査読有り]

  • スガ秀実『「帝国」の文学』(書評)

    国文学    2001年12月  [査読有り]

  • 視点という名の症候群

    漱石研究   14  2001年10月  [査読有り]

  • 21世紀に読み継がれる恋愛小説10冊

    経営者    2001年08月

  • 国語ができるとはどういうことか

    大学時報   279  2001年07月  [査読有り]

  • 高田里恵子『文学部をめぐる病い』(書評)

    福井新聞ほか(時事通信社配信)    2001年07月  [査読有り]

  • 坪内祐三『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り』(書評)

    図書新聞    2001年06月  [査読有り]

  • 奇妙な争点−研究者の立場から

    文學界    2001年05月

  • 「研究と批評」再び(「展望」欄)

    日本近代文学   64  2001年05月  [査読有り]

  • 夏目漱石をどう読むか?−「いま」を読むこと

    国文学解釈と鑑賞    2001年03月  [査読有り]

  • ホモソーシャル / セクシャル・アイデンティティー

    国文学(臨時増刊号)    2001年02月

  • 〈恋愛〉スタディ・ガイド

    国文学(臨時増刊号)    2001年02月  [査読有り]

  • なぜ入試の国語に小説が出題できるのか

    環   4  2001年01月

  • 上野千鶴子『上野千鶴子が文学を社会学する』(書評)

    京都新聞ほか(時事通信社配信)    2000年12月  [査読有り]

  • 日曜日の妻たち 初期の岸田國士

    演劇人   6  2000年11月  [査読有り]

  • 解説『硝子戸の中』

    新潮文庫/新潮社    2000年11月  [査読有り]

  • 『鏡子の家』−「純潔」の思想

    国文学解釈と鑑賞    2000年11月  [査読有り]

  • 漱石を生きる人々

    漱石研究   13  2000年10月

  • 丸谷才一『闊歩する漱石』(書評)

    静岡新聞ほか(時事通信社配信)    2000年08月  [査読有り]

  • 漱石と文化記号

    城西文学   25  2000年03月  [査読有り]

  • 国語の掟

    日本文学    2000年03月

  • 高島俊男『漱石の夏やすみ』(書評)

    北海道新聞    2000年03月  [査読有り]

  • スピヴァック『ポスト植民地主義の思想』 / イ・ヨンスク『「国語」という思想』

    国文学    2000年03月

  • 一九七八年のセクシュアリティー(解説)

    寵児/講談社文芸文庫    2000年02月  [査読有り]

  • 時代を超える『坊つちやん』

    アイラブ坊っちゃん2000プログラム    2000年01月  [査読有り]

  • 古屋健三『永井荷風 冬との出会い』(書評)

    図書新聞    2000年01月  [査読有り]

  • 『漱石とその時代』全五冊(書評)

    東京新聞    2000年01月  [査読有り]

  • 『吉里吉里人』論−不可能としての国家

    別冊国文学解釈と鑑賞    1999年12月

  • 『河童』−〈個〉の抗い

    国文学解釈と鑑賞    1999年11月

  • 漱石の居場所

    城西国際大学人文学会    1999年10月

  • 明治の『坊つちやん』

    漱石研究   12  1999年10月  [査読有り]

  • 注釈という読み方

    日本近代文学   61  1999年10月  [査読有り]

  • 国語の掟

    日本文学協会第54回大会    1999年10月

  • 新人小説月評(連載)

    文学界    1999年08月

  • 自画像としての漱石論(江藤淳追悼特集)

    週刊読書人    1999年08月  [査読有り]

  • 男の恋と『母』

    アエラムック 恋愛学がわかる/朝日新聞社    1999年07月  [査読有り]

  • 多和田葉子『カタコトのうわごと』(書評)

    週刊読書人    1999年07月  [査読有り]

  • 小森陽一『世紀末の予言者・夏目漱石』(書評)

    すばる    1999年06月  [査読有り]

  • 『創造された古典』(書評)

    日本経済新聞    1999年06月  [査読有り]

  • 内田道雄『夏目漱石−『明暗』まで』

    日本文学    1999年03月  [査読有り]

  • 北杜夫/村上春樹

    国文学(臨時増刊号・現代の作家・ガイド)    1999年02月

  • テクスト・主体・植民地

    漱石研究   11  1998年11月

  • 漱石は『小説』といかに格闘したか

    アエラムック 漱石がわかる/朝日新聞社    1998年09月  [査読有り]

  • 津島祐子『火の山−山猿記』(書評)

    図書新聞    1998年08月

  • 読むことのセクシュアリティー 『人間失格』

    ユリイカ(臨時増刊号)    1998年06月  [査読有り]

  • ジェンダー化する代助

    漱石研究   10  1998年05月  [査読有り]

  • 地図の上の自我−『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』

    国文学(臨時増刊号)    1998年02月  [査読有り]

  • ゆらぎの中の家族

    漱石研究   9  1997年11月  [査読有り]

  • 結婚のためのレッスン 『由利旗江』

    国文学    1997年10月

  • 同人誌時評(連載)

    図書新聞    1997年09月

  • リービ英雄『アイデンティティーズ』(書評)

    週間読書人    1997年07月  [査読有り]

