2024/04/23 更新

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ユウ エンポウ
熊 遠報
所属
理工学術院 創造理工学部
職名
教授
学位
博士(文学) ( 東京大学 )

学歴

  •  
    -
    1984年

    武漢大学   歴史学部   歴史学  

  •  
     
     

    東京大学   人文社会系研究科   アジア文化研究  

  •  
     
     

    東京大学   人文社会系研究科   アジア文化研究  

所属学協会

  •  
     
     

    中国社会文化学会

  •  
     
     

    都市史学会

  •  
     
     

    中国経済史学会

研究分野

  • アジア史、アフリカ史

研究キーワード

  • アジア歴史社会研究、地域・都市・環境史研究、社会経済史研究、徽州、北京

 

論文

  • 「18世紀における北京の都市景観と住民の生活世界」

    熊遠報

    東京大学『東洋文化研究所紀要』   ( 164 ) 205 - 270  2013年12月

  • 「青楼と北京城の空間構造——清代民国期を中心として」

    熊遠報

    早稲田大学『人文社会科学研究』   ( 53 ) 195 - 210  2013年03月

  • 「読無字書」

    熊遠報

    『中国図書評論』   ( 6 ) 22 - 26  2012年06月

  • 「日本の北京関係論著目録」(同上P87−112,査 読なし、2012 年)

    熊遠報, 久保茉莉子

    早稲田大学『人文社会科学研究』   ( 52 ) 87 - 112  2012年03月

  • 「北京の歙県会館——明清時代徽州商人の北方拠点を中心に—」

    熊遠報

    『年報都市史研究 伝統都市論』(山川 出版社)   ( 19 ) 109 - 123  2012年

  • 「20 世紀北京前門地区居民的歴史記憶調査3」

    熊遠報, 永愛

    早稲 田大学『人文社会科学研究』   ( 52 ) 75 - 86  2012年

  • 「20 世紀北京前門地区居民的歴史記憶調査2」

    熊遠報, 陳捷

    早稲田 大学『人文社会科学研究』   ( 51 ) 163 - 172  2011年03月

  • 「20 世紀北京前門地区居民的歴史記憶調査」

    熊遠報, 陳捷

    早稲田大 学『人文社会科学研究』   ( 50 ) 153 - 168  2010年03月

  • 「20世紀における徽州農村の女性に関する調査」

    韓寧平, 熊遠報

    『人文社会科学研究』(早稲田大学理工学部)   ( 第47号 ) 17 - 31  2007年03月

  • 商人的妻子:20世紀徽州農村的婦女調査(中国語)

    韓寧平, 熊遠報

    『人文社会科学研究』(早稲田理工学部)   ( 46 ) 149 - 161  2006年03月

  • 18−20世紀における北京の飲料水問題ーー二つの「水道」を中心としてーー

    熊 遠報

    『水の都市文化』(大阪市立大学大学院文学研究科COE・重点研究共催シンポジウム報告書)     69 - 82  2006年03月

  • 山根幸夫先生と私

    熊 遠報

    汲古(汲古書院)   ( 48 ) 137 - 138  2005年12月

  • 漕運港と北京の食料供給ーー清朝の北京郊外を中心に

    熊 遠報

    『水辺と都市』(別冊 都市史研究、山川出版社)     28 - 38  2005年07月

  • 18〜20世紀における生活給水と都市の外来労働者

    熊 遠報

    年報 都市史研究(山川出版社)   ( 12 ) 33 - 44  2004年10月

  • 黄墩伝説と徽州地域における祖先史の再構成

    熊 遠報

    アジア遊学(勉誠出版)   ( 67 ) 32 - 41  2004年08月

  • 清民国期における徽州村落社会の銭会文書

    熊 遠報

    東京外国語大学『資料ハブ:地域文化研究』   ( 3 ) 139 - 145  2004年03月

  • 「明清時代における徽州地域の宗族と資産」(ハングル)

