2023/12/05 更新

写真a

ハク シュンガン
白 春岩
所属
商学学術院 商学部
職名
講師(任期付)
学位
博士(学術) ( 早稲田大学 )

経歴

  • 2023年04月
    -
    継続中

    早稲田大学 産業経営研究所   兼任研究員

  • 2023年04月
    -
    継続中

    昭和女子大学 全学共通教育センター   兼任講師

  • 2023年04月
    -
    継続中

    早稲田大学 商学学術院   講師(任期付)

  • 2016年04月
    -
    継続中

    早稲田大学 先端社会科学研究所   招聘研究員

  • 2017年04月
    -
    2023年03月

    早稲田大学 理工学術院   兼任講師

  • 2016年04月
    -
    2018年03月

    早稲田大学 社会科学学術院   兼任講師

  • 2014年04月
    -
    2016年03月

    早稲田大学 社会科学総合学術院   助教

  • 2012年04月
    -
    2014年03月

    早稲田大学 社会科学総合学術院   助手

  • 2009年10月
    -
    2012年03月

    早稲田大学総研 International   兼任講師

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学歴

  • 2009年04月
    -
    2013年07月

    早稲田大学   社会科学研究科(博士課程 後期課程)  

    博士課程 後期課程

  • 2007年04月
    -
    2009年03月

    早稲田大学   社会科学研究科(修士課程)  

所属学協会

  •  
     
     

    東アジア近代史学会

  •  
     
     

    日本歴史学会

  •  
     
     

    史学会

  •  
     
     

    法史学研究会

研究分野

  • アジア史、アフリカ史   近代日中関係史、李鴻章研究

研究キーワード

  • 日中関係史、東洋史

受賞

  • 優秀発表賞

    2014年   第二回アジア未来会議   外交儀礼ををめぐる衝突と融和ー1873年の同治帝謁見を中心に  

    受賞者: 白春岩

  • 優秀論文賞

    2014年   第二回アジア未来会議   外交儀礼ををめぐる衝突と融和ー1873年の同治帝謁見を中心に  

    受賞者: 白春岩

  • 優秀発表賞

    2013年   第一回アジア未来会議   マリア・ルス号事件と「日清修好条規」  

    受賞者: 白春岩

  • 国費留学生

    2008年   文部科学省  

 

書籍等出版物

  • 李鴻章の対日観 : 「日清修好条規」を中心に

    白, 春岩

    成文堂  2015年05月 ISBN: 9784792371043

講演・口頭発表等

  • 「日清修好条規」の成立過程ー公使・領事の派遣と李鴻章ー

    白春岩

    東アジア近代史学会 第221回月例研究会  

    発表年月: 2023年11月

  • 近代日中関係史の幕開けー「日清修好条規」と李鴻章

    白春岩  [招待有り]

    一般社団法人・東北亜未来構想研究所 第16回INAF研究会  

    発表年月: 2023年07月

    開催年月:
    2023年07月
    -
     
  • 论李鸿章“自强”思想的形成与日本 —以幕府末期通商交涉为中心—

    白春岩

    東アジア文化交渉学会 第15回年次大会  

    発表年月: 2023年05月

  • 李鴻章の朝鮮観と日本観

    白春岩

    東アジア近代史学会 第179回月例研究会  

    発表年月: 2018年04月

  • 明治初年の日中関係からみる歴史の和解と教育

    白春岩

    ワークショップ「東アジアの和解と歴史教育」  

    発表年月: 2015年12月

  • 呉汝綸与《李文忠公事略》

    白春岩

    東アジア文化交渉学会第7回年次大会  

    発表年月: 2015年05月

  • 从“对等”到“对立”—从新闻报道看近代中日关系

    白春岩  [招待有り]

    第十一届沈阳科学学术年会暨新媒体情境下的政治传播与国家治理学术研讨会  

    発表年月: 2014年12月

  • 明治初期の日中関係―礼砲問題を巡って

    白春岩

    法史学研究会 第163回例会  

    発表年月: 2014年10月

  • 外交儀礼をめぐる衝突と融和 ―1873年の同治帝謁見問題を中心にして―

    白春岩

    第二回アジア未来会議  

    発表年月: 2014年08月

  • 東アジアにおける国際ルールの衝突と受容―礼砲をめぐる礼儀問題について

    白春岩

    東アジア文化交渉学会第6回年次大会  

    発表年月: 2014年05月

  • 近代日中関係史の起点―「日清修好条規」を中心にして

    白春岩

    品川女子高等学院(派遣講師)  

