Research Experience
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Waseda University Faculty of Education and Integrated Arts and Sciences
Details of a Researcher
Updated on 2024/12/21
Waseda University Faculty of Education and Integrated Arts and Sciences
憲法学会 理事
衆議院文教委員会 公聴人
衆議院選挙制度改革委員会 公聴人
文部省(文部科学省) 教育職員養成審議会 委員
文部省(文部科学省) 中央教育審議会 専門委員
憲法学会
時代を呼吸する教育論 ―早実スピリットの源流を求めて―
恒文社 2010
時代を紡ぐ教育論
早稲田大学出版部 2007
日常性の中の教育論
早稲田大学出版部 2005
感性をみがく教育論
早稲田大学出版部 2003
教育の復権を求めて
早稲田大学出版部 2001
ドイツ近代選挙制度史
成文堂 2000
今、中学・高校教師に望むこと
品川女子学院教育研究所 1998
ドイツハンドブック
早稲田大学出版部 1997
この時代の教育の心
リバティ書房 1997
憲法における欧米的視点の展開
成文堂 1995
ドイツの政治
早稲田大学出版部 1992
ドイツ公法の理論
一粒社 1992
自民党につける薬、社会党につける薬
株式会社ほんの木 1991
日本人は国境を越えられるか
株式会社ほんの木 1990
選挙制度と議席配分の制度
成文堂 1989
憲法における制度と思想
成文堂 1984
世界政治ハンドブック
有斐閣 1982
戦闘的民主主義
早稲田大学出版部 1982
現代ドイツの政治と行政
三修社 1982
大学の精神
三修社 1980
比較立憲主義
早稲田大学出版部 1979
現代政党国家
早稲田大学出版部 1977
比較憲法論
早稲田大学出版部 1976
社会主義政治論
早稲田大学出版部 1975
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「五五年体制」とマスメディア
早実研究紀要 ( 44 ) 2010
『坂の上の雲』と『じとびとの跫おと』―京都・瀬戸内教室に寄せて―
早実『地域学習』の記録 2010
生粋の政党人、斎藤隆夫の粛軍演説と反軍演説―「ただいたずらに聖戦の美名に隠れて」
時代を呼吸する教育論所収 2010
白洲次郎と日本国憲法制定
時代を呼吸する教育論所収 2010
知里幸恵『アイヌ神謡集』とその生涯
早実研究紀要 ( 43 ) 2009
「海より生まれ海に還らん生き物の一人と思う海恋いうる日は」(道浦母都子)―瀬戸内教室に寄せて―
早実『地域学習』の記録 2009
草創期の早稲田実業学校に学んだ人びと―竹久夢二、林武、藤原義江―
早実「寺岡静治海外交流補助資金活動報告書」 2009
「今、教育に何が求められているか」
NPO法人小金井市文化協会会報「エール」 ( 14 ) 2009
「井真成」と遣唐使
早実研究紀要 ( 42 ) 2008
『夏の花』(原民喜)、『この子を残して(永井隆)、『黒い雨』(井伏鱒二)―関西・瀬戸内教室に寄せて―
早実『地域学習』の記録 2008
『栄光への脱出』と「憎悪の連鎖」闇の中に埋もれていく声なき声
早実「寺岡静治海外交流補助資金活動報告書」 2008
改めて「実業」の意味を問う
早実研究紀要 ( 41 ) 2007
「旅する巨人」宮本常一と故郷「周防大島」―瀬戸内教室に寄せて―
早実『地域学習』の記録 2007
散ったかに見えた花は、後世に種子を残す―たった一人の反対者ジャネット・ランキン―
早実「寺岡静治海外交流補助資金活動報告書」 2007
学校はどこまで変わるのか
週刊東洋経済 2007
「一以貫之」
プレジデントファミリー 2007
見よ、神ハ谷中ニあり、聖書ハ谷中人民の身ニあり―田中正造―
時代を紡ぐ教育論所収 2007
広津和郎と松川事件―「お母さん、まだ最高裁がある」
時代を紡ぐ教育論所収 2007
「見よ神は谷中にあり」 田中正造と足尾鉱毒事件
『早実通信』 ( 144 ) 2006
「ペンシルロケット」と「日本の宇宙開発発祥の記念碑」