    熊 遠報

    韓国中国史学会編『中国史研究』     299 - 314  2003年12月

  • 聯宗統譜と祖先史の再構成——明清時代、徽州地域の宗族の展開と拡大を中心として——

    熊 遠報

    中国——社会と文化(中国社会文化学会)   ( 17 ) 125 - 148  2002年06月

  • 徽州の宗族について——婺源県慶源村詹氏を中心として——

    熊 遠報

    明代史研究(汲古書院)   ( 30 ) 33 - 44  2002年04月

  • 清代民国時期における北京の水売買業と「水道路」

    熊遠報

    社会経済史学(社会経済史学会)   66 ( 2 ) 47 - 67  2000年07月

  • 抄招給帖と批発——明清徽州民間訴訟文書の由来と性格——

    熊 遠報

    明代史研究(汲古書院)   ( 28 ) 5 - 22  2000年04月

  • 清代徽州地方における地域紛争の構図

    熊 遠報

    東洋学報(東洋文庫)   81 ( 1 ) 67 - 99  1999年06月

  • 「北京的精忠廟」

    芦玲, 熊遠報

    早稲田大学『人文社会科学研究』   ( 51 ) 173 - 194

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書籍等出版物

  • 「明代軍事史的研究状況」(中国語訳『明清時代 史的基本問題』P241-259)

    川越泰博著, 熊遠報訳

    商務印書館  2013年08月

  • 「明清時代的身分感覚」(『明清時代史 的基本問題』P364-386)。

    岸本美緒著, 熊遠報訳

    商務印書館  2013年08月

  • 『成熟的江戸』(吉田伸之著、P1−261)。

    熊遠報他

    北京大学出版社  2011年

  • 「胡同と排泄物処理システム」(吉田伸之・伊藤毅編『伝統都 市4』P161−184) 。

    熊遠報

    東京大学出版会  2010年

  • 「18−20世紀の北京における下水道・糞尿処理にみる公共観」『東アジアにおける公共性の変容』(P259−280)

    熊遠報

    慶応大学出版会  2010年

  • 「北京水文書与清民国時期北京的生活用水売買権利」(『民間 文献と地域中国研究』P305−312)。

    熊遠報

    黄山書社  2010年

  • 「排泄物との格闘——十五世紀〜二十世紀、北京における人畜の排泄物の処理システムの成立について——」(奥崎裕司他編『明代中国の歴史的位相 山根幸夫教授追悼記念論叢』PP643−664

    熊遠報

    汲古書院  2007年06月

  • 「排泄物との格闘——十五世紀〜二十世紀、北京における人畜の排泄物の処理システムの成立について——」(奥崎裕司他編『明代中国の歴史的位相 山根幸夫教授追悼記念論叢』PP643−664

    熊遠報

    汲古書院  2007年06月

  • 宗族資産の成立と展開ーー明清期、徽州洪氏光裕会を中心としてーー

    熊 遠報

    宋ー明宗族の研究(汲古書院)  2005年03月

  • 『清代徽州地域社会史研究−−境域・集団・網絡与社会秩序』序言(中国語)

    熊 遠報

    崇文書局『歴史文献学論集』(中国)  2003年09月

  • 村落社会における『銭会』——清民国期の徽州地域を中心として——

    熊 遠報

    明代史研究会創立三十五周年記念論文集(汲古書院)  2003年07月

  • 『清代徽州地域社会史研究——境界・集団・ネットワークと社会秩序——』

    熊 遠報

    汲古書院  2003年02月

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共同研究・競争的資金等の研究課題

  • 16-19世紀における遠隔地商業環境と中国の社会経済構造に関する研究

    研究期間:

