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Updated on 2024/11/02
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物語論
記号学
仏語・仏文学
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〈現実〉の記号学的考察
2000
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生物にとって現実とは記号である、あるいは記号しか現実ではない、と言えば、何と味気ないものの見方であろうかといった反発を招くことは必至である。しかしそれは誤った記号観に基づく。平板、冷ややか、非人間的・・・という考えは記号のごく限られた例からの悪しき一般化である。そこでは殆どすべての記号が考慮されていないのだが、それは記号とはしばしば我々自身であって、いわば付随意筋や神経の働きのように意識しがたい、思考しえぬものだからである(ついでに言えばこの生体作用も記号活動)。だから今日における記号論の第一の任務は日常生活に埋れている記号を一つ一つ掘りおこしてその不可視の構造を浮かびあがらせることである。昨年は主に二つのレベルでそれを試みた。一つはあらゆる生物に共通する生体的な記号活動(第一次記号系)であるが、それをDNAによる蛋白質の合成、免疫、あるいは視覚の光受容における化学変化による情報(むしろ指令)伝達などを通して検討した。我々は眼ではなく大脳でものを見るのだが、しかし一定の年齢で脳が視覚コードをまだ習得していないとそれはほぼ不可能になる。そのことを先天旨開眼者の視覚世界の最近の研究を参考にしてある程度明らかにできたように思われる。それは、いくら耳が聞えても未知の言語が理解できないのに等しい。一般に我々の感覚とは記号を捕えているからである。そのことは絵画の実践を通しても確かめられる。人は眼に見えるがままの人や自然ではなく、概念を、意味を、つまりは記号を描く。鑑賞者の理解がえられるのもまさにそのためである。この図形表象の記号性は、視覚的認知を可能にしていた記号の延長上にある。つまり我々の眼に見えるがままの現実というのが、実はすでに意味であり概念(分節)なのだ。 もう一つのレベルは人間にほぼ特異的な人工的記号(第二次記号系)、言語、象徴、風俗、習慣、法などの社会制度である。ある種のディスクールのコードとしての〈物語〉を引き続き検討したが、古代の供儀を通して新しい展望を持つことができたように思われる。