    発表年月: 2013年11月

  • マリア・ルス号事件と「日清修好条規」

    白春岩

    第一回アジア未来会議  

    発表年月: 2013年03月

  • 李鴻章の対日観―「日清修好条規」締結を手がかりにして

    白春岩

    富山大学 東アジア「共生」学創生の学際的融和研究(CEAKS)プロジェクト  

    発表年月: 2012年09月

  • 李鴻章の対日観―「日清修好条規」締結時を中心にして

    白春岩

    東アジア近代史学会 第17回研究大会  

    発表年月: 2012年09月

  • 李鴻章の対日観―「日清修好条規」締結までの経緯を中心に―

    白春岩

    東アジア近代史学会 第133回月例研究会  

    発表年月: 2012年03月

  • 1874年の台湾出兵と清国の対応―「撫恤銀」問題を手がかりとして

    白春岩

    早稲田大学大学院社会科学研究科院生・教員合同セミナー  

    発表年月: 2011年01月

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共同研究・競争的資金等の研究課題

  • 「日清修好条規」の実行に関する一考察ー常駐使節の派遣を中心に

    早稲田大学  特定課題研究費

    研究期間:

    2023年
    -
    2024年
     

  • 新聞に見る近代日中関係史―「日清修好条規」を中心に

    早稲田大学  特定課題研究費

    研究期間:

    2015年04月
    -
    2016年03月
     

  • 「日清修好条規」の締結とその周辺-李鴻章の対日認識を手がかりにして-

    早稲田大学  特定課題研究費

    研究期間:

    2012年04月
    -
    2013年03月
     

  • 李鴻章の対日観ー「日清修好条規」を中心に

    日本学術振興会  研究成果公開促進費(学術図書)

Misc

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現在担当している科目

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担当経験のある科目(授業)

  • 中国語(初級、中級)

    昭和女子大学 全学共通教育センター  

    2023年04月
    -
    継続中
     

  • 中国語(初級)

    早稲田大学 商学学術院  

    2023年04月
    -
    継続中
     

  • 中国語(初級)

    早稲田大学 理工学術院  

    2017年04月
    -
    2023年03月
     

  • 歴史学(日本史)

    早稲田大学 社会科学総合学術院  

    2016年04月
    -
    2018年03月
     

  • ①近代日中関係史A B ②李鴻章と近代初期の中国 A B ③新聞にみる近代日中関係 A B

    早稲田大学 社会科学総合学術院  

    2014年04月
    -
    2016年03月
     

  • 中国語(初級、初中級、中級、上級)

    株式会社早稲田大学総研International  

    2009年10月
    -
    2012年03月
     

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学内研究所・附属機関兼任歴

  • 2023年
    -
    2059年

    産業経営研究所   兼任研究所員

特定課題制度(学内資金)