    2014年04月
    -
    2018年03月
     

     概要を見る

    本研究では、資料調査、現地調査と国際学術会議の参加を含め、遠隔地商業環境と中国の社会経済構造に関する研究を推進してきた。具体的内容は、主に1)商業環境の整備と徽州商人の活動、東アジア海域における国際貿易と倭寇問題、2)商業資本と商人の多角経営、3)都市の経済機能と特殊なエリア、都市の環境と飲料水問題などのテーマである。関連の研究成果は、国際学術会議での報告および研究機関の招待講演、論文の刊行などを通しまして、公開している。この課題の研究は、グローバルの視点から人・物・情報・金銭等の空間移動、とりわけ物流に関する歴史条件、社会資本、外部(国家)の関与、社会内部の制度創出、また空間流動・流通や社会変革の中心的役割を果たす都市の実態、伝統都市における社会分層と経済・社会の空間構造、また伝統都市の生活システムと人々の環境営為などの問題を通して、16-19世紀における中国商業環境の実態検出、社会経済構造の解明、即ち伝統中国の長期的社会経済変動を理解する際に基礎的作業であり、さらに新しい視点の提起と歴史研究の理論と方法の模索も知的生産に貢献できる

  • 18-20世紀における北京の社会経済空間と市民の日常生活に関する研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2009年04月
    -
    2013年03月
     

    熊 遠報

     概要を見る

    本課題では一般の文献資料の他、画像、写真、古い地図などの史料を重要視し、現存の建築、施設などの調査をつき合わせ、景観、空間構造を中心にし、18-20 世紀における北京の社会経済空間と市民の日常生活、具体的に都市の屎尿処理、食糧の供給、娯楽施設、遊郭、会館等などの側面について調査と研究を行ない、資料利用方法の模索を含めながら新しい研究を展開した。この中でとりわけ19 世紀後半以来の写真等の史料を参照した上で、18 世紀の北京の市街、城壁関連の画像資料を利用し、18 世紀における北京の景観、市街の経済空間と多種多様な人間像を立体的に考察した

  • 18〜20世紀における北京のライフラインと都市の社会経済構造に関する研究

    日本学術振興会  科学研究費助成事業

    研究期間:

    2005年
    -
    2007年
     

    熊 遠報

     概要を見る

    この課題では、北京の上・下水の供給・処理を中心にし、先行研究が少ない18-20世紀における北京のライフラインに関して資料整理と関連の研究を行ない、その内容は主に以下である。東京大学東洋文化研究所所蔵の仁井田コレクションの北京の生活用水売買に関する契約文書を文字に起こし、注釈を含め、出版向きの整理を行なった。18-20世紀の生活用水の供給に関して20世紀半ばまで給水体制の主力としての「水道路」というシステムは、山東省等出身の肉体労働者によって20世紀初発足した水道局という近代的な給水システムの市場侵蝕を受けながら北京の住民に給水していた。遅くとも20世紀前半まで、「水道路」という人力給水体制が、伝統技術を用い、零細的な経営・販売方式で巨大都市北京の百万以上の人口の日常生活用水を支障なく供与したのである。18-20世紀における北京の下水処理に関して、15世紀以降、都市の制度、下水道等の基礎施設、都市の共生管理システム等の不備、水、公衆トイレ、排泄物処理システムの構造的不足等によって、北京の住民は、長期的に劣悪な衛生環境に置かれていた。百万人以上の人口と多くの動物の排泄物に対して私的な「糞道」システムは、殆ど公的な支援、関与を受けないまま、数世紀にわたって、華北地域の農業生産の貴重な肥料の原料として、人力で北京市内の人畜排泄物を収集し処理し、北京の最低限の清潔を維持していた

 

現在担当している科目

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特別研究期間制度(学内資金)

  • 16-19世紀における中国の商業環境と社会経済構造に関する研究

    2015年08月
    -
    2016年07月

    アメリカ   ハーバード大学

学内研究所・附属機関兼任歴

  • 2022年
    -
    2024年

    理工学術院総合研究所   兼任研究員

特定課題制度(学内資金)

