佐々木 雅発 (ササキ マサノブ)

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所属

文学学術院

職名

名誉教授

所属学協会 【 表示 / 非表示

  •  
     
     

    早稲田大学国文学会

  •  
     
     

    日本近代文学会

  •  
     
     

    全国国語国文学会

 

研究分野 【 表示 / 非表示

  • 文学一般

  • 中国文学

  • 日本文学

研究キーワード 【 表示 / 非表示

  • 国文学

書籍等出版物 【 表示 / 非表示

  • 『独歩と漱石―汎神論の地平―』

    翰林書房  2005年

  • 『芥川龍之介 文学空間』

    翰林書房  2003年

  • 『画文集 パリ土産』

    里山房  2002年

  • エトランゼエ

    『肉筆原稿で読む島崎藤村』島崎藤村コレクション;第4巻 伊東一夫,青木正美 編(国書刊行会)  1998年

  • 「文づかひ」―イイダの意地―

    『鴎外の作品』講座森鴎外;第2巻 平川祐弘,平岡敏夫,竹盛天雄編(新曜社)  1997年

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Misc 【 表示 / 非表示

  • 島崎藤村『新生』の旅―遠い旅から抱いて来た心

    国文学解釈と教材の研究   50(1) ( (通号 719) ) 96 - 100  2005年

  • 梶井基次郎ノート(その2)―『路上』『過古』―

    繍   ( 17 ) 154 - 159  2005年

  • 梶井基次郎ノート(その1)―『ある心の風景』―

    繍   ( 16 ) 228 - 234  2004年

  • 田中、堀切、都倉三先生を送る

    わせだ国文ニュース(早稲田大学国文学会)   ( 80 )  2004年

  • 「忘れえぬ人々」-〈天地悠々の感、人間存在の不思議の念〉-

    繍   ( 15 )  2003年

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Works(作品等) 【 表示 / 非表示

  • 「『少年』(芥川龍之介)について」(ドイツ・トリア大学 2002年1月16日)

    2002年
    -
     

  • 「正宗白鳥パリ滞在時の調査-主に『髑髏と酒場』について-」(2001年11月16日前後)

    2001年
    -
     

  • 「島崎藤村とパリ」(フランス日本人会 2001年11月24日)

    2001年
    -
     

  • 「リモージュにおける島崎藤村滞在のその後について」(2001年12月14日~15日)

    2001年
    -
     

共同研究・競争的資金等の研究課題 【 表示 / 非表示

  • -

特定課題研究 【 表示 / 非表示

  • 芥川龍之介作品研究

    2000年  

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     計画書では切支丹物から「おぎん」、自伝的作品から「少年」を主に取りあげる旨記したが、今回は「少年」論のみ完成しえた。ただし、そこでは自伝的作品の性格の中心として、「想起」とか「過去」という問題を考察する旨記したが、その点は十分の成果をあげられたと信じている。すなわち「想い出す」というのはその時の「知覚」がよみがえるというのではなく、「想起する」、つまり「言葉」によって、構成することであり、つまりは今現在の「言葉の制作」「物語化」であるという観点から、芥川の自伝的作品の中心である「少年」を論じたものである。これは今後、「大導寺信輔の半生」や「歯車」などの作品の分析にも応用してゆくつもりである。また以上のことは計画書にも記したように『大森荘蔵著作集』全十巻(岩波書店)の繙読を通して得られたものであることを注記しなければならない。「言葉」ということについて、言語学者のどのような理論よりも感銘をうけた。なおこの観点から、直接芥川には関係しないが、正宗白鳥「何処へ」や、国木田独歩「武蔵野」についての考察を行った。ことに国木田独歩は芥川が深く敬愛した作家で、その作品の中に(「少年」もそうだが)、独歩の思考なり語彙が散見され、参考となったことを付け加えておく。

  • 田山花袋文芸理論の研究

    1999年  

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     研究課題を「田山花袋文芸理論の研究」としたが、今回直接的に二論文、間接的に二論文を制作した。まず「『野の花』論争―〈大自然の主観〉をめぐって―」では、花袋と正宗白鳥の「野の花」の序文をめぐる論争の分析からはじめ、その中で花袋の用いた〈大自然の主観〉という用語が、いわゆる近代認識論上の〈主観〉〈客観〉に対応する用語というよりも、花袋少年期における吉田陋軒の休々草堂における儒学の修養や、青年期における松浦辰男の歌塾における桂園派歌論の学習等、儒教あるいは近世文芸理論、よりさかのぼれば、伊藤仁齋の思想や、それをうけた香川景樹の歌論における、いわゆる〈天地一体〉の思想に由来することを論究。またこのことは決して花袋一個の問題ではなく、まさに明治中期、二十年代から三十年代を代表する井上哲次郎や大西祝の思想性と重なるので、そのことを井上の「認識と実在との関係」、大西の「香川景樹の歌論」の読解を通して究明した。次に「花袋とモーパッサン、その他―明治三十四、五年―」では、まず花袋のいわゆるモーパッサン体験なるものを取り上げ、それを当時の「太平洋」(「西花余香」欄)を中心に、「新声」「太陽」「新潮」「中央公論」誌上等の十九世紀ヨーロッパ文学紹介の諸論に徴しつつ、しかしその間花袋が、結局は自らの血肉としていた〈大自然の主観〉概念の闡明に従っていたと論及し、その結論を花袋の自然主義への出発を画した「重右衛門の最後」の分析につなげた。また夏目漱石に関し、「『草枕』の評釈」と「『門』評釈―五・六章をめぐって―」の二論文を執筆したが、いうまでもなく花袋と漱石の文芸理論の対立(実際論争もあり、ばかりか両者の発言はつねにお互いを意識している所がある)は、決してないがしろに出来る問題ではなく、またこの二作品は漱石と自然主義との関係が、必ずしも截然と分けられるものではないことを示していて興味深く、今回はその一端を考察した次第である。

