劉 傑 (リュウ ケツ)

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所属

社会科学総合学術院 社会科学部

職名

教授

兼担 【 表示 / 非表示

  • 文学学術院   文学部

  • 社会科学総合学術院   大学院社会科学研究科

  • 国際学術院   大学院アジア太平洋研究科

  • 附属機関・学校   グローバルエデュケーションセンター

学内研究所等 【 表示 / 非表示

  • 2017年
    -
    2022年

    東アジア国際関係研究所   プロジェクト研究所所長

学歴 【 表示 / 非表示

  •  
    -
    1993年

    東京大学   人文科学研究科   国史学  

  •  
    -
    1986年

    東京大学   文学部   国史学  

学位 【 表示 / 非表示

  • 東京大学   博士(文学)

  • (BLANK)

  • 博士(文学)

所属学協会 【 表示 / 非表示

  •  
     
     

    軍事史学会

  •  
     
     

    日本国際政治学会

  •  
     
     

    東アジア近代史学会

  •  
     
     

    早稲田大学社会科学学会

  •  
     
     

    日本歴史学会

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研究分野 【 表示 / 非表示

  • アジア史、アフリカ史

  • 日本史

研究キーワード 【 表示 / 非表示

  • 近代日本と国際関係

論文 【 表示 / 非表示

  • 「日清戦争との対話ー危機の中にある時代感覚と歴史認識」

    劉傑

    『外交』   26号   26 - 31  2014年

  • 「中国要人の満洲観」

    劉傑

    『歴史読本』   第58巻第8号   122 - 134  2013年08月

  • 習近平時代の中国と日中関係

    劉傑

    新国策   80巻3号   12 - 19  2013年

  • 「太平洋戦争と中国の大国化」

    劉傑

    防衛省防衛研究所『戦争史研究国際フォーラム報告書』     45 - 65  2013年

  • 拡大する相互認識のズレを如何に克服するのか

    劉傑

    外交   15号   28 - 34  2012年

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書籍等出版物 【 表示 / 非表示

  • 『東アジアの知識人』第4巻

    村田雄二郎, 張景達他

    有志舎  2014年05月

  • 対立と共存の歴史認識

    劉傑, 川島真

    東京大学出版会  2013年05月

  • 中国の強国構想ー日清戦争から現代まで

    劉傑

    筑摩書房  2013年05月

  • 中国問題

    毛里和子, 園田茂人編

    東京大学出版会  2012年05月

  • Toward a History Beyond Borders

    Daqing Yang, Jie Liu, Hiroshi Mitani, Andrew Gordon

    Harvard University Asia Center  2012年02月 ISBN: 9780674062566

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受賞 【 表示 / 非表示

  • 中曽根康弘賞

    2011年06月  

  • 太平正芳記念賞

    1996年  

共同研究・競争的資金等の研究課題 【 表示 / 非表示

  • <周縁>からの東アジア国際秩序の探求―台湾・沖縄の間主観と国際関係史の視座

    研究期間:

    2019年04月
    -
    2023年03月
     

     概要を見る

    「周縁からの間主観性に基づく共生秩序」を検証するため、非政府主体の国際秩序観を調査研究対象に据える。とくに輿論と対話する言論人・知識人のへの聞取り調査を行う。周縁の言論人や知識人も公的な空間に向けて語る言葉の真意は別にもあり、その隠された真意こそが間主観を知るために有益な情報源となるからである。そこで公的記録の検証と聞き取り調査を軸として調査・研究を実施する。調査・研究の共有のためには、周縁地域にある大学の研究者同士が研究の中核となって、東アジアの日本研究者による『日本を外から理解するための事典』を間主観的認識のモデルとして刊行する

  • 和解学創成へむけての全体調整と国際連携

    研究期間:

    2017年06月
    -
    2022年03月
     

  • 和解に向けた歴史家共同研究ネットワークの検証

    研究期間:

