2024/12/21 更新

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トクダ ハルヒコ
徳田 陽彦
所属
政治経済学術院
職名
名誉教授
学位
文学修士(早稲田大学)
文学修士
文学修士

所属学協会

  •  
     
     

    日本フランス語フランス文学会

  •  
     
     

    プルースト研究会

  •  
     
     

    日本フランス語教育学会

  •  
     
     

    日本フランス語・フランス文学会

研究キーワード

  • 仏語・仏文学

 

論文

  • L'oubli chez Proust : faudrait-il l'oublier ?

    Haruhiko TOKUDA

    LA REVUE DES LETTRES MODERNES / Proust sans frontiere 2, Minard   Proust 7   125 - 143  2090年10月

  • Autour du theme de l'oubli chez Proust dans differentes editions d'Albertine disparue (La Fugitive)

    徳田陽彦

    教養諸学研究第138号   ( 138 ) 69 - 84  2015年03月

    CiNii

  • La mere de Proust et la grand-mere du narrateur - autour du "je" et de la creation romanesque

    徳田陽彦

    教養諸学研究第135-136合併号   ( 135 ) 87 - 104  2014年03月

    CiNii

  • L'oubli dans l'oeuvre de Proust et sa vie

    Haruhiko TOKUDA

    政経「教養諸学研究」   ( 132-133 ) 101 - 120  2012年12月

    CiNii

  • La position ambigue de la seconde etape de l'oubli d'Albertine disparue chez Proust

    Haruhiko TOKUDA

    政経「教養諸学研究」   ( 130 ) 67 - 81  2011年03月

    CiNii

  • La situation narrative avant les etapes de l'oubli dans Albertine disparue de Proust

    Haruhiko TOKUDA

    政経「教養諸学」   ( 128 ) 53 - 70  2010年03月

    CiNii

  • L'echo de Intermittences du coeur II et la preparation de l'oubli dans La Prisonniere de Proust

    徳田陽彦

    政経「教養諸学研究」   ( 126 ) 131 - 146  2009年03月

  • Des circonstances de la creation chez Proust du thme de l'oubli

    徳田陽彦

    政経 「教養諸学研究」   ( 124 ) 69 - 83  2008年03月

    CiNii

  • Autour d'une phrase ajoutee dans "les Intermittences du coeur II" --ce qu'elle signifie chez Proust

    徳田 陽彦

    教養諸学研究   ( 122 ) 63 - 78  2007年03月

  • La victoire des Intermittences du coeur sur l'oubli −−Proust et sa mere

    徳田 陽彦

    教養諸学研究   ( 120 ) 89 - 107  2006年05月

    CiNii

  • 忘却の不在−『ゲルマントのほう』

    徳田 陽彦

    教養諸学研究   ( 118 ) 33 - 53  2005年04月

    CiNii

  • Faudrait-il oublier l'histoire de l'oubli chez Proust?

    早稲田大学政治経済学部 「教養諸学研究」   116号  2004年06月

  • Faudrait-il oublier l'histoire de l'oubli? (Colloque international "Proust sans frontiere" organise par l'universite de KYOTO.)

    京都大学主催    2003年09月

  • Proust et les arts

    日本プルースト研究会    2003年06月

  • Présentation du théme de l'oubli dans la deuxiéme partie d'A l'ombre des jeunes filles en fleurs chez Murcel Proust

    Journal of Liberal Arts   /114, 2-20  2003年03月

  • Presentation du theme de l'oubli dans la deuxieme partie d'A l'ombre des jeunes filles en fleurs chez Marcel Proust

    早稲田大学政治経済学部「教養諸学研究」   114号  2003年03月

  • L'oubli chez Proust : faudrait-il l'oublier?

    ローマ大学    2003年03月

  • Présentation du théme de l'oubli dans la deuxiéme partie d'A l'ombre des jeunes filles en fleurs chez Murcel Proust

    Journal of Liberal Arts   /114, 2-20  2003年03月

  • アルベヌチーヌ、プルーストの『花咲く乙女たちのかげに』第一部の真の主役——テーマとしての忘却の創造と既テキストへの導入

    早稲田大学政治経済学部「教養諸学研究」   第112号pp.39-69  2002年03月

  • Albertine : heroine veritable dans les JFI de Proust

    Journal of Liberal Arts   112, 39-69  2002年03月

  • La transformation de《l'oubli》chez Proust(jusqu'(]E85C1[) ┣DBDu c(]E86CC[)t(]E85EE[) de chez Swann(/)-┫DB)-en rapport avec la m(]E85EE[)moire involontaive

    Journal of Liberal Arts   /110,121-137  2001年03月

  • 「プルーストにおける“忘却”の変貌(『スワン家のほうへ』まで)—無意志的記憶との関連において

    政治経済学部「教養諸学研究」   110号 pp.121-137  2001年03月

  • プルーストにおける"忘却"の変貌(『スワン家のほうへ』まで-無意志的記憶との関連において)

    教養諸学研究   /110,121-137  2001年03月

  • La trans formation de 《l'oubli》 chez Proust -en rapport avec la m(]E88EE[)moire involontaive(1)

    Journal of Liberal Arts   /108,37-58  2000年03月

  • 「プルーストにおける“忘却”の変貌—無意志的記憶との関連において」(1)

    政治経済学部「教養諸学研究」   第108号(P.37-58)  2000年03月

  • 「プルーストにおける"忘却"の変貌-無意志的記憶との関連において」(1)