  • 転移する夢

    漱石研究   8  1997年05月  [査読有り]

  • 『母の崩壊』再考

    日本近代文学会大会    1997年05月  [査読有り]

  • 主婦の記号学

    成城国文学論集   25  1997年03月  [査読有り]

  • 『叫び声』『個人的な体験』

    国文学(臨時増刊号)    1997年02月  [査読有り]

  • 気質と文体

    漱石研究   7  1996年12月  [査読有り]

  • 学界時評 近代 夏目漱石

    文学・語学   153  1996年12月

  • テクストはまちがわない(*本文校訂論)

    成城文芸   156  1996年12月

  • 『漱石全集(「道草」草稿)』

    岩波書店   26  1996年12月  [査読有り]

  • テクストはまちがわない

    中上健次全集/集英社   15(月報)  1996年08月

  • 井上ひさし『百年戦争』/武田泰淳『富士』

    国文学(臨時増刊号)    1996年07月  [査読有り]

  • テクストはまちがわない(*『こゝろ』論)

    漱石研究   6  1996年05月  [査読有り]

  • 『こゝろ』論の彼方へ(研究史)

    漱石研究   6  1996年05月  [査読有り]

  • 『こゝろ』のかたち

    漱石研究   6  1996年05月  [査読有り]

  • テクスト論はなにを変えるか(*『羅生門』論)

    国文学    1996年04月  [査読有り]

  • 小森陽一『漱石を読みなおす』(書評)

    成城国文学   12  1996年03月

  • 論争家としての柄谷行人

    国文学解釈と鑑賞(臨時増刊号)    1995年12月  [査読有り]

  • 長男の記号学

    漱石研究   5  1995年11月

  • 『明暗』から見た明治

    漱石研究   5  1995年11月  [査読有り]

  • 千種・キムラ・スティーブン『三四郎』の世界(書評)

    週間読書人    1995年08月  [査読有り]

  • 本文校訂と中上文学

    すばる    1995年07月  [査読有り]

  • 構造と批評

    国文学    1995年07月  [査読有り]

  • 手紙の記号学

    語文   92  1995年06月  [査読有り]

  • 手紙−その開かれたかたち

    語文   92  1995年06月  [査読有り]

  • 読者論とは何か(他2項目)

    国文学    1995年05月  [査読有り]

  • 宙吊りにされた世界

    漱石研究   4  1995年05月

  • 中上健次全集

    集英社   3,6,7,10,12,14  1995年05月  [査読有り]

  • 夏目漱石研究の回顧

    国文学解釈と鑑賞    1995年04月  [査読有り]

  • 手紙の記号学

    日本大学国文学会大会    1994年12月  [査読有り]

  • 『屋根裏の散歩者』

    国文学解釈と鑑賞    1994年12月

  • 動く女と動かない女−漱石文学の女性たち

    漱石研究   3  1994年11月  [査読有り]

  • 神経衰弱の記号学

    漱石研究   3  1994年11月

  • 『漱石全集(道草)』第10巻

    岩波書店   10  1994年10月  [査読有り]

  • 『道草』のヒステリー

    漱石全集/岩波書店   10(月報)  1994年10月

  • 芳川泰久『漱石論 鏡あるいは夢の書法』(書評)

    週間読書人    1994年07月

  • 漱石を書く、漱石を読む

    漱石研究   2  1994年06月

  • 漱石と階級

    早稲田文学    1994年06月  [査読有り]

  • 『総力討論 漱石の『こゝろ』(書評)

    日本近代文学会東北支部会報   10  1994年06月  [査読有り]

  • 家庭/家族

    太宰治事典/学燈社    1994年05月  [査読有り]

  • 隠す『明暗』・暴く『明暗』

    国文学(臨時増刊号)    1994年04月

  • 島田雅彦『漱石を書く』(書評)

    図書新聞    1994年02月  [査読有り]

  • 漱石自筆原稿「心」(解説)

    岩波書店    1993年12月  [査読有り]

  • 誘惑論、あるいはヌーディズムの政治学

    国文学(臨時増刊号)    1993年11月  [査読有り]

  • 菊池弘『芥川龍之介』/芹沢俊介『芥川龍之介の宿命』(研究史)

    国文学解釈と鑑賞    1993年11月

  • 未完の小説

    季刊文学   4;4  1993年10月  [査読有り]

  • 博覧会の世紀へ−『虞美人草』

    漱石研究   1  1993年10月  [査読有り]

  • 日本に閉じられない世界で通用する漱石の探究を

    漱石研究   1  1993年10月

  • 『漱石研究』1号〜17号

    翰林書房    1993年10月  [査読有り]

  • 枯木灘

    国文学解釈と鑑賞(臨時増刊号)    1993年09月

  • 現象する漱石

    季刊文学    1993年07月  [査読有り]

  • 教室の『こゝろ』

    日本文学    1993年07月  [査読有り]

  • 三谷邦明『物語文学のディスクール』(書評)

    日本文学    1993年06月  [査読有り]

  • 読書論・コミュニケーション/身体論・パフォーマンス

    国文学    1993年05月

  • 夏目漱石『明暗』(研究史)