    2017年06月
    -
    2022年03月
     

     概要を見る

    ①定例研究会、シンポジウムの開催 2018年度初回の研究会では、歴史家班の研究計画を討議した。とりわけ、和解学と歴史学の関連性を中心に代表者と分担者の研究構想について意見交換を行った。その後の3回の定例研究会で和解学に貢献する新史学について議論を重ねた。12月23日、24日に「和解に向けての新史学」国際シンポジウムを開催した。同国際シンポジウムには、若手研究者のセッションも設けて、若手研究者の参加によって議論が一層広がった。代表者と分担者は8月に韓国ソウルで開催された「アジア未来会議」にも参加し、期間中「国史たちの対話」セッションを主催して、東アジア諸国の歴史研究者の対話を通じて、歴史家ネットーワクの意義について議論を行った。②文献研究と聞取り調査 知識人ネットワークと東アジアの和解の関係を明らかにするために、韓国高麗大学、台湾中央研究院、中国南開大学、北京外国語大学などに所属する複数の日本研究・歴史研究者に対して、その留学経験や研究活動、研究者ネットワークと東アジア諸国の相互理解を中心に、聞取り調査を実施した。代表者の劉傑は韓国高麗大学(グローバル日本研究院、東アジア問題研究所)、台湾中央研究院(近代史研究所、台湾史研究所)等と東アジアの日本研究・歴史研究者のネットワーク作りを行い、このネットワークは機能し始めている。同ネットワークとスーパー・グローバル・ユニバーシティ-(SGU)構想、キャンパス・アジアとも連携し、海外の研究者との定例交流会を準備した。③成果の集約・発信 前記国際シンポジウムの成果を報告書にまとめ、関係研究所や研究者に公開した。「国史たちの対話」セッションの交流成果は公表されている。『世界紛争歴史事典』の執筆作業を継続した。領域代表が主宰する国際会議、関連情報インフラの構築、講座和解学(仮称)叢書の刊行準備に積極的に協力している。研究組織を整備し、予定通りの研究活動を展開したため、概ね順調に進めることができた。今後は「戦後歴史家」、「冷戦後歴史家」と「越境歴史家」を対象に実施した聞き取りへの分析作業を行い、戦後以来の東アジア地域の和解過程における歴史家が果たした役割を検証していく。メンバー各自はそれぞれの研究領域に応じて、国別、時代別に検証対象を決めて作業を進めていく予定である。また、和解学に貢献する「新史学」と「新史学」に基づくネットワークの形成について検討を深めていく。他の班との共同作業として『世界紛争歴史事典』を完成指せる。そして、『ワセダアジアレビュー』を活用した成果発信を定期的に行う。公募による若手研究者を積極的に計画班の中へと組み込み、また、連携作業を行う非常勤研究員を謝金で雇用し、ホームページなどを充実させていく。スーパー・グローバル・ユニバーシティ-(SGU)の若手研究者、早稲田大学地域・地域間研究機構の若手研究者とも協力して、国際的な若手研究者ネットワークの拠点化を図る。東アジア諸国の研究者間における国史対話を継続し、それを東アジアの相互理解に貢献する公共財として築き上げていく

  • 東アジア「知のプラットフォーム」の現状に関する研究

    研究期間:

    2017年04月
    -
    2021年03月
     

     概要を見る

    本研究は、持続可能な社会のための知を生み出す「知のプラットフォーム」の現状を、東アジア出身の元留日学生に焦点を合わせて、次の2つの観点から考察することを目的としている。第一に、東アジアにおいて(1)国境を越え、(2)学問領域を越え、(3)世代を越え、(4)研究者と実務者(実践者)の境界を越える知識人の「越境的ネットワーク」が、どのように形成されてきたのかを跡付ける。第二に、そうしたネットワークが生み出した持続可能な社会のための知を、本研究は「越境知」と名付けて、どのような知がいかに生み出されたのかを具体的に明らかにする。そうして、知の生産の場たる東アジアの「知のプラットフォーム」の現状を立体的に捉えることが、本研究のねらいである。今年度は、4回(5日間)の研究会を行なった。(1)6月:公益財団法人 渥美国際交流財団 常務理事の今西淳子氏へ合同聞き取り調査。(2)8月:知のプラットフォームの枠組みの再検討を目的とした研究報告会。(3)10月:研究分担者2名による研究報告会。中国出身の元留日学生に関する研究報告。(4)12月(2日間):研究分担者6名による研究報告会。韓国・台湾出身の元留日学生、国際教育・ポピュラーカルチャーにかかわる知のプラットフォーム、これまでの聞き取り調査の定量分析の方針などに関する研究報告。当初の計画では、2020年3月に海外(台湾)での研究合宿ならびに合同聞き取り調査を予定していた。しかし、Covid-19の感染拡大の影響で延期した。このような研究会と並行して、各分担者は元留日学生を対象とした聞き取り調査を行った。しかし、繰り返しになるが、2月から3月にかけて各自が実施の予定であった聞き取り調査ならびに資料調査は、Covid-19の感染拡大の影響を受けて延期した。本研究課題は4カ年計画である。3年目に当たる2019年度は、上述のとおり、4回(5日間)の研究会を行うことができた。そこでは、共同の研究枠組みを意識しつつ、各メンバーが分担研究の進捗状況の報告を行った。本研究チームは、メンバー間でこのように緊密な連携が取れている。そして、2020年度(4年目)を最終年度として迎えるにあたり、研究成果(論文集の出版)への手応えを感じている。しかし、上述のように、2020年の2月から3月かけて実施する予定であった研究合宿、聞き取り調査ならびに資料調査が、Covid-19の感染拡大の影響で延期された。そのため、この研究課題の遂行は全体としてやや遅れていると言わざるを得ない。Covid-19の感染拡大の影響は、今後も長く続くことが予想される。そのため、聞き取り調査については、対面ではなくオンラインで実施するなどの代替的な方法を探る。しかしオンラインで行う場合にも、聞き取り調査の対象者の人権状況に十分に配慮することを怠らない。配慮の結果として、対面で行った方が良いと判断した場合には、その機会を待つ