『早実通信』 ( 145 ) 2006
森林と海を結ぶ川―森林法25条と保安林―
早実研究紀要 ( 40 ) 2006
「最上川逆白波の立つまでにふぶくゆうべとなりにけるかも」(斎藤茂吉)―みちのく教室に寄せて
早実『地域学習』の記録 2006
「高く翔ばんとすれば深く学ばざるべからず」
早実「寺岡静治海外交流補助資金活動報告書」 2006
被爆したという「事実」、その事実を認めない「国家」、死んでいく「被災者」 ビキニ環礁水爆実験50年
講演録 2005
ハーモニカに託す母校への愛着
『早実通信』 ( 141 ) 2005
「二十年つひにきかざる汝が唇に死出の化粧の紅は濃すぎる」 「水俣病関西訴訟」上告審判決に寄せて
講演録 2005
「トムの弁護を断わればパパは公正ではなくなる」 『ローマの休日』と『アラバマ物語』
講演録 2005
「そう、そう、そうなんだよ」 和田信賢とヘルシンキ・オリンピック
講演録 2005
「さまざまなこと思い出す桜かな」(芭蕉)と「散るも桜 残る桜も 散る桜」(良寛) 散るのを惜しむかのように、花弁は舞っていた
講演録 2005
「きっと乗り越えられる日がくるよ」
『早実通信』 ( 140 ) 2005
「ふるさとの訛なつかし 停車場の 人ごみの中にそを聴きにゆく」
『早実研究紀要』 ( 39 ) 2005
貧しくとも、心が豊かであった日々の追想
『稲穂祭』巻頭言 2004
廃墟 文明の始まりと花の盛りと終末の沈黙
『早実通信』 ( 139 ) 2004
黒澤明と山本周五郎 永久の定住を望むな、この世は巡礼である
講演録 2004
スギハラ通り」とイマヌエル・カントの故郷「ケーニヒスブルグ」 杉原千畝「命のビザ」と与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」
『早実通信』 ( 137 ) 2004
『童謡 心に残る歌とその時代』(海沼実)を読んで想うこと
講演録 2004
「爛頭の急務」と「いつものようにさりげなく」
『早実通信』 ( 136 ) 2004
「身土不二」、「結のあした」と「生活の知恵」
『関西・瀬戸内教室――主題別学習の記録』 2004
「家の作りやうは、夏をむねとすべし」 「立俗の文化」と「坐俗の文化」
講演録 2004
「一本の竹」と「稲むらの火」
吹奏楽部第33回定期演奏会「ご挨拶」 2004
「ライフハザード」と遊びの喪失 子どもたちの悲鳴が聞こえる
講演録 2004
「グーとパー、どれも直球、ただ俺のサインに首を振れ」
早稲田・渋谷シンガポール校『父母の会便り』 2004
「はらはらの桜型」、「ぽたりの椿型」、「朽ちていくツツジ型」
『早実父母の会便り』 ( 90 ) 2004
「テレビ時代」の教育 テレビに映し出された「事実」とは何か
『早実研究紀要』 ( 38 ) 2004
武蔵野の秋―稲穂祭によせて
稲穂祭 巻頭言 2003
東京の顔が変わる 「丸の内で働く」から「丸の内で買う」
講演録 2003
走れ!路面電車 都電の復活を
講演録 2003
漆黒の闇と光明 「闇をふく風も見ゆるよとぶ蛍」(芹舎)
講演録 2003
光のなかを胸をはって歩ける もう私はうつむかない 「小島の春」から「ハンセン病補償法」成立までの人間の尊厳をかけての歩み
講演録 2003
個人的「体験」が歴史的「事実」となる時 3月10日の「東京大空襲」から8月15日の「玉音放送」まで
講演録 2003
テレビ放送が開始されたころ テレビ50年に寄せて 自分の生活の「余白」を考える
講演録 2003
わが愛しの「リリー・マルレーン」と『禁じられた遊び』
講演録 2003
『介助犬シンシア』と黒澤明『野良犬』
講演録 2003
「悲しみは、空一寸に青みたり」
早実通信 ( 133 ) 2003
「窓前の 瀬戸はいつしか 瀬となりぬ」瀬戸内教室に寄せて
『瀬戸内教室――地域学習の記録』 2003
「江戸」と「東京」を結ぶ「玉川上水」
早実通信 2003
「右足で一歩一歩歩きつつ、左足で跳べ」
早実通信 132 2003
「一本のつらら」と「一通の電報」
早実父母の会だより ( 87 ) 2003
「ヴァイオリンは泣いていた。私の中でも何かが涙を流した」
吹奏楽部第31回定期演奏会「ご挨拶」 2003
「きれいな夜明けだった、今日も暑うなるぞ」
講演録 2003