    国文学解釈と鑑賞    1993年04月  [査読有り]

  • 小島信夫『漱石を読む』(書評)

    週間読書人    1993年03月  [査読有り]

  • 『三四郎』と『明暗』の手紙

    東横国文学   25  1993年03月  [査読有り]

  • 夏目漱石をめぐって

    批評空間   8  1993年01月

  • 高等教育の中の男たち−『こゝろ』論

    日本文学    1992年11月  [査読有り]

  • 宇野千代

    国文学    1992年11月  [査読有り]

  • フェミニズムの現在(研究史)

    別冊国文学    1992年11月  [査読有り]

  • 漱石『こゝろ』の原稿を読む

    季刊文学   3;4  1992年10月  [査読有り]

  • 柄谷行人『漱石論集』(書評)

    週間読書人    1992年10月  [査読有り]

  • 「耐へる」精神

    短歌    1992年08月

  • 『夏目漱石論』

    国文学    1992年07月

  • 『行人』−階級のある言葉

    国文学    1992年05月  [査読有り]

  • 魚住陽子『雪の絵』(書評)

    週間読書人    1992年04月  [査読有り]

  • 持続する結末−『明暗』と『續明暗』の間

    東横国文学   24  1992年03月  [査読有り]

  • 竹盛天雄『漱石 文学の端緒』(書評)

    季刊文学    1992年01月  [査読有り]

  • 教科書の中の阿部昭

    阿部昭集/岩波書店   6(月報)  1991年10月  [査読有り]

  • 身体の中の〈家〉(*川端康成論)

    国文学解釈と鑑賞    1991年09月  [査読有り]

  • 近代文学瞥見(連載)

    海燕    1991年07月  [査読有り]

  • 『明暗』と『續明暗』

    日本近代文学会例会    1991年06月  [査読有り]

  • 性別のある場所(*吉本ばなな論)

    国文学解釈と鑑賞(臨時増刊号)    1991年05月  [査読有り]

  • 語ることの物語−夏目漱石『彼岸過迄』

    国文学解釈と鑑賞    1991年04月

  • 家族の神話−太陽族の文学

    東横国文学   23  1991年03月  [査読有り]

  • 『パノラマ島奇談』論

    国文学    1991年03月  [査読有り]

  • 藤井淑禎『不如帰の時代』(書評)

    国文学会食と鑑賞    1991年02月  [査読有り]

  • 血統の神話(*『彼岸過迄』論)

    季刊文学    1991年01月

  • 池内輝雄『志賀直哉の領域』(書評)

    国文学    1990年12月  [査読有り]

  • 〈家〉の不在−『門』論

    日本の文学   8  1990年12月  [査読有り]

  • 夏目漱石における男と女

    国文学解釈と鑑賞    1990年09月  [査読有り]

  • 方法

    夏目漱石事典/学燈社    1990年07月  [査読有り]

  • 『少女病』を読む(共著)

    季刊文学    1990年07月  [査読有り]

  • 漱石を知るためのブックガイド」及び編集協力

    新文芸読本夏目漱石/河出書房新社    1990年06月

  • 丸谷才一/村上龍

    国文学(臨時増刊号・現代作家便覧)    1990年05月

  • 〈家〉の文法(*島崎藤村論)

    国文学解釈と鑑賞    1990年04月  [査読有り]

  • シンポジウム『三四郎』の再検討(共著)

    国文学言語と文芸   105  1990年01月  [査読有り]

  • 『三四郎』の再検討

    国文学言語と文芸   105  1990年01月  [査読有り]

  • 化鳥

    国文学解釈と鑑賞    1989年11月  [査読有り]

  • 石崎等『漱石の方法』(書評)

    週間読書人    1989年09月  [査読有り]

  • 岳父の影−『道草』

    東横国文学   21  1989年03月

  • 相原和邦『漱石文学の研究』(書評)

    国語と国文学    1988年12月  [査読有り]

  • 反転する感性−『暗夜行路』論

    日本近代文学   39  1988年10月

  • 反転するテクスト

    文芸と批評    1988年10月  [査読有り]

  • 『明暗』論−修身の〈家〉・記号の〈家〉−

    国文学解釈と鑑賞    1988年10月

  • 作られた恋−『三四郎』

    大塚国語国文学会大会    1988年09月  [査読有り]

  • 平岡敏夫『漱石研究』(書評)

    日本文学    1988年08月  [査読有り]

  • 次男坊の記号学(*夏目漱石論)

    国文学解釈と鑑賞    1988年08月

  • 反転するテクスト−『暗夜行路』

    日本近代文学会大会    1988年05月

  • 『三四郎』(研究史)

    近代小説研究必携1/有精堂    1988年04月  [査読有り]

  • 『こゝろ』(研究史)

    近代小説研究必携2/有精堂    1988年04月  [査読有り]

  • 安部公房「壁」−S・カルマ氏の犯罪・〈パパ〉の崩壊

    国文学(臨時増刊号)    1988年03月  [査読有り]

  • 制度としての「研究文体」

    日本近代文学   37  1987年10月  [査読有り]

  • 『明暗』

    国文学解釈と鑑賞    1987年10月  [査読有り]