  • 新聞に見る近代日中関係史―「日清修好条規」を中心に

    2015年  

     概要を見る

    本研究は新聞を通して、近代日中関係史の発端である「日清修好条規」およびその周辺の歴史事件を考察することを目的とする。 [課題設定]①日中双方の新聞は、同じ歴史事件に対しそれぞれどのように報道されたのか。③これらの報道は、政府の政策作成にどのような影響を及ぼしたのか。 [研究対象]「日清修好条規」締結前後の歴史事件、幕末通商交渉、条約の締結(1871年)、マリア・ルス号事件(1872年)、謁見問題(1873年)、台湾出兵(1874年)、揚武号の日本来航(1875年)に関する新聞報道を整理した。そのうち揚武号の日本来航に関し、収集した新聞を詳しく分析したので、本概要書では、主に清国軍艦揚武号の日本来航(1875年)を事例にまとめる。 [問題提起]揚武号の日本来航に対し、以下の二つの問題の解明を試みた。第一に、日本側は清国軍艦の初来日に対し、どのように対応したのか。この問題に関しては、主にアジア歴史資料センターに所蔵されている一次史料及び当時の新聞報道を利用し、軍艦寄港の様子を再現した。第二に、日本側の新聞として「大新聞」と呼ばれていた『郵便報知新聞』、『東京日日新聞』、『横浜毎日新聞』、『朝野新聞』、『東京曙新聞』等、中国側の新聞として『申報』と『万国公報』を選択し、これらの新聞では清国軍艦揚武号の日本来航をいかに報道していたのかを整理した。 [結論]  以上の二つの問題提起に対し、本考察は以下のようにまとめることができる。 第一に、揚武号は近代における清国軍艦の初来日として特別な意味を持っている。揚武号の来訪に対し、日本側は長崎県令をはじめ、外務卿、太政大臣、海軍省、神奈川縣令などが迅速に反応しうまく応対した。第二に、中国側の新聞では揚武号の日本派遣を清国海軍の航海訓練の一環として報道した。一方で、日本側の新聞には当時の日清間に潜んだ問題を連想し、警戒感、不安感を示している報道も散見することができる。第三に、政論新聞時代へ突入した報道方針の影響の中、日本側の揚武号来航に関する新聞報道は特筆すべきである。当時の東アジアの国際情勢、特に朝鮮問題を配慮する日本の新聞は様々な報道ぶりを呈していた。征韓論を主張する新聞社は揚武号の来航に対し、警戒感を抱き、不安を煽ぎたてる報道ぶりを示したが、征韓論に反対する新聞社は客観的に軍艦来航の動向を追っただけの報道をした。他方、自由民権論争の背景の中、揚武号来航を好例にして、政府を批判する記事も存在した。 [今後の課題]揚武号の日本来航について、明治新政府はどのように見ていたのか。警戒感・不安感を掻き立てる報道ぶりを、日本政府はどのように受け止め、さらに海軍事業に反映していくのか。これらに関しては今後の課題に譲ることにしたい。 ほかの研究対象である歴史事件に関する分析も今後の課題にする。