    教養諸学研究   /108,37-58  2000年03月

  • ジャン・ルーセ「プルーストの登場人物たちの愛読書」—『形態と意味作用』より

    プルースト全集別巻(筑摩書房)   P.258-269  1999年04月

  • ラモン・フェルナンデス「プルーストの美学にかんする覚書」

    プルースト全集別巻(筑摩書房)   P.89-95  1999年04月

  • L'oubli—theme inoubliable chez Proust

    教養諸学研究/政経学部   106,pp,55-77  1999年03月

  • L'oubli -th(]E85C2[)me inoubliable chez Proust (仏文)

    Journal of Liberal Arts   /106,55-77  1999年

  • Index general de la correspondance de Marcel Proust

    Presse Universitaire de Kyoto    1998年10月

  • プルーストの忘却論—“心情の間歇”のネガとして

    政経学部「教養諸学研究」   ;104号,pp. 187-206  1998年03月

  • 固有名詞調査に基づく『プルースト書簡集』の総合的研究

    日本プルースト研究会    1998年03月

  • Etudes g(]E85EE[)n(]E85EE[)rales de la correspondance de Proust bas(]E85EE[)es sur l'enqu(]J1120[)te des noms propres

       1998年

  • L'oubli selon Proust comme un n(]E85EE[)gatif du "l'intermittence du coeur"

    Journal of Liberal Arts   /104,187  1998年

  • 共同編集「固有名詞調査に基づく『プルースト書簡集』の総合的研究

    科研費による研究成果報告書    1998年

  • プルーストの忘却論--"心情の間歇"のネガとして

    教養諸学研究   /104,187  1998年

  • Colloque : sur Proust et les arts

    早稲田大学文学部    1997年11月

  • プルースト全集「書簡Ⅲ」

    筑摩書房    1997年10月

  • Le sens de la 《suppression d'Albertilne》dans uneversion d'Albertine disparue

    教養諸学研究/早稲田大学政治経済学部   102  1997年03月

  • Le sens de la "suppression d'Albertine"dans une version d'┣DBAlbertine disparue(/)-┫DB(仏文)

    Journal of Liberal Arts   /102,75  1997年

  • 「消え去ったアルベルチーヌ」をめぐって

    日本プルースト研究会例会    1996年06月

  • 「消されたアルベルチーヌ」とプルースト

    教養諸学/政経学部   100  1996年03月

  • Au tour d'┣DBAlbertine Disparue(/)-┫DB

    Society of the studies of Proust    1996年

  • Albertine supprim(]E85EE[)e et Proust

    Journal of Liberal Arts   /100,107  1996年

  • 学会発表 『消え去ったアルベルチーヌ』をめぐって

    日本プルースト研究会    1996年

  • 《消されたアルベルチーヌ》とプルースト

    教養諸学研究   /100,107  1996年

  • Les paroles d' Albertine dans R.T.P.

    Journal of Liberal Arts   /93,17  1993年

  • 『失われた時を求めて』におけるアルベルチーヌのことば-(2)

    教養諸学研究   /93,17  1993年

  • Les paroles d' Albertine dans R.T.P.

    Journal of Liberal Arts   /91,43  1992年

  • 『失われた時を求めて』におけるアルベルチーヌのことば-(1)

    教養諸学研究   /91,43  1992年

  • Autour d' Albertine disparue

    Journal of Liberal Arts   /90,181  1991年

  • Les probl(]E87BF[)mes d' ┣DBAlbertine disparue(/)-┫DB

    Joural of Liberal Arts   /87,19  1990年

  • 『消え去ったアルベルチーヌ』の問題

    教養諸学研究   /87,19  1990年

  • Proust malade et ses amis dans la correspondance

    Joural of Liberal Arts   /86,45  1989年

  • 書簡にみる病人プルーストと友人たち

    教養諸学研究   /86,45  1989年

  • Albertine gomorrh(]E85EE[)enne

    Eureka   /,190  1987年

  • 「ゴモラの女」アルベルチーヌ

    ユリイカ「総特集プルースト」   /,190  1987年

  • Le c(]E86CC[)t(]E85EE[) de Gomorrhe dans R.T.P.

      /19,74  1981年

  • 『失われた時を求めて』における「ゴモラのほう」-(]G0001[)

    金沢大学教養部論集   /19,74  1981年

  • Sur deux versions d' (]E85C1[)vl'┣DBOmbres des jeunes Filles en Fleurs(/)-┫DB

    Etudes de langue et litt(]E85EE[)rature fran(]E89FB[)aises   /34,98  1979年

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書籍等出版物

  • 翻訳 ジャン・ルーセ「プルーストの登場人物たちの愛読書-『形態と意味作用』より

    プルースト全集別巻(筑摩書房)  1999年

  • 翻訳 ラモン・フェルナンデス「プルーストの美学にかんする覚書」

    プルースト全集別巻(筑摩書房)  1999年

  • 共同編集Index g(]E85EE[)n(]E85EE[)ral de la Correspondance de Marcel Proust(仏文)

    Kyoto University Press  1998年

  • La correspondance de Proust

    1996年

  • プルースト全集18「書簡III」(共訳)

    筑摩書房  1996年

  • La correspondance de Proust

    1993年

  • プルースト全集17「書簡II」(共訳)

    筑摩書房  1993年

  • La correspondance de Proust

    PRESSES DE L'UNIVERSITE DE KYOTO  1989年10月

  • プルースト全集16「書簡(]G0001[)」(共訳)

    筑摩書房  1989年

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共同研究・競争的資金等の研究課題

  • 死後出版小説の問題点と編集の正当性-プルーストの場合

    科学研究費助成事業(早稲田大学)  科学研究費助成事業(基盤研究(C))

    研究期間:

    2010年
    -
    2012年
     

    徳田 陽彦

     概要を見る

    N・モーリヤックが発見し出版したプルーストの小説『失われた時を求めて』第六巻『消え去ったアルベルチーヌ』のタイプ原稿は、氏が主張するように「最終決定稿」ではなく、当初は雑誌「レーズーヴル。リーブル」用の抜粋であったということの傍証として、件のタイプ原稿では削除された、ヴェネチアで展開される「忘却」の掛替のない重要性を考察した。それをパリ第III 大学での講演と二篇の論文で表した。