  • 砂塵:16−20世紀における北京の生活環境に関する研究

    2022年  

     概要を見る

    この研究は主に旱魃・強風・砂塵などの資料調査と収集を中心に行い、自然と人為の側面から北京住民の生活環境を考察した。結論として北京及び華北地域に毎年11月から翌年の5月にかけて発生する砂塵問題は、主に強い北西風と黄土・モンゴル高原の乾燥等が込み入った結果である。北西強風を原動力にする砂塵の飛散は華北、日本海、太平洋まで及び、住民の日常生活に大きな影響を与えつつある。山林と農地の開発、都市の拡大、住民の燃料や生活ごみ処理等の営為も大きく環境災害に加担した。解決策として国際協力で技術の開発を通して、当該地域の地面被覆率増加を重点に農業・牧畜業システムを革命的に改革する。

  • 15-20世紀における北京の生活環境に関する研究--砂塵・苦水・悪臭を中心に

    2019年  

     概要を見る

    2019年度、15世紀から20世紀前期にかけて、北京における環境問題、特に風塵と都市の衛生状況について当時の日記、『実録』や行政システムの報告、文人・官僚の旅行記、書簡、また外国人の旅行報告書・日記などの文献を調べて、主に北京の黄砂・風塵発生の長期的動向の整理、自然と人為(北京住民の環境的営為)の要因分析、その影響の波及範囲、風塵・黄砂の嵐発生のモデル検出、北京住民への影響を中心に研究を行った。この研究は文理融合的方法で北京及び華北平野の生態システムなどの問題に触れて、今後北京の風塵・黄砂の嵐発生状況の展望、長期的環境対策の提言を行った。

  • 華北の水と環境変遷に関する研究--前近代の黄河・運河地域の自然・経済活動を中心に

    2017年  

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    2017年度、「華北の水と環境変遷に関する研究--前近代の黄河・運河地域の自然・経済活動を中心に」に関する研究は主に伝統中国都市の環境、とりわけ伝統中国都市のライフラインの状況、社会経済の構造や農村人口の都市進出のプロセスなどの解明に関わる東京大学東洋文化研究所「仁井田文庫」の『北京文書』の収集と整理を行い、15—20世紀における北京住民の生活用水の状況、特に日常的に「苦水」を利用した歴史、及びその地質的、社会的環境要因などを研究し、人々の環境行為と水質間の悪循環を構造的に検出し、一部の成果も公開した。

  • 17-19世紀における遠隔地商業環境と中国の社会経済構造に関する研究

    2013年  

     概要を見る

    この課題は、主に大航海時代以降、日本とアメリカ大陸の銀を起爆剤とする国際商業ブーム、特に16 世紀半ばから 19 世紀初にかけて東アジア・東南アジア海域における国際貿易における銀の流入および中国社会の長期的社会経済変動に注目しながら当時の商業環境及び具体的経済変動を構造的に把握する試みである。本研究では、遠隔地商業環 境・取引コスト、及びその背後の制度的「成長」・民間社会の営為に注目し、官僚、特に商人の私書(家信)等を中心に、重要な旅行記、日記、日用類書、路程書、税関報告、漕運全書等の公私文献を利用し、交通・情報伝達の側面から、南北物流の中心的役割を担った京杭大運河水系をめぐる交通路、物流形態、旅 館、情報伝達システム等、即ち社会資本・商業環境の制度的変化を具体的に考察した上で、17-19 世紀に おける中国社会経済の非均衡の空間特徴を明らかにするものである。2013年度、主に徽州商人の帳簿、書簡を中心に、現地調査と資料収集、及び研究成果の報告を行ない、北京の商人(地域会館)と商業ネットワークを巡って、民間社会の商業環境の整備、取引コストに関して研究を行なった。その結論は以下である。15世紀末より開始した新航路の発見及び銀等の鉱山の開発による世界規模での貿易と銀流は、世界の主要な地域と海域を巻き込み始め、これによる「大地震」とその「津波」は、徐徐にユーラシア大陸東部に広がり、社会内部の様々な要因を合わせ、中国社会の共振も発生し、社会経済の躍動と膨張が顕著化していたが、人々とものの移動にかかわる社会環境が十分に整備されていないまま、中国において遠距離国内貿易と国際貿易が活発的に展開されていた。商人たちは、社会流通と人々の空間移動に自ら利己的な環境整備と制度創出を行ない始めた。商売先での会館創設は、現実の宿泊施設等の確保、同郷人の絆を強め、官僚と商人の協力を図って現地の様々な問題を解決していくという側面があった。一方、社会流動の加速による社会競争がますます激しくなった環境の中で優位に立つために明代中期から盛んに行われていた血縁ネットワークの拡大と同じように様々な社会的資源を掘り起こし、創出する商業戦略でもあった。しかもこの時期に入って社会競争は単なる個人、家族だけではなく、一族、地域という規模で行われて、形式も単なる科挙受験競争だけではなく、政治権力と経済利益の獲得を巡る競争は、より多様、複雑な形で行われた。商人集団は、会館という拠点を作り、長期的に維持、管理、拡大を通して、地元の知識人・科挙受験者・北京での同郷官僚に支援し、支えていた。これは、多くの社会的資源を開発し、様々な情報を集約する投資戦略の一環で、商業リスク回避の措置であり、交易の社会的なコストであると言える。したがって中国社会を理解する際、科挙に関わる社会身分の上下移動という視点は重要であるが、首都での地縁会館は単なる科挙受験関連の施設ではなく、より複合的機能をもっていた。それは、同郷クラブ、地域の首都事務所、政治経済に関する情報センター、商人ネットワークの結節点、同郷商人の信用保証センター、上京者の宿泊施設などの多様な顔と機能を有する複合的施設であった。

