2024/12/21 更新

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サエグサ リョウヤ
三枝 亮也
所属
附属機関・学校 本庄高等学院
職名
教諭
学位
修士(文学) ( 早稲田大学 )

経歴

  • 2024年
    -
    継続中

    共愛学園前橋国際大学   非常勤講師

  • 2022年
    -
    継続中

    早稲田大学本庄高等学院   専任教諭

学歴

  • 2018年04月
    -
    継続中

    早稲田大学大学院   文学研究科博士後期課程   西洋史学コース  

  • 2016年04月
    -
    2018年03月

    早稲田大学大学院   文学研究科修士課程   西洋史学コース  

  • 2012年04月
    -
    2016年03月

    早稲田大学   文学部   西洋史コース  

委員歴

  • 2019年
    -
    2022年

    西洋近現代史研究会  運営委員

所属学協会

  • 2019年04月
    -
    継続中

    西洋近現代史研究会

  • 2016年04月
    -
    継続中

    早稲田大学西洋史研究会

研究分野

  • ヨーロッパ史、アメリカ史   フランス史

研究キーワード

  • フランス近現代史

  • 公娼制度

  • フランス史

 

論文

  • 19世紀末~20世紀初頭におけるメゾン・ド・ランデヴーとその議論 ~1904年パリ市議会の報告書を手掛かりに~

    史観   ( 190 ) 66 - 87  2024年03月  [査読有り]

    担当区分:筆頭著者

  • 1870年代後半のパリにおける公娼制度廃止運動についての一考察 : イヴ・ギヨの運動を中心に

    三枝 亮也

    西洋史論叢   40   67 - 81  2018年  [査読有り]

講演・口頭発表等

  • イヴ・ギヨの公娼制度廃止観―Lanterne紙の連載と著作を手掛かりに―

    早稲田大学史学会大会  

    発表年月: 2019年10月

  • 1870年代イヴ・ギヨによる公娼制度廃止運動

    西洋近現代史研究会12月例会  

    発表年月: 2018年12月

  • 1870年代のパリにおける公娼制度廃止運動―イヴ・ギヨ、ジョセフィン・バトラーの運動を中心に―

    三枝亮也

    早稲田大学西洋史研究会 第72回大会  

    発表年月: 2018年07月

共同研究・競争的資金等の研究課題

  • フランスのmaison de rendez-vousについての諸研究

    早稲田大学  特定課題研究助成費 アーリーキャリア支援

    研究期間:

    2023年04月
    -
    2024年03月
     

Misc

  • 2019年度早稲田大学史学会大会報告要旨<イヴ・ギヨの公娼制度廃止観―Lanterne紙の連載と著作を手掛かりに― >

    三枝亮也

    史観   182  2020年03月

    研究発表ペーパー・要旨(全国大会,その他学術会議)  

  • <西洋史学>優秀修士論文概要

    三枝亮也

    早稲田大学大学院文学研究科紀   631 ( 637 )  2019年03月

 

特定課題制度(学内資金)

  • フランスのmaison de rendez-vousについての諸研究

    2023年  

     概要を見る

    本研究では19世紀後半のパリにおける公娼制度廃止運動が一通りの盛り上がりを見せた前後に興隆したmaison de rendez-vousに焦点を当てたものである。飲食店を装い、あくまで個人同士の合意の上で売春行為を斡旋するこの店は主に以下の点で男性、女性のどちらにも支持されその店舗数を増大させた。女性にとっての利点は、これまでの公認娼家とは異なり警察に娼婦としての登録を行わなくても良い、という点である。これにより、警察の監視、定期的な医療検診を受ける必要がなくなるため、望んだときに来店して売春行為に従事することができ、女性にとっては自由な売春の場となり、多くの女性が出入りしこの形態の店は興隆していった。男性にとっては性感染症の感染リスクが低いことが主な来店の理由となった。梅毒をはじめとする性感染症の病巣としての認識が高まっていた公認娼家とは異なり、売春行為を生業としていない女性との性行為は性感染症の罹患のリスクが非常に低く、さらには上記のようなこれまでになかった形態への目新しさという点からこの店を支持した。これまでの抑圧的でかつ、性感染症拡大のリスクを止めることのできなかった公娼制度を大きく転換させたこの店を、Henri TurotやAdrien Mithouardが支持し、1904年のパリ市議会においては警察に対して、この店の認可と、娼家並びに公娼制度の廃止を求め、実際に警視庁はmaison de rendez-vousを一部認める方針へと転換していった。この店の営業形態は、公娼制度廃止運動でYves Guyotらが主張した売買春のあり方にある程度応える結果となったこと、さらにTurotとMithouardの主張は公娼制度廃止運動の大きな影響を受けていることから、1870年代後半の公娼制度廃止運動と、maison de rendez-vous並びにこれらの店をめぐる一連の議論との連続性を改めて確認することができた。

  • 19世紀後半~20世紀前半におけるフランスの娼婦、買売春に関する研究

    2022年  

     概要を見る

    本研究は、19世紀前半より確立されていったフランスにおける公娼と娼婦に関するものであり、今回の研究期間では特に1880年代より新たな売春の場とされた「逢引きの家」Maison derendez-vousをめぐる議論について研究を行った。1900年代初頭にはこの施設をめぐってパリ市議会で議論が行われ、設置に消極的な警視庁に対し、アンリ・テュロHenri Turotらが公娼制度への批判とMaison de rendez-vousの設置を主張する。テュロらがそれらの設置を主張するにあたって、1870年代後半にイヴ・ギヨYves Guyotを中心とした公娼制度廃止運動で叫ばれた主張を論拠としていること等から、この運動とMaison de rendez-vousをめぐる議論の連続性を確認することができた。