  • プルーストにおける「忘却」の導入による作品の再構築-第六巻の位置

    科学研究費助成事業(早稲田大学)  科学研究費助成事業(基盤研究(C))

    研究期間:

    2006年
    -
    2007年
     

    徳田 陽彦

     概要を見る

    マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の第六巻『消え去ったアルベルチーヌ』にかんするタイプ原稿の新資料を、発見者N・モーリアックが「作者の手をへた最終稿」と主張したことにたいし、従来から疑問を呈し、雑誌『レ・ズーヴル・リーブル』のための抜粋として用意されたもの、もしくは死の一ケ月前の作者の精神的・肉体的異常な状態に鑑みて、「最終稿」とはいえないとするのが筆者の立場である。もしモーリアック説が正しければ、「無意志的記憶」と「忘却」のテーマが物語のなかで完結しなくなる。この考えに沿って、これらのテーマが第六巻にいたるまで、作者によりどれだけ周到に布石として準備されたかを主として第4巻の『ソドムとゴモラ』のなかの一場面(アルベルチーヌが主人公にヴァントゥイユ嬢の女友達との関係を告白する)を分析した。その結果、プルーストは清書原稿の段階で、亡き祖母にたいする罪悪感を吐露する言葉を加筆したことを知り、物語の前の部分の無意志的記憶の「心情の間歌」の場面がより密接に繋がり、第六巻の『消え去ったアルベルチーヌ』のなかでの話者の告白(<私>は祖母とアルベルチーヌを殺してしまった)にいたる意味が明らかになった。また作者の実人生のなかで、「忘却」のテーマをいつ発見したかと研究した。1905年の最愛の母親の死に際しては、一年たっても忘却という文字はほとんど書簡ではみられなかったのにたいし(まだ社交界のスノッブを脱しきれていないプルーストがいた)、1914年の愛人アゴスティネリの死からは、このテーマを発見した経緯を調べた。そこには第一巻の『スワン』を出版した、冷静におのれの内部を観察できた小説家プルーストが存在したのである。以上の点を二回にわたり学部の紀要に掲載した。

  • プルーストにおける「忘却」と「無意志記憶」の結合過程

    科学研究費助成事業(早稲田大学)  科学研究費助成事業(基盤研究(C))

    研究期間:

    2004年
    -
    2005年
     

    徳田 陽彦

     概要を見る

    今回はその研究実績の一部を仏語論文で3月発行の学部の紀要に掲載する。今回の対象は第四巻「ソドムとゴモラ」である。「心情の間歌」は『忘却」の対極にあるテーマである。バルベックの先年泊まった同じ部屋のなかで、主人公の<私>は、亡くなった祖母は日頃は忘却したままの存在であったが、突然、その存在の蘇りを無意志的記憶の作用で経験する。同時に祖母を愛していた「過去の私の自我」も蘇ってくる。<私>の祖母にたいする愛情の絆の異常なつよさをあらわす証左であろう。第六巻では、ヴェネチア滞在申の<私>は死んだはずの恋人アルベルチーヌから電報を受け取るが、自らの裡で彼女への無関心が完成し、また彼女を愛していた昔の自我も蘇生しない。アルベルチーヌは結局「忘却」の一般的な法則に従う存在でしかなかった。ここで「忘却』論を展開する直前に、話者は<私>とアルベルチーヌにおこる現象とはまさにまったく逆の現象が祖母との間に以前起こったと叙述する。「心情の間」が表象するこの部分だけが例外的に『失われた時に』において、時間と習慣の破壊作用から免れた稀有な場面である。「心情の間歇」の祖母はプルーストの母への思いが結晶化したものである。
    今回は母の死後のプルーストの反応を書簡(05年から08年まで)調べ、「私は母の人生を毒殺しました」という文を中心に、母への自己処罰の感情がどのようにして生起したかを、伝記事実のみならず、プルーストの意識下にあったであろう父親・弟へのアンビアレントな感情や、自身の性的嗜好と母との関係から調査し、一種の仮説を提出した。まだ1908年の「カルネ」やそれ以降の草稿帖での記述から、「心情の間歇」にかんして実際の母から祖母に変貌していった過程を探究した。

  • プルーストにおける「忘却」と「無意志的記憶」の生成と結合―第六巻の問題性

    科学研究費助成事業(早稲田大学)  科学研究費助成事業(基盤研究(C))

    研究期間:

    2001年
    -
    2002年
     

    徳田 陽彦

     概要を見る

    マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の第6巻『逃げ去る女』の主要テーマは忘却である。話者は、忘却の最後の三段階で忘却の一般法則を展開する。しかるに、N.モーリアックが近年発見した第六巻の新資料は("最終稿"とまで称して出版された)、これほどまで心的現象としての忘却を完成させたプルーストの意図を無視するかのように、忘却論が展開される「ヴェネチア滞在」の章が削除されている。筆者はかつて、このは新資料は雑誌『レ・ズーヴル・リーブル』に記載予定であった第6巻の抜粋であるという仮説を発表した。この仮説を裏付ける証左として、『失われた時を求めて』では、いかに忘却のテーマが必須であるかという事実を、今回は第2巻『花咲く乙女たちのかげに』について考察した。フランス国立図書館所蔵の「1914年のグラッセ棒組校正刷」と現行版を、話者とジルベルトの恋愛にかんして比較研究した。校正刷の第一部では忘却は存在しなかった。話者の関心がいつしか母親のスワン夫人にむかい、第二部ではジルベルトはたいして役割を担っていない。現行版第二部の冒頭で、話者はジルベルトへにたいする忘却がほぼ完成したと叙述する。この叙述の矛盾性・曖昧さを物語の論理の観点から分析して、作者プルーストの意図を考察した。その結果、第一部と同様に、話者とジルベルトとの恋愛は終焉を迎えていないことが判明した。しかしプルーストは、現行版では話者が彼女を慕う記述の箇所を削除せず、保持していた。この事実は物語の流れからいえば、一貫性を欠き、冒頭の叙述は一種の"マニフェスト"的意味しかもたない。現行版においてこの巻でアルベルチーヌを登場させる必要にせまられた、プルーストのいささか性急な物語上の矛盾した配慮が形になってあらわれたといえよう。以上の内容を学部の紀要2回に書いた。

