2025/10/05 更新

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サカイ ヒロアキ
酒井 宏明
所属
文学学術院 文学部
職名
助手
 

特定課題制度(学内資金)

  • 臨床心理学・精神医学の知および実践と日本社会の変容に関する社会学的研究

    2024年  

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    本研究は、こと戦後日本社会における社会変容と、臨床心理学・精神医学の学知・専門的技術の展開との連関を探索することを目的とする日本社会論的な探究である。その際、近代的自己や個人主義の様相が西欧諸国と異なる日本社会特有の社会的文脈を念頭に置きながら、多分に経路依存的でローカル化された臨床心理学・精神医学の学知・専門的実践の発展(史)を研究の経験的素材として見据えた。かかる視座のもと、重要な理論社会学的研究を取り入れ再構成する文献研究とともに、戦後日本の臨床心理学と精神医学の専門知が紡いできたテクスト群を分析対象とした言説研究を行なった。その作業から浮かび上がったのは、「社会の心理学化/ポスト心理学化」現象の淵源にあるDSM-Ⅲ(1980)に基づく臨床が「症状」中心主義となったことと対照的に、DSMの台頭と引き換えに衰微した精神病理学、とりわけ木村敏・中井久夫らに代表される精神病理学第二世代の臨床が、「症状」ではなく「人間」を診ることへと方向づけられていたという事実と、その社会的意義である。精神病理学においては「内因性」という概念により、遺伝性の強い精神疾患の誘発因子が、状況・環境の側にあると精緻化・強調され、そのうえで特定の状況を「病前状況」としやすい「病前性格構造」が形成される、という思考のスタイルが採られていたと言えるのだが、そこには心理学化とも生物学化とも言い難い独特の位相が看取されていた。他方で、個人のアトム化を促進する今日の「社会の心理学化/ポスト心理学化」状況においては、「世に棲む」という観念(中井久夫)も「あいだ」という概念(木村敏)もその居場所を失ってしまうのである。一連の探究の成果をまとめ、第97回日本社会学会大会にて、竹中均と共同で報告を行った(「精神病理学」の衰微と日本社会〔共生社会をめぐる問題系の確認と展開(1):社会的凝集性の再検討(7)〕)。

  • 戦後日本社会と「精神病理学第二世代」――精神医学の知識社会学にむけて

    2023年  

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     本研究では、精神医学の専門知・専門技術の戦後日本における展開をとくに意識しながら、M.フーコーやI.ハッキング、N.ローズなどを参照項として医学史的記述に留まることなく、学知の在りさまと戦後日本の社会変容を関連づける知識社会学的研究の端緒となることをめざした。現時点では、次のような見通しを得ている。 中井久夫・木村敏・笠原嘉らを旗手とする「精神病理学第二世代」の知は、哲学的・社会理論的水準に踏み込むものであった。が、操作的診断マニュアルの普及や生物学的精神医学の進歩と台頭など、現在に至るまでの科学化された「精神医学」にあっては省みられることも減ったという。「精神病理学」の隆盛と衰微じたい、多分に時代や社会と科学技術に被拘束的なものである。 まずは「精神病理学」そのものに内在的な社会理論としての奥深さやポテンシャルに着目し読解を進めていったが、一次文献・二次文献を渉猟し得られる重要な観点のひとつとして、「精神病理学第二世代」的な知に固有で、人文知・社会理論的な知とは異なるあり方に関わる点が挙げられる。彼らは、独特な社会のまなざし方によって、人文・社会科学者とは異なる水準で「社会の観察者」となっている。この場合、彼らは社会そのものの観察者ではない。「臨床医」の立場から目の前の患者ひとりひとりを「診る」ことによって/「診る」ことを通して、そこではじめて「社会」が現れていることに気づかされる。 むしろここで特有の現れ方をする「社会」こそ、「精神病理学」という学知による観察を経た「社会」であるのではないだろうか。「社会の喪失」あるいは「社会のポスト心理学化」という潮流は、人間を「診る」という営為の変容を意味しているとも示唆される。