「連続テレビ小説」(朝ドラ)と自分史 「おしん」に見られる日本の文化・歴史の再発見
『稲教会報』 ( 58 ) 2003
「遥かなる山の呼び声(シェーン)」と「ハイ・ヌーン(真昼の決闘)」
講演録 2003
「鉄腕アトム」からテレビ・ジャーナリズムの成立まで
講演録 2003
「痩せ我慢の説」と「謀反論」とフェアプレイの精神 慶應義塾大学體育会水泳部百周年に寄せて
『慶應義塾大学體育会水泳部百周年誌』 2003
「昨日の世界」と「惜別の歌」 「耳順う年」を迎えて想う
『早実通信』 ( 135 ) 2003
「災害は忘れる間もなくやって来る」 災害列島日本
講演録 2003
「今日」をひたすら積み重ねる 『私のがん患者術』(井上平三)と『がんと向き合って』(上野創)を読んで
講演録 2003
「激り落つ異郷の涙・・・いづれの日にか国に帰らん」 アゴヒゲアザラシ「タマちゃん」
講演録 2003
「学問の独立」と「東西文明の融合」 早稲田渋谷シンガポール校 大隈重信侯胸像除幕式に寄せて
早稲田渋谷シンガポール校 2003
「学力崩壊」・「教養崩壊」と中等機関の教育・研究
『早実研究紀要』 ( 37 ) 2003
挑戦し続けた「夢追人」井深大
早実通信 ( 130 ) 2002
瀬戸内から明日の日本を見る
『瀬戸内教室――地域学習の記録』 2002
心に残る橋と「心の掛け橋」
早実通信 ( 128 ) 2002
銀杏の落葉二葉 早稲田鶴巻町校舎へ捧げるレクイエム
早実通信 ( 131 ) 2002
「粗にして野だが卑ではない」
早実通信 ( 128 ) 2002
「まだ間に合うぞ」と「もう取り返しがつかない」
早実父母の会だより ( 86 ) 2002
「きょうで私の冒険は終わった。美しい冒険だった」
早実通信 ( 129 ) 2002
不変の伝統の上に新しい地平を拓く-早実第二世紀の挑戦-
『私学経営』 ( 328 ) 2002
ブランド戦略下の早稲田大学の広報活動
『大学時報』 51 ( 282 ) 2002
[中央から地方を見る視点]と[地方から中央を見る視点]
国会月報2002年11月号(国会資料協会) 2002
早実第二世紀にも『早実新聞』の「炬火」は受け継がれ行く 「早実新聞」縮刷版発行に寄せて
『早実新聞』縮刷版 2001
早実第二世紀と『坂の上の雲』
早実通信 ( 126 ) 2001
早実第一世紀へのレクイエム、早実第2世紀へのプレリュード
百年を彩る人びと 2001
瀬戸内教室での「体験」と「一粒の麦」
『瀬戸内教室――地域学習の記録』 2001
ソメイヨシノと山桜
早実通信 ( 124 ) 2001
「明日という別の日があるんだわ」
早実通信 ( 125 ) 2001
「命どぅ宝」=「命こそ宝」
早実父母の会だより ( 84 ) 2001
揺れる教育基本法の精神
国会月報2001年1月号(国会資料協会) 2001
改革の成果を正確に伝え、新しい大学像を世に問う
『新聞広告報』 ( 613 ) 2001
日常と非日常
早実父母の会だより ( 82 ) 2000
古い一冊の卒業アルバム
早実通信 ( 120 ) 2000
個人史における具体的「経験」と個人史的「事実」との間
早実通信 ( 123 ) 2000
「里の秋」と『武蔵野』
早実通信 ( 122 ) 2000
「第二の建学」と課外活動の意義
早実通信 ( 121 ) 2000
教育とは希望を語ること
国会月報2000年4月号 2000
『総ぐるみ審議体制』に観る教育改革の検証
国会月報1999年3月号 1999
『心の教育』の原点は素朴で平凡なこと
国会月報1998年6月号 1998
『自由主義史観』の問題点と『歴史教育』の新たな地平を求めて
国会月報1997年5月号 1997
第二帝政期の選挙制度と選挙の実態について
学術研究(早稲田大学教育学部) ( 42 ) 1994
混迷する平成の改憲論議-護憲のパトスとロゴスを失った革新-
国会月報1993年4月号(国会資料協会) 1993
[環境・知識の教育]から[状況・論理の教育]への転換
千葉教育1993年7月号(千葉県教育情報研究会) 1993
[建設的不信任投票]制の実態的考察-ワイマールとボンの比較を通じて-
比較憲法研究No.4(比較憲法学会年報) 1992
連合の[万華鏡]で合意形成の政治-ドイツ-
