Internal Special Research Projects
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高校教育の大衆化における「教育する母親」の教育実践に関する研究
2023
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本研究は,1980年代以降に東京都で展開された白書運動から,高校教育の大衆化が「教育する母親」にいかなる影響を与えていたのかを明らかにすることを目的とする.その意義は,戦後高校教育が辿った大衆化の様相の再構成にある.そのために,まず東京都でいかなる高校教育の政策が採られていったのかを,新聞記事や都議会議事録,地方教育費調査をもとに検証していった.まず東京都で導入された入学者選抜制度――「学校群制度」に対する人びとの意見・見方から,高校教育において何が重視されるようになっていったのかを捉えた.この制度は,当時問題視されていた学校格差を是正するために,1967-81年度まで採用された.だが次第に,格差是正の目的への理解は後景化し,むしろ都立高校の凋落を招き,生徒の志望を制限する悪策だと振り返られるようになった.この評価の変化は,高校選択の際に学校ランクがあること自体を改善すべき異常事態と捉える見方から,学校ランクを指標に自ら高校を選ぶことを当たり前とする見方が主流になっていったことの表れであった. そして「学校群制度」から「グループ合同選抜」へと切り替わる節目の1982年に白書運動が展開し,高校紹介をする白書が母親たちの手で作成されたことも一考を要する.この時期は,ちょうど東京都の高校在籍者数がゆるやかに増加していく時期であった.高校進学率をみると,1973年度の95.3%を頭打ちに徐々に低下していった時期であった.低下の一因は,1972年度から都教育庁が策定し始めた「就学計画」にあることを見出した.都教育庁は,翌年度の進学率を見積もり(計画進学率),それに基づいた公立・私立の受け入れ枠を策定した.計画進学率を前年度と比べて低めに設定していったために,実際の進学率(実績進学率)も徐々に低下していったと考えられる. 高校教育の大衆化は,高校進学者が増加したことだけを意味しない.そこには「教育する母親」の高校教育への向かい方の変容――高校教育に格差がない状態を目指し続ける姿勢から高校教育にランクがある状態を当然とする姿勢への変容をも映し出していた.