  • 昭和後期の評論 奥野健男『太宰治』

    日本文芸鑑賞事典/ぎょうせい   16  1987年06月

  • 漱石研究文献目録(共編)

    国文学    1987年05月  [査読有り]

  • 漱石・身体論的視点から/漱石・都市論的視点から(研究史)

    国文学    1987年05月  [査読有り]

  • 反=家族小説としての『それから』

    東横国文学   19  1987年03月  [査読有り]

  • 『坊つちやん』の山の手

    文学    1986年08月  [査読有り]

  • 書き出しの美学−「アパアトと女と僕と」小論−

    龍胆寺雄全集   12(月報)  1986年06月

  • 主要参考文献目録

    それから/角川文庫    1986年06月  [査読有り]

  • 越智治雄『漱石と文明 文学論集2』

    日本文学    1986年05月  [査読有り]

  • アイデンティティ(他5項目)

    文学教育基本用語辞典/明治図書    1986年04月  [査読有り]

  • 漱石研究文献目録(共編)

    国文学    1986年03月  [査読有り]

  • 鏡の中の『三四郎』

    東横国文学   18  1986年03月  [査読有り]

  • 主要参考文献目録(共編)

    芥川龍之介事典/明治書院    1985年12月  [査読有り]

  • 悪魔(他36項目)

    芥川龍之介事典/明治書院    1985年12月  [査読有り]

  • 眼差としての他者−『こゝろ』論−

    東横国文学   17  1985年03月  [査読有り]

  • 『こゝろ』のオイディプス−反転する語り

    成城国文学   1  1985年03月  [査読有り]

  • 『夢十夜』における他者と他界

    東横国文学   16  1984年03月  [査読有り]

  • 『道草』における健三の対他関係の構造

    日本近代文学   29  1982年10月

  • 参考文献目録(共編)

    一冊の講座芥川龍之介/有精堂    1982年07月  [査読有り]

  • 叙述形態から見た「道草」の他者認識

    成城国文   4  1980年10月

  • 「あなた」の向こう側-倉橋由美子『パルタイ』(連載「教養として読む現代文学」第8回)

    『小説トリッパー』2012年秋号  

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    2102

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その他

  • 2009年度から2年...

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    2009年度から2年間、法政中学高等学校において「中等教育から高等教育へ繋げるための国語表現プログラムの開発」(東京私立中学高等学校協会)の、「研究指導者」を務める。

  • 2009年度から2年間、法政中学高等学校において「中等教育から高等教育へ繋げるための国語表現プログラムの開発」(東京私立中学高等学校協会)の、「研究指導者」を務める。

 

現在担当している科目

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他学部・他研究科等兼任情報

  • 附属機関・学校   グローバルエデュケーションセンター

  • 教育・総合科学学術院   大学院教育学研究科

特定課題制度(学内資金)

  • 日本近代文学と資本主義に関する研究

    2023年  

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    この研究では、近代になって新たなステージに入った資本主義と文学との関係を考察することを目標とした。注目したのは、視線と欲望と速度である。視線は資本主義を成り立たせる基本である。たとえば、資本主義の申し子と言ってもいいファッションは視線がなければ成り立たない。見ることによって「ほしい」といいう欲望が生み出されるからである。「見せびらかす」という言葉がそれをよく物語っている。それは道徳上よく語られる「人の身になる」ことでもある。資本主義下の道徳は資本主義の形をしている。また、資本主義下では、「できるだけ多くのものを、できるだけ多く、できるだけ速く」が目標になる。日本では、関東大震災後にこの目標が庶民の間にも広がった。近代文学で視線と欲望と速度に怯えた人物が現れた。夏目漱石『行人』の長野一郎である。彼はこの3者の中で特に近代文明の「速度」にお怯えている。これを夏目漱石について考えれば、近代以降、漱石の留学したイギリスが、ヨーロッパでも特別に「速い」国として認識されていたことが考え合わされる。作中人物である長野一郎の「速度」への怯えは、イギリス留学から持ち帰った漱石の感性かもしれない。

  • 明治・大正期文学における進化論・退化論パラダイム表象に関する総合的研究

    2021年  

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    本研究の中心は夏目漱石の文学だが、山崎正和の「淋しい人間」(『ユリイカ』1977年11月)は、漱石文学の主人公について「自分を行動の禁治産者にしている」、「じつに豪華な人間能力の浪費」と述べている。この言葉の使い方は明らかに資本主義を意識している。資本主義は進化論パラダイムの申し子でもある。資本主義的行動とは、自分のいまいる「ここ」から「あそこ」に行くことである。これは欲望を生み出す根源的な仕組みでもあるが、漱石文学的主人公は「ここ」から動こうとしない人間ばかりである。この点を資本主義の観点から明らかにした。

  • 明治・大正期文学における男性知識人と進化論的パラダイムに関する総合的研究

    2020年  

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    近代の小説について、前田愛『文学テクスト入門』(筑摩書房)は、「立身出世型」と「反立身出世型」の2類型に分けられるとした。前者は男性知識人が内面化した価値観であり、進化論パラダイムと深いかかわりがある。後者はあまり知識人とは言えない男性作家が内面化した価値観であり、退化論パラダイムと深いかかわりがある。夏目漱石文学は、男性知識人を退化論パラダイムによって構築された小説世界に置き、進化論パラダイムの内部を退化論パラダイムによって優位性を奪うことで近代批判を行った。そこに漱石文学の特異性がある。