  • 固有名詞調査に基づく『プル-スト書簡集』の総合的研究

    科学研究費助成事業(東京都立大学)  科学研究費助成事業(基盤研究(A))

    研究期間:

    1996年
    -
    1997年
     

    吉川 一義, 吉田 城, 徳田 陽彦, 斉木 真一, 牛場 暁夫, 石木 隆治

     概要を見る

    本研究は、『プル-スト書簡集』(La Correspondance de Marcel Proust,ed.Philip Kolb,Plon,1970-1993)全21巻の固有名詞調査に基づき、作家プル-ストの生涯と作品生成の過程を、当時の社会状況や文化的背景のなかに総合的に位置づけることを目的とした。そのため、平成8年度と9年度にわたり、(1)『書簡集』に現れる情報を、当時の社会・文化的背景のなかに正確に位置づけるために、作家が参照した当時の新聞・雑誌などの補助情報をあらたに収集して、調査した。
    (2)これと平行して、研究代表者・分担者・協力者約40名の共同作業として、『プル-スト書簡集』(約9,500ページ)に出てくる固有名詞の網羅的調査をした。出てきた固有名詞を人名・地名・作品名の3つに色分けしてマークし、さらに必要な補助情報を専門家の立場で書きくわえたうえで、コンピューターへの入力を依頼する。校正段階で必要な名寄せ作業をし、さらに、たとえば人名には旧姓・爵位・生没年・続柄・職業・肩書などの補助情報を補って、人名・地名・作品名の3種類からなる「『プル-スト書簡集』総合索引」を完成し、これを研究成果報告書として印刷した。この索引を使うと、プル-ストの生涯だけでなく、作家がどのような書物や新聞・雑誌を読み、政治や芸術についてどのような意見を抱いていたのかを、当時の社会状況や文化的背景のなかで調査することができる。プル-ストの生きた人生と時代について具体的な調査のできる貴重な基礎資料が、世界に先がけて完成したのである。
    (3)この索引を利用して『書簡集』に含まれる社会・文化的情報を分析する作業は、個別の論文として発表したものを除くと、いまだ緒についたばかりである。しかし、基礎資料である総合索引が完成し、個別研究はかなり進んだので、近い将来には総合的研究をとりまとめる体制をつくりたい。

  • 未完小説の物語上のテーマの行方―プルーストの忘却と第六巻の分析・編集考察

    科学研究費助成事業(早稲田大学)  科学研究費助成事業(基盤研究(C))

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特定課題制度(学内資金)

  • 『消え去ったアルベルチーヌ』綜合研究―プルーストの意図・作品の自立・編集思想

    2017年  

     概要を見る

    20世紀最大の傑作のひとつのであるマルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』の第6巻っ『消え去ったアルベルチーヌ』における最主要テーマである「忘却」をめぐって研究をおこなってきた。その目的の眼目は、ナタリー・モーリアックが「生前のプルーストの最終稿」として出版した『消え去ったアルベルチーヌ』は当初、作者プルーストが雑誌「レーズーヴル・リーブル」に宛てた「抜粋」であることを仮説を提示し、それを証明することであった。とりわけモーリアック版には、「ヴェネチア滞在」の章で、忘却の第3段階の記述も削除され、主人公の重要なヴェネチア滞在中の記述、「サンマルコ寺院」の洗礼堂での記述が削除されている点、続編に継承されない欠陥である。

  • 『消え去ったアルベルチーヌ』―作者プルーストの意図、作品の自立性、編集の思想

    2016年  

     概要を見る

    プルーストの『失われた時を求めて』の第6巻『消え去ったアルベルチーネ』(もしくは『逃げさる女』)が未完で、死後出版である情況から起因する問題にかんする研究である。ナタリー・モーリアックは1986年に発見された一連のタイプ原稿(原稿版の三分の一の長さ)を翌年、「作者の手による最終稿」(1922年11月18日に死亡したプルーストが、死の直前一ヶ月近く、衰弱した心身のまま修正・削除をおこなった)として出版した。件のタイプ原稿の出版直後、筆者はそれは雑誌「レ・ズーヴル・リーブル」に充てた第六巻抜粋であるとの仮説を発表した。この対立・論争は、さまざまな研究者がそれぞれの見解を展開したが、いまだ決着をみない。今回は氏のポッシュ版における仮説・見解を批判した。 

  • 未完小説の物語上のテーマの行方-プルーストの忘却と第6巻の分析・編集考察

    2015年  

     概要を見る

    プルーストの小説『失われた時を求めて』の第六巻『消え去ったアルベルチーヌ』は作者の死後出版された、未完成の物語である。題名も編者・訳者によって、『逃げ去った女』を採用する者もおり、一定していない。後世に残された資料としては、清書原稿、弟ロベールとNRF編集者が協力して出版した1925年の初版に利用されたタイプ原稿、1987年にナタリー・モーリアックが発見し出版された三分の一に縮約された(アルベルチーヌへの「忘却」のテーマとヴェネチア滞在が大幅に削除された)タイプ原稿である。筆者は第3番目のタイプ原稿は作者が当初ある雑誌用の抜粋として従来から主張している。