  • 日中関係史における「汪兆銘研究」の構築

    研究期間:

    2015年04月
    -
    2019年03月
     

     概要を見る

    本プロジェクトは、従来の日中関係史のなかであまり論じられて来なかった「汪兆銘」と 「汪兆銘政府」に関する基礎的研究である。研究の目的は、日中関係史のなかで大きな足跡を残した汪兆銘関係の史料を広く集め、「汪兆銘関係史料」を日本語で編集して公刊し、さらに客観的な視点から汪兆銘の人物伝記の完成を目指すことである。汪兆銘は孫文の継承者と目され、近代日中関係史のなかで重要な役割を果たした。しかし、日中戦争中、日本占領地の南京で政権を樹立したため、戦後「売国奴」「漢奸」と評価され、かれをめぐる問題は、日中関係史の「タブー」とされ、重要だと思われることも記載から抹消された。しかし、彼の思想と行動を解明することは、近代日中関係史を多面的に捉えることに不可欠な作業である。「汪兆銘関係史料」と汪兆銘の伝記の完成は、日中関係史の不足を補い、日中関係史全体像の構築に貢献するものである。2019年度中、研究代表者は日本と日本以外の地域に散在する汪兆銘の個人 史料および汪兆銘政権関連の史料を調査し、網羅的な汪兆銘関係史料集の編集に向けての準備を完成した。日本側の史料については、外交記録に含まれる汪兆銘関係の記述を調査整理し、汪兆銘関係文書の充実を図った。台湾の中央研究院近代史研究所の外交文書、国史館所蔵の記録からも汪兆銘の記録を集めた。中国語で記録された記録を日本語に翻訳し、日本語版汪兆銘関係文書の完成を目指している。史料の収集と編集以外に、厖大な史料に基づいて、汪兆銘伝記の執筆をはじめている。汪兆銘の人物研究は、日中関係史における汪兆銘の位置づけに必要な基礎作業である。多様な汪兆銘評価が混在している現在の研究状況のもと、客観的な汪兆銘の人物研究は、日中関係史を多面的に捉えることに貢献するものである。研究終了後2年以内に、これらの成果を社 会に公開し、日中関係史研究の新たな視角を貢献したい

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講演・口頭発表等 【 表示 / 非表示

  • 中国モデルの再模索ー改革か伝統への回帰か

    日本国際政治学会2012年年度研究大会  

    発表年月: 2014年10月

  • 歴史認識問題における「正義」と「法」

    アジア平和貢献センターシンポジウム  

    発表年月: 2014年07月

  • 日中の相互認識と日中戦争ー外交官を中心に

    国際共同研究「日本の軍事戦略と東アジア社会ーー日中戦争期をを中心として」  

    発表年月: 2014年07月

  • 中国通外交官の歴史、文化的背景と日中関係

    国際共同研究「多面的な近代日中関係」(台湾中央研究院)  

