2024/10/03 更新

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オカウチ ミツザネ
岡内 三眞
所属
文学学術院
職名
名誉教授
学位
文学修士 ( 京都大学 )

経歴

  •  
     
     

    早稲田大学 文学学術院   教授

  •  
     
     

    早稲田大学文学学術院教授

  •  
     
     

    早稲田大学文学部教授

  •  
     
     

    徳島大学総合科学部教授

  •  
     
     

    徳島大学総合科学部助教授

  •  
     
     

    京都大学文学部助手

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学歴

  •  
    -
    1975年

    京都大学   文学研究科   考古学  

  •  
    -
    1969年

    早稲田大学   文学部   東洋史  

委員歴

  • 2008年
    -
     

    日本考古学協会  歴史教科書等検討委員会・委員長

  • 2001年
    -
     

    中国文明学会  幹事

  • 1986年
    -
     

    東京考古学会  評議員

所属学協会

  •  
     
     

    日本考古学協会

  •  
     
     

    東京考古学会

  •  
     
     

    中国文明学会

研究分野

  • 考古学

研究キーワード

  • 生態考古学

  • 実験考古学

  • シルクロード考古学

  • 東アジア考古学

  • east asian archaeology

 

書籍等出版物

  • シルクロードの考古学

    トランスアート出版  2008年

  • 中国シルクロードの変遷

    雄山閣  2007年

  • 社会考古学の試み

    同成社  2006年

  • 生態考古学でみる歴史の復原

    トランスアート出版  2004年

  • 考古学でみる歴史の復原

    トランスアート出版  2003年

共同研究・競争的資金等の研究課題

  • 東アジア考古学、シルクロードの考古学、実験考古学、生態考古学

    補助金

    研究期間:

    1992年
    -
    2013年
     

     概要を見る

    東アジア考古学を専攻し、シルクロードや中国、韓国、日本の歴史を生態考古学、実験考古学などで解明している。

  • サムソンシルクロード文化財保護

    受託研究

    研究期間:

    2006年
    -
     
     

Misc

  • 朝鮮と倭の銅戈

    岡内三眞

    王権と武器と信仰    2008年

  • カンボジア水稲文化調査行

    岡内三眞

    早稲田大学大学院文学研究科紀要   52  2007年

  • トルファン五銖銭と中原五銖銭

    岡内三眞

    中国シルクロードの変遷・アジア地域文化学叢書7    2007年

  • 中国新疆トルファン出土の五銖銭

    岡内三眞

    有光教一先生白壽記念論叢    2006年

  • 中国の墓室絵画に見るソグド系住民の生活

    岡内三眞

    早稲田大学会津八一記念博物館研究紀要   8  2006年

  • トルファン・ヤールホトの発掘調査

    岡内三眞

    シルクロード学研究   15  2006年

  • 朝鮮青銅器からみた弥生の年代

    岡内三眞

    日本考古学協会第72回総会研究発表要旨     342 - 345  2006年

  • 中国東北地区銅剣文化の形成と展開

    岡内三眞, 菊池徹夫編著

    社会考古学の試み     91 - 101  2005年

  • 中国東北式銅剣の変遷と編年

    岡内三眞

    日本考古学協会第71回総会研究発表要旨     259 - 262  2005年

  • 東北式銅剣の成立と朝鮮半島への伝播

    岡内三眞

    弥生時代の実年代    2004年

  • 朝鮮青銅器からの視点

    岡内三眞

    季刊考古学   ( 88 )  2004年

  • 中国東北地区銅剣文化の形成と展開

    岡内三眞

    考古学からみた社会の複雑化    2004年

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特定課題制度(学内資金)

  • トルファン・ヤールホト古墳群の総合的研究

    2012年  

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     本研究費は、1994年から1996年まで早稲田大学シルクロード調査研究所が中国新疆ウイグル自治区考古研究所と共同で調査・発掘を行った交河故城溝西墓地の成果報告書を、日本で刊行することを目的に申請したものである。 本年度の研究では、発掘調査以降に発表した研究論文やシンポジウムの成果をまとめ、さらにすでに中国側で刊行されている溝西墓地の報告書の図面のデジタル化、日本語への翻訳などを行った。そして、それらの作業をまとめて中国側との交渉を進めた。 具体的には3月に新疆ウイグル自治区ウルムチへ行き、当時、共同で調査を行った新疆ウイグル自治区考古研究所を訪問した。そこで同研究所所長の于志勇氏と面会し、日本で報告書の刊行を行いたい旨を伝え、さらに現在の進捗状況を示した。于氏は概ね了承してくれたが、法的な部分で版権の問題や測量図の掲載などの問題を解決する必要があると、アドバイスをいただけた。特に測量図の掲載は新たに中国側で施行された測量法に抵触するため、慎重に解決する必要があると考えている。中国以外の国における中国国内の測量図の発表は厳しく規制されており、これには中国の測量局の許可が必要となる。于氏との打ち合わせでは、基本的には新疆ウイグル自治区考古研究所が主導でこの問題をクリアするように手配していただけるといっていただけた。したがって、今後は、その進捗を見ながら、必要に応じてこちらでも書類を準備する必要があろう。 さらに溝西墓地が所在するトルファンへ向かい、当時、発掘に参加いただいた現地研究者、呂恩国氏と面会し、報告書への執筆を快諾いただけた。また、北京では中国社会科学院考古研究所および中国人民大学を訪問し、特に当時の発掘の中国側の責任者であった王炳華氏と面会した。王氏にも日本における報告書の刊行に同意していただき、やはり執筆もしていただけるとの回答をいただいた。 以上のように、本年度中の報告書の刊行は難しいが、本年度の研究を通して、報告書を日本で出版する道筋をつけることができた。また、過去の調査・研究の整理を進めることもある程度は行うことができた。来年度以降は、本年度に固めた基礎の上に作業を進め、報告書の刊行を行っていきたい。