  • 未完小説の物語上のテーマの行方-プルーストの忘却と第六巻の分析・編集考察

    2014年  

     概要を見る

    プルーストの作品『失われた時を求めて』の第六巻『消え去ったアルベルチーヌ』は未完で作者の死後出版された。残されているのは、清書原稿と二篇のタイプ原稿である。後者のプルーストが死の直前に改変した原稿が、1986年プルースト・モーリアック家から発見され、翌年、作者の弟の孫であるナタリー・モーリアックが”作者の手によるによる最終稿”であると出版した。それは従来の版より、3分の1に縮約されたもので、筆者はいくつもの編集特徴から雑誌掲載用の抜粋であるとの仮説をたてた。結論はいまだにでていない。今回は、第六巻の完璧な版は存在し得ないという前提のもとで、1925年NRFの初版、1954年のプレイヤード版、1986年ジャン・ミイのGF版、1987年の件のモーリアック版、1989年の新プレイヤード版、1992年のジャン・ミイによる新たなGF版を比較検討し、論評をくわえた。

  • 死後出版小説の問題点と編集の正当性―プルーストの場合

    2010年  

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    科研費補助金申請をして、採用はされなかったものA評価をいただき、いずれはこの特定課題研究費に採用されるだろうと考えていた。しかし今年度は、科研費の評価公表時期がたいへん遅れ、したがって特定課題研究費の交付発表も遅れることになった。またその執行は8月以降となり、特定課題研究費を当てにして、9月中旬にフランスに渡航して研究しようと計画していて8月に旅行代理店に申し込んだところ、予定していた日付の便は満席であるとのことだった。結局、渡航は断念せざるを得なくなった。 しかし10月20日ごろ、科研費補助金に追加採用されたとの連絡があり、その内定通知以降は特定課題研究費の執行は中止して、科研費に移行するようにとの指示であった。10年ぐらい前にも同様な事態が起きたが、そのときは科研費内定通後も特定課題研究費の執行は続けられた。どのような理由で変更したのか、いつ変更されたのか、知らされないままであり、少少戸惑ってしまった。というのも、筆者は交付された特定課題研究費の10分の1も使用していなかったから、すでに筆者以上に使用していた者との扱いが不公平ではないかと感じたからである。ともあれ、科研費補助金交付は喜んでいる。 研究内容は、プル-ストの大部の小説『失われた時を求めて』のうち、死後出版である第6巻「消え去ったアルベルチーヌ(逃げ去った女)」の無意志的記憶、忘却、イタリア美術等をめぐる考察である。今回は、この巻で繰り広げられる「忘却」のテーマを扱ってりる。プルースト=(?)話者は、ヴェネチア滞在中、死んだ恋人アルベルチーヌへの忘却を完成した(第3段階)と語る。アルベルチーヌの死後(死は夏の間であった)、ほぼ6ヵ月後に(めずらしく時期は明示される)、話者は第1段階の忘却現象を認識する。しかし奇妙なことに、第2段階もこの時期に起こったエピソードに起因する。プルーストはもともと物語の時間にはまったく厳格ではなったが、”段階”と言明した以上、ある程度の時期的差異があるのがふつうである。そこが第2段階の忘却現象の曖昧さであろう。未完成小説であったことも原因のひとつであろう。そこで筆者が問題としているのは、各段階のクライテリアは何かということである。このことをいずれ学部の紀要にまとめたいと考えている。

  • 死後出版小説の問題点と編集の正当性―プルーストの場合

    2009年  

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    プルーストの『失われた時を求めて』の第6巻『消え去ったアルベルチーヌ』は死後出版であり、タイプ原稿がいくつか残っているだけである。生前に出版された第4巻の『ソドムとゴモラ』までは、作者は清書原稿を出版社に渡してからも、校正刷に何度も手を加えて、最後には当初の清書原稿が元の形をとどめないくらいの修正を行うのを常としていた。その意味では、現行版の『消え去ったアルベルチーヌ』は不完全な形のまま残され、代々さまざまな編者の解釈を施されて出版さて来た。これは今後も変わらない情況であろう。それが87年、ナタリー・モーリアックが新たにタイプ原稿(病床のプルーストが死の直前に改変)を発見し、それに「作者が最後に手を加えた最終決定版」という銘をうって出版した。しかしそれは、主要登場人物アルベルチーヌに関する話者の忘却のエピソードや「ヴェネチア滞在」の章におけるこの女性人物に関するすべてのエピソードを削除した短縮版である。筆者は、このタイプ原稿はモーリアックの「最終決定版」という仮説に反対しる、雑誌「レズーヴル・リーブル」用に作成された抜粋であるとの仮説を長年かかげてきた。今回もその研究の一環である。 実際の作業範囲は、第6巻『消え去ったアルベルチーヌ』(題名さえ、最終決定はなされていない。『逃げ去った女』を採用している版もある)の女主人公がパリの話者のアパルトマンから出奔し、トゥーレーヌで事故で死んで、数年たって話者の内部で忘却が始まるまでの部分である。驚くべきことに、プルーストは話者を通じて、彼女の死を予感・予告させ、さらには彼女への忘却をも予告させる記述に充ちている。いわばアルベルチーヌの死と忘却が物語の中ですでにプログラミングされた感のつよい叙述が終始この部分の通底していた。「ヴェネチア滞在」章における忘却の最終段階の要素も話者のコトバから散在している物語情況である。未完であると前提に立っても、これはプルーストの書き急ぎないしは要素を予め開陳するエクリテュールの方向性を意味するのであろうか。等々、論じた考察を原稿にして学部の紀要に発表する予定である。

