Updated on 2025/04/21

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KIKUNO, Masayuki
 
Affiliation
Faculty of Education and Integrated Arts and Sciences, School of Education
Job title
Professor
 

Syllabus

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Sub-affiliation

  • Faculty of Education and Integrated Arts and Sciences   Graduate School of Education

Internal Special Research Projects

  • 古典学習単元開発理論とモデル形成のための国文学研究と教育学研究の融合に関する研究

    2024  

     View Summary

     国語科教育における古典単元の導入のしかけづくり、教材作成と言語活動の工夫について調査を行い、その具体的な単元案の提案を行った。 単元の導入は、単元を通して育ていたい学習者の姿をイメージすることが重要であり、その姿がイメージできることで、どのような導入が効果的かが明らかとなる。和歌の単元の際には、作品から一字を空白にし、その空白には本来どのような言葉が入るのかをクイズ形式で問う導入が考えれる。このように教材提示を工夫することによって、それ以外の表現、言葉を理解し、解釈することが求められ、そこから得られた情報を元に推論を行う必要がある。 ここ数年、古典不要論とそれに抗しようとする動きが活発に見られたが、それらの議論には、古典そのものの議論をしているのか、古典の学習の在り方を議論しているのか、古典に限らず人文学全般を批判しているのかといった様々な論点が存在し、ほとんどその整理も行われないまま議論が進んでしまった感がある。こういった議論を行うためには、互いの土台となる問題意識や知見を共有することが必要となるが、それをなしにしての議論は、少なくとも単元をいかに作るのか、古典の学びとは何かを具体的に論じるための視点の提供には至らない。こういったことに陥らないようにするためには、例えば、学習指導要領に代表される共通の土台を決め、それに基づいて議論するべきだろう。とは言え、学習指導要領の文言をいかに理解し、解釈、批評していくのかといった方法論も必ずしも共有されていないため、その読み方、用語の整理なども行った。

  • 古典学習単元開発理論とモデル形成のための国文学研究と教育学研究の融合に関する研究

    2023  

     View Summary

    古典学習に関する知見の収集・整理とその成果の発信を行った。御手洗靖大氏を招聘し、古文学習、和歌学習と音読との関係、適切な指導のあり方について明らかにした。その活動から、川村裕子氏、兼築信行氏をシンポジストとして招聘し、大規模なシンポジウムを開催し、和歌教材・学習のあり方について検討した。その成果はYoutubeチャンネルとしても公開され、800回近い再生回数となり、大きな反響を呼んでいる。

  • 江戸・明治期の『平家物語』教材および文学史における国学的枠組に関する研究

    2010  

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    近代古典教科書のはじまりと考えられる稲垣千穎編『本朝文範』の価値とその限界を論じ、国語教育史研究における重要な起点を明らかにした。編者の稲垣は国学者であり、その文章規範を平安和文に求めた。そのため、編集されている古典は、源氏物語や枕草子に代表される平安和文を文章の手本ととらえた教科書となった。ただ、時代は、多くの事実、情報を伝達するための新しい国語を求めており、和漢混交文にそれを求めるのが時代の流れとなっていた。そのため、新保磐次は、稲垣のような国学的文章観を批判し、中世の和漢混交文を文章規範としてとらえるべきだと唱え、その考えにそった国語教科書を作ることとなった。

  • 「扇の的」教材化における歴史的把握と内容分析、および効果的な発問の開発

    2009  

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    2009年度は、「扇の的」を中心とした『平家物語』の教材化の歴史的把握の作業を特に重点的に行った。本研究は、現在の研究水準で行われているようないわゆる教材史とはパースペクティブが異なる。これまではそのほとんどの仕事が太平洋戦争以降の新教育で、古典教育がどのように展開したのかを、明らかにする仕事であった。それは一つ重要な仕事ではあるが、古典教育がどのように発生したのか、という近代国語教育自体の問題と切り離せない問題であることを見落としてきたうらみがある。「近代」・「古典」・「教育」といったキーワードは今後の古典教育研究の水準において外すことができない視点である。古典教育の発生過程をより対象化して探るために、近代以前つまりは近世における『平家物語』の教材化について調査を行った。現在のような古典のアンソロジー型式の教科書などむろんない。そもそも「国語教育」という概念自体が前近代には存在しない。子弟にほどこされた教育の多くは、手習いと素読である。その手習いと素読の教材として『平家物語』の本文が使用されているのである。その最古のものは1600年前後にまでさかのぼることができ、様々な軍記関連の書状を収めた『新板古状揃』が基本的な形として完成し、以後『新板古状揃』を手本とした様々な注釈本が展開していくこととなる。その教育文化は江戸の中頃まで残存したのである。近世における『平家物語』の教材化は、文字(漢字・熟語)の読み書き・書状の文体と型式の学習といった実用的な効果を期待したものであり、近代の『平家物語』に期待されたものとは異なることがここで初めて明らかになるのである。しかし、この明治中期まで残存した『古状揃』という教材は近代国語教育の枠内に収められることはなかったと結論づけてよいだろう。ここには実際的な学力観(書状の読み書き)から近代的教養(国民的教養といってもよい、もちろんこれは近代によって作られたものである)という学力観への視点の変更があったためである。この近世から近代への移行の中で、あるいは言文一致運動という「国語」の変化の中で、『平家物語』は急速にその実用性を失っていき、一方で「国民的な教養」としての、「国民的叙事詩」としての地位を、帝大の「日本文学史」形成の動きと強く連動しつつ獲得していくことになる。現在の『平家物語』教材につながるような教材化は明治30,40年代以降になされている。これは「文学史」の完成と合致するのである。ここでさらに問題となってくるのは、「文学史」形成の態度とはどのようなものだったのかということになるだろう。何を評価し何を評価しなかったのか。それは結局我々がなぜ「古典」を読まなければならないのか(読む必要はあるのか)という根本的かつ現在的な問題について考察することになっていくだろう。