2024/04/25 更新

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イチカワ マコト
市川 真人
所属
文学学術院 文化構想学部
職名
准教授
学位
修士
 

共同研究・競争的資金等の研究課題

  • 電子メディア時代の文芸創作およびメディア環境についての基礎研究および実験

    研究期間:

    2014年04月
    -
    2017年03月
     

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    一般的に「表示手段や内容の違い」と考えられた「電子書籍とは何か」の問いを、コンテンツとユーザーの関係=体験の変化として捉えた結果、拡張現実的な技術を用いてコンテンツとユーザーの関係を再構築する試みに至った。「本」や「文学」を受動的に享受するだけでなく、周囲の現実環境や物語の背景世界とのあいだに能動的な関係を結ばせること。「印刷技術と放送の近代が、コンテンツとユーザーの関係をいかに狭隘にしてきたか」を、電子書籍の時代を通じてあらためて確認するとともに、口述芸能や演劇等の近代以前の社会から現代のアニメーションやゲームに至るコンテンツの流れに、「文芸」をあらためて位置づけることを試みた。学術的には、「そもそも、ひとは「本(小説)」をどう読んでいるのか」という、あまりに自明である問いを、印刷資本主義的な近代の枠組みを外れて再検討することで、読者論にあらたな地平を開拓することができると考える。と同時に、社会的にも、「読書」という行動そのものの形式や手法を再提示するとともに、社会そのものや、社会と人間の関係、人間と歴史の関係などにについて、あらたな選択肢を与える契機となることが期待される

 

現在担当している科目

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特定課題制度(学内資金)

  • 電子メディア時代の文芸創作およびメディア環境についての基礎研究および実験

    2014年  

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    スマートフォンやタブレットの普及に伴い、それらの端末による電子書籍の閲覧機会は急速に増加している。それに伴い、Kindleをはじめとする電子書籍フォーマットおよびそのコンテンツの形式も、黎明期に想定されていたものとはやや違うカタチで普及が進みつつある。本年度の当研究では、日本の電子書籍フォーマットの先駆けであった株式会社ボイジャーや、電子版のコミックが好調な講談社など、実用マーケットで電子書籍を制作・頒布している企業へのリサーチとインタヴューを行い、その実態についての調査を進めた。