  • プルーストにおける「忘却」と「無意思的記憶」の結合過程

    2003年  

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    マルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』の第6巻『消え去ったアルベルチーヌ』は、この小説の最終部分に結論が導き出されたテーマ「忘却」が中心的テーマである。それは、アルベルチーヌの死後以降、話者の忘却にまつわる内的経験を3段階にわけて展開された、きわめて構造化されたテーマといえよう。プルーストは、このテーマを執筆当初から構築したわけではない。作家が第1巻の『スワン家のほうへ』を1913年出版したあと、個人的な契機をへて発見したテーマである。筆者はそれは、秘書アゴスティネリの死後半年ばかりたった、14年10月に書いた作家の書簡から見出せると考えている。それ以前のプルーストの著作、草稿帖には、「忘却」という形容はあるものの、感触的なイメージのつよい一般的なものであった。第6巻にみられる「自我の死」はやはり14年秋にみずからの内部の動きを観察して発見した。プルーストはそれを19年に発表した第2巻『花咲く乙女たちのかげに』を、12年の構想とはまったく異なる形で物語のなかに導入した。したがってこの巻の物語は、一貫性を欠くようになってしまった。すなわち、12年の構想(具体的には14年6月のグラッセ校正刷に表現されている)では重要な役割を担っていなかったジルベルトが、主人公の恋人となり、やがて失恋して、唐突な形で、彼女にたいする「忘却」がはじまる。それは、アルベルチーヌ創造に伴い、旧構想のバルベック滞在をこの段階に移行したから起因する、いささか無理な物語の流れから、逆流するような形で忘却のテーマが導入されているといわねばなるまい。今回はこの第2巻の後半部分を中心に「忘却」のテーマを具体的な表現をつうじて検討し、「プルースト国際シンポジウウム」で発表し、またそれを学部の紀要にフランス語で発表した。

  • プルーストにおける「忘却」と「無意志的記憶」の生成過程

    2002年  

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    平成14年度の研究は、マルセル・プルーストの作品『失われた時を求めて』の第二巻『花咲く乙女たちのかげに』の第二部「土地の名:土地」を中心におこなった。第二部の冒頭で、話者はジルベルトへにたいする「無関心がほとんど完成した」が、「無関心は間歇的でしかなかった」と叙述している。この叙述の矛盾性・曖昧さを物語の論理の観点から分析して、作者プルーストの意図を考察した。さらに、フランス国立図書館所蔵の「1914年のグラッセ棒組校正刷」(アルベルチーヌはまだ創造されていなかった時期の印刷物)と現行版を、話者とジルベルトの恋愛にかんして比較研究した。その結果、第二部と同様に、話者とジルベルトとの恋愛は終焉を迎えていないことが判明した。第一部では、話者の関心がいつしか母親のスワン夫人にむかい、第二部ではジルベルトはたいして役割を担っていない。しかしプルーストは、現行版では話者が彼女を慕う記述の箇所を削除せず、保持していた。この事実は物語の流れからいえば、一貫性を欠く。それゆえに、冒頭の叙述は一種の“マニフェスト”的意味しかもたないのである。それは、バルベックでアルベルチーヌを登場させる必要にせまられた、プルーストのいささか性急な物語上の矛盾した配慮が形になってあらわれたといえよう。以上の内容を学部の紀要に書いた。

  • プルーストにおける「忘却」と「無意思的記憶』の生成と統合

    2001年  

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     マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の第6巻『逃げ去る女(消え去ったアルベルチーヌ)』の主要テーマは忘却である。そこでは、主人公のが死んだ恋人アルベルチーヌを忘却するに至った段階が記述されている。話者は、忘却の最後の三段階で忘却の一般法則を展開する。すなわち、かつて愛していた時のおのれの自我の死、愛する対象への完全なる無関心、もはや現在ではかつて愛した人を愛していない、死んだかつての愛の対象は蘇らない、というのがその内実である。無意志的記憶の恩寵による過去の蘇りは、最高度の忘却に達したとき、おこりえない。 しかるに、N.モーリアックが近年発見した第六巻の新資料は(“最終稿”とまで称して出版された)、これほどまで心的現象としての忘却を完成させたプルーストの意図を無視するかのように、忘却論が展開される「ヴェネチア滞在」の章が削除されている。筆者はかつて、このは新資料は雑誌「レ・ズーヴル・リーブル」に記載予定であった第6巻の抜粋であるという仮説を発表した。この仮説を裏付ける証左として、『失われた時を求めて』では、いかに忘却のテーマが重要であるかという事実を、今回は第1巻の『スワン家のほうに』と第2巻『花咲く乙女たちのかげに』について考察した。1913年に第1巻が出版されたとき、テーマとして忘却は存在していなかった。秘書アゴスティネリの死後、14年の秋、作家はその萌芽をおのれの経験を通じて発見し、それを15年までに現在みられるような形に創造して、12年のタイプ原稿当時のプランに無理に挿入したのである。だから結果は、物語の流れ・力学の見地からみれば、いくつか齟齬があり、必ずしも完成度はたかくない。以上の内容を紀要に発表する。

  • プルーストにおける“忘却”と自我の“蘇生”