  • 「日清修好条規」の締結とその周辺-李鴻章の対日認識を手がかりにして-

    2012年  

     概要を見る

     本研究は「日清修好条規」締結前後の日中関係、とりわけ直隷総督北洋大臣李鴻章の対日認識・対日政策を考察してきた。[課題設定]①李鴻章はどのような対日観を持ち、明治初期の日中関係にどのように臨んだのか。②李鴻章の対日認識はどのような経緯で形成されたのか。③李鴻章の対日認識は近代日中関係及び清国側の洋務運動にどのような影響を及ぼしたのか。[研究対象]千歳丸の上海来航(1862年)、健順丸の上海来航(1864年)、条約の予備交渉(1870年)、「日清修好条規」締結(1871年)、マリア・ルス号事件(1872年)、副島種臣外務卿の清国派遣(1873年)、台湾出兵(1874年)[結論]①李鴻章は中国伝統的な「羈縻政策」を念頭におき、近代日中関係に取り組んだことが判明した。「羈縻政策」は従来、中国の周辺にいた民族を管理する政策として存在しており、時代ごとに異なった形式で現れていたのである。しかし、近代に入り、世界情勢が大きな変動を生じ、中国は西欧列強に不平等条約を強要され、「条約体制」への加入を余儀なくされた。このような状況の中、実際には伝統的な「羈縻政策」が機能できなくなり、一部の知識人は「羈縻政策」から「羈縻思想」を抽出し、それをもって対外関係を構築しようとした。李鴻章はその中の一人である。本研究で取り上げたいずれの日清外交関係においても、李の持っていた「羈縻思想」を見出すことができる。李は状況により、「連合」「牽制」「警戒」などの柔軟な対策を取ったのである。もっとも肝心なのは「使節派遣」という形で日本の行動を「牽制」しようとした内容である。②李鴻章はこのような対日認識を持つに至ったのは彼自身の経験とブレーンからの影響が考えられる。 ます、本研究は先行研究で十分に検討されていなかった1860年代から分析した。太平天国軍を鎮圧するとき、西洋の先進的な武器に出会った李は、自国でもそれらの技術を取り入れ、洋務運動を推し進めようと考えた。さらに、清国にある保守的な思想や勢力と立ち向かうため、李は日本を洋務運動のモデルとして取り上げていた。これらの背景があるがゆえに、1864年に日本船健順丸が上海に来航した際、李は千歳丸が来航した際の方針を一変し、積極的に対応していた。 その後、李は直隷総督になり天津教案を処理した際、自ら西洋各国の連合を経験し、これに悩まされていた。このような状況の中、修好を求めてきた日本に対し、李は日本と連合し、日本を自国の外援にさせようという「聯日」思想を抱きはじめた。 1871年条約締結の際、李は「聯日」という考えのみならず、日本からの脅威、とりわけ朝鮮の存在をも配慮し「防日」の言論もした。かくして李は「連合」「籠絡」「牽制」「警戒」などの複雑な観念が混在した「羈縻思想」を生み出したと言えよう。李鴻章らの努力により、日清関係はとうとう条約という形で定着したのである。その後の条約改定や外務卿副島種臣の謁見問題、台湾出兵を処理した際、李は「羈縻思想」を念頭に置き、対策を講じたのである。 さらに、この時期における李の対日認識、対日政策を語る際、ブレーンたちの役割も見逃してはならない。本研究では李に影響を与えたブレーン(馮桂芬、郭嵩燾、丁日昌)を取り上げて、考察した。そのうち、a、馮桂芬の掲げた「自強」思想は李の推進した洋務運動、外交政策の大前提となったこと、b、郭嵩燾による条約の拘束力を重視し、盲目的な戦争を避ける方策は、李の対日政策に影響したこと、c、丁日昌の「羈縻」方策、海防政策がそれぞれ李の「羈縻思想」の形成と北洋海軍の建設に示唆を与えたこと、以上の事実が判明した。③李がこのような対外政策を取った目的は、一言でいえば、「自強」にあるだろう。李は「自強」をスローガンとした洋務運動を推進させる際、積極的に日本を利用した。 まず、1871年に締結された「日清修好条規」は近代中国におけるはじめての対等条約である。清国は自発的に「華夷秩序」から一歩踏み出し、国際法に基づいた近代的日清関係を構築しようとしたのである。その後、1872年にマリア・ルス号事件が発生し、それを契機として、1874年に清国・ペルー間に中国の出稼ぎ人を保護する対等条約が結ばれた。 次に、1873年に外務卿副島種臣は同治帝に謁見した際、中国伝統的な「三跪九叩」の礼に反対し、初めて立礼で謁見した。この謁見問題の結果から、思想、礼儀作法の両面において清国における「華夷秩序」の崩壊の兆候が窺われる。 さらに、1874年、日本は台湾出兵を起こし、李は日本との決裂を避けるため積極的にその解決策を提言した。その後、清国内部では海防をめぐり論議が行われ、近代海軍の創設も決定された。 以上、清国は思想面、法律面、政治面、礼儀作法及び軍事面のいずれにおいても、客観的にみて元来の「華夷秩序」から近代的な外交関係へ一歩踏み出した。これらをうまく促進したのは、「羈縻思想」を持っていた本研究のキーパーソン李鴻章である。換言すれば、李の「羈縻思想」に基づいた対日政策は、客観的に洋務運動のためによい環境を提供していた。[今後の課題] 第一に、「日清修好条規」が近代日中関係において果たした役割についてである。「日清修好条規」は一体、どれぐらいの拘束力を持っていたのか。日中の間にこのような対等条約があったにもかかわらず、なぜ日清戦争にまで至ったのか、などの疑問に関しては再検討する必要があるように思われる。 第二に、李鴻章の「羈縻思想」についてである。「羈縻思想」を持っていた李鴻章は、台湾出兵以後の日清関係を処理した際、どのような行動をとったのか。例えば、琉球処分問題や朝鮮関連問題において、その「羈縻思想」がいかに深化し、或いは変容していったのか。 第三に、李鴻章の対日認識と対欧米認識との差異についてである。本研究では主に李鴻章の対日認識を中心に検討してきた。実際には当時の内外関係は非常に複雑で変化に富んでおり、本研究で少し触れたが、未だ十分とは言えない。とりわけ欧米各国の関係史料を利用し、その行動を分析する作業を行っていない。それに対し、今後においては日本語、中国語の史料だけではなく、幅広く関係文書を解読し、その中から清国側の対応や李鴻章の外交行動をより全面的に考察する必要がある。 第四に、引き続き李鴻章のブレーンを検討することである。本論では、「日清修好条規」締結前後を研究対象にし、李のブレーンとして3人だけを考察した。そのほか、朝鮮との関係を処理した際に馬建忠、洋務運動を推進した際に盛宣懐らが活躍していた。これらの人物が李の外交政策、対日認識にどのような影響を与えたのかに関しては、さらに検討を深めていきたい。