  • 森鴎外の作品研究

    1998年  

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     研究の目的として、森鴎外についてまだ論じていない時期の作品を選んで、テーマを設定して論ずるつもりであったが、初期のドイツ留学と日本人の主体性という問題は「文づかひ」論(「文づかひ―イイダの意地―」『講座森鴎外・第二巻・鴎外の作品』新曜社)にまとめたものの、中期の風俗誌的地誌的研究をからめた「雁」論は、いまだ未完である。ただし、それらの関係書目を蒐集し、時期や主題がきわめて近接した作品である夏目漱石「門」について「『門』評釈―一,二,三章をめぐって―」(「将●」10号)、「『門』評釈―四章をめぐって―」(「将●」11号)等を発表した。また晩年の歴史小説から史伝への文学理論上の問題は、夏目漱石や自然主義等、当時の文学者が自らの課題としてあげて追究したものであり、その全体への研究の一環として、漱石では「草枕」とその周辺の文学理論について執筆中であり、自然主義については白鳥の文学理論の変遷を「『五月幟』の系譜―白鳥の主軸―」(「文学研究科紀要」第44輯)、独歩のそれを「『窮死』前後―最後の独歩―」(「国文学研究」128集にまとめた。これらを総合して、鴎外の史伝の文学理論的、方法的特質について、論究するつもりである。

  • 芥川龍之介作品研究

    1996年  

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     すでに「『一塊の土』評釈-<人間の掟と神々の掟>」(「比較文学年誌」第32号、平成8年3月)を発表し、現在「『秋』前後-時の流れ」(「比較文学年誌」第34号、平成10年3月予定)を執筆中、また「『南京の基督』断章」を準備中である。 芥川龍之介の「羅生門」が下人の行動への決断の瞬間を捉らえ、その時間推移を密画的に描こうとしたことはすでに定説となっている。そしてそれは<失恋>によって人生の無根拠を知り、しかしそれを越えて生きてゆかんとする彼の、人生の<意味>奪回の見取図であったといえよう。 その結果彼は<刹那の感動>において人生を領略する芸術家の創造行為を描き(たとえば「戯作三昧」「地獄変」)、いわゆる芸術至上主義の神話をつむぎ続けるのである。 しかし人はその<瞬間>に立つことは出来ても、それを言葉で描くことが出来ようか。そしてこの問題に芥川はようやく気づきはじめる。 おそらく「秋」はこの曖昧模糊とした問題をはじめて正面にすえた野心作といえよう。彼がこの作品執筆によって、<実際僕は一つの難関を透過したよこれからは悟後の修業だ>と感じたことは有名なことである。このことを作品の詳細な分析を通じ、追究してゆく予定である。 なおこの問題は、拙論「『羅生門』縁起-言葉の時」(早稲田大学大学院「文学研究科紀要」第30輯、昭和60年3月)、「『地獄変』幻想-芸術の欺満」(上下)(「文学」昭和58年5~8月)の延長線上に設定されるものである。

  • 正宗白鳥研究

    1995年  

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    正宗白鳥が夏目漱石の『虞美人草』を「『八犬伝』,『小説神髄』以前」と評したのは有名であるが,そればかりでなく白鳥は終始漱石を厳しく批判しつづけた。日本近代の作家数十名を扱った『文壇人物評論』の中で,批判の対象となったのはわずか三人,夏目漱石,泉鏡花,志賀直哉である。しかも漱石への批判は文学観,人生観における両者の本質的な対立を浮き彫りにしている。たとえば長塚節『土』をめぐって漱石は,そこに描かれた農民達を「下卑で浅薄で,迷信が強くて,無邪気で,狡猾で,無欲で,強欲で」と評し,その「蛆同様」,「獣類に近き」生活を知ることは「公等の是から先の人生観の上に,又公等の行動の上に,何かの「参考」として利益を与へはしないか」と言っている(「『土』に就いて」)。勿論そこには「蛆同様」,「獣類に近き」農民達の生活を「参考」にしつつ,それを越えたまさに人間的な生活を意志しようとする漱石の理想主義が語られているのだ。が一方白鳥は「私は戦国時代にも人間はそれぞれに瞬間の楽しみを楽しんでゐた如く,いくら貧苦に虚げられてゐる農民だってそれ相当に生を楽しんでゐるに違ひないと思つてる」とし,「十数年の努力でやうやく光明に向ひかけた勘次の家が子供の火遊びから雑作なく焼けてしまつたところまで読むと,勘次の顔を見るに忍びない気持ちがした」と言っている(「『土』と『荷風集』」)。さりげない口調だが,ここにはそのようにハラハラと一喜一憂するしか小説の読み方はなく,またハラハラと一喜一憂する以外人生を耐える耐え方もないという白鳥の現実主義が語られているのである。白鳥の批判にはつねにこの強固な,しかし柔軟な人生への視線がうかがえるのである。・・・今回その白鳥の批判を通し,芥川龍之介,森鴎外,島崎藤村等の作品を再検討する作業を進めたが,いまだ道なかばである。いずれ集大成しつつ,白鳥の批評の全円を描き出したい。

海外研究活動 【 表示 / 非表示

  • 島崎藤村のフランス滞在時の研究

    2001年03月
    -
    2002年01月

    フランス   パリ第七大学

 

委員歴 【 表示 / 非表示

  •  
     
     

    早稲田大学国文学会  理事、評議員等歴任

  •  
     
     

    日本近代文学会  評議員等歴任