猪股 正廣 (イノマタ マサヒロ)

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所属

商学学術院

職名

名誉教授

学歴 【 表示 / 非表示

  • 1975年
    -
    1980年

    早稲田大学   文学研究科  

  •  
     
     

    早稲田大学   政治経済学部   政治学  

学位 【 表示 / 非表示

  • (BLANK)

  • 文学修士

所属学協会 【 表示 / 非表示

  •  
     
     

    日本独語独文学会

  •  
     
     

    ハインリッヒ・フォン・クライスト学会(Heinrich-von-Kleist Gesellschaft)

 

研究キーワード 【 表示 / 非表示

  • 独語・独文学

論文 【 表示 / 非表示

  • フランツ・ヴェルフェル 『バルバラあるいは敬虔』ー自伝と小説ー

    文化論集   ( 54 ) 67 - 86  2019年03月  [査読有り]

  • フランツ・ヴェルフェルとカール・クラウス

    猪股正廣

    文化論集   51・52   109 - 137  2018年03月  [査読有り]

  • フランツ・ヴェルフェルの家族小説『ナポリの兄弟姉妹』

    猪股正廣

    文化論集   48・49   73 - 94  2016年09月  [査読有り]

  • クライスト『ペンテズィレーア』ー使者の報告とテイコスコピア 過去と現在ー

    日本独文学会研究叢書     62 - 75  2013年09月  [査読有り]

  • 『ペンテズィレーア』-使者の報告あるいは神話の時間ー

    猪股正廣

    文化論集   41・42   149 - 177  2013年03月  [査読有り]

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特定課題研究 【 表示 / 非表示

  • ハインリッヒ・フォン・クライスト作品のフランスにおける受容研究

    1997年  

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    表記課題に関係する文献を昨年から収集しており、目下それを継続しながら整理しつつある。クライストの作品は多岐にわたっているが、論文にまとめるに当たっては、作家と作品全体の受容史の概略をひとつの戯曲作品に関連させて考察する予定である。 生前のクライスト自身がフランス及びフランス文学と交渉をもったことは、それ自体論ずるに足るテーマであるが、彼の作品の受容史においてもドイツとフランスの歴史的関係は大きな足跡を残している。ナポレオン戦争当時の時局に根ざした戯曲『ヘルマンの戦い』がドイツにおいて初めて熱狂的に迎えられたのは、普仏戦争前後のビスマルクの時代であるし、第二次大戦後この「愛国詩人」がドイツ本国において閑却されていたときに、その作品を再発見し、とりわけジェラール・フィリップの扮した『公子ホンブルク』の上演によって、クライスト・ルネッサンスとも言うべき機運を起こすきっかけを作ったのは、フランスの都市アヴィニョン(Festival d'Avignion 1951)においてであった。 フランスおけるクライストの受容史は、大まかに言えば不在から紹介の時期と確立から発展の時期に分けられる。前期には、Mme de Stael や Heine、後期には、Ayrault がその証人となるであろう。 『公子ホンブルク』の成立に関連する作品としては、K.H.Klause の Mein Vaterland unter den hohenzollerischen Regenten や Livius の Ab urbe condita libli の一節、Karl von FranÇ ois の逸話や Jean Rotrou の戯曲 Venceslas 等が挙げられる。これらはいずれもなんらかの形でフランスとの交渉史を内包しているとも言えるが、こうした研究が既にアヴィニョンの演劇祭以前に発表されていたこと、またその後にいわゆる実存主義的研究の方向が展開されたことをたどり、舞台の成功と研究の発展との関係についても考察を進めている。

  • H.v.クライスト『ヘルマンの戦い』研究

    1995年  

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    ナポレオン戦争時代に,きわめてアクチュアルな政治劇として執筆された『ヘルマンの戦い』は,公刊後しばらく歴史劇として一部の人々の評価を受けるにとどまっていたが,1870年から71年までの普仏戦争後,本格的に生き返ることになった。この作品はこのとき以来その時々の政治情勢と結びつくことで見直され,現代化されてきたのである。再評価の波を示す資料の数は,ヴィルヘルム2世時代,ヴァイマール共和国時代,国家社会主義時代の順に多く残されているが,いくつかの文献を参照しながら戦前の流れを概観した後,戦後の東西ドイツにおける動向も視野にいれて,現代に至るまでの受容史を整理してみた。 この作品はつい近年まで,その政治的内容については係争の余地がないように思われていた。しかし,特に1882年にボッフムでクラウス・パイマンによる新演出が行われて以来,時代を越えた意味決定可能性があらためて問われるようになってきている。プロパガンダとしての伝達あるいは書信のモチーフに注目すれば,クライストのもつ特性のひとつである世界市民的な立場からする文明批評の洞察が,この作品の一見愛国的な結末において,未解決のまま残されていることが明らかになる。それを作品の破綻とか一貫性の欠如であるとみるか,意図された効果あるいはクライストの政治的立場の不可避的表明とみるか,見解の分かれるところであろう。 こうした点を扱った論考を本年中に学部紀要に発表する予定であるが,世界市民的文学と愛国的文学の問題については,これを彼の同時代人のゲーテ,シラーなどの古典主義,あるいはシュレーゲル,ミュラー,ゲレスなどのロマン主義と比較して,より広く考察することを今後の課題としたい。

海外研究活動 【 表示 / 非表示

  • ドイツ文学(Franz WerfelおよびHeinrich vonKleist)と古典ギリシア文学

    2009年04月
    -
    2010年03月

    ドイツ   テュービンゲン大学