  • 18・19世紀における漕運港と北京の食糧供給に関する基礎研究

    2004年  

     概要を見る

     本研究では、都市のライフライン問題を意識しながら、明清時代、特に18―19世紀において、北京という巨大な都市の食糧需要、漕運港と食糧運輸、貯蔵、支給、運搬などの検討を通じて、国家財政、下層労働者と北京の食糧供給の実態と構造に接近してみた。 行政システムと軍事系統の中心に位置する北京の日常機能を維持するために、清朝政府は、現金と現物による財政収入の主要な部分を北京に投入していた。生産地域と財政消費地域のアンバランスを解消するため、清朝政府は厖大な行政組織と膨大な税収を通じて、毎年南方から約四百万石の現物税=食糧を北京に運搬していた。国家財政支出による食糧の遠距離運輸は、運河沿岸の多くの人々に仕事の機会を与えた。特に、通州は、運河の終点で、かつ、北京まで約数十キロの水上運輸と倉庫基地があったため、毎日数万の外来労働者が、食糧の運搬、積み下ろしなどの仕事を行なっていた。ここで働いていた数万人は北京の百万以上の人口に食糧を直接供給していた。即ち、百万以上の人口の食糧を提供していたのは、運河を経由した物流であったが、都市の空間構造の中で北京の東部および通州までの地域は、巨大都市の運輸港と食糧倉庫の役割を担っていたのである。 十七世紀から二十世紀初頭にかけて、清王朝は、首都北京を中心に、政治・軍事・財政などの資源の配置、配分、調達を行ない、政権を運営していた。財政の側面から見れば、宮廷と首都の政治的機能を維持するために、各地方から徴収した税金の主要な部分は、北京において消費、再分配されていた。特に南方からの現物税の調達は、生産と消費の不均衡を物語っていると同時に、長江流域という主要な経済区域が清朝国家の運営を支えていたことを物語っている。一方、十七世紀以降、王朝の首都としての日常生活、特に巨大消費都市における正常機能を維持するためには、汚く重く辛い肉体労働に従事する人が大量に必要であった。国家財政で支える厖大な「寄生的」な八旗集団の存在は、首都北京に大きなサービス・商売の空間を生じた。したがって基本的に最初は北京の周辺地域、そして直隷(河北)、山西、山東などの農村社会の人々が、北京に流入し、都市のサービス業、特にライフラインの供給という役割を果たしていた。清朝におけるこうした産業の進歩ではなく財政による旺盛な消費が都市の繁栄をもたらすという奇妙な構図は、満州族を中心とする王朝の社会構造および中国社会の不均衡な展開を物語っている。