  • 電子書籍時代の文芸作品についての基礎研究と批評

    2013年  

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    「電子書籍時代の文芸作品についての基礎研究と批評」をテーマとした本研究では、「電子書籍元年」と目された2010年から現在のあいだに電子書籍(ソフトウェア)として刊行された文芸作品のなかから、いくつかの傾向にわけて作品を抽出し、それらの比較評価を行った。 さまざまなフォーマット(規格)が競合した2010~11年は、各規格の特色を生かしたリッチ・コンテンツ(紙版には存在しない機能を多様に備えた電子コンテンツ)が試みられる一方、各フォーマットが読者の囲い込みによるデファクト・スタンダード化を狙って独占コンテンツの確保を試みた結果、リッチ化の方向性やプラットホームによる作品の多様性が目立った。その反面、紙の書籍では所与の前提である流通や形式の互換性が欠かれた時期でもあった。 ところが東日本震災を挟んだ2012年以降、電子書籍のコンテンツの多くは、一点してプア化(シンプル化)の方向性をたどることになる。言わば、紙をスキャンしてとりこんだPDFに(実際にはもちろん、近年めだって普及したDTPの過程で生じたデータから書き出されているが)目次やメモといった最小限の機能を載せた程度のものが大半を占めてきた、ということだ。 後者の理由には、現実的には東日本震災後の日本の出版・書籍誌上の急速な収縮による開発コストや新規フォーマット開拓マインドの縮小に加えて、電子書籍フォーマットのシェアがAmazonのKindleを中心にいくつかに絞られていったことなどが考えられるが、より原理的には、「従来あった「書籍(雑誌を含む)」が電子化にともなってさまざまに変化し多様化してゆく」という電子書籍発足時のイメージが、普及とともに横滑りしたことが挙げられる。言わば、「従来「書籍(雑誌を含む)」とひとくくりにされていたジャンルが、「WEBサイトやスマートフォン(あるいはタブレット)のアプリに移行するもの(移行するほうがより利便性を増すもの)」と「従来どおりの「書籍」のイメージに残存するもの」とに分裂したわけだ。結果、前者はわざわざ「(狭義の)電子書籍」の形態をとらずによりボーダレスなアプリケーションへと吸収されてゆき、後者は必要最低限のリッチ化とともに「紙でも、電子でもそう変わらず読めるもの」として紙と電子両方のフォーマットで同じものが供給されるようになった。 そのことは、創作そのものの方向性にも見られる。初期にはさまざまな試みがなされた(主として、紙ですでに成立されていたコンテンツを、ギミックや要素を増やすことで電子独自のものとしようとしていた)電子書籍上の作品だったが、実売数が開発費に見合わないこともあり、あくまでも紙で(従来と変わらず)成立するカタチで行われた創作が電子化もされる、という主客逆転が生じた。結果、電子書籍上の(文芸)作品の特徴は、「早く届く(読める)」あるいは「検索が容易である」といった、作品の独自性とは無関係なセグメントに生じることとなった。 とはいえ、もちろんそうした目の前の現実に則した傾向だけで「電子書籍」が語りきれるわけではない。教科書の電子化などによって遠からず訪れる「紙の本」とは無縁な世代が、創作行為を行うようになったとき、紙のアーキテクチャに縛られることのない作品群が生まれることは現時点でも容易に想像できる。そしてそのとき初めて(電子書籍の黎明期とは因果関係が逆転して)WEBやアプリなのかそれともあえて「(電子)書籍」なのか、という問いが彼らによって、フラットになされるに違いない。 本研究は、そうした問いを先取りしオリジナルの試作品として実装することを目的に(また同時に、電子書籍市場の先行発達した海外の事例調査を行いながら)、2014年度から3カ年にわたる科研費助成研究へと発展してゆく予定である。

  • 村上春樹の諸作品および同作が国内外の後続作家に与えた影響についての基礎研究

    2013年  

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    「村上春樹の諸作品および同作が国内外の後続作家に与えた影響についての基礎研究」を主題とした本研究では、2014年度、主としてふたつの柱に基づく研究と調査を行った。ひとつには、村上春樹作品そのもの、とりわけ中期以降の長篇作品である『ねじまき鳥クロニクル』および『1Q84』を素材に、両作品の構造比較とそれらが書かれた時代および社会環境(主として経済)を対照しつつ物語の表層的な流れとは異質な説話構造に着目することで、いっけん内向的とされる村上作品の根底にある政治性について考察し、主として1990年代以降の後続作家に与えた(それ以前の世代とは違う)影響が、彼らの執筆の基盤となる後期資本主義(に対する違和感)にかかわるものである、という仮説を構築するに至った。並行して、村上春樹の海外における受容、とりわけ彼の作品が「世界文学」と認識されるに至る契機となった英語圏、およびその波及効果が同時代的に及びつつあるイタリア、ウクライナの作家、編集者および学生にサンプリングを行い、今後の研究の端緒についての観察を行っている。興味深かったのは、日本国内では「構造しかない」ことによって流通したとする説が根強い村上作品が、ある種のエキゾチシズムやオリエンタリズム、いわば「日本的なもの」の代表例として受容されている点だった。そこから抽出される結論を略記すれば、それは「構造しかない」から(わがこととして)受容されるのみならず、「構造しかない」国としての近代日本を象徴するものだからこそ(言わば、近代日本文化の写し絵として)受容されてもいるのだということだといえる。まったくもって非日本的な、アメリカかぶれの作家と目されてデビューし、川端や三島、大江らとはまるで違った存在と定義されていた村上春樹こそが(無意識的にも)近代、とりわけ戦後の日本をもっともよく表象していたという転倒こそが、村上春樹という作家の特性を表している。今後は、「基礎研究」である今回の期間に蓄積した所見と資料をもとに、村上作品のさらに広範な分析と、彼が手がけた翻訳作品の傾向などを抽出することで、先行作品および後続作品との、言語圏を超えた影響関係について研究を進めてゆく予定である。