    2000年  

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     マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の第六巻『逃げ去る女』は死後出版された。この巻において、主人公の〈私〉はヴェネチア滞在中に、忘却にかんする最終的な、一般的法則を発見するにいたった。アルベルチーヌの死後もなお、〈私〉は、生前の彼女の行動を調査させるなど、彼女への執着は捨てきれなかったが、時間は容赦なく、そうした主人公の意識をも変成させる。〈私〉の内部では確実にアルベルチーヌにたいする忘却が進行していたのである。主人公の認識は、忘却の第一段階、第二段階へとたっし、ついにはヴェネチア滞在中に、最終の第三段階にいたり、恋人への無関心は完成する。最終段階での忘却は、『失われた時』の無意志的記憶がひきおこす最高表現ともいえる「心情の間歇」の“ネガ”である。それは、主人公がかつて経験した、死んだ祖母が蘇る「心情の間歇」という心的現象の究極的否定でしかないからだ。筆者は前回、「忘却」と「無意志的記憶(とりわけ、心情の間歇現象)」が、プルーストにおいて、いつ、どのように生成され、発展してきたかという問題を、その初期作品『楽しみと日々』と『ジャン・サントゥイユ』を中心に研究した。 今回は、それ以後の草稿群と出版された作品、すなわち、『1908年のカルネ』と草稿帖、そして死後出版された『サント・ブーブに反対する』ならびに1913年に出版された『スワン家のほうへ』に焦点をあてた。無意志的記憶にかんしては、『失われた時を求めて』の物語上の骨格ともいうべき位置にほぼ匹敵する要素がすでに『サント・ブーブ』のなかで開陳されている。さらに、のちの「心情の間歇」で展開される、祖母の死とその蘇りというテーマが、プルーストの母についての記述という形でまずは語られ、のちに虚構上の祖母という形になって、メモ程度だが表現されていた。ただ問題は、そうしたメモ程度の表現から、「心情の間歇」にかんするさまざまな草稿へといたる過程が判然としなかったし、草稿の年代決定ができなかったことである。一方、もうひとつのテーマ「忘却」は、『スワン家』において、スワンのオデットたいする恋愛感情の推移の果てに、また〈私〉のジルベルトにたいする幼い恋愛の過程にその萌芽ともみられる要素は散見するが、のちに一般的法則にいたる心情のダイナミスムはまったく存在しない。第一巻では、忘却はテーマですらないともいえよう。第二巻以降の叙述との落差ははなはだしいものがある。その間、プルーストに何がおこったのか。無意志的記憶と忘却はどのようにして結合したのか。この問題を次回の課題とし、この研究を継続したい。 以上の内容を学部の紀要に発表した。

  • プルーストの「忘却」のテーマの生成と過程

    1999年  

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     マルセル・プルーストの死後出版された、『失われた時を求めて』の第六巻『逃げ去る女』において、主人公はヴェネチア滞在中に、忘却の一般的法則を発見するにいたった。アルベルチーヌが死んだあとも、〈私〉は、生前の彼女の行動を調査させるなど、彼女への執着はすてきれなかった。だが、時間は容赦なく、そうした主人公の意識をも変成させる。〈私〉の内部では確実にアルベルチーヌにたいする忘却が進行していた。主人公の認識は、忘却の第一段階、第二段階へとたっし、ついにはヴェネチア滞在中に、最終の第三段階にいたり、恋人への無関心は完成する。最終段階での忘却は、『失われた時』の無意志的記憶がひきおこす最高表現ともいえる「心情の間歇」の"ネガ"である。それは、主人公がかつて経験した、死んだ祖母が蘇る「心情の間歇」という心的現象の究極的否定でしかないからだ。そこで、筆者は今回、「忘却」と「無意志的記憶(とりわけ、心情の間歇現象)」が、プルーストにおいて、いつ、どのように生成され、発展してきたかという問題に関心を集中させた。 まずはプルーストの初期作品、とくに処女作『楽しみと日々』と生前に出版されなかった未完の小説(というか、正確にいえば、小説の断章集)『ジャン・サントゥイユ』において、「忘却」と「無意志的記憶」の二つのテーマの生成を考察した。その結果、「忘却」は前者の作品において、すでに章題にもなっていて、あきらかに青年プルーストは、感傷的なこの処女作のなかで情緒的なレヴェルでこのテーマをあつかっていた。忘却が意味する内実は無関心であった。それ以上のひろがりはない。『ジャン・サントゥイユ』は『失われた時を求めて』の多くのテーマが萌芽状態ですでに展開されている。「無意識的記憶」も、この小説断片集のなかで充分その位置を主張していたが、"唯一の作品"にみられるような、物語構造の主たる骨格を構成する要素とはなっておらず、たんなるエピソードでしかない。また二つのテーマが交錯する個所もわずかながらうかがえるが、作者は確固たる方法意識をもって表現しているわけではない。青年プルーストは忘却にかんして、ここでも、「無関心」以上の認識にはたっしていない。 以上の内容を学部の紀要に発表した。この研究はしばらく継続される。

  • プルーストの「忘却」のテーマと『逃げ去る女』の物語上の位置

    1998年  

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    マルセル・プルーストの『失われたときを求めて』第6巻「逃げ去る女」(「消え去ったアルベルチーヌ」)の主要主題である忘却は、プルーストがこの中間部の女主人公を第1巻を出版してから途中創造したあと進化・発展したものである。これには、作者プルーストの実人生がふかく関わっている。14年のアゴスティネリの事故死をへて、作者がおのれの内部でその恋人にたいする忘却が生まれたことを自覚したことからはじまった。この自覚が第6巻の忘却論へとやがて結実するのである。 では、アルベルチーヌ創造以前、すなわち、第1巻『スワン家のほうへ』までのプルーストの忘却認識はどうであったか。作品にどのように反映されていたか、これが今回の研究課題である。 処女作『楽しみと日々』、死後出版である未完成の小説『ジャン・サントゥユ』、『スワン』までのプルーストの認識は、きわめて単純であった。処女作から『スワン』まで、彼にとって、忘却とはかつて愛した対象に無関心になることにすぎなかった。登場人物も忘却を語っても、たいして拘泥はせず、ほかの心的現象と区別して探究するわけではなかった。このテーマをめぐって物語が展開されることはなかった。ごく一般的な心的現象にすぎなかったのである。アルベルチーヌにかかわって、かつての自我の死という命題はまだ存在しなかった。やはり、アゴスティネリの死という偶然を待たなければ、『失われた時を求めて』の忘却というテーマは深化のきっかけを見出さなかったであろう。 以上の内容を学部の紀要にフランス語で発表した。