議会政治研究No.22(議会政治研究会) 1992
全ドイツ統一選挙に至る東と西との間-1990年の三つの選挙の分析を通じて-
社会科学討究(早稲田大学社会科学研究所) ( 110 ) 1992
冷戦後の座標軸を求めて
国会月報1991年2月号 1991
政権交代可能な[併用制]-公平な競争ルールを確立したドイツに学べ-
政治理論誌『公明』8月号 1991
小選挙区制か、比例代表性か
公明ブックレット8 1991
選挙制度と政治システム-[協議の政治]へのルールの確立をめざして-
月刊自治研1991年11月号(自治研中央推進委員会) 1991
国民が選択できる政治の実現に向けて-日本の政治の新たなる座標軸を求めて-
国会月報1991年12月号(国会資料協会) 1991
ドイツ同盟(Deutscher Bund)の比較憲法的環境をめぐる一考察
学術研究(早稲田大学教育学部) ( 40 ) 1991
自民の勝利なき凱旋-講義政党では政権はとれぬ-
国会月報1990年4月号(国会資料協会) 1990
西ドイツに学ぶ選挙制度改革
エコノミスト1990年8月28日号(毎日新聞社) 1990
価値観の多様化に対応する西ドイツ型併用制
政治理論誌『公明』9月号 1990
制度的側面よりみた西ドイツの連合政治
政治理論誌『公明』8月号 1989
実態的側面よりみた西ドイツの連合政治
政治理論誌『公明』9月号 1989
西ドイツにおける占領と憲法
比較憲法学研究No.1(比較憲法学会年報) 1989
西ドイツにおける選挙区分・定数配分と選挙区割委員会の活動の実態について
選挙研究No.2(日本選挙学会年報) 1987
西ドイツにおける選挙制度と政党制の間-1960年代を中心として-
社会科学討究(早稲田大学社会科学研究所) 32 ( 3 ) 1987
西ドイツの政党制における二政党集団性への転轍-1950年代を中心として-
社会科学討究(早稲田大学社会科学研究所) 31 ( 3 ) 1986
衆議院議員定数配分不均衡の実態と是正への視角
社会科学討究(早稲田大学社会科学研究所) 30 ( 3 ) 1985
憲法擁護白書よりみた政治的西ドイツの過激主義
社会科学討究(早稲田大学社会科学研究所) 27 ( 3 ) 1982
西ドイツにおける[戦闘的民主主義]と[過激主義]
学術研究(早稲田大学教育学部) ( 30 ) 1981
連邦議会選挙よりみた西ドイツ戦後政治の動向
社研研究シリーズ(近代化とその諸局面所収) ( 12 ) 1980
西ドイツ民主主義の問題状況-一つの評価-
社会科学討究(早稲田大学社会科学研究所) 26 ( 3 ) 1980
自由で民主的な基本秩序-西ドイツ・デモクラシーのモデル-
法と秩序 通巻51' 79No.6(法と秩序研究会) 1979
トーマス・マンとワイマール共和制
学術研究(早稲田大学教育学部) ( 28 ) 1979
トーマス・マンと政治-『非政治的人間の考察』以前に限定して-
学術研究(早稲田大学教育学部) ( 27 ) 1978
ワイマール憲法の規範力について
学術研究(早稲田大学教育学部) ( 26 ) 1977
ステファン・ツヴァイクと亡命-ツヴァイクと1930年代-
学術研究(早稲田大学教育学部) ( 26 ) 1977
西ドイツにおける政党国家の研究[Ⅱ]
学術研究(早稲田大学教育学部) ( 25 ) 1976
西ドイツにおける政党国家の研究[Ⅰ]
学術研究(早稲田大学教育学部) ( 24 ) 1975
ボン基本法における憲法保障体制の前提条件-「戦う民主主義」の評価と関連して-
政治公法研究(早稲田政治公法研究会) ( 3 ) 1974
憲法裁判権と政治過程-西ドイツ戦後憲法史序説-
政治公法研究(早稲田政治公法研究会) ( 1 ) 1972
憲法裁判権の理念と機能
政研論叢2・3合併号(早稲田大学政治学研究科) 1970
ワイマール共和国大統領に関する一考察-国民による直接選挙を中心として-
政研論叢1号(早稲田大学政治学研究科) 1969
マグロ漁船「第五福竜丸」とゴジラ 「日が出たよ」、しかし輝きは西方だった
『早実通信』 ( 138 )
「学童集団疎開」と「対馬丸沈没」―こんな時代があった―『早実通信』146号から「新島襄と山本八重」―「一人の農夫は、帰りの汽車賃を日本の未来に捧げた」―『早実通信』161号まで16編
早実通信
1995