  • シルクロード、ステップルート・オアシスルートの生態考古学による比較研究

    2005年  

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     4月28日から5月8日の期間、新疆ウイグル自治区タクラマカン砂漠東縁部の遺跡踏査を行った。踏査した遺跡は尉犁県営盤遺跡、若羌県米蘭遺跡、且末県ザーホンルック遺跡などの故城址、寺院址墓地などである。これらの遺跡は日頃訪れることが難しいロケーションに位置するが、新疆文物考古研究所の協力の下に、貴重なデータや資料を収集することができた。 8月後半には新疆ウイグル自治区吐魯番市において開催された『第二届吐魯番学国際学術検討会』に参加し、研究員による成果報告を行った。 また、8月下旬から9月上旬、新疆西部のカシュガル市および西北部にあたる巴楚市周辺の遺跡踏査を行った。カシュガル地区文物局・巴楚市文管所の協力のもとトクズサライ故城・寺院址をはじめとした多くの遺跡を訪れた。これらの遺跡に関しては詳細な報告がなされておらず、正確な位置やその様相も不明であった。今回の踏査によってGPSにより位置を把握し、また遺構や採集遺物の検討により、遺跡の性格について考えるデータを多数、収集することができた。 昨年度から西北地域での調査とともに、遼寧式銅剣関連の調査を行っている。遼寧式銅剣は、中国東北地方から朝鮮半島にかけて分布する特徴的な銅剣のひとつである。日本の弥生時代の年代決定のため、中国、朝鮮半島との交差編年を行う上で重要な資料である。本年度は9月に中国東北部の内蒙古自治区赤峰市を訪れ、赤峰市博物館、寧城博物館の協力のもと、小黒石溝遺跡、南山根遺跡をはじめとした銅剣をはじめとした青銅器や土器、石器などの調査を行った。

  • シルクロード文化交流路の生態考古学的総合研究

    2004年  

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     2004年度から2005年度の2ヵ年にわたって、「シルクロード文化交流路の生態考古学的総合研究」をおこなった。調査地は中国、韓国、日本の各地にわたり、シルクロードで運ばれた文化や文物の出土地で生態考古学的な総合研究を実施した。 中国では、西は新疆ウイグル自治区から甘粛省、陝西省、河北省、北京市、遼寧省などで遺跡踏査を実施し、博物館や研究所、大学等で遺物の計測や撮影をおこなった。また各地の研究施設で研究者との学術交流や情報交換を行い、研究代表者自身が北京や東京でおこなった国際シンポジウムや研究発表に生かすことができた。 さらに韓国では、国立中央博物館やソウル大学、釜山大学、嶺南考古学研究所などとの交流を通じて、シルクロード東端の状況をしることができた。とくに国立中央博物館での大谷探検隊収集資料の調査と古都・慶州での発掘調査現場で東西文物交流の実態を知ることができ、大変参考になった。韓国でも研究者との長年にわたる信頼関係で、多くの情報交換や研究資料の存在を教示いただいた。 日本では、八重山諸島、沖縄、鹿児島、対馬、壱岐、福岡、京都、奈良などで、大学、博物館、埋蔵文化財センター、教育委員会などで新しい資料や情報を収集調査し意見交換を行なった。シルクロードの終着地にあたる日本列島で生態考古学的調査を完結できた。 海外、国内の踏査や調査で知り合った研究者を東京に招聘し、研究会やシンポジウムを行い研究成果を高め公表することができた。