  • 漱石文学の内面記述における「ジェンダー・トラブル」に関する研究

    2019年  

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     女性の内面を書くことは、当時の男性作家にとって至難の業だったと思われる。たとえば、夏目漱石が『道草』や『明暗』において「女性」を「男性」として書くことでかろうじて女性の内面を書くことができたことを、文学上の「ジェンダー・トラブル」(ジュディス・バトラーが提案した概念だが、本研究では「文学上の性と体の不一致」という意味に用いる)という「事件」と呼びたい。それが可能になったのは、『明暗』執筆時期に午前中に小説を書き、午後に監視を書いたことにありはしないか。すなわち、午前中に漱石は女性作家として書き、午後には男性の漢詩人になっていたのではないだろうか。

  • 明治・大正期文学の中産階級読者から見た「女の謎」表象に関する総合的研究

    2016年  

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     明治後期に定着した「良妻賢母」思想は、女性の振る舞いとしてはよけいなことは話すな、余計な動きをするな、心を表情に出すなという形を取る。それが、教育を受けた若い女性に強い関心を持った男性知識人にとっては「謎の女」に見えたのである。漱石的主人公を「何かについて考える人物」として「小説的主人公」と呼ぶことを提案した。まさに、これが漱石的主人公で、「女の謎」と「漱石的主人公」の誕生は歴史的必然性があったのである。

  • 明治・大正期の中産階級読者から見た「女の謎」表象に関する総合的研究

    2015年  

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     夏目漱石は「女の謎」を書き続けた作家である。漱石は明治40年に朝日新聞社の専属作家となったが、実はこれが漱石が作家生涯を通して「女の謎」を描き続けることになった物理的な条件だったのである。  漱石は自分に与えられた義務に忠実に、山の手の男性読者に向けて山の手を書いた小説を発表し続けた。その方法の一つとして、漱石は「女の謎」を書き続けたのである。それは、山の手の住む知識人男性が、女学校出の教育を受けた女性を知りたいのに知る方法を知らないために「謎」に見えたからでもある。               

  • 明治・大正期文学の中産階級読者から見た「女の謎」表象に関する総合的研究

    2014年  

     概要を見る

     明治期において女性が「問題」となる水準は二通りある。①は、生物学による水準で、「両性問題」となって、女性は「生物学的他者」として定位された。しかし、文学では②の水準が現れていた。それは、「心理的他者」としての女性である。二葉亭四迷『浮雲』においても、主人公の内海文三にとってお勢はまちがいなく「心理的他者」だった。『浮雲』の設定を踏まえたとおぼしき尾崎紅葉『金色夜叉』においても、主人公の間貫一にとって鴫沢宮は理解できない「心理的他者」だった。ここに近代文学としての特質がある。中産階級読者は女性を①の水準でとらえながら、そこに収まりきらない面を②の水準で読むことを文学に期待する地平が構成されていったのである。

  • 村上春樹文学における「正しさ」の意味に関する構造的研究

    2013年  

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     「村上春樹文学における「正しさ」の意味に関する構造的研究」の目的は、村上春樹文学において特徴的な使われ方をしている「正しさ」という言葉をキーワードとして、村上春樹文学の(やや単純化して言えば)純文学的側面と通俗文学的側面との融合のしかたを分析し、村上春樹文学の独自性とその展開の全体像を明らかにするところにある。たとえば都甲幸治氏は座談会で、村上春樹は「保守的」で、「オーソドックスな核家族の形を結果的に反復し肯定している」(『文學界』2010・7)と言う。「正しい」という言葉に注目して村上春樹文学を分析すれば、この意見はかなり実証的に明らかにできるのである。 ある時期までの村上春樹文学では、「正しい」という言葉は「その夜、僕は直子と寝た。そうすることが正しかったのかどうか、僕にはわからない」(『ノルウェイの森』)という現れ方をする。「正しい」という言葉が、「僕」の(あるいはある登場人物の)多くはセックスに関わってアイデンティティの問題として、なおかつ「わからない」という否定形を伴って語られることがほとんどなのである。ところが、そうでない例がごく少数ある。おそらく最も頻度が高く「正しい」という言葉が使われている『国境の南、太陽の西』に1例、かなり頻度が高く使われている『スプートニクの恋人』に1例、「正しい」という言葉が「正しいことではなかった」という否定的な断言の形で、家庭を壊してはいけないという文脈の中で使われているのである。これは、都甲幸治氏の発言を裏付ける事例である。 村上春樹文学では「僕」の性的なことに関しては何が「正しい」かは「わからない」が、家族や社会に関することについてはやや保守的な「正しい」基準があると言っていい。そこで、前者においては「僕って何?」風のアイデンティティに関する問いが倫理的な装いをもって繰り返され、それが村上春樹文学を特徴づけている。これは村上春樹文学を純文学のように見せている。しかしその一方で、既存の家族道徳を守るような「正しい」基準がある。これは村上春樹文学を通俗文学のように見せている。かなり早い時期から村上春樹は二人いたようだ。一人は、倫理的な問いを繰り返してアイデンティティを確認することを試みる村上春樹。もう一人は、世間の道徳に同調する村上春樹。前者は純文学風の相貌を見せ、後者は娯楽小説風の相貌を見せる。しかし、村上春樹の小説はどちらの問いに答えを出すのにふさわしい構成を持っていない。したがって、どちらの問いも宙づりになる。小説は答えを出すものでもないから、どちらつかずの構成が村上春樹の小説の魅力だったと言っていい。 『1Q84』では、「正しい」という言葉はほとんど「正義」の意味で使われている。それが、この小説を娯楽作品に見せている。では、新作長編『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』においてはどうだろうか。この小説には(否定形も含めて)「正しい」という言葉が全部で6回使われている。そのうち異性に関して使われているのは2回だが、いずれもセックスとは関係がない。そして、残りの4回は特にこれといった意味を持たない。つまり、アイデンティティの問いとも家族の問いとも結びついていない。それでいて、多崎つくるは自分探しの旅に出る。これはある意味で村上春樹の小説では新境地と言ってもいいかもしれない。多くの読者が、この小説にとまどった理由は、こういうところにもあると思われる。