  • プルーストの忘却段階論の形成過程

    1997年  

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     マルセル・プルーストは『失われた時を求めて』の第六巻『逃げ去った女(消え去ったアルベルチーヌ)』のなかで、主人公のアルベルチーヌにたいする愛の終焉を“忘却”というテーマで完成させた。彼女が乗馬事故で突然死んでから、話者は完全な忘却へといたる「私」の意識の進展を三段階に設定し、ヴェネチア滞在中に「私」のアルベルチーヌへの忘却は最終的に理論化される。忘却の到着点(第三段階)にみる根本的要素は、アルベルチーヌを「かつて愛した私の自我」が蘇らない、つまり、そうした自我の死である。その対極にあるのが、死んだ祖母が「私」のうちに出現する“心情の間歇”である。ここの復活劇は無意志的記憶の働きによるものであり、その結果、祖母を「かつて愛した私の自我」も蘇る。かつて愛した人の蘇りがおこらない状態(忘却)とかつて愛した人が蘇る状態(心情の間歇)、この二つの相反した心的現象は、「かつて愛した私の自我」が消滅するか出現するかによって、その相貌がきまってくる。それゆえ、プルーストの忘却論の本質は、心情の間歇のネガ(この語のフランス語における二重の意味、すなわち、「陰画」そして「否定」)であるとかんがえられる。 この忘却論の導入は、プルーストの愛人アゴスティネリの死以降であるが、はやくも約半年後、小説家プルーストはおのれのうちに彼にたいする忘却が進行していたことに気づき、それをアルベルチーヌにたいする忘却の叙述に利用する。また、忘却理論の創造が、12年の物語構想にあらたに組み入れられ、ジルベルトへの愛が異なった相のもとに変貌する。 以上の内容を学部の紀要に発表した。研究成果の発表98年3月 政経学部「教養論学研究」第104号「プルーストの忘却論―“心情の問題”のネガとして」

  • プルーストと忘却段階論の諸問題

    1996年  

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     マルセル・プルーストの小説「失われた時を求めて」の第六巻「消え去ったアルベルチーヌ」において、話者は死んだ愛人アルベルチーヌを忘れる心情の過程を三段階にわたって分析している。第一段階では、時間のなかの心理学の作用により、忘却が徐々に進行して、アルベチーヌの回想がもう残酷ではなくなり、話者は嫉妬から隔離される。第二段階では、彼女への愛情が消滅し、回想が断片的になる。彼女の生前の生活の実体を知りたいという欲望は衰えていないが、それを知った結果、ついにはそれが無益な真実であることを悟る。ヴェネチア滞在中に、話者は忘却の第三段階が完成していたことを認識する。アルベチーヌにたいして完全に無関心になり、彼女を愛していた昔の自我が蘇ってこない。彼女への愛が忘却の一般的法則に帰したことを知る。 プルーストはここで、小説の主人公の忘却という心情の成立と変遷過程を段階にわけて分析・展開させているが、あらゆる過程で、それが人間の心情の一般的法則までに高めて叙述している。「成立」に関しては物語上の真実に達しているといえようが、「過程」に関しては、これから研究しなければならない課題である。 このように、「忘却の三段階論」は物語表現の見地からすれば、完成度の高いものである。したがって、アルベルチーヌに関するこの忘却の部分がすっかり削除されたモーリアック版の「消え去ったアルベルチーヌ」(プルーストが死の直前に仕上げようとした)は、編者が主張するような”決定稿”ではありえない。プルーストはここで忘却と無意志的記憶のテーマを意図的に削除したのである。その意図の真意を考察し、モーリアック版の余白に書き込んであったプルーストの指示を分析したり書簡等に依拠して、結局、この版は雑誌「レズーヴル・リーブル」用に作製した抜粋であるという筆者の仮説をあらためて確認した。以上の内容の論文をフランス語で書き紀要に発表した。

  • プルーストとアルベルチーヌ創造の諸問題

    1995年  

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    1987年にN・モーリヤックが出版した未発表タイプ原稿『消え去ったアルベルチーヌ』は,著者が主張するような,プルーストが死の直前に書き直した“最終稿”ではなく,雑誌「レズーヴル・リーブル」に掲載するための抜粋であるという仮説を,つぎの観点から検討した。1. タイプ原稿における削除の方法には一定の方向がある。すなわち,『失われた時を求めて』の主要データ「無意識的記憶」と「忘却」の削除である。これは,抜粋に再度反対するガソマールに配慮した結果といえよう。2. できるかぎり多くの読者に作品を読んでもらいたいと願う作家プルーストにとっての抜粋の意味。注文に逐一応じるプルーストを書簡を通じて捉え,抜粋の内容・形式が自在であった事実に論及した。この自在さこそが,抜粋とみなされるタイプ原稿のなかで女主人公の死んだ場所を容易に変更した要因であったと考えられる。3. 現行版とタイプ原稿の文体比較。タイプ原稿は,話者の感情表現を省略したジャーナリスティックな要約型の文体で,抜粋にふさわしいものであった。 その他,「レズーヴル・リーブル」説に異を唱えるミイ教授の論考に反論するとともに,死後出版の現行版にみられる無意志的記憶のテーマとしての未完成さに言及した。 以上のことを論文にして公表し,研究会でも口頭発表をおこなった。

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