特定課題制度(学内資金)
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エリザベス朝演劇の翻訳:現代英語訳、和訳、字幕翻訳、吹替翻訳に見る新たな受容の可能性
2014年
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1884年に坪内逍遥が『ジュリアス・シーザー』(JuliusCaesar)を『自由太刀余波鋭蜂』と訳して以来、日本におけるシェイクスピア翻訳はその勢いを衰えさせることなく、今日に至るまで、実に数多くの翻訳本として世に刊行され続けている。逍遥ではなく、1913年に森鴎外が林太郎の名前で最初に仕上げた『マクベス』(Macbeth)も、翻訳史の100周年を迎えた2013年に20篇目の翻訳が吉田秀生によって出版された。 本研究は『マクベス』の物語の中で、重要な意味合いを持っていると度々論じられる魔女の呼称に焦点を絞り、原本から20種類の翻訳の比較を行った。『マクベス』の唯一の17世紀から伝わる版本となる第一二つ折り本を詳細に見ると、魔女を直接的に意味する‘Witch’という単語は本文中に2回、ト書きに6回と思いの外に少ないことがわかる。他に魔女を暗示する‘beldams’や‘fiend’といった呼称も登場するが、その回数はそれぞれ1回ずつとなっており、代わりに最も頻度の多かったものは代名詞の類であった。 日本語訳の方を見渡すと、魔女という名詞の利用に制限を感じるものは1964年の小津二郎以前の翻訳者となるだろう。登場人物の一覧を見ても、小津に続いた13名は皆「魔女」と名付けているのだ。一方、小津以前に「魔女」を呼称として使った人物は鴎外に限られ、他の者は「妖巫」、「妖婆」、「妖女」といった名詞を利用していた。これには1964年よりも前の時代にあって、西洋的なイメージを持った魔女が日本文化に定着しておらず、日本古来の妖や巫女といった語が適切な訳語との判断が関係していると推察された。その状況下で最初に登場した鴎外訳が「魔女」としている点は、逆説的に鴎外による単語の紹介とも捉えられる。 しかし、翻訳の見地においてさらに注目されるものは、逍遥による訳語で、彼が唯一用いた「妖巫」は、場面によって「ようふ」、または「ウイツチ」と振り仮名が付されている。これは逍遥が実践した漢字に別個の読み仮名を追加する(「清美」と書き「きれい」、「醜穢」と書き「きたない」など)手法に象徴され、本来の読みに漢字の持つ象徴的イメージを合併させていると解された。 結論として、言語体系が異なる英語から日本語に翻訳するという作業工程の中で、翻訳史の創世記から比べて語彙が豊富になった現代であっても、かつての逍遥がしたように日本語の持つ様々な可能性を拡張させつつ、より原文のイメージもろともに転化できる訳語を探るべきとした。
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2013年
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「復讐」というキリスト教の概念によって禁止されていた行為を、作品の中に取り込んだ戯曲が、今日では復讐悲劇と呼ばれている。このジャンルの中には英国エリザベス朝演劇からシェイクスピア(William Shakespeare)の『ハムレット』(Hamlet)や、それの誕生のきっかけになったとも言われる、トマス・キッド(Thomas Kyd)の『スペインの悲劇』(The Spanish Tragedy)が含まれている。本研究に於いては、16-17世紀の復讐悲劇の先駆けとも考えられながらも、日本で余り論じられることのないトマス・ノートン(Thomas Norton)とトマス・サッカヴィル(Thomas Sackaville)共作の『ゴーボダックの悲劇』(Tragedy of Gorboduc)を取り扱う。 1562年初演の『ゴーボダック』の作者は、シェイクスピアのように座付き劇作家ではなく、国の中枢に身を置く政治家としての側面も持ち合わせていた。その彼らが「復讐」に触れる戯曲を初めて世に送り出した理由は当然のように明らかになっていない。先行研究では作品中の政治的な一面、即ち、君主が国を的確に統治するために必要な判断力の有無が強調されている点が、繰り返し論じられていた。そこで本研究では、どのような劇的手法が用いられることによって、作中から復讐行為が影を潜めさせられることになり、代わりに政治的側面が表立ってくるのかを探る。 シェイクスピアたちの活躍した1600年代末期から1700年代初期の戯曲では「黙劇」が活用されることもあった。これは元々ギリシア劇やローマ劇からの伝統であるが、『ゴーボダック』が古い慣習に近い形式であるのに対し、シェイクスピア等は別様の使い方をしている。具体的には、『ゴーボダック』が黙劇に続いて演じられる幕の前説明をパントマイムで示している一方、シェイクスピアは作中人物が目的達成の糸口を掴むための手法として、あたかも実在の人物かのように、黙劇を利用している。この形式の差異を見つけ、戯曲の細かい精読を行うことによって、『ゴーボダック』では黙劇部分と、台詞によって展開される本編部分の役割分担が明確に行われていることが明らかになった。 黙劇のパントマイムで兄弟間の争いや葬儀の模様を示し、台詞の部分の大部分が登場人物同士の議論に費やされている。そして、この議論の内容が先にも触れた政治的な事項に他ならないのである。先の研究を見ると、君主の姿勢を問うことが作家たちの目的であったと解することも否定することは出来ない。しかし、復讐行為が表立たない理由としては、慣習的な黙劇の活用により、行為と言葉が二分割され、結果として分量の多い言葉の箇所の政治性が強まることとなったと結論付けた。
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