  • 「朝日新聞」紙面から読む漱石文学の読者論的研究

    2011年  

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     夏目漱石が「朝日新聞」の専属作家となったのは明治40年で、はじめての連載小説は6月23日から10月29日までの『虞美人草』である。「朝日新聞」は当初は下町の町人階層がマーケットだったが、しだいに層を厚くし始めた山の手の中産階級にターゲットを切り替えた。それには知的な紙面作りが必要だったが、その象徴が夏目漱石を専属作家にすることだった。したがって、夏目漱石には「朝日新聞」の読者を満足させる職業的義務があったのである。しかし、この『虞美人草』ではそれに失敗したと考えている。 もともと『虞美人草』失敗説は少なくない。夏目漱石は『虞美人草』を、直接的には小栗風葉の女学生小説『青春』を意識して書いたことはすでに明らかにされているが、おそらくは明治30年代に大流行した家庭小説をも意識して書いたと思われる。漱石十八番となる遺産相続小説だからである。遺産相続が問題となるのは中産階級以上の階級であって、これが山の手の読者への配慮だったことは、ほぼ間違いがないと考えている。しかし、『虞美人草』は読者論的に見て、成功しなかった。その原因は、夏目漱石が『虞美人草』を家庭小説好みの勧善懲悪の哲学で書ききってしまったことにある。その結果、近代的な女性であるヒロインの藤尾を自殺させ、夏目漱石の弟子たちをいたく失望させたのである。これが失敗の原因だった。ただし、これは夏目漱石の身近にいた読者の問題だと言っていい。 読者論的には、もう一つのレベルの失敗があった。それは、明治40年の3月から7月まで上野公園で開催された博覧会を、おそらく読者サービスの一環として物語の背景に書き込みながら、『虞美人草』ではそれを「近代」の象徴として批判してしまったのである。しかし、世の中も、またおそらく「朝日新聞」の読者も、「近代」に憧れていたし、博覧会をその「近代」の象徴として歓迎し、楽しんでいたのである。事実、「朝日新聞」では3月のはじめから博覧会情報を連日コラムで報道し、博覧会への期待を盛り上げていた。試みに博覧会初日の3月20日の紙面から引用してみよう。「会場より袴越しまでの通路両側には新設の瓦斯燈煌々と輝き渡り」とか、「イルミネーションを試点して大に群衆を喜ばせたり」といった記述が見られる。 ところが夏目漱石は、博覧会を死すべき女性である藤尾と重ね、嫌悪すべきイベントとして書いてしまったのである。たとえば、博覧会に集まる群衆を「蟻」にたとえ、イルミネーションに集まる群衆を「蛾」にたとえて書いてしまった。これでは先に引用した「朝日新聞」の記述と相容れない。読者論的に言えば、「朝日新聞」の記事に誘われてすでに博覧会を訪れた読者は、その数ヶ月後の『虞美人草』の、まるで自分対が批判されているような記述を読んで違和感を持ったはずである。『虞美人草』の失敗は、たしかに小説構成上は勧善懲悪で押し切ったところにあるが、「朝日新聞」の読者を視野に入れた読者論的に見れば、博覧会の扱いがまちがっていたのである。以後、夏目漱石が「朝日新聞」の記事を小説構成上に活かしながら書くようになったことを思えば、この読者論的な失敗の意味は、漱石文学の理解において大きな意味を持つと考えられる。