  • シルクロードの調査と成果

    1999年   稲畑 耕一郎, 菊池 徹夫, 高橋 龍三郎, 大橋 一章, 長澤 和俊

     概要を見る

     本研究は、2001年度に開催を予定しているシルクロード国際研究集会を行うための基礎的・準備的な目的で行ったものである。我々は早稲田大学シルクロード調査隊として、1994年より継続して、中国新疆ウイグル自治区トルファンにおいて日中共同で調査を行ってきた。その中でも特に著名な都城遺跡である交河故城のネクロポリス、ヤールホト古墳群に重点を置いて調査を行い、多大な成果を得ることができた。これらの成果は世界的に見ても重要なものであり、東西文化交流史の解明においても重要な意義を持つものである。しかしシルクロード史研究では各調査隊は個々に調査を実施しているために、必ずしも相互の連携は充分ではない。それゆえ、とりわけ諸外国隊との情報交換はシルクロード史研究の発展に意義が大きいと考えられる。研究者間で情報を共有し、研究を深めていくために、国際研究集会を意図しているものである。 我々が行った調査に関しては、既に1996年度までの成果は報告書としてとりまとめ近日中に刊行予定となっている。現在は1999年度までに行った調査を包括して整理作業を行い、報告書を作成するための作業を継続して行っている。特にヤールホト古墳群に関しては基礎的なデータの収集は完結し、有益な研究資料として利用可能な状況になっている。また資料のデータベース化など、新たな研究方法の試みとしての意義が期待できる。 そのほかに国際会議のための情報交換として、中国の新疆文物研究所、新疆文物管理局、北京大学、社会科学院考古研究所などを訪問し、情報交換、討論などを行った。またイギリスにおいて、ケンブリッジ大学、ロンドン大学、大英博物館などを訪問し、ヨーロッパにおける研究の現状などについての教示を得た。 このように国際研究集会についての基礎固めは着々と進行しており、開催に関して万全を期しているので、所期の目的を達することができよう。

  • 韓国にある前方後円形憤の比較研究

    1996年  

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     昨年度、早稲田大学の特定課題研究計画が認められ、補助金を得て「韓国にある前方後円形憤の比較研究」を実施した。 まず4月から関連資料の収集をはじめ、6月末にはほぼデータをまとめて一通りの整理を終えた。7月には2週間にわたって韓国に赴き、現地での遺跡踏査、大学や博物館での遺物調査を実施した。また韓国の研究者と情報交換や討論を行い、調査の現状を把握するとともに相互の意見交換をおこなった。その結果、報告書や論文に記されている以上に研究は進展し、新たな事実が数多く発見されていることが解った。このために従来の資料に新たな情報を加えて、遺跡、遺構、遺物の分析と比較とを開始した。さらに9月には中国北京での研究集会に参加して、学会発表を行うとともに情報の交換を行った。10月以降は、これらの資料と情報をもとにしてさらに研究を深めて行った。その結果10基以上の前方後円形墳が候補として挙げられ、そのうち9基までは現地調査をして確認できたが、残る数基についてはまたの機会に譲らざるを得なかった。確認できた9基のうち5基までは、韓国の考古学研究者によって発掘が行われている。各研究機関で遺物や遺構に関する情報を調査させて戴いた。その結果、立地、墳形、規模、築造方法などから、チャラボン古墳、マルムドム古墳、海南長鼓山古墳、咸平長鼓山古墳、月渓古墳、新徳古墳、月桂洞1号墳、月桂洞2号墳、明花洞古墳の順に作られたと考えるに至った。また出土遺物は、前方後円形墳が造られた韓国西南部で製作した文物が多い。しかし中にはこの地域以外の錦江流域(百済)や洛東江流域(加耶)、日本列島(倭)からの伝来、影響を予測させるものがある。このように東アジアを通じての交流の輪の中に組み込んで把握する必要が明らかになった。現地調査と研究者との交流、情報の公開などで多くの成果を挙げることができた。成果については、報告書と論文を準備中である。

  • 赤米の実験考古学的研究

    1995年   菊池 徹夫, 谷川 章雄, 小泉 龍人, 小沢 正人, 佐々木 幹雄

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    この研究は,考古学によって解明されたデータに基づき,弥生時代から栽培され続けてきた赤米を実験的に栽培し,データを採取しながら稲作の追体験をする。そして実地の稲作体験や観察を通じて得た視点やデータ,実験成果を発掘調査や考古学研究に反映させ,ユニークで創造的な考古学研究方法を開発していくことを目的として行われた。 1994年度は,財務部管財課と協議の上,本庄校地内の浄化槽脇に実験用の水田(50m2)と畑(20m2)を造成して実験栽培を始めた。 5月に直播きをし,さらに6月に田植えを実施し7月,8月は草取りとデータ取りを行い,10月末に石庖丁を作り穂首摘みで収穫した。しかし1994年夏は稀にみる冷害のために,それまで予備的に行ってきた実験栽培の1/3に満たない収穫量にとどまり,実験初年度から自然のはかり難さを経験した。 1995年度は,水稲と陸稲,直播きと田植えのほかに,緑肥などの施肥方法を変えて収穫量の差異が生じるか否かを検討することにした。5月に栽培を始め,データをとりながら栽培管理を続けた。あと少しで収穫という9月末に極地的な雹のために稲が全滅の憂き目にあった。この降雹は,隣接する美里中学校の窓ガラスを破損させ多数の学童を負傷させるというほどの激しさであった。このためにわれわれの実験も収量が計測できないほどの結果に終わったのである。 もし,われわれが弥生人であったなら2年続きの不運な天候異変のために,餓死者を出す悲惨な状態に陥ったであろう。本来の目的である正常なデータは得られなかったが,稀にみる異常気象によって,われわれは自然災害時の貴重なデータと体験を積んだのである。 成果報告を作成中であり,天候異常にめげず,さらに十分な計画をたてた上で再度また実験に挑戦する予定で準備中である。

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