    発表年月: 2013年07月

  • 中国の外交戦略と東アジア共同体

    関口グローバル研究会  

    発表年月: 2011年07月

特定課題研究 【 表示 / 非表示

  • 汪兆銘政権下の日中関係

    2000年   島 善高, 小林 敦子, 竹中 憲一, 石 源華, 曹 振威, 張 雲, 劉 其奎, 余 子道

     概要を見る

     本国際共同研究を開始した直接の理由は、「汪兆銘政権下の日中関係」という研究テーマは、日本の占領地政策や、戦時下の外交問題、さらには20世紀の日中関係の特徴を究明するのに不可欠な要素であるにもかかわらず、史料の不足などの理由で、その研究が今だ大きな成果をあげていないからである。そこで本研究は、まず史料の蒐集と整理という基礎作業から着手した。中国側研究者は中国各地の档案館に所蔵されている史料を広く集め、史料集の編集作業を進めてきた。史料集は汪兆銘政権の政治、外交、経済、教育、社会、文化などの諸分野にわたる大規模のもので、近く中国で出版される見通しとなった。一方、日本側の共同研究者は日本の史料館などに所蔵されている関係史料を集め、これに中国側の史料を取捨選択して、史料集の出版を準備している。 共同研究期間中、中国側の共同研究者が早稲田大学を訪問し、本学の共同研究者と意見交換を重ね、史料の分析、選定などを行った。また、日本側の共同研究者も中国を訪問し、史料の調査や意見交換を実施した。現在、日本と中国でほぼ同時に出版する史料集の編集と翻訳作業に入り、出版に向けての具体的な作業を進めている。 また、史料集の編集作業を進めると同時に、研究論文の執筆を行ってきた。研究代表者の劉傑は、研究論文の一部を加筆して『漢奸裁判』と題する著書を出版している(中央公論新社)。その他の研究者も論文を完成して、論文集の出版に向けて、文章の調整や翻訳作業に入っている。 史料集と論文集の出版に合わせて、早稲田大学の施設を利用した国際シンポジウムも予定している。当初は2002年の開催を目指していたが、史料集と論文集の出版が少し遅くなることに合わせて、2003年の開催に変更して準備を進めることにしている。 本格的な研究が存在しないこのテーマに関係する史料集と論文集の出版は、日中関係史研究に発展に大きく寄与することになろう。また、シンポジウムの開催は、早稲田大学と復旦大学との学術交流をいっそう促進するとともに、第一次史料に基づいた日中関係史の共同研究の方向性を示すものとして、意義のあるものと確信している。

  • 汪兆銘政権内の日本人顧問に関する研究

    1998年  

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    近年、私が取り組んでいる研究課題の一つに、いわゆる「中国通」「日本通」の人々を通して、日本と中国の近現代史、及び近代日中関係史を見直す、というものがある。昭和戦前期に日中関係はさまざまな側面を持っている。しかし、従来の研究は、主として両国の相敵対する側面が多く強調され、水面下における両国の人的交流や、戦争と並行して展開された、両国関係再構築の試みなどは、ほとんど無視されてきた。ところが、私は、戦後日中貿易や日中国交回復に活躍した人々の多くは、戦前、中国大陸に赴き、各分野で活躍し、中国において幅広く人脈を築いた人々であることに注目し、戦前と戦後の「連続」の視点から、近代の日中関係を再検討しようとしたのである。それでは、「中国通」「日本通」と言われた人々は、どのような理念に基づいて、日中両国で活躍したのか、どのような日中関係ないし国際関係を構築しようとしたのか。これを解明するために、私はこれまで一連の論文を執筆してきた。しかし、これまでの研究は、汪兆銘政権と日本との関係についてほとんど言及していない。日中戦争の最中に成立した汪兆銘政権のなかにも多くの日本人顧問が配置された。これらの人々の思想と行動は、汪兆銘政権が「傀儡政権」だったということで、研究の対象とされていない。同政権内の顧問は日本を代表する政界、経済界及び学界の人々であり、彼らの行動を究明することは、日中関係史の研究にとって重要な意味をもっていることは、いうまでもない。1998年度は、汪兆銘政権下で活躍した日中双方の人物を取り上げ、研究を進めてきたが、その成果として、「日中戦争下の親日派」をまとめ上げた。この問題をさらに大きな視野で取り上げる著書を現在執筆中である。