  • 読者から見た明治30年代の「家庭小説」と漱石文学との比較研究

    2010年  

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     「朝日新聞」専属作家としての漱石が意識せざるを得なかった先行の小説ジャンルは、少なくとも2種類あると思われる。いずれも明治30年代に新聞連載小説として大流行したもので、第一は女学生小説であり、第二が家庭小説である。第一に関しては、漱石の小説には女学生はほとんど登場せず、かつて女学生だった女性が重要な登場人物となっている。漱石は、いわば「ポスト=女学生小説」を書き続けたのである。本研究のテーマである第二に関しては、漱石が遺産相続を巡る物語を書き続けたことをあげることができる。これは漱石が学んだイギリス文学の影響もあるだろうが、日本の家庭小説への対抗意識があったのではないだろうか。 明治30年代に大流行した家庭小説には、大きな特徴がある。それは、あえて乱暴にまとめれば、不倫、離婚、堕胎が3大アイテムとして使われる荒唐無稽とも言っていい物語が展開される一方で、結末では幸せな家庭に落ち着くことである。これは、やや突飛な連想だが、「売春、レイプ、妊娠、薬物、不治の病、自殺」といったアイテムによって荒唐無稽な物語が展開されながら、結末には「真実の愛」が用意され、ホモ・ソーシャルの枠組みにすっぽり収まるケータイ小説とよく似たところがある(石原千秋『ケータイ小説は文学か』ちくまプリマ-新書、2008・6)。しかし、数年前に大流行したケータイ小説の結末が古い道徳に収まっていると感じられるとすれば、明治30年代に大流行した家庭小説の結末は「家庭=スイート・ホーム」という新しさを感じさせたはずである。同じように家庭を舞台としながら、漱石はそれとは違った新しさを書かなければならなかったのである。 最近の研究では、家庭小説は理想的な家庭に古い型のロマンスを持ち込んだものだとされている。「理想的な家庭」とは新しさのことであり、そこに落ち着くまでの物語を支えるのは古風なロマンスだということである。一方、漱石の小説はこの系譜を継ぐ面もあるが、あえて言えば、理想的でない家庭に新しいロマンスを持ち込んだものである。そこに家庭小説とは異なった軋みが生じているが、その軋みは個人としての愛を際立たせる役割を果たしている。そして漱石文学において、その軋みを生み出すほとんど唯一の装置=アイテムが遺産相続を巡る物語だったのである。これは当時の「朝日新聞」の読者層、すなわち「遺産」に値する財産を持つことができた新興中産階級に合わせたものだったとも言うことができる。それが、朝日新聞社の専属作家だった漱石の職業意識だったのである。 なおこれらの成果は、『漱石へ-ポスト=女学生小説の誕生』として刊行すべく準備中である。漱石の小説は「ポスト=家庭小説」でもあるわけなので、タイトルは仮題である。 

  • 明治30年代文学と漱石文学との「読者の期待の地平」取り込み構造の違いに関する研究

    2006年  

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     本研究の目的は、明治30年代に流行した小説の表現と、明治40年代に発表された夏目漱石の前期三部作(『三四郎』『それから』『門』)との表現の質の違いを、「読者の期待の地平」取り込み構造の違いという観点から明らかにするところにある。 そこで本研究では、これまでほとんど行われてこなかった、漱石の「読者の期待の地平」取り込み構造(簡単に言えば、漱石が「読者」のレベルをどのように見積もって書いていたかということである)を明らかにし、それを明治30年代に流行した小説表現と比較することで、漱石の小説表現の到達度と、その独自性を明らかにする方法を採用した。なぜこのような方法が有効なのかといえば、それは文学が「読者」の存在を無視しては成り立たち得ないからである。「読者」が文学表現から何を読み取り、何を読み取れないのかを分析することで、その文学表現の質がある程度測定できると考える。 これにはかなりの困難が予測される。それは、当時の一般の「読者」が小説表現をどう読んだかという直接的な情報がまったくないからである。そこで本研究では、明治期のいわゆる「雑書」と呼ばれる雑多な本(一般の研究者からは、レベルの低さ故に顧みられることのほとんどなかった本)を大量に分析することで、「こういう常識を持っていた「読者」なら、小説表現をこういう風に読んだだろう」と推定する方法を用いた。それを漱石が「読者の期待の地平」として小説表現に取り込んでいったプロセスを明らかにした。 一例を挙げておこう。明治30年代に一世を風靡した女学生小説に小杉天外『魔風恋風』と小栗風葉『青春』がある。これらは、いずれも「上京した女学生」を主人公にしていた。そこで、当時刊行されていた『女子遊学案内』のたぐいを参照すると、当時は「上京した女学生」は「堕落」(性的な堕落)するものと相場が決まっているかのような言説が多かったことがわかる。もちろん、新聞でもそういう言説が女学生に浴びせかかられていた。事実の問題ではなく、そういう言説が「読者」にある「期待の地平」を形成させただろうということが肝心なのである。また、一方では「女学生」に「良妻賢母」の予備軍となれという言説も数多く現れていた。下田歌子のように「自我の撲滅」こそが女子教育の目的だと説く者まで現れたのである。 こうした、「本音」の言説と「建前」の言説とが鬩ぎ合っている状況の中で、おそらく「読者」は「本音」に沿った展開を小説に期待しただろう。すなわち、これらの主人公がどういう風に「堕落」するだろうと「期待」して読んだと思われる。一方、明治40年代に書かれた漱石の『門』では、ヒロインの「お米」は主人公の友人である安井と内縁関係にあるが、女学生だった「お米」はおそらく安井と駆け落ちをしたのだろうと推測される。しかし、漱石はそのことをはっきり書いていない。つまり、明治30年代の小説が「読者の期待の地平」をそのまま小説化しているのに対して、漱石はそれを「利用」して「読者」の想像力を機能させるように書いているのである。ここに、明治30年代の小説と漱石の小説との明らかな表現の質の違いがある。 また、明治期に流行った「学問」に骨相学があるが、明治30年代の小説の登場人物はその容貌の記述を読めば、小説中の役割や性格がわかってしまうものが少なくなかった。しかし、漱石の小説はそういった傾向がかなり弱まっている。あるいは、「骨相学」的なパラダイムを逆手にとって、小説中の役割を演じさせる場合も少なくない。 多くの雑書の分析の結果、こうした小説表現の質の違いがほぼ明らかになった。その中間報告として、雑書の言説と漱石文学との関わりを論じた『百年前の私たち』(講談社現代新書、2007年3月)を刊行した。

