2022/12/09 更新

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カワサキ トオル
川崎 浹
所属
教育・総合科学学術院
職名
名誉教授
 

学内研究費(特定課題)

  • ドストエフスキイの作品におけるゴシックの構造

    2000年  

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     課題としてのゴシック研究を大きく前進させることができた。その第一はゴシック研究に表現される崇高の概念と、ゴシック小説で語られる恐怖の概念が、どの時代にどんな様式で、いかなる人物を通して樹立され、また、さらに二つの要素がどのように融合されたかという点である。「融合」の結晶作用を解明できたことが今期最大の成果だった。 第二は二つの概念をドストエフスキイの創作に適用することで、ドストエフスキイの創造過程における未開拓の研究分野に光を当て得たことである。(一例、『虐げられた人々』の占める位置:主人公たちの精神構造:文体:様式など。) 具体的には、雑誌「図書」(岩波書店)に掲載された拙文「ゴシック宇宙とドストエフスキイ」で展開されている。研究の骨子を雑誌「文学」に載せ、2001年4月までにさらに1冊の本として上梓する予定だった。 ところが2000年度は遠隔テレビ講義「ヨーロッパ文学」担当のため、準備と講義録ホームページ作成に時間を費し、余裕が無くなったので、代わりに、平行して進めた研究成果を講義とホームページに盛り込んだ。講義録の内、VOL. 3「ゴシック建築の精神」、VOL 4「リバイバルゴシック」、或いはドストエフスキイ、またその他(「20世紀を代表する彫刻家ジャコメッティ」)で、成果を活用することができた。サイトはhttp://faculty.web.waseda.ac.jp/kawasaki/index.htm早稲田大学教員ホームページ、人文系。 特定課題研究の「ゴシック宇宙とドストエフスキイ」は続けて考察を行ない、近い将来に出版する予定である。

  • ロシアにおける文明化の過程-ロシアの中の<東>とはなにか-

    1999年  

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     西欧圏とアジアの中間にあるロシアの文明化という文脈の中で、ひとまずロシアが西欧の文化をどう消化し、自己独自のものにしてきたかを考察し、焦点をフランスの CONTEと呼ばれる文学ジャンルの一つに絞った。18世紀半ばにロシアの貴族社会はCONTEを輸入して後、これを自分たちの笑いの環境と伝統の中でロシア独自のジャンルとして、呼称も内容も形式も異なるанекдот(アネクドート)を創出した。 18世紀末から19世紀初めにかけてアネクドートは、「ニュース性」をもち、「思いがけない」「短い物語」で 、歴史上の逸話や著名人の人物像を取りあげた。しかも倫理的な傾向すらあった。18世紀前半宮廷に仕える道化(шут)はポルトガルやイタリアから連れてこられたが、やがてロシア人の有名な道化たちが登場し、自前のアネクドートを披露するようになる。アネクドート創作者の国籍にしろ、アネクドートに登場する人物たちの言動にしろ、そこにはロシア独自の文明、西欧とは異なるロシアの中のオリエント的要素の表出が見られる。 以上の研究を基点として、今年は「文明化過程におけるロシア」からさらに進んで「文明的視点から見たロシア」への考察に移りたい。具体的な文献の列挙や考察の展望については、ここで触れる余裕がないが、研究の一歩を刻むことができたと確信している。

  • 地政学的に東西にまたがるロシアについての文明論。「ユーラシア主義」思想と平行して、文学、思想一般における「東洋」的特質についての研究。

    1998年  

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     「文明化過程におけるロシア」というのが私の最終課題である。これはатлантизм「大西洋主義」とевразийство「ユーラシア主義」の中間点あるものとして、ロシア本国でも考えられている。「大西洋主義」はヨーロッパ諸国との一体化という発想に基づき、「ユーラシア主義」はロシア民族文化が西欧文化に取って代わるという発想に基づいている。 私はこうした文脈の中で、ひとまずロシアが西欧の文化をどう消化し、自己独自のものにしてきたかを考察し、焦点をフランスのCONTEと呼ばれる文学ジャンルの一つに絞った。18世紀半ばにロシアの貴族社会はCONTEを輸入して後、これを自分たちの笑いの環境と伝統の中でロシア独自のジャンルとして、呼称も内容も形式も異なるанекдот(アネクドート)を創出した。 18世紀末から19世紀初めにかけて貴族たちの間で盛んだったアネクドートは、「ニュース性」をもち、「ありそうにないが実際にあった」「思いがけない」「短い物語」で、歴史上の逸話や著名人の人物像が取りあげられた。しかも倫理的な傾向すらあった。特徴的なのは、アネクドートの形式が洗練され、プアントというとどめ(日本語でいうオチ)の効果が鋭くなったことである。 18世紀前半宮廷に仕える道化(シュート)(шут)はポルトガルやイタリアから連れてこられた人びとで、アネクドート的言動によって人びとを楽しませたが、やがてロシア人の有名な道化たちが登場し、自前のアネクドートを披露するようになる。 アネクドート創作者の国籍にしろ、アネクドートに登場する人物たちの言動にしろ、そこにはロシア独自の文明、西欧とは異なるロシアの中のオリエント的要素の表出が見られる。