  • 日中戦争下の「親日派」「親中派」に関する研究

    1997年  

     概要を見る

    1937年に勃発した日中戦争はかつて例のみない複雑なものであった。戦争と並行してさまざまな「和平工作」が繰り広げられたことは周知のとおりである。これらの「和平工作」を推進した人々の多くは、いわゆる「中国通」の外交官や軍人、および民間人であった。彼らがどのように日中戦争に関与したかということは、日中戦争史研究の重要な課題の一つである。 97年度の研究は、主として外交官に焦点を絞って、外務省内の「中国通」の行動を追跡した。日中戦争開始以前、満州をはじめとする日本の既得権益を守りながらも、これ以上中国との関係悪化を防止し、戦争を避ける道を探るのが外務省に課せられた課題であった。言いかえれば、権益への固執という強硬なる側面と戦争回避の道を探るという協調路線が外務省を支配した。確かに広田外相は陸軍との協力関係を機軸に外務省の自主路線を打出したことは否定できない。しかし、満州問題についての中国政府の認識度の高さを考慮すれば、満州国の維持という執念が象徴される佐藤外相の「強硬度」は、彼の一連の協調路線によって相殺できない。 佐藤外交は特殊な孤立したものではなく、「日本の対外政策、とくにその中枢をなす中国政策が蹉跌したとの自覚が陸軍をふくめて日本の各界に、一九三七年初頭以来浸透し、その反省と再建の気運のかなで佐藤が外相に就任し、それをさらに推進しようとした」事情を考えると、佐藤外交をもたらした「基盤」というものに、もっと大きな意味を持っているように思われる。ところが、外交官の対外認識と政策についての究明はまだまだ不十分のように思われる。陸軍の対外認識は戦局によって激しく左右されることに比べ、外交官のそれは外交官の使命感と経験からして、比較的に安定している。 本研究は日中国交調整が本格化した一九三五年から日中戦争開始までの二年半、日本の中国政策は何が変ったのか、何が変らなかったのかについて、外交官、とりわけ「中国通」外交官を通して考察し、そして、彼ら外交官の中国認識と政策論は広田外相期から佐藤外相期にいたる日本の外交政策にどのような形で影響を与えたのかを究明することを主な目的とした。また、外交官の認識が戦争開始後の政策形成にどのような影響を与えたかについても考察した。 一方、中国側の「親日派」の日本認識は、戦後のいわゆる「漢奸裁判」を検討することによって、明らかにした。研究成果の発表:1997年12月 「中国通外交官と外務省の中国政策」(軍事史学会編『日中戦争の諸相』)1998年3月 「審判記録が語る『漢奸裁判』」(『早稲田人文自然科学研究』第53号)

  • 日中戦争期「占領地」における日中関係史研究

    1996年  

     概要を見る

     一九四〇年三月三〇日、汪兆銘を首班とする南京国民政府は「還都」という名の下に成立したことで、占領地政権づくりの工作が一応達成された。これ以後、終戦までの五年間あまり、日本は複雑な国際情勢の変化に応じて、汪兆銘政権との特別な関係を維持しながら、占領地の政治・経済運営、重慶との和平実現、共産党勢力との駆け引きなどを展開した。このような占領地を舞台とした日中関係を解明することが本研究の目的である。 ところで、この課題へのアプローチの第一歩は、まず、汪兆銘政権の樹立に踏み切った日本の対中政策の実態を究明することから始まらなければならない。したがって、この研究は「占領地」における日中関係史の基礎研究と位置づけることもできよう。 さて、汪兆銘政権樹立直前、さらに政権樹立後にいたっても、重慶に退いたとは言え、蒋介石国民政府は唯一中国の民心を把握していた政府であり、この政府と間に和平を実現しなければ、日中間の戦争終結もあり得ないという認識は、日本の政治家、外交官のみならず、陸海軍人の間でも、自明の道理であったように思われる。単純に言えば、日本側は、汪兆銘政権の無力と傀儡的性格を充分認識していたし、この政権との間にいくら日本にとって有利な条約や停戦協定を結んだところで、重慶政権が存続している限り、或いは重慶との間に和平が実現しない限り、所詮如何なる意味も為さない。それなのに、なぜ政権樹立に踏み切ったのだろうか。しかも何故に、真剣に汪政権との交渉条件を検討し、苛酷な要求を同政権に突き付けたのだろうか。傀儡政権を作り、しかもその弱さに乗じて、中国全土に拡大した日中対立をさらに増幅させるような苛酷な要求を受諾させることは、果たして日本にとって利益だったのだろうか。 単純に考えれば、重慶政権を牽制するためにも、比較的緩やかな条件で汪兆銘グループとの交渉に臨み、日中和平の実績を世界中に顕示することは日本にとってより有利であったことは言うまでもない。 そこで、私は「汪兆銘政権の樹立と日本の対中政策構想」(『早稲田人文自然科学研究』第50号、1996年10月)という論文をまとめ、無力と知りながら、なぜ汪兆銘政権の樹立に踏み切ったのかという必ずしも充分に解明されてこなかった問題に焦点を絞って、汪グループに厳しい要求を出したことの意味は何か、また、汪政権の樹立によって如何なる効果が期待され、さらに如何なる戦後秩序を構築しようとしたのかなどの問題を明らかにした。さらに、汪兆銘政権の樹立と同時に展開された「新党運動」にも言及し、いわゆる「汪兆銘工作」の本当の意味を解明することに努めた。このような作業を通じて、日中戦争期の「占領地」政策の本質もより一層明からになり、新年度以降の研究課題への基礎準備も一応完成されたと言えよう。

 

現在担当している科目 【 表示 / 非表示

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