  • 入試国語の研究-何が国語力として問われているのか-

    2004年  

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    日本の入試国語は、高等教育が大衆化する以前と以後とでは大きく性格を異にする。大衆化以前、すなわち戦前期から昭和30年代ごろまでは、古典の現代語訳と知識問題が中心であった。戦後期になって現代文が出題され始めても、本文自体が短く、ある程度の知識がなければ本文の前提となっている背景(文脈)が理解できないものばかりである。その意味で、この時期においては、現代文の解釈問題の形式をとっていても、その実はかなりの程度まで知識を問う問題だったと言っていい。これは、高等教育を受ける機会を持てる人間がある階層に限られていたために、その階層には共通の「教養」を求めることができるという前提があったからではないだろうか。しかし、それが知識を問う問題となって形に表れたために、大衆化した高等教育では「知識ばかり問い、思考力を問わない問題」として、批判を浴びることになったのだろう。現在、たとえば文学史に関する問を出題しただけでも、「知識偏重」という批判を浴びなければならなくなったのは、この時代の入試国語への批判が言葉だけ独り歩きしたものではないかと考えている。高等教育が大衆化した昭和30年代以降は、知識を問う問題は極端に減ってきており、その分現代文の本文が長くなった。これは、ある共通の「教養」を持っていることが期待できないので、本文に問題提起の前提までも書き込んであるものを選ばなければならなくなったからだろう。そこで設問も、大きく「情報処理型」と「語り直し型」に分かれることになる。「情報処理型」とは、本文の傍線部について、本文の中から断片化された「情報」をつなげて答えるような設問形式である。これは、本文の論の展開がある程度ルーズな場合に用いられる設問である。「語り直し型」とは、本文の傍線部について、本文の言葉をある程度利用しながら、「自分の言葉」で言い直すような設問形式である。これは、本文の言い回しが高度であったり、舌足らずであったりする場合に用いられる設問である。いずれにせよ、大衆化以前の本文と比べると、知識を問えない以上、論理の展開も格段に高度で、かつ文章が適度に悪文であることが本文に求められるようになった。「教養」の崩壊を前にして、入試国語が変質を余儀なくされたのである。なお、本研究の直接の成果ではないが、間接的に関わり、本研究の中間報告的な性格を持つものとして、『評論入門のための高校入試国語』(NHKブックス、2005年3月)を刊行したことを付け加えておく。

  • 明治文学における性的表象の研究

    2003年  

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     本研究は「読者」というファクターを加えた上で、明治40年当時の文学における性的表象のあり方を明らかにするところにある。具体的には夏目漱石『虞美人草』の性的表象を同時代的言説によって意味づける。 その前提として明治36年にベストセラーとなった小杉天外『魔風恋風』と明治39年にベストセラーとなった小栗風葉『青春』について考察した。この二つの小説がベストセラーとなったのには、明治30年代に急増した女学生へのジャーナリズムによるバッシングが背景にあったと考えられる。正岡芸陽『理想の女学生』(明治36年)、松原岩五郎『女学生の栞』(同)などによっても確認できるように、当時は女学生にあっても「学問」は「よき妻」になるためのものであったので、そこからはずれた生き方を選択しようとすれば「堕落女学生」と呼ばれるしかなかったのである。その結果、『魔風恋風』では「読者の期待の地平」は「堕落するか否か」ではなく「どのように堕落するか」という形で構成されたし、『青春』では「読者の期待の地平」に答えるために、主人公の女学生は自立と引き替えに取り返しの着かない不幸を背負い込むことになるような結末が用意された。 最近の研究で、『虞美人草』は『青春』を意識してかかれたことが明らかにされている。主人公藤尾は女学生ではないが、英語を学ぶ「新しい女」であり、「読者の期待の地平」も女学生への関心の延長線上に構成されたと考えられる。しかし、『虞美人草』では藤尾は自らセクシュアリティーを操作する主体、見られる女ではなく見る女として描かれている。ところが作者漱石は当時の平均的な「読者の期待の地平」を共有していたために、「父」の代理人が藤尾を自殺に追い込む結末しか用意できなかった。その意味で、『虞美人草』は『青春』と「読むことのセクシュアリティー」において通底するものがあるが、それはこの時期の性的表象である「女学生」=「学ぶ女」への嫌悪がかくのごとき「読者の期待の地平」を構成したというのが、現段階での結論である。

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