池田 雅之 (イケダ マサユキ)

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所属

社会科学総合学術院

職名

名誉教授

所属学協会 【 表示 / 非表示

  •  
     
     

    日本フランシス・キング協会

  •  
     
     

    日本比較思想学会

  •  
     
     

    世界比較文明学会

  •  
     
     

    日本比較文学会

 

研究キーワード 【 表示 / 非表示

  • 文化人類学(含民族学・民俗学)、仏語・仏文学、文学一般(含文学論・比較文学)・西洋古典

論文 【 表示 / 非表示

  • 「奇跡のミュージカル『キャッツ』の楽しさ」−最終回

    劇団四季、「ル・アルプ」    2005年11月

  • 「晩年の母とのたたかい」

    長流短歌会、「長流」    2005年11月

  • 「こと親が共に育つ、そんな地域を創ろう」

    在家仏教協会、「在家仏教」    2005年11月

  • 「奇跡のミュージカル『キャッツ』の楽しさ」−第4回

    劇団四季、「ル・アルプ」    2005年10月

  • 「奇跡のミュージカル『キャッツ』の楽しさ」−第3回

    劇団四季、「ル・アルプ」    2005年09月

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書籍等出版物 【 表示 / 非表示

  • 小泉八雲コレクション−『虫の音楽家』

    筑摩書房 ちくま文庫  2005年10月

  • 『共生と循環のコスモロジー』

    成文堂  2005年06月

  • 小泉八雲コレクション−『妖怪・妖精譚』

    筑摩書房、ちくま文庫  2004年08月

  • 『不登校−引きこもりをなくすために』

    森下一, 池田雅之

    春秋社  2003年10月

  • 「ブレイク伝」(P・アクロイド著)

    みすず書房  2002年02月

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特定課題研究 【 表示 / 非表示

  • 小泉八雲『怪談』に関する比較文学的実証研究

    2000年  

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     小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の晩年の作品で、日本で最も親しまれている『怪談』KWAIDAN(1904)について、比較文学・文化的視点から幾つかのアプローチを試みた。私の研究方法は、対象が外国人作家・外国文学ということもあって、先ず翻訳の実践から入り、その作品の比較研究を行い、作家と作品を生み出した背景の実地調査を試みるという手順を踏んでいる。そのことをはじめにお断りしておきたい。この研究に着手することになった理由は、数冊のハーンに関する著作の他に、最近改めて『怪談』(角川文庫)を翻訳する機会を持ったからである。それでは、次に成果のあらましを述べてみたい。 『怪談』は一般的には、日本の古典、仏教説話、民間伝承(「夜窓鬼談」「古今著聞集」「玉すだれ」「百物語」など)から話の素材やテーマを得て、語り直した再話文学作品だといわれてきた。従って、『怪談』研究にとって、原話とハーンの作品の比較・検討は、欠くことのできない方法であると考えられている。しかし、その両者をきちんと比較研究したものがほとんどないように思われる。そこで、私は『怪談』の代表作(「むじな」「おしどり」「雪女」「耳なし芳一」「青柳の話」など)を原話と比較・対照することを試みた。幾つかの興味深い点が抽出できたが、その特徴を一言でいえば、単なる説教臭い世間話や通俗的な迷信や幽霊話が、ハーン一流の美意識と倫理観に裏打ちされて、一箇の上質な民話風の物語に仕上げられているということであろう。文章の長さも原話と比べて、三、四倍に引き伸ばされている場合が多かった。 もう一つ、翻訳と比較研究を進める過程で分かってきたことは、『怪談』のアイルランド民話との類似性である。この点は、アイルランド人の学者からも指摘を受けたことでもあるが、アイルランド系の血を引くハーンの文学研究は、今後アイルランドからの視点をもっと導入する必要を痛感した。そういう意味で、この研究期間中、ハーンの日本時代の処女作『日本の面影』(角川文庫)を訳出できたのは、幸運であった。『怪談』を生む素地として、松江・出雲地方の風土が大きく作用しているが、その山陰一帯を描いた『日本の面影』は、ハーンのアイルランド的想像力の発現のありようを見ていく上で『怪談』と並んで重要な作品と言えるだろう。 また、平成12年4月と11月二度に渡って、『怪談』の原点の一つ、日本体験の出発点である松江・鳥取・出雲など山陰地方を取材できたことも記しておきたい。この二つのリサーチの旅がなければ、『怪談』のより深い理解も、『日本の面影』の翻訳も、覚束なかったであろう。記して、感謝申し上げたい。今後、以上の成果を踏まえて、『怪談』論を展開したいと念じている。

  • ケルトと日本の基層文化の比較研究

    1998年  

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     1年間、ケルトと日本の基層文化の比較を自然観、死生観、宗教、神話などの側面から行った。 文化的影響がないと思われる二つの文化にいくつかの共通性が発見できた。たとえば地理的条件(東の島国、西の島国)から、島信仰、ユートピア観、死生観などにもきわめて類似した形態が見られた。また古事記のサルタヒコを通じて、日本神話の世界観にも触れた。 ケルトの自然観やドルイド信仰と日本の縄文の自然観、神道のアニミズムにも近いものが見い出された。日本とケルトの基層文化には、相響き合う要素が多く、今後もっと詳しく比較対照してみたいと考えている。両神話の比較研究も発展させたいと思う。近い将来、論文集のかたちでまとめたいと考えている。 研究費は主として資料、文献等の購入に当てた。

  • 日本文明史の構想-ポスト冷戦の国際秩序に向けて

    1995年  

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    本研究は,ポスト冷戦下におけるあらたな日本の文明史的アイデンティティーを模索しようとする試みである。冷戦時のイデオロギー的束縛からの解放,欧米中心指向(価値観および歴史観)への反省と共に,今一つの時代が終焉した感が深い。しかし来るべき新しい時代は,どのような貌(かお)をしているのか,いまだ見きわめがたい。本研究が,その問題にいささかでも光を当てることができればと考えている。 ある識者は,今日の時代を覇権主義の終焉から文明間の衝突の時代への移行期と見なしている。またある学者は,欧米文化中心の時代が終り,アジアの時代が始まったと考えている。この大転換期に当り,私たちは,従来のイデオロギー的思考や欧米中心主義の歴史観を洗い直し,日本の文明史をあらたに構想する必要性を痛感している。そして日本文明が,今日の世界的な新無秩序(カオス)に対して,どのような文明の協調システムを指示できるかもあわせて考えてみたつもりである。 本研究において取り組んだテーマは,大きく分けて二つある。(1)「西洋文明と日本のアイデンティティー」 日本文明を西洋の下位文明としてではなく,双方をパラレルに見直してゆく。比較文明論の視点に文明史のパラレリズムという方法を導入することによって,日本的立場から西洋文明の問題点を抽出していくことが可能である。(2)「日本文明の西欧文明受容・拒否のパターン」 このテーマについては,15世紀のマルコ・ポーロの時代から19世紀中葉の鎖国・開国期になるまでの西洋の日本観や交流のあり方の変遷を辿ることによって,明らかにすることをめざした。もう一つは,鎖国時代を比較文明論の観点からその功罪を洗い直す作業を行った。江戸時代の文明的可能性を掘り起こす試みである。 以上,欧米のみならず,アジアとの交渉史も視野に入れ,さらにこれからの日本文明の役割とあらたなアイデンティティーをさぐっていきたいと思う。