和田 修一 (ワダ シュウイチ)

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所属

文学学術院

職名

名誉教授

学歴 【 表示 / 非表示

  •  
    -
    1974年

    東京教育大学文学研究科   文学研究科   社会学  

  •  
    -
    1971年

    早稲田大学   文学部   哲学科(社会学専修)  

経歴 【 表示 / 非表示

  • 1988年
    -
    2001年

    助教授、教授

  • 1974年
    -
    1988年

    厚生技官、室長

所属学協会 【 表示 / 非表示

  •  
     
     

    早稲田社会学会

 

研究キーワード 【 表示 / 非表示

  • 社会学(含社会福祉関係)

論文 【 表示 / 非表示

  • A paradigmatic analysis of rationality from the perspective of 'ikigai'.

    Shuichi Wada

    早稲田大学大学院文学研究科紀要   50輯・第1分冊   71 - 81  2005年03月

  • WASEDA CONFERENCE OF 'MODERNITY': COLLECTED WORKS ON CULTURAL AND SOCIOLOGICAL CONCEPTUALIZATION OF 'RATIONALITY'

    Shuichi Wada

       2004年03月

  • Waseda Conference of 'Modernity': Collected Works on Cultural and Sociological Conceptualization of 'Rationality'

    Shuichi Wada

    A Technical Report for the Special Research Projects, Waseda University    2004年03月

  • "Three cases of non-instrumental raionality: communitarian ideals, x-efficiency, and 'ikigai'"

    Shuichi Wada

    Waseda Journal of Asian Studies   23   1 - 52  2002年

  • 'A sociological inquiry into Communitarian ethos in American society in and after the 1980s'

    Shuichi Wada

    TCS International Conference 'METROPOLLIS'    2000年07月

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書籍等出版物 【 表示 / 非表示

  • 「社会学者としてのエリアス−エリアス社会学の魅力」

    大平章編, ノルベルト・エリアスと, 世紀』

    成文堂  2003年

共同研究・競争的資金等の研究課題 【 表示 / 非表示

  • 社会構造および社会過程分析への教理的アプローチ

    総合研究(A)

  • 「老い」のイメ-ジを決する社会・文化的背景に関する研究

    一般研究(B)

  • アメリカ社会における「共産社会」思想興隆の社会・歴史的背景に関する研究

    基盤研究(C)

  • 生きがいの意味の歴史的変化とわが国における近代的自己の形成過程

    基盤研究(C)

  • 現代日本のリスク社会化環境における共生社会論のあり方と実践方法に関する実証的研究

    基盤研究(C)

特定課題研究 【 表示 / 非表示

  • ミクロ・マクロ・リンク説明論理に関する社会学的研究―世代階層論を中心に

    2013年  

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    社会学的分析方法論に関わる基本的な問題が、いわゆるmicro-macro linkであるが、この領域における新たな理論形成を目指す本研究は、J.コールマンの理論の問題点を補修することでその作業を進めている。すなわち、「任意の社会組織[制度]の成立、成長を説明するために必要なのは、人がそうするように動機付けられるにいたった経緯であり、そして、この誘因の相互依存システムが存続可能となった経緯である」(下線は和田。以下同様)という認識から出発し、ミクロな社会的交互作用の過程から創発的特性(パラメータ)である「規範」の生成過程を論じるというコールマンの理論構成である。すなわち、「規範は…ミクロ水準での目的的[効用の極大化]行為にもとづいていたものが、ある条件のもとでミクロからマクロへと移行して存在するようになったもの」であり、「規範が発生するためには、単純な二つの条件が揃って充たされれば十分である」とした上で、その条件としては、「効果的な規範に対する需要が生じるための条件」[いうなれば、創発的特性生成の必要条件]であり、そして「その需要が充たされるための条件(すなわち、効果的な裁可が働くための条件)」[同じく、十分条件]である、というアイデアである。この発想は、従来社会学の中で等閑視されがちであったspontaneous orderの発生機序から社会秩序の構造化を説明することを試みている点で魅力的なものであるが、しかしここで問題とすべきは、上記の「規範に対する需要が生じるための条件」(必要条件)と「効果的な裁可が働くための条件」(っ十分条件)のふたつの条件は次元のことなる事柄である、という認識が欠落していることである。すなわち、上記でいう必要条件は個別の動機づけから行われる主体間の相互行為の内的プロセスから生まれる要因(spontaneous order)であるが、十分条件は意図的に作られる制度(made order)であらねばならないということである。本研究では、このふたつの要因を連結する理論構造を、反事実的条件法の論理を適用することによって明らかにすることを試みた。 その際に着目した点は、A.スミスがspontaneous orderの成立条件として想定した要件がsympathyであり、その個人の内的・心理的要因がfair and impartial spectatorの存在条件へと転換する創発的プロセスの構造を明らかにする、という点である。そしてその際、この創発的プロセスには、全体社会に一般的適応されるような論理はありえずに、「市場」「組織」「コミュニティ」という少なくとも3つの社会的環境の中で特定化されていく必要がある、ということに着目した。特に、組織における権力による秩序形成論理ならびにコミュニティにおける親密性を媒体にした、fair and impartial spectatorとしてのwe-feelingの形成論理の構造を明らかにすることを試みた。