  • 「亡命ロシア」の現在

    1996年  

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     今年(1997)下半期に研究成果をまとめて1冊の本にする予定である。表題は『ロシア人の「自由」-海外ロシア人を通して-』 本書は全5章から成り、第1章の反体制活動家ブロフスキイについては、6、70年代の国内での活動と、78年に国外に出てからの動きを早稲田大学教育学部研究(1996、3)にまとめた。第2章は「コンチネント」誌編集長、作家マクシーモフの亡命と国外での活動について触れ、97年3月の比較法史学会で報告、早稲田大学大学院文学部紀要(97、3)に掲載した。さらにマクシーモフと亡命作家・パリ大学教授シニャフスキイとの確執に光を当てることで、亡命ロシア知識人と旧ソ連体制との複雑な関係を探り、この成果の一部を教育学部学術研究(97、3)に掲載した。第3章では作家エドアルド・リモーノフの在米中の問題小説『ぼく、エージチカだ』と、92年帰国してからのポスト・ベレストロイカのロシアでの政治的、社会的活動について、枚数を縮小して「同時代」誌(96、11)に発表した。第4章ではソルジェニーツィンの対西欧観と帰国、作家アクショーノフにおける前衛と伝統の係わりを扱う。第5章ではアレクサンドル・ゲニスの『失楽園』を中心に米国滞在の亡命ロシア人の全体像、ならびに新世代を代表するゲニスのロシア観に触れる。国内の政治事情で国外に出ざるをえなかったロシア知識人たちが、ペレストロイカの到来とともにどのような言動を取るに至ったかに触れ、本国の動乱に対する彼らの反応を跡づけることで、同時に本国ロシアでの事件を逆照射したい。またロシア人にとっての「自由」が西側世界の自由とは異なるものであることを証明したい。

  • (1)ロシアの中の「東洋」タタールスタンの歴史と現状(2)ぺレストロイカ以後の「亡命ロシア」現象

    1995年  

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    私は『ソ連の地下文学』(朝日選書・朝日新聞社 1975年刊)で,ソ連における反対制派の動きを紹介し,革命前のロシア思想と20年代の前衛芸術運動に関連づけながら,その拠ってくる原点をも同時に指摘した。 ソ連の反対制派(のちに異端派と呼ばれる)は70年代半ば欧米に追放されたり,亡命を余儀なくされたりして,ソルジェーニーツィンを初めとする著名な文学者たちが海外に移住し,そこで第三次亡命といわれる活発な文化活動を行った。 さらに周知のぺレストロイカがソ連に起こると,彼らはそれぞれに社会活動を起こし,ソ連或いはソ連崩壊後のロシアの政情にコミットした。彼らの言動を追跡調査し,それを通して彼らの変身と,同時にゴルバチョフやエリツィン,ジリノフスキイが登場するロシア本国の「動乱の時代」を浮かび上がらせることが私のライフワークの目的である。 私は1995年4月米国に渡り,作家アクショーノフや評論家ゲニスら多くの亡命ロシア人と会ってインタビューを行い,資料を集めた。私の研究課題の第一章「ブコフスキイの場合」のために,ケンブリジのブコフスキイに書簡インタビューを行い,また代理人にブコフスキイを訪問させるなどして貴重な証言と新事実を得た。 著作の内容と主題はほぼ次の五章に区分される。一章:ウラジミル・ブコフスキイのラーゲリ生活の回想を基礎に書かれた『風はまき返す』を紹介しながら,60~70年代の反体制活動についてふれ,1981年米国大統領カーターと会見した歴史的事実の意味,また1991年3月ブコフスキイが14年ぶりにモスクワに帰国した時の本国での反応にふれる。二章:ニューヨークを舞台にホモセクスを扱ってセンセーションをまきおこしたエドアルド・リモーノフの小説『ぼくエージチカだよ』を紹介し,さらに彼がロシアに戻って右翼のスキャンダラスな政治家ジリノフスキイと組み,1年後に訣別する過程をその著『ジリノフスキイとの訣別』を通して跡づける。彼のエキセントリクな個性と鮮やかなパフォーマンスに注目した。三章:ウラジミル・マクシーモフとアンドレイ・シニャフスキイの角逐と和解の動きを軸にこの章を展開する。マクシーモフは94年に「コンチネント」誌を創設し,海外の亡命者たちにひろく執筆活動の場を提供した。20年に及ぶその役割を跡づける。他方アンドレイ・シニャフスキイも「方舟」という小雑誌を20年にわたって出し続けている。亡命後,マクシーモフは宗教的民族主義の立場に傾き,1993年エリツィンが最高会議と対立して議事堂を戦車で砲撃させたとき,マクシーモフとシニャフスキイはとつぜん共同で「反エリツィン声明」を出し,物議をかもした。それまでマクシーモフはシニャフスキイをKGBのスパイ呼ばわりしていたからである。そのいきさつを「コンチネント」誌の記事とシニャフスキイの評判の小説『お休み』の紹介を通して解明したい。 ぺレストロイカの到来で「コンチネント」誌の編集部はパリからモスクワへ移り,編集長はマクシーモフから従来モスクワに住んでいた評論家ヴィノグラドフに交替した。マクシーモフは1995年春没。四章:ユダヤ系ロシア人にとって亡命とは何であり,また何であったのか。現在,アメリカとロシアの両方を股にかけて最も活躍している評論家アレクサンドル・ゲニスの『失われた楽園』その他の文献を通して米国の亡命ロシア人の実態に迫る。五章:アクショーノフの世界的に有名な小説『火傷』,『クリミア島』の紹介,過去の亡命ロシア会議とそこでの彼の発言などをとりあげる。さらにソルジェニーツィンのハーバド大学での講演を振り返り,レーニンを扱った『赤い車輪』やぺレストロイカのためにロシア人に呼びかけた『わがロシア』に言及し,1995年における彼のロシアへの帰国の旅を跡づける。昨年亡くなったノーベル文学賞授賞者,詩人のブロツキイは政治的社会的にはロシア本国に一切コミットしなかったが,彼の創作活動にも少し触れたい。 以上で主題のほぼ半ばを執筆し終わったので,1996年中に残りの半ばを執筆し終わることにしている。