Internal Special Research Projects
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2002
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近年,「植民地と文化」というテーマで,日本占領下の上海および「満洲国」における中国文学の研究を行ってきた.2001年度は,汪兆銘政権下の上海において,日本の著名な女性作家佐藤俊子と中国の女性詩人関露により創刊された女性月刊誌『女聲』についての研究成果,「日本占領下の上海文学――華文女性月刊誌『女聲』をめぐって」を公刊した(宇野重昭編『深まる侵略,屈折する抵抗』所収,研文出版,2001年).その後,その『女聲』に前史と後史があることを知り,2002年度は三つの異なる時期にわたる同名の雑誌の関係を,上海や北京の図書館に収蔵されている資料および関係者からの聞き取りなどを通じて明らかにした.その成果は,2002年9月に北京で開催された国際シンポジウム「戦後五十年における中日文化関係の回顧」で報告,近く公刊される同シンポジウムの論文集に収録される予定である.ほぼ同時進行で,同じく日本の支配下にあった「満洲国」の中国文学にも研究を広げ,2002年度には下記のような成果を発表した.これらは,近日中に単著にまとめて公刊する予定である.
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2000
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1942年5月、日本占領下の上海において、日本の著名な女流作家田村俊子によって創刊された華文女性月刊誌『女聲』は副編集長として実際の編集を担った中国の女性詩人関露が実は中国共産党の地下党員であったため、日本占領下の複雑な状況の中で大きな役割を果たすことになる。かつて私は、戦時中、東京で開かれた「第二回大東亜文学者大会」に『女聲』の代表として出席した関露が、いかにみごとに韜晦し、この大会を戯画化してみせたか、その孤独な戦いと、「漢奸」を装わなければならぬ一人の人間としての苦悩を、「夜に鳴く鳥―大東亜文学者大会と一人の中国人女性作家」と題する論文で明らかにした(早大法学部『人文論集』1998年3月)。この論文が上海の『文匯読書週報』および『新民晩報』などに紹介され、それを通じて『女聲』の書き手4人と連絡を取ることができた。 その後、上海においてこれら4人の寄稿者にインタヴューを行ない、関連資料を蒐集していく過程で、①田村俊子の創刊した『女聲』が、実は1932年10月―「満州事変」の翌年―やはり上海で王伊蔚・劉王立明によって創刊された同名の女性半月刊誌の名を盗用したものであったこと、②誌名だけでなく、誌名の書体・版型・全体の割付にいたるまで、第一の『女聲』にそっくりであったこと、そして、③日本の敗戦に伴い俊子の『女聲』が廃刊になると、2ヶ月後には、第一の『女聲』が創刊時の編集長王伊蔚の手で復刊され、国共内戦下の錯綜した状況のもと、1948年まで出版されていたことなどが判明した。 そこで、そうした経過を追跡しつつ、俊子と関露の『女聲』を精読することにより、第二の『女聲』が、巧みに韜晦しながらも、実は、「女性の自立と解放」を「民族の独立と解放」に結びつけた第一の『女聲』の志を継いでいる点を明らかにした。 以上の成果は近く研文出版より公刊の予定である。なお、『女聲』が当時の読者にどう読まれたかについても、現在調査中である。