  • 「人生の意味」パラダイムによる社会学的合理性論の理論的検討と歴史分析への適用

    2005年  

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    ここでいう「人生の意味」パラダイムとは、行為論におけるひとつのパラダイムを意味する。パラダイムということばは従来、学術分析における理論的枠組みという意味で用いられてきたのであるが、本研究ではそれは同時に行為主体(エイジェント)が主観的に構成する(自他の)行為の意味解釈の枠組みという意味でも用いられている。こうした論点を意図的に採用する理由は、不確定な将来という状況におかれたエイジェントは、明確な形で定式化された目的関数の極大化を目指して行為するというよりは、自らの所有するパラダイムの中で価値整合的な決定を下していくものだ、と考えるからである。すなわち、不確定性の小さな状況に限って局所的に見れば人々は、追求する目的を達成する上で合理的な決定を行うと見なすことも可能ではあるが、しかしより一般的な行為状況は一定の条件化での目的関数の極大化として抽象化するためには余りにも不確定であり、こうした不確定性を想定することによってはじめて(利害関心とは矛盾することもある理念の追求動機とか倫理・道徳といった拘束要因の社会的必要性といった)社会学的現象を説明しうるのである。わが国の文化的文脈においては、こうした「人生の意味」パラダイムは「生きがい」ということばによって代表される価値、あるいは日本人の精神構造として理解されてきた。しかしながら、生きがいということばの特性やそれが指示すると考えられる日本人の精神構造に関しては、ある種の「哲学的」議論は少なからず行われてきたものの、行為論的な視点からする議論はほとんど皆無である。ましてや、それを上記のごとき行為のパラダイムとして位置づけるという試みはなされたことはない。そこで、本研究では、生きがいという日本人の精神構造を行為論の視点から明らかにするとともに、それを社会学的行為論のパラダイムとして想定したときの、その論理的構造について明らかにすることを試みた。

  • 「人生の意味」概念を中心とした再帰的近代化論の社会学的考察

    2004年  

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    本研究は「近代化」および「脱近代化」と呼ばれる歴史プロセスにおいて生じた・生じつつある、〈社会の制度的構造(変化)〉と〈価値イデオロギーの構造(変化)〉という2つの事象間の連関を因果的に説明する理論図式を構築することを目的にしている。この研究テーマは社会学において中心的な課題であると指摘されながら、(おそらくは、その難しさのゆえに)たとえばK.マルクスやM.ヴェーバーといった巨星の提示した古典的な社会学理論を大きく転換するような研究成果が必ずしもあがっていない領域である。ほとんど唯一の例外は、J.ハバーマスの「コミュニケーション的行為の理論」である。しかし、ハバーマスの理論は(広い意味での)経済活動と親和的である道具的合理性の価値基準の社会的位置づけを相対化し、それ以外の合理性基準として位置づけられる価値の類型を明らかにする上において優れた成果をあげているが、しかし一方でハバーマスは個人の意識の中で形成される〈合理性への個的指向性〉と全体社会において制度化される際の〈制度化原理としての合理性〉との間に生まれるパラドクスについて論じることがなかった。つまり、道具的合理性と非道具的合理性(ハバーマスの理論では〈コミュニケーション的合理性〉と呼ばれる)の間に生まれるパラドクスが、それらふたつの合理性基準の質的パラドクスから生じるものなのか、あるいはそれ以上に、いわゆる〈個と全体〉問題として概念化される問題構造に起因するかの判断が回避されているように思われるのである。つまり、道具的合理性と非道具的合理性の間のパラドクスは、個としての主体(エイジェント)が追求する道具的合理性と制度化の原理として制度構造の中に組み込まれた社会的次元での道具的合理性との間のパラドクスであるともいえるのである。というのは、個的主体が追求する道具的合理性はその主体の認識論理の全体を覆うものではありえず、彼は非道具的合理性という認識論理との間を行き来するからである。 この理論的問題は、米国と英国から社会学者を招いて5月に開催される研究会の中でさらに深く追求される。

