Updated on 2024/07/19

写真a

 
OKUMA, Seisaku
 
Affiliation
Affiliated organization, Aizu Museum
Job title
Researcher(Associate Professor)
 

Syllabus

 

Sub-affiliation

  • Faculty of Education and Integrated Arts and Sciences   School of Education

  • Faculty of Letters, Arts and Sciences   School of Culture, Media and Society

Internal Special Research Projects

  • 慰霊碑および平和像に関する基礎的研究

    2018  

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     本研究では「ひめゆりの塔」が最初に設置された1946年から現在の形態に落ち着く1957年にかけての塔の造型を調査した。当初、金城和信らによって石造りの簡素な塔(現存)が設置された後、沖縄のキリスト教関係者によって十字架を備えた納骨堂(一部現存)が建立され、玉那覇正吉によって「乙女の像」(現存せず)が設置されるなど、数度の変遷を遂げた後、現在の形に落ち着くこととなる。「ひめゆりの塔」は「平和」を訴えるモニュメントとしての役割を担ってはいるが、造形の変遷からすれば当初から計画的に建立しようとしたものではなく、米軍統治下に置かれた沖縄の戦後の社会状況 によってその造形を変化させてきたことが判明した。

  • 難波田龍起、史男関連資料解析およびデータベースの構築

    2015  

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    p.p1 {margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; text-align: justify; font: 12.0px 'Hiragino Sans'; color: #454545}span.s1 {font: 12.0px Helvetica} 難波田龍起・史男親子は共に早稲田大学出身で、日本現代絵画史における新たな抽象絵画の道を切り開いた画家である。2012年度、會津八一記念博物館は彼等の日記、創作ノートや蔵書などの資料の寄贈を受けた。これらの資料は両画家の制作プロセスを辿る貴重なものであるため、本研究課題で可能な限り、データの解析とスキャニングを行った。WEBでのデータベース公開は叶わなかったが、寄贈資料の一覧を作成し、博物館のデータとして公開可能となった。また、その成果の一部として「難波田龍起日記抄(Ⅱ)」を『早稲田大学會津八一記念博物館研究紀要 第17号』(2016年3月刊行)に掲載した。

  • 戦中期から戦後にかけての沖縄イメージの変遷について

    2013  

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     戦中期から戦後にかけての沖縄イメージの変遷について 沖縄戦という未曾有な戦(いくさ)を軸にして、戦前戦後の沖縄イメージがどのように表象され、それがどのような変遷を見せたかという点を本助成によって調査することができた。まず、戦前の沖縄をめぐっては昭和10年代より沖縄を訪問する画家が増加し、多くの作品が生み出されていたことを再確認できた。特に昭和10年より15年までの期間は、藤田嗣治や樋口富麻呂をはじめとする画家や土門拳や木村伊兵衛などの写真家も沖縄を訪問し沖縄を題材とする作品を多く生み出している。彼等の多くが描き、写した対象は琉球王府時代より続く辻という場所(料亭と遊郭を兼ねる場所)の女性達であった。こうした南国の女性に向けられたエキゾチックな視線は同時代の沖縄の画家にも共有され得るものであったことも確認することができた。 昭和19年に沖縄を襲った空襲(十・十空襲)の際には、瓦礫の撤去にあたる女性が本土で発刊されたグラフ誌に掲載され、沖縄戦期においては女性が米兵と戦うという新聞記事がかつての沖縄の女性を写した写真と共に掲載されることもあった。戦地にある沖縄を主として女性イメージによって表象するありかたは、プロパガンダの言説を取り除いてみれば戦前の表象のありかたとさして変わることが無かったといえよう。また沖縄戦当時から本格化した特攻作戦に参加する兵士を描いた作品が多く生み出され、報道写真にも彼等の図像が多く掲載されることとなった。こうした特攻隊のイメージは同時に付される言説によって兵士の神格化をもたらしたことは確かなことであるが、上述したような沖縄が女性によって表象される場所であればこそ、それを守り奪還する使命を帯びた若い男性兵士というイメージが広く共有され得る状況が既に戦前から整えられていたという可能性も指摘することが可能となる。 戦後の沖縄イメージは沖縄戦の記憶を強く引きずった状態で生み出されて行くが、米軍の直接統治下に置かれた沖縄ではそうした記憶が直接に表象されることはなく、米軍との深い関わりのなかで画家は活動を再開してゆくこととなる。彼等は自らの画業のみならず陶器や染織のデザインについても積極的な関わりをみせるが、こうした活動は戦前の民芸運動の価値観を引き継いだ性格を持ちつつドルの獲得にも眼目が置かれていたことは興味深い。一方で沖縄戦で動員された女学生による「ひめゆり部隊」に関するイメージが本土において大きな広がりをみせることとなり、こうした女学生のイメージが小説の挿絵のみならず映画によっても表象されるようになった。こうした表象もまた戦前からの流れをくむものであることが指摘できよう。 戦前・戦中・戦後にわたって沖縄を表象する際に女性イメージは重要な要素となっていたことが本研究期間において明らかにすることができた。こうした沖縄イメージが現在にまで続くものかどうかという点については今後も調査を進めていきたい。