  • 「人生の意味(生きがい)」論からする比較文化的アプローチ

    2003年  

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    本研究は、近代社会・脱近代社会を支える最も基本的な価値イデオロギーである「合理性」の解釈図式が、異なった文化的文脈の中で歴史的にどのように変化・変容してきたかについて比較文化社会学並びに歴史社会学の視点から明らかにすることを企図したものである。その研究の一環として本年度は、英国・米国・韓国・日本の4カ国から研究者の参加を仰ぎ、当該テーマに関する研究発表並びにそれに関する討論を行うべく会議を、2004年3月24日から26日にかけて、早稲田大学国際会議場第七共同研究室において開催した。発表者は、酒井直樹(米国、コーネル大学)、J. Gubrium(米国、ミズリー大学)、R. Boyne(英国、ダーラム大学)、J. Hughes(英国、ライセスター大学)、鄭昌秀(韓国、成均館大学)、朴吉清聲(韓国、高麗大学)、大平章(早稲田大学)、川崎賢一(駒澤大学)、岡本智周(早稲田大学)、和田修一(早稲田大学)の10名であった。発表された内容は以下のごとくである(発表の順序)。Modernity and the Specter of the West - Naoki Sakai, The Confucian Thought on Human Nature and Non-instrumental Rationality - Chang-Soo Chung, Modernity/Postmodernity in Context of Cultural Globalization: Reflexivity as Cultural Policies & NPO Information Strategy - Ken'ichi Kawasaki, Globalized Style of Historiographical Narration of Modernity - Tomochika Okamoto, Narrative Coherence in a Postmodern World - Jaber Gubrium, Reflexivity and Rationality - Roy Boyne, Enculturation of Korean Modernity in Hard Time - Gil Sung Park, Rationality as Coorination of Subjective and Objective Value Concsiousness: Its Japanese Case Viewed in a Perspective of Making Sense of Individual Life, 'Ikigai' - Shuichi Wada, The Sport of Japan in the Civilizing Process: Sportization and Pacification - Akira Ohira, Tobacco Use as a Civilizing Process: From Panacea to Pandemic - Jason Hughes。 討論内容で印象的な事柄をひとつだけあげれば、近代社会においてひとびとの内面性を理解するうえでの「心理学化」が共通理解の手がかりとして行われた結果、逆に「西洋的」「東洋的」価値的思考・志向への理解が希薄になったという現象への指摘である。

  • 「福祉資本主義」経営制度の盛衰と社会的性格の変容

    2001年  

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    1956年、W. H. Whyte Jr.はThe Organization Manを出版した。この著書は日本語にも翻訳され、『組織の中の人間』という名前で広く知られている。周知のごとく、この著述の中でホワイトは、(恐らくは、自分自身をも含めて)彼が見聞したアメリカ人の多くが大きな組織に雇われた勤労者として職業生活を過ごすことを余儀なくされており、そしてその結果として彼らの性格特性がオーガニゼーション・マンという言葉で代表されるような一様性を有しているのだ、ということを指摘している。ホワイトが観察したアメリカ人という存在は、第一次正解大戦や大恐慌の時代に少年時代をすごし、第二次世界大戦に従軍するという歴史的体験を経て、そして戦後のアメリカ社会に生活を営んでいた人々(世代)である。そして、ホワイトのオーガニゼーション・マンの出版から35年ほど経た1991年、P. LeinbergerとB. TuckerというふたりがThe New Individualism: The Generation After the Organization Manという著述を出版した。ラインバーガーとタッカーの本書は、その副題としている「オーガニゼーション・マンに続く世代」という表現から分るように、ホワイトが観察し分析したアメリカ人、「オーガニゼーション・マン」という表現によって表されたアメリカ人、の子どもの世代を論述の対象としたものである。オーガニゼーション・マンという特性を備えたアメリカ人を父親として生まれた次世代のアメリカ人が、その父親の世代と比較してどのような特性を示しているかについて論じたものである。オーガニゼーション・マンの子ども世代のなかには戦前・戦中生まれのアメリカ人も含まれるが、その多くは終戦直後のベビー・ブームのなかで生を受けた、いわゆる「ベビー・ブーム」世代のアメリカ人である。この世代のアメリカ人を特徴付ける事柄としてふたりの著者があげているのが、そのタイトルにある「新しい個人主義」という価値観である。そこで「新しい個人主義」という観点のもとに論じられている事柄は、それまでの個人主義とは質的に異なった価値イデオロギーが生まれたというよりも、従前の個人主義的価値をより一層極端化したという程度の問題であるが、しかし著者達は個人主義がさらに徹底することによって新しいアメリカ人の類型が誕生したのだと主張している。本研究では、こうしたアメリカ人の価値意識に関わる研究動向を、他の著述を参照することによって、より一層幅広く捉えることによって、その歴史的研究方法のもつ重要性を確認しかつこの視点から日本人の価値観の歴史的変遷について考察した。この研究の中で特に注目すべきは、彼らがアメリカ人の価値観の変化を企業組織の経営思想並びにそのスタイルの変化から説明しようとしていることである。上述したアメリカ人の有する価値観の変化の背景には、福祉資本主義という経営から市場原理に忠実な経営への変化が存在するということである。ラインバーガーとタッカーは、オーガニゼーション・マンの世代は戦後のアメリカ企業で起きた企業経営者の変節(福祉資本主義の放棄)によってその期待を裏切られたのであり、その息子たちにはこの裏切りを教訓としてその職業生活を設計するよう薫陶したのだ、と主張する。自らの生活を守るのは自らの力量に頼る以外にはないという思想が、今日のアメリカ人をさらに個人主義へと移行せしめたという主張である。いま、同じような現象が今日、日本の企業組織のなかで生じている。わが国の若い世代に見られる「個人主義」化もまた、これと同じ歴史的変化として捉えられる側面を有しているのである。

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